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トランシルヴァニアへの扉 - Erdely kapuja-

古きよきヨーロッパの面影を残す、トランシルヴァニアへの扉をそっと開いてみませんか?

::自己紹介::

谷崎 聖子

Author:谷崎 聖子
1978年宮﨑生まれ。
大阪外大、ハンガリー語学科卒業。
ブダペスト大学で民俗学を専攻。
ルーマニア、トランシルヴァニアのフォークロアに惹かれて、セーケイ地方に移住、結婚。
三人の子育て中。

伝統手芸研究家。
トランシルヴァニアの文化、手しごとを広める活動をしています。主な著書「トランシルヴァニアの伝統刺繍 イーラーショシュ」、「カロタセグのきらめく伝統刺繍」。

東欧雑貨ICIRI PICIRIFOLK ART Transylvaniaのオーナー。

詳しくは、森の彼方-トランシルヴァニアへの扉をご覧ください。

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ブログ翻訳

スターナのアーティスト

カロタセグ滞在の5日間の合間に、
主催者のアティラとともにフィールドへも出たことは楽しい経験だった。
ズィラフの博物館員であり、
本来は美術専門であるはずの彼が民俗学の方面でも仕事をしている。
特にトランシルヴァニアの陶器についての造詣が深い。
スターナの村へと出かけることになった。


sztana_20200904191757667.jpg


山を下り、さらに登って原っぱを越えて、スターナの村に到着した。
初日に待ち合わせをしたプロテスタント教会の横にある文化会館で、
面白い写真展があるという。
イギリスの写真家で、デニス・ガロウェイという人物が、
1920~30年代にかけて、カロタセグ地方を撮影して回った。
壁に掛けられたモノクロの写真には、
結婚式や葬式の習慣や、
美しい衣装に身を包んだ村人たちが記録されていた。


sztana (14)


アティラが言う。
「この村にひとり知り合いがいるから、そこを訪ねてみよう。」
小さな村のはずれにある一軒家。
その門には面白い標識がかかっていた。
「うちの犬は、時速50キロで走れる。」
普通なら、「犬、危険。」とか書いてあるものなのに、
ユーモアあふれる表現で、しかもちゃんとよそ者を威嚇している。

門をひらくと、さっそくたくさんの犬が柵の向こうがわで待ち構えていた。
しかし、どれもが親しみやすく、襲ってくる恐怖は感じられない。
庭は、どこにもガタクタのようなユニークな作品で埋め尽くされていた。


sztana (2)

sztana (15)


白髪のご主人は、ピシュタ。
スターナで生まれのアーティストだ。
丸顔に青い瞳で、人懐っこいまなざしを注いでいる。
来るなり、すぐにパーリンカでもてなしが始まった。
同じ芸術家のアティラとは、親しい中であることがすぐにうかがえる。

「古い体制の時に、チャウセスクの絵を描かなければならなかったんだけれど、
体制が変わった後、どこからかその絵が出てきて、
誰が描いたんだってことになった。
俺は恥ずかしくて言えなかったよ。
何せ、何メートルもある大作だったんだ。」
そんな話をしながら、陽気に笑っている。


sztana (12)


主人のもてなしを受けて、部屋の中を見せてもらう。
「息子のためにタイルの壁を作ってやったんだ。」
それは見てすぐわかるように、彼がペイントしたタイルだった。
しかも、端には制作年とモノグラムが見られる。


sztana (3)


「これは、客が来た時に、絵をプレゼントしてあげると見せかけて・・・。」
ピシュタが絵を取ろうとすると、ただフレームだけが取れる仕掛けになっている。
絵は壁にそのまま描いてあるのだ。

電源のコネクターの上には、必ず鳥が描かれている。
生活すべてを、面白くし解釈してしまうのがピシュタの性癖らしい。


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主人の部屋は、カロタセグの陶器や織物で飾られていた。


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主人の部屋の秘密の小箱には、
母親から受け継いだ手仕事が収められていた。
中でもすぐに目を引いたのが、革製の小さな袋。
他のカロタセグの村でも見たことがあったが、たばこ入れとして使われていた。


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「さあ、カティ。これを広げてみなさい。」
私の名前も勝手につけられている。
黒いクロスステッチでできたベッドカバーは、葬式の祭壇を作るときに使われたもの。


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ブドウの房、バラの花、そして鳥が向かい合わせに刺繍されたのは、
産後の女性を見舞う時にお菓子を包むのに使われたロングクロス。


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「これが、僕の母親だよ。」
ピシュタが部屋の隅にかかっていた絵を見せてくれた。
裏には、デニス・ガロウェイと名前が刻んであった。
先ほど、村の中心で見たばかりの写真を撮った人物だ。
ピシュタの母親が若いころ、このイギリス人の芸術家に会い、
このように絵を贈られたのだった。
その息子が芸術を志すことになったのは、面白い因縁だ。
「実は、彼はスパイだったそうだよ。」とこっそりとささやいた。


sztana (1)


こちらも彼の写真に違いない。
少女たちが身を寄せ合うようにして刺繍をしている風景。
幼い少女を肩に抱く男性を差していった。
「これがおじさんだよ。戦争で帰らなぬ人となった。」
その横にいるのが、ピシュタの母親だ。


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ピシュタに礼を言って、家を出ようとすると、
また通り雨がやってきた。
再び、主人のベランダに戻って、酒盛り。
今度は、作りたての甘いサワーチェリーのリキュールを頂いた。


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雨上がりの村をほろ酔い気分で後にし、
私たちは家族や仲間たちの待つセントイムレイの家へと山道を越えていった。



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comments(0)|trackback(0)|カロタセグ地方の村|2020-10-01_03:29|page top

「化石の丘」アーティストレジデンス(前)

7月の半ばころ、友人と話していた時だった。
「カロタセグで5日間、トロツコーで5日間を過ごしたくない?
住むところも、食事も全部ついているんだ。」
目を丸くして、旦那と顔を見合わせていた。
夏休みの予定など空白だったから、それは思ってもみない提案だった。

画家のレベンテが、毎年夏にカロタセグのアーティスト・レジデンスに参加することは知っていた。
実は、彼もその主催者のひとりであり、
今年はコロナ流行を受けてハンガリーなどからの参加者のキャンセルが相次いで、
主催者も困っているとのことだった。
誰でもいいというわけではないだろうが、
こうして声をかけてもらったのは光栄なことだ。
それも、家族全員で参加できるとのことで、
カロタセグやトロツコーはどちらも私たちのフィールドなので、
私たちにとってはまさに夢のような話だった。

その二日後、私たちは荷物をまとめて、
カロタセグ地方のスターナへ向かった。
気乗りしない長男をやっとのことで準備に急がせたり、
いつものように旦那が気まぐれを起こしたりと、
出発の直前まで、いざこざがあったことは言うまでもない。

スターナのプロテスタント教会前に車を止めて、
他の参加者の到着を待つ。
4時の待ち合わせのはずが5時になり、
6時頃になってようやく人が集まってきた。
「ほら、あの人が主催者のアティラだよ。」と友人のレベンテが示すと、
車から3人の子供たちが降りてきた。
長男と同じ年ごろの少年がいるのを見て、心の中でひそかに喜んだ。
主催者に自己紹介をすると、なんと2年前にシク村の我が家に
レジデンスの参加者たちとともに遊びに来てくれた一人だったと気が付く。

目指す宿は、スターナの村からは遠い。
電車駅のすぐそばで、私たちも車のないころによく通った道だ。
雨でぬかるむ道を車で進むことはできないから、
村人に頼んでトラクターの後ろに荷台をつけて、荷物を運ぶことになった。
そして、荷物の見張りを二人の少年に任せて、
他の参加者は遠足気分で徒歩で向かうことになる。


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けたたましいトラクターの機械音とともに、
たくさんの荷物とまだ知り合って間もない少年二人が出発していった。


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村にある水飲み場で子供たちが遊びはじめたので、水のみ休憩。
昔は洗濯をするおばあさんの姿を見た場所だ。


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小さな村を過ぎると、今度は原っぱの丘が待っていた。
そこからさらに、森の中へ。


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森の山道はどろどろにぬかるみ、
長靴を履いてきた人は正解だ。
靴の底には厚い泥が張り付き、歩きにくいことこの上ない。
急に視界が晴れて、目の前に鉄道線路が現れる。

このスターナ駅は今から100年ほど前に、別荘地だったところで、
当時はハンガリーだったトランシルヴァニアの、著名人が家を建てていた。
中でも、トランシルヴァニアのハンガリー人にとって
精神的な柱であったのが建築家コーシュ・カーロイという人物。
トランシルヴァニア主義という、民族を超えた文化的な協力、統一を目指して、
第1次大戦後の新しい思想を担った。
コーシュが自分の住いにしたのが、この「カラスの城」と呼ばれる家だ。


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その近くにあるのが、今夜の住いであるセントイムレイの家。
コーシュが友人の作家、セントイムレイ・イェヌーのために設計した屋敷だ。
トランシルヴァニアの民俗建築の基礎は、中世の建築にあるという
彼の言葉通りに、石の基礎と木製の屋根や壁が美しく調和している。
大きな屋敷の前では、主人の夫妻が出迎えてくれた。
気品のある初老の男性サボー・ジョルト氏は、セントイムレイ・イェヌーの孫に当たる人物。

民俗学者だった、旦那の父シェレシュ・アンドラーシュとも知り合いで、
舅の本「バルツァシャーグの民俗詩と習慣」も
彼の持つ出版社クリテリオン社から出たものだった。
氏の母親セントイムレイ・ユディットは民俗学者で、
特にトランシルヴァニアのハンガリー人の刺繍の研究で知られ、
生前知り合いになりたかった人物の一人だった。


csigavar (6)


「シェレシュ一家は二階の奥の、大きな部屋がいい。」とジョルトおじさんに言われ、
私たちは二階の部屋についた。
実は私たちは、一度ここに泊まったことがある。
3年前のイースターのツアーで、この住まいにどうしても心惹かれて、
不便な場所とは知らずに予約をしたのだった。
驚くことに私たちの今回の部屋もまた、その3年前に泊まったのと同じ部屋だった。
家具まで全部、コーシュが設計したというのだから、こだわり方が違う。
トランシルヴァニアに残る木の墓標をデザインしたテーブルや椅子にベッド。
そして、セントイムレイ・ユディットの刺繍作品や、
カロタセグのテーブルクロスがかかる調度品を眺めているだけで幸せな気分になる。


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泥だらけのズボンや服を着替えて、夕食の後、眠りについた。
こうして、美しい住まいでの5日間がはじまった。


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comments(0)|trackback(0)|カロタセグ地方の村|2020-09-03_18:17|page top

カロタセグの羊祭り

4月のある日、
ナーダシュ地方の村を訪ねていた。
羊祭りは、かつてどこの地方にも見られたという。
寒い冬を越すために村を離れて放牧をしていた羊が
春になって村に帰ってくることを祝う祭りである。
本来なら村に到着する前に、森の中で前夜祭があるらしかったが
昨夜は冷たい雨が降っていた。
台地はうっすらと緑色のじゅうたんで包まれている。

  juhmeres.jpg 
なだらかな丘の曲線の向こうから羊の群れが確認できた。
村の楽団や、祭りを祝おうと遠くハンガリーから駆け付けた人々が
丘の上でひたすらに待つ。
そのゆっくりとした足取りを待つのも、悪くない。
祭りの始まりを楽団の演奏によって
徐々に気持ちを高揚させるようだ。
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羊の群れと落ち合い、いっしょに演奏や歌で祝ったあと、
今度は村へと降りていく。
ベージュ色した動物が怒涛のように押し寄せる様子は、
まるで洪水のようであり、圧巻である。

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雪解けで泥だらけになった道を、
羊とともに人の群れも突き進む。
そして面白いことに、
羊の背にはそれぞれカラースプレーで色が塗られている。
誰の所有であるかすぐにわかるようにだろう。

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いかにもカロタセグらしく、
パーントリカと呼ばれるリボンで飾られた羊。
晴れ着の衣装に使う、上質のリボンである。

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村の本通りに到着するや否や、
前方で大きな叫び声が聞こえた。
なんだろうと見やると、
村人たちがバケツ一杯の水を行列に引っ掛けたのだった。

どうして水をかけるのと聞くと
「羊に水をかけると、乳がよく出るらしいからよ。」と村人。
それでも、明らかに水は羊飼いや楽団のほうに向かっていた。

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祝いの場にふさわしく、
艶やかな赤い衣装に着替えた人たちの姿も見られる。
もちろん、有名なダンスも見ものである。

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小さな通りを埋め尽くす、羊、羊、羊・・・。
イースターには子羊を食べるし、
羊のチーズはルーマニアでは牛のそれより重宝されている。
食卓には欠かせない動物である。

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祭りの様子を、楽し気に見守るおばあさん。
何度かこの見事な門の前でこのおばあさんを見たことがある。
いつか孫息子の写真をもっていったときには
お礼にネックレスを贈ってくれたこともあった。
門にはカロタセグの民族衣装を着た女性の姿や
天使のレリーフも見られる。

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中心の広場につくと、今度はお宿に向けて通りを進んでいく。
娘は、友人の長男ゾーヨムとくっついて離れない。

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この通りを進んでいるときに信じられない光景を目にした。
ちょうど目の前で、バケツの中をひっくり返す女性がいたのだが、
それは空っぽで、だまされたと安堵しているとたん、
その家の二階の窓からバケツ一杯の水が群衆に向けて引っ掛けられたのだった。
ものすごい声とともに、可哀想にびしょ濡れの楽団たちの姿があった。

何かの葉で水をかける人もいる。
水かけといえば、ハンガリー文化圏では、
イースターの月曜に女性に男性が水をかける習慣がある。
水とは春を連想させる何かなのかもしれない。

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こうして村はずれの宿につくと、
奥の納屋に羊たちは通され、そこで乳しぼりがはじまった。
こうして誰の家に一番多くチーズができるか競争するようだ。

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絞り終えた乳を入れた木桶を運び、
民家ではダンスが始まった。
きらびやかな衣装に身を包んだ少年少女たち。
音楽にダンス、そして春を迎える喜びが入り交ざって、
さらにいきいきと祭りが繰り広げられる。
小さな娘とゾーヨムも見よう見まねでステップを踏んでいた。
こうして、祭りは次の日までつづくようだった。

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生きることとは楽しむこと。
カロタセグの人々を見ていると、
いかに人生を楽しむことに熱心であるかがわかる。
家畜が家に帰るという出来事をも、お祭りに変えてしまう
人々のおおらかさが愛おしい。
今では、ハンガリーのフォークダンス愛好家たちに支えられて、
カロタセグの文化も勢いを盛り返しているようだ。
美しい衣装とともに、人々の娯楽の営みが続くよう願ってやまない。

comments(0)|trackback(0)|カロタセグ地方の村|2020-02-21_22:00|page top

カロタセグ再生プロジェクト

トランシルヴァニア西部、ハンガリー国境にほど近いカロタセグ地方。

一人暮らしのおばあさんばかりでなる、小さな村があります。


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おばあさんたちの生きがいは、毎週日曜の教会とイーラーショシュ。 


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1940年代に牧師婦人によって伝えられた刺しゅうは、 

教会の壁面や家の中に彩りを添えてきました。 


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現在も8人のおばあさんたちが、人通りの消えた通りで集まり、 

刺しゅうを片手におしゃべりをしています。


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この刺しゅうには、過疎化の進む村に

再び光を灯したいという願いが込められています。


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*こちらの刺繍作品は、
11/20~25まで阪急うめだ催事「東欧バルト三国やさしい冬時間」でお求めいただけます。
12月には、FOLKART TransylvaniaのHPにて販売いたします。


comments(0)|trackback(0)|カロタセグ地方の村|2019-11-12_19:51|page top

カティおばあちゃんの思い出の家

カロタセグのバラ、
カティおばあちゃんが亡くなって半年が過ぎた。

生前、おばあちゃんに一軒の家を見せてもらったことがある。
ちいさな村の大通りからさらに小道に入った、
丘を背にして、大きなクルミの木ののかげに隠れるようにして立つ古い家だ。
おばあちゃんは、杖をつきゆっくりと歩きながら言った。
「ここは、わたしのおばさんから相続したのよ。」


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築100年を超える家は、おばあちゃんの生まれた家だった。
倒れかかったちいさな戸を押して、家の中に入る。


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薄暗く埃をかぶった中に見えるのは、機織り機。


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驚くことに、その織り機には作りかけの手織り布が張ってあった。
昔の住人がそのまま、住んでいた跡をしっかりと残していたのだった。


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丘には穴があいていて、地下室になっている。
「そこから上に上ることができるの。」
私たちは、草の茂った丘の斜面をどうにかして上り、
その上にも土地が広く続いていること、
そして村を見下ろす美しい景色を驚きをもって眺めていた。
「ここが、村で一番美しい家にちがいない。」

おばあちゃんは、10年以上売りに出しているということ、
私たちが買ってくれたら嬉しいと告げた。
しかし、その値段を聞くと手が届かないと思い、諦めた。

この3月に、カティおばあちゃんのお嫁さんを訪ねたとき、
あの家を売りたいと持ちかけられた。
値段はおばあちゃんが生前告げた金額より大分安かった。
「おばあちゃんは、土地の値段がよくわかっていなかったのよ。
あなたたちの手に渡れば、おばあちゃんも喜ぶに違いないわ。」
わたしの手を握って、そういうおばさんの目を見て、心が震えた。

あの古い家と納屋をどうしたらいいかと、旦那と相談した。
古い家を買うというのは、責任がある。
これまでの朽ちたままにしておいたら、もう家は使い物にならないだろう。
納屋を改築して住まいにして、古い家は直せるだけ直して、
そのままに残しておこう。そう結論を出した。

おばあちゃんが亡くなって半年の間は、登記が無料だというので、
それまでに売りたいとのことだった。
6月のはじめ、私たちは前金をもってカロタセグの村を訪れた。
カロタセグに住む友人に一度家を見てもらおう、
旦那と相談して、電話をかけた。
その翌日には前金を渡して、登記をしに役所へいく予定になっていた。

友人たちが家族と一緒に、遠くから車で駆けつけてくれた。
草の生い茂った庭を歩き、
朽ちた門をひらいて、中へと入る。
その頃には、半分は自分の家のような気分がしていた。
「ほら、ここに織り機があって、
村一番の美しい手仕事を作るおばあさんが住んでいたのよ。」

バーバおばあさんという名で村人に親しまれていたおばあさんは、
子どもがなく、カティおばあちゃんを我が子のように愛していた。
カティおばあちゃんは、バーバおばあさんの作った手仕事も受け継ぎ、
ナーダシュ地方で最も美しい飾りベットは、
その人の手によるものだったのだ。
亡くなる前にも手を動かして、ちいさなレースを編んでいた。
カティおばあちゃんは、おばさんの家へ足繁く通ったにちがいない。
彼女の思い出の詰まった家だったからこそ、
どうしても自分の手で守りたかったのだ。

家を丁寧に見て回ったあと、友人はこういった。
「正直に言うけれど、この家は上半分はもう使い物にならないよ。
これを修復して直そうとしたら、相当の金額になるだろう。」
自宅を修復した友人によると、
家族が加勢したにもかかわらず家や土地の倍ほどの金額がかかったという。
それでも、この家ほど傷んでいなかった。

40を超えた今、家建設という大きな事業に首を突っ込むことはできないと思った。
見通しのきかない莫大な経費、そして労力。
現実の壁にぶつかり、長い夢から覚めたように
その日の夜、この家を買うことはできないと告げたのだった。

カティおばあちゃんは、この家を本当は売り渡したくなかったのだと思う。
小さい頃の思い出の家が他人の手に渡り、
見る影もなく変わっていくのを見たくなかったのだ。
あの古い家の中で機織りを織り、
白い布に美しい刺繍を施して暮らしていたバーバおばさんの面影は、
確かにしっかりと私の記憶の中に刻み込まれていた。


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comments(2)|trackback(0)|カロタセグ地方の村|2018-06-22_00:00|page top