トランシルヴァニアへの扉 - Erdely kapuja-

古きよきヨーロッパの面影を残す、トランシルヴァニアへの扉をそっと開いてみませんか?

::自己紹介::

谷崎 聖子

Author:谷崎 聖子
1978年宮﨑生まれ。
大阪外大、ハンガリー語学科卒業。
ブダペスト大学で民俗学を専攻。
ルーマニア、トランシルヴァニア地方のフォークロアに惹かれて、セーケイ地方に移住、結婚。
三人の子育て中。

伝統手芸研究家。
トランシルヴァニアの文化、手しごとを広める活動をしています。主な著書「トランシルヴァニアの伝統刺繍 イーラーショシュ」、「カロタセグのきらめく伝統刺繍」。

東欧雑貨ICIRI PICIRIFOLK ART Transylvaniaのオーナー。

詳しくは、森の彼方-トランシルヴァニアへの扉をご覧ください。

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ヘルマンの城砦教会

その夜、目の前にトランシルヴァニアの地図を広げていた。
日本からのお客さまといっしょに、
こうして地図をのぞきこみ想像をふくらませていると、
知らない世界がまだまだ多いことに気がつく。

「ヘルマンの教会にはもう行きましたか?」
ダンナがたとたどしい日本語で尋ねる。
「そう、そこにずっと行きたいと思っていたんです!」
由希さんがそう言った。
こうして、日曜日の旅の計画はすぐに決まった。


コバスナ県とブラショフ県の境には、ひとつの森がある。
その森について、このような伝説が語り継がれている。

あるところに、ザクセン人の領主がいた。
自分の畑にケシを植えたらどうかと思いつき、
ある日、ハンガリー人の下作人たちを集めてこういった。
「いいかい、この土地にMak(マーク)を植えておくれ。」

ところが、ドイツ語を母語とする領主が言った
Mak(マーク)をMakk(マック)と聞き間違えた下作人たち。
その広大な土地いっぱいに芽が出て、
やがて大きなドングリの木となり、
今ある森が出来あがったという。


その森を越えたところの国道沿いで下車。
大きな家が立ち並ぶ広い道路を、
ひたすらに歩いていくと見えてきた。
まるでお城のような教会。

Hermany 040

中世に西洋と東洋の境であったトランシルヴァニア地方は
激戦区であったために、
このような要塞のかたちをした教会が数多く作られた。
お堀まできれいな形で残っている。

Hermany 041

長い通路を歩いていくと、
門番のおじさんが奥から出てきた。
世界遺産に指定された教会なので、入場料がいる。

Hermany 042

非常事態のためか、
教会の壁には急な階段がたくさん設置されてある。
つるべで水も汲めるようになっているから、
生活がここでされた跡が見て取れる。

Hermany 045

食料貯蔵庫だろうか。
城壁には、小さな部屋があちこちに並んでいる。
崩れた壁には、レンガの赤がむき出しになっていた。

Hermany 046

ザクセン教会には、
冬枯れのの風景が良く似合う。

Hermany 057

教会の敷地内をぐるりと散歩。
古く大きな壁に四方を囲まれていると、
不思議な安心感がある。

Hermany 066

ゴシック式の入り口は、
まさにどっしりとした石の芸術品。
雛を餌付けするペリカンの印は、
教会のシンボルでもある。

Hermany 069

日曜日の昼を過ぎなので、
先ほどまではミサが行われていたに違いない。
この教会は、村に残る100人のザクセン人のためだけには
少し大きすぎる。

Hermany 073

子どもの腰掛けるような小さなベンチ。

Hermany 076

外からの光が差し込んでくる周歩廊。
クロスを描いた天井が、心地よく重なり合っていた。

Hermany 079



やがて私たちは、バスや電車を乗り継いで
プレジメルにきていた。

大きな家が大きな通りに並ぶザクセンの村は、
どこか空虚な感じが漂う。
その大きさのせいなのか、
それとも新しい住民に入れ替わったせいだろうか。

やがて広場に、大きな教会が姿を現した。
アシンメトリーな教会。
戦争で崩れては作り、また崩れては作られた構造は
歴史をおのずと物語っている。

Hermany 096

残念ながら、日曜日は休み。
壁の外を一周することにした。

形の違うひとつひとつの穴は、
姿の見えない敵の目であったともいえる。
時に矢や弾が飛んできたり、
熱湯が注がれたこともあったという。

Hermany 111

すわり心地のよい木の幹で一休み。

Hermany 105

「大きな木を見つけたよ。」
木をぐるりと囲んで、やっと手がつながった。

Hermany 098

雪は降らないものの、
身を凍らすような
冷たい風が容赦なく吹き付けてくる。
足も冷たく、かじかんできた。
厳しい冬の訪れを肌で感じながら、
ひたすら村を歩いて、駅までたどり着いた。

旅には色々なことがついてまわる。
運の良いことも悪いことも。
それをどんな風に楽しめるかが、
その人の旅のスキルでもある。

たとえば、ルーマニアの田舎の駅。
何にもない原っぱにドンとレールだけが置かれた、
この駅もドラマで満ちあふれている。

Hermany 120

やがて帰宅すると、
冷たくなった身体を
あたたかな空気が抱きしめてくれる。
そして温かいスープで、
身体も心もほぐされる。
これがまた、冬の楽しさの醍醐味である。

その日の私たちが、
哲哉さんの筆によってしっかりと記録された。

vasar 022







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*Pretzelの由希さんと哲哉さんの
 旅日記はこちらでご覧いただけます。
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Theme:ルーマニア
Genre:海外情報

comments(7)|trackback(0)|ザクセン地方の村|2010-12-12_05:28|page top

ドイツ系ザクセン人の村で

トランシルヴァニア地方には、
かつてドイツ語を母語とするザクセン人が数多く暮らしていた。

勤勉な彼らは、西欧との架け橋でもあった。
天までとどくほどの、
強堅な石造りの教会を建てたのも彼らだった。
職人のギルドを作り、
町に活気をもたらしたのも彼らだった。

数世紀にわたって
トランシルヴァニアの文化に大きく貢献してきた彼らは、
1980年代に人口が激減してしまう。
当時のチャウセスク大統領の政策で、
ドイツに移住を余儀なくされたからである。
90年代以降は、
ほぼ空っぽになってしまった村に
今度はジプシーたちが移住してきたので、
村の風景も大きく変わってしまったという。


小春日和がつづく秋のことだった。
ザクセン人の村を目指すため、
ふと思いついてバスに乗りこんだ。

村外れの分かれ道でバスを降りる。
ここからは一本道。
小川をはさんで、こちら側がハンガリー系の多くすむ土地で、
向こう側がドイツ側が多くすむ地方だった。

Szaszmagyaros 003

その日は日曜日。
昼前の村は、ひっそりと静まっている。

Szaszmagyaros 008

道の途中でふと足をとめる。
ちょうどミサが終わったところらしい。
ルーマニア正教の教会の前から、
村人たちが次々と出てくるところだった。

その薄暗い建物の中へすべりこんだ。
照明のない室内には、
窓から明るい光があふれこんでくる。
その光が、壁のフレスコ画を柔らかに照らしていた。

Szaszmagyaros 013

織物のロングクロスが、
羽を広げた鳥のようにイエス・キリストの絵を包みこむ。

Szaszmagyaros 014

Szaszmagyaros 031

かつてロウソクで中を照らしていた名残だろうか。
煤で黒く染められた天井画が、
静かにこちらを見下ろしている。
正教には、この薄暗さが実に良く似合う。

Szaszmagyaros 028


壁に沿って作られた椅子。
普段、多くの人は立ってミサに参加している。
余計なものが取り払われた中央の空間は、
何かほっとさせるものがある。

Szaszmagyaros 018

ミサが終わってもなお、
椅子に腰掛けて、じっと想いに耽っている人。
こうした独りきりの時間をもつのは美しいことだと思う。

Szaszmagyaros 022

収穫祭だろうか。
祭壇前のテーブルには、
黄金色に焼けたパン、
ケーキのようなものがお供えされていた。

Szaszmagyaros 026

すると、そのケーキを紙コップにとりわけ
私たちに勧めてくれるお婆さん。
やわらかなカスタードクリームの中に、
たくさんの麦のような粒が入っている。
なにやらルーマニア教会の儀式に欠かせない、
特別なお菓子のようだ。

アルパカシュと呼ばれる穀物を煮て、
バニラとラム酒、砂糖で味付けをしたものが、
このようなカスタードクリーム状になるそうだ。

Szaszmagyaros 025

出口のところで見た面白い壁画。
たくさんの悪魔たちが、
何者かの手によって削られていた。

Szaszmagyaros 012

村を歩けば、
ザクセン系独特の美意識が今なお息づいている。
まっすぐ直線状に並んだ家並み。
きっちりと等間隔に、家と門とがひと続きに整列している。

Szaszmagyaros 058

中心にあるルター派教会。
がっしりとした石造りの建物は、
かつての村の豊かさを物語っているようである。

Szaszmagyaros 036

果たして、村にザクセンの牧師さんはいるのだろうか。
教会のすぐ横の家の門をたたいた。
しばらくして出てきたのは、
あまり来客に関心のなさそうな中年男性だった。
「 教会の中を見たいのですが・・。」と尋ねると、
「 外ならどうぞご自由に。」という返事。
遠くから来たので、ぜひとも中を見たいと伝えると、
それでは門番を呼んでくるという。

やがて出てきたのは、
すぐにそれと分かるドイツ系の顔立ちのおじさん。
私たち外国人を見ると、すぐに笑顔を浮かべ、
流暢なドイツ語が口をついて流れてきた。
困惑した私たちの顔を見て、
「 ドイツ語ができますか?」と尋ねた。
ただ首を振るしかなかった。

それからは共通の言語はルーマニア語。
ハンガリー語を母語とするダンナと、
ドイツ語を母語とするザクセン人の門番。
ふたりの少したどたどしい会話を聞きながら、
ルーマニアという国の不思議さを考えていた。

そして教会の扉がひらかれた。

Szaszmagyaros 038

教会の雰囲気に包まれて、驚いた。
真新しく使われている空気が確かにある。
ほとんどのドイツ系教会では、
どこか廃墟のような、過去の遺産として残っているものが多い。

こちらでも収穫祭が行われたらしい。
たくさんの野菜が、生き生きとした色彩を放っていた。

Szaszmagyaros 043

祭壇の前には、
リンゴと胡桃が並べられていた。

Szaszmagyaros 044

唐草と黄金のクジャクが一体化した、
華やかなバロック調の飾り。

Szaszmagyaros 046

村のザクセン人の数を聞くと、
100人前後だという。
隣にある村の学校でも、
ドイツ語を母語として教えるクラスがあるらしい。

「 もちろんドイツに移住していった者も多いけれど、
今でもたまに村に帰ってくるのもいるよ。」

Szaszmagyaros 048

教会の裏にある墓地は、
草はきれいに刈りとられ、村の家並みのように
きっちり並んでいる。
規律正しい彼らの性格が、ここにもしっかり表れていた。

Szaszmagyaros 053

「 Auf Wiedersehen!(さようなら。)」
ザクセン人のおじさんがこう言った。
私たちも、ドイツ語で挨拶を返した。

ひっそり静まり返った日曜日の村。
村はずれのジプシー地区に来ていた。
ここだけは村人の行き来が見られる。

Szaszmagyaros 067

ザクセン人の去った後に、
移住してきた新しい住人たち。

Szaszmagyaros 073

中には何もかもを家に残したまま、
去っていった人たちもいた。
その持ち物はジプシーたちの手に渡り、
売られてしまったり、あるいは捨てられたものもあるかもしれない。
幸運にも部屋の隅で、生活に使われているものもある。

このような小さな手仕事も、
彼らがここで生きてきた証である。

Szaszmagyaros 074




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comments(6)|trackback(0)|ザクセン地方の村|2010-12-05_01:53|page top

ドイツ文化の足跡-ヴィスクリ城砦教会

ブラショフから北へ。
山をひとつ越えると、
そこはザクセン人の土地である。
赤レンガに石造りの門の並ぶ小さな村は、
まさにおとぎ話の世界さながら。

どこかしら現代から忘れられたかのような、
古ぼけた寂しさを感じさせるのは、
この村々のもともとの住民が
はるか遠く、ドイツへと移ってしまったからだろうか。

国道沿いに見られる、
そんな美しい村々を横目で見ながら、
今度は小さな横道へとそれた。

地図で見ると、
国道から20キロほど離れた奥まったところに
ヴィスクリと呼ばれる村があるらしい。
ルター派の古い城砦教会は、
世界遺産にも指定されている。

やっと舗装されたような小さな道を進むと、
すれ違う車も見られず、
多少不安な心持になってくる。

6月の豊かな緑に包まれて、
車を先へと走らせる。

Heviz 231

やがて、村の入り口が見えてきた。
ドイツ系のほかの村のように、
パステル色にお化粧したかわいらしい家が、
きっちりと向かい合わせに規則正しく並んでいる。

3m以上はある大きな石造りの門は、
中の様子がうかがえないから、
本当に住人がいるのかどうかも分からない。

こんなに奥まった村だから
さぞ閑散としているのだろうと思っていたら、
大通り沿いには歩く村人たち、
お店やバーやレストランまで見られるから驚いた。

イギリスのチャールズ皇太子が
村に別荘を買ったこともあり、
外国からも観光客が多いそうだ。

大通りをつきぬけて、
丘を登ったところに城砦教会への入り口があった。

松林の中の歩道を進むと、
古びた赤レンガに黒ずんだ木のベランダ、
真っ白い壁の建物が姿を現した。

Heviz 074

白い壁の上を、ピンクのバラが這っている。
そのゆったりとした雰囲気は、
どちらかというと貴族の屋敷か古城。
ドイツ系の住民がほとんどいなくなった今、
教会としての役目は果たしていないようだ。

Heviz 077

教会の番をしている
ザクセン人のおばあさんは、
ドイツ語なまりの英語で案内をしている。
他にもイギリス人観光客の姿が見られた。

重厚感のある
木造の扉を開いて中へ。

heviz1.jpg

古い木の柱や壁の染料が、
まひるの光りに照らし出されていた。

Heviz 080

立派な外観からは意外なほどに、
こじんまりとしたささやかな空間。
かつては、ここに住む人々の
生活の節目節目を彩る舞台であった場所。

今では呼吸を止めてしまったかのように、
ただ沈黙している。

Heviz 086

奥の扉は、教会の塔へと導いている。
積み上げられた石の塔は薄暗く、
ひんやりとした空気が流れている。

Heviz 100

途中の窓からは、
外の光りがもれている。

Heviz 103

何階ほど上ったのだろうか。
ようやく天井部屋に到着。
明かりの方へ。

Heviz 119

暗さになれた目に、
鮮やかな緑が飛び込んできた。
まるで空を飛んでいるような感覚。

村の周辺には、
なだらかな野原が広がっている。

Heviz 129

戦争の激しかったトランシルヴァニアでは、
教会に村人たちが立てこもり、
戦いを重ねた。

教会をぐるりと囲む防壁も、
相手を威嚇するような強さが込められている。

Heviz 121

今いる足場は、
このように木が張ってあるだけ。
板と板の間からは、
はるか下にある下界が透けて見られるから、
自然、足取りも慎重になってしまう。

Heviz 143

干からびた瓦の赤は、
いくつもの戦争を見てきた
この教会のたどってきた足跡が
伺えるようだ。

かつての住民が去ってしまってからも、
生き永らえてきた教会。

30年ほどの間、
主人を亡くしながらも、
ずっとこの村を守りつづけてきた。

Heviz 145

帰り道、
振り返って車を止めた。

緑の丘にそびえたつ、
ヴィスクリの城砦教会。
中世の記憶が、
この人里はなれた小さな村に痕跡をのこしている。

Heviz 229




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