トランシルヴァニアへの扉 - Erdely kapuja-

古きよきヨーロッパの面影を残す、トランシルヴァニアへの扉をそっと開いてみませんか?

::自己紹介::

谷崎 聖子

Author:谷崎 聖子
1978年宮﨑生まれ。
大阪外大、ハンガリー語学科卒業。
ブダペスト大学で民俗学を専攻。
ルーマニア、トランシルヴァニア地方のフォークロアに惹かれて、セーケイ地方に移住、結婚。
三人の子育て中。

伝統手芸研究家。
トランシルヴァニアの文化、手しごとを広める活動をしています。主な著書「トランシルヴァニアの伝統刺繍 イーラーショシュ」、「カロタセグのきらめく伝統刺繍」。

東欧雑貨ICIRI PICIRIFOLK ART Transylvaniaのオーナー。

詳しくは、森の彼方-トランシルヴァニアへの扉をご覧ください。

カテゴリー

FC2カウンター

カレンダー(月別)

08 ≪│2017/09│≫ 10
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

これまで書いた記事は・・・

全タイトルを表示

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

Feed Me!

トランシルヴァニアへの扉  - Erdely kapuja-のRSSフィード

ブログ翻訳

アーラパタクのピロシュカおばあちゃん

久しぶりにアーラパタクを訪ねてみよう。

そう思い立ったのは、日本からのお客さまと話したときだった。

初対面の彼女は、仕事をやめ、
刺繍を学ぶためにハンガリーに移住したという。
数年前に放映された番組「世界の果ての日本人」を偶然に目にし、
トランシルヴァニアのおばあさんたちとの触れ合いに感激したと話してくれた。
彼女も同じように、日本の病院で患者のおばあさんたちと
手芸による触れ合いをしていたのだった。


古民家の庭で昼食をとったあと、車を走らせて森を越えていく。
村の中心には、会い変わらずジプシーの子どもたちが大勢たむろしている。
おばあさん宅の門には呼び鈴もないので、
垣根越しに叫ぶしかない。
「ピロシュカおばあさーん!」
大声を張り上げると、それに呼応して
家の犬がわんわんと吠える。
それを何度か繰り返した後、裏の畑からゆっくりとおばあさんが出てきた。
80歳を過ぎたおばあさんが一人暮らしをしている。
元気だろうか、病気をしていないだろうかと、
いつも不安を抱きながら訪ねている。
おばあさんは、数年ぶりの来客を喜んで迎えてくれた。
日本からの来客を紹介すると、おばあさんの部屋へと案内してくれる。


  piroskaneni (4) 

アーラパタク、今から100年前は美しく、刺繍で有名な村だった。
女性たちの手掛けた、赤い編みクロスステッチは、
世界をかけぬけ、1900年のパリ万博では金賞を受賞したという。
時代は変わり、トランシルヴァニアがハンガリーから引き裂かれると
人々はもう、その赤い刺繍のことをすっかり忘れ去ってしまった。
70~80年代になると、村の女教師が村の刺繍を集めて、図案集を出版した。
それから、また別の女性が村の女性たちに刺繍をさせて、
ルーマニア各地の展示会へと運んだ。
それからは、時が止まったように静かになった。
代わりに、村にはジプシーが移住をはじめてきて、
ハンガリー人もルーマニア人も次々と村を去っていった。
ただ、エメラルドグリーンの壁にかけられた赤い刺繍だけが、昔のままだ。


piroskaneni (5) 

右には父親、左には母親の写真がかけてある。
ピロシュカおばあさんを見守っているかのようだ。
小さいころに父親を亡くしたおばあさんは、
母親ひとりで育てられ、貧しい少女時代を送った。
嫁入り道具も、すべて自分一人で作らなければならなかったという。
子供に恵まれなかったおばあさん、
部屋の中を少女時代の思い出でいっぱいにしている。



piroskaneni (6)


娘が腰かけて遊んでいた、可愛い椅子。
尋ねると、幼いころクリスチャンファザーから贈ってもらったという。
おばあさんの居間で、なんと70年以上もいっしょに過ごしてきたというのだ。



piroskaneni (8) 


椅子の裏には、こんな文字が書いてある。
「セーケイ・ピロシュカ
1939年、12月25日
クリスマスの天使より」



piroskaneni (7) 

刺繍を学びたいという彼女のために、
おばあさんは部屋から布と針、糸を出してきてくれた。
小さな目を数えながら、針で赤いクロスを作り、
編むこむようにして列ができていく。



 piroskaneni (10)


その手の動きに見とれている内に、赤い花がひとつ出来上がった。
「さあ、あなたもしてみて。」
おばあさんは、その布を彼女に手渡した。



piroskaneni (1) 


ピロシュカおばあさんが、
帰り際に古い枕カバーを譲ってくれた。
2010年に町の博物館で、アーラパタクの展示会を開いてから、
6年が過ぎようとしている。
村のハンガリー人女性の数も減り、壁からはひとつ、
またひとつと赤い刺繍が取り外されていく。
「次来るときにはまた、刺繍を持っておいで。」
ピロシュカおばあさんが笑顔で手を振った。
大切に箪笥の中にしまってあったのだろう。



piroskaneni (3) 
スポンサーサイト
comments(4)|trackback(0)|セーケイ地方の村|2016-11-17_13:02|page top

アーラパタクのおばあさんとの再会

ヨーロッパのお盆の日のことだった。

舅の墓に向かう途中で立ち寄ったのは、老人ホーム。

アーラパタクの村のおばあさんがここに入所したと聞いて、

渡したかった写真を届けたかったから。


それは普通のアパートを改造しただけの、活気のない建物だった。

受付で彼女の名を告げようとして、はじめて名前しか知らないことに気が付いた。

そこで手元にある写真を見せると、女性の顔がすぐに明るくなった。


白衣の女性の後について、電気のない薄暗い通路を通って二階へ上がる。

広いロビーでは、お年寄りの方たちが椅子に腰掛け、

何を話すというわけでもなく集まっている様子。

部屋に通されると、長かった髪をバッサリと切った白髪の女性が

テレビの前に腰掛けているところだった。

同時に目に飛び込んできたのは、壁一面に飾られた赤いクロスステッチ刺繍のタペストリー。

おばあさんは私に抱きつき、涙を流しているようだった。

「彼女のために刺繍をしたのよ。それを、日本へ持って行って・・。」と受付の女性に話している。

日本で展示会のために、いくつか編みクロスステッチの作品をオーダーしたことがあった。

何度か足を運んだあと、年のせいでもう縫えないと彼女はいった。

目に見えて年をとった彼女の姿に狼狽しながら、

持ってきた写真を目の前に広げて見せた。


それは、3年ほど前に日本のフォトグラファーを伴って訪れたときの写真だった。

ご主人のジュリおじさんが木彫りと、

奥さんのエ二クーの編みクロスステッチの刺繍。

気の合うふたりそのもののように、調和していた。

手作りの作品に囲まれた居間でくつろぐ姿が目に浮かんでくる。


szobabelso.jpg 

「2年前に、ジュリおじさんが突然亡くなって、

私も病気をしたからここに来たのよ。

それから家にも強盗がはいったのだけれど、辛うじて手仕事だけは運んできたわ。」

村の人口がジプシーが過半数という村は、

一人暮らしのお年寄りにとって危険この上ない。

おじさんには前妻との間にふたりの娘があったようだが、

おばさんには身寄りが他にないようだった。


迷っていたのは、写真を全部渡してしまおうか、

それともジュリおじさんの身内に渡そうかということだった。

「ジュリおじさんの写真は?」と尋ねると、

「残しておいてください。」

白髪のおばあさんはまっすぐに目をみてこういった。


ゆっくり話を聞いてあげたかったが、先を急がねばならない。

また家族とゆっくり訪ねてくると約束をすると、

「いくつかの手仕事はあなたたちに渡すわ。」と耳元でささやいた。

赤い刺繍に見守られて、彼女は残された日々を過ごしていく。

しばらくの間、エメラルドグリーンの壁に幾何学の赤が目に焼き付いていた。





comments(0)|trackback(0)|セーケイ地方の村|2016-11-11_05:15|page top

夏のある一日

冬は寒さの厳しいここトランシルヴァニアにも、
猛暑の日々は訪れる。
連日30度を超える日々が続いても、
子供たちは遊びたい誘惑を抑えることができない。

コンクリートの立ち並ぶ町よりも、
自然に囲まれた村で過ごすのがずっと快適である。
この夏は、村の友人宅に何度もお世話になって避暑させてもらった。

子供たちは家庭用プールで水浴びをするのが日課だった。
11歳の少年ふたりと、2歳になったばかりの幼児がふたり。
こんなに年の離れた兄妹でも、
いっしょに遊べば年齢の差も気にならない。
にぎやかな笑い声、叫び声が庭にこだまする。

natsunohi (11)

しばらく水で遊んだ後は、日向ぼっこ。

natsunohi (12)

こうしている内に、お向かいの子どもたちも遊びに来た。
子供たちはさっさと着ているものを脱いで、裸になって泳ぎはじめる。
家庭用プールの水があふれんばかりに、沢山の子どもたちがはしゃぎだす。

natsunohi (2)

遊んだ後の楽しみは、井戸水で冷たく冷やしたスイカ。

IMG_7289.jpg

紫外線が強くなる正午から4時までの間は、ひたすら家の中にこもる。
ふつう家庭には扇風機もクーラーもないが、
朝の冷たい空気をいっぱいに取り入れたあとは、
窓をしっかりと閉じて過ごす。
昼ごはんに、子どもたちの昼寝の時間。
そうして目が覚めた頃には、日が傾き、
ふたたび快適な時間帯がやってくるのだ。

母親が仕事をしている脇で、子どもたちが瓦礫に腰かけている。

natsunohi (6)

大きなリンゴの木が影を作る裏庭。
工事現場の殺風景な中でも、子どもたちは遊ぶことを忘れない。
裸足で土を踏んであちらこちらへと走り回っている。
もう庭のリンゴも実が大きく膨らんできた。

natsunohi (4)

ほとんどお互いに興味を示さなかった1歳児の頃とは違い、
2歳になると同じ年頃の子どもに興味を示すようになる。
幼なじみの二人がやっと一緒に遊ぶようになった。
良いことも悪いことも、お互いから学ぶことが多い。

natsunohi (7)

夕方日が暮れる頃になると、
きまって通りからカラカラと鈴の音が聞こえてくる。
村の牛たちが原っぱから帰ってくる時間だ。
この時間に、村人たちは夕涼みを兼ねて門の外でこの行列を眺めていることが多い。

natsunohi (1)

一日中夏の日差しをあび、自然の中で育った新鮮な草を食んだ牛たち。
甘くて濃い、ルーマニアの村の牛乳は超一品である。

natsunohi (10)

気がつけば、小さな通りは牛でいっぱいになった。
そろそろ夏の一日が終わろうとしている。

natsunohi (9)

ふたたび静けさの戻った通りに、子どもたちが繰り出す。
あたかも夏の一日を惜しむかのように、
暗くなる最後の時まで遊びつくす。

natsunohi (14)

山の向こうに、夕日が沈んでゆく。
子どもたちの手をひいて、家にかえろう。

natsunohi (13)

Theme:海外の子育て
Genre:海外情報

comments(6)|trackback(0)|セーケイ地方の村|2015-08-15_13:54|page top

セーケイ地方の収穫祭

夏休みも最後の週。
土曜日の昼下がり、遠くから楽団の音色を聴いた。
夏の名残をのこす焦がすような太陽の光のもと、
目を凝らして見つめていると、
通りの向こうから砂埃とともに若いセーケイの騎馬兵が現れる。

IMG_9132.jpg

てい鉄が土をける音と、
管弦楽器のメロディーがだんだんとはっきり、こちらへ近づいてきた。
週末の閑散とした村の通りに、
不意に活気あふれる団体が姿を現したせいか、
まだ半分夢心地で受け止める。

IMG_9136.jpg

後ろの荷馬車には、赤と黒の縞模様が鮮やかなセーケイの少女たち。
凛とさわやかな眼差しをこちらに投げかける。

IMG_9145.jpg

昔はセーケイ地方でも、村ごとに色や縞模様が違ったという衣装。
今では、赤と黒というのが一般的だ。
工業化が進み、手仕事の文化がよそに比べて早く廃れてしまったのは残念なものの、
セーケイ人が民族衣装にかける想いは今なお強い。

IMG_9150.jpg

トランペットにアコーディオンの音が高らかに鳴り響くと、
少年少女たちの歌声が重なり、大合唱となった。

IMG_9149.jpg

列の最後尾には、ジプシーに仮装した少女とセーケイの少年が
葡萄の入った籠と葡萄酒を手に、村人たちに声をかける。
「葡萄酒を買わんかね。」
ガラス瓶から深い紫色の液体を一気に飲み干すと、
小さな募金箱にお金を入れる。
その集まったお金で、夜に舞踏会が開かれる。

IMG_9157.jpg

昔からずっと続いてきたこと、
これからもずっと受け継がれていくべきこと。

地元に根付いた習慣はいつも季節に寄り添い、
日常に非日常性を加え、私たちの生活をいっそう色鮮やかなものにしてきた。
にぎやかな集団は、その日の私の心にも
秋の香りをひとつ落としていった。




comments(2)|trackback(0)|セーケイ地方の村|2014-09-25_05:49|page top

炭酸水通りの8月

成田から20時間を経て、私たちは再びトランシルヴァニアの地を踏んだ。
時間をさかのぼっての長い飛行機の旅を終わる頃には、
意識がもうろうとしてくる。
8月1日、二人の子どもを連れての長い里帰りは終わりをつげた。

日本から帰るときにはいつも、
自分の人生にひとつ区切りをつけるような気がしている。
そして、そこから新しい何かがはじまる。

故郷の空気は心地よく、肌にやさしくなじむけれども、
しばらくすると自分たちが宙に浮いている存在であることに気付く。
生活の基盤がそこにはなく、
あわただしい毎日の中で、右へ左へと流されているような気持ちになる。
自分の生まれ育った地から、1万キロも遠く離れたこの地の
我が家にたどり着いたとき、ちょうど実家に到着したときと同じ安堵が得られるのが不思議だ。

炭酸水通りの我が家の庭は、夏の真っ盛り。
例年にない雨の恵みを受けて、もう8月だというのに
植物がつややかに輝いている。

IMG_7559.jpg

大切な儀式であるように、ひとつひとつの植物を
丁寧に説明しはじめる旦那。
「ちょうどイチゴもグリーンピースも収穫ができたときに、
君たちがいなくて残念だったよ。」

IMG_7546.jpg

トウモロコシの何と大きなこと。
天を突かんがばかりに背伸びしている。
高いところから、人間たちを見下ろす気分はいかがなものだろう。

IMG_7545.jpg

「この花を知っているかい?」
夏の暑さを我知らず、涼しく透明なブルーを投げかける花。
それは、亜麻の花だった。
綿の育たない、北の冷涼な大地では、
古くからこの亜麻の茎が珍重されてきた。
乾かしてから、繊維を叩いて伸ばし、糸を紡ぎ、
それから冬の間中、機織り機を踏んでできたのがリネンの手織り布だ。

想像を絶する沢山の労働の果てに、
あの輝くような白い布が生まれる。
少しずつ種を増やし、いつかその美しい布の生まれる瞬間を見てみたいものだ。

IMG_7558.jpg

真夏の空に浮かぶ花火のような、白い花。
ドクニンジンの花は、ただの雑草だけれど、
可憐で繊細な姿かたちをしている。
もしも、女性を花に喩えるのならば、
大輪のバラや芍薬ではなく、小さな野の花でありたい。

IMG_7551.jpg

アザミの花は散った後も、
夢のように素敵な綿毛をのこしていく。
このひとつ、ひとつが子どもたち。
わが子を空高く飛び立たせて、その役目を終えるのだ。

IMG_7568.jpg

昼時となった。
ガスボンベがないため、外で火を起こして
大きな鍋で昼ご飯を作る。
おととしの夏、カロタセグ地方の村で過ごした一か月。
ひとつのお鍋だけで、すべてが事足りた。
欲を言えばきりがないが、
人間が生活をするのは至って簡単なことであることに気が付いた。

収穫したばかりのじゃがいもを、
冷たい井戸水の中に放り込む。
娘は、待っていたとばかりにその中で水遊びをはじめる。

IMG_7572.jpg

今年は雨の影響で小ぶりとなったが、
ルビー色に輝くじゃがいもたち。
包丁を入れると、ザクッと小気味よい音がする。

IMG_7577.jpg

真夏の太陽が降りそそぐ中、
キャンプファイヤーさながら火をたき、鍋で煮たセーケイ風じゃがいもの煮込み。
日陰に毛布を引いたら、ピクニック気分になる。
おなか一杯食べて、お隣のおばあさんにもおすそ分けをした。
再び、トランシルヴァニアの日常がはじまった。

IMG_7544.jpg

*7月に放送された「世界の村で発見、こんなところに日本人」の
番組についての感想をyuccalinaさんがこちらで述べていらっしゃいます。
私の思うところと一致していたので、ご紹介いたしました。
comments(10)|trackback(0)|セーケイ地方の村|2014-08-09_16:59|page top