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トランシルヴァニアへの扉 - Erdely kapuja-

古きよきヨーロッパの面影を残す、トランシルヴァニアへの扉をそっと開いてみませんか?

::自己紹介::

谷崎 聖子

Author:谷崎 聖子
1978年宮﨑生まれ。
大阪外大、ハンガリー語学科卒業。
ブダペスト大学で民俗学を専攻。
ルーマニア、トランシルヴァニア地方のフォークロアに惹かれて、セーケイ地方に移住、結婚。
三人の子育て中。

伝統手芸研究家。
トランシルヴァニアの文化、手しごとを広める活動をしています。主な著書「トランシルヴァニアの伝統刺繍 イーラーショシュ」、「カロタセグのきらめく伝統刺繍」。

東欧雑貨ICIRI PICIRIFOLK ART Transylvaniaのオーナー。

詳しくは、森の彼方-トランシルヴァニアへの扉をご覧ください。

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トランシルヴァニアへの扉  - Erdely kapuja-のRSSフィード

ブログ翻訳

「化石の丘」アーティストレジデンス(後)

翌朝は珍しく、日の出の頃に目が覚めた。
小鳥のさえずりが耳をつき、
深い緑の森が窓の外から目に飛び込んでくる。
朝日の中で屋敷の周りを散策してから、
一階のキッチンにくると、すでに男の子と男性がおしゃべりをしながら朝食をとっていた。
屋敷の主人であるジョルトおじさんと奥さんのチッラが、
キッチンで食事の準備をして、私たちがテーブルにつくという贅沢な日常がスタートした。

初日は朝食が済むと、すぐに遠足に出かけることになった。
細い山道から広々とした原っぱの中に出て、
そこでジョルトおじさんが話をしてくれた。
ここはコーシュ・カーロイが所有していた農場で、
たくさんの家畜を飼っていたいたという。
カロタセグに移り住んだコーシュは、
ハンガリーがトランシルヴァニアを喪失するという大きな転換期にあって、
カロタセグ共和国というユニークな構想を打ち立てた。
当時のカロタセグとは芸術家たちの聖地であり、
大きな国家に依存せずに生活をしていきたいという夢があったのだろう。

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芸術家たちと子供たち。
このキャンプの素晴らしいところは、
アーティストと子供たちが、お互いに邪魔をせず、
まるで大きな家族のように見事に調和したところだ。


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コーシュの農場を後にすると、今度は高い丘を登っていく。
昨日の教訓から長靴を借りたのだが、暑いし歩きにくい。

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甘い匂いが鼻をつく。
見ると、草原の中にピンク色の花が顔を出していた。
「酔っぱらいの花」と呼ばれるこの花は、
初夏のシンボルとしてここ一帯でだけ見られるものだ。


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やっとのことで丘の上に上りつくと、
そこはまるで一つの世界のようだった。
平べったい山の上からはカロタセグが四方見渡せる。
皆が長靴をぬぎ、はだしで原っぱの上を歩く。
丘の頂上をはだしで歩く、なんという解放感。
この2か月半の閉塞感の後で、とりわけ私たちに必要なものだ。


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子供たちが茂みで何やら見つけたようだ。

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何と大きなトカゲ!


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ジョルトおじさんが説明をする。
ここは、ハンガリーとトランシルヴァニアを結ぶ交通の要所で、
屋敷が建てられた100年前にも、
無人駅のスターナはブダペストからの特急が停車する場所だったそうだ。
遠くの雲行きが何やら怪しい。
ずいぶん長いことそうしていながら、誰も下に降りようと言い出す人がいなかった。


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ようやく、長靴を履いて丘を降りた時には、
もう雨がそこまで来ていた。
雨の中を丘をみなで駆け下りていく。
すると、3人子供が見当たらないという声が聞こえ、
探すやら、木の陰まで急ぐやらで大慌て。
子供たちは無事に見つかり、びしょ濡れになって屋敷まで急いだ。
やっとのことで到着したと思いきや、
先ほどの雨がやみ、うそのような快晴になった。



そもそも、このレジデンスは、
シラージ県の博物館員であるアティラが企画したもので、
招待された芸術家たちは博物館に作品を寄贈することになっている。
部外者の私としては、何か自分でできることはと考えた末、
カロタセグのブラウスを作ってはどうかと思っていた。
先ほどの雨で、屋外に置いていた資料の本はぐしょぬれ。
主催者アティラの娘さんヴィオラは、日本語に興味を持ち、
この春に、独学で日本語を勉強しはじめたそうだ。
大きな瞳をきらきらさせて、質問をしてくる子どもを前に、
自分の創作活動を捨てて、日本語を教えることに決めた。

長男ベンツェとヴィオラを前に、日本語の基礎を
なるべくコミュニケーションを意識しながら教えていく。
父親も祖父も画家、その一方で母親も祖父も音楽家という素晴らしい素質をもつ子供たち。
日本のわらべ歌を教えると、
すぐに輪唱で美しいハーモニーが出来上がる。
時に娘も加わり、
時にほかの子供たちも混ざって
日本語で色オニをしたりと笑い、楽しみながら日本語に親しんだ。
友人レベンテの子供ふたりは、父親に習ってすぐに絵を描きはじめた。


csigavara (1)


美しい緑の森の中で、
それぞれが対象物を見出し、創作活動に入る。


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魔法のように、画材道具が飛び出す小箱。
さらに色を混ぜると、その可能性は無限大になる。


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中高一貫の美術学校に通っていた旦那が、20年ぶりに油絵を描いた。
「カラスの城」を描いたのだが、
帰る途中で草で滑って、キャンバスを落としてしまったようだ。
こちらはお世話になったジョルトおじさんに寄贈した。


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沈む前のその日最後の光を探り当て、
白いキャンバスに刻み込むアーティスト。


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レジデンスには滞在しているアーティストのほかに、お客様も訪れた。
主催者の奥さまエニクーの妹のアンナもしばしの間、
私たちと行動を共にした。
3人の子供たちにとってこのおばは母親のような存在で、
瞳を輝かせてキャンプの出来事を語り聞かせていた。
エニクーは、クルージの大学でピアノを学び、
その後、外国でクルーズ船などで仕事をしたり、
故郷の町で音楽教師をしたりしていた。
彼女に転機が訪れたのは、3年前。
外国から帰って、すぐに故郷の町へも行きたくない。
ブダペストの友人宅に居候しながら暮らしているうちに
今の職場である、学校の音楽教師の職を探し、
コーラスのグループで結婚相手も見つけて、今もブダペストで暮らしている。

「私たちの結婚式には、コーラスの友達など150人が集まってくれた。
皆が花嫁の私のために、野の花で冠を作ってくれたの。
白いレースフラワーをいっぱいにつけてね。」

その日は、ゾーヨムの7歳の誕生日だった。
近くの原っぱで皆で野の花をつみ、アンナが丁寧に花の冠を紡いでいく。


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「この春の間は、ホームシックがひどくて、
去年の大晦日に帰って以来、イースターにも帰ることができなかったから。
ブダペストの生活で一番恋しくなるのは、この手つかずの原っぱ。」

「先週は、主人と近くの山へ遠足をしていて、
無言で歩いていた時に、ふとこう言ったの。
『ハンガリーで、どうしてトランシルヴァ二アを失って悔しい思いをする人が多いのか、
やっと今わかったよ。』」

もうじきハンガリーへ帰っていくアンナは、
その風景を目に焼き付けるように花を摘み、やがて見事な冠を作り上げた。
晩御飯の時に、誕生日を祝う民謡をみなで歌い、
7歳になったばかりの少年の頭に載せた。


csigavara (2)


誕生日の夕食がすむと、
その夜は、ハレー彗星が地球に近づく日だというので、
皆で再び化石の丘に登ることになった。
手に懐中電灯を持ち、上着を着て、
真っ暗な木のトンネルをくぐり、星空の待つ野原へ。
子どもも大人もいっしょに15人くらいのグループが、夜道をそぞろ歩く。
まるで子供に戻ったかのように怖いような、胸がわくわくとするような心地。

丘を登りきると、満点の星空が照らした。
「ハレー彗星はどこ?」と皆が探していると、
望遠鏡を持ってきたダニエルが、「ほらあそこだよ。」と指をさす。
北の空の低いところに、肉眼ではわからないほどうっすらと
光の膜が揺れている。

双眼鏡をもって眺める人、
夏の星座を示して説明する人、
彗星の写真を撮る人・・。
暗闇の中で娘を探していると、
向こうの方に星空を見て、仰向けに寝そべっている3人の姿。
まるで星の音色のようなハーモニーが聞こえてくる。
高音のヴィオラと低音のベンツェの歌声が、
イスラエルの民謡シャロームを奏でていた。

「どこかで またいつか 逢えるさ
また逢おう また逢おう どこかで

きれいな 思い出 抱きしめ
また逢おう また逢おう どこかで

緑の星 ふたつ 寄りそう
離れても 離れても 寄りそう

どこかで またいつか 逢えるさ
泣かないで 泣かないで さようなら」



やがて最後の晩がやってきた。
いっしょに映画を見よう、もう一度丘に登ろうと
いろいろ計画をしながら、結局は翌日の出発の準備で忙しかった。
日が暮れる前に、子供たちを散歩に連れ出した。


csigavara (11)


手ごろな木を見つけると、
娘が登りはじめ、「僕も私も」と子供たちが木登りをする。
7歳から16歳まで、年も様々な子供が一緒に過ごす。
近所の子供たち、親戚の子供たちが、
当たり前のように集い、遊び、時には喧嘩もして、育つ。
昔はこうだったのかもしれない。


csigavara (13)


太陽の日差しとともに、雨粒が降って来た。
それでも、私たちの上に雲はない。


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ふと向こうを見ると、大きな虹がかかっていた。
どこまでも、虹に向かって原っぱを進んでいきたい衝動に駆られる。


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アティラの三人の子供たちは、明日からズィラフに帰っていく。
私たちは、残りの5日をトロツコーで過ごすため、移動だ。
長男もズィラフに招待され、
子どもたちと一緒に5日を過ごさせてもらったあと、私たちと合流して帰ることになった。


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5日間を一緒に過ごした私たちは、大きな家族のようだった。
どうしてここをコーシュが農場に選んだのか分かった。
100年前に、コーシュもまた友人たちや家族とともに、
あの化石の丘を登ったに違いない。


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comments(0)|trackback(0)|セーケイ地方の村|2020-09-06_02:58|page top

「化石の丘」アーティストレジデンス(前)

7月の半ばころ、友人と話していた時だった。
「カロタセグで5日間、トロツコーで5日間を過ごしたくない?
住むところも、食事も全部ついているんだ。」
目を丸くして、旦那と顔を見合わせていた。
夏休みの予定など空白だったから、それは思ってもみない提案だった。

画家のレベンテが、毎年夏にカロタセグのアーティスト・レジデンスに参加することは知っていた。
実は、彼もその主催者のひとりであり、
今年はコロナ流行を受けてハンガリーなどからの参加者のキャンセルが相次いで、
主催者も困っているとのことだった。
誰でもいいというわけではないだろうが、
こうして声をかけてもらったのは光栄なことだ。
それも、家族全員で参加できるとのことで、
カロタセグやトロツコーはどちらも私たちのフィールドなので、
私たちにとってはまさに夢のような話だった。

その二日後、私たちは荷物をまとめて、
カロタセグ地方のスターナへ向かった。
気乗りしない長男をやっとのことで準備に急がせたり、
いつものように旦那が気まぐれを起こしたりと、
出発の直前まで、いざこざがあったことは言うまでもない。

スターナのプロテスタント教会前に車を止めて、
他の参加者の到着を待つ。
4時の待ち合わせのはずが5時になり、
6時頃になってようやく人が集まってきた。
「ほら、あの人が主催者のアティラだよ。」と友人のレベンテが示すと、
車から3人の子供たちが降りてきた。
長男と同じ年ごろの少年がいるのを見て、心の中でひそかに喜んだ。
主催者に自己紹介をすると、なんと2年前にシク村の我が家に
レジデンスの参加者たちとともに遊びに来てくれた一人だったと気が付く。

目指す宿は、スターナの村からは遠い。
電車駅のすぐそばで、私たちも車のないころによく通った道だ。
雨でぬかるむ道を車で進むことはできないから、
村人に頼んでトラクターの後ろに荷台をつけて、荷物を運ぶことになった。
そして、荷物の見張りを二人の少年に任せて、
他の参加者は遠足気分で徒歩で向かうことになる。


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けたたましいトラクターの機械音とともに、
たくさんの荷物とまだ知り合って間もない少年二人が出発していった。


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村にある水飲み場で子供たちが遊びはじめたので、水のみ休憩。
昔は洗濯をするおばあさんの姿を見た場所だ。


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小さな村を過ぎると、今度は原っぱの丘が待っていた。
そこからさらに、森の中へ。


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森の山道はどろどろにぬかるみ、
長靴を履いてきた人は正解だ。
靴の底には厚い泥が張り付き、歩きにくいことこの上ない。
急に視界が晴れて、目の前に鉄道線路が現れる。

このスターナ駅は今から100年ほど前に、別荘地だったところで、
当時はハンガリーだったトランシルヴァニアの、著名人が家を建てていた。
中でも、トランシルヴァニアのハンガリー人にとって
精神的な柱であったのが建築家コーシュ・カーロイという人物。
トランシルヴァニア主義という、民族を超えた文化的な協力、統一を目指して、
第1次大戦後の新しい思想を担った。
コーシュが自分の住いにしたのが、この「カラスの城」と呼ばれる家だ。


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その近くにあるのが、今夜の住いであるセントイムレイの家。
コーシュが友人の作家、セントイムレイ・イェヌーのために設計した屋敷だ。
トランシルヴァニアの民俗建築の基礎は、中世の建築にあるという
彼の言葉通りに、石の基礎と木製の屋根や壁が美しく調和している。
大きな屋敷の前では、主人の夫妻が出迎えてくれた。
気品のある初老の男性サボー・ジョルト氏は、セントイムレイ・イェヌーの孫に当たる人物。

民俗学者だった、旦那の父シェレシュ・アンドラーシュとも知り合いで、
舅の本「バルツァシャーグの民俗詩と習慣」も
彼の持つ出版社クリテリオン社から出たものだった。
氏の母親セントイムレイ・ユディットは民俗学者で、
特にトランシルヴァニアのハンガリー人の刺繍の研究で知られ、
生前知り合いになりたかった人物の一人だった。


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「シェレシュ一家は二階の奥の、大きな部屋がいい。」とジョルトおじさんに言われ、
私たちは二階の部屋についた。
実は私たちは、一度ここに泊まったことがある。
3年前のイースターのツアーで、この住まいにどうしても心惹かれて、
不便な場所とは知らずに予約をしたのだった。
驚くことに私たちの今回の部屋もまた、その3年前に泊まったのと同じ部屋だった。
家具まで全部、コーシュが設計したというのだから、こだわり方が違う。
トランシルヴァニアに残る木の墓標をデザインしたテーブルや椅子にベッド。
そして、セントイムレイ・ユディットの刺繍作品や、
カロタセグのテーブルクロスがかかる調度品を眺めているだけで幸せな気分になる。


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泥だらけのズボンや服を着替えて、夕食の後、眠りについた。
こうして、美しい住まいでの5日間がはじまった。


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comments(0)|trackback(0)|カロタセグ地方の村|2020-09-03_18:17|page top

ピロシュカおばあちゃんと手仕事

ゆったりとした春の後で、 
夏はあわただしく私たちの周りを駆け抜けていこうとしている。
何か予定を立てていたわけでもないのに、 
次々いろいろなことが舞い込んできて、 気が付けばもう8月も半ば。
久々に、アーラパタク村のピロシュカおばあさんのところへ立ち寄った。 
しばらく音沙汰がないと、おばあさんが心配をする。
 一人暮らしのおばあさんは、体の自由が利かない分、 
頭だけはいろいろと思いめぐらすのだろう。 

さきほど市場で買ったばかりの野菜や果物をもって 門の前に車を止めると、 
おばあさんがお隣さんの家からゆっくりとした足取りでこちらに向かってきた。 
「つえをなくしてね。 もしかしたら、隣に置いてきたのじゃないかと思ったんだけれど。
 やっぱり、ここにあった。」
 門に立てかけた箒のすぐ後ろに、木の棒が置いてあった。 

「今は夏だから、外で寝るのよ。」 
そこは、おばあさんのベッドがやっと入るくらいの小さな小屋だった。 
薪で煮炊きをするから、夏の間は寝室が過ごしやすいようにと、 
住まいを分けるのが習慣だ。 

村で病気にかかった人の話、通りの下水工事の話、
庭の野菜の、毎週日曜日の教会の話など、おばあさんの近況に耳を傾けていると、 
ふと何かを思い出したようで、食糧庫の中で探し物をしている。 
「あの布がここにあったと思ったんだけれど。」
 やっと見つけた袋から、布と赤い巻き糸が出てきた。

「もう、縫うことはできないわ。
だから、返そうと思って。」
以前、おばあさんに刺繍を縫ってもらおうと思って預けた
クロスステッチ布と糸だった。
不意の言葉に、さみしい思いでその包みを手にしていた。
すると思い返したように、小さな布切れだけは取って、
「これだけはもらっておくわ。しおりなら作れるかもしれないからね。」

そういえば、何年か前にもそういうことがあった。
もう縫えない。
細かい布の目を数える編みクロスステッチは、
手先の器用さはもちろん、集中力を要するものだ。
自分の力の極限を感じながら、
それでも、膨大な時間をどう過ごしていいかわからず、
やっぱり手にとり、刺繍で時間を過ごしてきたのだろう。

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86歳のピロシュカおばあちゃんのしわしわの手が、
ベッドの上の枕の下を探り、
ふたつの靴下を見つけ出した。
「これは、あなたとお嬢さんのよ。」
毛糸で編んだ靴下は、しっかりとした厚みとぬくもりが感じられた。

「昔着ていたセーターをほどいて、編むのよ。
私はもう昔の服が着れなくなったから。」
この冬はおばあちゃんの靴下のおかげで足は寒くないだろう。
「おばあさん、秋になったら
私も編み棒をもってくるから、編み物を教えてくれませんか。」
私はとっさにそう口に出していた。
「ええ、もちろんよ。刺繍を教えたみたいにね。」

こうして、おばあさんと私をつなぐものは刺繍だけでなく、
編み物も含めた手仕事となった。
いつか一緒に編み棒の針を動かしながら、
おしゃべりをしよう。
そして、讃美歌の歌を歌おう。
この冬にそうしたように。


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comments(1)|trackback(0)|セーケイ地方の村|2020-08-15_02:49|page top

コロナ禍のトランシルヴァニア

3月9日に非常事態宣言が出て以来、
私たちの日常は大きく変わった。
子供たちは朝学校や幼稚園に行く代わりに、
夏休みのように一日中家にいる。
オンライン授業というとってつけたような手段にも慣れず、
あたふたと戸惑う学校側の様子が手に取るようにわかるようだった。
中途半端なことはせずに、
この状態が続くうちは仕事をきっぱりと忘れようと思った。

思えば、私たちの日常とは
社会が押し付ける価値観に則ったものであるといっていい。
学校教育がはじまると、朝から晩まで子供たちは学校で過ごす。
幼稚園では、学校への慣らしとして、
朝ごはん前に幼稚園へ連れていく。
朝ごはん、昼ごはん、お昼寝、おやつを食べたころに親が迎えに行く。
共働きの家庭にとっては大助かりなのだが、
要は、平日は教育機関に子供を任せきりなのである。

しかし、最終的に子供を育てるのは親であることに変わりない。
私たち親は、朝と夕方からの限られた時間の中で、
子供たちをしつけ、育て、その行動に責任をもたなければならないのだ。

自宅で過ごそう、ステイホームを合言葉に、
2部屋のアパートで5人家族がひしめく我が家で、
自宅学習、自宅遊びが始まったのだが・・・。
高校1年、小学1年、幼稚園年中という年の離れた兄弟が
あっちで遊び、こっちで勉強というのがなかなかうまくいかない。
その中でも家事はノンストップだ。
春から初夏へと流れる、一年で最も美しい季節を
窓の外からだけ感じるのも忍びない。
思春期の長男は、ともすると朝から晩まで
パソコン、タブレット、携帯という三種の神器を振りかざし、
家から出ようともしない。

そんな時、近所のスーパーで知人イロナに出くわした。
入場制限のある店内。
お互いに遠く離れ、マスク姿で品を選ぶそぶりで会話した。
買い物を終えて、家に帰ると
思い切って彼女を電話で呼び出した。
すると、彼女も二人の子供を家で持て余しているという。
森を一緒に散歩していた知人家族とも連絡が途絶たという。
彼女は遠く離れた村で牧師をしているが、
子供たちの教育のために生まれ育った町を選んだ。
彼女の夫ははルーマニア人で、普段はブカレストの
生物学研究所で働いている。
その夫がウィルスの研究をしていて、
まさにコロナウィルスの試験をする担当だという。

彼女自身は、子供たちの精神衛生上、
自宅謹慎はよくないと考えているようで、
その日から、長男とアーロンが自転車で出かけたり(スポーツ目的の運動は許されている)、
イロナの家に遊びに行ったり、
炭酸水通りの我が家の庭に遊びに来たりという交流が始まった。

2か月超におよぶ自宅謹慎の中で、
庭つきの家があるというのは何ものにもまさる宝だ。
炭酸水通りの家へ毎日のように通い、
いつの間にかそこで泊まり、過ごす日が長くなった。
今年初めて、心から畑をしたいと欲するようになった。
先の不安な世の中で、食べ物を自分たちの手で作ることができることは
大きな安心感を与えてくれるからだ。
3月から4月にかけて、しっとりと水分を含む黒い土、
中で眠っていた小さな虫たちが目を覚ますのを見ているだけで、
何とも言えぬ満ち足りた思いだった。
飛行機ひとつ飛ばない空はいつもより青く澄んでいて、
排気ガスが少なくなった町の空気も目に見えてきれいになった。

ki (2)

警察や軍隊が目を光らせる中、
隠れて悪いことをする子供のように、森のはずれまで自転車で出かけて行った。
炭酸水通りは、もう町のはずれの自転車道路に続いている。
森まで1キロ半といったところだろうか。
後ろに次男を乗せ、自転車を乗り始めた長女をしたがって、
炭酸水通りの小さな小川を眺め、
自転車道路に出ると、原っぱで放牧している馬の群れに挨拶をする。
さらに先に進むと、そこはもう森のはずれ。
くぼみに自転車を隠してから、
太陽の降り注ぐ森で目覚めたばかりの真っ白な「そよ風のバラ」や
輝くような黄色の「カエルの花」、細く優雅なカタクリの花や、
まるで森の精そのものように神秘的なクリスマスローズ。
そうした花を愛で、小鳥の歌声に耳を傾けているだけで、
緊張で固まった心が浄化されていく。

ki (1)

4月の終わりに誕生日を迎えた長男、
イロナの家族を呼んで誕生会をひらいたこともあった。
森のはずれにあるドボイ村の家に出かけ、
静かな環境に身を置いたこともあった。

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驚くことには、社会の影響を強く受ける町では
精神的に圧迫感を常に感じていたのだが、
村の生活は以前とほとんど変わらないということだ。
社会がどのような混乱に見舞われても、
村では何もかもがマイペースにただ流れていく。
特に自宅学習をする友人宅では何もかも変わらずに、
(友人が訪ねてこないことを除いては)
いつもと同じ日常が続いているとのことだった。

今日、長い非常事態宣言が解けた。
私たちの生活に精神に大きな影を落としながら、
それでも、この状況で多くのことを学んだ。
ルーマニアでは学校はこのまま閉鎖され、そのまま夏休みに入る。
私たちは、これまでの生活をどのように変えようか、
何を取り、何を捨てるかという選択の自由があるならば、
今こそ真剣に、深く考えなければならない。




















comments(0)|trackback(0)|ルーマニアの育児|2020-05-15_08:29|page top

ザ・龍之介

7BookCoverChallenge  第7日目
ザ・龍之介 第三書館
芥川 龍之介 1892年〈明治25年〉- 1927年

いよいよ最終日、ふたつの本が候補にあって、どちらにしようか迷い続けていた。
趣味のための本を選ぶことができなかった私を変えてくれた本。
ハンガリーで留学時代に、たまたま日本の本と思って手に取り、
何気なく手に取り買ったのが、20世紀初めの古本。(この本が見つかりませんでした)
ハンガリー語のタイトルは「日本のデカメロン」。
名前はえっ?という感じだが、官能性を感じさせる珠玉の小説が集められている。
19世紀末のセセッション(アールヌーヴォー)に魅了され、研究テーマにも選んだ学生時代、
その薫り高い美意識が同時代の日本の文学界にも息づいているのを感じた。
日本の文学黄金期、明治末、大正時代の作家のスター作家の作品が並んでいたように記憶している。(谷崎潤一郎、樋口一葉、川端康成・・­)
そして、それぞれの作品の前に作者の紹介もしてあるところが丁寧だ。
ハンガリー語の訳も素晴らしく、のちに日本語で親しんだ内容とまったく違和感がなかった。
ハンガリー語で唯一完読した文学書が、日本文学だった。
中でも、芥川龍之介の袈裟(けっさ)と盛遠(もりとお)の独特の緊張感、
刃のような言葉の切れ味にぞくぞくとした。

日本に帰国して、BOOKOFFでわずか100円で買い求めたのが、この芥川集だ。
まるで蚤のように小さな文字で、安いわら半紙に印刷されているが、
全作品が収録されているという。
ページをペラペラとめくり、気になったところを拾い読みするという手法で、
芥川の作品に親しんだ。
短い文章の中でまるで写真のように、人生の断面を切り取る美しさ、その無駄ひとつない文章。
西洋文学と日本文学、漢文学という3つの要素を吸収した芥川は、
大正時代という文化的精神的にひとつの黄金期を迎えた時代に
生まれるべくして生まれた才能ではないだろうか。
芥川は、『今昔物語集』、『宇治拾遺物語』などの説話文学に着想を得た作品を数多く残していて、前回の小泉八雲の作品にも通じる、怪異的なモチーフを見事に作品の中に生かしている。
また、キリシタン文学を題材にしたものも多く、日本における異文化を存分に味わうことができる。
芥川の晩年は不幸にも神経を病んで、自死を選ぶことになるのだが、
遺稿のひとつ、「人と死と」という作品の中で、このような問答がある。

作者 あなたは、いつでも、獨りで、さみしくはありませんか。
月 ちつとも、さみしくはないよ。
作者 さうですか。私は、友だちが大ぜいゐてもさみしくつて、仕方がありません。
月 友だちが澤山ゐるから、さみしいんだよ。
・・・・・・・・・・・・・・
作者 あなたは、いつでも、空ばかり歩いてゐて、さみしくはありませんか。
月 ちつとも、さみしくはないよ。
作者 さうですか。私は、仕事が澤山あつてもさみしくつて、仕方がありません。
月 仕事が澤山あるから、さみしいんだよ。
・・・・・・・・・・・・・・・
作者 あなたはようござんすね。
月 何故だい。
作者 いつでもさうしてゐるでしせう。銀貨のやうに白くなつたり、縫針のやうに細くなつたりしてもやつぱり、ちやんとさうしてゐるでせう。所が人間はさうは行きませんよ。
・・・・・・・・・・・・・・・
作者 私は、又、死ぬ事を考へると、何時でもきつと、さみしくなつてしまひますよ。
月 さうかい、私は死ねない事を考へたら、急にさみしくなつてしまつたよ。

わずか36歳で人生を閉じた芥川が、3人の息子に「芸術家にはなるな」との遺言を残したらしい。
しかし、長男は俳優、次男は詩人、三男は作曲家(芥川 也寸志)という風に、
芸術家の遺伝子はしっかりと受け継がれていったようだ。
#7days #7bookcovers #7BookCoverChallenge

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comments(0)|trackback(0)|その他|2020-05-15_00:00|page top

中島敦

7BookCoverChallenge  第6日目
中島敦(なかじまあつし) 1909-1942 筑摩書房

漢学者の家系に生まれた中島は、豊かな教養と格調高い文章で知られる。
ここに収められている小作品の数々は、古代中国のみならず、
オリエント地方や彼が晩年に赴任した南方パラオ島に着想を得たものなど、幅広い。

古代アッシリアを舞台にした「文字禍」という作品がある。
古代社会で文字を知ることによって、生まれる弊害に翻弄される人々が
ユーモアを混ぜて書き綴られている短編である。

「文字の無かった昔、歓びも智慧もみんな直接に人間の中にはいって来た。
今は文字のヴェイルをかぶった歓びの影と智慧の影としか我々は知らない。」

私たち大人が文字の力に頼ることの多いことに気が付いたのは、長男が幼稚園生の時だった。
日本のわらべ歌を教えにいったのだが、
幼稚園の先生は文字に書かないと日本語の歌詞が覚えられないのに対して、
まだ文字を知らない子供たちはいともたやすく耳から入ってくる日本語をインプットしたのだった。
6歳の長女はまだ文字を多くは知らない。
絵でどんなことも記号化して、彼女なりの思考で記録している。

中島がパラオの見聞した、または実体験の出来事を題材にした南方ものの作品も興味深い。
「夫婦」という作品の中では、痴情にからむ女同士の喧嘩(ヘルリス)について言及している。
村人が監視する中で、戦いを繰り広げる。
それも衣服が裂けて、ついに立てなくなって勝敗が決する。
勝者は村人から祝福を受け、正しき者との判断も下されるというのだ。
この話の中では、腕っぷしが強く、浮気者、しかし焼きもち焼きというどうしようもない妻と、
気の弱い彼女の夫、その恋人となった美しく、若く、強い女性との三角関係が
ユーモアたっぷりに描かれている。

「マリアン」では、中島と友人の人類学者、土方久功(ひじかたひさかつ)、
そして日本語、英語に堪能なパラオ人のインテリ女性マリアンとの交流が語られる。
ミクロネシア系の特徴をもつマリアンの中に美を見つける筆者の感性も素敵であるし、
彼女を通じて当時のパラオの風土や習慣がよくわかる。

池澤夏樹氏の論評のところで、一般に作家は性格の悪い人が多く、
親しく付き合いたい人間は少ないが、中島となら一緒に南の島々を回ってみたかった、
というのが印象深かった。
「山月記」しか知らない方々には、この南方の作品群に著者の意外性を発見することだろう。
ちくま日本文学シリーズは選出も良好で、装丁も美しく文字も読みやすいのでお勧め。
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小泉八雲集

7BookCoverChallenge  第5日目
小泉八雲集

小泉八雲、またの名をラフカディオ・ハーンLafcadio Hearnという。
1850年 - 1904年(明治37年)

アイルランド人とギリシャ人の血を受け継ぐ彼が、
新聞記者として日本の地を踏んだのは1890年(明治時代)だった。
侍の娘セツと結婚し、95年に日本人に帰化、
1904年に逝去するまで数多くの著書で日本の文化を幅広く紹介した。
日本語の読み書きはできなかったようで、
すべて口承で怪奇なもの、霊的な話を採集、記録し、彼独自の文学作品へと昇華した。
この本には、「怪談(kwaidan)」に代表される小説だけでなく、
「知られぬ日本の面影(Glimpses of Unfamiliar Japan)」のような文化的考察の論文や
エッセイに近いものまで収録されている。

彼の出会った日本は、モースなどの写真にも見られるような、
江戸時代までの古き良き日本の名残をとどめていた時代だったのだろう。
彼の外部からの、愛情深い眼によって、
西欧化近代化によって失われつつあった日本人の心情、
精神世界の美しさは丁寧に摘み取られ、花ひらく。
その愛情と敬愛のあまり、彼は日本人そのものに同化しようと試みる。
彼のような知識人を当時迎えた日本は幸運だったに違いない、
後に花ひらく日本の文学界にも多大な影響を与えたのは間違いない。

日本人の微笑(the japanese smile)という論文がある。
当時の西欧人に理解がしがたかった日本人のもつ微笑の意味を探りつつ、
日本独特の精神文化を論じている。
あるとき年老いた侍が主人の英国人の怒りに耐えた末に微笑を見せた。
その数日後に切腹をしたという話。
英国夫人の手伝いの女性が、亡くなった夫の骨壺を見せて笑ったという話。

この微笑は、日本人の誇り、奥ゆかしさ、他人に対する敬意様々なものを隠し持っているという。
作品はこう締めくくられている。

「現在、日本の若い世代の人たちがとかく軽蔑しがちな過去の日本を
・・・いつの日かかならず日本が振り返って見るときがあるだろう。
素朴な歓びを受け入れる能力の忘却を、純粋な生の悦びに対する感覚の喪失を、
はるか昔の自然との愛すべき聖なる親しみを、
また、それを映していた今はほろんだ驚きべき芸術を、懐かしむようになるだろう。
・・・おそらく、そのなかでもっとも驚嘆するものは、古い神々の温顔ではなかろうか。
その微笑こそが、かつての日本人の微笑にほかならないからである。」

私が彼の名を知ったのは、単身赴任で松江に一人暮らしをしていた父を訪ねた時だった。
旦那とまだ赤ん坊だった長男を連れて、ラフカディオの愛した松江の町を歩いた。
古風な町のあちこちに、かつて彼の見たであろう、
さまざまな霊や魂、神々の姿が今なお隠れ住んでいるような気がした。

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リンゴ畑のマーティン・ピピン

7BookCoverChallenge  第4日目
リンゴ畑のマーティン・ピピン エリナー ファージョン著 石井桃子訳

唯一の西洋文学は、イギリスの児童書として知られるこの本。
しかし実は、戦時中にとある兵士にささげられたれっきとした大人向けの恋の話なのだ。
ファージョンの豊かな想像力でこしらえられた極上の恋物語に、
イギリス南部サセックス州の美しい自然、草花の名前がいきいきと色彩を添えている。
リュート弾きの旅人マーティンピピンが、
6人の乙女たちに語る恋物語が彼女らの心をとかし、
秘密の鍵で捕らわれの身の領主の娘を助けるというもの。
歌うたいが語る今まで聞いたこともないような恋物語の数々が、
どれもが甲乙つけ難いほど逸品で、無垢な心を取り戻してくれる。
いつか子供たちに読んでほしい、こんな美しい恋をしてほしいと願ってやまない。

たとえば「夢」という言葉は一見ありきたりのようでいて、
ファージョンの文章の中で出合うと心が洗われるかのように鮮明に印象づけられる。
第三話目の「夢の水車場」という話がある。
17歳の心のまま大人になった37歳のヘレンは、水車場に閉じこもり、夢を糧に生きている。
二十年の間、ただ一人の少年のことを想い、彼女の想像は果てしなく世界をかけめぐる。
ヘレンの想像の中のピーターは彼女にこう語る。

「いったい、ことばっていうものがどのくらいのことを語れるね?
ことばは日向をぐるぐる飛んでまわる鳥のように、真(まこと)のまわりをまわるだけだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
おれたちは、相手のことばに耳をすます。しかし、おれたちが見つめるのは、相手の目だ。」
この章を読み進んでいくと、ヘレンが、ファージョンその人のような気がしてならない。

物語の最後に、ファージョン自身が作曲した、
物語の中で出てくる子供たちのわらべ歌のようなものが楽譜つきで掲載されている。
長男に作曲プログラムに打ち込んでもらったら、
中世ヨーロッパを彷彿させる素晴らしいメロディーだった。
いつか生の演奏で聴いてみたいものだ。
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荘子―古代中国の実存主義

7BookCoverChallenge  第3日目
荘子―古代中国の実存主義  福永 光司 著

ここまでは文学書ばかりだったのに、ここでいきなり新書。
私の人生に大きな影響を与えた一冊といってもいい、一冊。
中国哲学の研究者、福永氏の筆は文学と歴史、哲学の間を揺れ動く。
人間とはもろく、弱いもの。
それを否定することなく、ありのままに見る。
荘子の生まれた厳しい現実の中で、いかにして自由を得るかを探ったものが、
荘子の哲学であるという。
この本が素晴らしいのは、福永氏ご自身もまた、若くして戦地へ赴き、
荘子の哲学に魂を救われた存在であるからである。
トランシルヴァニアで生活をはじめて4年目、
これまで追い求めていたものが無意味なものに思われてしまう
精神的危機に見舞われた。
時は、古きよき欧州の田舎であるトランシルヴァニアが西洋に侵されてきた時期だった。
西洋文明、その言葉でさえも、私の東洋の血が拒みはじめ、
いつしか私の興味は古代中国文明に傾斜していった、そんな時に出会った本。
その数か月後、私はこの本をもって中国大陸をひとり旅していた。
無用の用、胡蝶の夢、朝三暮四など、よく知られる言葉もここで見られる。
人生を生きることをもっと楽に、シンプルに、物の本質を見ることができるはず。

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雨月物語

7BookCoverChallenge  第2日目
二日目は、雨月物語。

作者が「雨ははれて、月は朦朧の夜」に書き上げたことから題が命名されたという。
江戸時代後期の医者、上田秋成(うえだあきなり)の作を、
少年少女向けにやさしく現代語訳したもの。
児童文学作家として定評のある、佐藤さとるさんの訳なので肩肘張らず、
心地よくスッと入ってくる。
実は、長男の勉強のために買ったのが、私の方が夢中になって読んでしまったという本。
9つの不思議な話が、一見別々のもののようでいて、
実は主題という意味で連結しているという完成度の高い作品。
不幸な晩年を送った死者と高野山を訪れた僧(生者)の意思が通じあることの不可を説いた恐ろしくも悲しい話、死者が生者の前に現れ、約束を守る義理人情の話、
離れ離れとなった夫と不幸な妻の話・・・。
中でも、圧巻なのは「蛇性の淫」で、蛇女に目をつけられた男が、
地獄の果てまで追いかけられるという、ホラー映画のような話。
映画化され、カンヌ映画祭で受賞したことでも有名。

日本文学のみならず、文化一般において言える独特の美しさは、
この死者の魂が生きる者と密接に結びつくところだろう。
いつか、トランシルヴァニアのとある文学の会でこの本を紹介しようとしたところ、
教会の施設の中という理由で霊魂ものは不可と言われたことがある。
仕方なしに源氏物語に話を移したのだが、ここでもやはり怨霊などが出てくるので、
どうしようもない。

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comments(0)|trackback(0)|トランシルヴァニア食文化|2020-05-06_00:00|page top

聊斎志異

7BookCoverChallenge  第一日
ブックカバーチャレンジを知っていますか?
今日から毎日一冊、大好きな本を紹介させていただきます。
本は全くというほど読まなかった10代、
それでも文章を読むことは好きでした。
私の本との出会いは遅く、20代半分を過ぎてからでした。
20代後半~30代前半にかけて読んだ本が、私の今の生活を豊かに潤してくれている気がします。
トランシルヴァニアとも、刺繍とも全く結びつかない本ばかり。
それでも、私の心の大切な栄養なのです。

第一日は、聊斎志異(りょうさいしい)
中国の清代の短編小説集。
作者は蒲松齢(1640年(崇禎13年) - 1715年(康熙54年))。
作者が収集した世にも不思議なお話の数々は、
まるで中国の千夜一夜物語。
キツネが化けた美女と幽鬼に同時に愛される男の恋物語や、
死して再び結ばれる男女の輪廻転生のモチーフ、
夜叉の国へ迷い込んだ商人の話
別れた男を祟る恐ろしい怨霊の話など。
中国の話はなぜこれほどまでに想像力豊かなのだろうと思っていたら、
大陸文化という多民族多文化と接する地理的、歴史的環境のせいでもあるのだろう。
登場する女性たちの自由奔放さ、明るく魅力的なことが印象的だった。
誰もが好きなおとぎ話と怖い話が、当時の格調高い文章でつづられている。
清代の中国の情緒あふれる挿絵も素晴らしい。
厚い単行本2冊のボリュームにも関わらず、
あっという間に読み終えてしまうこと間違いなし。

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野いちごの谷へ

私たちの日常は、 この3月で大きく変わった。
3月半ばに学校が閉鎖され、
日常生活の中でもさまざまな制限が加えられた。
子供たちができるだけ、
この閉塞した空気に押しつぶされないように、
外に出ることを心掛けるようにしている。
公園もすべて立ち入り禁止となり、
表では遊ぶ子供たちの姿が消えた。
外出制限のため、昼の2時間の間は、お年寄りが列を作って店の前に並んでる。
町の中心は、まさにゴーストタウンに近い状態である。

散歩や運動のための、近所への外出は認められている。
そのためにルーマニア語の申請書を毎回書き、
いつも持ち歩かなければならない。

家から10分でたどり着く、大自然。
町のはずれの谷へと、子供たちを連れて向かった。
3月の半ば、まだ台地にはうっすらと緑の気配がみられるだけである。

  谷 (12)

冬にはそりをした下り道。
気を付けてゆっくりと下っていく。

谷 (11)

すっきりと晴れた青空に、
「ロバのとげ」が大きく伸びている。

谷 (9)


谷間には、湧き水からちいさな小川ができている。
足をぬらさないように気を付けて向こう岸にわたり、
小高い丘を登っていくと、
高層住宅もはるか向こうに見渡せる。


谷 (10)


だだっ広い原っぱの中に
ぽつんとひとつ巨大な岩が置かれている。
自然のほかには何もないこの場所で、
これだけがただ一つの遊具。
岩によじ登って遊んでいる。


谷 (5)


冬はそりをする老若男女でにぎわうこの丘も、
今はたまに犬を連れて散歩する人々がちらほらするだけ。
丘の上までかけっこをする。

谷 (3)


ここまでくると、もう森も近く。
四角い壁の中で朝から晩まで過ごした閉塞感も、
広々した場所にくると気持ちが一気に解放される。


谷 (4)


谷沿いに並んだ木々の中にひとつ、
黄色く輝くような木が目についた。
近くにいってよく見ると、
小さなネコヤナギの花だった。
古くから、イースターの象徴とされるのは、
卵のような形のつぼみだからだろうと思っていたが、
ひらいた花はまるでヒヨコのように明るい黄色。


谷 (7)


ぐるりと谷をしていると、
春が忍び足で近づいているのが感じられる。
もうすぐ野イチゴの花が咲く。
初夏になったら赤い熟したイチゴを拾いにこよう。
春の花はまだかと思っていたら、
娘が野生のドライフラワーの花束を作ってくれた。


谷 (8)


その翌日、一家で森に散策に行くと、
そこでは、いち早く春が訪れていた。
クリスマスローズやカタクリ、ニリン草などが落ち葉の中からちらほらと顔を出していた。
自然は、私たち人間界の悩みも不安にもお構いなしに、
たくましく生きている。
この春ほど、こうした自然のサイクルがありがたく、
そして自然の姿がうらやましくとも、神々しく思うことはなかった。
過酷な寒さにも地中で耐え忍ぶ植物のように、
私たちはもっともっと強くならなければいけない。




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