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トランシルヴァニアへの扉 - Erdely kapuja-

古きよきヨーロッパの面影を残す、トランシルヴァニアへの扉をそっと開いてみませんか?

::自己紹介::

谷崎 聖子

Author:谷崎 聖子
1978年宮﨑生まれ。
大阪外大、ハンガリー語学科卒業。
ブダペスト大学で民俗学を専攻。
ルーマニア、トランシルヴァニア地方のフォークロアに惹かれて、セーケイ地方に移住、結婚。
三人の子育て中。

伝統手芸研究家。
トランシルヴァニアの文化、手しごとを広める活動をしています。主な著書「トランシルヴァニアの伝統刺繍 イーラーショシュ」、「カロタセグのきらめく伝統刺繍」。

東欧雑貨ICIRI PICIRIFOLK ART Transylvaniaのオーナー。

詳しくは、森の彼方-トランシルヴァニアへの扉をご覧ください。

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ブログ翻訳

ガーボルの詩人-ラフィ・ラヨシュ

旦那とガーボルさん、不思議な組み合わせだがよく気が合うようだ。

知性あふれるガーボルさんの話は魅力的だし、

彼を通じて得るガーボル像というものに惹かれるものがあった。

他者にとって理解の難しい規制は多々あるが、

家族一丸となって仕事をして、共同で生活を営む。

その姿は、現代の人間が失った家族意識や人生に対する安心感がある。

先祖から受け継いだ衣装に身を包み、そして早くに家庭生活を築き上げる。

「彼と話していると、自分がガーボルに生まれなかったことが残念に思われるよ。」

そう旦那が口にしたほどだ。

 

ガーボルさんは若い頃、絵の才能があり、学校でも一番だった。

「その時、絵の学校に進めばよかったのかもしれないが、

誰も手助けしてくれなかった。」

そして、絵を専攻していた旦那にデッサンのことなどをしきりに尋ねていた。

芸術を愛する心をもつ、ガーボルさんは珍しい存在に違いない。

 

「君たちは、ラフィ・ラヨシュについて聞いたことがあるかね?」

ガーボルさんが一冊の本を手にこういった。

その人はガーボルさんの遠い親戚にあたるという。

家業のアルミ職人のかたわら、子供5人を養い、そして詩を書いた。

彼は酒をのみ、不健全な生活を送っていて、

いつか更生させてやりたいとガーボルさんは教会に誘ったこともあったそうだ。

入院生活中、しばらく酒をやめていた時期があり、

彼は見違えたように顔に血色を取り戻していた。

しかし、最後には若くで不幸な死を招いてしまった。

 

アドベント派のガーボルたちが一堂に会して、合同の礼拝を行う行事がある。

ガーボルさんはその詩人を招いて、

そのセレモニーのために詩を書くようにと頼んだ。

しかし、その詩人は詩を書いてこなかった。

そこでガーボルさんは、今すぐにでも書くようにと彼をうながした。

詩人は、何を思ったのか森の中へ入っていった。

「その時間は、たぶん10分足らずだっただろう。

その間に、彼はある詩を書き上げたんだ。」

 

ガーボルさんは、紙に書かれた手書きの詩を読み上げた。

それは、大地に埋もれた石がそこから開放されたいと願い、

やがて川が包み込み、そこから解き放つという内容だった。

詩人自らも、自分もその川のようでありたいという願いをこめて締めくくった。

ハンガリー人の詩人のある作品と同様のモチーフを使いながらも、

彼自身の言葉と昔話のような語り口で仕上げた逸品だ。

 

きっと彼は天才だったに違いない。

そして、彼自身、ガーボルという宿命を背負い、

自己の内面との矛盾に苦しみながら生涯を生きたに違いなかった。


Rafi Lajosについてのドキュメンタリー映画



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comments(0)|trackback(0)|ジプシー文化|2017-03-29_00:00|page top

ガーボルとの再会

ここ4年ほどの間、長女、次男の出産が続いたこともあり、

行動範囲も大きく制限されてしまった。

そのためか、何年ぶりの出会いというものが多い。

その人と最後に会ったのがいつかということを知り、

時間の経過に愕然とすることもしばしばある。

 

ガーボル・ジプシーを訪ねる旅をしていたときのことである。

写真家、堀内僚太郎さんが一番の目的とされていた、ガーボル・ジプシーの撮影。

男性は大きなつばのある帽子をかぶり、女性は色とりどりの花柄スカートにスカーフをかぶり

日常生活を送る人たち。

彼らの特徴は、民族衣装という外見だけにあるのではない。

元々はアルミ職人をしていて、今は商業に従事するなど、生活は豊かで、

ジプシーとはいうものの誇り高い。

14,5歳で親の決めた相手と結婚するのが普通で、ガーボルの中でも、

同じ家系の人としか結婚が許されないなど、彼ら独自のさまざまな規則の中で暮らしている。

 

限りある日程の中で、理想の被写体を探さなければならなかった。

しかし、撮影に関しても保守的なところがあり、仕事は難航していた。

日暮れまであと2時間。

コロンドというセーケイ地方の村についた。

ここには、知人のガーボルが住んでいるのだが、

前回訪れたときは家族総出でブダペストへ出稼ぎにいっていて、ついぞ会うことができなかった。

まだ小さかった長男と二人旅をしていて、途中に立ち寄り、泊まらせてもらったことがある。

親切に村の案内をしてもらい、手土産までもらって帰った。

いつか電話をしてみたときに相手側から切られたこともあり、何か失礼をしたかと内心不安だった。


大通りから奥に入ると、すぐに時間を遡ったかのような色とりどりの衣装であふれかえる

小さな通りに出る。大きな一軒家の階段をのぼり、戸をたたいた。

しばらくすると戸がひらかれ、どっと家族が戸口に押し寄せてきた。

はじめに金歯の奥さんが笑顔で迎えて、力強く抱きしめてくれた。

それから、ガーボルさんに子供、その奥さんたち。

にぎやかな家族の声と熱気に包まれて、5年ぶりの再会をしびれるような思いで味わっていた。

その瞬間から、ガーボルを探す本当の旅がはじまったといっていい。

 

私たちはソファーに腰を下ろして、お客さまを紹介していた。

「あの時は、妻のジュジャが病気で悪いことをしたね。」

ご主人のガーボルさんの落ち着いた温厚そうな声が響いた。

息子と泊まらせてもらった翌日、早朝にどこかへ用事があって、

一家は出かけていったのを思い出した。用事があったのに、私たちを受け入れてくれたのだ。

 

「ね、何か食べなさい。」と奥さんのジュジャさんが、にこにこと笑顔でうながした。

断る暇もなく、すぐに温かな食事が運ばれてきた。

ロールキャベツの味に舌鼓をうちながら、私たちは旅の目的を話した。

そして、多くの場所で彼らが写真の被写体になることを恐れていることも。

ガーボルさんは、他者にわかるようにガーボル・ジプシーがどのような人々か説明してくれた。

かつて出会ったジプシーの中で、彼ほど知性的で、

言葉豊富に流暢にハンガリー語を話す人を知らない。

そして、彼の知人や親戚のところへの案内役を買って出てくれた。

 

彼らの母語はロマ語である。

ガーボルは、トランシルヴァニアのハンガリー人の住む地域に定住したので、

ハンガリー語ができ、また仕事で使うためルーマニア語もよく話す。

ガーボル・ジプシーという民族の呼び名も、元々はガーボル姓を持つ人が多いことに由来する。

ガーボルさんの場合は、名前もガーボルだ。

そして驚くことに、敬虔なクリスチャンが多い。


ガーボルさんは、アドベント派に属している。

お祈りや聖書が生活の糧になっていて、おそらく彼の知識や性格にも多大な影響を与えたに違いない。

それでいて、彼らの教えを私たちに強要するわけでもなく、

さまざまな話題について話すことができる。

 

その日は金曜日だった。

ちょうど、土曜日を祝うアドベント派の祝日が始まろうとしていた。

「私たちにとって、金曜の日没からすでに祝日なので、

これから身なりを整えて、6時からの礼拝の準備をしなければならない。

君たちも、どうぞ一緒に礼拝に参加してください。」

私たちは通りで撮影をしてから、約束の6時にまたガーボル宅を訪問した。

 

部屋には、ガーボルさん家族の他にも来客があり、

ガーボルさんが牧師のように礼拝を取り仕切っていた。

賛美歌を歌い、聖書の引用をして、祈りを捧げてちいさな集会は終わった。

他の場所にいく案もあったのだが、堀内さんと話しあい、

撮影最終日をガーボルさんに委ねることに決めた。

 

二日後の朝、私たちは再びコロンドにやってきていた。

「コーヒーはいかが。」と勧められ、談笑をする一方で、

奥さんのジュジャさんは朝日の差す窓際で熱心にアイロンをかけている。

「洗濯してアイロンをかけてから、この古着を村へ売りに行くのよ。」

日曜は他の宗派にとっては安息日であるが、彼らアドベント派にとっては平日であるが、

にこにこと楽しそうに働く姿は見ている側も心地よい。


やがて、ガーボルさんを伴って車でとなり村へと向かった。

大きな屋敷につくと、ガーボルのおじさんが居間のテーブルにどっかりと腰を下ろしている。

私たちも正面に腰掛け、ロマ語で談話するガーボルさんたちを見守る。

それにしても、男性はよく話をする。

女性はというと、黙々と料理をしたり、アイロンをかけたりと働いている。

一見ただのおしゃべりのように見えるが、何かの用件を前にして必要な段階であるのだろう。

やがて、本題の撮影のことをガーボルさんが話し、

どうしても彼らを撮りたいという堀内さんの気持ちを熱意を込めて説明した。

「君たちの気持ちはわかった。私たちの撮影はいいが、女性たちはやめてくれ。」

 

これまで数々の場面に遭遇し、分かったことがある。

男性(主人)の意見が絶大なもので、その決定に女性たちは従わざるを得ない。

写真撮影について言えば、女性は写真を撮られることを喜ぶ人が多いが、

ふと気がついたように主人の意見を気にして、断れることも多かった。

 

こうして撮影を終えて、次の場所へと急ぐ。

町のはずれにガーボルさんの娘さん一家が住んでいるという。

見るからに純朴そうな大家族に迎えられ、建設中の巨大な邸宅の一室に通される。

「夏には出稼ぎに行き、帰ってきては工事を続けてるの。」娘のマルギットさんが話した。

部屋には、3人の子供を抱える娘さん家族のほか、姑親や隣に住む親戚など、

子供から老人まで総勢15人程はいただろう。

こに、5人の客が加わったのだから、賑やかなことといったらない。

子供たちが、携帯電話を手に日本からの客に人懐こく話しかけている。


ガーボルのおじいさん二人が並んで腰を下ろしてタバコの煙をくゆらせるのが、

午後の光の中に鮮やかに浮き上がる。

差し入れのお菓子を食べながら、黒いヒゲのおじいさんが

白いヒゲのおじいさんの口に投げ入れては、お茶目に微笑む姿に目を奪われる。

すると堀内さんも同じ思いだったらしく、「今ここであの二人を写真に収めたかった。」と口惜しそうだ。

こうして、同じ段取りを経て撮影の許可が下りた。

はじめは恐る恐るカメラに身構えていたのが、やがて押し合いのように写真をせがむようになった。

混乱極める撮影現場で、どれだけ作品と呼べるものが生まれたか後は祈るような思いである。

とにかくも、最終日を有終の美と飾ることができた。

 

出発前にガーボルさんの家に立ち寄り、お別れに祈りを捧げてくれた。

彼の言葉をひとつひとつ日本語に置きかえていく。

「私の友達が、無事にセントジュルジへ。それから日本へと旅をすることができますように。

神様、どうかお護りください。」

祈りというものは不思議で、言葉による最大の贈り物ではないかと思うことがある。

暗くなった道中も、彼の祈りが私たちを温かく包み込み、心から安らぎを与えてくれる。

 

堀内さんが「生涯、この日を忘れません。」と口にされたのが、いまも記憶に新しい。



*写真家、堀内僚太郎さんのHPはこちらです。


comments(2)|trackback(0)|ジプシー文化|2017-03-27_20:26|page top

ジプシー市場の贈り物

まだ冬の入口にさしかかった、ある日のこと。
町に寄ったついでに、ジプシー市場に立ち寄った。
トランシルヴァニアにはさまざまなジプシーが定住しているのだが、
特にガーボル・ジプシーと呼ばれる人たちは、流浪の民としての歴史が長く、
民族衣装に身を包み、伝統に固執することで有名だ。

男性は大きな帽子をかぶり黒づくめの服を着て、大きな髭を生やしている。
一方、女性はというと華やかな花柄の衣装を身に付け、長い髪をスカーフで覆っている。
そうした商人ジプシーたちが、古着などを売っている。


車から降りて、私は次男を抱き、
旦那は長女の手をとって買い物をしていた。
それほど寒さも厳しくなかったので、
子供たちにそれほど厚着をさせずにいたのだが、
ジプシーの売り手のおばさんがそれを見て、驚いた風にこういった。


「まあ、子供たちが風邪をひいたら大変。」
すぐに、売り物のスキースーツや帽子をご主人に持ってこさせ、
「これを着させなさい。」と言って手渡した。
赤いスキースーツと青いスキースーツを頭から被せて、
耳まで隠れる毛糸の帽子をかぶせると、子供たちはいかにも雪国育ちのようだ。
1歳の息子と3歳の娘を抱きしめると、
金髪で青い目をしたおばさんに笑顔で手を振った。





comments(2)|trackback(0)|ジプシー文化|2017-02-14_11:10|page top

ジプシー宮殿の出来事

ルーマニアにはジプシー宮殿と呼ばれる、
不思議な建物が存在する。
とてつもなく巨大で、
屋根にゴテゴテとしたアルミの飾りがついているのが特徴で、
そのほとんどが未完成のままである。
ガーボルジプシーという商人ジプシーの富を表すためとしか、
用途がまるで分からない不可思議な存在。
特に、フエディンの町はずれに連立する風景は圧巻である。

3年ほどまでに、このジプシー宮殿を取材しようと
町を歩き回り、幸運にも一軒の家に入ることもできた。
今回もお客を連れてきたのはいいが・・。

町のまだ中心部にいるときのこと。
一軒目のジプシー宮殿に遭遇して、
隣で写真を撮るのを見ていたら、
遠くからおばさんがなにやらすごい権幕で怒鳴り散らした。
自分たちのこととは露ほども思わず、
ぼんやりしていたら、さらに奥から恰幅のいいおじさんが出てきて、
頭から湯気が出そうになるほどに怒り狂っていた。

こうなったら、走って逃げるより他はなかった。
町外れの砂利道をひたすらに走って逃げる。
悪いことをしたという感覚がないから、
実感が半分沸かないまま、ただ走った。

それにしても、写真だけでどうしてあれほどにまで怒られる必要があるのだろう。
きっと、何か違法の建設か何かしていて、
警察に見られてまずいことでもあるのだろうか。
彼らジプシー男性が連れ立っているところは、
黒づくめの成金ファッションでいかにもマフィアらしい。
そう合点して、警察に連行されても
彼らの肩をもつことはないし、大丈夫だろうと思った。

背中ではノートパソコンを入れたリュックが肩に食い込みそうだ。
息を切らして、走っては歩きしながら、
ようやく追っ手が来ないことで心からほっとした。
訳も分からず走って逃げることになった同行者に
とりあえず自分の予想をしたことを説明して、
他のジプシー宮殿の並ぶ通りへ向かった。
もちろん、カメラはしまってもらうことにした。

他の家も相変わらず建設中のままだ。
人のいる気配がまったくない。
通りを曲がるところで、見知った顔のおじさんにばったり遭遇した。
それこそ、二年前に息子の家に入れてくれた人だった。
家を見させてほしいというと、
「ああ、家内がいるから行きなさい。」とそれきり行ってしまった。

不思議な建物の装飾などを笑う気持ちももう起こらなかった。
こっそりと観察しながら、目指す家へ向かった。
おととしの洪水で町は大きな被害を受け、
そのおじさんのボロ家も水につかってしまったらしい。
息子夫婦はとなりに真新しい宮殿を建てているのに、
おじさんの家の貧しい様子が不思議な対照をなしていた。

大きな鉄格子の門を開けて中に入る。
呼び鈴を押して、しばらくすると子どもたちがドアを開ける。
「おばあさんは・・。」と聞くと、
奥から花柄のファッションに身を包んだ、太ったおばさんが出てきた。
家の中を見せてほしいと告げ、プレゼントをちらつかせると、
「さあ。」と中へ案内された。

一室に、おばさんと子どもたちが身を寄せるようにして座っていた。
おばさんはインスリンを打っているところで、
室内もお世辞にも裕福そうとはいえない雰囲気だ。
子どもたちはどうして学校に行かないのだろう。
家の外観とはまったく正反対の家族の様子に、
虚しささえ感じられる。
写真撮影にも応じてくれなかったので、
どこか未消化のままその宅を出た。

帰り道。
脇の豪華な建物を見ながら、
これを作る人の努力は果たして報われるのだろうかと考えていた。
結局、どんな家に住んでも、
住む人の暮らしようではどこも同じのような気がする。
私たちは、おとぎ話に耳を傾けながら
豪華なお城の住人になることにいつから憧れ、
それを実現させようとひたすらに働きつづける。

とある建設中の家に車が入るのを見た。
思い切って、誰かと交渉して見ることにした。
車から出てきた、いかついジプシーの男たちの中からひとり、
存在感のある者が、英語でこういった。
「ここの持ち主はいない。
私たちは労働者だが、ここで写真を撮ってはいけない。
問題が起こるぞ。」と激しい口調だった。

すごすごと引き帰すしかなかった。
この不思議な建設中の建物の周りにある、
ピリピリとした空気の原因はいったい何なのだろう。
3年前に一人で写真を撮りながら、歩いていたときのことが思い出されて、
なお納得がいかない。
こうして、ジプシー宮殿を後にした。

後日、ダンナにこの出来事を話すと、
おそらく、ジプシー宮殿がどこかのメディアで
面白可笑しく取り上げられ、それに傷ついているのかもしれないと言った。
確かに面白可笑しい建物だか、それを分かっていて設計したのではないのだ。
ジプシーの不思議な誇りを感じながら、
周りの目を気にせずにいられない意外な一面を見るような思いだった。


*3年前のジプシー宮殿の様子はこちら。
トランシルヴァニアのジプシー宮殿











Theme:ルーマニア
Genre:海外情報

comments(4)|trackback(0)|ジプシー文化|2012-11-10_17:06|page top

ウルクーのダンスパーティ

フォトグラファー堀内僚太郎氏と出会ったのは、昨年夏の展示会のことだった。
手芸専門書店で開かれたこともあって、
男性一人の見物客は珍しく、すこし存在が浮いていた。
ジプシーについて何か質問をされて、お話をしたことを覚えている。
「ブログで見たような、トランシルヴァニアの市井の人々を
ぜひ撮影したいと思っている。」

むかし、ドイツでキャンピングカーで生活している人々を追い、
そのアウトロー的な自由な生活にジプシーを感じたとおっしゃった。
少数民族として生きる人々をテーマに作品を作るという意気込みに耳を傾け、
やがて1年間をへて、堀内氏と二人の友人が私の住む町に降り立った。

まず私の住む地方にあるいくつかのジプシー地区や村を巡り、
エルドゥーヴィデーク(森の地方)のセーケイの村を見てまわり、
それからカロタセグ地方のハンガリー人村に手芸を訪ねに行く。
おおよその旅のプランができた。

herman.jpg

基本的には私の知人を訪ねて周ることだったが、
会いたかった人が不在のこともあれば、新しい出会いもあった。
ジプシーの子どもたちの大歓迎をうけて、
一大撮影会になったこともあった。

herman1.jpg

忘れられないのは、初日にウルクーを訪ねたときのことである。
音楽家フェリの弟と偶然に出会い、
ウルクーの民俗音楽を演奏をしてもらうことになり、
やがてダンサーたちとも話がついて、
ちいさなダンスパーティが催されることになった。

夕方5時に待ち合わせをすると、
珍しく彼らが先に着て待ち構えていた。
「酒を持ってきたか?」
私たちが抱えてきたビールを見せると、
「ウォッカがいるといっただろう。
それなしに音楽は盛り上がらないんだ。」
と結局、弟にお金を渡して、買出しに入ってもらうこととなった。

一方わたしたちは、フェリたち音楽家の跡について、
ウルクーの下地区へと足を踏み入れる。
道のない道が家の間をうねりつづいている、
ウルクー独特の様相が目の前にひらけた。
坂道を馬車が駆けあがり、
子どもたちは私たちの姿を見ると一斉に掻き集まってくる。

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ウルクーのダンサー一家は、
ゲリおじさんを中心にしてできている。
今夜のパーティの会場は、彼の自宅である。
すでに親戚一同にご近所さんも集まって、
今か今かと始まるのを待っている様子だ。
フェリのアコーディオンと音楽家のヴァイオリンが、
演奏をはじめると、薄暗い部屋の中に灯りが点ったかのように
色彩が豊かになる。

orokoizeneszek.jpg

一曲、二曲と音楽がつづいても、
一向に踊る様子が見られない。
ビールやウォッカが人々の間に勧められ、
しばらくすると私の名が呼ばれ、カーテンの奥へと通された。
「お金のことで話したいことがある。」
嫌な予感は当たったが、
いつもこういう役を買ってでるジュリとの交渉がはじまった。
彼らにとってみれば、せっかくの一仕事。
できるだけ長く大勢でやって、
たくさんの報酬がほしいところだ。
いくつかの妥協やいろいろな協議のあと、
人数を少なく、短くてもいいということになった。

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盛り上がりを見せる演奏が部屋に満ちていく中、
やっと若いダンサーが入場してきた。
先ほどまでは金髪の赤ちゃんを胸に抱いて
乳をやっていたモニカがいつの間にか着替えて踊っていた。

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踊りにはほとんど参加しなかったゲリおじさんが、
牛乳入れのアルミの瓶を手で叩いて、拍子をとる。
高価な道具を使わずとも、
生活用品を気軽に応用してしまうジプシーらしい楽器である。

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ひらめくスカートに息もつかせぬ激しいダンス。
哀愁漂うヴァイオリンの旋律が重なって、
生というものの激しさ、強さが
この瞬時の動きのなかに凝縮される。
外部の私たちも、身内の彼らも息をひそめてその踊りを見守る。

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子どもたちは、小さい頃からこうしてジプシーの色や音色に染められ、
ウルクー独特の文化の中で生まれ育っていく。
目にもとまらぬステップや手拍子でリズムを刻むこと自然と覚え、
両親や親戚の固い結束の中で彼ら独特の価値観を築いていく。
肌の色が浅黒かろうと白かろうと、
髪の色が黒かろうと金髪だろうと、
瞳の色が漆黒だろうと青だろうと。
外見的な特色とは違う、ジプシー性というものが現れてくる。

orkoilany.jpg

やがて宴も最高潮に達すると、
ちいさな部屋に集まったたくさんの人びとが大合唱をはじめた。
いつしか彼らも私たちのために踊り歌うことを忘れ、
自分たちの楽しみのために歌と音楽の中に埋没しているようだった。

「なあ、お前も踊ってみなよ。」
気がつくと堀内氏に向けて、踊りを仕掛けてくる。
必死で断る氏をよそに、
マヤコさんがジプシーの踊りを模倣してステップを踏むと、
拍手喝さいが部屋に満ちた。
そのあと、チロさんが憑依的なダンスを披露すると、
ジプシー男性が大いに盛り上がり、
部屋の空気は最骨頂の活気で満ちた。

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こうしてこれ以上はないまでのジプシーの洗礼を受けて、
彼らの旅ははじまった。


ハンガリーのロマ民族歌

「 緑の森に、緑の山
 幸運がやってこようと去っていこうと、
 悩みの刃が私たちを切り裂く、
 この世なんてただ見せかけだけのものになった。

 世界はみな敵ばかり、
 私たちはただ祀りあげられた盗人として生きるだけ。
 たった一つのものを盗んだだけなのに。
 イエスの血にまみれた手の平から、
 たったひとつの釘をとっただけ。

 神よ、私たちを許しておくれ。
 ロマ民族がこれ以上苦しみを受けないように。
 私たちを呪い、叩いて、
 永遠の流浪の民としてしまった。

 神よ、私たちを許しておくれ。
 ロマ民族がこれ以上苦しみを受けないように。
 私たちを呪い、叩いて、
 永遠の流浪の民としてしまった。」

Zöld az erdő, zöld a hegy is
A szerencse jön is, megy is
Gondok kése húsunkba vág
Képmutató lett a világ

Egész világ ellenségünk
Űzött tolvajokként élünk
Nem loptunk mi csak egy szöget
Jézus vérző tenyeréből

Isten, könyörülj meg nékünk
Ne szenvedjen tovább népünk
Megátkoztál, meg is vertél
Örök csavargóvá tettél

Isten, könyörülj meg nékünk
Ne szenvedjen tovább népünk
Megátkoztál, meg is vertél
Örök csavargóvá tettél

Theme:ルーマニア
Genre:海外情報

comments(6)|trackback(0)|ジプシー文化|2012-10-23_05:01|page top