古きよきヨーロッパの面影を残す、トランシルヴァニアへの扉をそっと開いて見ませんか?






ルーマニアの夜行列車
カチカチに凍りかたまった道を
歩くこと40分、
スフントゥ・ゲオルゲの駅に着いた。
時刻は、夜中の12時をまわったころ。
足早に歩いたせいで、
すこし汗ばんでいる。

切符を買うと、駅員さんがこういった。
「 列車は、35分遅れよ。」
・・・ああ、やっぱり。

いすに腰かけて、切符を見つめる。
トゥルグ・ムレシュまでは、
250kmの距離。
それなのに、かかる時間は
なんと6時間。
鉄道路線が大きく反れるためである。

剥げたタイルの柱に、
泥で黒くまだらに染まった床、
閉鎖されたスタンド・・。
無機質な駅の構内をぼんやり眺めていると、
おじさんが話しかけた。
「 どこから来たんだい?」

ルーマニアの人は、暇つぶしが上手だ。
というよりも、おしゃべり好き。
慣れないルーマニア語を駆使して、
なんとか言葉をつなぐ。

首をひねる私に、たまりかねて
「 君は、他にどんな言葉を話すんだい?
 ドイツ語、それとも・・?」

やっと共通言語がハンガリー語であることが分かると、
おじさんは私のここ10年ほどの歴史をすべて
知りえることになる。

やがて電車がくると、
ヤンチおじさんはこういった。
「 君、人生つまづいたね。」
私はただ苦笑するより他はなかった。




ものすごいブレーキの音とともに、
長い列車がきしんで止まった。
思ったよりも長い電車の列に、
座席のある車両が見つからない。
仕方なく、そばにあった扉に乗りこんだ。

「 君の乗る車両はもっと先だよ。ここは寝台車だからね。
 デーダで降りなさい。10分休憩があるから。」
車掌さんは、切符を見ていう。

人のいないコンパートメントへ入って、
ほっと一息。
カーテンを引いて、少し横になろう。
そう思っていると、
カーテンの隙間から、
そわそわ動いている何者かの足が見えた。

ここに入ってくるだろうか、と思っていたら
案の定、扉が開いて、
背の高い頭のはげかかった男が現れた。
「 こんばんは。俺は、コルネルだ。君は?」

目をぱちくりさせて、
とりあえず名を名乗ると、
その大男はひざをついて、手の甲にキスをした。

すぐに、ものすごい勢いで話しはじめる。
「 ここは、一人ではとっても危ない。
 だから、すぐ隣へきなさい。
 大丈夫。俺は国会ボディガードだから。
 あのバセスクがいるところさ。」
と名刺と身分証明書のようなものを
目の前につきつける。

仕方なく、ほぼ強引に、
隣のコンパートメントに移ることになった。

おじさんは荷物を軽々と
すべて荷台に乗せてしまうと、
私の足を持ち上げて横に並んだ座席にのせる。
「 ほら、ゆっくりしなさい。
 ここで寝ても大丈夫。俺がいるから。」

なんだか、ドサクサに紛れて
腰の辺りも触られたような・・。
この人、酔っ払ってでもいるのだろうか。
不安は募るばかり。

おじさんはなおも、すごい勢いで話し続ける。
「 俺はこれからバイア・マーレに行くんだ。
 クマを退治にね。TV見ただろう?」

「 列車のなかは、コソ泥が多いんだ。 
 でも、俺がいれば安心さ。こうやって、やっつけるから!」
と撃つような身振りをしめした。
「 トゥルグ・ムレシュまで、ここにいなさい。」と
何度も言い聞かせる。

突然、私の額にキスをして、
今度は自分のはげ頭を指さした。
「 ほら、君も。」
あっけにとられてから、笑いとばした。

「 もう、寝るかい?」と電気を消そうとする。
「 このままで、いいです!」
やがて、おじさんのいびきが聞こえると、
安心して眠りについた。

誰かが横に立ったような気配で目が覚めた。
車掌さんが言う。
「 もうすぐ、デーダだから
 降りる支度をしなさい。」

隣のコンパートメントへ移って支度をしていると、
また車掌さんがやってきた。
「 今夜は冷えるね。
 チークセレダから、デーダのあたりは本当にきれいだよ。
 ほら、そこにマロシュ川が見えるだろう。」
目の先には、電光に照らされた川が
キラキラと輝いていた。

デーダで列車を降り、後ろの車両へと移る。
なるほど、ここにはトゥルグ・ムレシュ行きとあった。
そして今までいたところは、
バイア・マーレ行きとある。
そのまま、あの車両に残っていたら・・・。


やがて列車は、早朝のトゥルグ・ムレシュに到着。
一ヶ月前に訪ねたばかりの、
カティおばさんのところへ。




トランシルヴァニアをこころに・・・。

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ズズマラ
ズズマラ・・・
なんて不思議で、すてきな響き。

それは、湿った空気中の水分が
外気の温度で結晶化したもののこと。
めったに起こらない自然現象で、
それによって
小さな氷の粒が木々にはりつくようだ。

いつかダンナが話してくれた。
「 ある雪の日の朝。
 湿った空気で、町中の木々が
 ズズマラで真っ白になった。
 それが、太陽の光ですこしだけとけてから、
 また凍ったんだ。
 細くて長い、柳の枝が
 砂糖でできたクリスタルみたいだった。 
 それが風でゆらいで、まるで風鈴のように
 きれいな音がしたんだよ。」

1月28日木曜日、
いつもより早く目覚めた。
天気予報によると、この寒さも
きのうから大分、和らいだという。

ふと窓のそとをのぞき見て、
胸が躍った。
まだ外はうす暗い。
それでも分かる、真っ白の木々。
一夜のうちに、まるで精巧な氷細工のように変身してしまった。
これがあの、ズズマラ。

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太陽がやっと顔を出しはじめた、昼ごろ。
待ちかねて、外へ飛び出した。

肌にまとわりつく、冷たく湿った空気。
相変わらず寒いけれども、心はわくわくとする。
木々までもが白く姿をかえた
その日の美しさは、絶品だった。

見慣れたはずの雪なのに、
新しい季節を迎えたかのように
何もかもが新鮮である。
こんなにも木の枝が変化に富んでいて、
表情深いものだなんて・・・。

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いつもよりも一段と白く、明るい景色に見とれていると、
ときおり、音もなく
雪のかたまりがふんわりと舞いおりてくる。

雪の質がいつもと少し違うことに、
そのとき気がついた。
きめ細やかな雪の粒は、
羽のように軽い、雪の結晶だった。

スタジアムの近くのフェンスもご覧の通り。
ななめ格子のもようが、
あつい雪で覆われている。

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中でも目を見張ったのは、
近所にある白樺の大木。
その堂々たる美しさたるや、
こぼれるほどの花をたたえた桜の大木のよう。

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この枝がみんな氷と化して、
風が吹いたなら、いったいどんな音が鳴るのだろう。

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トランシルヴァニアをこころに・・・。

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町で一番寒い住まい
トランシルヴァニアに寒波が押し寄せてきたのは、
1月の後半。
朝目覚めると、窓ガラスがカチカチに凍って、
まるで押し花をしたような「氷の華」があらわれる。
連日続く極寒の日々に、
家のなかから外に出ることはほとんどなかった。

エルヌーおじさんを訪ねてみようと思ったのは、
その次の日。
熱いハーブティーと、
ジャガイモの煮込みをもって出かけた。

クリーム色の巨大な建物。
奥の薄暗い部屋からは、
かすかに話し声が聞こえてくる。

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中に入ると、
エルヌーおじさんともうひとり。
「 やあ、こんにちは。」
と思ったよりも張りのある声がひびく。

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窓は、かつてのビニール紙でしっかり固定されている。
焚き火が赤々と燃えているが、
燃え尽きた空気はどこにも逃げ場がなく、
部屋のなかを濁している。
小さな黒い粉が、
まるで虫のように空中をおよいでいた。

「 きのうの晩、警察がきたよ。
 俺を施設に連れて行こうとしてさ。
 でも、俺はがんとして行こうとしなかった。
 ちゃんとした住まいを与えてくれるならだけど、
 一晩だけ住まいがあったって仕方がない。」

「 病院に送ろうとしたやつもいた。
 でも、俺は病気じゃない。」

「 こんなところで、誰もが
 この寒い冬を越すことができると思うかい?」
行こうと思えば、逃げ場はあるはずなのに、
おじさんは何らかの強い意志でここにいるのだ。

「 きのうの晩は、何度あったか知っているかい?」
これまでで一番の冷え込みということだけは、
予想がつく。
「 マイナス35度さ。」
「 いいや、36度だよ。」ともうひとりが口をはさむ。

「 おとといから何も食べていなくて、
 お腹がぺこぺこだ。」と包みから出して、
ジャガイモの煮込みを食べはじめた。

パンを探すように友人に声をかけた。
袋から取り出したパンは、
どれもカチカチに凍っていた。
「 こいつらは凍っても、
 俺は大丈夫だった。」とにっこり微笑む。

「 寝るときに枕であたまを覆って寝るんだけれど、
 顔だけはそのままでね。
 いつか朝目覚めたときには、
 ひげがカチカチに凍っていた。

 もしエスキモーにもヒゲがあったら・・・
 と考えるとおかしくってね。
 ひとりで笑ってしまったよ。
 ほら、彼らは氷の家に住んでいるだろう。」

こんな寒い中でも、エルヌーおじさんのユーモアが聞かれて
ほっとする。

おじさんの友人は、
慣れた手つきで新聞紙で巻きタバコを作り、
火をつけ口にくわえた。

タバコのすい残しの黄色い部分を
新聞紙にくるんでまく。
「 タバコを買う、金がないんでね。」

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しばらくいると、足の先が凍りつくようになる。
彼は、靴の裏を焚き火にかざして
寒さをしのいでいるようだ。

「 こうやって、よく見に来るんだ。
あいつがちゃんと生きているかどうか、
確かめにね。」

まだこの寒さは続くのだろうか・・・。



トランシルヴァニアをこころに・・・。

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氷点下30度の世界
冷えこみの激しい日ほど、
不思議とそらは明るく、冴えているもの。
いつもより、明るい光で目が覚めた。

我が家から一番近い
氷点下の世界は、ベランダ。
ドアひとつ開けただけで、
身も凍るような空気が待っている。

もちろん植木鉢の植物も、
凍りかけている。

窓は、「氷の華」の展覧会。

雲から降ってくる氷の矢があったり、

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電気がはしったネコのしっぽもあれば、

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青空にぽっかりと浮かんだ、
氷の肺も・・・。

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氷点下30度の表へ出てみる。
氷のような空気が、
呼吸器をつたわって、肺にたまっていくのが分かる。
体の内側から、
冷え込んでいく感じ。

唯一、外界と触れている部分、
顔がヒリヒリと痛む。
特に、アゴの辺りが。

外ですれ違う人は、
みんな下見がちに、足早に歩いている。

どうかこの寒さも、
足早に過ぎていってくれますように。




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セントキラーイ、雪のなかの住まい
ふたたびトランシルヴァニアに
厳しい冬がやってきた。

雪は何日か降りつづくと、
町のあちらこちらが
天然のソリ場、スケート場へと化す。

土曜日の昼前、
友人の誘いでソリをしに村へと向かった。
キャンピングカーの中は、子どもたちでいっぱい。

町から6km南にある、セントキラーイ村。
町外れの小高い丘は、滑るには絶好の場所。
ソリといえば
子どもの遊びかと思っていたら、
ここでは大人から子どもまで夢中になるスポーツのようだ。

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雪の白さとその冷たさは、
こころまで浄化してくれる。
そして、その静けさ。
あらゆる生き物が姿を消す、厳しい冬。
無機質なようでもあり、
それが不思議と落ち着くときもある。

白樺の木には、
どこか儚げで、幽玄なうつくしさがある。

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むかし、誰かからこんな話を聞いた。
「 第一次大戦で、たくさんの兵士が捕虜として
 ロシアへ連れて行かれてね。
 やっと開放されて国に帰ったあとでも、
 この白樺をみると、
 辛いロシア時代が思いかえされたそうだ。」

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かつて夏には、緑の中に
たくさんの白い羊たちが歩いていた原っぱ。

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しばらくすると、足の先と手がかじかんでくる。
子どもたちのソリ遊びは、
それでも続く。
この丘を上りつめると、

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ユニタリウス派の教会の前に出てくる。
ふいに、鈍くこもったような鐘の音が響きはじめた。
村の中からも、また高い鐘の音が
かすかに聞こえてくる。
この小さな村に、ユニタリウス派、カルバン派の教会、
カトリックの集会所があるらしい。

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「 天使をつくってあげましょうか?」と
雪に寝そべって、手足をばたばた動かす。

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雪の天使の出来上がり。

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新しい遊びがはじまった。
車のトランクを開けて、
ヒモを子どもたちのソリに結びつける。
そして、出発。

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子どもたちのにぎやかな声がはじける。
真っ白な季節の楽しみ。

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天までとどきそうな木。

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やがて完成すれば、
この雪景色はすべて彼らのもの。

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トランシルヴァニア、冬の城砦教会
ここトランシルヴァニアでは
あちらこちらに見られる、城砦教会。
この町で一番古い文化遺産である、プロテスタント教会。
小高い丘にそびえ立つ、白い塔が目印。

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石が積み上げられた、頑丈で高い城壁。
人々は、教会のなかに立てこもって身を守った。
戦乱の激しかった中世がしのばれる。

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見張りの塔や、敵を射るための小さな穴が
まだそのままに残っている。

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教会のまわりには墓場が囲んでいるものだが、
ここでは城壁のなかにも見られた。

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町から西に6kmにある村、アールコシュ。
石畳の道は、ユニタリウス派教会に通じる。
ユニタリウス派とは、
トランシルヴァニア発祥のキリスト教の一派。
世界ではじめて宗教の自由を宣言したと言われる。

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こんなに穏やかな小さな村にも、
戦の跡がしっかりと刻まれている。

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階段をのぼって通路に出ると、
小さな覗き窓から村が一望できる。

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せっかくここまで足を運んだならば、
塔のひとつにある展示場にも足を運んでみよう。
セーケイ人の大男、バーリント・ゾルターンが
郷土の古い遺産を一同に集めている。
古いアイロンから、鉄製の蒔きストーブ、
農耕具から民俗衣装まで幅広い展示品の数々。

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木箱から、そっと取り出して見せてくれるのは、
イースターエッグ。
こちらは木彫りしたもの。

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タマゴの中身をぬいて殻だけにしたものに、
ロウで模様を描いて、染める。
古くから伝わる技法。

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美しいレースのカーテンには、
天使や女神のすがたが見られる。

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白い塔は、鐘つき台。
足場の悪いはしごをなんとか
3階までのぼりきると、おおきな古い鐘が頭上にあった。
緑がかった鐘の表面を、
ハンガリー文様が覆っている。

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まるい窓の外は、
依然として雪景色のまま。

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トランシルヴァニアの昔が偲ばれる
城砦教会には、
この冬の風景がよく似合う。



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宿無しのジプシー老人
最近、気になることがある。

年末年始とずっと姿を消している、
あのジプシーのおじさん。
いつもの商店の前にも、
ごみ置き場のところにもいない。

かつて寝起きしていた廃屋には、
いつしか南京錠がかけられていた。
閉め出されたのだ。
この寒さの中で、どこへ?
ひょっとして・・・不吉な考えが頭をよぎる。

「 子どもたちよ、来ておくれ。
 俺はもうじき、死ぬのだから。」という歌。
あれは自分のことなのだと言っていた。




ウルクーからの帰り道。
ごみ置き場の前に、マリーの姿を見た。
その後ろには・・・帽子をかぶった、エルヌーおじさん。
「 キスを!」と私の手の甲にくちづける。
その顔は、思いのほか元気そう。
「 髪を切ったんですね。」
ひげも剃ったせいか、いつもより顔が丸く見える。

「 まだ話すことがあるんだ。 
 俺の人生のことでね。とっても大切なことだよ。」
すこし濁った茶色い瞳がじっと見つめる。

「 今はどこに住んでいるんですか?」
「 セメリアの、暖かい家(セントラルヒーティング)だよ。
 他に行くところはないからね。
 朝は8時、9時ごろならそこにいるよ。」
月曜に、探しにいくといって別れた。



その日は、久しぶりに朝から雪だった。
家を出たのは、10時すぎ。
町外れのセメリア地区へと向かった。

道をたずねて、
「墓地のすぐよこにある建物」はすぐに見つかった。
近所のものよりもさらに巨大な建物。
窓ガラスも扉もない、見るからに廃屋。

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社会主義時代の名残を、これほどまでに
とどめている建物が他にあるだろうか。
かつては、つねに火をたいていて、
周辺をあたためていたはずの建物が、今や一番寒い住みか。
20年間も、そのままに放置されている。

本当に、ここに住んでいるのだろうか。
半信半疑で中へと足を運ぶ。

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「 どうやら、ここに住んでいるようだよ。
帽子もある。」とダンナが
一足先に見つけたようだ。
奥のうす暗い部屋に進み入ると、
確かに寝床がそこにあった。
たき火の痕跡もしっかり残っている。
誰もいないようだ。

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ベッドのすぐ上には、大きく
くりぬかれたように雪景色が広がっている。
ちらちらと、降ってくる雪を眺めていた。

仕方がない、出直そう。
家から持ってきたお菓子の入った袋を、
その寝床に放り投げた。
??
その袋が落ちたところは、
なんだか人間の洋服のようでもある。
よく見ようと、そばに寄ってみると・・・。

ガサッと音がして、
おじさんがむっくりと起き上がった。
「 ・・・ああ、びっくりした。」
といって、身震いをする。

ちょうど物を投げたところは、
おじさんの胸のあたり。
私も負けずに、びっくりした。

起きたてに、胸からタバコの箱を取り出して一服はじめる。
「 今日は、ここに主人がやってくるんだ。
 この部屋を貸してくれてね。
 俺が生きている限り、
 ここに住んでもいいという。ありがたい話だよ。
 奥さんも、スープや缶詰など持ってきてくれる。」

それから消毒用アルコールも取り出した。
「 これが、俺の暖房さ。」と
青い色をした液体を飲む。

タバコの煙がなくても、
口からは白い息がこぼれる。
確かに、ここは寒い。
まだ布団から出られない様子。

問題の窓を見上げて、ダンナが言った。
「 ここに、何か貼り付けるものはないんですか?」
「 ああ、あるんだがね。
 このテープじゃ、どうも駄目みたいだ。」

家に帰って、かわりのテープを探してくる間、
おじさんはまた独り、語りはじめた。
「 俺が話したかったのは、親父のことだよ。
 飲んだくれて、俺たちを外へ送っては
 金を酒に変えていた。
 そして、よく俺たちにも手を上げた。」

「 俺はあのひどい親父が嫌で、
 ついに14歳のときに、ブラショフへ逃げたんだ。
 俺たち兄弟8人で、掘っ立て小屋を作ってね。
 そこに2年間、住んでいた。」

「 警察に問いただされたこともあったけど、何も答えなかった。
 絶対に親のことは知られたくなかった。
 家に連れ戻されたくなかったからね。」

「 あの頃は、他にも俺たちみたいなのがゴロゴロしていた。
 下水道に住んでいたのもいた。」

「 結局、警察が捜索して家に連れもどされた。
 それから、まもなく親父は死んで、
 その葬儀のために馬や馬車を売らなければならなかった。」

やがてダンナが到着したので、
窓の外側からナイロン・シートを貼りつける作業がはじまる。
どうにか簡易の窓ができあがると、
もう12時の鐘の音が聞こえてきた。

「 君のために、喪を明けることにしたよ。」
と寝床のなかから声が聞こえる。
「 俺の踊りは、本物のジプシーの踊りさ。」
雪がとけ、春になったら
ジプシーダンスを見せてもらおう。

おじさんの住処をあとに、
息子の待つ幼稚園へと向かった。




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ジプシー職人、バードゴシュ
ウルクーにジプシーの職人がいる、
そう聞いて町外れのジプシー居住区へと向かった。

バードゴシュというのは、
古くからのジプシー特有の職業で、
亜鉛で雨どいなどを作る職人のこと。

商人に多いガーボルという姓を持つ男は
コロンドという村の出身で、
こちらに行商にきたときに、
ここのジプシーの女性と知り合い結婚をした。

ジプシーでも、
「定住(家)ジプシー」と呼ばれる
ほとんどよその民族に同化してしまったものたちと、
「放浪(テント)ジプシー」と呼ばれる
民族衣装を着て、ジプシー語を話すものたちに
分けられるという。
そして両者は、あまり交わらないようだ。

松林の入り口にひっそりとたたずむ、
エメラルドグリーンの壁が目印。
共同井戸から水があふれ続け、
下水施設もないから、
ウルクーの道はいつも泥だらけ。

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塀がぐるりと囲んでいるだけで
木も庭もない、殺風景な家。
扉をひらくと、ベッドがふたつと
蒔ストーブだけの小さな部屋の中にいた。

いつかカロタセグ地方で見た
小鳥とモミの木のモチーフの
亜鉛細工を注文したいと話すと、
「ああ、いいよ。写真を持っておいで。」という返事。

ちょうどおばあさんがやってきて、
男の子たちの散髪をしているところ。
ダンスの名人で、タロット占いもするというハイニおばさん。
「 いつも、こうやって孫たちの髪を切っているのよ。」

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なかなかじっとしてくれないので、
子どもの髪を切るのってむずかしい。

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ベッドの上に座っている、
かわいい女の子・・・と思ったら、男の子のようだ。
「 この子の名前はイシュトヴァーンよ。
 ずっと女の子がほしかったんだけどね。」
とお母さんが言った。

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カラフルな布きれで髪に編みこんで、
なかなかおしゃれ。
「 この子の髪の毛も切るんですか?」とたずねると、
「 いいえ!とんでもない!」との返事。
どうやら三男坊だけは、
女の子のように育てたいようだ。

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散髪が終わったばかりの子どもたち。

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アーラパタクの村で見た、
美しい亜鉛細工の雨どい。
次は、この職人の仕事を見にこよう。

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アーラパタクのジプシー・アート
ハンガリー人、ルーマニア人、
ジプシーが共存する村、アーラパタク。

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機織機を探してぶらぶら歩いていると、
とても気になる洗濯物を発見。

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ご近所さんに尋ねてみた。
「 ここは、ジプシーの人が住んでいるのですよね?」
「 ええ、そうよ。
  ここの人は、信心深いからまだ大丈夫。」
安心して、その家の主人を訪ねることにした。

「 すみません。あの・・手芸が見たいんですけど。」
私たちの話すのを聞いて、ジプシーのおばさん。
「 ハンガリー語でも、大丈夫よ。」

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「 あの、奥にあった洗濯物を見て。
 とっても素敵なものをお作りになるんですね。」
例の手芸を写真に撮らせてもらうように、お願いした。

「 どなたがお作りになるんですか?」
「 私の嫁よ。今ちょうど、出かけているわ。」とおばさん。

蛍光色の鮮やかな花。
大きく手を広げたような、枝ぶりはダイナミック。
どことなく、メキシコっぽい色使い。

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花壇からのびた花のモチーフは、
ハンガリーのフォークアートによく見られる。
だけど、この色彩ときたら・・・
ジプシーのもの以外の何者でもない。

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サテンステッチなのだろうか。
びっしりと糸が埋め尽くされて、
しっかりとした厚みがある。
よそで刺しゅうか図案集から借りてきた図案が、
ジプシー風に味付けされたという感じ。

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「 他にも、まだあるのですか?」と尋ねると
おばさんが中へ通してくれた。
蛍光オレンジの壁に、緑のドアを開けて・・。

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扉の上にも、刺しゅうのクロスが見られる。
細長いクロスを、中心でチョウのように結んで飾るのは
ルーマニア風。

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「 手仕事をするお嫁さんは、いつごろ帰ってきますか?」
と聞くと、夕方ごろとの返事。
お花をつむ少女の描かれた、クッションカバー。
刺しゅうの仕方にしても、配色にしても、
配置にしても・・・常識やぶりで、どれも驚きにみちている。

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村で用事をすませて、帰り道。
再び、ジプシーおばさんのところへ立ち寄った。
門のところにいた、ひげの男性に
手芸をする奥さんに会いたいと告げる。

先ほどの家の、別の入り口を中に入ると、
小さな部屋にたくさんの子どもたち。
うつくしい眉をした若い女性が、そのお嫁さん。

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「 ローザという名前は、あなたのこと?」と聞くと、
「 いいえ。私のお母さんよ。ヘテに住んでいるの。」
そういえばここ周辺のジプシーたちは、
あの閉鎖されたジプシー村ヘテからやってきた、
と誰かから聞いたことがあった。

刺しゅうをする糸を見せてほしいと告げると、
棚の中から小さくなった糸巻きをいくつか出してくれる。
ウールのような、化繊のような太い毛糸。
どれも見たことのないような、鮮やかな色ばかり。

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「 これだけ作るのに、どれくらいの時間がかかる?」と尋ねると、
「 2、3週間よ。」との答え。

話をしていると、
またご近所さんが中へ入ってくる。
生地と糸を持ってまた来ると告げて、
人でいっぱいの部屋を後にした。

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ハンガリー人の几帳面な赤のクロスステッチと、
ジプシーの自由でカラフルなフリーステッチ。
どちらも別の魅力があって、
それでいい。

向こうの丘には、
人口増加であふれかえるジプシーの居住区が見られる。
アーラパタク村の将来を、
暗示するようである。

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アーラパタクに刺しゅうを訪ねて(後)
ふだんよりも一段と強い太陽のひかりで、
雪もすっかり姿を消した。
アーラパタクの中心部には、
ドーム型のオーソドックス教会がそびえ立っている。
道行く人は、ほとんどがジプシー。

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道を尋ねると、本通から折れていく
小さな通りを指差さされる。
ここは、古くからの住民が多いとされる所。

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「 ジュルジ先生のお宅はどこですか?」と聞くと、
緑色の家だといわれる。
門を押して、中へとお邪魔させてもらう。

中庭からも、家の住人の個性がうかがえるような
たくさんの木彫りの飾り。

中から出迎えた老夫婦に、
目的を告げると喜んで中へ通してくれた。

ご主人のジュルジおじさんは
かつては先生をしていたのが、
今は木彫りをしている方。
手作り市などにもよく出品されるそう。

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こちらが、奥さまのエニクーおばさん。

部屋の壁にずらりと並んだ木の板は、
シューイコローと呼ばれる
洗濯板のようなもの。
昔、村では男性が女性にささげる
愛の贈り物として、自らの手で彫ったものだった。
ハートやチューリップなど
愛のシンボルで埋め尽くされている。

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木彫りと赤の刺しゅうが、
あたたかく心地よい空間を生み出している。

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円のなかに花びらが浮かんだようなモチーフは、
ロゼッタと呼ばれる太陽のシンボル。
タペストリーには、ダンスを踊るセーケイの女性たちと、
音楽を奏でる男性が描かれている。

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プロテスタント教会で使われる
賛美歌のブックカバーも、刺しゅうの赤で包まれる。

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「 私はよその村からお嫁にきたんだけど、
 刺しゅうをはじめたのはそれから。」
熟練した刺しゅうの作品を前に、
彼女の努力の跡がうかがい知れた。

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この地方のクロスステッチは、
細長くのばした斜めのラインを、ダブルにして刺してゆく。
「編みクロスステッチ」と呼ばれる。
目にも留まらぬ速さの、刺しゅうテクニック。

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「 夏の間は、ここで作業をするのよ。」と
見せてくれたのは、屋外に設置された小さな部屋。
いまでも農村で見られる「夏のキッチン」ならぬ、
「夏のアトリエ」である。

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この家も、例にもれず強盗の被害にあったそう。
緑色の壁に、木彫りが目印の家。

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「 村にはまだ作り手がいるのよ。」
エニクーおばさんに導かれて、
民家をいくつか訪ねるがあいにく留守だった。
3軒目の家で、やっと家の主人に出会えた。

外から持ちだしてきた靴の泥を、
ホウキではたき落とす。
「 いいから。どうぞ、中へお入りなさい。」とエルザおばさん。

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エメラルドグリーンの壁に、
赤い刺しゅうが目に飛び込んでくる。

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「 うちの子供たちは気にも留めないけれど、
 この間、お医者さまにプレゼントしたら、
 それはそれは喜んでいたわ。
 ずっと、ひざの上でやさしく撫でていらしたの。」と微笑がもれる。

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刺しゅうもするけれど、エルザおばさんの得意なのは
ロイトと呼ばれるフリンジ作り。
村の女性から、注文を受けて作ることもあるそう。

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こちらは若い頃の作品。
自ら染めた糸で一面にクロスステッチを施した
ベッドカバー。
すそのフリンジも、同じウール毛糸でできている。

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フリンジを編むところを見たいという私のために、
奥から持ってきたのは編み台。

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いすに腰掛け、
細長い赤い糸の目を数えはじめる。
「 エテルカ先生から習いはじめたときは、
 きれいにできなくって。背中に汗が流れたわ。」と
懐かしそうに話す。

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「 いい。編むときのポイントはね、
 軸になるはじめの糸をきつく引っ張ることよ。」と
説明しながらも、手は結んだり、開いたり・・・。

自在にかたちを変える、
うつくしい手の動きに見とれていると、
赤い糸はねじられ寄せられて、
確実に模様が出来上がっていく。

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「 次は、花のかたちを作るわね。」と
今度はひとつひとつの糸を結びながら、
斜めに模様を作っていく。
先ほどとは違って、
横に引っ張るようにした細やかな手の動き。
 
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まったく違う、二つの編み方が出来上がった。
糸の太さでも、質でもまた雰囲気が変わるそうだ。
「 やっぱり細い糸の方が、きれいだけどね。」とエルザおばさん。

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帰り間際に、こんな話になった。
「 この村は、よそと比べてすっかり立ち遅れてしまったわ。
 人が少なくなればなるほど、村人たちは協力するどころか、
 お互いに冷たくなっていってしまった。」

機織機を探しにきたはずが、
いつしか手芸を訪ねる旅となった。
この活気を失った村に、
まだ明かりは灯っている。
ただその火を絶やさないようにしないといけない。

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手仕事の村アーラパタク。
もしかしたら、
女性の手のチカラで
何かを変えていけるかもしれない。

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*アーラパタクの女性の手の技は、
 もうひとつのブログにて、ご覧いただけます。
アーラパタクに刺しゅうを訪ねて(前)
うっすらと、雪の白が町をつつんだ日曜日。
町のはずれでヒッチハイクをはじめた。

思ったよりもはやく、車が止まった。
目指すはアーラパタク。
どこかに機織機があるという話を聞いての、
あまり当てのない旅。

はだかの木々の合間から見られるまぶしい白に、
目をほそめる。
珍しくくっきりと鮮やかな青空のしたで、
冷たい風が吹いている。

「 途中のエルーパタクで、湧き水をくむから
止まってもいいかい?」と運転席から話しかけるおじさん。
車を降りると、待ち構えていたように
やってくるジプシーの子どもたち。
低く枯れたような声で、
ルーマニア語で物乞いの言葉を投げかける。

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車はその次の村、アーラパタクで止まる。
少しばかりのお金を差し出したが、
ご主人さまは笑顔で首をふった。

この付近でもっとも荒廃した村のひとつ、
アーラパタクは半数以上がジプシー住人といわれる。
一人暮らしの老人が、不安で夜も眠れない村。
一週間で、なんと10件もの強盗があったという。

知人のゾルティおじさんも、その一人。
家のすべてを売り払って、老人ホームへ引っ越した。
おじさんが声をかけておいてくれた隣人が、
機織機を持っているというので
こうしてやってきたのだが・・。

肝心のお隣さんの家も知らなければ、
名前すら分からない。
昼間は、穏やかな小川沿いに
おじさんの家があった。

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おじさんのお隣さんを呼んで聞いてみる。
機織機という単語さえ知らない、
ダンナのたどたどしいルーマニア語を耳にしながら、
半分もうあきらめ始めた。

親切にもルーマニア人のおじさんは、
ご近所でそれらしき人のところへ案内してくれる。
家からご主人、続いて奥さまが出てきた。
「 機織機はありますか?」と聞いても、
首をかしげる。
「 それなら、何か手芸でもいいのですが。」
途中でハンガリー人ということが分かって、
急にハンガリー語に切り替わる。

いきなり他人が訪ねてきて、
こんな風に聞いても困惑するのも無理はない。
「 少しなら、うちにもあるけど・・。」と
おばさんが門を開けてくれた。

中に入ってみて、驚いた。
少しどころか、ドアも壁も、
ソファーの上も赤、赤、赤・・・。
すべてが赤い刺しゅうで飾られた空間だった。

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小さな棚の、小ビンの下にも
赤い文様が渦を巻いている。
キリストの教えの書かれたタペストリーも、
すべてがクロスステッチ。

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さらに奥の部屋へと案内してくれるおばさん。
織物、レース、刺しゅう・・・
あらゆる手仕事を広げて見せてくれる。

「 うちの子供たちはね、
 町に住んでいるんだけど、まったくこんなものに興味ないのよ。
 私が死んだ後は、教会に寄付しようかと思っているの。」

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「 これはね、私が学生の頃に作ったエプロンよ。」
女性らしさがぎゅっと凝縮されたような小物が、エプロン。
この白いエプロンをしめたら、
少女のころのような初々しさが取り戻せそう。

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「 エテルカ先生が、私たちに手芸を教えてくれたのよ。
 授業のときに、刺しゅうの図案を写すように言われて・・。
 ほら、まだ取ってあったわ。」

「カエルの目」と呼ばれるモチーフ。
キリスト教以前の古い信仰のあとが、
こうしたフォークモチーフの中に見られるという。

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こちらが、そのモチーフを作品にした
クッションカバー。
花嫁道具の必需品であり、
飾り用のベッドの上に重ねて置かれたことから、
もともと刺しゅう部分は端にきていた。

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アーラパタクの文様の中には、
鳥や鹿なども多く見られる。
ここで見られるのは、
プロテスタント教のしるしとされるペリカン。
母鳥がヒナに口から食べ物を与える姿が、
神と信者の関係を物語るとされるから。

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「 他にも、手芸をする人を探しているのですが。」というと、
まだ村には作り手がいるらしい。
ノートに名前を書きとめて、お暇した。

まだ氷ののこる小川では、
ジプシーの村人が馬車で桶を洗っている。

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ハンガリー人が通う、プロテスタント教会。

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その隣に立っている、
古いお屋敷にはいくつかのジプシー世帯が住んでいるようだ。
かつてはルーマニア人の貴族が住んでいたのが、
今ではほとんど窓ガラスもついていないほどに
荒廃している。
小さな洗濯物が、風で揺れていた。

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手芸の伝統がすでに途絶えたと思っていた村、アーラパタク。
これからどんな手の文化に出会えるかと、
胸が高鳴った。



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*アーラパタクの民俗モチーフについて、
 もうひとつのブログにてお読みいただけます。

彼と彼女のこと
彼女は、いつも少年みたいなしぐさをして、
子猫みたいに人になつく少女だった。

彼は、壊れそうなこころの神経質なひとだった。

指揮者の彼と
美大生になる彼女は、
クルージ・ナポカの町で出会った。
いつしか、彼らはひとつ屋根のしたで
暮らしはじめた。

「 あの人は、頭がおかしい。」と
周りは彼女の耳にささやいた。
言葉はそれでも、彼女の耳をすりぬけて
空気のなかに消えてしまう。
気がつくと周りから
だんだんと人が去っていった。

私は、彼らのところへ足を運んだ。
バスルームで
美容師さんごっこをしたり、
近所の子どもたちを中に呼んで、
部屋の中で花火を見たこともあった。
フォークダンスのクラブに行ったこともあった。

お互いに寄りかかるようにして、
ひっそりと暮らしていたふたり。
ふいに、彼らの姿が消えた。

日本で大学に通う私に、
その知らせを運んできたのは友人だった。
「 日本人男性と女性が、
ドナウ川に打ち上げられた。」
新聞記事にそうあった。

それから半年後、
私はウィーンにいた。
町のはずれの、澱んだ色の寂しげな川にむかって
小さな花束を投げた。
早い流れが、あっという間に
とおくへ運んで見えなくなった。

彼と彼女との記憶とは、
まったく結びつかない場所で
しずかに目をふせた。

今から、8年前のこと。
彼と彼女の死を悼んで・・・。


::自己紹介::

tulipan

Author:tulipan
1978年生まれ。
大阪外大でハンガリー語学科卒業。
ブダペスト大学、
クルージ・ナポカの大学で民俗学を専攻。
トランシルヴァニアのフォークロアに惹かれて、
セーケイ地方に移住、結婚。

2008年2月からルーマニアの
トランシルヴァニア地方で
海外生活を再開しました。
現在、村で家を建設中。

東欧雑貨ICIRI・PICIRIのオーナー。
ここトランシルヴァニアで
自然と手仕事のある暮らしを目指しています。

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