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トランシルヴァニアへの扉 - Erdely kapuja-

古きよきヨーロッパの面影を残す、トランシルヴァニアへの扉をそっと開いてみませんか?

::自己紹介::

谷崎 聖子

Author:谷崎 聖子
1978年宮﨑生まれ。
大阪外大、ハンガリー語学科卒業。
ブダペスト大学で民俗学を専攻。
ルーマニア、トランシルヴァニア地方のフォークロアに惹かれて、セーケイ地方に移住、結婚。
三人の子育て中。

伝統手芸研究家。
トランシルヴァニアの文化、手しごとを広める活動をしています。主な著書「トランシルヴァニアの伝統刺繍 イーラーショシュ」、「カロタセグのきらめく伝統刺繍」。

東欧雑貨ICIRI PICIRIFOLK ART Transylvaniaのオーナー。

詳しくは、森の彼方-トランシルヴァニアへの扉をご覧ください。

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トランシルヴァニアへの扉  - Erdely kapuja-のRSSフィード

ブログ翻訳

モルドヴァのサマーキャンプ

長旅を経て、ちいさな村ラーブニクに着くと、
通称「ハンガリーの家」と呼ばれるチャーンゴー団体が運営する宿舎で夕食が待っていた。
大皿にはたっぷりとあたたかな食事がのっている。
私たちは遅くに申し込んだため、宿舎ではなく、
チャーンゴーの家庭にお世話になる。

朝食を食べて、10時になるとプログラムがはじまる。
子どもたちは、徒歩10分ほどにあるルーマニアの小学校へ向かう。
先生たちと一緒に、ダンスと歌のレッスン。
  moldova (15) 
日本人の父親を持つヴィリくん、チャーンゴーのパウリナと手をつないで
遠足感覚で学校へ通う子どもたち。
どうやら次男が最年少のようだ。

moldova (16) 
その間に、大人向けのフォークダンスか楽器の授業が開かれる。
モルドヴァのダンスは、輪になって踊るものが多い。
カルパチアから西は、カップルダンスが主なのだが、東へ向かうとダンスも変わる。
音楽も、抒情的なトランシルヴァニアのそれに対して、
モルドヴァは陽気でスピーディである。
笛、ヴァイオリン、コプザと呼ばれる中世起源のギターのような楽器の中から選べる。

やがて、チャーンゴーのおばあさんに民謡を学ぶ時間がきてから、昼ごはん。
午後になると、毎日違う村からチャーンゴーのグループが
歌やダンスのショーをしてくれる。

子どもたちは、その間、手仕事の時間。

moldova (13) 
学校の前には、3台の機織りが置かれていて、
チャーンゴーのおばさんたちが機織りを見せてくれる。

moldova (14) 
美しい帯や巻きスカート、タリスニャと呼ばれる肩掛けかばんは、
手織りで作られている。

moldova (11) 
クレージェ出身のチャーンゴーのおばさんが、刺繍を教えてくれた。
シェルベットと呼ばれる、婚約の印のハンカチは、見事な刺繍が添えられる。
男性はそれを帯の間に挟み、教会に出かけるので、
花嫁の刺繍の技は村中の目にさらされることになる。

moldova (3)

残念ながら、現在は手織り布は使われず、
市販の粗い目の布に、化繊布で刺繍がされるので、
図案が大きく引き伸ばされ、発色も人工的になってしまう。
刺繍をしていると、おばさんがチャーンゴーの民謡を口ずさみ、
笛の音色も重なって、何とも贅沢な時間になった。
 moldova (2)

朝から晩までモルドヴァの音楽に囲まれる、一週間。
木曜日は、バスで森へと遠足に出かけた。
昔では考えられなかったことだが、森の中にペンションとプールが建てられている。
子どもたちは大はしゃぎでプールに飛び込み、
大人たちはビールを片手におしゃべり、休憩をする。
近くの村から、チャーンゴーの女性たちがやってきた。

moldova (10) 
チャーンゴーのダンスを見ている内にふと気づいたことがある。
美しいブラウスの袖が斜めに重なり、後姿がなんと美しいのだろう。
その袖を見せるために、このように腕を交差させるダンスが生まれたのかもしれないし、
ダンスの見栄えをよくするために、刺繍の豪華な袖が生まれたのかもしれない。

moldova (5) 
夕食が終わると、楽団を呼んで、明け方までターンツハーズ(ダンスパーティ)が開かれた。
18年過ぎて、出会ったチャーンゴーのイメージは大きく変わっていた。
チャーンゴーの女性たちの陽気なパワーに圧倒されるとともに、
彼らの中でチャーンゴーのアイデンティティーに自信が芽生えているのを強く感じた。
「私は伝統の保持者よ。」と自信を持って、
手仕事、歌や踊りにいそしみ、私たち外部のものに教えてくれるのだ。
そして優秀なものはチャーンゴー団体に抜擢され、
社員として働いたり、ハンガリーや外国で開かれるイベントへも招待される。

不思議な再会も後を断たなかった。
主催者ののひとり、ロズィが声をかけてくれ、
いつかクレージェの村で日本について話をしたことを思い出させてくれた。
「ずっと弟といっしょにそれを覚えていて、
ひらがな、カタカナといってふざけていたわ。」
私すら忘れかけていた過去の出来事がよみがえった。

何日か後には、クルージの大学の民俗学部で一緒だったチャーンゴーの少年ダニエルが、
大人のおじさんになって目の前に現れた。
「日本人らしい顔の子どもたちを見かけたから、もしかしてと思ったんだ。」
今は故郷の村でハンガリー語の教師をしているという。

ちいさな次男をいつも気にかけてくれたパウリナ。
故郷の村に家族を残して、夏のキャンプで働いている。
「君は私のペアなのよ。」といつも一緒にダンスをしてくれた。


moldova (4) 

参加者や主催者が不思議な絆で結ばれた1週間。
最終日の夜には、お披露目会、ターンツハーズで幕を閉じた。
「来年もまた会いましょう。」
握手や抱擁を交わして、私たちはモルドヴァの地を離れていった。




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comments(0)|trackback(0)|その他の地方の村|2018-08-19_16:37|page top

モルドヴァのチャーンゴー人との再会

カルパチア山脈を超えて、東へ。
今から100年より昔は、トランシルヴァニアの民にとってモルドヴァ地方は外国だった。
険しい山を乗り越えて、東の土地へ移住したハンガリー人がいた。
今のバカウ県の村々へ定住し、「チャーンゴー」と呼ばれた。
csangalはハンガリー語で流浪するという意味がある。

チャーンゴーがいつモルドヴァ地方へ流れていったのかは、他説がある。
敬虔なカトリック教徒の彼らは、宗教改革でプロテスタントに改宗されることを恐れ逃げたのか、
中世に長く戦火が激しかったため、兵役を逃れたセーケイ人がチャーンゴーになったという説もあるし、
もしかしたらそれ以上前にすでにモルドヴァ地方にチャーンゴーがいたという人もいる。

チャーンゴーと呼ばれるハンガリー語を母語とする民族が、
何百年も母国から離れて、時にハンガリー語を弾圧されながらも、
存在するということだけは事実である。
そして、90年代以降は、ハンガリー政府からの援助を受けて、
チャーンゴーが母国で知られることになり、ハンガリー語教育も受けられるようになった。
ただし、今でも教会のミサはルーマニア語、
学校教育もルーマニア語が強要されている。

私がモルドヴァの土地を踏んだのは、今から18年前のことである。
当時大学生だった私は、不思議な縁で
ハンガリー人写真家チョマ・ゲルゲイ氏と文通をするようになり、
初めてチャーンゴー人のことを知った。
チョマ氏は、社会主義時代の統制が厳しい時代から
モルドヴァのチャーンゴー人を取材し続け、時に牢獄に入れられ、
名前を変えたりしながらも、熱心に仕事を続けていた。
チャーンゴーのために、その生涯を捧げるほどの熱意を持っていた。

「神様の背の向こうへ連れて行ってあげるよ。」
まだハンガリー語の能力が乏しかった私に対して、
子どもに昔話を聞かせるようにチャーンゴーの話や民謡を聞かせてくれた。
2000年の春に初めてモルドヴァ旅行へ同行させてもらった。

ちょうどイースター休みだった。
ハンガリーから約20時間かけて、
電車を乗り継いで、クレージェにたどり着いた。
「日本人の顔をしたチャーンゴーがいる。」というので、訪ねると
遠く東からの客に喜んでくれて、
チャーンゴーの詩人ドゥマ・アンドラ―シュ氏は詩を作ってくれた。
ヨーロッパの中で、中央アジアに起源をもつハンガリー語を話す人々は、
一般にアジアに対してロマンを抱いている人が多い。
このルーマニア色の強い土地で、ハンガリー語を辛うじて話す人々は、
さらに遠くの同胞を欲しているのだろう。
チョマ氏のご婦人は日本語の研究者なので、
日本語とハンガリー語の共通点を興味をもって聞いていた。

クレージェからショモシュカへ丘を上がって行き、
ちょうど聖金曜日のミサへ参加してから、
夜更けにロウソクを手に、村はずれの十字架を巡礼した。

森を越えて、レケチン村へと向かった。
村はずれの最後の産婆さんの家で、機織りをする様子を見せてもらったのが印象に残っている。
おばさんは、美しい手織りの布を贈ってくれた。

不思議な縁で、1年間の留学期間で
私はモルドヴァを4度も訪問していた。
3度はチョマ氏に同行したのだが、
1度はクルージの大学の民俗学部からフィールドワークの一環として滞在した。
学生たちと村を歩いていて、
村人からルーマニア語で、
「ここはハンガリーではない!私たちはルーマニア人だ。」という意味の言葉を
投げかけられたこともあった。
ハンガリーとルーマニアの間で、自分たちの居場所が分からないチャンゴ―たち、
そうしたチャーンゴーというものに全く縛られず、
仕事を求めてヨーロッパを流浪するチャーンゴーたち、
祖先から受け継いだ言葉をひっそりと大切に守り続けるチャンゴーたち。

舅は、社会主義時代にチャーンゴーを研究する一人だった。
長い年月、モルドヴァの民謡を収集して、本を出版した。
1990年にローマ法王がブダペストでチャーンゴーたちと会見した時に、
その厚い本が贈られたという。
旦那は家族のように親しかったチャンゴー女性、ルーリンツ婦人ルツァおばあさんの話をよく聞かせてくれたが、チャーンゴーの村へ行こうとはしなかった。

時は流れて、2018年の夏。
今度は家族とともに、チャーンゴーの土地を再び踏んだ。

















comments(0)|trackback(0)|その他の地方の村|2018-08-17_14:55|page top

塩の水と塩の花

セークの夏の風物詩といえば、「塩の花」と呼ばれる花だろう。
7月から8月にかけて花ひらく、うす紫色の繊細な花である。
塩水を含む土壌にしか咲かないので、そう呼ばれるらしい。

sosfurdo (4) 
ハンガリー、ルーマニアにしかない種類ではあるが、
イソマツ科の花は世界中に見られる。
そのままでドライフラワーにもなるそうで、
村人たちは花束にして持って帰る。

sosfurdo (2) 
このやさしい、うす紫色の原っぱこそ、ここでは夏の色なのだ。
そよ風に吹かれて、広々とした原っぱを歩いているだけで、心が洗われるようだ。

sosfurdo (6) 
青空に、緑の丘、そしてうす紫の花。
村の周りは、夏の色で満ち満ちている。

sosfurdo (9) 
この塩の花が咲く原っぱのすぐそばに、村の有名な名所がある。
塩の天然浴場である。
セークの村の周辺にはいくつもの塩山があった。
その名残がこうした、塩の湧水や浴場に残っているのである。
話に聞いていたよりも、ずっと整備された村の浴場は、そばに更衣室までできている。

sosfurdo (15) 
海よりもずっと塩の濃度が濃いため、自然と体が浮かぶ。
新しい方の大きなプールは水が冷たく、古い方は温泉までとはいかないが温かい。
端の方は、虫がたくさん浮かんでいるが、それに目をつぶれば何ともない。

sosfurdo (14)

親しくなった村の子供たちが、水たまりに足をつけていた。
「この泥は、肌にいいらしくて、
ペットボトルいっぱい持って帰る人もいるくらいだよ。」
なるほど、肌につけて洗い流すと、すべすべしている。
思い切ってぬかるみに足をつけ、体に塗りたくってみた。
かねてからセークの女性の肌が美しいと思っていたのが、その秘密がわかった気がした。

 sosfurdo (12)

村にはまだ鉱山の後があると聞いて、村の脇の丘を目指した。
ゆるやかな丘には、羊の群れも見られた。
丘を越えた向こうには、たくさんの池があるのだという。

sosfurdo (10)

丘のてっぺんに、池があった。
雨水だが、底は深く、石だらけなので、あまり泳ぐのには適していない。

sosfurdo (11) 
もうすぐ日が暮れる。
丘に四方を包まれた村が、夕暮れ前の光に浮かんでいた。
上地区とチプケ(トゲ)地区、フォッロー(熱い)地区に分かれている。
豊かな自然に恵まれた村、セーク。
ため息をもって、改めて我が家のある村を眺めていた。

sosfurdo (8)  
comments(2)|trackback(0)|セーク村|2018-08-13_00:00|page top

セークの夏休み

7月の半ば、抜けるような青空を背に、 
太陽の光をいっぱいに集めたように黄色く輝くヒマワリ畑を目印にして、
私たちは1週間の夏休みを過ごすためにセークを目指した。
    szekinyar (1) 
セーケイ地方から車で約5時間ほどかかって、
村に着いたのは夕暮れ時だった。
さっそく芝生で5つ葉のクローバーを集めるのに夢中になったり、
目の前にある公園で村の子どもたちと知り合いになったりして、
セークでの日々がはじまった。

szekinyar.jpg 
澄んだ目をした少年が、さっと家に帰って、
たくさんの花の混ざった束を手にプレゼントをしてくれる。
朝目が覚めると、家主のおじさんがちぎりたてのキュウリを袋一杯おいてくれたのを
見つけて、まるでサンタクロースのプレゼントのように喜んだ。
名も知らない近所のおじいさんが、夏の青りんごを手に抱えきれないほど持ってきてくれた。

szekinyar (9) 
水道もないので、水は通りの向こうから共同井戸で汲んで運ぶ。
ガスがないので、薪で料理をする。
洗濯機もないので、洋服はぜんぶ手洗いをする。
そんな不便さも感じさせないほど、村の生活は充実していた。

慣れない生活で、心の支えとなったのはエルジおばさん夫妻の存在だった。
いつでも温かく迎えてくれ、こちらが気を遣わないように自然に手を差し伸べてくれる。
「家で料理していきなさい。」とほとんどおばさんに教わりながら、
スープを作って我が家に運んだ。

おばさんは夏も冬も、手仕事で忙しい。
機織りのための糸を大きな筒に巻く。

szekinyar (8) 
夏でも涼しい納屋はおばさんのアトリエ。
いつも機織りをする音が、トントンと心地よく響いてくる。

szekinyar (7) 
おばさんの仕事の邪魔にならないようにと腰を下ろして、仕事の風景を眺める。
日銭を稼ぎに町へでるおばさんたちも多いのだが、
たとえ割には合わなくても、エルジおばさんは村に残る道を選んだ。
村の空気が、昔からつづけた手仕事が好きでたまらないのだ。

szekinyar (6) 
マルトンおじさんは朝早くから暑い中、毎日畑仕事をする。
その合間に、おばさんの手伝いも欠かせない。
慣れた手つきで糸を巻くのに感心していると、
「うちの兄妹は男ばかりで、妹が生まれたのは15年たってからだったから、
よく母親の手伝いをしていたんだ。兄妹の世話をしたり、母親の手仕事の手伝いもしていたよ。」

szekinyar (5) 
カラカラという音とともに、小さく切った葦の筒に赤と白の糸が巻かれていく。
機織りは織ることもさることながら、
下準備に大変手間暇がかかる。
あの美しい布は、おじいさんとおばあさんの仕事の結晶でもある。

szekinyar (4) 
セークの村は、60年代半ばにはじめて電気が引かれ、
アスファルトができたのもそう昔ではない。
閉ざされていた村が外へ開かれるとともに、
人びとの生活も価値観も大きく変わってしまった。
それでも、変わらない何かを頑なに信じる人がいる。
私たちはそういう人々に引力を感じて、ここに導かれたに違いない。

szekinyar (2)

家主のひとり、エルジおばさんはお針子さん。
結婚式のためのベストを作る様子を、見せてくれた。

 szekinyar (3)

日曜日は、礼拝が2度ある。
ちょうど帰りのおばさんたちを呼び止めた。
セークの民は、落ち着いた色を好む。
白と黒の厳かな衣装が美しい。

szekinyar (12) 
大きな村だが、新しい住人がきたのを村人たちも耳にしているようだ。
これからどんな出会いがあるか楽しみだ。

szekinyar (11) 
comments(2)|trackback(0)|セーク村|2018-08-10_01:41|page top

運命の家

カロタセグの次に目指したのは、セーク。
ここでどうしても今見ておきたいものがあったからだ。
二日間の取材を終えて、村はずれにやってきた時だった。
ふと一軒の家が旦那の目にとまった。
村の遊具広場のちょうど前に、売り家と書いてある。

きっと、ハンガリーからの観光客が買うに違うない。
そう思わせる、美しい家だった。
中だけでも見てみようと旦那が誘い、
ご近所に尋ねてみると、
「ほら、あそこからやって来るのが持ち主よ。」
と好都合にも向こうからちょうどやってくるところだった。

黒い喪服姿のおばあさんは、
もうひとりの持ち主であるお姉さんに電話を呼び出して、
昨年まで母親が住んでいたという家に通してくれた。
ブドウの房が下がる、美しいベランダ。


セーク (1) 

吸い込まれるように中に入ると、
夏の空のように蒼い壁が出迎えてくれた。


セーク (9)


ロージおばさんとジュジおばさん。
ちいさな二人のおばあさんたちがおしゃべりをしているのを見ていると、
おとぎ話の森の小人の家に迷い込んできたようだ。

 
セーク (3) 

「他にも家具や絵皿などがあったのだけれど、
昨年の夏にセンテンドレの博物館員がきて、持って行ってしまったわ。」とおばさん。
手がつけられる前の内装は、どんなにか美しかったのだろう。
蒼い壁には絵付け皿が並び、
セーク独特のガラス絵が掛けられている。
赤がなんとも鮮やかに目に飛び込んでくる。


セーク (8) 

冬の生活には欠かせない、薪ストーブ。


セーク (7) 

セーク特有の黒い絵付けがほどこされた窓。
幸いにも、家に取り付けられてあるため、持っていかれなかったのだろう。
「盲目の窓」と呼ばれ、昔から大切な食料品をしまっておく
いわば冷蔵庫の代わりだったらしい。
長椅子は開くと、たくさんの衣装が入っていた。
目星いものはすべておばあさんたちが持っていったようで、
日常用のブラウスや布ばかりだ。


セーク (6) 

家の外には「夏のキッチン」と呼ばれる、小さな部屋がある。
薪で部屋を暖めないように、夏にはここで料理をする。
まだ生活の匂いが漂っている。


セーク (4) 

何度か旦那が「どう思う?」と小声で尋ねてきた。
非のつけ所が見つからなかった。
ひとつ気になるのは、木造ではなく、土を固めて作っただけの壁が
どれだけ冬の寒さに耐えられるかというところだろうか。
観光シーズンが始まれば、人の目にもつくだろう。
1も2もなく、ロージおばさんの家でサインをしていた。
そして、カロタセグの家のために持ってきた前金を渡していた。


セーク (2) 

ピンクのバラが花咲く家から、おばさんたちが「売り家」と書かれた紙を取り去った。
まるで狐につままれたかのような不思議な気持ちで、
セークの村からセーケイ地方へと向かっていた。



comments(4)|trackback(0)|セーク村|2018-07-23_15:09|page top

カティおばあちゃんの思い出の家

カロタセグのバラ、
カティおばあちゃんが亡くなって半年が過ぎた。

生前、おばあちゃんに一軒の家を見せてもらったことがある。
ちいさな村の大通りからさらに小道に入った、
丘を背にして、大きなクルミの木ののかげに隠れるようにして立つ古い家だ。
おばあちゃんは、杖をつきゆっくりと歩きながら言った。
「ここは、わたしのおばさんから相続したのよ。」


bogartelki haz (2)


築100年を超える家は、おばあちゃんの生まれた家だった。
倒れかかったちいさな戸を押して、家の中に入る。


bogartelki haz (4) 

薄暗く埃をかぶった中に見えるのは、機織り機。


bogartelki haz (7) 

bogartelki haz (9) 

驚くことに、その織り機には作りかけの手織り布が張ってあった。
昔の住人がそのまま、住んでいた跡をしっかりと残していたのだった。


bogartelki haz (8) 

丘には穴があいていて、地下室になっている。
「そこから上に上ることができるの。」
私たちは、草の茂った丘の斜面をどうにかして上り、
その上にも土地が広く続いていること、
そして村を見下ろす美しい景色を驚きをもって眺めていた。
「ここが、村で一番美しい家にちがいない。」

おばあちゃんは、10年以上売りに出しているということ、
私たちが買ってくれたら嬉しいと告げた。
しかし、その値段を聞くと手が届かないと思い、諦めた。

この3月に、カティおばあちゃんのお嫁さんを訪ねたとき、
あの家を売りたいと持ちかけられた。
値段はおばあちゃんが生前告げた金額より大分安かった。
「おばあちゃんは、土地の値段がよくわかっていなかったのよ。
あなたたちの手に渡れば、おばあちゃんも喜ぶに違いないわ。」
わたしの手を握って、そういうおばさんの目を見て、心が震えた。

あの古い家と納屋をどうしたらいいかと、旦那と相談した。
古い家を買うというのは、責任がある。
これまでの朽ちたままにしておいたら、もう家は使い物にならないだろう。
納屋を改築して住まいにして、古い家は直せるだけ直して、
そのままに残しておこう。そう結論を出した。

おばあちゃんが亡くなって半年の間は、登記が無料だというので、
それまでに売りたいとのことだった。
6月のはじめ、私たちは前金をもってカロタセグの村を訪れた。
カロタセグに住む友人に一度家を見てもらおう、
旦那と相談して、電話をかけた。
その翌日には前金を渡して、登記をしに役所へいく予定になっていた。

友人たちが家族と一緒に、遠くから車で駆けつけてくれた。
草の生い茂った庭を歩き、
朽ちた門をひらいて、中へと入る。
その頃には、半分は自分の家のような気分がしていた。
「ほら、ここに織り機があって、
村一番の美しい手仕事を作るおばあさんが住んでいたのよ。」

バーバおばあさんという名で村人に親しまれていたおばあさんは、
子どもがなく、カティおばあちゃんを我が子のように愛していた。
カティおばあちゃんは、バーバおばあさんの作った手仕事も受け継ぎ、
ナーダシュ地方で最も美しい飾りベットは、
その人の手によるものだったのだ。
亡くなる前にも手を動かして、ちいさなレースを編んでいた。
カティおばあちゃんは、おばさんの家へ足繁く通ったにちがいない。
彼女の思い出の詰まった家だったからこそ、
どうしても自分の手で守りたかったのだ。

家を丁寧に見て回ったあと、友人はこういった。
「正直に言うけれど、この家は上半分はもう使い物にならないよ。
これを修復して直そうとしたら、相当の金額になるだろう。」
自宅を修復した友人によると、
家族が加勢したにもかかわらず家や土地の倍ほどの金額がかかったという。
それでも、この家ほど傷んでいなかった。

40を超えた今、家建設という大きな事業に首を突っ込むことはできないと思った。
見通しのきかない莫大な経費、そして労力。
現実の壁にぶつかり、長い夢から覚めたように
その日の夜、この家を買うことはできないと告げたのだった。

カティおばあちゃんは、この家を本当は売り渡したくなかったのだと思う。
小さい頃の思い出の家が他人の手に渡り、
見る影もなく変わっていくのを見たくなかったのだ。
あの古い家の中で機織りを織り、
白い布に美しい刺繍を施して暮らしていたバーバおばさんの面影は、
確かにしっかりと私の記憶の中に刻み込まれていた。


bogartelki haz (1) 










comments(2)|trackback(0)|カロタセグ地方の村|2018-06-22_00:00|page top

初夏の花畑

一日をもてあまし、夕方ころ散歩へと旦那を誘った。 
濃い青空に入道雲、そして灼熱の太陽。 
梅雨のないトランシルヴァニアでは、 夏がやってくるのが早い。
 5月終わりは、もう初夏といってもいい。 
 そして、この頃が最も美しく大地がかがやく季節である。 
トーンの異なる緑の中に、 色とりどりの無数の野の花が混ざり合って、
なんとも形容できない微妙な色彩を作るのだ。 
トランシルヴァニアは、まさに緑の王国である。
   berry (6) 

家から徒歩10分でたどり着く、大自然。
町外れの丘をくだり、さらに丘を登ると、
そこは馬が放牧してあり、野生の野の花が咲き乱れ、
文字通り手つかずの自然が広がっている。


berry (11)  

遠くから見ると赤茶色に見えたのは、野生のタイム。
紫がかったピンク色のちいさな花々は、目を楽しませるばかりではない。
甘くさわやかな香りが、そこにいるだけで極上の気持ちにさせてくれる。


berry (9) 

野生のタイムは、乾燥させてハーブティーにする。
緑のない長い冬の間に、夏を忍ばせてくれる。
まさに、トランシルヴァニアの初夏の味だ。

旦那と子どもたちが花摘みをしてくれる間に、
家から持ち寄った刺繍をする。
遠くを見渡す眺めと、極上の花畑と、さわやかな空気。
心落ちつく、幸せな時間。


berry (10) 

長男と遊び疲れた次男は、原っぱに寝そべっている。
指に草を巻いてもらい、心地よさそう。


berry (12) 

花摘みを終え、しばらく姿を消していた旦那が、
手にいっぱいのちいさな野いちごを見せた。
すると、今度は野いちご積みのはじまり。


berry (4) 

野いちごは日当たりのいい丘の斜面を好む。
子供の指の先くらいのちいさなイチゴだが、
口にふくむと甘酸っぱい味と香りでいっぱいになる。
ちいさな赤い顔を大地に向けているので、
草むらの中で探すのは、容易ではない。
なおさら宝探しのようで、夢中にさせてくれるのだ。


berry.jpg  

まだ見つけられない次男の口に放ってやると、
すぐに「まだ、ちょうだい。」という。
お腹いっぱいになるのは難しいが、
甘くさわやかな味わいは、くせになる。

   berry (7)  

気がつくと、日が暮れかかっていた。
日差しが弱まる夏の夕方は、ぐっと気温が下がって心地よい。
草の匂いと日没前の光に包まれて、これからはじまる長い夏を想った。


berry (2) 
comments(6)|trackback(0)|自然、動物|2018-06-17_14:42|page top

旅の終わりに

帰りのバスがないと聞いてから、あれこれ考えていたが、
結局は運命にゆだねることにした。
幸いにも、ちょうど信仰告白式の日なので
もしかしたら、帰りのお客がいるかもしれない。

6時過ぎ、大通りに向かって坂を上り、
エルジおばさんが見送りがてら、
車が通り過ぎるたびに手招きをするしぐさをした。
10分、20分が過ぎた。
そろそろ、立ちっぱなしのおばさんに申し訳なくなってきた。
「何を言っているの。私に時間がないと思うの。」
いつもの口癖で「怒るわよ。」とおばさんが言う。

車が何台も過ぎたが、一向に止まってくれる気配がない。
今の若い人たちは村の中を歩かないから、
誰が誰なのかわからない、とおばさんが言っていた。
服装だけでなく、その精神も同じように変わってしまったのだ。

最悪の場合は、おばさんの家でもう一泊させてもらおう。
諦めかけた頃、一台の車がスピードを緩めてきた。
「町へいくのよ。乗せてくれませんか?」とおばさん。
「どこの町へ?」と運転手が尋ねるので、
すかさず町の名前を言った。
「お乗りなさい。」とその声の持ち主が手を振った。

お世話になったエルジおばさんに、キスをして別れた。
そういう気持ちのゆとりがあったのも、
どうやら運転手は聖職者らしいことがわかったからだ。

娘とふたりで車に乗り込むと、
助手席と後ろにも同乗者がいた。
「どこまで行くんですか?」と薄茶色の長い衣装をまとった運転席の男性が聞いた。
年の頃は40~50くらいだろうか、半分くらい白髪に染まっている。
セーケイ地方の町の名前を言い、
そこで10年暮らしていること、
日本の大学でハンガリー語を学び、
トランシルヴァニアに導かれてきたことを話した。

すると、その人は声をひそめ、いたずらっぽい目を向けてこう言った。
「あなたは、奇跡の虫だ。」
聖職者という神秘のヴェールを纏った人かと思えば、
思いもよらない言葉に、吹き出してしまった。

どこかで見た姿だと思いながら、質問をした。
「あなたは、牧師さんですか?」
「いいや、クルージのフランシスコ会の修道僧だよ。ティビ・ブラザーだ。」
と手を差し伸べて握手をした。
そういえば3年ほど前に、フランシスコ会の教会へ行ったことがあった。
かつて日本語を教えていた生徒が宗教の道に進み、
夜通しの静かなコンサートをしていたのが、このフランシスコ会の教会だったことに気がついた。

「私はナジセントミクロ―シュの出身だ。
バルトークの生まれ故郷だよ。」
「最近に出会った、2人目の外国人だよ。
ひとりはブルガリア人で、南部のバナート地方に村があって、
ブルガリアから追われてきたカトリック教徒たちが暮らしている。
彼らは、金で縁取られた素晴らしい衣装を受け継いでいて、
家の中にはそれは美しい祭壇があって・・・。」
話すこと全てに興味ひかれ、
聞き逃さないように耳をそばだてていた。
むかし学生時代の頃に出会ったルーマニアの大学生のような、
知性と機知の混ざりあった、独特の口調だ。
「いつかクルージに寄った時は、私を訪ねなさい。」

手には娘の分と合わせた乗車賃を握りしめていた。
ルーマニアのヒッチハイクの原則で、運転手にお礼をすることになっている。
相手に失礼のないように、
「こういう時、どのようにすればいいのかわからないのですが・・。
どうか教会への寄付にしてください。」とお金を差し出したのだが、
「電車代に取っておきなさい。」と返ってきた。

礼を言って車を降りると、
娘とふたり、喜び勇んで線路にまたがる歩道橋を駆け上がっていった。
少し前までは、先行きのわからない不安でいっぱいだったのが、
今こうしてレールの上に敷かれた帰り道を辿っているのが奇跡のようだ。
旅とは未知の世界への扉を開くこと、
その醍醐味は未知の人々と出会うことにあるのだ。
旅はこれだから、止められない。
また娘と二人旅をする日がやってくるような気がしてならない。















comments(2)|trackback(0)|その他|2018-06-08_14:28|page top

セーク村の信仰告白式

信仰告白式の朝がやってきた。
昨日の午後の雨で大地の熱がすっかり冷めきったかと思いきや、
だんだん熱くなることが感じられる。

エルジおばさんに誘われて、この日の主人公のひとりのおばあさん宅へ散歩した。
ちょうど昼食のロールキャベツを窯で煮る所だという。
「今は4キロの米に8キロのひき肉を使うけれど、
私たちの頃はそれが反対だったわ。」というおばあさんに、
エルジおばさんはこう返す。
「それはまだいい方。私たちの小さいころは、
肉は一切入れずにお米の中にブタの脂身をひとかけ入れただけだった。」
貧しい時代を知る人たちの言葉だ。
今でこそ、御殿が立ち並ぶ豊かな村だが、
昔は無名で、一家で沢山の子どもを養わなければならなかった。

「ロールキャベツは、どんな風に並べたの?」
「バラの形よ。」
見た目も美しい、ロールキャベツが山盛りだ。


szeki konfi (10)


夏の熱い中、昔ながらのやり方でキャベツを煮る。
薪をいっぱいにくべて、やがてこの窯にお鍋を入れるのだ。

 szeki konfi (9) 

昨夜からエステルのお母さんや親せきが代わる代わる、
エルジおばさん宅に訪れていた。
というのは、家にケーキを置いておく場所がなく、
エルジおばさんの家を使わせてもらっていたためだ。
今でもご近所が親戚のように行きかう、いい関係性が続いている。

約束の9時半になった。
14歳になったエステルの着付けを見させてもらう。
部屋には、白と黒の衣装が置かれていた。


szeki konfi (18) 

はじめに、手織り布でできたペチコートを3、4枚重ねてはく。
セークの衣装は、昔ながらの手縫いである。
黒い糸は祝日用で、白い糸は平日用。
白い布の上を流れる、つなぎ目の黒い線がひときわ目を引く。


szeki konfi (11) 

セークの衣装の目玉である、ブラウス。
立体的なブラウスを、小さく折りたたむことができるこの知恵。
袖が横にプリーツが寄せてあるのが特徴だ。


szeki konfi (13) 

昔と違って、今はしっかりと糊をつけて袖にふくらみをつける。
袖をアイロンかけする専門の人がいるというから驚かされる。
「誰かが糊を解こうとして袖を破いてしまったそうだから、気をつけるのよ。」
まるで紙のように固い袖を解くのも、大変な作業。


szeki konfi (17) 

まるで子供のようにブラウスを着せてあげないと、
一人では着ることができない。


szeki konfi1 

次にスカートとエプロン。
黒地にピンクのヒマワリがプリントされたプリーツスカート。
「午前はヒマワリ柄で、午後はバラ柄なのよ。」とエルジおばさんが教えてくれる。


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ショールを肩にかけてから、
赤いガラスビーズのネックレスを装う。


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華やかなカロタセグ地方とはまったく違う、シックな色の組み合わせ。
これがセークの美意識なのだ。


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黒い別珍素材のベストは、
ブラウスの袖のふくらみがあるので、肩のところを外すことができる。


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テーブルの上にずらりと並んだ、ハンカチーフにリボン。
午前と午後で持っていく柄が違うという。


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赤と緑のリボンでできた肩飾り。


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黒いタッセル飾りのついたベストの肩に、
赤いバラの肩飾りを縫い付ける。

 
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これから、長い髪をお下げに結っていく。
足りない分は、つけ毛を足して、最後に赤いリボンを巻き付ける。


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ひとりの少女に三人がかりで着付けをする様子は、
まるでお姫様か貴族の令嬢のよう。
夏でも、膝までくるロングブーツをはかせる。


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黒いスカーフからのぞく、長いお下げの髪。
これが伝統的な美しさ。


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黒いスカーフをかぶせると、エステルは、
「まるでお葬式みたい。スカーフは嫌いだわ。」と顔をしかめる。


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最後の仕上げは、ブラウスに手で皺をつけていく作業。
昔はしなかったやり方だが、村で80年ごろから流行ったのだという。


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優に1時間半をかけて着付けをしてから、
急ぎ足で教会へ車を走らせる。
ちょうど教会の鐘の音が響き渡り、
たくさんの村人たちが昔ながらの衣装で集まっていた。


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お年寄りは今でも日曜日は礼服を着るが、
若者たちはこの時間のかかる衣装に親しめず、限られた祝日にしか着ることはない。
今日の主役である、14歳の少女たち。
白と黒のセーク村のエレガンスは、
時を越えて私たちの心を打つ。


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牧師さんに促されて、列をなし、
教会の中へと吸い込まれるようにして入っていく。
彼女たちのお母さんも、お祖母さんも、その前のご先祖さまの時代と変わることのない光景が
今もこうして繰り返されているのだ。

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赤い刺繍のタペストリーの前にならぶ少女たち。
神のご加護をうけて、これからも美しく育っていくのだろう。


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午前の礼拝を前に、荘厳な雰囲気で満ちていた。
それは、人々の衣装のせいかのか、
人々の心のせいなのか分からない。
しかし、衣装というひとつの文化を失わずに守ってきた人々のもつ、
特有の美しさは疑いようがなかった。


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その風景を目に焼き付けながら、
娘のまつエルジおばさんの家へと歩いていった。


comments(8)|trackback(0)|セーク村|2018-06-04_21:41|page top

セーク村のエルジおばさん

セークという、不思議な村がある。
赤い衣装に身を包み、白いスカーフを頭にかぶったおばあさん、
小さな麦わら帽子をちょこんとのせ、白いシャツに青いフェルトベストのおじいさんが、
日常生活を送っている。
昔ブダペストで学生時代を過ごした頃も、通りやメトロの中で幾度となく
こうした「赤いおばあさん」たちを見かけたことがあった。
市では商売心旺盛なたくましいおばあちゃんたちが、
セークの名のもとで何でも売っている。
いつか村で、「これは近くの有名なルーマニアの村で作られたもので、
洪水の被害にあって気の毒だったから販売している」と聞いて、
男性のシャツを買ったことがある。
後に全く別の地方のものだったことがわかり、
それ以来、自然と足が遠のいてしまった。

村で聞き込みをしているうちに、エルジおばさんを探し当てたのもその時だった。
まるで額縁のような大きな枠に布を張り付け、
上から下へ下から上へと針を運搬する、セーク村の伝統刺繍を見せてくれた。


SzekesKalotaszeg2.jpg 

一昨年、手芸ツアーの準備のために訪れたのが5,6年ぶりだったのだが、
エルジおばさんは相変わらず、冬も夏も手仕事をして過ごしていた。
「村では、もうほとんどが日当を稼ぐために
ブダペストに行ってしまったわ。」
貧しい時代を生きてきたセークの女性たちは、
13、4歳になると奉公に出ていたという。
ハンガリー人の詩人カーニャーディ・シャーンドルの、有名な詩がある。
そこでは黒と赤の衣装をきたセークの少女たちが、セークの少年たちとともに
木曜と日曜の夜に集まって踊る風景がいきいきと綴られている。

「私も村から出てはみたけれど、2週間で帰ってきたわ。
村以外のところは好きになれなくてね。」
そうしてご主人さまと一緒に村に残り、
社会主義時代を経て今もここで暮らしている。

「今の人たちは、もう手仕事をしなくなったし、
手作りのものは一切飾らなくなったわ。」
それでも、エルジおばさんは手を休めずに働きつづける。
娘婿の母親であるジュジおばさんがやってきた。
ふたりは一緒に手織り布を織っているのだという。
セークのブラウスは、昔ながらの手織り布を使っているからで、
今でも正装として作られている。


szeki erzsineni (2)

 
ジュジおばさんは糸巻き機を回転させながら、
糸を巻きはじめた。
右手で輪を回しながら、左手で均等に巻き取っていく。
カラカラという音が耳に心地よく、
仕事の風景は実に美しいと思った。
時代を遡り、遠き過去をのぞき見たような感覚がする。


szeki erzsineni (1) 

エルジおばさんの部屋は、
今でも60年前の嫁入りの時と変わらない。
12個の枕カバーが天井に届くほど積み上げられ、
すべてセークのアウトライン刺しゅうで作られている。
折りたたんだ縞模様の毛布の下には、
華やかな色のウールの手織りのベッドカバーが何層にもなって続き、
さらに白い手織りのベッドカバーが見られる。


szeki erzsineni (4)


「私の娘も手織りに刺繍、マクラメも編んだし、何でもできるの。
嫁入りの時に必要だったからね。」
50歳くらいの娘さんは、町に出るまでは民俗衣装だけで暮らしていた。
嫁入り道具もすべて自分の手で作った。
村に電気が通ったのも60年代になってから・・。
それなのに、この生活の差は何だろう。
何が人々を変えてしまったのだろうか。
苦労して作った嫁入り道具ももう必要がなくなり、
町へ出た人々はほとんど伝統衣装に袖を通すこともない。

暇をもてあそぶ娘に、おばさんは自家製のハエ取り機を渡した。
「さあ、これで悪い虫をやっつけるのよ。」


szeki erzsineni (3) 

久しぶりの土砂降りが降った後、
村へと散歩に出た。
昔は5000人も住んでいたこの村は、かつては塩鉱山で栄え、
町と呼ばれたこともあった。
「町見物へ行くのよ。」通りで会う人に、エルジおばさんは言った。

村に住むオランダ人のおじさんが博物館を営んでいる。
完成したばかりだという展示室に入らせてもらった。
展示されていたスピンドルを手に取り、
羊の毛のような色をした大麻を束にしてクルクルと巻きはじめた。
時おり、口で手先を湿らせながら器用に巻とる姿に見とれてしまう。
「ここで糸を紡いでくれたのは、あなたが初めてだ。」とご主人さんも喜ぶ。


 szeki erzsineni


この2日間、おばさんの話から、その仕事する姿から
私は本来の村の姿を感じ取っていた。
貧しい村で倹しく、ひたむきに働きつづけた村人たち。
今その生きる姿勢を感じさせてくれる人は、この村であってもごくわずかに違いない。

「私たちはいつも手仕事とともに生きていたの。
ものがないのが当然だったから、何でも1から作るしかなかった。
それは、生活の一部なのよ。」
エルジおばさんの言葉が、今も耳に残っている。








comments(2)|trackback(0)|セーク村|2018-06-01_13:24|page top

旅のはじめに

出発は、私の思い違いで一週間延びてしまった。
信仰告白式を写真に収めるのが、大きな目的だ。
その翌週は、すでにクルージに行くことが決まっているから、
週末の二日間だけを過ごすために7時間以上かけて夜行列車で旅することになる。
昨年の夏に、セークの結婚式に行けなかったこと、
カロタセグでカティおばあちゃんの最後の元気な姿を見られなかったことが
大きな後悔として残ってしまった。
時間は、もう巻き戻せない。

深夜12時半、娘とふたり列車に飛び乗った。
何かを感じたのか、次男は寝付かれず、
とうとう駅まで見送りに来ることになった。
長い夜行列車が大きく軋む音を立てながら止まり、
車両を探して右往左往していると、「こっち、こっち。」と車掌が叫ぶ。
座席を見つけると、ほっと胸をなでおろす。
二人席の小さな座席に横になり、いつしか眠りについていた。

車掌に起こされて、チケットを手渡すと、
「この車両はビストリツァ行きだから、あちらの車両に移るように。」
と言い残して、他の客のところへ行った。
朝5時、車窓の外はうっすらと暁色に染まっていた。
他の乗客とともに、大移動を開始する。
この列車は途中で切り離されて、
バイアマーレ、クルージ・ナポカ、ビストリツァと別方面に進むらしい。

朝7時、私たちはハンガリー語で「サモシュの新しい城」という呼び名の、
小さな町に降り立った。
中心の広間には、大きなカトリック教会がそびえている。

szekiutazas (2) 

ここは、アルメニア人が作った街で、
彼らはヨーロッパで最も早くにキリスト教を国教とした民族であるらしい。
巨大な石の建築は、見るからに古くてがっしりとして、
信仰深い民族の魂を映し出すかのようだ。


szekiutazas (3) 


トランシルヴァニアのアルメニア人は、ユダヤ人のように商業に携わっていて、
その多くは都市部に住んでいたという。
他にも、ジェルジョーセントミクローシュも同様にアルメニア人の作った町だ。
やがてハンガリー人に同化し、その苗字だけが異国の名残を残している。
旦那の祖母の家系も、アルメニア人を祖先とするらしい。
町の至るところに、古い彫刻が見られる。


szekiutazas (1) 

人が柱を支えて、アーチになっている。


szekiutazas.jpg 


ここは学生時代に、今の旦那と一緒にヒッチハイクで訪れた
懐かしい思い出がある。
今は娘とふたりでここにいるのが、不思議な感覚だ。

バスターミナルから、10時のバスでセークに向かった。
昔は、民俗衣装を着るおばあさんが多いことで有名だったのだが、
不思議と町でもバスの中でも見かけることがなかった。
時代は確実に流れているのだ。
バスに揺られて、ぽっこりと突き出す丘の合間を進んで行くと、
この辺りはルーマニア人の村ばかり。
セークだけがハンガリー人の村として残り、
昔は村以外の人と結婚することはなかったという。
村の入口には、大きな黒塗りの門が立ち、
赤いチューリップの模様が施されている。

その時、運転手が言った。
「明日はバスは運休だよ。」
村人たちも驚いて、口々に困ったなどと言っていたのだが、
私も不意をつかれてしまった。
こうして、セークでの週末がはじまった。



comments(0)|trackback(0)|その他|2018-05-29_12:44|page top

5月の菜の花畑


タンポポが綿毛に変わり、
リンゴの花が散るころに、
毎年決まって黄色い菜の花畑が姿をあらわす。
 
  lepce (5) 

何ヘクタールも続く、黄色。
その色といったら、まるで初夏の太陽の光を
そのまま集めたかのようだ。
何とも言えない、甘い香りが鼻をつく。
いつか車窓から眺めたとき、
この菜の花畑の中を泳いでみたいと思ったものだ。


lepce (6) 

その美しい花畑を見たとたん、
子どもたちは中に飛び込んだ。
そして、すいすいと気持ちよさそうに花をかき分け、
どんどん突き進んでいく。
まるで蝶にでもなったかのように。


lepce (7) 

長女は、背の高い花の中にすっぽりと隠れてしまう。
名前を呼ぶと、大きくジャンプをした。


lepce (1) 

その甘いよい香りと、眩しいほどの黄色に包まれているだけで、
胸がわくわくとしてくる。
娘は顔中を黄色い花粉でいっぱいにして、
菜の花畑から出てきた。
幸せの色、黄色い菜の花。
来年もまた、この時期に会えるだろうか。


lepce (2) 






comments(4)|trackback(0)|トランシルヴァニア食文化|2018-05-14_21:19|page top