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トランシルヴァニアへの扉 - Erdely kapuja-

古きよきヨーロッパの面影を残す、トランシルヴァニアへの扉をそっと開いてみませんか?

::自己紹介::

谷崎 聖子

Author:谷崎 聖子
1978年宮﨑生まれ。
大阪外大、ハンガリー語学科卒業。
ブダペスト大学で民俗学を専攻。
ルーマニア、トランシルヴァニア地方のフォークロアに惹かれて、セーケイ地方に移住、結婚。
三人の子育て中。

伝統手芸研究家。
トランシルヴァニアの文化、手しごとを広める活動をしています。主な著書「トランシルヴァニアの伝統刺繍 イーラーショシュ」、「カロタセグのきらめく伝統刺繍」。

東欧雑貨ICIRI PICIRIFOLK ART Transylvaniaのオーナー。

詳しくは、森の彼方-トランシルヴァニアへの扉をご覧ください。

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サマーキャンプでの出会い

一か月の長い日本の夏休みから帰ると、
急激な気温の変化になじめず、しばらくぼんやりと過ごしていた。
久しぶりの日本の滞在は期限があるせいか、
それとも日本の風潮のせいなのかわからないが、
いつも何かに急かされているようだった。
それがトランシルヴァニアに帰ると、何とも言えない
時間のゆるやかさに包まれる。

夏のある日、誰かから連絡があり、
ここから北へ60キロほど離れたチークセレダのはずれショムヨーで
サマーキャンプに携わってほしいとの依頼があった。
カトリック教の施設内で15歳から30歳までの若者たちが集い、
宿泊施設でマットレスをひいたり、キャンプ道具を持って行って寝たりと
自由でお金のかからない滞在ができる。

大きなテントの中にテーブルやいすを並べただけの会場。
書道道具や手作りの教材を広げていると、
学生のグループが集まってきて、ワークショップが始まった。
甲骨文字と現在の漢字の違い、
漢字の熟語の成り立ちなどをカードで体験してもらい、
お手本をもとに筆を使った書道を体験してもらった。

カードを見ながら友達とおしゃべりをしたり、
携帯を片手に好きな手本を見つけては写したりと
のびのびと楽しむ姿が印象的であった。

1時間半が過ぎ、そろそろ片づけをはじめていると、
そばに一人の青年が立っていた。
手本用の文字ではなく、日本語の文を書いた紙を手に持っている。
それを褒めると、
かつて日本語に興味があって、自分で調べたこともあると話した。
それから学校のこと、進路のことと話しがはずみ、

「かつて医者になりたいと思った時期もあったけれど、
ハンガリー人の自分ではルーマニア語のハードルが高く、
ルーマニアの医大に入るのは難しい。
今は、ハンガリーの法学に進みたいと考えているんだ。
どうしても、人間に関わる仕事をしたいんだ。」

「何らかの使命をもって、神様からこの命を授かったと思っている。
だから、何とかしてそれを見つけたい。」

20歳そこらかと思っていたら、わずか高校1年生。
明るく外交的な今どきの若者が、ふと真面目な表情を見せて、
「将来のことが不安だ。」と口にした。
もやもやとした将来への不安を感じていた、自分の若い頃の姿に重なった。
「あなた自身が世界に開けていたら、きっと大丈夫。」
と私なりの声援を送った。

友人たちに声をかけられて別れるときになると、
「ハグをしてもいい?」と言うので、
動揺しながらも「もちろん。」と
息子くらいの少年と肩を抱いて見送った。

同行していた息子に
「来年は、ここにキャンプに来ない?」と尋ねると、
恥ずかしがり屋の彼なりにこの場で何かを得たらしく、
「そうだね。友達に声をかけてみようかな。」と晴れやかな顔で答えた。






















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comments(0)|trackback(0)|トランシルヴァニア食文化|2019-08-20_04:51|page top

朝日カルチャー講習会にご参加いただいた皆さま

先日、朝日カルチャーセンター新宿校へ

ご参加いただきありがとうございました。

イーラーショシュ、編みクロスステッチという

ふたつの刺繍について伊藤園子先生とご一緒に講習させていただきました。


イーラーショシュのレジュメがご準備できなかった件につきまして、ご連絡がございます。

東京からの移動、3日の南九州を襲った大雨で避難をしました後、

講習会で頂戴しましたリストが紛失してしまいました。


そのため、レジュメならびに見本作品の画像をご希望の方には、

以下のリンクまたは、コメント欄に

メールアドレスもしくは

お名前ご住所をご連絡くださいませ。

メールフォーム


こちらの不始末で皆さまにご迷惑をおかけしました事を

心からお詫び申し上げます。


*こちらの件、朝日カルチャーの担当の方のご配慮で、

全ての受講者にレジュメを郵送させていただきました。


comments(0)|trackback(0)|トランシルヴァニア食文化|2019-07-13_07:21|page top

6月は別れの季節

ここトランシルヴァニアでは、
秋に学期が始まって、夏に終わる。
そのため、6月は卒業の季節となるのである。
我が家の長男は、もうすぐ中学校を卒業し、
高校受験を控えている。

想えば、ここトランシルヴァニアに引っ越してきた11年前。
ひとり息子だった長男は、幼稚園に通いはじめた頃だった。
幼稚園から小学校、そして中学校と終えた。
あと4年したら、巣立っていく。
子どもと過ごす時間の少なさに頬をつままれるような思いだ。

我が家のキッチンの窓から下を見下ろすと、
中学校の校庭がある。
休み時間のベルが鳴るとすぐさま飛び出して
一番にボールを蹴っているのが長男だ。
私も旦那の背丈も追い越して、我が家では一番体が大きい。
それなのに、心と体のバランスが取れず、
まだ友達と遊びたい一心でいる。
家族や兄妹の存在が煩わしく、ひとりで部屋にいる時間が至上と思う、
思春期の真っただ中である。

子どもでいられる時期は短い。
あっというまに成長し、誰もが大人になるという事実を突きつけられ、
そこから逃げるすべはないのだ。
進路という、一つの分かれ道に差し掛かかっている。
勉強という障害から目を背けようとする長男に、
いらだつ自分もいるのだが、
その一方で人の進むレールに乗っていくことばかりが
生き方ではないのではないかと疑心する自分もいる。

秋になり、学校のベルが鳴っても、長男の姿が校庭に見られなくなるようになり、
ひとつずつ遠く離れていくのを感じるのだろうか。

balazs.jpg







comments(0)|trackback(0)|トランシルヴァニア食文化|2019-06-04_17:23|page top

新年のあいさつ

セントジュルジの裏に広がる大きな森、
小川に沿った道筋をどこまでもいくと、
アーラパタク村にたどり着く。
月に一度、村のピロシュカおばあさんを訪ねるのが習慣になっていた。

慌ただしかった年末に、何か月かぶりに村に立ち寄った。
秋に一度、ずっと姿を見せないので心配して私の留守中に電話があったという。
眠る次男を腕に抱いて車の中で待っていたら、
寒い中、わざわざおばさんが通りまで出てきてくれた。

ある日曜日、楽しみにしていた教会の礼拝にも行けず、
部屋をそわそわと歩き回り、気持ちが落ち着かなかった、独り身の辛さを訴えた。
しわしわの手を握って、話を聞いてあげることしかできなかった。
私などは家族に囲まれても心が定まらない日があるのに、
子どももなく、夫に先立たれたおばあさんの気持ちは計り知れない。

月に一度、旦那たちがブラショフの町に出かけている間、
娘とふたり、おばあさんの家で待たせてもらった。
刺繍をしたり、おしゃべりをしたりしながら時間をつぶした。
飽きると、讃美歌を取り出して、いっしょに歌を歌ったりもした。

「私は毎年、新年がくるとこの詩を色々な人に聞かせるの。」
と一枚の紙を取り出し、詩を朗読してくれた。

今までの私なら、何ということもなかったのであろう。
しかし、40の扉を開き、
海外在住10年目の年の終わりに次男の大病に見舞われた私の心に
その言葉は大きく響いたのだった。
その一枚の紙きれの言葉を書きとった。
80を過ぎたおばあさんは、新年を迎えるにあたり、
この一年の行く末をいかに案じ、
新年のその日をいかに重く受け止めていたに違いない。


「今ちょうど、新年の明け方の前にきています。
果たして、皆そろって日暮れ時までいることができるでしょうか。
この新しい年に、私たちの人生の道はいずこへ続くのでしょうか。
いばらか、それとも花の道か、
それは神さまのみが知ることです。
神さまが真実の道へと導き、
私たちの歩み全てをつかさどるのです。
どうか、この小さな幸せなる巣を嵐から守ってください。
健康と幸福と、楽しい笑いと鈴の音を、
どうか神さま、私たちに恵んでください。
新年、明けましておめでとうございます。」













comments(2)|trackback(0)|トランシルヴァニア食文化|2019-02-25_18:42|page top

黒い天使

次男の病気のことが分かり、まだ混乱の最中にいた頃、
「明日ブカレストへ行くから、家から荷物があったら届けてあげる。」とメッセージがきた。
そんなに急ぎでもないので、郵便でも送れないことはなかったのだが、
彼女の好意に甘えることにした。

その頃は病院の付き添いに姑がいてくれたため、
私は外のホテルに滞在していた。
日本から慌てて荷造りをしてきたため、
冬の寒さに備えた衣服がなかった。

木枯らしの吹く寒い晩秋、どんよりと厚い雲が空を覆っていた日、
病院に彼女が到着した。
いつものように黒い衣装に身を包んだ彼女は、
これからプロィエシュティでコンサートがあるという。
彼女の次女は、娘の幼稚園のクラスメイトである。
産まれて四ヶ月で、次女のアビは心臓の手術をしなければならなかった。
「その頃は、私はコンサートでドイツに行かなければならなくて、
一番辛い時期に、スターの役を演じなければならなかった。」
そうして手術後は、集中治療室で一日30分しか娘の姿を見ることができなかった。
「そんなときは、私は外を思い切り散歩したわ。」

私も同様に、午後の3時から8時までの
面会時間だけしか次男と会うことができなかった。
次男のそばにいる時は安心して笑顔でいられたが、
離れてホテルの部屋に一人でいるときは、
心細さで押しつぶされそうだった。

殺風景な待合室で、椅子にもかけずに彼女は話してくれた。
アビの主治医に先日会って、息子の手術を担当する医者について尋ねてくれたという。
「大丈夫。イリエスク先生は、この病院で一番のお医者さんで、
人間味あふれる人だとの評判だそうよ。」
彼女も、娘さんを良い医者の手に託すことにし、安心できたという。
医師としての評判はもちろん、いつも穏やかで人の心が解る主治医に恵まれた、
私も同じ心持ちだった。

私の衣服の詰まったリュックとともに、
袋いっぱいの差し入れを手渡してくれた。
思いの他、長話をしてしまったことに気がつき、
ふたりの娘さんは車の中で待たせていることがわかった。

別れ際、彼女の目に涙が浮かんだ。
私も同様に涙していた。
肩を抱きしめ、「あなたは強くならなくちゃ。」と言った。
「そうするわ。」と約束をした。
颯爽と病院の扉を開けて出て行く彼女の姿は、
黒い天使そのものだった。

ジャズシンガーのルイザ・ザンの歌声は、
強く、そして優しい。
彼女の人柄そのもの。

あれから3ヶ月。
次男の検査の前日、私は彼女のコンサートへ向かう。
どうしても今、彼女の歌声から力を得たいから。

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