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トランシルヴァニアへの扉 - Erdely kapuja-

古きよきヨーロッパの面影を残す、トランシルヴァニアへの扉をそっと開いてみませんか?

::自己紹介::

谷崎 聖子

Author:谷崎 聖子
1978年宮﨑生まれ。
大阪外大、ハンガリー語学科卒業。
ブダペスト大学で民俗学を専攻。
ルーマニア、トランシルヴァニア地方のフォークロアに惹かれて、セーケイ地方に移住、結婚。
三人の子育て中。

伝統手芸研究家。
トランシルヴァニアの文化、手しごとを広める活動をしています。主な著書「トランシルヴァニアの伝統刺繍 イーラーショシュ」、「カロタセグのきらめく伝統刺繍」。

東欧雑貨ICIRI PICIRIFOLK ART Transylvaniaのオーナー。

詳しくは、森の彼方-トランシルヴァニアへの扉をご覧ください。

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朝日カルチャー講習会にご参加いただいた皆さま

先日、朝日カルチャーセンター新宿校へ

ご参加いただきありがとうございました。

イーラーショシュ、編みクロスステッチという

ふたつの刺繍について伊藤園子先生とご一緒に講習させていただきました。


イーラーショシュのレジュメがご準備できなかった件につきまして、ご連絡がございます。

東京からの移動、3日の南九州を襲った大雨で避難をしました後、

講習会で頂戴しましたリストが紛失してしまいました。


そのため、レジュメならびに見本作品の画像をご希望の方には、

以下のリンクまたは、コメント欄に

メールアドレスもしくは

お名前ご住所をご連絡くださいませ。

メールフォーム


こちらの不始末で皆さまにご迷惑をおかけしました事を

心からお詫び申し上げます。


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comments(0)|trackback(0)|トランシルヴァニア食文化|2019-07-13_07:21|page top

6月は別れの季節

ここトランシルヴァニアでは、
秋に学期が始まって、夏に終わる。
そのため、6月は卒業の季節となるのである。
我が家の長男は、もうすぐ中学校を卒業し、
高校受験を控えている。

想えば、ここトランシルヴァニアに引っ越してきた11年前。
ひとり息子だった長男は、幼稚園に通いはじめた頃だった。
幼稚園から小学校、そして中学校と終えた。
あと4年したら、巣立っていく。
子どもと過ごす時間の少なさに頬をつままれるような思いだ。

我が家のキッチンの窓から下を見下ろすと、
中学校の校庭がある。
休み時間のベルが鳴るとすぐさま飛び出して
一番にボールを蹴っているのが長男だ。
私も旦那の背丈も追い越して、我が家では一番体が大きい。
それなのに、心と体のバランスが取れず、
まだ友達と遊びたい一心でいる。
家族や兄妹の存在が煩わしく、ひとりで部屋にいる時間が至上と思う、
思春期の真っただ中である。

子どもでいられる時期は短い。
あっというまに成長し、誰もが大人になるという事実を突きつけられ、
そこから逃げるすべはないのだ。
進路という、一つの分かれ道に差し掛かかっている。
勉強という障害から目を背けようとする長男に、
いらだつ自分もいるのだが、
その一方で人の進むレールに乗っていくことばかりが
生き方ではないのではないかと疑心する自分もいる。

秋になり、学校のベルが鳴っても、長男の姿が校庭に見られなくなるようになり、
ひとつずつ遠く離れていくのを感じるのだろうか。

balazs.jpg







comments(0)|trackback(0)|トランシルヴァニア食文化|2019-06-04_17:23|page top

新年のあいさつ

セントジュルジの裏に広がる大きな森、
小川に沿った道筋をどこまでもいくと、
アーラパタク村にたどり着く。
月に一度、村のピロシュカおばあさんを訪ねるのが習慣になっていた。

慌ただしかった年末に、何か月かぶりに村に立ち寄った。
秋に一度、ずっと姿を見せないので心配して私の留守中に電話があったという。
眠る次男を腕に抱いて車の中で待っていたら、
寒い中、わざわざおばさんが通りまで出てきてくれた。

ある日曜日、楽しみにしていた教会の礼拝にも行けず、
部屋をそわそわと歩き回り、気持ちが落ち着かなかった、独り身の辛さを訴えた。
しわしわの手を握って、話を聞いてあげることしかできなかった。
私などは家族に囲まれても心が定まらない日があるのに、
子どももなく、夫に先立たれたおばあさんの気持ちは計り知れない。

月に一度、旦那たちがブラショフの町に出かけている間、
娘とふたり、おばあさんの家で待たせてもらった。
刺繍をしたり、おしゃべりをしたりしながら時間をつぶした。
飽きると、讃美歌を取り出して、いっしょに歌を歌ったりもした。

「私は毎年、新年がくるとこの詩を色々な人に聞かせるの。」
と一枚の紙を取り出し、詩を朗読してくれた。

今までの私なら、何ということもなかったのであろう。
しかし、40の扉を開き、
海外在住10年目の年の終わりに次男の大病に見舞われた私の心に
その言葉は大きく響いたのだった。
その一枚の紙きれの言葉を書きとった。
80を過ぎたおばあさんは、新年を迎えるにあたり、
この一年の行く末をいかに案じ、
新年のその日をいかに重く受け止めていたに違いない。


「今ちょうど、新年の明け方の前にきています。
果たして、皆そろって日暮れ時までいることができるでしょうか。
この新しい年に、私たちの人生の道はいずこへ続くのでしょうか。
いばらか、それとも花の道か、
それは神さまのみが知ることです。
神さまが真実の道へと導き、
私たちの歩み全てをつかさどるのです。
どうか、この小さな幸せなる巣を嵐から守ってください。
健康と幸福と、楽しい笑いと鈴の音を、
どうか神さま、私たちに恵んでください。
新年、明けましておめでとうございます。」













comments(2)|trackback(0)|トランシルヴァニア食文化|2019-02-25_18:42|page top

黒い天使

次男の病気のことが分かり、まだ混乱の最中にいた頃、
「明日ブカレストへ行くから、家から荷物があったら届けてあげる。」とメッセージがきた。
そんなに急ぎでもないので、郵便でも送れないことはなかったのだが、
彼女の好意に甘えることにした。

その頃は病院の付き添いに姑がいてくれたため、
私は外のホテルに滞在していた。
日本から慌てて荷造りをしてきたため、
冬の寒さに備えた衣服がなかった。

木枯らしの吹く寒い晩秋、どんよりと厚い雲が空を覆っていた日、
病院に彼女が到着した。
いつものように黒い衣装に身を包んだ彼女は、
これからプロィエシュティでコンサートがあるという。
彼女の次女は、娘の幼稚園のクラスメイトである。
産まれて四ヶ月で、次女のアビは心臓の手術をしなければならなかった。
「その頃は、私はコンサートでドイツに行かなければならなくて、
一番辛い時期に、スターの役を演じなければならなかった。」
そうして手術後は、集中治療室で一日30分しか娘の姿を見ることができなかった。
「そんなときは、私は外を思い切り散歩したわ。」

私も同様に、午後の3時から8時までの
面会時間だけしか次男と会うことができなかった。
次男のそばにいる時は安心して笑顔でいられたが、
離れてホテルの部屋に一人でいるときは、
心細さで押しつぶされそうだった。

殺風景な待合室で、椅子にもかけずに彼女は話してくれた。
アビの主治医に先日会って、息子の手術を担当する医者について尋ねてくれたという。
「大丈夫。イリエスク先生は、この病院で一番のお医者さんで、
人間味あふれる人だとの評判だそうよ。」
彼女も、娘さんを良い医者の手に託すことにし、安心できたという。
医師としての評判はもちろん、いつも穏やかで人の心が解る主治医に恵まれた、
私も同じ心持ちだった。

私の衣服の詰まったリュックとともに、
袋いっぱいの差し入れを手渡してくれた。
思いの他、長話をしてしまったことに気がつき、
ふたりの娘さんは車の中で待たせていることがわかった。

別れ際、彼女の目に涙が浮かんだ。
私も同様に涙していた。
肩を抱きしめ、「あなたは強くならなくちゃ。」と言った。
「そうするわ。」と約束をした。
颯爽と病院の扉を開けて出て行く彼女の姿は、
黒い天使そのものだった。

ジャズシンガーのルイザ・ザンの歌声は、
強く、そして優しい。
彼女の人柄そのもの。

あれから3ヶ月。
次男の検査の前日、私は彼女のコンサートへ向かう。
どうしても今、彼女の歌声から力を得たいから。

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comments(0)|trackback(0)|トランシルヴァニア食文化|2019-02-21_17:49|page top

一年の終わりに

一年の終わりを目の前にしたこの日、
ちょうど一年前のお正月の日の遠足を思い浮かべている。
この一年を象徴するような出来事だったからだ。

はじめは快晴の青空、
やがて真っ白な霧に包まれ辺りは何も見えなくなった。

カロタセグにセーク、そしてモルドヴァ。
さまざまな地方を渡り歩いて、かけがえのない思い出ができた反面、
人生の落とし穴のような次男の病気が待っていた。
10月半ばに次男と別れたときには元気に幼稚園に通っていたのに、
その一ヶ月後、ブカレストの病院で会った息子は歩くことも、
ひとりで座ることもできないほど衰えていた。

「あなたの息子は生命の危険のある手術をしなければならない。
そのリスクを承知しているか。」
お医者さんにそう告げられ、私は首をたてに振るより仕方なかった。

3歳2ヶ月の小さな体で大きな手術に臨み、
イリエスク・ドクターによって、再び新しい生命を授かった。
家族でクリスマスを迎えることができ、
息子はひとりで歩けるようになった。

2週間以上の入院生活で、私も親として学ぶことが多かった。
その日その日を一生懸命に生き、
目の前のことにただ夢中でいる3歳の無垢な心は、
ともするとネガティブな不安でいっぱいになる私の気持ちを大きく変えてくれた。
また病院には他にも多くの病気の子供たち、
その付き添いの母親がいて、不安の中お互いを支えあっていた。
お医者さんや看護師さん、掃除婦のおばさんやさまざまな人の
ちょっとした言葉がやさしく響いた。

勇気を、
強くなって、
神さまのご加護を、
リラックスして、
きっとうまくいく。

はじめ威圧的だった初老のお医者さんが集中治療でかけてくれた言葉、
「子どもは母親のあなたを見たい、聞きたいと思っているんだ。
どうかたくさん話しかけてあげて、そばにいてあげなさい。」

どうか新しい年は、
健康で家族が過ごせるようにと願ってやまない。

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comments(2)|trackback(0)|トランシルヴァニア食文化|2018-12-31_14:39|page top