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トランシルヴァニアへの扉 - Erdely kapuja-

古きよきヨーロッパの面影を残す、トランシルヴァニアへの扉をそっと開いてみませんか?

::自己紹介::

谷崎 聖子

Author:谷崎 聖子
1978年宮﨑生まれ。
大阪外大、ハンガリー語学科卒業。
ブダペスト大学で民俗学を専攻。
ルーマニア、トランシルヴァニア地方のフォークロアに惹かれて、セーケイ地方に移住、結婚。
三人の子育て中。

伝統手芸研究家。
トランシルヴァニアの文化、手しごとを広める活動をしています。主な著書「トランシルヴァニアの伝統刺繍 イーラーショシュ」、「カロタセグのきらめく伝統刺繍」。

東欧雑貨ICIRI PICIRIFOLK ART Transylvaniaのオーナー。

詳しくは、森の彼方-トランシルヴァニアへの扉をご覧ください。

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トロツコーの刺繍を学びに

今から二年前の秋だった。 
トロツコーを訪ねようと思い立って、 雨のふる夕方にひと晩の宿を求めた。 
その翌日に、トロツコーの刺繍を学ぼうと人を探し、
やっと探し当てたのがイロナおばあさんだった。

大きな枠を使って縫う刺繍。
セークのアウトラインステッチにも似ているようだが、
どちらかというとサテンステッチに近い。
次の年の謝肉祭に学びに来たいと行って別れたのだが、
結局、来ることができなかった。

こうして、ついにイロナおばあさんの家で刺繍をすることになった。
私が持参したのは、通常の小さな丸い枠。
「それだと両手が空かないから、やりにくいわ。
私のをご覧なさい。」
おばあさんの愛用する刺繍枠は、
まるで画家のキャンバスのように大きくもできるし、
細長くもできる調節可能な木枠。
確かにこれなら、持ち運びもしやすい。

  torockoi farsang (6) 
イーラーショシュのような幅の広いラインを、
斜め方向に向かって輪郭を埋めていく。
円や入り組んだ曲線をこの技法で埋めていくのはなかなか難しい。
上から下、下で受けて上へ針を入れるのはセークと同じやり方だ。

トロツコーの刺繍に興味を持ったのは、刺繍のあるブラウスが始まりだった。
カロタセグの刺繍ブラウスに似たモチーフが見られ、
それでも技法が全く違うのに興味惹かれた。
初心者には適しない、モチーフの密集した古い図案をあえて選んだのだった。

おばさんが別室から、古い刺繍のコレクションを見せてくれた。
らせん模様の中に植物モチーフが入り込んだ図案。
この構造はルネサンス美術の名残とも言われ、
トランシルヴァニアの各地の刺繍図案に残っている。
カロタセグでは「刀」と呼ばれ、
トロツコーでは「蛇」と呼ばれるが、
呼び名はともかく起源は同じである。


torockoi farsang (4) 

こちらは紺色の糸で刺繍してある。
カロタセグでも、19世紀半ば頃までは紺色で刺繍したと言われている。
こちらは図案も、古いイーラーショシュに似ているようだ。


torockoi farsang (7) 

今度は上着を来て、暖房のない別室に通された。
おばあさんが初めて作った刺繍作品を見せてもらった。
初めてに取り掛かるにしては、大作のベッドカバー。
3枚の手織り布がつなげてある。


torockoi farsang (8) 

イニシャルと1965年の年号が刻まれた、中央部分。
今から50年以上も昔の作品なのに、鮮やかな赤は色褪せない。
大きな花の華やかさと、茎の細さの繊細さがトロツコーの刺繍の特徴だろう。


torockoi farsang (10)


 こちらは、おばあさんが刺繍を習ったおばあさんから受け継いだ図案。
トロツコーでは目を数えるクロスステッチ刺繍に対して、
図案を布に直接描く刺繍があり、それを「枠刺繍」と呼ぶ。


torockoi farsang (9) 

こちらがクロスステッチ刺繍。
もちろんトランシルヴァニアでは、
普通のクロスではなく、編みクロスステッチが一般的である。
衣装からベッドカバー、枕カバーまで幅広く使われていた技法。


torockoi farsang (11) 
二年越しの願いがついに叶った。
いつかは、憧れのトロツコーのブラウスを作ってみたい。


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comments(0)|trackback(0)|セーケイ地方の村|2018-03-13_00:00|page top

アーラパタクのピロシュカおばあちゃん

久しぶりにアーラパタクを訪ねてみよう。

そう思い立ったのは、日本からのお客さまと話したときだった。

初対面の彼女は、仕事をやめ、
刺繍を学ぶためにハンガリーに移住したという。
数年前に放映された番組「世界の果ての日本人」を偶然に目にし、
トランシルヴァニアのおばあさんたちとの触れ合いに感激したと話してくれた。
彼女も同じように、日本の病院で患者のおばあさんたちと
手芸による触れ合いをしていたのだった。


古民家の庭で昼食をとったあと、車を走らせて森を越えていく。
村の中心には、会い変わらずジプシーの子どもたちが大勢たむろしている。
おばあさん宅の門には呼び鈴もないので、
垣根越しに叫ぶしかない。
「ピロシュカおばあさーん!」
大声を張り上げると、それに呼応して
家の犬がわんわんと吠える。
それを何度か繰り返した後、裏の畑からゆっくりとおばあさんが出てきた。
80歳を過ぎたおばあさんが一人暮らしをしている。
元気だろうか、病気をしていないだろうかと、
いつも不安を抱きながら訪ねている。
おばあさんは、数年ぶりの来客を喜んで迎えてくれた。
日本からの来客を紹介すると、おばあさんの部屋へと案内してくれる。


  piroskaneni (4) 

アーラパタク、今から100年前は美しく、刺繍で有名な村だった。
女性たちの手掛けた、赤い編みクロスステッチは、
世界をかけぬけ、1900年のパリ万博では金賞を受賞したという。
時代は変わり、トランシルヴァニアがハンガリーから引き裂かれると
人々はもう、その赤い刺繍のことをすっかり忘れ去ってしまった。
70~80年代になると、村の女教師が村の刺繍を集めて、図案集を出版した。
それから、また別の女性が村の女性たちに刺繍をさせて、
ルーマニア各地の展示会へと運んだ。
それからは、時が止まったように静かになった。
代わりに、村にはジプシーが移住をはじめてきて、
ハンガリー人もルーマニア人も次々と村を去っていった。
ただ、エメラルドグリーンの壁にかけられた赤い刺繍だけが、昔のままだ。


piroskaneni (5) 

右には父親、左には母親の写真がかけてある。
ピロシュカおばあさんを見守っているかのようだ。
小さいころに父親を亡くしたおばあさんは、
母親ひとりで育てられ、貧しい少女時代を送った。
嫁入り道具も、すべて自分一人で作らなければならなかったという。
子供に恵まれなかったおばあさん、
部屋の中を少女時代の思い出でいっぱいにしている。



piroskaneni (6)


娘が腰かけて遊んでいた、可愛い椅子。
尋ねると、幼いころクリスチャンファザーから贈ってもらったという。
おばあさんの居間で、なんと70年以上もいっしょに過ごしてきたというのだ。



piroskaneni (8) 


椅子の裏には、こんな文字が書いてある。
「セーケイ・ピロシュカ
1939年、12月25日
クリスマスの天使より」



piroskaneni (7) 

刺繍を学びたいという彼女のために、
おばあさんは部屋から布と針、糸を出してきてくれた。
小さな目を数えながら、針で赤いクロスを作り、
編むこむようにして列ができていく。



 piroskaneni (10)


その手の動きに見とれている内に、赤い花がひとつ出来上がった。
「さあ、あなたもしてみて。」
おばあさんは、その布を彼女に手渡した。



piroskaneni (1) 


ピロシュカおばあさんが、
帰り際に古い枕カバーを譲ってくれた。
2010年に町の博物館で、アーラパタクの展示会を開いてから、
6年が過ぎようとしている。
村のハンガリー人女性の数も減り、壁からはひとつ、
またひとつと赤い刺繍が取り外されていく。
「次来るときにはまた、刺繍を持っておいで。」
ピロシュカおばあさんが笑顔で手を振った。
大切に箪笥の中にしまってあったのだろう。



piroskaneni (3) 
comments(4)|trackback(0)|セーケイ地方の村|2016-11-17_13:02|page top

アーラパタクのおばあさんとの再会

ヨーロッパのお盆の日のことだった。

舅の墓に向かう途中で立ち寄ったのは、老人ホーム。

アーラパタクの村のおばあさんがここに入所したと聞いて、

渡したかった写真を届けたかったから。


それは普通のアパートを改造しただけの、活気のない建物だった。

受付で彼女の名を告げようとして、はじめて名前しか知らないことに気が付いた。

そこで手元にある写真を見せると、女性の顔がすぐに明るくなった。


白衣の女性の後について、電気のない薄暗い通路を通って二階へ上がる。

広いロビーでは、お年寄りの方たちが椅子に腰掛け、

何を話すというわけでもなく集まっている様子。

部屋に通されると、長かった髪をバッサリと切った白髪の女性が

テレビの前に腰掛けているところだった。

同時に目に飛び込んできたのは、壁一面に飾られた赤いクロスステッチ刺繍のタペストリー。

おばあさんは私に抱きつき、涙を流しているようだった。

「彼女のために刺繍をしたのよ。それを、日本へ持って行って・・。」と受付の女性に話している。

日本で展示会のために、いくつか編みクロスステッチの作品をオーダーしたことがあった。

何度か足を運んだあと、年のせいでもう縫えないと彼女はいった。

目に見えて年をとった彼女の姿に狼狽しながら、

持ってきた写真を目の前に広げて見せた。


それは、3年ほど前に日本のフォトグラファーを伴って訪れたときの写真だった。

ご主人のジュリおじさんが木彫りと、

奥さんのエ二クーの編みクロスステッチの刺繍。

気の合うふたりそのもののように、調和していた。

手作りの作品に囲まれた居間でくつろぐ姿が目に浮かんでくる。


szobabelso.jpg 

「2年前に、ジュリおじさんが突然亡くなって、

私も病気をしたからここに来たのよ。

それから家にも強盗がはいったのだけれど、辛うじて手仕事だけは運んできたわ。」

村の人口がジプシーが過半数という村は、

一人暮らしのお年寄りにとって危険この上ない。

おじさんには前妻との間にふたりの娘があったようだが、

おばさんには身寄りが他にないようだった。


迷っていたのは、写真を全部渡してしまおうか、

それともジュリおじさんの身内に渡そうかということだった。

「ジュリおじさんの写真は?」と尋ねると、

「残しておいてください。」

白髪のおばあさんはまっすぐに目をみてこういった。


ゆっくり話を聞いてあげたかったが、先を急がねばならない。

また家族とゆっくり訪ねてくると約束をすると、

「いくつかの手仕事はあなたたちに渡すわ。」と耳元でささやいた。

赤い刺繍に見守られて、彼女は残された日々を過ごしていく。

しばらくの間、エメラルドグリーンの壁に幾何学の赤が目に焼き付いていた。





comments(0)|trackback(0)|セーケイ地方の村|2016-11-11_05:15|page top

旅の終わりに

久しぶりの長旅だった。
セーケイ地方からカロタセグ地方へ、
トランシルヴァニアを東から西へと横切る、400キロの旅。
何度通っても、うんざりするほど
味気ない平坦な村が続いている。
ちょうど半分のところに位置する、マロシュ地方。

すでに日は沈んで、空はだんだんと青から暗闇へと変わるところだった。
もう6日も家を留守にしているので、上ふたりの子供たちが気がかりだった。
気もそぞろに車を走らせていたのだが、
不意にトイレに行きたくなり止まることになった。

村の公民館の前、
裏へと回ると、先は見渡す限り枯れ色の畑が広がるだけ。
もの寂しい風景に、荒れ果てたトイレが立っていた。
用をすませて戻ってくると、
旦那と次男のそばで誰がが話しているのを見た。
小柄の老人は、どうやら飲んでいるらしい。
大げさに、私の手に口づけをして挨拶をする。

先程買ったブドウを洗いたいので水を分けて欲しいと旦那がいうと、
「もちろん、もちろん。うちへ来なさい。」と張り切って案内する。
公民館のすぐ横に、家があった。
門を開け、家の裏手のほうにまわって行く。
「先に失礼。今日はトウモロコシの刈り取りで疲れて内のが寝ているから・・。」
扉はいっぱいに放たれると、
赤々とした灯りの下でおばあさんがベッドに寝そべっていた。

老人は、旅の夫婦と知り合ったことを話し始めると、
ものすごい剣幕で怒鳴りだした。
「あんた、嘘ばっかり言って!呑んだくれの、このくそったれ。」
痩せた老人がさらに小さくなって気の毒なほどだ。
戸口で目を丸くしたまま、どうしていいか分からず立ちすくんでいると、
「この、馬鹿バーリント!」
と追い打ちがかかる。
同時に、内のと同じ名前だと笑いがこみ上げてきた。
さぞ、旦那は後ろでビクビクしていることだろう。

やっと、鬼ばあさんは起き出して、戸口に私たちがいるのを見つけると、
「まあ、可愛い赤ちゃんまで。どうぞ中へお入り。」
と先程と打って変わった様子が変わった。
それから、和やかに談話がはじまって、
コーヒーはいかが、娘や孫たちを紹介しようと歓迎気分がふくれあがる。
先を急ぐとやっとのことで辞退をして、
車の中に乗り込んだ。
「また、この村に通りかかったら、立ち寄ります。」
そう約束をして。

再び、車は家路に向けて動き出す。
しかし、先程まで感じていた疲れも退屈さもきれいになくなった。
外の暗闇にたいして、あの明るい部屋の中は喜劇そのものだった。
いつか、また旅の途中に
ふたりのバーリントは出会うだろう。

















comments(2)|trackback(0)|セーケイ地方の村|2016-10-17_05:27|page top

夏のある一日

冬は寒さの厳しいここトランシルヴァニアにも、
猛暑の日々は訪れる。
連日30度を超える日々が続いても、
子供たちは遊びたい誘惑を抑えることができない。

コンクリートの立ち並ぶ町よりも、
自然に囲まれた村で過ごすのがずっと快適である。
この夏は、村の友人宅に何度もお世話になって避暑させてもらった。

子供たちは家庭用プールで水浴びをするのが日課だった。
11歳の少年ふたりと、2歳になったばかりの幼児がふたり。
こんなに年の離れた兄妹でも、
いっしょに遊べば年齢の差も気にならない。
にぎやかな笑い声、叫び声が庭にこだまする。

natsunohi (11)

しばらく水で遊んだ後は、日向ぼっこ。

natsunohi (12)

こうしている内に、お向かいの子どもたちも遊びに来た。
子供たちはさっさと着ているものを脱いで、裸になって泳ぎはじめる。
家庭用プールの水があふれんばかりに、沢山の子どもたちがはしゃぎだす。

natsunohi (2)

遊んだ後の楽しみは、井戸水で冷たく冷やしたスイカ。

IMG_7289.jpg

紫外線が強くなる正午から4時までの間は、ひたすら家の中にこもる。
ふつう家庭には扇風機もクーラーもないが、
朝の冷たい空気をいっぱいに取り入れたあとは、
窓をしっかりと閉じて過ごす。
昼ごはんに、子どもたちの昼寝の時間。
そうして目が覚めた頃には、日が傾き、
ふたたび快適な時間帯がやってくるのだ。

母親が仕事をしている脇で、子どもたちが瓦礫に腰かけている。

natsunohi (6)

大きなリンゴの木が影を作る裏庭。
工事現場の殺風景な中でも、子どもたちは遊ぶことを忘れない。
裸足で土を踏んであちらこちらへと走り回っている。
もう庭のリンゴも実が大きく膨らんできた。

natsunohi (4)

ほとんどお互いに興味を示さなかった1歳児の頃とは違い、
2歳になると同じ年頃の子どもに興味を示すようになる。
幼なじみの二人がやっと一緒に遊ぶようになった。
良いことも悪いことも、お互いから学ぶことが多い。

natsunohi (7)

夕方日が暮れる頃になると、
きまって通りからカラカラと鈴の音が聞こえてくる。
村の牛たちが原っぱから帰ってくる時間だ。
この時間に、村人たちは夕涼みを兼ねて門の外でこの行列を眺めていることが多い。

natsunohi (1)

一日中夏の日差しをあび、自然の中で育った新鮮な草を食んだ牛たち。
甘くて濃い、ルーマニアの村の牛乳は超一品である。

natsunohi (10)

気がつけば、小さな通りは牛でいっぱいになった。
そろそろ夏の一日が終わろうとしている。

natsunohi (9)

ふたたび静けさの戻った通りに、子どもたちが繰り出す。
あたかも夏の一日を惜しむかのように、
暗くなる最後の時まで遊びつくす。

natsunohi (14)

山の向こうに、夕日が沈んでゆく。
子どもたちの手をひいて、家にかえろう。

natsunohi (13)

Theme:海外の子育て
Genre:海外情報

comments(6)|trackback(0)|セーケイ地方の村|2015-08-15_13:54|page top
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