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トランシルヴァニアへの扉 - Erdely kapuja-

古きよきヨーロッパの面影を残す、トランシルヴァニアへの扉をそっと開いてみませんか?

::自己紹介::

谷崎 聖子

Author:谷崎 聖子
1978年宮﨑生まれ。
大阪外大、ハンガリー語学科卒業。
ブダペスト大学で民俗学を専攻。
ルーマニア、トランシルヴァニアのフォークロアに惹かれて、セーケイ地方に移住、結婚。
三人の子育て中。

伝統手芸研究家。
トランシルヴァニアの文化、手しごとを広める活動をしています。主な著書「トランシルヴァニアの伝統刺繍 イーラーショシュ」、「カロタセグのきらめく伝統刺繍」。

東欧雑貨ICIRI PICIRIFOLK ART Transylvaniaのオーナー。

詳しくは、森の彼方-トランシルヴァニアへの扉をご覧ください。

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ブログ翻訳

馬車の散歩

3月のある日曜日、
隣の村に住んでいる旦那の異母兄を訪問することになった。
亡き舅の墓参りをしに、毎年11月に故郷の村へ出かけるほかは、
普段あまり会うことがない。
その兄と、しばらく音信不通となっていた。

昨年の死者の日の前日に、
何度か電話をしても出なかった。
年末にやっと電話をかけて、事情を知ったのだったが、
去年の春に大きな病気が見つかり、
手術やその後の精神的ショックでなかなか人と話せる状況でなかったという。
そして来週にまた手術を控えているという状況の中、
連絡をしてきたのだった。
自分の健康状態を考慮してのことだろう、
舅の残した本や原稿などが見つかり、渡したいとのこと。
子どもたちを馬車にのせたいとも申し出てくれた。

その日は珍しく、朝から青空が広がっていた。
明るい風景とはうって変わって、
珍しく冷たい風が吹いていて、実際の気温よりだいぶん寒く感じられる。
車で、アールコシュ村の大通りから
細道に入っていくと、行き止まりの小さな通りに出る。
そこが、舅の名をとってつけたシェレシュ・アンドラーシュ通りだ。
そこに住む兄も、同じ名前である。
ここでは、伝統的に長男に父親と同じ名前、
長女に母親と同じ名前を付けることが多く、
ご先祖をどれくらいさかのぼっても、シェレシュ・アンドラーシュだったに違いない。

アンドラーシュは、舅の本業だった民俗学には興味がなく、
その息子たちも同様のようだ。
そこで異母弟である旦那がそういった資料的なものをすべて相続していた。
異母姉のイルディコーは、ハンガリーに亡命するときに、
貴重なコレクションをすべて持ち出し、売ってしまったと聞いている。
今では音信不通のようだ。

久々に会う兄はすっかり痩せて、年をとったように見える。
茶色いニットセーターが大きく感じられる。
ついてすぐに納屋へ通してくれ、
羊やヤギ、ウサギや馬などが温かい息を吐いて、
動物特有の熱気でこもっていた。
家畜で生計を立てるほどの数でもない。
病気にも関わらず、これだけの家畜を世話しているとは、
よっぽど動物を愛しているのだろう。

中でも、2M以上もある巨大な躰をもつクリーム色の馬は、
彼の自慢でもあるようだった。
「名前は、シレトだ。
モルドヴァから連れてきたので、川の名前からとったんだよ。」
モルドヴァは、舅のフィールドで、
生前、足しげく収集のために通っていた。
そして、チャーンゴー人の集落のあいだを流れる川が、
彼らの方言でいう「愛」という美しい名をもつ川であった。

元々はオーストリア産の、運搬用の馬であるらしい。
筋肉質の体に、地面に届くほどの尻尾はストレートでプラチナ・ブロンドだ。
「冬なので、毛が生え変わるから」とご主人が丁寧に体をブラッシングしていた。

やがて馬に馬車を取り付け、
後ろの荷台には、椅子代わりに干し草の束を積んでいった。
さらに、納屋から巨大な羊の毛皮を取り出して、
寒くないようにとかけてくれた。
ずっしりと重い。
ふと兄は思いついたように、納屋へ戻ると
カウボーイ・ハットを4つ荷台に投げ込んだ。
何かの冗談だろうか、「寒くないように。」とは言うが、
つばの広がった帽子では、風よけにもならない。
こうして、馬車は私たち家族と兄をのせて、
隣村へと出発した。

せっかくなので帽子にカウボーイハットをかぶせて、その気分を味わう。
カタカタと心地よい音を立てて、
久々に乗る馬車は、なんとも爽快である。
上下、左右に揺さぶられるのにも、じきに慣れてくる。
普通なら坂道を上るときなど特に馬が可哀想になってくるのだが、
このどっしりとした頑丈な馬なら一頭でも頼もしい。


szeker (7)


まだ集落が見える前に、左手に見えてきたのは教会だった。


szeker (4)


生まれて初めて乗る馬車。
5歳の次男もしっかりつかまり、目を凝らして風景を眺めている。


szeker (9)


長女は旦那の膝に座り、
アンドラーシュに手綱を握らせてもらっていた。
思いのほか、風が冷たく、
何度となく、毛皮の布団を手繰り寄せてはみたが、
重くてなかなか動かせなかった。


szeker (12)


遠くから同じように馬車がやってくる。
ルーマニアの村では馬車を見ることはそう珍しくはないが、
兄の飼う馬はその種の馬でないことは、素人の私でも見分けがつく。
村人たちの、特にジプシーの男たちの羨望のまなざしを感じる。


szeker (11)


「ちょっと、ここで待っていてくれ。」と村のはずれで馬を止めた。
誰か知人を探しているらしく、
村人たちに尋ねてみたものの、留守のようだった。
近所からジプシーの少年たちがやってきて、
馬や馬車を珍しそうに見ながら、
私の足元にある巨大な毛皮を高価なおもちゃのように眺め、何かささやき合っている。


szeker (6)


この付近ではかなり大きいジプシー居住区があり、
私も昔ここに入ったことがあった。
まるでラビリンスに迷いこんだような、
狭い路地が張り巡らされていて、興味深いところだった。

やがて、森のはずれまでやってくると、ここでUターン。
太陽も徐々に高く上り、風景は明るいが、
それでも長時間、風にさらされて寒かった。
冬と春の入り混じった風景、
もうすぐトンネルを抜ける所なのに、
それが長く感じられるのだ。


szeker (1)


去年の春、外出禁止令が厳しくなった頃に、
何度も兄からの連絡があったのを思いだした。
「大丈夫か?」「元気かい?」としきりに尋ねるのに、
首をかしげて旦那に報告したものだった。
思えば、あの時期に自分の病気のことを知り、
気遣ってくれたのだろう。
30過ぎた息子二人は、子供が生まれず、
シェレシュの名を持つ遺伝子は、
恐らくうちの三人の子供たちだけになるだろう。
兄は家族のきずなを探しているのかもしれない。
彼が健康を取り戻し、
再び一緒に馬車に乗って出かける日がやってくることを願う。





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comments(0)|trackback(0)|自然、動物|2021-03-14_22:12|page top

冬と春のあいだ

2021年が明けた。
じれったいほどに冬の到来が遅かったのに、
今ではなかなか去って行こうとしない。
まるで迷惑な客のようだ。

冬と春とが、寄せては返す波のようにやってくる。
もうこれで、最後の雪だろうと安心していると、
忘れたころにまた大地が白くなる。

可哀想なのは植物たちで、
春と思い、久々に空気を吸いに顔を出したと思ったら、
再び冷たい雪にすっぽりと隠れてしまう。

数日積もった雪が、太陽の光で溶けてゆく頃、
町はずれへと散策に出かけた。
なだらかな丘の斜面にはまだ雪が残っていたので、
念のためにと車のトランクに入れて置いたそりが、思いのほか役に立つようだ。

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太陽の光で気温は上昇しているので、
帽子も手袋もいらない陽気。
それでも、大地はまだ冷たいままで、
雪や氷を溶かしきることができない。
長い斜面をそりで滑ると、氷がつるつると滑って、
何百メートルも遠くへと運んでくれる。


ttvasz (4)


 今年最後になるであろうそり遊びを存分に楽しんだ後は、
南向けの斜面へと向かった。
ここではほとんど、きれいに雪は洗い流されていて、
雪解けの水をたっぷりと含んだ草原が露わになっていた。
まるでその色といったら、
茶色い動物の毛並みのようで瑞々しく、美しい。
「洗い立ての髪を、櫛でといたようだろう。」と旦那も言った。

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昼間の陽気で気持ちよく、
どこまでも草原を歩いてゆきたい気分だった。
斜面を登ったところで、美しい木を見つけた。
木の根元に安楽椅子のように腰かけて、
目をつむっていると、心も体もほぐされていくようだ。
いつしか目に見えないストレスに絡み取られていたことに気が付く。
それは、四角い壁の中にいては発散されることはない。
大地の匂いをかぎ、
太陽の光をあびて、
外の空気を吸って呼吸をしなければならない。野生動物や植物のように。


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人間もやはり動物なのだ。本能が自然を欲している。
当たり前のことなのに、どうして忘れてしまうのだろう。
この植物たちのように、地に根を下ろして生きていきたい。


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家から徒歩10分でたどり着ける、大自然。
町のはずれの共同墓地の裏手に、美しい丘と谷間が広がっている。


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丘を一気に滑り降りて、谷間に出る。
ここに数多くの野草が生息している。


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ふたたび丘をのぼって、高台にやってきた。
ここは市民の隠れた散歩コースとなっていて、
犬の散歩をする人も見られる。


ttvasz (2)


ここは高原地方に属しているようで、
朝晩と昼間との気温の変化が大きい。
今の時期は20度くらい差がある日も少なくない。
遠くからねずみ色の雲がまるで夕立の積乱雲のように迫っていた。


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さらに茂みの生えた谷間を越えて登っていくと、
町の中でも一番高い地点にたどり着く。
太陽が日に日に長くなり、
確実に春が近づいているのが肌で感じられる。
来るべき季節に、この日常の鬱蒼を吹き飛ばしてほしい。


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comments(0)|trackback(0)|自然、動物|2021-03-11_21:24|page top

野いちごの谷へ

私たちの日常は、 この3月で大きく変わった。
3月半ばに学校が閉鎖され、
日常生活の中でもさまざまな制限が加えられた。
子供たちができるだけ、
この閉塞した空気に押しつぶされないように、
外に出ることを心掛けるようにしている。
公園もすべて立ち入り禁止となり、
表では遊ぶ子供たちの姿が消えた。
外出制限のため、昼の2時間の間は、お年寄りが列を作って店の前に並んでる。
町の中心は、まさにゴーストタウンに近い状態である。

散歩や運動のための、近所への外出は認められている。
そのためにルーマニア語の申請書を毎回書き、
いつも持ち歩かなければならない。

家から10分でたどり着く、大自然。
町のはずれの谷へと、子供たちを連れて向かった。
3月の半ば、まだ台地にはうっすらと緑の気配がみられるだけである。

  谷 (12)

冬にはそりをした下り道。
気を付けてゆっくりと下っていく。

谷 (11)

すっきりと晴れた青空に、
「ロバのとげ」が大きく伸びている。

谷 (9)


谷間には、湧き水からちいさな小川ができている。
足をぬらさないように気を付けて向こう岸にわたり、
小高い丘を登っていくと、
高層住宅もはるか向こうに見渡せる。


谷 (10)


だだっ広い原っぱの中に
ぽつんとひとつ巨大な岩が置かれている。
自然のほかには何もないこの場所で、
これだけがただ一つの遊具。
岩によじ登って遊んでいる。


谷 (5)


冬はそりをする老若男女でにぎわうこの丘も、
今はたまに犬を連れて散歩する人々がちらほらするだけ。
丘の上までかけっこをする。

谷 (3)


ここまでくると、もう森も近く。
四角い壁の中で朝から晩まで過ごした閉塞感も、
広々した場所にくると気持ちが一気に解放される。


谷 (4)


谷沿いに並んだ木々の中にひとつ、
黄色く輝くような木が目についた。
近くにいってよく見ると、
小さなネコヤナギの花だった。
古くから、イースターの象徴とされるのは、
卵のような形のつぼみだからだろうと思っていたが、
ひらいた花はまるでヒヨコのように明るい黄色。


谷 (7)


ぐるりと谷をしていると、
春が忍び足で近づいているのが感じられる。
もうすぐ野イチゴの花が咲く。
初夏になったら赤い熟したイチゴを拾いにこよう。
春の花はまだかと思っていたら、
娘が野生のドライフラワーの花束を作ってくれた。


谷 (8)


その翌日、一家で森に散策に行くと、
そこでは、いち早く春が訪れていた。
クリスマスローズやカタクリ、ニリン草などが落ち葉の中からちらほらと顔を出していた。
自然は、私たち人間界の悩みも不安にもお構いなしに、
たくましく生きている。
この春ほど、こうした自然のサイクルがありがたく、
そして自然の姿がうらやましくとも、神々しく思うことはなかった。
過酷な寒さにも地中で耐え忍ぶ植物のように、
私たちはもっともっと強くならなければいけない。




comments(0)|trackback(0)|自然、動物|2020-04-11_16:40|page top

白銀の森


3週間の長い冬休み。
冬眠から目覚めたばかりの熊のような気持で、
日常がスタートすると、
その二日後には子供たちの体に異常が現れた。
次男の背中に見られる赤い点・・、
友人からいつか電話で言われたことがすぐに思い立った。

昨年の大晦日前、
友人宅でパーティがあって、
はるばるカロタセグからやってきた友人家族の
子供たちに数日後、水疱瘡の症状が現れたというのだった。
もちろん、その時点では誰も知らなかった。

すぐに幼稚園、学校の先生、かかりつけの医師に連絡をすると、
2週間の休みを言い渡された。
年末に交流した友人の子供たちにも皆、同じ症状が現れていた。

朝から晩まで濃い霧に包まれた、1月の半ば。
霧はいつしか氷となり、
町中に見事な樹氷がみられた。
子供たちが休みとなったその初日、
発疹のほかは特に症状もなく、機嫌もよかったので
森へ散歩に行くことにした。
車に乗りこむころには、運よく空も晴れてきた。

毎日が白い霧ばかりに慣れていた目には、
青空と太陽の光、
それらに照らされる白い森が眩しいほどに鮮やかだった。
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まるでデコレーションしたように、真っ白の木々。
いき慣れた場所なのに、目新しくてわくわくと胸が弾む。

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長く伸びた枝は、まるで砂糖菓子か氷菓子のよう。

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森の中に入ると、
さらにその興奮が高まり、
芸術作品のように美しい木の枝を観察した。

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結晶のような繊細な雪の粒。
自然のなす芸術は、魔法のように目をとらえて離さない。

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太陽の光が差すと、その美しさはさらに輝きを増す。
野生動物は、こんな白い森の中にいたら
身を隠す場所もないだろう。
鏡のように透明で、澄んだ色あい。

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さらに奥へ奥へと引き込まれていると、
次男が泣きそうな声で「寒い。」と訴えた。
まだ来て、1時間とたっていない。
後ろ髪引かれる思いで、森を何とか抜け出すと、
表は再び霧の世界に戻っていた。
遠くから馬車がやってくる。


telierdo (1)

日常に訪れた幻想的なひと時に酔いしれて帰宅した後、
水疱瘡の子供は外出してはいけないということをはじめて耳にした。
それからも、自宅謹慎状態がつづき
やがて家族旅行の日がやってきた。



comments(0)|trackback(0)|自然、動物|2020-02-11_21:39|page top

初夏の花畑

一日をもてあまし、夕方ころ散歩へと旦那を誘った。 
濃い青空に入道雲、そして灼熱の太陽。 
梅雨のないトランシルヴァニアでは、 夏がやってくるのが早い。
 5月終わりは、もう初夏といってもいい。 
 そして、この頃が最も美しく大地がかがやく季節である。 
トーンの異なる緑の中に、 色とりどりの無数の野の花が混ざり合って、
なんとも形容できない微妙な色彩を作るのだ。 
トランシルヴァニアは、まさに緑の王国である。
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家から徒歩10分でたどり着く、大自然。
町外れの丘をくだり、さらに丘を登ると、
そこは馬が放牧してあり、野生の野の花が咲き乱れ、
文字通り手つかずの自然が広がっている。


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遠くから見ると赤茶色に見えたのは、野生のタイム。
紫がかったピンク色のちいさな花々は、目を楽しませるばかりではない。
甘くさわやかな香りが、そこにいるだけで極上の気持ちにさせてくれる。


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野生のタイムは、乾燥させてハーブティーにする。
緑のない長い冬の間に、夏を忍ばせてくれる。
まさに、トランシルヴァニアの初夏の味だ。

旦那と子どもたちが花摘みをしてくれる間に、
家から持ち寄った刺繍をする。
遠くを見渡す眺めと、極上の花畑と、さわやかな空気。
心落ちつく、幸せな時間。


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長男と遊び疲れた次男は、原っぱに寝そべっている。
指に草を巻いてもらい、心地よさそう。


berry (12) 

花摘みを終え、しばらく姿を消していた旦那が、
手にいっぱいのちいさな野いちごを見せた。
すると、今度は野いちご積みのはじまり。


berry (4) 

野いちごは日当たりのいい丘の斜面を好む。
子供の指の先くらいのちいさなイチゴだが、
口にふくむと甘酸っぱい味と香りでいっぱいになる。
ちいさな赤い顔を大地に向けているので、
草むらの中で探すのは、容易ではない。
なおさら宝探しのようで、夢中にさせてくれるのだ。


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まだ見つけられない次男の口に放ってやると、
すぐに「まだ、ちょうだい。」という。
お腹いっぱいになるのは難しいが、
甘くさわやかな味わいは、くせになる。

   berry (7)  

気がつくと、日が暮れかかっていた。
日差しが弱まる夏の夕方は、ぐっと気温が下がって心地よい。
草の匂いと日没前の光に包まれて、これからはじまる長い夏を想った。


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comments(6)|trackback(0)|自然、動物|2018-06-17_14:42|page top