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朝めざめて外に出ると、風の強い日だった。 その風の強さ冷たさは、中国内陸の独特のものかもしれない。 遠く西域の黄砂もいっしょに飛んできているのだろう。
河南省、有名な観光地といえば少林寺くらいだろうか。 それでも、中原という言葉を聞けば 何か鳥肌のたつような響きを覚える人もいるかもしれない。 黄河という、東洋文明の礎を築いた大河の南に広がる地方である。
あまりの風の強さに行き先を変更して、 長距離バスに乗った。 かつての黄河は今のような濁色ではなく、 清く澄んでいたといわれる。 今では荒々しい岩肌がまるで要塞のように突き出し、 ぽっかりと洞窟のような穴が無数に開いている。 物置なのだろうか、住居なのだろうか。 先ほどまでいた高層ビルだらけの町とは、 似ても似つかぬような風景を唖然として眺めていた。
黄河の支流の潁川が流れる禹州は、 中国規模でいえば小さな町。 古代の禹王が夏という国をこの地に作ったという伝説がある。 その河川敷にある、道教の神々が祭られる洞窟へと向かった。

五色の旗が風に吹かれ、はためいている。 石造りの壁にその聖人たちの名前が刻まれているのだが、 目当ての洞窟だけは固く閉じられたままだった。 仕方なく隣の洞窟の中へ入ることにした。
薄暗い洞窟の中。 参拝客がひとり、3本の長い線香を捧げると 床の枕の上に頭をつけるようにして深々とお辞儀をする。 正面にはピカピカのペンキで色づけされた、 安い玩具のような髭の豊かな男の像がある。
隣にある張良洞のことを聞くと、 私のノートに漢字が書き込まれる。 その洞窟の番人がまだ来ていないらしい。
鮮やかな緑のスカーフをかぶった小さなおばあさんが、 大きな袋の中から饅頭(マントウ)をひとつ取り出して 私の手にのせた。 それから線香台をのせたテーブルに、 お湯をいっぱいに注いだ茶碗と漬物の小皿を置いてくれる。
うす暗い洞窟に、ろうそくの光だけがほのかに 辺りを照らし出す。 聖なる空間に、白湯の湯気がやわらかに立ち昇っていく。 固く冷えた饅頭と辛い漬物を噛みしめ、 あたたかな湯が喉をうるおしてくれる。 白湯を飲む習慣は茶よりも長く、 老子が孔子をもてなした時も同じものを飲んでいたと読んだことがある。 道教の聖人たちに、この幸運を感謝した。

おばあちゃんに何かお礼がしたくて、 写真を撮って送ることを思いついた。 わずかな中国語の知識を振り絞って、 私のあらゆることを伝え、おばあさんの住所を聞いてみる。 ノートとペンを渡すと、おばあさんはずいぶん長いこと考えながら書いている。 なんとか、趙という字が判読できた。 「・・・ソン。」趙おばあちゃんが言う。 「ああ、村のことね。」私が横に文字を書くと、うなづいた。
文字を書きなれない趙おばあちゃんが、 「いい人がいるから、ちょっと来て。」と私を促して外に出る。 階段をのぼり、石造りの小さな小屋の中に入ると、 机に腰掛けて、硯と筆で名簿のようなものに文字を書く老人がいた。 白髪で眼鏡をかけたおじいさんは先生のようで、 趙おばあちゃんの名前と住所を達筆な漢字で書き写した。
いろいろな質問の書かれた漢字で紙面が埋め尽くされていく。 筆談とわずかな中国語の知識だけで会話が成り立つのにも驚かされる。 ふと張良の文字に気がついた。 部屋の中に立っている、派手な服を着せられた金ぴかの像がそれであると分かる。 この敷地内にはさまざまな聖人が祭られているが、 古そうな建物の中に真新しい毛沢東の像を見たときには驚いた。
先に持ち場の洞窟に戻っていた趙おばあちゃんは、 私を見ると、「寒かったでしょう。」と声をかけ、 風にさらされて冷たくなった手をやわらかい両手で包んでくれた。

隣から誰ががやってきて、 「張良洞が見られるよ。」と声をかける。 小さな洞穴に、思ったとおりに真新しいペンキの像が立っている。 古くから信仰されてきた像はおそらく、 同じものではないのだろう。 それでも、同じ場所で人々が今も信仰つづけていることだけは事実である。
趙おばあちゃんが3本線香を渡してくれた。 私も1元札を手渡した。 先ほど見たように、足元の枕に頭をつけるようにしてお辞儀をする。 すかさず、おばあちゃんが「隣の人にもね。」と忠告する。 しばらくして、それが隣に置かれた観音さまの絵のことであることが分かった。 そちらの方にも頭を下げた。
歴史的に価値のあるものかどうかは分からない。 それでも禹州の洞窟は、旅の中で特別なものとなった。

中国の町は、予想をはるかに超えて大きい。 これまでも一日に一箇所を訪ねるので精一杯だった。 洞窟のある禹州市を離れて、小さな乗り合いバスで神屋鎮という小さな町に向かった。 小さなバスが町に近づくにつれて、 通りに陶器の壷やお皿などを並べる店が多くなる。 バスが最終地につくころには、雨が降りはじめた。
観光の本を一冊も持たない私の旅で、 この町は中国語のブログで偶然にも見つけたものだった。 中国には古鎮と呼ばれる、 古い趣をのこす町がいくつか残っているという。 有名なものは江南の水郷に多いようだが、河南省にある数少ない古鎮が神屋鎮である。
町中が陶器市になったような神屋鎮。 インターネットで見た風景には、なかなかたどり着けない。 雨の中、大通りをひたすら歩くうちに、 下へとつづく小さな通りに何か心引かれるものを感じた。 路地を下って行きついた先に、石畳の風景が現れた。

中国にきて、ここは石の文化であると思った。 森林資源の豊かな日本に比べると、驚くほど木造の住宅が少ない。 神屋鎮の通りで目にするのも、 石やレンガ、陶器で敷き詰められた壁だった。

通りの終わりには、共産党の星マークのついた廃墟のようなものがあった。

歴史的な古い建造物などはすべて取り壊されていると思っていたが、 この通りには清代の民家が陶芸の文化とともに今なお残っている。 また立派な廟も見られる。

雨に濡れた石畳を歩いていると、 昔の城郭の名残のような門を見つけた。

長い伝統と他民族の攻防の歴史をもつ中国。 古代の歴史の名残は土の下にしか見つからないといわれているが、 地上にも1000年以上の歴史が地層のように重なり合い、 絡まりあって存在しているのに違いない。 これからどんな風に変わっていくのか、 興味のつきない国である。
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