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トランシルヴァニアへの扉 - Erdely kapuja-

古きよきヨーロッパの面影を残す、トランシルヴァニアへの扉をそっと開いてみませんか?

::自己紹介::

谷崎 聖子

Author:谷崎 聖子
1978年宮﨑生まれ。
大阪外大、ハンガリー語学科卒業。
ブダペスト大学で民俗学を専攻。
ルーマニア、トランシルヴァニア地方のフォークロアに惹かれて、セーケイ地方に移住、結婚。
三人の子育て中。

伝統手芸研究家。
トランシルヴァニアの文化、手しごとを広める活動をしています。主な著書「トランシルヴァニアの伝統刺繍 イーラーショシュ」、「カロタセグのきらめく伝統刺繍」。

東欧雑貨ICIRI PICIRIFOLK ART Transylvaniaのオーナー。

詳しくは、森の彼方-トランシルヴァニアへの扉をご覧ください。

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ブログ翻訳

セーケイ地方の謝肉祭

長い冬のトンネルも、
ようやく終わりが見えてきたころ、
塩の地方と呼ばれるところへ向かった。
友人家族は、この村の謝肉祭に毎年来るというので、
ずっと前から気になっていたのだ。
同じセーケイ地方であっても、丘を越えて、
車で3時間ほどはかかる。

朝早起きをして子どもたちを幼稚園に送り出した。
国道沿いを車を走らせていると、
ザクセン地方に差し掛かった頃から、
先程までの太陽が姿を消し、遠く向こうに雨雲が広がっているのを見た。
気が付くと、私たちの周りは横殴りの雨が打ち付けて、
しばらくして雪に変わった。
なだらかな丘の輪郭が、みるみるうちに白く染まっていく。

謝肉祭の日に、こんな荒れ模様となり不安がよぎったが、
村につく頃には雪は山の頂上にしか見られなかった。
それも今朝降ったばかりのものではなく、
ずっと昔から残った雪のようだ。

30分遅れて村に到着。
「謝肉祭の行列は村のあちこちを回るから、
大きな村の中で探すのは結構苦労するわよ。」と友人から聞いていた。
ちらほらと坂を登っていく人の後についていくと、
カラフルな色合いの子供たちの行列が見えてきた。
とある家の前に人だかりができていたので、
近づいていくとすでに風変わりな「葬式」がはじまっていた。

     farsang sofalva (41) 

「イッェーシュ!ああどうして死んでしまったの?
お菓子も焼かなくちゃいけないし、洗濯もしないといけない、
壁の塗り替えもしなくちゃならない。
そして、あなたを泣いて送別しなければならないなんて。」

「イッェーシュ!昨日まではいっしょに酒を酌み交わしたのに。
ただキャベツだけを残して、おまえは逝ってしまった。」

「イッェーシュ!いい隣人だったのに。
悲しくて、関節があちこち痛むわ。」

他にも愛人たちも別れの言葉を叫んだりして、
滑稽な葬式はつづく。


farsang sofalva (17) 

「あの人の好きだった歌は・・」

という声とともに、村人たちが民謡を合唱する。
「もし私が死んだら、誰が私を惜しんで泣いてくれるだろう。
誰が私の棺桶に倒れてくれるだろう。
お母さんは倒れてくれるだろうが、もう生きていない。
私のただ一つの宝よ、どうか私の棺桶に倒れておくれ。」

そうして歌からダンスへと変わり、「葬式」は終わる。
お宿となった家の人たちは食べ物や飲み物を配って回り、
飲み食いをしたら、またわら人形を連れて行列が始まるのだ。


farsang sofalva (2) 

村の楽団の演奏が、
伝統行事をますます生きたものへと仕立ててくれる。


farsang sofalva (1) 

長い行列が村をあちこちと行き交う。
かれこれ20年もこの村へ通う、友人のカティが話してくれた。
「お宿となる村人たちも、それはこの行事を楽しんでいるのよ。
一度は、葬式のような黒い幕が下がっていて、
家の前に棺桶が置いてあるだけだったの。
突然に起こった不幸だと思い、申し訳なくたっていたら、
棺桶が突然開いて、人が出てきたわ。
もう心臓が破裂するかと思った。」

それぞれの宿がテーマを持っているのだという。
細い坂を下りていくと、
女装したおじさんがチケットを配っている。
そして、宿が近づいて来ると、家の前に白い装束に身を包んだ
ローマ法王が長椅子に横になっている。
参列者たちがキスをして過ぎていく。


farsang sofalva (4) 

家の門には、織物や刺繍のタペストリーなどがかけてある。
昔は、その冬中に出来上がった手仕事をかけて、
展示会のように皆が見ていったのだという。

「隣の奥さんとはいい、
ここでうわさ話をしてはいけない。」
という冗談みたいな詩の書かれたタペストリー。


farsang sofalva (7) 

家のお祈りの言葉をパロディにしたもの。
「信仰があるところに愛があり、
愛があるところに平和があり、
姑のいるところは、終わりである。」
強烈な詩を目の前に苦笑していたら、
横に立っていた村のおじさんが微笑みながら、
「いや、これは本当なんだよ。」と呟いた。


farsang sofalva (8) 

焼き菓子やドーナツ、スコーンのようなもの、
サンドイッチ、茹でたジャガイモにチーズなど、
ご馳走がならんだテーブルで私たちのようなよそ者は遠慮していると、
パンをこねる大きな桶にいっぱいのオープンサンドが運ばれてきた。
「手がふさがっているから、自分で取ってね。」
その気兼ねの無さに、私も手を伸ばした。


farsang sofalva (6)


住まいの近くのブルン村の謝肉祭でも
食べ物の振る舞いがある。
謝肉祭の醍醐味は、飲んで食って、大騒ぎをすることにあるからだ。
それでも、何十名ものお客をもてなすことに疲れ、
お宿となる家はだんだん減り、謝肉祭そのものも危ぶまれている。
しかし、この村においては、
観光バスで幼稚園児や保護者たちも合わせると
100名以上のお客を喜んでもてなす懐の広さを感じさせるのだ。
普段は静かであろうちいさな通りもこの日ばかりは人だかりになる。
 
farsang sofalva (11) 

長いテーブルにご馳走を広げて、
お宿の主人たちはこの滑稽な劇を眺めている。
人生でも最も悲劇的な事件でさえも、
パロディとして笑い飛ばしてしまう人々のおおらかさ。
「町の幼稚園から、毎年大型バスでここまで来るの。
謝肉祭といっても、町ではただの仮装大会にしかならないから。
大人たちがどう楽しむかを子供たちに見せることは大切だと思うの。」とカティ。


farsang sofalva (10) 

わら人形のイッェーシュは、
冬の象徴としてこの日の生贄となる。


farsang sofalva (18) 

こうして6箇所のお宿を回る頃には、
寒さで体が凍えてくる。
そして、繰り返されるお葬式の台詞や歌を自然と口ずさめるようになる。
知らず知らずに、「ヤーィ!ヤーイ!」と悲しむ掛け声をかけている。


farsang sofalva (23) 

村の中心に戻ってきた。
可哀想なイッェーシュは体を引き裂かれ、火をつけられる。


farsang sofalva (26) 

燃える炎を囲んで、
人々は歌い、踊り、歓喜し、冬と決別する。
葬式であるのに、人々の顔は晴れ晴れしい。


farsang sofalva (28) 

farsang sofalva (39) 

最後に大きな輪になって踊る村人たちを眺めていたら、
輪の中で踊っていたカティが私を呼んだ。
私も輪の中に入り、見よう見まねで楽しんだ。

共同体の力の素晴らしさを感じていた。
皆でお互いを助け合い、いっしょに苦労も楽しみも分かち合う。
それがちいさな村の良いところだ。
しかし、21世紀の世の中では、
こうした昔ながらの価値観がゆらぎ、
人々は共同体からだんだん遠ざかっていってしまった。

参加者のおばさんと話していた時だ、
「この大騒ぎは今日で三日目よ。
かれこれ20年はこの行事に参加しているけれど、
私たちにとってはお祝いなの。」

お酒を飲んで酔い加減のおじいさんがカティと話していた。
「またこの村に遊びに来なさい。いつでも歓迎するから。」

長身で美しい金髪のカティの姿が輪の中に見えた。
踊りが終わり、村人たちと別れの抱擁やキスをしているのだった。
この愛らしい人々と別れ、暖かい思い出を胸に村を離れた。
春に向けての、大きな一歩を踏み出した。






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comments(6)|trackback(0)|セーケイ地方の村|2019-03-21_21:22|page top

貝戸さん一家

1月になり、待ちに待ったお客様がやってきた。
貝戸さん一家だ。
「最後にここに来たのは、8年も前なんです。」
そう言われて、意外に思われたのは、
私たちが毎年のように日本で会っていたからだろう。

当時、14歳の長男は幼稚園生だったし、
その頃はまだご夫妻にも子どもはいなかった。
1年ほどルーマニアに滞在をして、
それから日本へ帰り、やがて可愛い子どもさんたちが誕生して、
親子で数ヶ月をルーマニアで過ごすためにやって来られた。

日本では住まいを美しく、嗜好を凝らして丁寧な生活をされるお二人。
ルーマニアでもどこかの村で美しい家を探されるのだろうと思っていた。
そして、去年の夏に見初めた家のことをふと思い出し、
シク村の住まいを勧めてみたところ、喜んで借りたいとの返事がきた。
私たちもこの夏に何度か家族で村での生活を試みた。
しかし、今回の滞在は冬となるので、
夏場のようには生活が楽ではない。
深く考えずに勧めてみたものの、
生活に苦労されないのだろうかと気が掛かりだった。
村のほとんどの家は、街と変わらない快適な住まいであるのに対し、
その古民家にはガスや水道がない。
暖をとるのも、ひとつの薪ストーブだけである。
私たちもまだ冬の古民家の暮らしは未経験なので、
どれだけ寒さが防げるかわからない。

村の生活は確かに大変だけれど、
薪を割ったり、水を井戸で汲んだり、
日本ではできない生活ができて感謝しているとメールにあった。

一家が村に到着したのは、ちょうどクリスマスの頃。
旅行が好きな一家はすぐにマラムレシュへ出かけ、
クリスマスの夜にレストランを探そうとしたものの見つからず、
駅で尋ねた二人のおばさんがそれぞれクリスマスのご馳走をかかえて来てくれたという。
また、マラムレシュからの帰りはお正月で、村へのバスがなかったため、
タクシーを見つけてお願いしたら、
遠く離れているのにもかかわらず、運転手はお金を受け取らなかったとも話していた。

10年以上暮らしている私ですら、
本当にそんなことがあるのだろうかと感心するような奇跡のような出来事が
彼ら一家には起こってしまうのだ。
現地の言葉は流暢でないのに、
人々とどこか通じ合う力を持っているのだろう。

シギショアラを旅して、セーケイ地方の我が家に一家が到着すると、
4人の子どもが何倍にも膨れ上がったかのように、元気いっぱいに遊びはじめる。
特に、幼稚園に行けずにいた次男は日本のお客様に大喜びをした。

町外れのいつものソリ場へと出かけた。



huyu2019.jpg 
真っ白な雪が溶けてしまわないようにと願っていたら、
一家が来る日まで残っていてくれた。
ソリは人数が多ければ多いほど楽しい。

huyu20191.jpg

この美しい丘の風景が、トランシルヴァニアの日常をいかに豊かにしてくれたか計り知れない。
春には真っ赤な野いちご、夏には香り立つタイムの花を摘み、
秋にはローズヒップが実り、冬には白い雪で覆われる。

huyu20192.jpg 
急斜面の坂は、ソリ遊びに打って付け。
雪が降ったあとの週末には、親子や祖父母など大家族でソリに繰り出す姿も見られる。
すでに土色の大地がまだらに姿を現し、
雪まみれと泥んこになりながら、お腹いっぱい遊んだ。

huyu20193.jpg 
翌日は、炭酸水通りの古民家へ散歩がてら出かけた。
家でお絵描きをしていたら、
長男のガックンが日の丸を描いて、日本の国旗を作った。
それを娘も真似をして、それぞれ4人に旗ができた。
「ヤパーン、バール!ヤパーン、バール!」
ガックンが叫びはじめると、皆が続いて掛け声を上げた。
「あなた、日本人?」とよく言われるから、
それを覚えたのかなと思っていたら、
「僕は日本人だ。僕は日本人だ。」と言いたいのだとわかった。
大人3人+ちびっこ4人の日本人の群れに、
この町の人たちはさぞ驚いたに違いない。


huyu20195.jpg

ちいさな橋を渡って、
町で一番古い城塞教会が見えてくる。
この教会のそばに、古民家がある。
「みーちゃん、元気になってよかったね。」
「みーちゃん、可愛いね。」
とやさしく接してくれる貝戸さん夫妻、
そしてふたりの楽しいお友達に囲まれて、
子どもたちも私たちも楽しくあっという間の二日間だった。

 huyu20194.jpg

三日目の早朝、
町がまだ寝静まっている頃、
貝戸さん一家はブルガリアへ向けて旅立っていった。
comments(0)|trackback(0)|セーケイ地方の村|2019-02-19_00:00|page top

トロツコーの刺繍を学びに

今から二年前の秋だった。 
トロツコーを訪ねようと思い立って、 雨のふる夕方にひと晩の宿を求めた。 
その翌日に、トロツコーの刺繍を学ぼうと人を探し、
やっと探し当てたのがイロナおばあさんだった。

大きな枠を使って縫う刺繍。
セークのアウトラインステッチにも似ているようだが、
どちらかというとサテンステッチに近い。
次の年の謝肉祭に学びに来たいと行って別れたのだが、
結局、来ることができなかった。

こうして、ついにイロナおばあさんの家で刺繍をすることになった。
私が持参したのは、通常の小さな丸い枠。
「それだと両手が空かないから、やりにくいわ。
私のをご覧なさい。」
おばあさんの愛用する刺繍枠は、
まるで画家のキャンバスのように大きくもできるし、
細長くもできる調節可能な木枠。
確かにこれなら、持ち運びもしやすい。

  torockoi farsang (6) 
イーラーショシュのような幅の広いラインを、
斜め方向に向かって輪郭を埋めていく。
円や入り組んだ曲線をこの技法で埋めていくのはなかなか難しい。
上から下、下で受けて上へ針を入れるのはセークと同じやり方だ。

トロツコーの刺繍に興味を持ったのは、刺繍のあるブラウスが始まりだった。
カロタセグの刺繍ブラウスに似たモチーフが見られ、
それでも技法が全く違うのに興味惹かれた。
初心者には適しない、モチーフの密集した古い図案をあえて選んだのだった。

おばさんが別室から、古い刺繍のコレクションを見せてくれた。
らせん模様の中に植物モチーフが入り込んだ図案。
この構造はルネサンス美術の名残とも言われ、
トランシルヴァニアの各地の刺繍図案に残っている。
カロタセグでは「刀」と呼ばれ、
トロツコーでは「蛇」と呼ばれるが、
呼び名はともかく起源は同じである。


torockoi farsang (4) 

こちらは紺色の糸で刺繍してある。
カロタセグでも、19世紀半ば頃までは紺色で刺繍したと言われている。
こちらは図案も、古いイーラーショシュに似ているようだ。


torockoi farsang (7) 

今度は上着を来て、暖房のない別室に通された。
おばあさんが初めて作った刺繍作品を見せてもらった。
初めてに取り掛かるにしては、大作のベッドカバー。
3枚の手織り布がつなげてある。


torockoi farsang (8) 

イニシャルと1965年の年号が刻まれた、中央部分。
今から50年以上も昔の作品なのに、鮮やかな赤は色褪せない。
大きな花の華やかさと、茎の細さの繊細さがトロツコーの刺繍の特徴だろう。


torockoi farsang (10)


 こちらは、おばあさんが刺繍を習ったおばあさんから受け継いだ図案。
トロツコーでは目を数えるクロスステッチ刺繍に対して、
図案を布に直接描く刺繍があり、それを「枠刺繍」と呼ぶ。


torockoi farsang (9) 

こちらがクロスステッチ刺繍。
もちろんトランシルヴァニアでは、
普通のクロスではなく、編みクロスステッチが一般的である。
衣装からベッドカバー、枕カバーまで幅広く使われていた技法。


torockoi farsang (11) 
二年越しの願いがついに叶った。
いつかは、憧れのトロツコーのブラウスを作ってみたい。


comments(0)|trackback(0)|セーケイ地方の村|2018-03-13_00:00|page top

アーラパタクのピロシュカおばあちゃん

久しぶりにアーラパタクを訪ねてみよう。

そう思い立ったのは、日本からのお客さまと話したときだった。

初対面の彼女は、仕事をやめ、
刺繍を学ぶためにハンガリーに移住したという。
数年前に放映された番組「世界の果ての日本人」を偶然に目にし、
トランシルヴァニアのおばあさんたちとの触れ合いに感激したと話してくれた。
彼女も同じように、日本の病院で患者のおばあさんたちと
手芸による触れ合いをしていたのだった。


古民家の庭で昼食をとったあと、車を走らせて森を越えていく。
村の中心には、会い変わらずジプシーの子どもたちが大勢たむろしている。
おばあさん宅の門には呼び鈴もないので、
垣根越しに叫ぶしかない。
「ピロシュカおばあさーん!」
大声を張り上げると、それに呼応して
家の犬がわんわんと吠える。
それを何度か繰り返した後、裏の畑からゆっくりとおばあさんが出てきた。
80歳を過ぎたおばあさんが一人暮らしをしている。
元気だろうか、病気をしていないだろうかと、
いつも不安を抱きながら訪ねている。
おばあさんは、数年ぶりの来客を喜んで迎えてくれた。
日本からの来客を紹介すると、おばあさんの部屋へと案内してくれる。


  piroskaneni (4) 

アーラパタク、今から100年前は美しく、刺繍で有名な村だった。
女性たちの手掛けた、赤い編みクロスステッチは、
世界をかけぬけ、1900年のパリ万博では金賞を受賞したという。
時代は変わり、トランシルヴァニアがハンガリーから引き裂かれると
人々はもう、その赤い刺繍のことをすっかり忘れ去ってしまった。
70~80年代になると、村の女教師が村の刺繍を集めて、図案集を出版した。
それから、また別の女性が村の女性たちに刺繍をさせて、
ルーマニア各地の展示会へと運んだ。
それからは、時が止まったように静かになった。
代わりに、村にはジプシーが移住をはじめてきて、
ハンガリー人もルーマニア人も次々と村を去っていった。
ただ、エメラルドグリーンの壁にかけられた赤い刺繍だけが、昔のままだ。


piroskaneni (5) 

右には父親、左には母親の写真がかけてある。
ピロシュカおばあさんを見守っているかのようだ。
小さいころに父親を亡くしたおばあさんは、
母親ひとりで育てられ、貧しい少女時代を送った。
嫁入り道具も、すべて自分一人で作らなければならなかったという。
子供に恵まれなかったおばあさん、
部屋の中を少女時代の思い出でいっぱいにしている。



piroskaneni (6)


娘が腰かけて遊んでいた、可愛い椅子。
尋ねると、幼いころクリスチャンファザーから贈ってもらったという。
おばあさんの居間で、なんと70年以上もいっしょに過ごしてきたというのだ。



piroskaneni (8) 


椅子の裏には、こんな文字が書いてある。
「セーケイ・ピロシュカ
1939年、12月25日
クリスマスの天使より」



piroskaneni (7) 

刺繍を学びたいという彼女のために、
おばあさんは部屋から布と針、糸を出してきてくれた。
小さな目を数えながら、針で赤いクロスを作り、
編むこむようにして列ができていく。



 piroskaneni (10)


その手の動きに見とれている内に、赤い花がひとつ出来上がった。
「さあ、あなたもしてみて。」
おばあさんは、その布を彼女に手渡した。



piroskaneni (1) 


ピロシュカおばあさんが、
帰り際に古い枕カバーを譲ってくれた。
2010年に町の博物館で、アーラパタクの展示会を開いてから、
6年が過ぎようとしている。
村のハンガリー人女性の数も減り、壁からはひとつ、
またひとつと赤い刺繍が取り外されていく。
「次来るときにはまた、刺繍を持っておいで。」
ピロシュカおばあさんが笑顔で手を振った。
大切に箪笥の中にしまってあったのだろう。



piroskaneni (3) 
comments(4)|trackback(0)|セーケイ地方の村|2016-11-17_13:02|page top

アーラパタクのおばあさんとの再会

ヨーロッパのお盆の日のことだった。

舅の墓に向かう途中で立ち寄ったのは、老人ホーム。

アーラパタクの村のおばあさんがここに入所したと聞いて、

渡したかった写真を届けたかったから。


それは普通のアパートを改造しただけの、活気のない建物だった。

受付で彼女の名を告げようとして、はじめて名前しか知らないことに気が付いた。

そこで手元にある写真を見せると、女性の顔がすぐに明るくなった。


白衣の女性の後について、電気のない薄暗い通路を通って二階へ上がる。

広いロビーでは、お年寄りの方たちが椅子に腰掛け、

何を話すというわけでもなく集まっている様子。

部屋に通されると、長かった髪をバッサリと切った白髪の女性が

テレビの前に腰掛けているところだった。

同時に目に飛び込んできたのは、壁一面に飾られた赤いクロスステッチ刺繍のタペストリー。

おばあさんは私に抱きつき、涙を流しているようだった。

「彼女のために刺繍をしたのよ。それを、日本へ持って行って・・。」と受付の女性に話している。

日本で展示会のために、いくつか編みクロスステッチの作品をオーダーしたことがあった。

何度か足を運んだあと、年のせいでもう縫えないと彼女はいった。

目に見えて年をとった彼女の姿に狼狽しながら、

持ってきた写真を目の前に広げて見せた。


それは、3年ほど前に日本のフォトグラファーを伴って訪れたときの写真だった。

ご主人のジュリおじさんが木彫りと、

奥さんのエ二クーの編みクロスステッチの刺繍。

気の合うふたりそのもののように、調和していた。

手作りの作品に囲まれた居間でくつろぐ姿が目に浮かんでくる。


szobabelso.jpg 

「2年前に、ジュリおじさんが突然亡くなって、

私も病気をしたからここに来たのよ。

それから家にも強盗がはいったのだけれど、辛うじて手仕事だけは運んできたわ。」

村の人口がジプシーが過半数という村は、

一人暮らしのお年寄りにとって危険この上ない。

おじさんには前妻との間にふたりの娘があったようだが、

おばさんには身寄りが他にないようだった。


迷っていたのは、写真を全部渡してしまおうか、

それともジュリおじさんの身内に渡そうかということだった。

「ジュリおじさんの写真は?」と尋ねると、

「残しておいてください。」

白髪のおばあさんはまっすぐに目をみてこういった。


ゆっくり話を聞いてあげたかったが、先を急がねばならない。

また家族とゆっくり訪ねてくると約束をすると、

「いくつかの手仕事はあなたたちに渡すわ。」と耳元でささやいた。

赤い刺繍に見守られて、彼女は残された日々を過ごしていく。

しばらくの間、エメラルドグリーンの壁に幾何学の赤が目に焼き付いていた。





comments(0)|trackback(0)|セーケイ地方の村|2016-11-11_05:15|page top