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トランシルヴァニアへの扉 - Erdely kapuja-

古きよきヨーロッパの面影を残す、トランシルヴァニアへの扉をそっと開いてみませんか?

::自己紹介::

谷崎 聖子

Author:谷崎 聖子
1978年宮﨑生まれ。
大阪外大、ハンガリー語学科卒業。
ブダペスト大学で民俗学を専攻。
ルーマニア、トランシルヴァニア地方のフォークロアに惹かれて、セーケイ地方に移住、結婚。
三人の子育て中。

伝統手芸研究家。
トランシルヴァニアの文化、手しごとを広める活動をしています。主な著書「トランシルヴァニアの伝統刺繍 イーラーショシュ」、「カロタセグのきらめく伝統刺繍」。

東欧雑貨ICIRI PICIRIFOLK ART Transylvaniaのオーナー。

詳しくは、森の彼方-トランシルヴァニアへの扉をご覧ください。

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トランシルヴァニアへの扉  - Erdely kapuja-のRSSフィード

ブログ翻訳

ルーマニアのブラウス展、ワークショップのお知らせ

*イベントまでの日にちが近くなりましたので、こちらのお知らせを先に表示いたします。


「トランシルヴァニア 森の彼方の物語 
刺しゅうワークショップとおはなし」と題して、
6/28(金)武蔵境にてワークショップとおはなしを行います。

トランシルヴァニア、カロタセグ地方の刺繍イーラーショシュの
赤いチューリップ、黒いリーフのブローチを作ります。(材料費1,000円)

「四季折々の自然に寄り添う人々のくらし」はお申込み、参加費なしです。

また、トランシルヴァニアのおばあちゃんたちの刺繍作品も販売いたします。


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workshop2.jpg


午前の部 午前10時30分~正午(託児アリ)

おはなし 午後1時00分~午後2時00分
午後の部 午後2時30分~午後4時00分

場所:武蔵野スイングビル10階 スカイルーム(武蔵境駅)


こちらからお申込みいただけます。

(こちらはお申込みを締め切りました。

たくさんのお申し込みをありがとうございました!)

武蔵野市HP



6/29(土)、30(日)の二日間、

吉祥寺の駅前のビル、アルテ吉祥寺2Fセントラルコートにて

「ルーマニアのブラウス展」開催します。
(私は29日のみ在朗いたします。)
ルーマニアのオリンピックホストタウン武蔵野市の主催です。


exhibition small


「東欧の国、ルーマニアはフォークロアの宝庫です。
トランシルヴァニア、モルドヴァ、ワラキア、
バナート、マラムレシュ・・・。
その複雑な歴史を物語るように、
各地には多種多様な衣装が今なお残っています。

アンリ・マティスの絵画でも知られる、
ルーマニアのブラウス。
まるでルーマニアの各地を旅するように、
極上のブラウスを集めて展示いたします。」


アトレ吉祥寺HP


武蔵野市HP


皆様にお目にかかれますのを楽しみにしております。



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comments(2)|trackback(0)|イベント|2019-06-30_20:07|page top

2019年夏の講習会のお知らせ

*イベントまでの日にちが近くなりましたので、こちらのお知らせを先に表示いたします。

今年は6月26日から約一か月、日本へ一時帰国いたします。


今回は東京でいくつかイベントを行う予定です。


100年以上も昔につくられた、婚礼用のロングクロス。

くり返しの多い古い図案を基に、マチ付きトートバッグをつくりました。





こまやかなモチーフが密集したように見えるのが、

19世紀のイーラーショシュの特徴です。

余白をしっかり埋める、さまざまなステッチがありますが、

こちらもご紹介いたします。






裏側は、生成りと赤の伝統の手織り布のような

ルーマニア製のコットン布を使います。





社会主義時代にアルコールランプの芯として使用されていた紐を、

持ち手にして、ステッチのついた紐で結んでお使いいただけます。





もうひとつは、アーラパタク村の編みクロスステッチでできたミニトートバッグ。

編みクロスステッチは、トランシルヴァニア地方全域でみられるテクニックです。






クロスステッチ用の布に赤い糸を3本どりにして刺繍していきます。

普通のクロスステッチより手間がかかる分、

それだけ立体的に密集して赤色が濃く見えるのが特徴です。





裏には裏側は、生成りと赤の伝統の手織り布のような

ルーマニア製のコットン布を使います。

さらに、トランシルヴァニアの革職人の手作りの

本革の持ち手を付けるので、本格的な味わいとなります。







2019/6/30(日曜) 10:00~12:30

新宿朝日カルチャーセンターにて開かれます。

お申し込みはこちらからお願いいたします。

お電話番号 03-3344-1941
comments(0)|trackback(0)|その他|2019-06-29_13:31|page top

巡礼の帰り道

私たちが巡礼の後、町はずれの駐車場に着いたのは日暮れ時だった。
今日は、何キロと歩いただろう。
足もくたくただった。
時間も、夜9時が過ぎていた。

旦那が車に乗って、気が付いた。
「そういえば、ガソリンを入れないといけなかったんだ。」
先ほど近くのスーパーで買い物をしたばかりで、
最後のお金も使い果たしていた。
このガソリンでどこまで行けるだろう、と不安に駆られながらも
車を走らせた。

旦那が思いついたように言った。
「そうだ。もしヒッチハイクで町まで行く人がいたら、乗せてあげて
お金を借りたらいい。」
こんな夕暮れ時に誰がヒッチハイクをするのだろう。

「そうだ。次の町で降りて、車を置いて電車で帰ろう。」
そんな馬鹿な提案をした私だったが、あいにくお財布の中は空だった。

ハルギタ県の最後の村に差し掛かったとき、ガソリン不足のランプがついた。
いよいよ不安が募り、姑と長年連れ添ったラツィおじさんに電話した。
車がどこまで行けるかわからないが、もし車が止まりそうになったら
ガソリンを持って迎えに来てほしいと。
そして県境のトゥシュナードの町に着いたとき、
ガソリンスタンドを見つけた。
「そうだ、ここまでおじさんに来てもらって、
お金を借りてガソリンを入れたらいい。」
そう決定して電話を入れた。

ガソリンスタンドがそばなので、安心して
湧水を汲みにいくことにした。
スタンドの前の坂を下ると、駅だった。
ここはセーケイ地方きっての保養地として知られている。
森に囲まれた小さな町には、
温泉や湧水(炭酸水のものもある)がいくつもある。
寂しい駅の前でビデオカメラなどを構えて、人が群がっている。
その先は、ごみ箱しかない。
旦那が車を降りて、湧水の場所を尋ねていると、
ほとんどが英語しか話さない外国人だった。
そして、どうやらそのカメラでクマを待っているらしいことがわかった。
「クマは夜10時になったら来る。」と自信満々でその人は答えたという。

湧水を汲んで、まだクマを待っている人たちの前を通り過ぎ、
ガソリンスタンドに戻った。
トイレのためにお店に入ろうとドアを開けようとしたら、開かない。
中の店員さんが、もう今日は閉店だと身振り手振りで示した。
ラツィおじさんは、もうそろそろここに到着するだろう。
当てにしていたスタンドは休み。
それではと、思いついた最後の手段は、
私と眠っている娘だけラツィおじさんの車に移動、
旦那は朝まで車で休み、
翌日スタンドが空いてから給油して家に帰るということ。

やがて、救世主のラツィおじさんが車で到着した。
おじさんがガソリンの状況を尋ねて、何やら話した後、
旦那がこのまま行けるところまで行こうとエンジンをかけた。
ラツィおじさんによると、給油のランプが点灯して60キロは走れるという。
「本当に?」と疑心暗鬼ではあったが、
おじさんの言葉を信じて車を走らせる。
そして、奇跡的にランプは点滅しないまま、
町の外れまで到着したのだ。

おじさんに感謝の言葉をかけて、
給油のためのお金を借りてガソリンを入れた後、
無事に家族そろって帰宅することができた。















comments(0)|trackback(0)|その他|2019-06-10_16:05|page top

ショムヨーの精霊降臨祭の出来事

イースターの後にくる、宗教行事が精霊降臨祭である。
キリストの魂が鳥の形の精霊となって帰ってくることを祝う祝日である。

トランシルヴァニアのカトリック教徒にとって
最大の巡礼地がチーク・ショムヨーという村にある。
社会主義時代に宗教(特にルーマニア正教以外の宗派)が弾圧されていた時代にあっても、
人々は車で、列車で、徒歩で、
あらゆる手段でこの日にショムヨーの教会に集まり、ミサを行った。
90年代に社会主義時代が去ってからは、
さらにその宗教熱に拍車がかかり、今は巨大なお祭りのような場所となっている。

ここコヴァスナ県から北のチーク地方、ジェルジョー地方などの
セーケイ地方では、カトリック教徒がほとんどである。
そのためか、精神的にも保守的な傾向が見られるし、
民俗衣装もたくさん残っている。
この聖霊降臨祭のために、毎年、
100年以上も前の民俗衣装を箪笥から出して着ているという人にも出会った。

ショムヨーの大聖堂に収められたマリア様の像は、
涙を流すという奇跡が伝えられている。
この大聖堂の裏側の山には、18~19世紀の十字の像がたてられ、
キリストの受けた受難が刻まれている。
この険しい山をのぼり終えると、キリストの受けた受難のひとかけらでも
味わうような思いになる。
山の上には、ちいさな修道院が立っていて、
船型をしたカーブを描いた壁画がため息をつくほど美しい。

ここセーケイ地方から東へ、
カルパチア山脈を越えていったチャーンゴーと呼ばれる人たちがいる。
ルーマニア人に囲まれて暮らしたチャーンゴーは、
(特に社会主義時代に)ルーマニア語を強要され、
教会でも学校でも公的な場でハンガリー語を話すことはできなかった。
はるばるモルドヴァから訪れた巡礼者たちにとって、
この日だけは母国語ハンガリー語でミサを行うことができたのだ。
チャーンゴーのミサを行う教会はと尋ねても、誰も答えることができなかった。
丘の上の修道院の管理人に尋ねて、
「あの下の教会であるよ」と返事が返ってきた。
先ほど山を上ったばかりなのに、今度は下り道。
しかも、ミサのはじまりを知らせる鐘の音がなっている。
急ぎ足で坂道を下りていく。

教会への坂道に差しかかった時、
降りてくる人の群れと遭遇した。
2人の人に再会できるような予感がしていた。
ひとりは、私をチャンゴーの土地へ誘ってくれた
ハンガリー人の写真家チョマ・ゲルゲイ氏。
もう一人は、去年の夏に出会ったチャンゴーの女性メリツァ。

ミサを終えて出てくる信者たちの間に、
口ひげを生やし、髪を伸ばした初老の男性を見つけた。
早まった息を整えて、ゆっくり彼のそばに近づいていく。
驚いた様子で私を見たゲルゲイの瞳は、
昔のままのようでもあったし、変わったかのようにも見えた。
少し疲れたような、寂しそうな様子でもあった。
「すっかり年をとってしまったよ。」そういう彼に、
「私もよ。」と微笑んだ。

遠く韓国へハンガリー大使として赴任した息子の話をしたり、
先日モルドヴァで懐かしいチャンゴーの人に会ったことを
ぽつりぽつりと話した。
私はただ、涙があふれるばかりで彼の話を聞いていた。
立ち話は5分ほどだっただろうか。
「泣かないで。」と彼が言い、別れた。

留学時代に彼の講演会に立ち寄ったのが最後だったので、
16年ぶりに会うことができたのだ。
奇跡の再会の余韻に呆然としているうちに、
ピンクや赤の華やかなブラウスを装ったメリツァの姿が目に飛び込んできたが、
声をかけることができずやり過ごしてしまった。

やがて旦那や娘が遅れてやってきた。
長い年月のことを思い、
教会の裏の美しい夕暮れ時の原っぱの中に佇んでいるうちに、
いつしか日が傾いているのに気が付いた。

















comments(0)|trackback(0)|イベント|2019-06-09_15:22|page top

幼稚園の日本の日

3年前に泣きながら幼稚園に行った娘も
もうすぐ卒園の日を迎える。
いっしょに朝ごはんを食べ、遊び、
昼ごはんを食べて、昼寝をしたお友達ともお別れだ。

娘の幼稚園の先生から提案された、二日間の日本の日。
喜んで、この申し出を引き受けた。
というのも、友達や先生たちに自分のルーツを知ってもらうことは
彼女を理解してもらうことにも繋がるからだ。
それに、3年間親しんだクラスメイトたちに親しみも感じている。

幼稚園で日ごろ、いろいろな言葉で数を数える練習をしていることは
娘から聞いている。
まず母語であるハンガリー語、それから国の言葉であるルーマニア語、
国際語である英語、さらには娘が日本語を教えたり、
ドイツに移住したクラスメイトがドイツ語を教えたこともあったという。

まず日本語で数を数えてもらい、
それから数の歌を歌う。
簡単なリズムと体操も面白い「なべ鍋底抜け」、
こちらで似た遊戯がある「かごめ、かごめ」などを歌い、遊んだ。

それから、簡単な日本語のあいさつ。
「・・・ちゃん」「・・・くん」をつけて呼び合ったり、
「こんにちは」、「さようなら」、
翌日には「どうぞ」「ありがとう」とものを渡しながら練習もした。

地球儀を使って、ルーマニアと日本がどれだけ離れているかを見たり、
日本の周りに海が囲み、山がちなことを話した。

そして準備していた教材を使って、
漢字の意味当てゲーム。
山や田、川など簡単な意味合いの漢字と
イラストの札を組み合わせる遊び。


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文字をまだ使わない幼稚園児は、
絵で覚える漢字のほうが親しみやすいに違いないと思っていたが、
考えながらも、結構うまく意味を当てていた。


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そして、日本の折り紙も持っていき、簡単な折り方を教えた。
チューリップから、ネコやイヌが作れることを教えたら、
イヌの折りあげた口を返してベロを描いた子もいた。
こうしなければいけないという決まりはない。
自分の想像力やアイデアを加える柔軟な頭脳のなんと素晴らしいこと。


翌日には、準備していたお米やトウモロコシ、
パスタや豆などを箸を使って食べる練習をした。
私自身、正しく箸を持てないまま40年が過ぎた。
正しい使い方を事前に調べて学び、なんとか教えるまで至ったのだが・・。


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日本のふりかけを持って行ったら、大好評だった。
校長先生や給食室のおじさんまでやってきて、味見をしていった。

最後に着物を着る体験もした。
長い間送りためた着物を持ち寄り、
可愛い子どもたちに着物を着させた。
教えてもないのに、お祈りの手つきをする子供たち。


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どの子たちも可愛く、よく似合っている。


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最後に、子どもたちに愛情を惜しまず降り注ぎ、
さまざまなイベントを盛り込み、幼稚園生活を楽しいものにさせてくれた
幼稚園の先生たちに感謝。


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comments(2)|trackback(0)|ルーマニアの育児|2019-06-08_16:29|page top

週末の予定

 

シク村に結婚式を見に行くべく、準備をしていた金曜日。

頼みごとをしていた友人一家と、村で落ち合わせる約束をして、

夜行列車で娘とふたり出かける予定が、

直前に調べると5歳以上で切符がいることが判明。

旦那が車を出すよと言ったので、車で下二人を連れて行くことに決まった。

金曜日の夜に荷造りを整えて、

土曜日の朝、目が覚めると目覚まし時計が鳴らないことに気がつき、

携帯を見ると6時前。

確か、5時前に目覚ましを用意したはずなのにと思いながら支度をします。


窓の外は薄暗い空、しとしとと雨の降る音が聞こえている。

旦那を起こすと、

「本当に行くつもりなの?」という返事。

不意打ちのような言葉に嫌な予感がしていると、

「出発できるけれど、こんな雨でも行く価値があるのかどうか・・。

天気予報は見た?」というので、

パソコンを開いて天気予報を確認。

いつもの通り、午後に天気が崩れて雨という予報だった

シク村は、4月のイースター以来、毎日雨が降っているようだから、

雨が降るかもしれないというのは、あらかじめ分かっていたはずだ。

そのことを伝えると、「どうしても行きたいのなら行くよ。」と言いながらも、

支度をせず、いつまでも横になって咳をしている旦那。

調子が良くないなら、雨の中で5時間半の運転はできない、

そう決定したのは起床から1時間後。

調子が悪いなら、初めから言えばいいのに、

なぜ私に判断させるのかと閉口してしまった。

 

こうした予定の変更は、まだ知り合って間もない20年前ならば頻繁にあった。

あそこに行こうと計画を立てて、朝になっていつ出かけるのだろうと思っていると、

「やっぱり・・・だからやめよう。」といろいろ理由をつけて、

その日になって変更ということがよくあった。

決めたことはよほどのことがない限り守るべくしつけられた日本人の私は、

そうした急な予定変更にはついていけず、

予定が空いた後のことは何をしても心から楽しむことができなかった。

いつかこのことについて話しあったことがある。

どうして急に予定を変更するのか。

すると「気が進まないのに無理に予定を決行することはない。」

とその時の気分を一番に考えるからなのだろうとわかった。

その予定よりももっといいことが思い浮かぶかもしれないと

楽観的に考えるらしかった。

悪く言えば、先のことがあてにできない。

よく言えば、簡単に気持ちを切り替えられるようだった。

 

何度かこういうことが話の種になり、

とあるハンガリー人のエリート男性の車で、ブダペストへ向けていくときに、

この話題になったことがある。

彼はアメリカに留学をした経験があり、自分の文化とよそのものと比較することができた。

おそらく、東欧の歴史が影響しているのではないかという意見だった。

ハンガリーやルーマニアでは、20世紀にかけて

古き良きハプスブルク帝国時代があり、その後、第一次大戦の敗戦で

国がふたつに(現在のハンガリーとトランシルヴァニアがルーマニアになる)分かれ、

一時期、トランシルヴァニアがハンガリーに戻ったこともあり、

第二次大戦後にソビエト連邦に占領され、

長く続いた社会主義時代から資本主義へとがらりと国の方針が変わり、

現在に至っている。

つまり、安定しない社会であるから先のことまで見通しができない。

そのために、計画することがほとんど無駄であることを肌身にしみてわかっているのだ。

そう思うと、そんな社会で生まれ育った人たちに同情する思いだった。

当の本人はいたって、そんなことは気にせず、

4月の天気のようにコロコロと変わる日常を楽しんでいるのだ。

 

私も20年を経て、大分そういうことに柔軟になっていった。

8時に友人に謝りの電話を入れて、

気持ちを切り替えてその日一日を楽しむことにした。

予定のために行けないと思っていた、

3人の教え子の卒業式に下二人を連れて出かけた。

花束を3つ買い求め、セーケイの民族衣装を着た若い子どもたちに

花を渡して祝福をした。

その頃には大きな雲も去り、すっかり晴れ渡っていた。


帰り道、町の中心では「子どもの日」を祝うイベントが開催されていたので立ち寄った。

たくさんの出店や広場では子どものためのブースがあり、思う存分に遊ばせた。

その日ばかりは無料で入場できる狩猟博物館へ行って、姑宅で昼食をご馳走になった。

午後おそく、旦那がやってきたので、

いっしょに町はずれの大自然の中で野生のタイムを摘み、

大雨がやってくるまで、新鮮な空気をいっぱいに吸った。

 

そうなのだ、その日一日を楽しめるかどうかは自分次第。

雨でも晴れでも、たとえ大切な予定が変わっても。


 

 

comments(0)|trackback(0)|その他|2019-06-07_12:43|page top

6月は別れの季節

ここトランシルヴァニアでは、
秋に学期が始まって、夏に終わる。
そのため、6月は卒業の季節となるのである。
我が家の長男は、もうすぐ中学校を卒業し、
高校受験を控えている。

想えば、ここトランシルヴァニアに引っ越してきた11年前。
ひとり息子だった長男は、幼稚園に通いはじめた頃だった。
幼稚園から小学校、そして中学校と終えた。
あと4年したら、巣立っていく。
子どもと過ごす時間の少なさに頬をつままれるような思いだ。

我が家のキッチンの窓から下を見下ろすと、
中学校の校庭がある。
休み時間のベルが鳴るとすぐさま飛び出して
一番にボールを蹴っているのが長男だ。
私も旦那の背丈も追い越して、我が家では一番体が大きい。
それなのに、心と体のバランスが取れず、
まだ友達と遊びたい一心でいる。
家族や兄妹の存在が煩わしく、ひとりで部屋にいる時間が至上と思う、
思春期の真っただ中である。

子どもでいられる時期は短い。
あっというまに成長し、誰もが大人になるという事実を突きつけられ、
そこから逃げるすべはないのだ。
進路という、一つの分かれ道に差し掛かかっている。
勉強という障害から目を背けようとする長男に、
いらだつ自分もいるのだが、
その一方で人の進むレールに乗っていくことばかりが
生き方ではないのではないかと疑心する自分もいる。

秋になり、学校のベルが鳴っても、長男の姿が校庭に見られなくなるようになり、
ひとつずつ遠く離れていくのを感じるのだろうか。

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comments(0)|trackback(0)|トランシルヴァニア食文化|2019-06-04_17:23|page top

セーケイ地方の謝肉祭

長い冬のトンネルも、
ようやく終わりが見えてきたころ、
塩の地方と呼ばれるところへ向かった。
友人家族は、この村の謝肉祭に毎年来るというので、
ずっと前から気になっていたのだ。
同じセーケイ地方であっても、丘を越えて、
車で3時間ほどはかかる。

朝早起きをして子どもたちを幼稚園に送り出した。
国道沿いを車を走らせていると、
ザクセン地方に差し掛かった頃から、
先程までの太陽が姿を消し、遠く向こうに雨雲が広がっているのを見た。
気が付くと、私たちの周りは横殴りの雨が打ち付けて、
しばらくして雪に変わった。
なだらかな丘の輪郭が、みるみるうちに白く染まっていく。

謝肉祭の日に、こんな荒れ模様となり不安がよぎったが、
村につく頃には雪は山の頂上にしか見られなかった。
それも今朝降ったばかりのものではなく、
ずっと昔から残った雪のようだ。

30分遅れて村に到着。
「謝肉祭の行列は村のあちこちを回るから、
大きな村の中で探すのは結構苦労するわよ。」と友人から聞いていた。
ちらほらと坂を登っていく人の後についていくと、
カラフルな色合いの子供たちの行列が見えてきた。
とある家の前に人だかりができていたので、
近づいていくとすでに風変わりな「葬式」がはじまっていた。

     farsang sofalva (41) 

「イッェーシュ!ああどうして死んでしまったの?
お菓子も焼かなくちゃいけないし、洗濯もしないといけない、
壁の塗り替えもしなくちゃならない。
そして、あなたを泣いて送別しなければならないなんて。」

「イッェーシュ!昨日まではいっしょに酒を酌み交わしたのに。
ただキャベツだけを残して、おまえは逝ってしまった。」

「イッェーシュ!いい隣人だったのに。
悲しくて、関節があちこち痛むわ。」

他にも愛人たちも別れの言葉を叫んだりして、
滑稽な葬式はつづく。


farsang sofalva (17) 

「あの人の好きだった歌は・・」

という声とともに、村人たちが民謡を合唱する。
「もし私が死んだら、誰が私を惜しんで泣いてくれるだろう。
誰が私の棺桶に倒れてくれるだろう。
お母さんは倒れてくれるだろうが、もう生きていない。
私のただ一つの宝よ、どうか私の棺桶に倒れておくれ。」

そうして歌からダンスへと変わり、「葬式」は終わる。
お宿となった家の人たちは食べ物や飲み物を配って回り、
飲み食いをしたら、またわら人形を連れて行列が始まるのだ。


farsang sofalva (2) 

村の楽団の演奏が、
伝統行事をますます生きたものへと仕立ててくれる。


farsang sofalva (1) 

長い行列が村をあちこちと行き交う。
かれこれ20年もこの村へ通う、友人のカティが話してくれた。
「お宿となる村人たちも、それはこの行事を楽しんでいるのよ。
一度は、葬式のような黒い幕が下がっていて、
家の前に棺桶が置いてあるだけだったの。
突然に起こった不幸だと思い、申し訳なくたっていたら、
棺桶が突然開いて、人が出てきたわ。
もう心臓が破裂するかと思った。」

それぞれの宿がテーマを持っているのだという。
細い坂を下りていくと、
女装したおじさんがチケットを配っている。
そして、宿が近づいて来ると、家の前に白い装束に身を包んだ
ローマ法王が長椅子に横になっている。
参列者たちがキスをして過ぎていく。


farsang sofalva (4) 

家の門には、織物や刺繍のタペストリーなどがかけてある。
昔は、その冬中に出来上がった手仕事をかけて、
展示会のように皆が見ていったのだという。

「隣の奥さんとはいい、
ここでうわさ話をしてはいけない。」
という冗談みたいな詩の書かれたタペストリー。


farsang sofalva (7) 

家のお祈りの言葉をパロディにしたもの。
「信仰があるところに愛があり、
愛があるところに平和があり、
姑のいるところは、終わりである。」
強烈な詩を目の前に苦笑していたら、
横に立っていた村のおじさんが微笑みながら、
「いや、これは本当なんだよ。」と呟いた。


farsang sofalva (8) 

焼き菓子やドーナツ、スコーンのようなもの、
サンドイッチ、茹でたジャガイモにチーズなど、
ご馳走がならんだテーブルで私たちのようなよそ者は遠慮していると、
パンをこねる大きな桶にいっぱいのオープンサンドが運ばれてきた。
「手がふさがっているから、自分で取ってね。」
その気兼ねの無さに、私も手を伸ばした。


farsang sofalva (6)


住まいの近くのブルン村の謝肉祭でも
食べ物の振る舞いがある。
謝肉祭の醍醐味は、飲んで食って、大騒ぎをすることにあるからだ。
それでも、何十名ものお客をもてなすことに疲れ、
お宿となる家はだんだん減り、謝肉祭そのものも危ぶまれている。
しかし、この村においては、
観光バスで幼稚園児や保護者たちも合わせると
100名以上のお客を喜んでもてなす懐の広さを感じさせるのだ。
普段は静かであろうちいさな通りもこの日ばかりは人だかりになる。
 
farsang sofalva (11) 

長いテーブルにご馳走を広げて、
お宿の主人たちはこの滑稽な劇を眺めている。
人生でも最も悲劇的な事件でさえも、
パロディとして笑い飛ばしてしまう人々のおおらかさ。
「町の幼稚園から、毎年大型バスでここまで来るの。
謝肉祭といっても、町ではただの仮装大会にしかならないから。
大人たちがどう楽しむかを子供たちに見せることは大切だと思うの。」とカティ。


farsang sofalva (10) 

わら人形のイッェーシュは、
冬の象徴としてこの日の生贄となる。


farsang sofalva (18) 

こうして6箇所のお宿を回る頃には、
寒さで体が凍えてくる。
そして、繰り返されるお葬式の台詞や歌を自然と口ずさめるようになる。
知らず知らずに、「ヤーィ!ヤーイ!」と悲しむ掛け声をかけている。


farsang sofalva (23) 

村の中心に戻ってきた。
可哀想なイッェーシュは体を引き裂かれ、火をつけられる。


farsang sofalva (26) 

燃える炎を囲んで、
人々は歌い、踊り、歓喜し、冬と決別する。
葬式であるのに、人々の顔は晴れ晴れしい。


farsang sofalva (28) 

farsang sofalva (39) 

最後に大きな輪になって踊る村人たちを眺めていたら、
輪の中で踊っていたカティが私を呼んだ。
私も輪の中に入り、見よう見まねで楽しんだ。

共同体の力の素晴らしさを感じていた。
皆でお互いを助け合い、いっしょに苦労も楽しみも分かち合う。
それがちいさな村の良いところだ。
しかし、21世紀の世の中では、
こうした昔ながらの価値観がゆらぎ、
人々は共同体からだんだん遠ざかっていってしまった。

参加者のおばさんと話していた時だ、
「この大騒ぎは今日で三日目よ。
かれこれ20年はこの行事に参加しているけれど、
私たちにとってはお祝いなの。」

お酒を飲んで酔い加減のおじいさんがカティと話していた。
「またこの村に遊びに来なさい。いつでも歓迎するから。」

長身で美しい金髪のカティの姿が輪の中に見えた。
踊りが終わり、村人たちと別れの抱擁やキスをしているのだった。
この愛らしい人々と別れ、暖かい思い出を胸に村を離れた。
春に向けての、大きな一歩を踏み出した。






comments(6)|trackback(0)|セーケイ地方の村|2019-03-21_21:22|page top

新年のあいさつ

セントジュルジの裏に広がる大きな森、
小川に沿った道筋をどこまでもいくと、
アーラパタク村にたどり着く。
月に一度、村のピロシュカおばあさんを訪ねるのが習慣になっていた。

慌ただしかった年末に、何か月かぶりに村に立ち寄った。
秋に一度、ずっと姿を見せないので心配して私の留守中に電話があったという。
眠る次男を腕に抱いて車の中で待っていたら、
寒い中、わざわざおばさんが通りまで出てきてくれた。

ある日曜日、楽しみにしていた教会の礼拝にも行けず、
部屋をそわそわと歩き回り、気持ちが落ち着かなかった、独り身の辛さを訴えた。
しわしわの手を握って、話を聞いてあげることしかできなかった。
私などは家族に囲まれても心が定まらない日があるのに、
子どももなく、夫に先立たれたおばあさんの気持ちは計り知れない。

月に一度、旦那たちがブラショフの町に出かけている間、
娘とふたり、おばあさんの家で待たせてもらった。
刺繍をしたり、おしゃべりをしたりしながら時間をつぶした。
飽きると、讃美歌を取り出して、いっしょに歌を歌ったりもした。

「私は毎年、新年がくるとこの詩を色々な人に聞かせるの。」
と一枚の紙を取り出し、詩を朗読してくれた。

今までの私なら、何ということもなかったのであろう。
しかし、40の扉を開き、
海外在住10年目の年の終わりに次男の大病に見舞われた私の心に
その言葉は大きく響いたのだった。
その一枚の紙きれの言葉を書きとった。
80を過ぎたおばあさんは、新年を迎えるにあたり、
この一年の行く末をいかに案じ、
新年のその日をいかに重く受け止めていたに違いない。


「今ちょうど、新年の明け方の前にきています。
果たして、皆そろって日暮れ時までいることができるでしょうか。
この新しい年に、私たちの人生の道はいずこへ続くのでしょうか。
いばらか、それとも花の道か、
それは神さまのみが知ることです。
神さまが真実の道へと導き、
私たちの歩み全てをつかさどるのです。
どうか、この小さな幸せなる巣を嵐から守ってください。
健康と幸福と、楽しい笑いと鈴の音を、
どうか神さま、私たちに恵んでください。
新年、明けましておめでとうございます。」













comments(2)|trackback(0)|トランシルヴァニア食文化|2019-02-25_18:42|page top

黒い天使

次男の病気のことが分かり、まだ混乱の最中にいた頃、
「明日ブカレストへ行くから、家から荷物があったら届けてあげる。」とメッセージがきた。
そんなに急ぎでもないので、郵便でも送れないことはなかったのだが、
彼女の好意に甘えることにした。

その頃は病院の付き添いに姑がいてくれたため、
私は外のホテルに滞在していた。
日本から慌てて荷造りをしてきたため、
冬の寒さに備えた衣服がなかった。

木枯らしの吹く寒い晩秋、どんよりと厚い雲が空を覆っていた日、
病院に彼女が到着した。
いつものように黒い衣装に身を包んだ彼女は、
これからプロィエシュティでコンサートがあるという。
彼女の次女は、娘の幼稚園のクラスメイトである。
産まれて四ヶ月で、次女のアビは心臓の手術をしなければならなかった。
「その頃は、私はコンサートでドイツに行かなければならなくて、
一番辛い時期に、スターの役を演じなければならなかった。」
そうして手術後は、集中治療室で一日30分しか娘の姿を見ることができなかった。
「そんなときは、私は外を思い切り散歩したわ。」

私も同様に、午後の3時から8時までの
面会時間だけしか次男と会うことができなかった。
次男のそばにいる時は安心して笑顔でいられたが、
離れてホテルの部屋に一人でいるときは、
心細さで押しつぶされそうだった。

殺風景な待合室で、椅子にもかけずに彼女は話してくれた。
アビの主治医に先日会って、息子の手術を担当する医者について尋ねてくれたという。
「大丈夫。イリエスク先生は、この病院で一番のお医者さんで、
人間味あふれる人だとの評判だそうよ。」
彼女も、娘さんを良い医者の手に託すことにし、安心できたという。
医師としての評判はもちろん、いつも穏やかで人の心が解る主治医に恵まれた、
私も同じ心持ちだった。

私の衣服の詰まったリュックとともに、
袋いっぱいの差し入れを手渡してくれた。
思いの他、長話をしてしまったことに気がつき、
ふたりの娘さんは車の中で待たせていることがわかった。

別れ際、彼女の目に涙が浮かんだ。
私も同様に涙していた。
肩を抱きしめ、「あなたは強くならなくちゃ。」と言った。
「そうするわ。」と約束をした。
颯爽と病院の扉を開けて出て行く彼女の姿は、
黒い天使そのものだった。

ジャズシンガーのルイザ・ザンの歌声は、
強く、そして優しい。
彼女の人柄そのもの。

あれから3ヶ月。
次男の検査の前日、私は彼女のコンサートへ向かう。
どうしても今、彼女の歌声から力を得たいから。

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comments(0)|trackback(0)|トランシルヴァニア食文化|2019-02-21_17:49|page top

貝戸さん一家

1月になり、待ちに待ったお客様がやってきた。
貝戸さん一家だ。
「最後にここに来たのは、8年も前なんです。」
そう言われて、意外に思われたのは、
私たちが毎年のように日本で会っていたからだろう。

当時、14歳の長男は幼稚園生だったし、
その頃はまだご夫妻にも子どもはいなかった。
1年ほどルーマニアに滞在をして、
それから日本へ帰り、やがて可愛い子どもさんたちが誕生して、
親子で数ヶ月をルーマニアで過ごすためにやって来られた。

日本では住まいを美しく、嗜好を凝らして丁寧な生活をされるお二人。
ルーマニアでもどこかの村で美しい家を探されるのだろうと思っていた。
そして、去年の夏に見初めた家のことをふと思い出し、
シク村の住まいを勧めてみたところ、喜んで借りたいとの返事がきた。
私たちもこの夏に何度か家族で村での生活を試みた。
しかし、今回の滞在は冬となるので、
夏場のようには生活が楽ではない。
深く考えずに勧めてみたものの、
生活に苦労されないのだろうかと気が掛かりだった。
村のほとんどの家は、街と変わらない快適な住まいであるのに対し、
その古民家にはガスや水道がない。
暖をとるのも、ひとつの薪ストーブだけである。
私たちもまだ冬の古民家の暮らしは未経験なので、
どれだけ寒さが防げるかわからない。

村の生活は確かに大変だけれど、
薪を割ったり、水を井戸で汲んだり、
日本ではできない生活ができて感謝しているとメールにあった。

一家が村に到着したのは、ちょうどクリスマスの頃。
旅行が好きな一家はすぐにマラムレシュへ出かけ、
クリスマスの夜にレストランを探そうとしたものの見つからず、
駅で尋ねた二人のおばさんがそれぞれクリスマスのご馳走をかかえて来てくれたという。
また、マラムレシュからの帰りはお正月で、村へのバスがなかったため、
タクシーを見つけてお願いしたら、
遠く離れているのにもかかわらず、運転手はお金を受け取らなかったとも話していた。

10年以上暮らしている私ですら、
本当にそんなことがあるのだろうかと感心するような奇跡のような出来事が
彼ら一家には起こってしまうのだ。
現地の言葉は流暢でないのに、
人々とどこか通じ合う力を持っているのだろう。

シギショアラを旅して、セーケイ地方の我が家に一家が到着すると、
4人の子どもが何倍にも膨れ上がったかのように、元気いっぱいに遊びはじめる。
特に、幼稚園に行けずにいた次男は日本のお客様に大喜びをした。

町外れのいつものソリ場へと出かけた。



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真っ白な雪が溶けてしまわないようにと願っていたら、
一家が来る日まで残っていてくれた。
ソリは人数が多ければ多いほど楽しい。

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この美しい丘の風景が、トランシルヴァニアの日常をいかに豊かにしてくれたか計り知れない。
春には真っ赤な野いちご、夏には香り立つタイムの花を摘み、
秋にはローズヒップが実り、冬には白い雪で覆われる。

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急斜面の坂は、ソリ遊びに打って付け。
雪が降ったあとの週末には、親子や祖父母など大家族でソリに繰り出す姿も見られる。
すでに土色の大地がまだらに姿を現し、
雪まみれと泥んこになりながら、お腹いっぱい遊んだ。

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翌日は、炭酸水通りの古民家へ散歩がてら出かけた。
家でお絵描きをしていたら、
長男のガックンが日の丸を描いて、日本の国旗を作った。
それを娘も真似をして、それぞれ4人に旗ができた。
「ヤパーン、バール!ヤパーン、バール!」
ガックンが叫びはじめると、皆が続いて掛け声を上げた。
「あなた、日本人?」とよく言われるから、
それを覚えたのかなと思っていたら、
「僕は日本人だ。僕は日本人だ。」と言いたいのだとわかった。
大人3人+ちびっこ4人の日本人の群れに、
この町の人たちはさぞ驚いたに違いない。


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ちいさな橋を渡って、
町で一番古い城塞教会が見えてくる。
この教会のそばに、古民家がある。
「みーちゃん、元気になってよかったね。」
「みーちゃん、可愛いね。」
とやさしく接してくれる貝戸さん夫妻、
そしてふたりの楽しいお友達に囲まれて、
子どもたちも私たちも楽しくあっという間の二日間だった。

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三日目の早朝、
町がまだ寝静まっている頃、
貝戸さん一家はブルガリアへ向けて旅立っていった。
comments(0)|trackback(0)|セーケイ地方の村|2019-02-19_00:00|page top

ふたつのランドセル

はるか海のかなたから小包が届くと、 
子どもたちは我さきにと駆け寄ってきて、
何が入っているのかと尋ねる。
日本とは違い、受け取る側もわざわざ町の中心部の郵便局まで出かけ、
週に二回、数時間しか開かない国際郵便の窓口で
長蛇の列に並ばなければならない。
しかし、送る側の苦労は言うまででもない。
ここでは手に入らない食料品やお土産など
3ヶ月後に受け取る相手の喜ぶ顔を思い浮かべ、
英語訳つきのリストを作成してから、
重い荷物を郵便局まで運び、さらに高い輸送料を払うのだ。

1月になり、我が家に届いた重い荷物の中身はランドセルだった。
日本では祖父母が孫のために贈るのが習わしであるという。
早いもので長女もこの6月に6歳を迎え、秋には小学生になる。
日本でもランドセルを買ってあげようかという話になり、
店まで見に出かけたが、あまりに高額なのに閉口して買わなくていいと告げると、
残念そうだった父親の姿が目に浮かぶ。

やがて母が、パッチワークの生徒さんからお孫さんのものを譲ってもらったと話した。
「そんな重いものを、良かったのに・・。」と高価な送料を気にして思わず口をついて出たのだが、
大切に新しいタオルで包まれて海を渡ってきたふたつのランドセルを手にしたとき、
親御心のありがたさが手に取るように分かり、はっとした。

幼稚園から帰ってきた娘に、
6年間使用したとはとても思われないほどの綺麗なランドセルを見せると、
目を輝かせて喜んだ。
「日本の学校に持っていくね。」と背負ってみてから、鏡を見てさらに顔をほころばせた。
もうひとつのランドセルは・・と考えていたら、
娘がまだ3歳の次男に背負わせた。
ものを入れたらひっくり返るのではないかと思われるほどの、大きな黒いランドセル。
次男も満更ではないようすで、部屋の中を駆け回っていた。
教科書やノートの代わりに、玩具の車やぬいぐるみの入ったランドセルを背負う。


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幼稚園の前の公園で遊ばせているときに、
ふたつのランドセルを見つめていた。
いつか二人が小学校にこのランドセルを持っていける日がやってくるように、
健康であってほしいと祈るような思いでいた。
ランドセルを贈ってくださった方、
小包で送ってくれた両親にこの場を借りてお礼を言いたい。

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