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トランシルヴァニアへの扉 - Erdely kapuja-

古きよきヨーロッパの面影を残す、トランシルヴァニアへの扉をそっと開いてみませんか?

::自己紹介::

谷崎 聖子

Author:谷崎 聖子
1978年宮﨑生まれ。
大阪外大、ハンガリー語学科卒業。
ブダペスト大学で民俗学を専攻。
ルーマニア、トランシルヴァニア地方のフォークロアに惹かれて、セーケイ地方に移住、結婚。
三人の子育て中。

伝統手芸研究家。
トランシルヴァニアの文化、手しごとを広める活動をしています。主な著書「トランシルヴァニアの伝統刺繍 イーラーショシュ」、「カロタセグのきらめく伝統刺繍」。

東欧雑貨ICIRI PICIRIFOLK ART Transylvaniaのオーナー。

詳しくは、森の彼方-トランシルヴァニアへの扉をご覧ください。

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ブログ翻訳

「化石の丘」アーティストレジデンス(後)

翌朝は珍しく、日の出の頃に目が覚めた。
小鳥のさえずりが耳をつき、
深い緑の森が窓の外から目に飛び込んでくる。
朝日の中で屋敷の周りを散策してから、
一階のキッチンにくると、すでに男の子と男性がおしゃべりをしながら朝食をとっていた。
屋敷の主人であるジョルトおじさんと奥さんのチッラが、
キッチンで食事の準備をして、私たちがテーブルにつくという贅沢な日常がスタートした。

初日は朝食が済むと、すぐに遠足に出かけることになった。
細い山道から広々とした原っぱの中に出て、
そこでジョルトおじさんが話をしてくれた。
ここはコーシュ・カーロイが所有していた農場で、
たくさんの家畜を飼っていたいたという。
カロタセグに移り住んだコーシュは、
ハンガリーがトランシルヴァニアを喪失するという大きな転換期にあって、
カロタセグ共和国というユニークな構想を打ち立てた。
当時のカロタセグとは芸術家たちの聖地であり、
大きな国家に依存せずに生活をしていきたいという夢があったのだろう。

csigavar(13).jpg


芸術家たちと子供たち。
このキャンプの素晴らしいところは、
アーティストと子供たちが、お互いに邪魔をせず、
まるで大きな家族のように見事に調和したところだ。


csigavara (22)


コーシュの農場を後にすると、今度は高い丘を登っていく。
昨日の教訓から長靴を借りたのだが、暑いし歩きにくい。

csigavar(14).jpg


甘い匂いが鼻をつく。
見ると、草原の中にピンク色の花が顔を出していた。
「酔っぱらいの花」と呼ばれるこの花は、
初夏のシンボルとしてここ一帯でだけ見られるものだ。


csigavar(15).jpg


やっとのことで丘の上に上りつくと、
そこはまるで一つの世界のようだった。
平べったい山の上からはカロタセグが四方見渡せる。
皆が長靴をぬぎ、はだしで原っぱの上を歩く。
丘の頂上をはだしで歩く、なんという解放感。
この2か月半の閉塞感の後で、とりわけ私たちに必要なものだ。


csigavar(18).jpg


子供たちが茂みで何やら見つけたようだ。

csigavar(17).jpg


何と大きなトカゲ!


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ジョルトおじさんが説明をする。
ここは、ハンガリーとトランシルヴァニアを結ぶ交通の要所で、
屋敷が建てられた100年前にも、
無人駅のスターナはブダペストからの特急が停車する場所だったそうだ。
遠くの雲行きが何やら怪しい。
ずいぶん長いことそうしていながら、誰も下に降りようと言い出す人がいなかった。


csigavar(16).jpg

ようやく、長靴を履いて丘を降りた時には、
もう雨がそこまで来ていた。
雨の中を丘をみなで駆け下りていく。
すると、3人子供が見当たらないという声が聞こえ、
探すやら、木の陰まで急ぐやらで大慌て。
子供たちは無事に見つかり、びしょ濡れになって屋敷まで急いだ。
やっとのことで到着したと思いきや、
先ほどの雨がやみ、うそのような快晴になった。



そもそも、このレジデンスは、
シラージ県の博物館員であるアティラが企画したもので、
招待された芸術家たちは博物館に作品を寄贈することになっている。
部外者の私としては、何か自分でできることはと考えた末、
カロタセグのブラウスを作ってはどうかと思っていた。
先ほどの雨で、屋外に置いていた資料の本はぐしょぬれ。
主催者アティラの娘さんヴィオラは、日本語に興味を持ち、
この春に、独学で日本語を勉強しはじめたそうだ。
大きな瞳をきらきらさせて、質問をしてくる子どもを前に、
自分の創作活動を捨てて、日本語を教えることに決めた。

長男ベンツェとヴィオラを前に、日本語の基礎を
なるべくコミュニケーションを意識しながら教えていく。
父親も祖父も画家、その一方で母親も祖父も音楽家という素晴らしい素質をもつ子供たち。
日本のわらべ歌を教えると、
すぐに輪唱で美しいハーモニーが出来上がる。
時に娘も加わり、
時にほかの子供たちも混ざって
日本語で色オニをしたりと笑い、楽しみながら日本語に親しんだ。
友人レベンテの子供ふたりは、父親に習ってすぐに絵を描きはじめた。


csigavara (1)


美しい緑の森の中で、
それぞれが対象物を見出し、創作活動に入る。


csigavara (4)


魔法のように、画材道具が飛び出す小箱。
さらに色を混ぜると、その可能性は無限大になる。


csigavara (3)


中高一貫の美術学校に通っていた旦那が、20年ぶりに油絵を描いた。
「カラスの城」を描いたのだが、
帰る途中で草で滑って、キャンバスを落としてしまったようだ。
こちらはお世話になったジョルトおじさんに寄贈した。


csigavara (20)


沈む前のその日最後の光を探り当て、
白いキャンバスに刻み込むアーティスト。


csigavara (10)



レジデンスには滞在しているアーティストのほかに、お客様も訪れた。
主催者の奥さまエニクーの妹のアンナもしばしの間、
私たちと行動を共にした。
3人の子供たちにとってこのおばは母親のような存在で、
瞳を輝かせてキャンプの出来事を語り聞かせていた。
エニクーは、クルージの大学でピアノを学び、
その後、外国でクルーズ船などで仕事をしたり、
故郷の町で音楽教師をしたりしていた。
彼女に転機が訪れたのは、3年前。
外国から帰って、すぐに故郷の町へも行きたくない。
ブダペストの友人宅に居候しながら暮らしているうちに
今の職場である、学校の音楽教師の職を探し、
コーラスのグループで結婚相手も見つけて、今もブダペストで暮らしている。

「私たちの結婚式には、コーラスの友達など150人が集まってくれた。
皆が花嫁の私のために、野の花で冠を作ってくれたの。
白いレースフラワーをいっぱいにつけてね。」

その日は、ゾーヨムの7歳の誕生日だった。
近くの原っぱで皆で野の花をつみ、アンナが丁寧に花の冠を紡いでいく。


csigavar (20)

「この春の間は、ホームシックがひどくて、
去年の大晦日に帰って以来、イースターにも帰ることができなかったから。
ブダペストの生活で一番恋しくなるのは、この手つかずの原っぱ。」

「先週は、主人と近くの山へ遠足をしていて、
無言で歩いていた時に、ふとこう言ったの。
『ハンガリーで、どうしてトランシルヴァ二アを失って悔しい思いをする人が多いのか、
やっと今わかったよ。』」

もうじきハンガリーへ帰っていくアンナは、
その風景を目に焼き付けるように花を摘み、やがて見事な冠を作り上げた。
晩御飯の時に、誕生日を祝う民謡をみなで歌い、
7歳になったばかりの少年の頭に載せた。


csigavara (2)


誕生日の夕食がすむと、
その夜は、ハレー彗星が地球に近づく日だというので、
皆で再び化石の丘に登ることになった。
手に懐中電灯を持ち、上着を着て、
真っ暗な木のトンネルをくぐり、星空の待つ野原へ。
子どもも大人もいっしょに15人くらいのグループが、夜道をそぞろ歩く。
まるで子供に戻ったかのように怖いような、胸がわくわくとするような心地。

丘を登りきると、満点の星空が照らした。
「ハレー彗星はどこ?」と皆が探していると、
望遠鏡を持ってきたダニエルが、「ほらあそこだよ。」と指をさす。
北の空の低いところに、肉眼ではわからないほどうっすらと
光の膜が揺れている。

双眼鏡をもって眺める人、
夏の星座を示して説明する人、
彗星の写真を撮る人・・。
暗闇の中で娘を探していると、
向こうの方に星空を見て、仰向けに寝そべっている3人の姿。
まるで星の音色のようなハーモニーが聞こえてくる。
高音のヴィオラと低音のベンツェの歌声が、
イスラエルの民謡シャロームを奏でていた。

「どこかで またいつか 逢えるさ
また逢おう また逢おう どこかで

きれいな 思い出 抱きしめ
また逢おう また逢おう どこかで

緑の星 ふたつ 寄りそう
離れても 離れても 寄りそう

どこかで またいつか 逢えるさ
泣かないで 泣かないで さようなら」



やがて最後の晩がやってきた。
いっしょに映画を見よう、もう一度丘に登ろうと
いろいろ計画をしながら、結局は翌日の出発の準備で忙しかった。
日が暮れる前に、子供たちを散歩に連れ出した。


csigavara (11)


手ごろな木を見つけると、
娘が登りはじめ、「僕も私も」と子供たちが木登りをする。
7歳から16歳まで、年も様々な子供が一緒に過ごす。
近所の子供たち、親戚の子供たちが、
当たり前のように集い、遊び、時には喧嘩もして、育つ。
昔はこうだったのかもしれない。


csigavara (13)


太陽の日差しとともに、雨粒が降って来た。
それでも、私たちの上に雲はない。


csigavara (14)


ふと向こうを見ると、大きな虹がかかっていた。
どこまでも、虹に向かって原っぱを進んでいきたい衝動に駆られる。


csigavara (18)


アティラの三人の子供たちは、明日からズィラフに帰っていく。
私たちは、残りの5日をトロツコーで過ごすため、移動だ。
長男もズィラフに招待され、
子どもたちと一緒に5日を過ごさせてもらったあと、私たちと合流して帰ることになった。


csigavara (17)


5日間を一緒に過ごした私たちは、大きな家族のようだった。
どうしてここをコーシュが農場に選んだのか分かった。
100年前に、コーシュもまた友人たちや家族とともに、
あの化石の丘を登ったに違いない。


csigavara.jpg



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comments(0)|trackback(0)|セーケイ地方の村|2020-09-06_02:58|page top

ピロシュカおばあちゃんと手仕事

ゆったりとした春の後で、 
夏はあわただしく私たちの周りを駆け抜けていこうとしている。
何か予定を立てていたわけでもないのに、 
次々いろいろなことが舞い込んできて、 気が付けばもう8月も半ば。
久々に、アーラパタク村のピロシュカおばあさんのところへ立ち寄った。 
しばらく音沙汰がないと、おばあさんが心配をする。
 一人暮らしのおばあさんは、体の自由が利かない分、 
頭だけはいろいろと思いめぐらすのだろう。 

さきほど市場で買ったばかりの野菜や果物をもって 門の前に車を止めると、 
おばあさんがお隣さんの家からゆっくりとした足取りでこちらに向かってきた。 
「つえをなくしてね。 もしかしたら、隣に置いてきたのじゃないかと思ったんだけれど。
 やっぱり、ここにあった。」
 門に立てかけた箒のすぐ後ろに、木の棒が置いてあった。 

「今は夏だから、外で寝るのよ。」 
そこは、おばあさんのベッドがやっと入るくらいの小さな小屋だった。 
薪で煮炊きをするから、夏の間は寝室が過ごしやすいようにと、 
住まいを分けるのが習慣だ。 

村で病気にかかった人の話、通りの下水工事の話、
庭の野菜の、毎週日曜日の教会の話など、おばあさんの近況に耳を傾けていると、 
ふと何かを思い出したようで、食糧庫の中で探し物をしている。 
「あの布がここにあったと思ったんだけれど。」
 やっと見つけた袋から、布と赤い巻き糸が出てきた。

「もう、縫うことはできないわ。
だから、返そうと思って。」
以前、おばあさんに刺繍を縫ってもらおうと思って預けた
クロスステッチ布と糸だった。
不意の言葉に、さみしい思いでその包みを手にしていた。
すると思い返したように、小さな布切れだけは取って、
「これだけはもらっておくわ。しおりなら作れるかもしれないからね。」

そういえば、何年か前にもそういうことがあった。
もう縫えない。
細かい布の目を数える編みクロスステッチは、
手先の器用さはもちろん、集中力を要するものだ。
自分の力の極限を感じながら、
それでも、膨大な時間をどう過ごしていいかわからず、
やっぱり手にとり、刺繍で時間を過ごしてきたのだろう。

  IMG_0878.jpg


86歳のピロシュカおばあちゃんのしわしわの手が、
ベッドの上の枕の下を探り、
ふたつの靴下を見つけ出した。
「これは、あなたとお嬢さんのよ。」
毛糸で編んだ靴下は、しっかりとした厚みとぬくもりが感じられた。

「昔着ていたセーターをほどいて、編むのよ。
私はもう昔の服が着れなくなったから。」
この冬はおばあちゃんの靴下のおかげで足は寒くないだろう。
「おばあさん、秋になったら
私も編み棒をもってくるから、編み物を教えてくれませんか。」
私はとっさにそう口に出していた。
「ええ、もちろんよ。刺繍を教えたみたいにね。」

こうして、おばあさんと私をつなぐものは刺繍だけでなく、
編み物も含めた手仕事となった。
いつか一緒に編み棒の針を動かしながら、
おしゃべりをしよう。
そして、讃美歌の歌を歌おう。
この冬にそうしたように。


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comments(1)|trackback(0)|セーケイ地方の村|2020-08-15_02:49|page top

セーケイ地方の謝肉祭

長い冬のトンネルも、
ようやく終わりが見えてきたころ、
塩の地方と呼ばれるところへ向かった。
友人家族は、この村の謝肉祭に毎年来るというので、
ずっと前から気になっていたのだ。
同じセーケイ地方であっても、丘を越えて、
車で3時間ほどはかかる。

朝早起きをして子どもたちを幼稚園に送り出した。
国道沿いを車を走らせていると、
ザクセン地方に差し掛かった頃から、
先程までの太陽が姿を消し、遠く向こうに雨雲が広がっているのを見た。
気が付くと、私たちの周りは横殴りの雨が打ち付けて、
しばらくして雪に変わった。
なだらかな丘の輪郭が、みるみるうちに白く染まっていく。

謝肉祭の日に、こんな荒れ模様となり不安がよぎったが、
村につく頃には雪は山の頂上にしか見られなかった。
それも今朝降ったばかりのものではなく、
ずっと昔から残った雪のようだ。

30分遅れて村に到着。
「謝肉祭の行列は村のあちこちを回るから、
大きな村の中で探すのは結構苦労するわよ。」と友人から聞いていた。
ちらほらと坂を登っていく人の後についていくと、
カラフルな色合いの子供たちの行列が見えてきた。
とある家の前に人だかりができていたので、
近づいていくとすでに風変わりな「葬式」がはじまっていた。

     farsang sofalva (41) 

「イッェーシュ!ああどうして死んでしまったの?
お菓子も焼かなくちゃいけないし、洗濯もしないといけない、
壁の塗り替えもしなくちゃならない。
そして、あなたを泣いて送別しなければならないなんて。」

「イッェーシュ!昨日まではいっしょに酒を酌み交わしたのに。
ただキャベツだけを残して、おまえは逝ってしまった。」

「イッェーシュ!いい隣人だったのに。
悲しくて、関節があちこち痛むわ。」

他にも愛人たちも別れの言葉を叫んだりして、
滑稽な葬式はつづく。


farsang sofalva (17) 

「あの人の好きだった歌は・・」

という声とともに、村人たちが民謡を合唱する。
「もし私が死んだら、誰が私を惜しんで泣いてくれるだろう。
誰が私の棺桶に倒れてくれるだろう。
お母さんは倒れてくれるだろうが、もう生きていない。
私のただ一つの宝よ、どうか私の棺桶に倒れておくれ。」

そうして歌からダンスへと変わり、「葬式」は終わる。
お宿となった家の人たちは食べ物や飲み物を配って回り、
飲み食いをしたら、またわら人形を連れて行列が始まるのだ。


farsang sofalva (2) 

村の楽団の演奏が、
伝統行事をますます生きたものへと仕立ててくれる。


farsang sofalva (1) 

長い行列が村をあちこちと行き交う。
かれこれ20年もこの村へ通う、友人のカティが話してくれた。
「お宿となる村人たちも、それはこの行事を楽しんでいるのよ。
一度は、葬式のような黒い幕が下がっていて、
家の前に棺桶が置いてあるだけだったの。
突然に起こった不幸だと思い、申し訳なくたっていたら、
棺桶が突然開いて、人が出てきたわ。
もう心臓が破裂するかと思った。」

それぞれの宿がテーマを持っているのだという。
細い坂を下りていくと、
女装したおじさんがチケットを配っている。
そして、宿が近づいて来ると、家の前に白い装束に身を包んだ
ローマ法王が長椅子に横になっている。
参列者たちがキスをして過ぎていく。


farsang sofalva (4) 

家の門には、織物や刺繍のタペストリーなどがかけてある。
昔は、その冬中に出来上がった手仕事をかけて、
展示会のように皆が見ていったのだという。

「隣の奥さんとはいい、
ここでうわさ話をしてはいけない。」
という冗談みたいな詩の書かれたタペストリー。


farsang sofalva (7) 

家のお祈りの言葉をパロディにしたもの。
「信仰があるところに愛があり、
愛があるところに平和があり、
姑のいるところは、終わりである。」
強烈な詩を目の前に苦笑していたら、
横に立っていた村のおじさんが微笑みながら、
「いや、これは本当なんだよ。」と呟いた。


farsang sofalva (8) 

焼き菓子やドーナツ、スコーンのようなもの、
サンドイッチ、茹でたジャガイモにチーズなど、
ご馳走がならんだテーブルで私たちのようなよそ者は遠慮していると、
パンをこねる大きな桶にいっぱいのオープンサンドが運ばれてきた。
「手がふさがっているから、自分で取ってね。」
その気兼ねの無さに、私も手を伸ばした。


farsang sofalva (6)


住まいの近くのブルン村の謝肉祭でも
食べ物の振る舞いがある。
謝肉祭の醍醐味は、飲んで食って、大騒ぎをすることにあるからだ。
それでも、何十名ものお客をもてなすことに疲れ、
お宿となる家はだんだん減り、謝肉祭そのものも危ぶまれている。
しかし、この村においては、
観光バスで幼稚園児や保護者たちも合わせると
100名以上のお客を喜んでもてなす懐の広さを感じさせるのだ。
普段は静かであろうちいさな通りもこの日ばかりは人だかりになる。
 
farsang sofalva (11) 

長いテーブルにご馳走を広げて、
お宿の主人たちはこの滑稽な劇を眺めている。
人生でも最も悲劇的な事件でさえも、
パロディとして笑い飛ばしてしまう人々のおおらかさ。
「町の幼稚園から、毎年大型バスでここまで来るの。
謝肉祭といっても、町ではただの仮装大会にしかならないから。
大人たちがどう楽しむかを子供たちに見せることは大切だと思うの。」とカティ。


farsang sofalva (10) 

わら人形のイッェーシュは、
冬の象徴としてこの日の生贄となる。


farsang sofalva (18) 

こうして6箇所のお宿を回る頃には、
寒さで体が凍えてくる。
そして、繰り返されるお葬式の台詞や歌を自然と口ずさめるようになる。
知らず知らずに、「ヤーィ!ヤーイ!」と悲しむ掛け声をかけている。


farsang sofalva (23) 

村の中心に戻ってきた。
可哀想なイッェーシュは体を引き裂かれ、火をつけられる。


farsang sofalva (26) 

燃える炎を囲んで、
人々は歌い、踊り、歓喜し、冬と決別する。
葬式であるのに、人々の顔は晴れ晴れしい。


farsang sofalva (28) 

farsang sofalva (39) 

最後に大きな輪になって踊る村人たちを眺めていたら、
輪の中で踊っていたカティが私を呼んだ。
私も輪の中に入り、見よう見まねで楽しんだ。

共同体の力の素晴らしさを感じていた。
皆でお互いを助け合い、いっしょに苦労も楽しみも分かち合う。
それがちいさな村の良いところだ。
しかし、21世紀の世の中では、
こうした昔ながらの価値観がゆらぎ、
人々は共同体からだんだん遠ざかっていってしまった。

参加者のおばさんと話していた時だ、
「この大騒ぎは今日で三日目よ。
かれこれ20年はこの行事に参加しているけれど、
私たちにとってはお祝いなの。」

お酒を飲んで酔い加減のおじいさんがカティと話していた。
「またこの村に遊びに来なさい。いつでも歓迎するから。」

長身で美しい金髪のカティの姿が輪の中に見えた。
踊りが終わり、村人たちと別れの抱擁やキスをしているのだった。
この愛らしい人々と別れ、暖かい思い出を胸に村を離れた。
春に向けての、大きな一歩を踏み出した。






comments(6)|trackback(0)|セーケイ地方の村|2019-03-21_21:22|page top

貝戸さん一家

1月になり、待ちに待ったお客様がやってきた。
貝戸さん一家だ。
「最後にここに来たのは、8年も前なんです。」
そう言われて、意外に思われたのは、
私たちが毎年のように日本で会っていたからだろう。

当時、14歳の長男は幼稚園生だったし、
その頃はまだご夫妻にも子どもはいなかった。
1年ほどルーマニアに滞在をして、
それから日本へ帰り、やがて可愛い子どもさんたちが誕生して、
親子で数ヶ月をルーマニアで過ごすためにやって来られた。

日本では住まいを美しく、嗜好を凝らして丁寧な生活をされるお二人。
ルーマニアでもどこかの村で美しい家を探されるのだろうと思っていた。
そして、去年の夏に見初めた家のことをふと思い出し、
シク村の住まいを勧めてみたところ、喜んで借りたいとの返事がきた。
私たちもこの夏に何度か家族で村での生活を試みた。
しかし、今回の滞在は冬となるので、
夏場のようには生活が楽ではない。
深く考えずに勧めてみたものの、
生活に苦労されないのだろうかと気が掛かりだった。
村のほとんどの家は、街と変わらない快適な住まいであるのに対し、
その古民家にはガスや水道がない。
暖をとるのも、ひとつの薪ストーブだけである。
私たちもまだ冬の古民家の暮らしは未経験なので、
どれだけ寒さが防げるかわからない。

村の生活は確かに大変だけれど、
薪を割ったり、水を井戸で汲んだり、
日本ではできない生活ができて感謝しているとメールにあった。

一家が村に到着したのは、ちょうどクリスマスの頃。
旅行が好きな一家はすぐにマラムレシュへ出かけ、
クリスマスの夜にレストランを探そうとしたものの見つからず、
駅で尋ねた二人のおばさんがそれぞれクリスマスのご馳走をかかえて来てくれたという。
また、マラムレシュからの帰りはお正月で、村へのバスがなかったため、
タクシーを見つけてお願いしたら、
遠く離れているのにもかかわらず、運転手はお金を受け取らなかったとも話していた。

10年以上暮らしている私ですら、
本当にそんなことがあるのだろうかと感心するような奇跡のような出来事が
彼ら一家には起こってしまうのだ。
現地の言葉は流暢でないのに、
人々とどこか通じ合う力を持っているのだろう。

シギショアラを旅して、セーケイ地方の我が家に一家が到着すると、
4人の子どもが何倍にも膨れ上がったかのように、元気いっぱいに遊びはじめる。
特に、幼稚園に行けずにいた次男は日本のお客様に大喜びをした。

町外れのいつものソリ場へと出かけた。



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真っ白な雪が溶けてしまわないようにと願っていたら、
一家が来る日まで残っていてくれた。
ソリは人数が多ければ多いほど楽しい。

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この美しい丘の風景が、トランシルヴァニアの日常をいかに豊かにしてくれたか計り知れない。
春には真っ赤な野いちご、夏には香り立つタイムの花を摘み、
秋にはローズヒップが実り、冬には白い雪で覆われる。

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急斜面の坂は、ソリ遊びに打って付け。
雪が降ったあとの週末には、親子や祖父母など大家族でソリに繰り出す姿も見られる。
すでに土色の大地がまだらに姿を現し、
雪まみれと泥んこになりながら、お腹いっぱい遊んだ。

huyu20193.jpg 
翌日は、炭酸水通りの古民家へ散歩がてら出かけた。
家でお絵描きをしていたら、
長男のガックンが日の丸を描いて、日本の国旗を作った。
それを娘も真似をして、それぞれ4人に旗ができた。
「ヤパーン、バール!ヤパーン、バール!」
ガックンが叫びはじめると、皆が続いて掛け声を上げた。
「あなた、日本人?」とよく言われるから、
それを覚えたのかなと思っていたら、
「僕は日本人だ。僕は日本人だ。」と言いたいのだとわかった。
大人3人+ちびっこ4人の日本人の群れに、
この町の人たちはさぞ驚いたに違いない。


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ちいさな橋を渡って、
町で一番古い城塞教会が見えてくる。
この教会のそばに、古民家がある。
「みーちゃん、元気になってよかったね。」
「みーちゃん、可愛いね。」
とやさしく接してくれる貝戸さん夫妻、
そしてふたりの楽しいお友達に囲まれて、
子どもたちも私たちも楽しくあっという間の二日間だった。

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三日目の早朝、
町がまだ寝静まっている頃、
貝戸さん一家はブルガリアへ向けて旅立っていった。
comments(0)|trackback(0)|セーケイ地方の村|2019-02-19_00:00|page top

トロツコーの刺繍を学びに

今から二年前の秋だった。 
トロツコーを訪ねようと思い立って、 雨のふる夕方にひと晩の宿を求めた。 
その翌日に、トロツコーの刺繍を学ぼうと人を探し、
やっと探し当てたのがイロナおばあさんだった。

大きな枠を使って縫う刺繍。
セークのアウトラインステッチにも似ているようだが、
どちらかというとサテンステッチに近い。
次の年の謝肉祭に学びに来たいと行って別れたのだが、
結局、来ることができなかった。

こうして、ついにイロナおばあさんの家で刺繍をすることになった。
私が持参したのは、通常の小さな丸い枠。
「それだと両手が空かないから、やりにくいわ。
私のをご覧なさい。」
おばあさんの愛用する刺繍枠は、
まるで画家のキャンバスのように大きくもできるし、
細長くもできる調節可能な木枠。
確かにこれなら、持ち運びもしやすい。

  torockoi farsang (6) 
イーラーショシュのような幅の広いラインを、
斜め方向に向かって輪郭を埋めていく。
円や入り組んだ曲線をこの技法で埋めていくのはなかなか難しい。
上から下、下で受けて上へ針を入れるのはセークと同じやり方だ。

トロツコーの刺繍に興味を持ったのは、刺繍のあるブラウスが始まりだった。
カロタセグの刺繍ブラウスに似たモチーフが見られ、
それでも技法が全く違うのに興味惹かれた。
初心者には適しない、モチーフの密集した古い図案をあえて選んだのだった。

おばさんが別室から、古い刺繍のコレクションを見せてくれた。
らせん模様の中に植物モチーフが入り込んだ図案。
この構造はルネサンス美術の名残とも言われ、
トランシルヴァニアの各地の刺繍図案に残っている。
カロタセグでは「刀」と呼ばれ、
トロツコーでは「蛇」と呼ばれるが、
呼び名はともかく起源は同じである。


torockoi farsang (4) 

こちらは紺色の糸で刺繍してある。
カロタセグでも、19世紀半ば頃までは紺色で刺繍したと言われている。
こちらは図案も、古いイーラーショシュに似ているようだ。


torockoi farsang (7) 

今度は上着を来て、暖房のない別室に通された。
おばあさんが初めて作った刺繍作品を見せてもらった。
初めてに取り掛かるにしては、大作のベッドカバー。
3枚の手織り布がつなげてある。


torockoi farsang (8) 

イニシャルと1965年の年号が刻まれた、中央部分。
今から50年以上も昔の作品なのに、鮮やかな赤は色褪せない。
大きな花の華やかさと、茎の細さの繊細さがトロツコーの刺繍の特徴だろう。


torockoi farsang (10)


 こちらは、おばあさんが刺繍を習ったおばあさんから受け継いだ図案。
トロツコーでは目を数えるクロスステッチ刺繍に対して、
図案を布に直接描く刺繍があり、それを「枠刺繍」と呼ぶ。


torockoi farsang (9) 

こちらがクロスステッチ刺繍。
もちろんトランシルヴァニアでは、
普通のクロスではなく、編みクロスステッチが一般的である。
衣装からベッドカバー、枕カバーまで幅広く使われていた技法。


torockoi farsang (11) 
二年越しの願いがついに叶った。
いつかは、憧れのトロツコーのブラウスを作ってみたい。


comments(0)|trackback(0)|セーケイ地方の村|2018-03-13_00:00|page top