トランシルヴァニアへの扉 - Erdely kapuja-

古きよきヨーロッパの面影を残す、トランシルヴァニアへの扉をそっと開いてみませんか?

::自己紹介::

谷崎 聖子

Author:谷崎 聖子
1978年宮﨑生まれ。
大阪外大、ハンガリー語学科卒業。
ブダペスト大学で民俗学を専攻。
ルーマニア、トランシルヴァニア地方のフォークロアに惹かれて、セーケイ地方に移住、結婚。
三人の子育て中。

伝統手芸研究家。
トランシルヴァニアの文化、手しごとを広める活動をしています。主な著書「トランシルヴァニアの伝統刺繍 イーラーショシュ」、「カロタセグのきらめく伝統刺繍」。

東欧雑貨ICIRI PICIRIFOLK ART Transylvaniaのオーナー。

詳しくは、森の彼方-トランシルヴァニアへの扉をご覧ください。

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バルツァシャーグの死者の日

11月1日、
夏時間が冬時間へと切り替わるころ、トランシルヴァニアにお盆がやってくる。
町の至るところで、色とりどりの菊の花やロウソクが並ぶようになる。
私たちはセーケイ地方を離れて、
ブラショフ県にあるバルツァシャーグの村を訪ねるのが習わしである。

知人はおろか親戚もなく、
かろうじて舅の墓だけが私たちを繋いでいた村。
昨年のちょうどこの日に、腹違いの兄と偶然出くわしてから、
すこしずつ何かが変わっていった。

その時の旦那の思いつきで、
この村の教会で3人の子供たちを洗礼する運びになった。
そして、今年のお盆にも旦那は兄を誘って一緒に村へ向かった。

IMG_2112_201611231320466ec.jpg 

20以上も年の差がある兄弟が、
こうして一緒に墓参りをしてくれようとは天の父親も思っていなかっただろう。
両親が村出身のアンドラーシュは、
出会う人たちと親しげに会話を交わしている。
しらふである姿をほとんど見たことのない兄は、
いつも陽気で男気のある人柄。
ほとんど正反対といっていい兄に会うたびに、
会うことのなかった舅の姿を見るような気がしている。


IMG_2128.jpg 

ふたつの墓標が並ぶ。
ひとつは旦那の祖父のもので、
もうひとつは父親のものである。
私たちが学生だったその昔、
墓地のはずれにはまだいくつもの木の墓標があった。
時代の流れとともに、
村のジプシーたちが薪のために盗んでいき、
とうとうこのふたつの墓だけが残った。

 IMG_2126.jpg 

魔除けとも太陽のシンボルとも言われる、ロゼッタが彫られている。


IMG_2121.jpg 

アンドラーシュも年をとったのか、
ふたりの息子に子供が恵まれないせいか、
甲斐甲斐しく子供たちの世話をしてくれる。
私たちがこうしてこの世に生を受けたこと、
偶然でもなく、血の交わりを受けたということ。
見えないご先祖さまに感謝することを、
子どもたちにも知ってほしい。


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それから、墓地のはずれにあるお祖母さんの墓を探し、
アンドラーシュの母方のご先祖も参った。
ぼうぼうと草の生い茂ったその墓は、無縁墓のように寂しく見えた。
「子孫として恥ずかしいことだが、
俺のほかには誰も参る者もいないんだ。」
そう言って、ロウソクに火をつけた。

「わたし、アンドラーシュが好きよ。」
娘が唐突にいった。
「何だって、聞こえないなあ。もう一度言ってくれ。」
と大声で兄がうながす。


IMG_2146.jpg 

太陽がその日最後の力を振りしぼって、
赤赤と身を燃やしていく。
目に見えない大切な何かを感じながら、
私たちは舅の眠る村を後にした。


IMG_2150.jpg  
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comments(2)|trackback(0)|バルツァシャーグの村|2016-12-29_15:32|page top

ハルマージへの旅

目覚まし時計がなる。
5時半、力の入らない体にやっとのことで服をまとうと、
真っ暗の表の世界に飛び出した。

暗い闇から無数のちいさな光が降ってくる。
外灯の光に照らされて、その小さな粒は星のかけらのように輝いた。
ダイヤモンドダストだ。
光の粒は、寝ぼけた眼にはりつくと、
ぼんやりと視界をにじませた。

真冬の朝は、いまだ夜中の延長のようである。
星や雪の結晶をかたどった電光だけがやけに騒がしく、
祭りから冷めた町の空気とはひどく不釣合いだった。

30分ほど歩いて、ようやく駅が近づいてくると、
オルト川から立ち昇った濃い霧があたりを包んでいた。
ダンナと息子の姿はとうに白い霧の中に消えていた。
ちょうど列車が駅に着くころにたどりつくと、ほっと息をついた。

隣町のブラショフ行きの通勤列車。
車両の中は、むっとするほどの暑苦しい空気でいっぱいだった。
マフラーも帽子もコートもすべて取り払っても、
まだ汗ばむような温度。
背もたれやふくらはぎの後ろからは、
これでもかというほどに温風が吹き付けてくる。

10年ほど前には、「ルーマニアの列車は温度調節が壊れている。」という話をよく聞いた。
つまり寒いか、暑いかのどちらかということだ。
今の時期の夜行列車に乗ったことがある。
コンパートメントの中に入って、
窓の内側まで雪が凍りついていたのを見て仰天したことがある。
寒さで身を縮ませてしばらく我慢したあと、
とうとう別の車両へ行くと、
そこでは真夏のような暑さを味わった。

そっと窓に手を触れると、氷のように冷たい。
せめて手だけでも冷やし、
真っ暗闇のおもてに広がる外の寒さを思った。

ブラショフで一時間の待ち合わせをした後、ふたたび電車に乗る。
ここから西へ、ちょうどカルパチア山脈の南端に沿っていくと、
かつてドイツ系のザクセン人が多くすんでいた地方が広がる。
窓の外は、途中で青い空と見渡す限りの白い雪、
そしてフォガラシュ山脈のするどく切り立つ白い峰が見えた後、
ふたたび霧の世界に包まれた。

朝9時ごろ、寂しげにたたずむ無人駅から町の方へ向かう。
まだ新年を迎えてほどないからか、
人の気配が感じられないほどひっそりとしている。
ここから隣村へ行くと、
ハンガリー人の住む村ハルマージがあるという。
家々がやがて途切れると、一本道が広がった。

吐く息がマフラーにかかり、真っ白い結晶に変わる。
湿った冷たい空気が、じんわりと肌にまとわりつく。
冬の寒さとあてのない旅へ導く一本道は、私の心を不安にさせる。
不満をこぼし歩くうちに、橋が見えてきた。

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この鉄橋は、20世紀初めごろ
オーストリア・ハンガリー帝国時代に作られたもののようだ。
100年を経た今でもなお使われていることを、当時の人々は考えていただろうか。

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草木も細々と白く凍りつき、
うっすらと遠くの木々がやさしく影を投げかけている。
まだ夢のつづきを彷徨っているようだ。

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しばらく行くと、今度は木の橋が姿をあらわした。
今度はずいぶんと幅の大きい川である。
私たちの住むシェプシセントジュルジを流れるときには小さな川だったオルトが、
西へ西へとむかい、やがてドナウ川へと合流する。
大きなモニュメントのような木の柱は、水かさが増したときに、
木材などの漂流物から橋を守るためにあるらしい。

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そうしてハルマージの村に着いた。
いまだ霧は晴れず、村もまだ眠っているような様子。

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古い建物が並び時間の流れとともに朽ちていくのが、
孤立したハンガリー村の運命をおのずから語っているようである。
ドイツ系のザクセン人の大多数がドイツへ移住してしまった後、
90年代以降ルーマニア人が多く入植したザクセン地方にあって、
ここだけはハンガリー人の村として残ってきた。

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ザクセン人と長く暮らしてきたハンガリー人は、
宗教も彼らと同じルター派を選んだ。
小高い丘にあるハルマージの教会は、
ロマネスク時代に建てられた古いもの。
セーケイ人がここカルパチア山脈のふもとに移住してきたのが13世紀ごろと言われているから、
そのころから存在する教会として数少ないものである。

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入ってすぐに、美しい絵付け家具が目についた。
ルネサンス時代に流行した花模様が描かれるペイント家具は、
18世紀ごろ教会の装飾として天井や壁、ベンチなどを彩るようになった。

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牧師さんが言う。
「この教会には二つの像があって、
ひとつが教会を支え、もうひとつが地面を掘って教会を壊そうとしているといわれています。」

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善と悪をあらわすふたつの像。
それはおそらくキリスト教以前の古い信仰を表しているのだろう。

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黒ずんだ絵付け家具を、白い漆喰の壁が痛々しいほど鮮やかに映し出す。
大人がやっと入るくらいの幅の階段を上って、二階席にたどりついた。

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美しい教会を見るとき、
それが実際に信仰の場所として今も使われるのかが想像できないことがある。
村の人口が減り、村で暮らす人々にとって
教会も昔ほどは大きな役割を占めないようになった。
人の一生をいろどる節目節目には、必ず教会があった。
その存在なくしては、色どりのない寂しいものになるだろう。

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教会の入り口の左奥にひときわ低いベンチが並んでいる。
「この小さなベンチには二つの説があります。
ひとつは、昔の衣装が重かったので
ベンチに腰掛けるのが難しかったこと。

もうひとつは、「恥の腰掛けいす」といって、
村で誰かが悪い行いをしたときに、
ここに腰掛けないといけないという決まりがあったということです。」
牧師さんの話がつづいた。

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毎週日曜日に、ちいさな村の住民が顔をあわせる教会。
人々が座る場所というものさえ、権力の優劣、また年齢、男女の別など、
村の社会をそのままに表していたに違いない。

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ようやく霧に晴れ間がさし、
青い空がうっすらと見えてきた。
天気がよければ、ここからフォガラシュの山脈がうつくしく見えるという。
ひし形のすこし歪な形が、教会の古さを余計に感じさせた。

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村には小さな郷土博物館があるというので、
管理人をたずねることにした。
正月早々なので心配したが、
人のよさそうなおじさんが喜んで案内してくれるというので安心する。

「ハルマージにどういう訳があってきたんですか?」
名もない村にわざわざ観光客がくること自体が珍しくてたまらないという感じだ。
ダンナの父親が、むかし衣装の調査をしたときに
この村を訪れて、よい印象があったと書き残したことをだんながつぶさに話した。

どこの村でも、伝統が残っている場所には
骨董業者が行きかい、貴重な品々をすべて買い集めてしまったという現状がある。
それでも村の住民たちが、大切に守り続けてきた最後の品々が
こうして小さな展示場に集められた。

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身の回りのあらゆる品を自分たちの手で生み出してきた、
かつてのささやかな村の生活を今に伝えている。
これから育っていく世代の子どもたちに、一番伝えないといけないこと。
それは、自分たちの手で美しいもの、
生活に必要なものを生み出すことができるということ。

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そうして長い年月をかけて、
人々が培ってきた伝統文化の素晴らしさ。
あらゆる情報が行きかい、
新しいものが次々と生み出されては消えていくこの社会の中で、
本当に価値があるもの。

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祖父や祖母からの遺産を大切に守りつづけ、
こうして昔の生活を再現させた。
この美意識を子どもたちにどう伝えていくかが、
私たち大人に課せられた役目である。

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「うちでコーヒーでもどうですか。」
おじさんの誘いを有難く受けて、あたたかい部屋でお茶をいただく。
自分たちの村に興味を持ってもらったことが嬉しいようだ。
「残念ながら、子どもたちは次々に村を去ってしまう。
かくいう、うちの娘ももうドイツで暮らして10年以上たつけれど、
もう帰ってくる見込みはないんだ。」
寂しそうに、おじさんは言った。

「村の祭りが夏にあるから、そのときは泊まりにきなさい。」
そう話したおじさんの姿に手をふり、
お婿さんの車に乗せてもらい、別れた。
知らなかった村がずっと近くになった、今年初めての小旅行だった。

Theme:ルーマニア
Genre:海外情報

comments(2)|trackback(0)|バルツァシャーグの村|2012-01-14_17:19|page top