トランシルヴァニアへの扉 - Erdely kapuja-

古きよきヨーロッパの面影を残す、トランシルヴァニアへの扉をそっと開いて見ませんか?

::自己紹介::

谷崎 聖子

Author:谷崎 聖子
1978年生まれ。
大阪外大、ハンガリー語学科卒業。
ブダペスト大学、クルージ・ナポカの大学で民俗学を専攻。
ルーマニア、トランシルヴァニア地方のフォークロアに惹かれて、セーケイ地方に移住、結婚。

手芸研究家。
トランシルヴァニアの文化、手しごとを広める活動をしています。

東欧雑貨ICIRI・PICIRI
FOLK ART Transylvania
オーナー。トランシルヴァニアの
手芸に関しては、ICIRI・PICIRIの
小さな窓
にてご覧いただけます。

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トランシルヴァニアへの扉  - Erdely kapuja-のRSSフィード

ブログ翻訳

初春のドボイ村

深夜のブカレスト空港に降り立ち、
息子の顔を見たとたん長い旅が終わったのを感じた。

一晩明けて表にでると、
ブカレストの町はすでに新緑が目ざめ、
明るい太陽の光で満ちていた。
朝の空気がつめたくて心地よくて、
思い切り肺に入ってくるようだと伝えると、
ダンナは、「ブカレスト郊外の空気は悪くて・・。」と言ったのに驚く。
1週間の東京滞在のせいだろうか。

電車がカルパチア山脈にさしかかったとき、
季節が逆もどりをしたかのように、
初々しい白い花がようやくほころび始めたところだった。
こうして、トランシルヴァニアに帰ってきた。



家について二日目の昼すぎ、ドボイ村に向かった。
大型バスに揺られて、まだ早い春の風景が目にまぶしく感じられる。
降りたのは、小さなボロシュニョー村。
ドボイ村に通じるバスは、朝をすごすと夕方にしかない。
「丘を越えてきれいな風景を見ながら、
家路につくことができるなんていいだろう?」と村に住む友人バルニが言う。

この村には、友人一家の先祖代々の家がある。
昔、パーリンカ工場で富をなした、祖父母時代からの家。
美しい貴族様式の調度品が備えつけられた部屋は、
まるで時間が止まったかのようだった。
今は誰も住む人もなく、だんだんと朽ちるのに身を任せている。

壁のレリーフがうつくしいプロテスタント教会を横目に、
墓地へとつづく坂道を登っていく。

doboly2012aprilis 002

田舎のあぜ道。
春がまさに目ざめようとしている今の時期は、
胸がつまるような新鮮さを与えてくれる。

doboly2012apr 005

ようやくプルーンの小さな白い花が、
粉をふいたかのようにして咲きはじめている。

doboly2012apr 006

坂をのぼっていくにつれ、どんどん村が遠ざかっていく。
足元に広がる風景にため息がもれる。
なだらかな丘に遠くの町もさえぎられ、
ここだけでひとつの世界が出来上がっているようだ。

doboly2012apr 018

丘の途中で、ひと休み。
サンドイッチをつまんでいると、
バルニが肩掛けかばんからお鍋を取り出した。
何かと思っていたら、白飯が入っている。
美味しい空気が何よりのご馳走だ。

山に寄り添うようにして家が集まっている。
ドボイの村は、平野から見ると森に囲まれて見つけにくい。
小さな隠れ家のような村。

doboly2012apr 023

村の端のほうには湧き水が流れ、
ジプシーのおばさんたちがおしゃべりをしている。
「長く見なかったわね。」などと話をしながら、別れた。
細くぬかるんだ道を通って、私たちの家にたどりついた。

家は建てはじめてから、もう4年になろうとしている。
いつになったら越してくれるのだろうと、家の方もしびれを切らしているのだろう。
それとも、くるみの木やリスや鳥たちと遊びながら、
楽しくやっているのだろうか。

くるみの木の枝に、板を通したロープを吊り下げる。
息子のための遊具ができた。

doboly2012apr 029

近所の子供たちに生まれたばかりの動物たちを見せてもらったり、
村の人たちにご挨拶している間に、
あっという間に一日が過ぎていった。

庭のテーブルに食べ物を広げて遅い昼食を食べていると、
雨雲がちかづいてきた。
雷の音とともに、雨が地面をぬらす。
裏の杉の木が、風にゆれてざわざわと音を立てる。
灰色の雲がかたちを変え、すぎていくのをじっと眺めていた。

もう一雨くるまえに、あわてて終い支度をして村を下り、
バスに飛び乗った。

Theme:ルーマニア
Genre:海外情報

comments(2)|trackback(0)|セーケイ地方の村|2012-05-16_03:48|page top

平松のぬしさま

心のどこかで求めていた風景に、
ふとした偶然から行きつくことができる、
そんな経験をした。

小さなときからのくせで
ずっと「智恵子姉さん」と呼ぶ親戚の人がいる。
関東に住んでいたときから、
彼女の暮らす場所はどこかおとぎ話の世界のようだった。
茨城の牧場や、八ヶ岳の森のそばなど、
大自然のなかで広々とした庭をもち、いつもたくさんの猫を飼っていた。

宮崎駿の「となりのトトロ」やますむらひろしの「アタゴオル玉手箱」など、
いち早くファンタジーものの情報をさずけてくれたのは
読書好きの彼女だった。

ある日なにかのついでで車で出かけた時に、
「ねえ、ちょっとだけ寄り道してもいい?」
そういうと、車は細い山道へと入っていった。
道は、やがて彼女の父親が生まれた平松へとたどり着いた。

この集落の八幡神社はクスの大木で有名である。
息子が小さかったころ、
同じようにここへ連れてきてもらったことがあった。
どこか心の中で引っかかっていて、
行きたいと思いつつずっと来ることのできなかった場所。

sakura 040

わくわくと胸が高まるのを抑えつつ、
まず神社でお祈りをする。
ここちよい春の日差しがこぼれ日となって降りそそぐ。
空気がなんともすがすがしい。

sakura 015

太く力強い幹を、ほれぼれと見上げる。
長く生きてきた樹木だけがもつ、霊力ともいえるような
パワーがみなぎっている。

sakura 021

時に木は、人の肉体を感じさせる。
その見事な腕はどこまでも続き、
今にも天をその手に収めんとするがごとく伸びている。

sakura 022

私たちの祖先は、
長寿の象徴でもある木に深い畏怖をいだき、
古くから崇め祀ってきた。
大陸から仏教が伝わってきた後も、
その新しい宗教を土着の信仰と融合させながら守りつづけてきた。

sakura 016

彼女が贈ってくれた本に、「トガリ山のぼうけん」というものがある。
息子が大好きな物語だが、
その中で森の動物たちが「ぬしさま」の話をする。
何か悩みがあったときに、森の動物たちが相談事をする
長老のようなものだ。
その正体があらわれると、長寿の大木だった。

sakura 034

宮崎のこの辺りによく見られる、自然石がある。
四つ角などに立てられ、
中には「二十三夜」や「月天子」と文字が彫られているものもある。
かつて、「月待ち講」が盛んであった名残だ。
私の曾祖母の時代には、
二十三夜の日になると村の人たちが集まって夜遅くまで
飲み食いをして宴会をする。
それは、腹の中にいる虫が天に昇って
その主人の悪い行いを告げ口しないように見張るためだという。
庚申信仰といわれるもの。

sakura 025

私たちの祖先は、
こうした自然石にいったい何の姿を見出したのだろう。
クスの大木の根元に、さまざまな信仰の姿がより集められている。
子供を身ごもる女性のような像。

sakura 030

平松は、宮崎市にありながら秘境を感じさせる。
山道をすすむと、今度は桜の名所の垂水公園へとついた。
桜をながめていると、
どうしてこころが晴れ晴れとしてくるのだろう。
その優雅な立ち姿は、他の樹木とはまた一味違っている。

sakura 049

もっと形に華があるものはあるし、
色が鮮やかなものもあるのにもかかわらず、
私たち日本人はいつも桜を特別なものとしてきた。

sakura 044

つぼみになると、いつ咲くだろうかとこころを躍らせ、
花がひらくと、もう花の移ろい散りゆくの思い病む。
花はたった一週間ほどの命であるといわれる。
たった一週間のその旬を楽しむがために、これだけの数の桜を植えてしまう。
日本人の桜の花を愛する心のなんと深いこと。

sakura 047

日本の春はうつくしい。
今回の里帰りでは、
いつになくその思いを強くした。

sakura 053

Theme:史跡・神社・仏閣
Genre:写真

comments(0)|trackback(0)|その他|2012-05-13_03:34|page top

旅の終わりに

東洋というひとつの文化圏を生み出した黄河の流域を巡り、
漢代以前の古代中国に触れる旅はひとまず終わった。

ほとんど観光らしい観光はできなかった西安。
西駅からホステルに電話をすると、
レセプションの男の子の声が驚くように高くなった。
「あの日本人の女の子?風邪は治ったんだね。」

この町についたとたん風邪が悪化し、咳が止まらず、
ついには声がまったく出なくなってしまった。
ふだんは筆談さえできれば用は足せるが、
それでも声がでないのはやはり辛い。
ほとんど部屋に閉じこもり、布団をかぶっていた私を気遣ってくれた、
ホステルの従業員たちの優しさが有難かった。
この歴史的都市で観光らしい観光はできなかったが、
宿の思い出だけは色濃く残っている。

西安から飛行機で二時間、
ふたたび東へと向かい、上海に上陸した。
足早に中国一の大都市を出て、蘇州へ。
旅のもうひとつの目的、古琴を学ぶために3日間滞在する。

ホステルに着くと、顔見知りのレセプションの女の子が言う。
「シェンツ、帰ってきたのね。」
私の名前を中国語読みすると、そうなるらしい。
友人たちと知り合えた、懐かしい4人部屋はもう空いていないという。
今回は古琴を練習する目的があったので、一人部屋を案内してもらう。
彫刻のほどこされた古いベッドがほとんどの空間を占領し、
ほかに小さな机だけの部屋。
窓の外には、大きな枇杷のような木があるだけの中庭。
お向かいさんの部屋まで見られそうな距離である。

ryuba 132

朝になると、いつものようにスタンドでパンと豆乳を買い、
通勤のバイクの行きかう通りを食べながら歩いていく。
15分ほどで楽器屋にたどりつく、ちょうどよい散歩コースである。
すこし練習をしたかったので、早めに教室に入った。

年下の師匠リサは、新しい楽譜を手渡してくれた。
「神人畅」と書かれている。
はじめて彼女と会ったときに、自己紹介のつもりでこういった。
「インターネットで龚一(Gong Yi)の演奏を見て、
古琴を学びたいと思ったの。特に「神人畅」や「広陵散」が好き。」
彼女はそれを覚えていてくれたのだろうか。
まだ基礎でさえ十分でない素人の私に、
こんな美しい曲を教えてくれるなんて驚いた。

「樂(がく)の文字の語源は、天と人とを糸のようなもので結びつける。
そういう意味があるといわれているのよ。」
リサが教えてくれる。
その糸とは、つまり琴の弦のことではないのだろうか。
「神人畅」の曲も、神と人との和を意味するとある。

曲はまず、光が水に当たってはじけるような泛音(ひんおん)からはじまる。
左指で、13の微と呼ばれる貝のしるしが刻まれる場所を
かるく触れると同時に右指で弦をはじくのだが、
ちょうどの場所に触らないと、音が鳴らないので難しい。
それから、地の底から響きわたるような散音(さんおん)に
弦を滑らせて陰影をつける按音(あんおん)が加わる。

その音色は、まさに私がたどってきた古代への旅をいきいきと甦らせる。
青銅器の文様の世界に、
または漢代の墓にあったフレスコの赤に、
そして天へ昇る無数の仙人たちの絵に、
その音色がぴたりと重なり合う。



理屈で理解するのと違い、
自分の指先にそれが伝達するのが遅いのが歯がゆい。
彼女の献身的な特訓と、部屋で練習を重ねたおかげで、
どうにか最後まで行きつくことができた。
お世話になった師匠のリサや楽器店の人々に別れを告げ、
雨の降る蘇州の町を跡にした。

次の日の朝、上海から船が出た。
古琴をはじめたくさんの荷物を背負って、
巨大な町の中をさまよい、走って港についた時には
汗びっしょりで精も根も尽き果てたような状態だった。
こうして、私の旅は幕を閉じた。

ryuba 137

船は、26時間かけて長崎港に着いた。
平たい大陸から、山がちの小さな島国へ。
上陸すると、満開の桜が出迎えてくれた。
出迎えに来てくれた母と母の同級生とともに、
うららかな春の青空の下、眼鏡橋のたもとを歩く。

ryuba 151

この公園で、珍しい白い像を目にした。
かつて長崎の町に洪水が起こったときに、中国から寄贈されたそうだ。
洪水を鎮める象徴である竜の背中に、
日本人の少女と中国人の少年が手をとり仲良く座っている。

ryuba 143

旅には、直感というものが大いに働くらしい。
「どうしてか分からないけれど、何かがありそうだ。」
「今どうしてもここへ行かないといけない気がする。」
という説明もつかない引力に引き寄せられ、
バタバタと旅を決行してしまった。
失望で終わるのかもしれないという不安もあった。
出発の日が近づくにつれて、一人で旅している自分を想像すると
心配で押しつぶされそうになることもあった。

テレビやパソコンで一瞬で世界のどこへでも行った気持ちになれる世の中ではあるけれど、
実際に自分の目で確かめることの大切さを改めて知ったような気がする。
どこかで見た写真と同じものを見るのが目的ではなく、
そこに到達するまでに見るもの触れるものの数々、
テレビや写真では映し出されなかったものを発見すること。
そして、はっきりとした意思をもって旅をすること。

たくさんの人たちに助けられ、
充実感をもって20日間の旅を終えることができたことに心から感謝したい。
そして、中国との関係がよいものであるようにと願ってやまない。


Theme:海外旅行記
Genre:海外情報

comments(2)|trackback(0)|その他|2012-05-10_03:39|page top

留坝の張良廟

雨の洛陽(ラクヨウ)で風邪を引いてしまい、
西の都、西安にたどりついた時にはずいぶん悪化して二日間も寝込んでしまった。
もう滞在日も少なくなったので、
最後の力を振りしぼって漢中へと向かった。

西安は、有名な始皇帝の秦から数えて
唐時代まで首都とされた歴史都市である。
秦の時代には咸陽(カンヨウ)と呼ばれ、
項羽と劉邦がその本拠地をめざして争った。
結果、劉邦は秦嶺山脈を越えて南の漢中へと左遷された。

当時は蜀の桟道とよばれる険しい道を通らなければならなかったというが、
今や山脈にはいくつものトンネルが掘られ、高速道路が突きぬけている。
漢中に近づくと、まぶしいほどに黄色い菜の花畑や
真っ白の手を広げたようなコブシの花が迎えてくれた。

僻地に追いやられ苦渋をなめた劉邦は、数年後ふたたび咸陽をその手におさめた。
漢中周辺には、その当時の歴史を伝える場所が残っている。
さらにバスを乗り継いで、留坝(リュウバ)という山間の町を目指した。
山が迫った道を、右へ左へくねりながら進んでいく。
左手には、明るい緑色した湖がどこまでもつづいている。

留坝は、漢中から宝鶏のちょうど中間あたりにある。
その近くに留候鎮と呼ばれる村があって、
漢の高祖(劉邦)の軍師、張良が祀られている廟がある。
張良は謎の多い人物で、韓という国の宰相の家に生まれるが、
その後、国を滅ぼされた恨みから秦の始皇帝の暗殺を謀ったこともあった。
暗殺に失敗したあと、今度は劉邦の漢を助けて秦を滅ぼし、
ついに天下を統一する帝国を打ち立てた。
漢の功臣として知られている。

後の三国時代におこった五斗米道の祖として知られる張魯が、
張良を祖先として祀ったのがこの廟の起こりであると言われている。
寂しい山間の村に着いたときには、もう日が暮れかかっていた。

ryuba 022

おみやげ物やが何軒かならんでいるほかは、何もない小さな村。
廟のとなりにホテルがあると聞いていたので、
がらんとした建物を覗いてみるが、内側から鍵がかかっている。
何度かいったりきたりして、
しばらくすると受付の人らしき姿が見えた。
扉をどんどん叩くと、やっと気づいて鍵を開けてくれた。

体の小さな、人懐こい笑顔の女性が迎えてくれた。
どうやら私のほかに宿泊客はほとんどいないらしい。
中庭に入ると、たおやかな姿の白い像が立っている。
後に留候に封じられた張良のことを記した、
史記の留候生家の終わりにはこう書かれている。

「張良の経歴を考えると、壮大魁偉なものとばかり思っていたが、
その肖像を見たらまるで美しい女性のようだった。」

はじめ高祖はその功をたたえて広大な領地を与えようとしたが、
張良は辞退し、高祖とはじめて出会った留の町だけで十分だと言ったという。
漢の世になると、一切政治からは身をひいて、
神仙になるための修行に励んでいたと伝えられている。
その謙虚な精神のために後世の人々からも讃えられ、
また道教の聖人として祀られるようにもなった。

ryuba 008

病み上がりだったが、髪を洗いたかったのでシャワーの蛇口をひねる。
どうしたわけか、いつまでたっても冷水のままだ。
表に出ると、予想通り、私の部屋のほかには一部屋しか明かりがついていない。
山の合間にうかんだ真っ白な満月が、ほのかな光で像を照らしていた。
受付のおばさんに問題を告げると、
「いい場所があるから。」と月明かりの中を手をとるようにして
シャワーのある部屋へと案内してくれた。

鳥のさえずりで目が覚める。
もうすでに、日は高く上っていた。
急いで身支度をすませ、一番に廟の方へと向かう。
どっしりとした石造りの門は、これまで見た建造物の中ではかなり古そうだ。

ryuba 018

ryuba 015

入り口に入ると、原色に彩られた道教の建物があった。
施しをしないので道士に白い眼でみられつつ、先へと進む。

ryuba 028

曲がりくねった石の回廊。
直線的な日本の美学に対して、
こちらでは曲線の美を至るところに見出すことができる。

ryuba 116

円形にくりぬかれた入り口を入っていくと、
うすぐらい竹林の中へと導かれる。

ryuba 068

せまい石段をのぼっていくと、遠くに山々が見渡せた。
留という町は、ここからはるか東の江蘇州にあったという。
どうして、こんな山奥に祀られているのだろうか。
一説によると、張良は仙人修行のために
この人里はなれた山間に潜んでいたと信じられている。
世界遺産として有名になった張家界も、張良の墓があるという言い伝えがある場所。
天下が治まった後に、次々に功臣が粛清されていったのに対して、
張良だけは身を清く保ち、最後まで疑われることがなかった。

ryuba 081

張良が住んでいたといわれる、小さな洞窟がある。
中に入ると、長い黒髭をたたえた像が座禅をくんでいた。
真っ赤な布が聖人の頭から、左右の従者の方へと垂れている。
数多く見た像の中でも、もっとも神秘的なもの。
あの激動の20世紀の歴史をもくぐりぬけてきたことに、ひそかに感謝した。

ryuba 080

李白をはじめ、数多くの文人に彼の功績は讃えられた。
石段にも詩が刻まれ、雨風にさらされながらもその形をとどめている。

ryuba 108

老子は言っている。
富や名声は一時のものではかない。それよりも魂の気高さを求めるべきだと。
荘子は言っている。
あくせくと身を削って生きるのではなく、真の自由をもとめるべきだと。
老荘の思想を、身をもって示した張良の生き方は
現代の人々の目にはどう映るのだろうか。
中国の西の片隅で、2000年以上の時を越えて信仰される廟にたどりつき、
言い知れぬ達成感をおぼえた。

ryuba 098

Theme:海外旅行記
Genre:海外情報

comments(0)|trackback(0)|その他|2012-05-07_00:18|page top

広武山での出来事

河南省の省都、鄭州(テイシュウ)の隣
荥陽(ケイヨウ)を経て、広武鎮へとたどり着いた。
ここに来たのは二回目。
数日前に大風のために行くのを諦めた、
広武山の遺跡をここから目指すことになる。

中国では一般的な、バイクの後ろに荷台をつけたタクシーがある。
おじさんと交渉して、30元で往復ということになった。
荷台に乗ってカーテンを引くと、
ガタガタと揺れるほかはどこに行くのか分からない何とも言えないスリルが感じられる。
カーテンの隙間から風景を眺めても、
だだっ広い枯れた畑に道路が一本続いているだけである。
やっとのことで長い傾斜を上りおえると、広武山の上にやってきた。

こんなもの寂しい場所にどうして来たかというと、
今から約2200年前の楚漢戦争で一大戦闘が行われた場所が残っているからである。
黄河を遠くに見晴らすこの山の、
西側が項羽率いる楚の軍であり、東側が劉邦率いる漢の軍であった。
両者はこの谷ひとつ挟んだ山でにらみ合い、
一年間に渡って戦いを繰り広げたと言われている。
その遺跡を、「漢覇二王城遺跡」という。
険しい崖の向こう側にうっすらと黄河が見渡せた。

luoyang 008

馬を連れたおじさんや爆竹を売るおばさんが後をついて来るのを
やっとのことで振り切ると、
今度はとがった山の峰から目のくらむようなくだり道にさしかかった。
舗装のされている楚城側から、
どうしても行きたかった漢城側への登り道を探す。
石の砦の欠片でも見つかるかと思っていたら、
ただのだんだん畑状の山肌が続いているだけである。
茨で生い茂った山を登ると、
野鳥がさえずる他は水を打ったような静けさに包まれていた。

この鴻溝(コウコウ)というこの谷を境に
一度は楚と和平条約を結んだ漢だったが、
すぐに約を違えて追跡し、ついに項羽を滅ぼして漢王朝を打ち立てる。
司馬遷の「史記」の中でも、このくだりは特にドラマティックに物語られている。

luoyang 031

二千年の時に思いをはせたあと、
息をきらしながらやっとのことで待ち合わせ場所へと戻った。
三輪の後部座席に座ると、激しく音をたててバイクは走りはじめた。
やがて、関所のような場所で足止めをくらうと、
村人たちがわらわらと取り囲んで門票(チケット)代を請求しはじめる。
一度は怪しんで見たが、よくよく見てもちゃんとした券のように見える。
二王城と観光区との二つの券を買わされてしまった。

「ついたよ。」と言うので、外に出ると、
別の観光名所のような場所に来たらしい。
真新しい大きな皇帝の石造がたつ道観は、そう古いものにも見られない。
とりあえず、「謝謝。」とおじさんにお礼を言って見学をした。

luoyang 050

車に戻ると、何か言いたそうなおじさん。
ノートを渡すと、「行きと帰りで60元だ。」と文字が主張をはじめた。
これでは話が違う。
「いろいろな場所に行ったじゃないか。」とおじさん。
怒りがこみ上げて怒鳴りたいのをこらえて、文字に託す。
「行きたかったのは二王城だけで、他は不要だった!」

ふてぶてしい態度のおじさんを置いて、
そのまま歩きはじめる。
「支払いがまだじゃないか。」といった風で追いかけてくる。
「ぜんぶ門番に取られて、お金が今はない。
あとで村で払う。」と漢字を突きつける。

「60元払うなら乗せてやるから。」とおじさんが追いかけてくるが、
無視をして歩きつづける。
もちろん時も大切だが、お金で解決すればいいわけではない。
10キロでも20キロでもかまわず歩くつもりだった。
やがて、おじさんが「30元」と折れたので、車に乗った。

三輪は途中で別のお客を乗せたりしながら、村に戻ってきた。
すぐに銀行に向かった。
どうしたことか、カードが使えずそのまま返ってきてしまう。
日本に電話して聞いてみても解決できず、途方に暮れてしまった。
おじさんは銀行の中で一部始終を見ていたので、分かったようだ。
周りに村人たちが囲んで、なにやら相談している様子。
「警察に行ったほうがいい。」

ついに村の警察に向かうこととなった。
退屈そうにたむろしている村の警察官たちに、
ノートに書いた文字を見せる。
「泊まっているところは?」
「友達はいるのか?」
書き込みだらけで、ノートには空白がほとんどない。

村の警察官たちもどう処理していいのか分からず、
ただ時間だけがいたずらに過ぎていく。
そこで、奥から険しい細い目をした制服姿の男が出てきた。
警察署長なのか、禿げ頭だが意外と若そうだ。
いくつか質問をして、私のパスポートと私の顔を交互に注意深く眺める。
不意にポケットから黒い財布を取り出してこう訊ねた。
「いくら要るんだ。」
「30元です。」と答える。

赤ちゃんの写真が内側に張ってある財布の中は、
札束でいっぱいだった。
100元札を一枚取り出して、タクシーのおじさんに差し出した。
「いいえ、30元でいいんです。」
「なんだ、それだけか。」というような態度で、お金を渡す。

「どうやって、お金を返したらいいですか。」
その奇跡のような施しを目にし、信じられない思いだった。
「いいや、いい。」と威厳あふれる態度で、手を振ってみせる警察官。
緊張感から開放されたせいか、一気に目に涙があふれてきた。
「謝謝。」と深く頭をさげた。

「村に帰るお金は?」と心配されたので、
ポケットからくしゃくしゃになった札を見せて、
「4元あるので、大丈夫です。」と答える。
「ご飯は?」
「いいえ、いいです!」

こうして、無事にバス停に戻ってきた。
バスに乗って安堵すると、その日の出来事が思い出されてくる。
見ると、前の広場から先ほどのタクシーのおじさんがこちらを見ている。
見送りたかったのか、ただ偶然そこにいるだけなのか。
やがてバスが出発した。
複雑な思いで、おじさんの方にすこし手を振った。
「お互いに、大変な日だった。」と相手を労うように。









Theme:海外旅行記
Genre:海外情報

comments(2)|trackback(0)|その他|2012-05-01_20:58|page top

禹州の洞窟と雨の神屋鎮

朝めざめて外に出ると、風の強い日だった。
その風の強さ冷たさは、中国内陸の独特のものかもしれない。
遠く西域の黄砂もいっしょに飛んできているのだろう。

河南省、有名な観光地といえば少林寺くらいだろうか。
それでも、中原という言葉を聞けば
何か鳥肌のたつような響きを覚える人もいるかもしれない。
黄河という、東洋文明の礎を築いた大河の南に広がる地方である。

あまりの風の強さに行き先を変更して、
長距離バスに乗った。
かつての黄河は今のような濁色ではなく、
清く澄んでいたといわれる。
今では荒々しい岩肌がまるで要塞のように突き出し、
ぽっかりと洞窟のような穴が無数に開いている。
物置なのだろうか、住居なのだろうか。
先ほどまでいた高層ビルだらけの町とは、
似ても似つかぬような風景を唖然として眺めていた。

黄河の支流の潁川が流れる禹州は、
中国規模でいえば小さな町。
古代の禹王が夏という国をこの地に作ったという伝説がある。
その河川敷にある、道教の神々が祭られる洞窟へと向かった。

yuzhou 051

五色の旗が風に吹かれ、はためいている。
石造りの壁にその聖人たちの名前が刻まれているのだが、
目当ての洞窟だけは固く閉じられたままだった。
仕方なく隣の洞窟の中へ入ることにした。

薄暗い洞窟の中。
参拝客がひとり、3本の長い線香を捧げると
床の枕の上に頭をつけるようにして深々とお辞儀をする。
正面にはピカピカのペンキで色づけされた、
安い玩具のような髭の豊かな男の像がある。

隣にある張良洞のことを聞くと、
私のノートに漢字が書き込まれる。
その洞窟の番人がまだ来ていないらしい。

鮮やかな緑のスカーフをかぶった小さなおばあさんが、
大きな袋の中から饅頭(マントウ)をひとつ取り出して
私の手にのせた。
それから線香台をのせたテーブルに、
お湯をいっぱいに注いだ茶碗と漬物の小皿を置いてくれる。

うす暗い洞窟に、ろうそくの光だけがほのかに
辺りを照らし出す。
聖なる空間に、白湯の湯気がやわらかに立ち昇っていく。
固く冷えた饅頭と辛い漬物を噛みしめ、
あたたかな湯が喉をうるおしてくれる。
白湯を飲む習慣は茶よりも長く、
老子が孔子をもてなした時も同じものを飲んでいたと読んだことがある。
道教の聖人たちに、この幸運を感謝した。

yuzhou 054

おばあちゃんに何かお礼がしたくて、
写真を撮って送ることを思いついた。
わずかな中国語の知識を振り絞って、
私のあらゆることを伝え、おばあさんの住所を聞いてみる。
ノートとペンを渡すと、おばあさんはずいぶん長いこと考えながら書いている。
なんとか、趙という字が判読できた。
「・・・ソン。」趙おばあちゃんが言う。
「ああ、村のことね。」私が横に文字を書くと、うなづいた。

文字を書きなれない趙おばあちゃんが、
「いい人がいるから、ちょっと来て。」と私を促して外に出る。
階段をのぼり、石造りの小さな小屋の中に入ると、
机に腰掛けて、硯と筆で名簿のようなものに文字を書く老人がいた。
白髪で眼鏡をかけたおじいさんは先生のようで、
趙おばあちゃんの名前と住所を達筆な漢字で書き写した。

いろいろな質問の書かれた漢字で紙面が埋め尽くされていく。
筆談とわずかな中国語の知識だけで会話が成り立つのにも驚かされる。
ふと張良の文字に気がついた。
部屋の中に立っている、派手な服を着せられた金ぴかの像がそれであると分かる。
この敷地内にはさまざまな聖人が祭られているが、
古そうな建物の中に真新しい毛沢東の像を見たときには驚いた。

先に持ち場の洞窟に戻っていた趙おばあちゃんは、
私を見ると、「寒かったでしょう。」と声をかけ、
風にさらされて冷たくなった手をやわらかい両手で包んでくれた。

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隣から誰ががやってきて、
「張良洞が見られるよ。」と声をかける。
小さな洞穴に、思ったとおりに真新しいペンキの像が立っている。
古くから信仰されてきた像はおそらく、
同じものではないのだろう。
それでも、同じ場所で人々が今も信仰つづけていることだけは事実である。

趙おばあちゃんが3本線香を渡してくれた。
私も1元札を手渡した。
先ほど見たように、足元の枕に頭をつけるようにしてお辞儀をする。
すかさず、おばあちゃんが「隣の人にもね。」と忠告する。
しばらくして、それが隣に置かれた観音さまの絵のことであることが分かった。
そちらの方にも頭を下げた。

歴史的に価値のあるものかどうかは分からない。
それでも禹州の洞窟は、旅の中で特別なものとなった。

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中国の町は、予想をはるかに超えて大きい。
これまでも一日に一箇所を訪ねるので精一杯だった。
洞窟のある禹州市を離れて、小さな乗り合いバスで神屋鎮という小さな町に向かった。
小さなバスが町に近づくにつれて、
通りに陶器の壷やお皿などを並べる店が多くなる。
バスが最終地につくころには、雨が降りはじめた。

観光の本を一冊も持たない私の旅で、
この町は中国語のブログで偶然にも見つけたものだった。
中国には古鎮と呼ばれる、
古い趣をのこす町がいくつか残っているという。
有名なものは江南の水郷に多いようだが、河南省にある数少ない古鎮が神屋鎮である。

町中が陶器市になったような神屋鎮。
インターネットで見た風景には、なかなかたどり着けない。
雨の中、大通りをひたすら歩くうちに、
下へとつづく小さな通りに何か心引かれるものを感じた。
路地を下って行きついた先に、石畳の風景が現れた。

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中国にきて、ここは石の文化であると思った。
森林資源の豊かな日本に比べると、驚くほど木造の住宅が少ない。
神屋鎮の通りで目にするのも、
石やレンガ、陶器で敷き詰められた壁だった。

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通りの終わりには、共産党の星マークのついた廃墟のようなものがあった。

yuzhou 102

歴史的な古い建造物などはすべて取り壊されていると思っていたが、
この通りには清代の民家が陶芸の文化とともに今なお残っている。
また立派な廟も見られる。

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雨に濡れた石畳を歩いていると、
昔の城郭の名残のような門を見つけた。

yuzhou 153

長い伝統と他民族の攻防の歴史をもつ中国。
古代の歴史の名残は土の下にしか見つからないといわれているが、
地上にも1000年以上の歴史が地層のように重なり合い、
絡まりあって存在しているのに違いない。
これからどんな風に変わっていくのか、
興味のつきない国である。

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comments(0)|trackback(0)|その他|2012-04-20_21:41|page top

徐州の二胡弾き

江南の水田の風景を、高速列車が北上をしていく。
だだっ広い見渡す限りが平面の風景は、
日本よりもむしろヨーロッパのそれに近いのだろうか。
枝ばかりのか細い木々が、一定のリズムで目の前を流れていく。
すると突然、乳白色の霧の中に信じられない光景が浮かび上がった。
上から下まで真っ白い衣装に身をつつんだ人が3人ほど
盛り上がった土の墳墓のまわりを回って歩いていた。
それはほんの一瞬だったけれど、
夢から目覚めたあとのようにぼんやりとした心地のまま、
写真で切り取ったようにはっきりとした残像がいつまでも目の奥から消えなかった。


徐州という町は、蘇州と同じく江蘇省に位置する。
古くは彭城(ほうじょう)と呼ばれる。
秦の始皇帝によって統一された中国初の帝国が10数年で滅びた後に、
楚(そ)の国の首都とされた町である。
項羽と劉邦の戦いとして有名な楚漢戦争の、重要な場所でもある。
歴史の旅の幕開けとして、この徐州を経由することにした。

漢王朝時代にも楚国として発展していたため、
皇族の墳墓もこの付近には多数見られるという。
町について、駅前でふらふらとホテルを物色して
ようやく部屋に落ち着いたあと、
町のはずれにある亀山漢墓を目指した。

墓の中に入ることができる、
石を積みあげた大きな洞窟の中に探険家のような気分で足を踏み入れる。
墓室の中に立ち昇る無数の削り模様は、
はじめ鍾乳洞のような年月の風化によるものだと思っていたが、
その模様が人為のものであることを知ったとき、
魂の安住を願う古代人の想いが痛々しいまでに感じられた。


バスの停留所へ向かったとき、
いすに腰かけて楽器を弾いている人の姿を見かけた。
あわただしく行きかうバスや車の騒音、
乗り降りする人の雑踏でともするとかき消されそうな音色と歌声に、
どこか心が惹かれた。
かばんからそっと小型ビデオを取り出して、撮影をはじめる。
目まぐるしく移り変わる町の風景とは一線を画する、
音楽によって生みだされたひとつの空間がそこにあった。

歯切れのよい独特の節に魂から搾り出すような声、
そして哀愁ただよう二胡の音階が重なり合う。
ビデオを構えていると、隣に立っていた中国人男性が身振りで
「撮っていると、お金をたかられるよ。」というようなことを合図する。
あわてて電源を切った。

バスがやってきたがどこか後ろ髪ひかれる思いで、
ずっとその場で演奏を聴いていた。
突然ぷつりと糸が切れたようにその手をとめると、
男は立ち上がって、のそのそと道路の方へ歩いていってしまう。
道路の真ん中で用を足した後、
またこちらに戻ってきた。
杖で段差をたしかめながら、慎重に歩く姿を見て
彼が盲目であることを確信した。
段差を注意深く、杖の先で確かめてから
やっとのことで元のいすに腰をかける。

手探りでいすの下にある荷物をたぐり寄せたので、
もう帰り支度をはじめたと早とちりをしてしまった。
近くに寄って慣れない言葉で、思わずこう話しかけていた。
「演奏 シテクダサイ。
5元、ハライマス。」
私の中国語が通じなかったのかどうなのか、
しばらく無言でパイプをくゆらせたあと、
古い木の板のようなものを
その強靭とは言いがたい足にひもで結びつけはじめた。
すぐに、それが楽器であることに気がついた。

男はパイプをふかしながら、
二胡の弦をゆっくりと弾きはじめた。
足に結んだ木の板が左足の動きにあわせてかち合い、
二胡の演奏に軽やかな拍子をつける。

zhenzhou 329

通行人たちは一見無関心のようで
次々と二胡弾きの男の前に小銭を落としていく。
演奏に心を動かされたのか、それとも身なりの貧しそうな男を哀れんだのだろうか。
アルミ銭が高く鳴り響くたびに、
男は歌の合間をみては「謝謝。」と小声でつぶやく。

今では中国を代表する民族楽器で高級な楽器である二胡だが、
もともとは農村に生きる貧しい人たちが演奏した楽器だったと聞く。
盲目の男の鳴らす二胡の音色と、
何かの物語を聞かせるような調子の唄を聴いているうちに、
その楽器の原点を見たような気がした。

zhenzhou 325

財布からお札を一枚取り出し、
小銭でいっぱいの箱の中に置いた。
盲目の男は、終わりのない物語を語る琵琶師のように
同じメロディーをいつまでも歌いつづけていた。
バスを待つのはやめにして、駅前のホテルへと足を向けた。






comments(2)|trackback(0)|その他|2012-04-12_09:09|page top

蘇州の朋友

私が3日間過ごしたのは、
水郷の町にふさわしい運河の近くの小さなホステルだった。
1日目が終わって、宿に戻ると
同じ部屋に眼鏡をかけた若い女性がベッドに荷物を広げていた。
私を見るとすぐに中国語の挨拶が口をついて出たが、
「私、中国語できないの。」というと、すぐに理解したらしい。すぐに英語で返事が返ってきた。
「今日行ってきたところが素晴らしくてね。
西糖というんだけど、ほらこの写真見てよ。美しいでしょ!」
彼女はその観光地の写真を見せては熱烈にその美しさを褒めたたえ、
買ってきたお土産のをひとつひとつ取り出して見せ、
「あなたも絶対に見に行くべきよ!」と締めくくった。

Cocoの出身は、北朝鮮やロシアと接する中国最北端の黒竜江省。
彼女の携帯が鳴ると、
これまで聞いたこともないような耳に心地よい響きの中国語で話しはじめた。
「私、あなたの中国語が好きよ。美しいわ。」と心から言うと、
「少しインターネットで勉強してみたんだけれど、
発音がそれは難しくて・・。」

すると彼女は、大学で外国人のための中国語教師養成の学科に通っていたことを話した。
「いい、中国語の母音はA,E、I、Ü、U、Oとあって・・・」
この発音は、こういうの。ほら、言ってみて。うん、上手じゃない!」
すでに彼女は教師に早代わりしていて、
いつしか中国語個人授業がはじまっていた。

「ところで、明日の予定は決まってる?」
こうして、私たちは明日の行動をともにすることになった。
彼女は綿密な旅の計画をすでに立てていて、
まず清代の庭園を見に行き、食事をともにし、
別の庭園に行ったあと、夜は運河のクルーズに乗り、
三輪タクシーで古い建築の残る一角へ。
思いがけず、定番の蘇州観光を夜おそくまで満喫した。

庭園の竹林を見ているときに、こういった。
「竹は中国文化において、これを示すものなの。」
彼女の書きとめは文字には、「徳」とあった。
「そのまっすぐな形のために人の心の正直さを表していて、大切な要素なのよ。」

zhenzhou 224

「孝」についても、話題になることがあった。
「こんなこときっとアメリカ人に言ったって通用しないだろうけど、
私たちは旅行に行くときには必ず、家族や親戚にお土産を買っていくわ。
何だっていいけど、その気持ちを表すことが大切なの。」
私たちの親も祖父母も、そのご先祖さまの代からずっと知っていること。
私たちの血の中にも、同じ道徳がしっかりと流れている。

日が傾きかけたころ、彼女にこういったことがある。
「私ね、中国人は日本人のこと嫌いだと思っていたのよ。
だから自分が日本人だと言うのが、すこし怖かった。」
すると彼女は私の目をまっすぐに見すえて、こういった。
「あなたが中国人を好きなら、私たちだって好きだわ。
でももし中国人を嫌いなら、私たちだって嫌いなだけよ。」
心の中にひとすじの陽が差し込んできたような気がした。

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「中国人の声が大きいのはね。
そもそも人口が多すぎるからなの。
だって、これだけの人がいるんですもの、
大声で主張しなかったら誰も聞いてはくれないわ。」
東京の地下鉄の中は静かだと話すと、
「だって、日本は人が少ないから。」と彼女は当然のように言う。

食事のときに食べ物を散らかすというのは、私も聞いてはいた。
彼女も平気な顔で、お肉の骨などをテーブルの上に落としている。
ふと私が箸から取り落とした唐辛子を、
お皿のすみにそっと置いたのを彼女は不思議な視線を投げかけていた。
「日本では食べ物をテーブルに置いたりはしない?
中国ではね、テーブルに落ちたものは絶対に拾ってはいけないの。」
ここでは、浄と不浄の基準が違うのだ。
常識は国境を越えたら通じない。
これからは自分の習慣を変えていかないとと感じた。

彼女と過ごした数日間でさまざまなことを学び、
中国が驚くほど近くなった。
そして、最後の日の早朝、
ルームメイトたちが眠っている部屋をしずかに抜け出し、
動車組の出発する中心からひどく離れた西駅へとタクシーを走らせた。
次の目的地は、徐州。
いよいよ有名な観光都市から遠ざかり、内陸部へと近づいていく。


comments(2)|trackback(0)|その他|2012-04-06_12:14|page top

蘇州の琴の音

蘇州という町が中国の歴史に登場するのは古く、
紀元前6世紀ごろの春秋時代のこと。
かつては呉と呼ばれ、人口の運河を中心にした
東洋のベニスといわれるまでに活気のある町となった。

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世界遺産に指定される多くの中国式庭園で有名な蘇州だが、
私の目的は、「古琴」と呼ばれる楽器だけに絞られていた。
景徳路とよばれる通りを中心に、たくさんの楽器屋が名をつらねている。
蘇州には古くからの楽器製造会社が残っているらしく、
二胡や笙、琴に筝などの伝統楽器が店内には数多く見られる。

古琴の音をはじめて聴いたのは、半年ほど前のこと。
日本で聞き知っている筝とは違い、
小ぶりの楽器で音も小さいが、何とも深い独特の響きをもつ。
古代には孔子も演奏をしていたことをはじめ、
三国時代の諸葛亮や竹林の七賢として知られる西晋の阮籍など、
中国の貴族、文人たちの嗜みとして広く愛されてきた。
古代中国文化の名残を今に色濃く伝える、歴史深い楽器である。

とある大きな楽器店に足を踏み入れたのが、
私の古琴との大きな出会いとなった。
お店の店主のおばさんに楽器の値段を聞いたりしているうちに、
私の話を真剣に聞いてくれる彼女の態度を感じた。
持ち歩いていたノートに筆談で、楽器を学びたいという意思を伝えると、
「古琴を学ぶには時間が必要よ。」とおばさん。
自分の旅程と照らし合わせて、
はじめの2日間と旅の終わりの3日間を古琴の練習に当てたいと伝えた。
する彼女は、「お師匠さんを探してあげるから。」との返事。
電話でその師匠さんと約束を取り付けてくれ、
次の日の朝9時に店でレッスンを受けることになった。

朝がやってきた。
ホステルを出て路地のゴマパンと豆乳の朝食をとった後、
運河をゆったりと散歩をして時間をつぶしながら楽器店に向かう。
9時より15分ほど前に到着すると、
店の奥から店主のおばさんがあわてた様子でやってきた。
「もう先生が待っているわよ!」
買ったばかりの携帯の時間を、なんと1時間遅れて設定してしまったようだ。
「君、日本時間になっているよ。」と気さくな店主のおじさんが笑う。
店の奥の階段を駆け上っていくと、
小さな部屋に控えめな若い女性がひとり立っていた。
自己紹介をしながらも、遅刻の非礼を何度も詫びた。
「いいのよ。」と静かな声で微笑む。
流暢に英語をあやつるその中国人女性リサが、私の古琴の師匠となった。

彼女は大学でイタリア語を専攻して、通訳を目指したこともあったが、
今は大学に再入学して心理学を勉強し、カウンセラーを目指している。
学校の勉強が忙しい合間に、私のような飛び入りの生徒を受け入れてくれた。

はじめは古琴の楽器の歴史やいわれ、彼女自身の古琴との出会いなどを、
彼女が美しい英語で紹介する。
散音(さんおん)は地の音、泛音(はんおん)は天、
按音(あんおん) は人の言葉ををあらわすと言われているそうだ。

「もう10年もこの楽器を演奏しているの。
私が、この楽器と出会ったのは18のときだったんだけれど、
お師匠さんとの出会いやすべてがラッキーだったのよ。」
彼女は私のノートにさっと文字を書きつけた。
「縁分」とある。
「英語ではこの言葉を訳することができないんだけれど、
あなたとこうして出会ったことも、すべて同じよ。」
「それ、よく分かるわ。」
私たち東洋人だけにしか伝わらない概念。
それは、言葉の響きは違っていても
文字を通じて伝わってくる漢字文化の培った財産。
私はこれを感じるがために、中国にいるのだ。

「私は4年間ヨーロッパに住んでいて、
生活にも言葉にも慣れてきているはずなのに、
なぜかここ最近、急に自分の生活に空虚なものを感じるの。
その何かを埋めるために中国に来て、
どうしてもこの楽器を学びたいと思ったのよ。」
なぜかそれを話したとき、
彼女の言う「縁」というものの深さが身に沁みて感じられ、ふと涙ぐんだ。
そうして、たどたどしい私の理解力とともに
彼女は文字通りに格闘してくれた。

リサの演奏は、文句なしに素晴らしかった。
ふっくらした白い指が、時にやさしく、時に激しく、時に物哀しく揺れ動き、
それぞれに違った音の響きを奏でる。
特に左手の動きはまるで舞踊のようで、
目と耳とが釘付けになってしまう。

「音楽のほとんどは、苦しみや哀しみを表しているわ。」
あるとき、彼女はそう言って切なそうに微笑んだ。
それは、自分の信念を伝えようと中国各地を奔走し、
たくさんの弟子を集めながらも苦労の生涯を送った孔子の辛苦でもあり、
腐敗する政治から身を引き、一切の俗世界との関係を断ち切り、
詩や音楽の世界に生きつつも、不遇の生涯を送った阮籍の悲哀でもある。

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美しい古代中国の世界。
その悠久の時代に瞬時に心を結びつけてくれる、
楽器のもつ不思議な力に酔いしれた。
comments(0)|trackback(0)|その他|2012-04-05_10:37|page top

上海の石の要塞

老街門のユースホステルは、
中国の若者たちが集まりにぎやかに一日が過ぎていく。
小さな部屋に6つのベッドが集まり、
部屋には洗濯物をかけたハンガーがこれまた色とりどりに広がっている。

中国へのはじめの扉を開くと、
すぐに快活そうな笑顔の少女と目が合った。
「私は少しだけ日本語ができるから、
中国のこといろいろと教えてあげられるかもしれない。」
いたずらそうな瞳が笑った。

「ワタシノ ナマエハ 佳音(かおん)デス。」
はっきりとした発音で、彼女の口から日本語が聞きとれる。
「大学で英語と日本語を勉強したんだけど、
もう卒業以来使わないからすっかり忘れちゃったわ。」
彼女は朝は一向に起きてこなかったので、
会うのは夜だけだったが妹のような存在だった。

「ねえ、そのバッグちょっと見せてくれない。」
ベッドで横になっていた少女が、声をかける。
手作りの古い布のバッグを珍しそうに見て、さっそく写真を撮っている。
「これ、私の母の手作りなのよ。」
こうして、大都会上海の一角での数日がはじまった。


中国の朝が、一日の中でいちばん好きだ。
小さな通りをあわただしく急ぐ人々に、
もっと早起きをして朝食をこしらえる人々から
できたての肉まんや麺、お粥などを買い求める。
暖かい朝日の中に立ちのぼる
白い湯気と食べもののよい香りが心地よい。
見たこともないような明るいグリーンの野菜や、鶏、魚や果てにはカエルまで売られている。
活力であふれる朝の風景。

shanghai 142

巨大な高層住宅が蜃気楼のようにかすむ大都市のあちこちに、
石造りの要塞が築かれている。
狭い路地から覗きみえる普通の人の生活。
トントンと野菜を切る音、食器を洗う音、
石の砦に万国旗のようにはためく洗濯もの・・。
中国の今が生活のにおいとともに、嫌が負にも目の前に突きだされている。

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たくさんの人と物でひしめく空気の汚れた都会の街を後にして、
次の目的地、蘇州へと向かう。

comments(2)|trackback(0)|その他|2012-04-04_13:18|page top

東洋への旅

海外生活も4年目を過ぎようとしたとき、
ふと自分が何かを置き忘れてきてしまったような感覚にとらわれるようになった。
気がつくと、今おかれている環境からも時代からも遠く離れた
はるか遠い文化の中に我が身をおいていた。
自分の足元をもう一度見つめなおすために、
東洋という大きな、自分の文化の源泉を発見するために、
私は旅に出ようと決意をした。

旅の目的は黄河文明の歴史に触れること、
そして中国古代から伝わる楽器「古琴」を学ぶこと。
私の求める古きよき中国文化は、
今の中国で果たして感じられるのだろうかという不安もよぎりつつ、
東から西へと大陸を横断することにした。

時は3月。
まだ大雪の残るブカレストを飛び立つ。
ちょうど忘れられないあの大災害が起こった一年後に、
私はひとり上海空港に降り立った。
万里の長城の絵が印刷されたビザつきのパスポートをしっかりと胸にしまい、
20日間の長い旅がはじまった。

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comments(2)|trackback(0)|その他|2012-04-04_12:12|page top

クペツの楡(ニレ)の大木

謝肉祭がおわると、
幾分、太陽の光もあたたかさを増してきたようだ。
積もり積もった雪も少しずつ溶けはじめて、
長い冬のトンネルももう終わりに近づいているのが感じられる。

日曜日の昼ごろ、
バスに揺られてエルドゥヴィデーク(森の地方)へ向かった。
一年に一度、ひとつの木が選ばれて、
その年を象徴する木としての称号が与えられるのだが、
昨年はクペツのニレの木が選ばれたという。
今度は「ヨーロッパの木」の投票が今まさに行われているところで、
午後に祝典が行われる。

エルドゥーヴィデーグ(森の地方)は、森に囲まれた高原のような地形である。
自然が美しく、人々も素朴で大らか、
郷土愛にあふれるというイメージがある。
昨年に生誕100年を迎えた、民話収集家クリザ・ヤーノシュもここの出身である。

小さな村の中心では子どもたちがブラスバンドの練習をしているところで、
村の人たちも幾人か集まりはじめていた。
人でいっぱいになる前に木を見に行こうと歩きはじめる。
大木というと日本では神社がまず先に思い出されるが、
その木があるというのは村のはずれであるそうだ。

やがて家がなくなり、見渡す限りの白い平原が現れると、
冷たい風が吹きつけてきた。
冬の洗礼によって、前へ進む気力が萎えてくるのが感じられる。
それでも、雪野原の中にひとつ大きな裸の木のすがたが確認できると、
そこを目指して歩みを進めた。

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ニレの木で、ここまで大きな大木になるのは珍しいということだ。
樹齢400年の木と言われている。
Szilfaとだけ聞いて、あまりピンとこないのは私が南の出身であるためだろう。

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線香花火のように、無数のか細い枝が広い空にその腕を広げている。
まだ春の兆しは宿っていないようだ。

KOPECI SZILFA 189

やがて小型バスが到着し、村の人々もやってきた。
幼稚園のグループだろうか、
子どもたちが手をつないで、小さな体でその大木を抱きしめていた。

KOPECI SZILFA 194

今日の祭典の目玉は、友人のペーテル・アルパールによるアート・パフォーマンス。
巨大な氷のひき臼が作られ、その間には麦が巻かれている。
「昔、この場所には粉引き所があって、
そこで毎日のパンの糧が作られていたんだ。
村の人たちが寄り集まって、おしゃべりしてね。
そこから発想を得て、臼をひくという行為を
ひとつの儀式として皆でやってみたらどうかと思ったんだ。」
アルパールがこう語る。

KOPECI SZILFA 186

300kgもあるという氷に穴を開けて、四方からロープで縛りつける。
ブラスバンドの演奏や博物館館長による話で幕が開いたあと、
いよいよその臼を回すときがやってきた。
子どもたちがわっと集まって紐を手にしたほかは、めぼしい大人の姿は見えない。
それでも力を込めて紐を引くと、
氷の臼がゆっくりと回転をはじめた。

KOPECI SZILFA 218

しばらく回すと子どもたちは疲れてきて、縄を離してしまう。
地面に落ちた縄に足をとられる子どもたちを見て、たまりかねて私も参加した。
臼の周辺で回す分にはいいのだが、
円周から離れると当然のようにたくさん歩かないといけない。
縄に引かれて、雪ですべる足元を小走りのようにして駆けていくと、
すぐに息が切れてしまう。
助けを求めようにも、村の人たちは遠巻きに眺めているだけだ。

「君、もっと臼の近くで回さないと。
皆が、臼でなくて君を引っ張っているようなものだよ。」
と冗談まじりに館長のゾルターンが声をかける。
先ほどまで凍えるように寒かったのが、
臼のおかげで今は汗ばむように暑い。

息子はというと臼を回しながら、
氷の上に巻かれた麦を手でつかみとり頬張っていた。

KOPECI SZILFA 233

美しい氷の臼は、残念ながら麦をひくのには適していないようで、
回転する間に下に落ちてしまったものが多かったようだ。
それでも、その皆の手で回すという行為そのものが美しい。

KOPECI SZILFA 232

昨年の「日本の日」のイベントでお世話になったエディットは、
しきりに氷の臼のアイデアに歓心していた。
「この作品の形がなくなってしまうのは、本当に残念だけれど、
この麦の粒のいくつかが芽を出してくれたら素敵でしょうね。」

KOPECI SZILFA 249

かつて村の人々の寄り集まる場所であった粉ひき所はもうないけれど、
このニレの大木が人々を呼んでくれるといい。
やがて祭典が終わりに近づくと、
厚い雲の合間からわずかに太陽の光が差しこみ、青空さえ見えてきた。

KOPECI SZILFA 250

やがて春になると、
その弱々しい枝にも無数の若葉が芽を出すだろう。
雪国の木は、一年の半分は眠ったままだが、
だからこそ生命の輝きがいかに貴重なものであるかがわかる。

KOPECI SZILFA 239

あたたかいそよ風が若葉をゆらす春、
草のにおいが立ちこめる夏。
またいつか、この場所に来たいと願った。

KOPECI SZILFA 259

クペツのニレの大木の投票が、
日本時間の水曜日の朝7時まで有効です。
こちらのページから、メールアドレスと表示される英字(白い枠の中)を入力して
送信ボタン(緑のボタン)を押すだけで完了です。
(のちにメールアドレス宛に届く、メールの中に確認リンクがありますので、
それで最終的に投票が受け付けられます。)

Theme:ルーマニア
Genre:海外情報

comments(2)|trackback(0)|自然、動物|2012-02-28_06:40|page top