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トランシルヴァニアへの扉 - Erdely kapuja-

古きよきヨーロッパの面影を残す、トランシルヴァニアへの扉をそっと開いてみませんか?

::自己紹介::

谷崎 聖子

Author:谷崎 聖子
1978年宮﨑生まれ。
大阪外大、ハンガリー語学科卒業。
ブダペスト大学で民俗学を専攻。
ルーマニア、トランシルヴァニア地方のフォークロアに惹かれて、セーケイ地方に移住、結婚。
三人の子育て中。

伝統手芸研究家。
トランシルヴァニアの文化、手しごとを広める活動をしています。主な著書「トランシルヴァニアの伝統刺繍 イーラーショシュ」、「カロタセグのきらめく伝統刺繍」。

東欧雑貨ICIRI PICIRIFOLK ART Transylvaniaのオーナー。

詳しくは、森の彼方-トランシルヴァニアへの扉をご覧ください。

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トランシルヴァニアへの扉  - Erdely kapuja-のRSSフィード

ブログ翻訳

コロナ禍のトランシルヴァニア

3月9日に非常事態宣言が出て以来、
私たちの日常は大きく変わった。
子供たちは朝学校や幼稚園に行く代わりに、
夏休みのように一日中家にいる。
オンライン授業というとってつけたような手段にも慣れず、
あたふたと戸惑う学校側の様子が手に取るようにわかるようだった。
中途半端なことはせずに、
この状態が続くうちは仕事をきっぱりと忘れようと思った。

思えば、私たちの日常とは
社会が押し付ける価値観に則ったものであるといっていい。
学校教育がはじまると、朝から晩まで子供たちは学校で過ごす。
幼稚園では、学校への慣らしとして、
朝ごはん前に幼稚園へ連れていく。
朝ごはん、昼ごはん、お昼寝、おやつを食べたころに親が迎えに行く。
共働きの家庭にとっては大助かりなのだが、
要は、平日は教育機関に子供を任せきりなのである。

しかし、最終的に子供を育てるのは親であることに変わりない。
私たち親は、朝と夕方からの限られた時間の中で、
子供たちをしつけ、育て、その行動に責任をもたなければならないのだ。

自宅で過ごそう、ステイホームを合言葉に、
2部屋のアパートで5人家族がひしめく我が家で、
自宅学習、自宅遊びが始まったのだが・・・。
高校1年、小学1年、幼稚園年中という年の離れた兄弟が
あっちで遊び、こっちで勉強というのがなかなかうまくいかない。
その中でも家事はノンストップだ。
春から初夏へと流れる、一年で最も美しい季節を
窓の外からだけ感じるのも忍びない。
思春期の長男は、ともすると朝から晩まで
パソコン、タブレット、携帯という三種の神器を振りかざし、
家から出ようともしない。

そんな時、近所のスーパーで知人イロナに出くわした。
入場制限のある店内。
お互いに遠く離れ、マスク姿で品を選ぶそぶりで会話した。
買い物を終えて、家に帰ると
思い切って彼女を電話で呼び出した。
すると、彼女も二人の子供を家で持て余しているという。
森を一緒に散歩していた知人家族とも連絡が途絶たという。
彼女は遠く離れた村で牧師をしているが、
子供たちの教育のために生まれ育った町を選んだ。
彼女の夫ははルーマニア人で、普段はブカレストの
生物学研究所で働いている。
その夫がウィルスの研究をしていて、
まさにコロナウィルスの試験をする担当だという。

彼女自身は、子供たちの精神衛生上、
自宅謹慎はよくないと考えているようで、
その日から、長男とアーロンが自転車で出かけたり(スポーツ目的の運動は許されている)、
イロナの家に遊びに行ったり、
炭酸水通りの我が家の庭に遊びに来たりという交流が始まった。

2か月超におよぶ自宅謹慎の中で、
庭つきの家があるというのは何ものにもまさる宝だ。
炭酸水通りの家へ毎日のように通い、
いつの間にかそこで泊まり、過ごす日が長くなった。
今年初めて、心から畑をしたいと欲するようになった。
先の不安な世の中で、食べ物を自分たちの手で作ることができることは
大きな安心感を与えてくれるからだ。
3月から4月にかけて、しっとりと水分を含む黒い土、
中で眠っていた小さな虫たちが目を覚ますのを見ているだけで、
何とも言えぬ満ち足りた思いだった。
飛行機ひとつ飛ばない空はいつもより青く澄んでいて、
排気ガスが少なくなった町の空気も目に見えてきれいになった。

ki (2)

警察や軍隊が目を光らせる中、
隠れて悪いことをする子供のように、森のはずれまで自転車で出かけて行った。
炭酸水通りは、もう町のはずれの自転車道路に続いている。
森まで1キロ半といったところだろうか。
後ろに次男を乗せ、自転車を乗り始めた長女をしたがって、
炭酸水通りの小さな小川を眺め、
自転車道路に出ると、原っぱで放牧している馬の群れに挨拶をする。
さらに先に進むと、そこはもう森のはずれ。
くぼみに自転車を隠してから、
太陽の降り注ぐ森で目覚めたばかりの真っ白な「そよ風のバラ」や
輝くような黄色の「カエルの花」、細く優雅なカタクリの花や、
まるで森の精そのものように神秘的なクリスマスローズ。
そうした花を愛で、小鳥の歌声に耳を傾けているだけで、
緊張で固まった心が浄化されていく。

ki (1)

4月の終わりに誕生日を迎えた長男、
イロナの家族を呼んで誕生会をひらいたこともあった。
森のはずれにあるドボイ村の家に出かけ、
静かな環境に身を置いたこともあった。

ki.jpg

驚くことには、社会の影響を強く受ける町では
精神的に圧迫感を常に感じていたのだが、
村の生活は以前とほとんど変わらないということだ。
社会がどのような混乱に見舞われても、
村では何もかもがマイペースにただ流れていく。
特に自宅学習をする友人宅では何もかも変わらずに、
(友人が訪ねてこないことを除いては)
いつもと同じ日常が続いているとのことだった。

今日、長い非常事態宣言が解けた。
私たちの生活に精神に大きな影を落としながら、
それでも、この状況で多くのことを学んだ。
ルーマニアでは学校はこのまま閉鎖され、そのまま夏休みに入る。
私たちは、これまでの生活をどのように変えようか、
何を取り、何を捨てるかという選択の自由があるならば、
今こそ真剣に、深く考えなければならない。




















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comments(0)|trackback(0)|ルーマニアの育児|2020-05-15_08:29|page top

ザ・龍之介

7BookCoverChallenge  第7日目
ザ・龍之介 第三書館
芥川 龍之介 1892年〈明治25年〉- 1927年

いよいよ最終日、ふたつの本が候補にあって、どちらにしようか迷い続けていた。
趣味のための本を選ぶことができなかった私を変えてくれた本。
ハンガリーで留学時代に、たまたま日本の本と思って手に取り、
何気なく手に取り買ったのが、20世紀初めの古本。(この本が見つかりませんでした)
ハンガリー語のタイトルは「日本のデカメロン」。
名前はえっ?という感じだが、官能性を感じさせる珠玉の小説が集められている。
19世紀末のセセッション(アールヌーヴォー)に魅了され、研究テーマにも選んだ学生時代、
その薫り高い美意識が同時代の日本の文学界にも息づいているのを感じた。
日本の文学黄金期、明治末、大正時代の作家のスター作家の作品が並んでいたように記憶している。(谷崎潤一郎、樋口一葉、川端康成・・­)
そして、それぞれの作品の前に作者の紹介もしてあるところが丁寧だ。
ハンガリー語の訳も素晴らしく、のちに日本語で親しんだ内容とまったく違和感がなかった。
ハンガリー語で唯一完読した文学書が、日本文学だった。
中でも、芥川龍之介の袈裟(けっさ)と盛遠(もりとお)の独特の緊張感、
刃のような言葉の切れ味にぞくぞくとした。

日本に帰国して、BOOKOFFでわずか100円で買い求めたのが、この芥川集だ。
まるで蚤のように小さな文字で、安いわら半紙に印刷されているが、
全作品が収録されているという。
ページをペラペラとめくり、気になったところを拾い読みするという手法で、
芥川の作品に親しんだ。
短い文章の中でまるで写真のように、人生の断面を切り取る美しさ、その無駄ひとつない文章。
西洋文学と日本文学、漢文学という3つの要素を吸収した芥川は、
大正時代という文化的精神的にひとつの黄金期を迎えた時代に
生まれるべくして生まれた才能ではないだろうか。
芥川は、『今昔物語集』、『宇治拾遺物語』などの説話文学に着想を得た作品を数多く残していて、前回の小泉八雲の作品にも通じる、怪異的なモチーフを見事に作品の中に生かしている。
また、キリシタン文学を題材にしたものも多く、日本における異文化を存分に味わうことができる。
芥川の晩年は不幸にも神経を病んで、自死を選ぶことになるのだが、
遺稿のひとつ、「人と死と」という作品の中で、このような問答がある。

作者 あなたは、いつでも、獨りで、さみしくはありませんか。
月 ちつとも、さみしくはないよ。
作者 さうですか。私は、友だちが大ぜいゐてもさみしくつて、仕方がありません。
月 友だちが澤山ゐるから、さみしいんだよ。
・・・・・・・・・・・・・・
作者 あなたは、いつでも、空ばかり歩いてゐて、さみしくはありませんか。
月 ちつとも、さみしくはないよ。
作者 さうですか。私は、仕事が澤山あつてもさみしくつて、仕方がありません。
月 仕事が澤山あるから、さみしいんだよ。
・・・・・・・・・・・・・・・
作者 あなたはようござんすね。
月 何故だい。
作者 いつでもさうしてゐるでしせう。銀貨のやうに白くなつたり、縫針のやうに細くなつたりしてもやつぱり、ちやんとさうしてゐるでせう。所が人間はさうは行きませんよ。
・・・・・・・・・・・・・・・
作者 私は、又、死ぬ事を考へると、何時でもきつと、さみしくなつてしまひますよ。
月 さうかい、私は死ねない事を考へたら、急にさみしくなつてしまつたよ。

わずか36歳で人生を閉じた芥川が、3人の息子に「芸術家にはなるな」との遺言を残したらしい。
しかし、長男は俳優、次男は詩人、三男は作曲家(芥川 也寸志)という風に、
芸術家の遺伝子はしっかりと受け継がれていったようだ。
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中島敦

7BookCoverChallenge  第6日目
中島敦(なかじまあつし) 1909-1942 筑摩書房

漢学者の家系に生まれた中島は、豊かな教養と格調高い文章で知られる。
ここに収められている小作品の数々は、古代中国のみならず、
オリエント地方や彼が晩年に赴任した南方パラオ島に着想を得たものなど、幅広い。

古代アッシリアを舞台にした「文字禍」という作品がある。
古代社会で文字を知ることによって、生まれる弊害に翻弄される人々が
ユーモアを混ぜて書き綴られている短編である。

「文字の無かった昔、歓びも智慧もみんな直接に人間の中にはいって来た。
今は文字のヴェイルをかぶった歓びの影と智慧の影としか我々は知らない。」

私たち大人が文字の力に頼ることの多いことに気が付いたのは、長男が幼稚園生の時だった。
日本のわらべ歌を教えにいったのだが、
幼稚園の先生は文字に書かないと日本語の歌詞が覚えられないのに対して、
まだ文字を知らない子供たちはいともたやすく耳から入ってくる日本語をインプットしたのだった。
6歳の長女はまだ文字を多くは知らない。
絵でどんなことも記号化して、彼女なりの思考で記録している。

中島がパラオの見聞した、または実体験の出来事を題材にした南方ものの作品も興味深い。
「夫婦」という作品の中では、痴情にからむ女同士の喧嘩(ヘルリス)について言及している。
村人が監視する中で、戦いを繰り広げる。
それも衣服が裂けて、ついに立てなくなって勝敗が決する。
勝者は村人から祝福を受け、正しき者との判断も下されるというのだ。
この話の中では、腕っぷしが強く、浮気者、しかし焼きもち焼きというどうしようもない妻と、
気の弱い彼女の夫、その恋人となった美しく、若く、強い女性との三角関係が
ユーモアたっぷりに描かれている。

「マリアン」では、中島と友人の人類学者、土方久功(ひじかたひさかつ)、
そして日本語、英語に堪能なパラオ人のインテリ女性マリアンとの交流が語られる。
ミクロネシア系の特徴をもつマリアンの中に美を見つける筆者の感性も素敵であるし、
彼女を通じて当時のパラオの風土や習慣がよくわかる。

池澤夏樹氏の論評のところで、一般に作家は性格の悪い人が多く、
親しく付き合いたい人間は少ないが、中島となら一緒に南の島々を回ってみたかった、
というのが印象深かった。
「山月記」しか知らない方々には、この南方の作品群に著者の意外性を発見することだろう。
ちくま日本文学シリーズは選出も良好で、装丁も美しく文字も読みやすいのでお勧め。
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小泉八雲集

7BookCoverChallenge  第5日目
小泉八雲集

小泉八雲、またの名をラフカディオ・ハーンLafcadio Hearnという。
1850年 - 1904年(明治37年)

アイルランド人とギリシャ人の血を受け継ぐ彼が、
新聞記者として日本の地を踏んだのは1890年(明治時代)だった。
侍の娘セツと結婚し、95年に日本人に帰化、
1904年に逝去するまで数多くの著書で日本の文化を幅広く紹介した。
日本語の読み書きはできなかったようで、
すべて口承で怪奇なもの、霊的な話を採集、記録し、彼独自の文学作品へと昇華した。
この本には、「怪談(kwaidan)」に代表される小説だけでなく、
「知られぬ日本の面影(Glimpses of Unfamiliar Japan)」のような文化的考察の論文や
エッセイに近いものまで収録されている。

彼の出会った日本は、モースなどの写真にも見られるような、
江戸時代までの古き良き日本の名残をとどめていた時代だったのだろう。
彼の外部からの、愛情深い眼によって、
西欧化近代化によって失われつつあった日本人の心情、
精神世界の美しさは丁寧に摘み取られ、花ひらく。
その愛情と敬愛のあまり、彼は日本人そのものに同化しようと試みる。
彼のような知識人を当時迎えた日本は幸運だったに違いない、
後に花ひらく日本の文学界にも多大な影響を与えたのは間違いない。

日本人の微笑(the japanese smile)という論文がある。
当時の西欧人に理解がしがたかった日本人のもつ微笑の意味を探りつつ、
日本独特の精神文化を論じている。
あるとき年老いた侍が主人の英国人の怒りに耐えた末に微笑を見せた。
その数日後に切腹をしたという話。
英国夫人の手伝いの女性が、亡くなった夫の骨壺を見せて笑ったという話。

この微笑は、日本人の誇り、奥ゆかしさ、他人に対する敬意様々なものを隠し持っているという。
作品はこう締めくくられている。

「現在、日本の若い世代の人たちがとかく軽蔑しがちな過去の日本を
・・・いつの日かかならず日本が振り返って見るときがあるだろう。
素朴な歓びを受け入れる能力の忘却を、純粋な生の悦びに対する感覚の喪失を、
はるか昔の自然との愛すべき聖なる親しみを、
また、それを映していた今はほろんだ驚きべき芸術を、懐かしむようになるだろう。
・・・おそらく、そのなかでもっとも驚嘆するものは、古い神々の温顔ではなかろうか。
その微笑こそが、かつての日本人の微笑にほかならないからである。」

私が彼の名を知ったのは、単身赴任で松江に一人暮らしをしていた父を訪ねた時だった。
旦那とまだ赤ん坊だった長男を連れて、ラフカディオの愛した松江の町を歩いた。
古風な町のあちこちに、かつて彼の見たであろう、
さまざまな霊や魂、神々の姿が今なお隠れ住んでいるような気がした。

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リンゴ畑のマーティン・ピピン

7BookCoverChallenge  第4日目
リンゴ畑のマーティン・ピピン エリナー ファージョン著 石井桃子訳

唯一の西洋文学は、イギリスの児童書として知られるこの本。
しかし実は、戦時中にとある兵士にささげられたれっきとした大人向けの恋の話なのだ。
ファージョンの豊かな想像力でこしらえられた極上の恋物語に、
イギリス南部サセックス州の美しい自然、草花の名前がいきいきと色彩を添えている。
リュート弾きの旅人マーティンピピンが、
6人の乙女たちに語る恋物語が彼女らの心をとかし、
秘密の鍵で捕らわれの身の領主の娘を助けるというもの。
歌うたいが語る今まで聞いたこともないような恋物語の数々が、
どれもが甲乙つけ難いほど逸品で、無垢な心を取り戻してくれる。
いつか子供たちに読んでほしい、こんな美しい恋をしてほしいと願ってやまない。

たとえば「夢」という言葉は一見ありきたりのようでいて、
ファージョンの文章の中で出合うと心が洗われるかのように鮮明に印象づけられる。
第三話目の「夢の水車場」という話がある。
17歳の心のまま大人になった37歳のヘレンは、水車場に閉じこもり、夢を糧に生きている。
二十年の間、ただ一人の少年のことを想い、彼女の想像は果てしなく世界をかけめぐる。
ヘレンの想像の中のピーターは彼女にこう語る。

「いったい、ことばっていうものがどのくらいのことを語れるね?
ことばは日向をぐるぐる飛んでまわる鳥のように、真(まこと)のまわりをまわるだけだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
おれたちは、相手のことばに耳をすます。しかし、おれたちが見つめるのは、相手の目だ。」
この章を読み進んでいくと、ヘレンが、ファージョンその人のような気がしてならない。

物語の最後に、ファージョン自身が作曲した、
物語の中で出てくる子供たちのわらべ歌のようなものが楽譜つきで掲載されている。
長男に作曲プログラムに打ち込んでもらったら、
中世ヨーロッパを彷彿させる素晴らしいメロディーだった。
いつか生の演奏で聴いてみたいものだ。
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荘子―古代中国の実存主義

7BookCoverChallenge  第3日目
荘子―古代中国の実存主義  福永 光司 著

ここまでは文学書ばかりだったのに、ここでいきなり新書。
私の人生に大きな影響を与えた一冊といってもいい、一冊。
中国哲学の研究者、福永氏の筆は文学と歴史、哲学の間を揺れ動く。
人間とはもろく、弱いもの。
それを否定することなく、ありのままに見る。
荘子の生まれた厳しい現実の中で、いかにして自由を得るかを探ったものが、
荘子の哲学であるという。
この本が素晴らしいのは、福永氏ご自身もまた、若くして戦地へ赴き、
荘子の哲学に魂を救われた存在であるからである。
トランシルヴァニアで生活をはじめて4年目、
これまで追い求めていたものが無意味なものに思われてしまう
精神的危機に見舞われた。
時は、古きよき欧州の田舎であるトランシルヴァニアが西洋に侵されてきた時期だった。
西洋文明、その言葉でさえも、私の東洋の血が拒みはじめ、
いつしか私の興味は古代中国文明に傾斜していった、そんな時に出会った本。
その数か月後、私はこの本をもって中国大陸をひとり旅していた。
無用の用、胡蝶の夢、朝三暮四など、よく知られる言葉もここで見られる。
人生を生きることをもっと楽に、シンプルに、物の本質を見ることができるはず。

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雨月物語

7BookCoverChallenge  第2日目
二日目は、雨月物語。

作者が「雨ははれて、月は朦朧の夜」に書き上げたことから題が命名されたという。
江戸時代後期の医者、上田秋成(うえだあきなり)の作を、
少年少女向けにやさしく現代語訳したもの。
児童文学作家として定評のある、佐藤さとるさんの訳なので肩肘張らず、
心地よくスッと入ってくる。
実は、長男の勉強のために買ったのが、私の方が夢中になって読んでしまったという本。
9つの不思議な話が、一見別々のもののようでいて、
実は主題という意味で連結しているという完成度の高い作品。
不幸な晩年を送った死者と高野山を訪れた僧(生者)の意思が通じあることの不可を説いた恐ろしくも悲しい話、死者が生者の前に現れ、約束を守る義理人情の話、
離れ離れとなった夫と不幸な妻の話・・・。
中でも、圧巻なのは「蛇性の淫」で、蛇女に目をつけられた男が、
地獄の果てまで追いかけられるという、ホラー映画のような話。
映画化され、カンヌ映画祭で受賞したことでも有名。

日本文学のみならず、文化一般において言える独特の美しさは、
この死者の魂が生きる者と密接に結びつくところだろう。
いつか、トランシルヴァニアのとある文学の会でこの本を紹介しようとしたところ、
教会の施設の中という理由で霊魂ものは不可と言われたことがある。
仕方なしに源氏物語に話を移したのだが、ここでもやはり怨霊などが出てくるので、
どうしようもない。

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comments(0)|trackback(0)|トランシルヴァニア食文化|2020-05-06_00:00|page top

聊斎志異

7BookCoverChallenge  第一日
ブックカバーチャレンジを知っていますか?
今日から毎日一冊、大好きな本を紹介させていただきます。
本は全くというほど読まなかった10代、
それでも文章を読むことは好きでした。
私の本との出会いは遅く、20代半分を過ぎてからでした。
20代後半~30代前半にかけて読んだ本が、私の今の生活を豊かに潤してくれている気がします。
トランシルヴァニアとも、刺繍とも全く結びつかない本ばかり。
それでも、私の心の大切な栄養なのです。

第一日は、聊斎志異(りょうさいしい)
中国の清代の短編小説集。
作者は蒲松齢(1640年(崇禎13年) - 1715年(康熙54年))。
作者が収集した世にも不思議なお話の数々は、
まるで中国の千夜一夜物語。
キツネが化けた美女と幽鬼に同時に愛される男の恋物語や、
死して再び結ばれる男女の輪廻転生のモチーフ、
夜叉の国へ迷い込んだ商人の話
別れた男を祟る恐ろしい怨霊の話など。
中国の話はなぜこれほどまでに想像力豊かなのだろうと思っていたら、
大陸文化という多民族多文化と接する地理的、歴史的環境のせいでもあるのだろう。
登場する女性たちの自由奔放さ、明るく魅力的なことが印象的だった。
誰もが好きなおとぎ話と怖い話が、当時の格調高い文章でつづられている。
清代の中国の情緒あふれる挿絵も素晴らしい。
厚い単行本2冊のボリュームにも関わらず、
あっという間に読み終えてしまうこと間違いなし。

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野いちごの谷へ

私たちの日常は、 この3月で大きく変わった。
3月半ばに学校が閉鎖され、
日常生活の中でもさまざまな制限が加えられた。
子供たちができるだけ、
この閉塞した空気に押しつぶされないように、
外に出ることを心掛けるようにしている。
公園もすべて立ち入り禁止となり、
表では遊ぶ子供たちの姿が消えた。
外出制限のため、昼の2時間の間は、お年寄りが列を作って店の前に並んでる。
町の中心は、まさにゴーストタウンに近い状態である。

散歩や運動のための、近所への外出は認められている。
そのためにルーマニア語の申請書を毎回書き、
いつも持ち歩かなければならない。

家から10分でたどり着く、大自然。
町のはずれの谷へと、子供たちを連れて向かった。
3月の半ば、まだ台地にはうっすらと緑の気配がみられるだけである。

  谷 (12)

冬にはそりをした下り道。
気を付けてゆっくりと下っていく。

谷 (11)

すっきりと晴れた青空に、
「ロバのとげ」が大きく伸びている。

谷 (9)


谷間には、湧き水からちいさな小川ができている。
足をぬらさないように気を付けて向こう岸にわたり、
小高い丘を登っていくと、
高層住宅もはるか向こうに見渡せる。


谷 (10)


だだっ広い原っぱの中に
ぽつんとひとつ巨大な岩が置かれている。
自然のほかには何もないこの場所で、
これだけがただ一つの遊具。
岩によじ登って遊んでいる。


谷 (5)


冬はそりをする老若男女でにぎわうこの丘も、
今はたまに犬を連れて散歩する人々がちらほらするだけ。
丘の上までかけっこをする。

谷 (3)


ここまでくると、もう森も近く。
四角い壁の中で朝から晩まで過ごした閉塞感も、
広々した場所にくると気持ちが一気に解放される。


谷 (4)


谷沿いに並んだ木々の中にひとつ、
黄色く輝くような木が目についた。
近くにいってよく見ると、
小さなネコヤナギの花だった。
古くから、イースターの象徴とされるのは、
卵のような形のつぼみだからだろうと思っていたが、
ひらいた花はまるでヒヨコのように明るい黄色。


谷 (7)


ぐるりと谷をしていると、
春が忍び足で近づいているのが感じられる。
もうすぐ野イチゴの花が咲く。
初夏になったら赤い熟したイチゴを拾いにこよう。
春の花はまだかと思っていたら、
娘が野生のドライフラワーの花束を作ってくれた。


谷 (8)


その翌日、一家で森に散策に行くと、
そこでは、いち早く春が訪れていた。
クリスマスローズやカタクリ、ニリン草などが落ち葉の中からちらほらと顔を出していた。
自然は、私たち人間界の悩みも不安にもお構いなしに、
たくましく生きている。
この春ほど、こうした自然のサイクルがありがたく、
そして自然の姿がうらやましくとも、神々しく思うことはなかった。
過酷な寒さにも地中で耐え忍ぶ植物のように、
私たちはもっともっと強くならなければいけない。




comments(0)|trackback(0)|自然、動物|2020-04-11_16:40|page top

トランシルヴァニアの謝肉祭(1)

2月も終わりに近づいたある週末、
私たちはアパーツァ村に来ていた。
ブルン村の謝肉祭の初めの部分を見てから、
近くの知人の宅を訪ねていた。
ご近所さんがやってきて、帰り際に
「今日の午後までここに残らないんですか。
2時から、謝肉祭があるみたいですよ。」といった。
すると、マルギットおばさんも驚いたように、
今日が謝肉祭の日だったんだと思いだしたようだった。

アパーツァとブルンは、川向かいに位置するので、
普通は謝肉祭が一度に開かれることはあまりないという。
というのも、謝肉祭の後には必ず村のパーティが開かれるのが決まりで、
近くの村からも人がやってくるからだ。
ただ、今年は諸事情によりアパーツァでは夜のパーティはなく、
謝肉祭だけが開かれるとのことだった。

例年よりは暖冬だったとはいえ、まだ2月。
一日中表にいると身も凍えるようになる。
謝肉祭の行列はどこから出発するのかと気をもんでいたら、
村の女性に声をかけられた。
花嫁の家が近くにあるから案内してくれるという。
「去年はうちの息子が花嫁だったのよ。」と誇らしげに
写真を見せてくれた。
「ちょっと待っていて。」と家に走ると、
謝肉祭の名物といえるドーナツを袋に詰めて手渡してくれた。
それはまだ、冷たい手の中であたたかかった。

花嫁の家に入ると、
軒先につるしたリースが目に飛び込んできた。
馬も美しく飾り付けられ、準備万端。


   apacai farsang (7)


「ちょうど新婚の夜が終わったところだよ。」と冗談めかしていうご主人。
着付けをすると聞いていたので中をのぞかせてもらうと、
すでに衣装に着替えたふたりが仲睦まじく並んでいた。


apacai farsang (8)


村のはずれの方ですでに行列がすでに集まっているという噂を耳にして、
通りを下っていくと、セーケイの少女と少年が晴れ晴れしく行進してくるところだった。

apacai farsang (11)


アパーツァはバルツァシャーグ地方のはずれに位置する。
厳密には、セーケイ地方に接するため、
衣装にもセーケイの影響が多くみられる。
嫁入り前の少女が装うパールタは、
まるで宝石箱をひっくり返したように
きらきらとした飾りがひしめいている。
男か女か判断するのが難しいほどの美少年。
その姿は気高く、貫禄すら感じさせる。


apaca.jpg


ドイツ系のザクセン人の影響をうけた街並みに
蹄鉄の音を響かせ、夢のように消えていった。


apacai farsang (12)


村はずれの一軒家の前に、
巨大な小屋を積んだ馬車が立っている。
昔はポルノ雑誌の切張りで、唖然としたのを覚えているが、
今はだいぶんマイルドになって
水着姿の女性の写真が貼ってある。
屋根の上にはススキの穂、コウノトリがとまっている。


apacai farsang (19)


こんなところにも村ならではのジョークとこだわりが感じられる。


apacai farsang (2)


馬車の後ろと上には、それぞれ二体ずつ人形を引いている。
ロメオとジュリエットの名前書かれた、
アパーツァの衣装をきたカップル。


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大きく門が放たれた庭には、
羊毛で身を覆った少年たち、仮装をした人々に楽団が集っていた。
パーリンカやドーナツで前祝をしているところ。


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手に小さなかばんをさげた少年たちは、
黒い正装をして、前には小花柄の愛らしいエプロンを結んでいる。


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やっと、花嫁花婿が到着して、
ブラスバンドの音色とともに行列が歩みはじめる。
馬はスカーフで結ばれ、
花輪を首にかけて、ポップコーンの飾りが楽し気な雰囲気だ。


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十字路につくと、村人たちが行列を食べ物や飲み物で迎える。
黒い正装の少年たちに、お金を渡す人も多くみられた。
小さな村が活気をとりもどす美しい場面である。




花嫁行列の最後にいるのは、クマと呼ばれる羊の毛をまとった少年たち。
鎖で体を縛られ、飛び跳ねながら、
カラカラと鉄の鈴の音を響かせ、もう突進していく。
予想のつかない動きを見せるクマの群れは、
祭りをいきいきと、面白ろおかしく味付けているのである。


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実は、このアパーツァは深刻な過疎化、ジプシー化に悩まされる村でもある。
美しい古い民家の並ぶ通りは過去の繁栄を物語っているが、
村はずれには、巨大なジプシーの地区が広がっている。
高齢化の進む昔からの住民(ハンガリー人、ルーマニア人)と
子どもの多い新しい住民(ジプシー)の対比が目にも明らかだ。
恐ろしいもの見たさにジプシーの子供たちが通りからやってくると、
このクマたちが弾丸のように追いかけるのだった。


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日ごろの恨みを晴らさんとばかりに追いかける少年たちの姿は、
屈託がなく、笑いを誘う。
陰湿でなく、明るい祭りの中で行われるため、
良い意味でのストレス発散になり、
祭りというものが、そこで暮らす住民にとって大切なものであるかがわかる。
またジプシーのいたずらっ子たちも、
幼心に怖いものを知り、彼らの行動の抑制にもなるのではないか。

小さな謝肉祭ではあったが、
予想以上に満足をして、アパーツァ村を出た。
次に目指すのは、この日二つ目のブルン村の謝肉祭。





comments(0)|trackback(0)|バルツァシャーグの村|2020-03-19_18:17|page top

「ひらけた眼で」

2月の終わりに、
私たちはクルージの町にいた。
今から20年以上前、大学生として
この土地を踏んで以来、私にとってここがトランシルヴァニアの門だった。
バベシュ・ボヤイ大学に編入し、
旦那と知り合ったのもこの町だった。
あれから、町は国際化、巨大化が進み、
学生時代の面影を残すのはわずかに旧市街しかない。

「ひらけた眼で」と呼ばれる、講演のシリーズがある。
世界各地で様々な経験をした人が、その個人的経験を語るというものだ。
90年からルーマニアも世界へ門を開いてから、
2000年代にはEUにも加盟し、
クルージには国際空港もできて、
世界を股にかける人も後を絶えない。
ユーラシア大陸、アフリカ、アメリカ、
さまざまな土地へ目的をもって赴いたトランシルヴァニアのハンガリー人が、
その経験を分かち合うというものだ。

友人のデメテル夫妻も、昨年の夏にこの場に呼ばれて、
ロシアのウドムルト共和国での日々や
昨年、町のダンスグループの学生たちとともに
ハンガリー人の遠い親戚であるといわれるウドムルトの地を訪れた経験を物語った。

司会役は、ラツコー・ヴァシュ・ローベルト。
友人によると、もともと劇団俳優の彼は
オペラ歌手としてもデビューし、
さては詩までも書くという多彩な才能の持ち主。
彼自身も、世界各国を訪れる国際人でもある。

彼が口を開くと、
とたんにその場はトークショーの空間へと早変わりする。
「皆さん、日本語が話せる人は少ないでしょうが、
日本発祥の言葉はたくさん知っているはずです。
アニメ、スシ、オリガミ、カラオケ、トヨタ、ヤマハ、スバル・・・。
スバルって、何を意味するか知っていますか?」
このように、遠く離れた国や文化をあっという間に
手の届く場所にもってきてしまう。
やがて、拍手に包まれて席についた。


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私がこの美しい記念館に初めて足を踏み入れたのは、昨年の秋だった。
ピアニストである友人が、ピアノのコンサートに誘ってくれ、
彼女の恩師であった、ジャルコシュ・マーニ・アルベルトについて話してくれた。
音楽教師でありながら、
シクやカロタセグなどフォークアートをテーマに絵を描いたという人物。
19世紀末の雰囲気さえ感じられるような、
幻想的な絵画はカロタセグの古い刺繍や織物の色である
紺と赤が基調となっている。
さらに部屋の一角には、彼の集めたカロタセグの調度品がしつらえてある。
そして記念館の責任者コーシュ・カティは、
トランシルヴァニアの偉大な建築家、文学者、政治家であったコーシュ・カーロイの孫である。


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カロタセグで暮らす、
ピアニストのレーカと画家のレベンテの子供たちも
はるばる駆け付けてくれた。


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トランシルヴァニアとのかかわりから、
トランシルヴァニアの手仕事にどのように興味をもったか、
日本で家族で暮らした日々に、再び日本の美を再発見したこと、
フィールドワークにあたって村でどのように日本人を受け入れてくれたか、など
二つの文化を並行した様々な質問が飛び交った。


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講演の最後には、サプライズもあった。
記念館の主催者コーシュ・カティや
司会者ラツコーの俳句詩集が贈れらた後、
観衆の中にいたシンコー・カタリンがカロタセグの教会の写真集を贈ってくれたのだった。
彼女は、80年代にイーラーショシュの図案集を収集した、村出身の民俗研究者。
かれこれ、7年ほど会っていなかった。


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風邪と長旅の疲れで頭はよく働かなかったが、
人々の温かな雰囲気に包まれて、1時間半が過ぎた。
クルージの町はすでにハンガリー多数の町ではなくなってしまったが、
その文化的生活は人々の努力によって支えられている。
今でも、ハンガリー人にとってトランシルヴァニアの中心地であることを再認識した。
こうして忘れられない夜は、幕を下ろした。


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comments(0)|trackback(0)|その他|2020-03-05_16:49|page top

祈り

カロタセグからの帰り道、
シギショアラのガソリンスタンドに立ち寄った。
日も傾きかけているころだった。

車を降りる旦那のところに、
一人のジプシー女性が近寄った。
棒に荷物をつるして、肩にかけた
見るからに物乞いのような姿の老婆だった。
「神様のご加護を・・・。」などを繰り返しながら、
何かを言い続けている。
なぜそんなに執拗についてくるのかとうかがわしく思っていると、
「ヘーヤシュ村まで連れて行ってって言っている。」と旦那。
こちらに意見を聞いてきたが、
「あなたの好きなように。」とだけ答えた。

ガソリンスタンドを出ると、
ジプシーの物乞いの子供たちが出口で待ち伏せていた。
そして、先ほどの物乞いらしき老婆もまだそこにいた。
旦那が支払いをしている間、
また来られると厄介だったので中に入って待つ。

おもむろに旦那が車の後部座席を片付けはじめた。
そこで、先ほどの老婆を載せていくことが分かったのだが、
私はどこか不安でいた。
もちろん貴重品はすべて私の身の回りにおいてあった。
無言で助手席に乗り、後部座席の後ろに
ジプシーの老婆が乗った。
その間も、先ほどの
神への感謝の言葉を唱えつづけていた。

車が動き、しばらく乗っていると
「神様、この人たちにご加護を与えて下さい。
子どももいますか。」と旦那に尋ねてから、
さらに子供たちのためにも祈りはじめた。
その祈りが延々と続くのだった。
ほかのジプシーの物乞いのように、
表面上で見せているのではなく、本物の信仰心からくる祈りであることがわかる。

曇り空からは小雨が降っていた。
後部から祈る傍ら、時々咳が聞こえてきた。
はじめ不安で仕方なかったのが、
だんだんとこの老婆に興味を持ちはじめた。

こんな時刻にどうして村に行くのだろう。
いや、きっと、彼女が病気のために
町の病院を訪れて、その帰りなのかもしれない。
行きは歩いてきたかもしれないが、
病気と疲れ、そして夜が近いために
差し迫られて(少し強引な)ヒッチハイクをしたのだろう。

私たちも若いころ、そして車がない7、8年前までは
ヒッチハイクをせざるを得ないことがよくあった。
やっと車という文明の利器を手にした今、
なるべく恩返しのために人を乗せるようにはしている。
それでも、マナーのない人も中にはいて、閉口することもある。

ルーマニアではだいたい公共交通機関の半分の値段の
お金を降りるときにお礼でするのが礼儀とされている。
一度カルパチア山脈の山間の町から
プロィエシュティの町まで乗った若い女性がいた。
子供連れで、大掛かりな荷物も持ち、
トランクに旦那の力を借りて入れた後は、
自分の気を引くようにおしゃべりをして、
1時間以上も乗った後、
降りるときには、道路の差し向かいのガソリンスタンドに入るように命令し、
旦那に荷物を下ろさせて、さようならだった。
いくらヒッチハイクで助けられた経験があっても、
こういう人間には腹が立つ。

多少の緊張もはらみながら、
だんだんと目的の村に近づいてきた。
「どこで降りますか。」と旦那が聞くと、
村のはずれの場所を差した。
お礼の言葉を告げて、老婆が降りた。

そこで、私は初めて
そのジプシーの女性の顔を見た。
彼女の顔に真剣さ、謙虚な面影が宿っているのを見ると、
自然とこちらも笑顔になった。
「さようなら。」と手を振ると、
老婆はドアを開けるように示した。
ドアから手を差し出すと、
その手に老婆はキスをしたのだった。
ドアを閉め、もう一度、私は笑顔で手を振った。

お金の問題ではない。
気持ちの問題なのだ。
良い判断をした旦那に感謝をしながら、
まるで右手に不思議な力でも宿ったかのように、
手の甲をさすった。














comments(0)|trackback(0)|その他|2020-03-03_08:29|page top