トランシルヴァニアへの扉 - Erdely kapuja-

古きよきヨーロッパの面影を残す、トランシルヴァニアへの扉をそっと開いてみませんか?

::自己紹介::

谷崎 聖子

Author:谷崎 聖子
1978年宮﨑生まれ。
大阪外大、ハンガリー語学科卒業。
ブダペスト大学で民俗学を専攻。
ルーマニア、トランシルヴァニア地方のフォークロアに惹かれて、セーケイ地方に移住、結婚。
三人の子育て中。

伝統手芸研究家。
トランシルヴァニアの文化、手しごとを広める活動をしています。主な著書「トランシルヴァニアの伝統刺繍 イーラーショシュ」、「カロタセグのきらめく伝統刺繍」。

東欧雑貨ICIRI PICIRIFOLK ART Transylvaniaのオーナー。

詳しくは、森の彼方-トランシルヴァニアへの扉をご覧ください。

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旅の終わりに

東洋というひとつの文化圏を生み出した黄河の流域を巡り、
漢代以前の古代中国に触れる旅はひとまず終わった。

ほとんど観光らしい観光はできなかった西安。
西駅からホステルに電話をすると、
レセプションの男の子の声が驚くように高くなった。
「あの日本人の女の子?風邪は治ったんだね。」

この町についたとたん風邪が悪化し、咳が止まらず、
ついには声がまったく出なくなってしまった。
ふだんは筆談さえできれば用は足せるが、
それでも声がでないのはやはり辛い。
ほとんど部屋に閉じこもり、布団をかぶっていた私を気遣ってくれた、
ホステルの従業員たちの優しさが有難かった。
この歴史的都市で観光らしい観光はできなかったが、
宿の思い出だけは色濃く残っている。

西安から飛行機で二時間、
ふたたび東へと向かい、上海に上陸した。
足早に中国一の大都市を出て、蘇州へ。
旅のもうひとつの目的、古琴を学ぶために3日間滞在する。

ホステルに着くと、顔見知りのレセプションの女の子が言う。
「シェンツ、帰ってきたのね。」
私の名前を中国語読みすると、そうなるらしい。
友人たちと知り合えた、懐かしい4人部屋はもう空いていないという。
今回は古琴を練習する目的があったので、一人部屋を案内してもらう。
彫刻のほどこされた古いベッドがほとんどの空間を占領し、
ほかに小さな机だけの部屋。
窓の外には、大きな枇杷のような木があるだけの中庭。
お向かいさんの部屋まで見られそうな距離である。

ryuba 132

朝になると、いつものようにスタンドでパンと豆乳を買い、
通勤のバイクの行きかう通りを食べながら歩いていく。
15分ほどで楽器屋にたどりつく、ちょうどよい散歩コースである。
すこし練習をしたかったので、早めに教室に入った。

年下の師匠リサは、新しい楽譜を手渡してくれた。
「神人畅」と書かれている。
はじめて彼女と会ったときに、自己紹介のつもりでこういった。
「インターネットで龚一(Gong Yi)の演奏を見て、
古琴を学びたいと思ったの。特に「神人畅」や「広陵散」が好き。」
彼女はそれを覚えていてくれたのだろうか。
まだ基礎でさえ十分でない素人の私に、
こんな美しい曲を教えてくれるなんて驚いた。

「樂(がく)の文字の語源は、天と人とを糸のようなもので結びつける。
そういう意味があるといわれているのよ。」
リサが教えてくれる。
その糸とは、つまり琴の弦のことではないのだろうか。
「神人畅」の曲も、神と人との和を意味するとある。

曲はまず、光が水に当たってはじけるような泛音(ひんおん)からはじまる。
左指で、13の微と呼ばれる貝のしるしが刻まれる場所を
かるく触れると同時に右指で弦をはじくのだが、
ちょうどの場所に触らないと、音が鳴らないので難しい。
それから、地の底から響きわたるような散音(さんおん)に
弦を滑らせて陰影をつける按音(あんおん)が加わる。

その音色は、まさに私がたどってきた古代への旅をいきいきと甦らせる。
青銅器の文様の世界に、
または漢代の墓にあったフレスコの赤に、
そして天へ昇る無数の仙人たちの絵に、
その音色がぴたりと重なり合う。



理屈で理解するのと違い、
自分の指先にそれが伝達するのが遅いのが歯がゆい。
彼女の献身的な特訓と、部屋で練習を重ねたおかげで、
どうにか最後まで行きつくことができた。
お世話になった師匠のリサや楽器店の人々に別れを告げ、
雨の降る蘇州の町を跡にした。

次の日の朝、上海から船が出た。
古琴をはじめたくさんの荷物を背負って、
巨大な町の中をさまよい、走って港についた時には
汗びっしょりで精も根も尽き果てたような状態だった。
こうして、私の旅は幕を閉じた。

ryuba 137

船は、26時間かけて長崎港に着いた。
平たい大陸から、山がちの小さな島国へ。
上陸すると、満開の桜が出迎えてくれた。
出迎えに来てくれた母と母の同級生とともに、
うららかな春の青空の下、眼鏡橋のたもとを歩く。

ryuba 151

この公園で、珍しい白い像を目にした。
かつて長崎の町に洪水が起こったときに、中国から寄贈されたそうだ。
洪水を鎮める象徴である竜の背中に、
日本人の少女と中国人の少年が手をとり仲良く座っている。

ryuba 143

旅には、直感というものが大いに働くらしい。
「どうしてか分からないけれど、何かがありそうだ。」
「今どうしてもここへ行かないといけない気がする。」
という説明もつかない引力に引き寄せられ、
バタバタと旅を決行してしまった。
失望で終わるのかもしれないという不安もあった。
出発の日が近づくにつれて、一人で旅している自分を想像すると
心配で押しつぶされそうになることもあった。

テレビやパソコンで一瞬で世界のどこへでも行った気持ちになれる世の中ではあるけれど、
実際に自分の目で確かめることの大切さを改めて知ったような気がする。
どこかで見た写真と同じものを見るのが目的ではなく、
そこに到達するまでに見るもの触れるものの数々、
テレビや写真では映し出されなかったものを発見すること。
そして、はっきりとした意思をもって旅をすること。

たくさんの人たちに助けられ、
充実感をもって20日間の旅を終えることができたことに心から感謝したい。
そして、中国との関係がよいものであるようにと願ってやまない。


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comments(2)|trackback(0)|中国ひとり旅|2012-05-10_03:39|page top

留坝の張良廟

雨の洛陽(ラクヨウ)で風邪を引いてしまい、
西の都、西安にたどりついた時にはずいぶん悪化して二日間も寝込んでしまった。
もう滞在日も少なくなったので、
最後の力を振りしぼって漢中へと向かった。

西安は、有名な始皇帝の秦から数えて
唐時代まで首都とされた歴史都市である。
秦の時代には咸陽(カンヨウ)と呼ばれ、
項羽と劉邦がその本拠地をめざして争った。
結果、劉邦は秦嶺山脈を越えて南の漢中へと左遷された。

当時は蜀の桟道とよばれる険しい道を通らなければならなかったというが、
今や山脈にはいくつものトンネルが掘られ、高速道路が突きぬけている。
漢中に近づくと、まぶしいほどに黄色い菜の花畑や
真っ白の手を広げたようなコブシの花が迎えてくれた。

僻地に追いやられ苦渋をなめた劉邦は、数年後ふたたび咸陽をその手におさめた。
漢中周辺には、その当時の歴史を伝える場所が残っている。
さらにバスを乗り継いで、留坝(リュウバ)という山間の町を目指した。
山が迫った道を、右へ左へくねりながら進んでいく。
左手には、明るい緑色した湖がどこまでもつづいている。

留坝は、漢中から宝鶏のちょうど中間あたりにある。
その近くに留候鎮と呼ばれる村があって、
漢の高祖(劉邦)の軍師、張良が祀られている廟がある。
張良は謎の多い人物で、韓という国の宰相の家に生まれるが、
その後、国を滅ぼされた恨みから秦の始皇帝の暗殺を謀ったこともあった。
暗殺に失敗したあと、今度は劉邦の漢を助けて秦を滅ぼし、
ついに天下を統一する帝国を打ち立てた。
漢の功臣として知られている。

後の三国時代におこった五斗米道の祖として知られる張魯が、
張良を祖先として祀ったのがこの廟の起こりであると言われている。
寂しい山間の村に着いたときには、もう日が暮れかかっていた。

ryuba 022

おみやげ物やが何軒かならんでいるほかは、何もない小さな村。
廟のとなりにホテルがあると聞いていたので、
がらんとした建物を覗いてみるが、内側から鍵がかかっている。
何度かいったりきたりして、
しばらくすると受付の人らしき姿が見えた。
扉をどんどん叩くと、やっと気づいて鍵を開けてくれた。

体の小さな、人懐こい笑顔の女性が迎えてくれた。
どうやら私のほかに宿泊客はほとんどいないらしい。
中庭に入ると、たおやかな姿の白い像が立っている。
後に留候に封じられた張良のことを記した、
史記の留候生家の終わりにはこう書かれている。

「張良の経歴を考えると、壮大魁偉なものとばかり思っていたが、
その肖像を見たらまるで美しい女性のようだった。」

はじめ高祖はその功をたたえて広大な領地を与えようとしたが、
張良は辞退し、高祖とはじめて出会った留の町だけで十分だと言ったという。
漢の世になると、一切政治からは身をひいて、
神仙になるための修行に励んでいたと伝えられている。
その謙虚な精神のために後世の人々からも讃えられ、
また道教の聖人として祀られるようにもなった。

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病み上がりだったが、髪を洗いたかったのでシャワーの蛇口をひねる。
どうしたわけか、いつまでたっても冷水のままだ。
表に出ると、予想通り、私の部屋のほかには一部屋しか明かりがついていない。
山の合間にうかんだ真っ白な満月が、ほのかな光で像を照らしていた。
受付のおばさんに問題を告げると、
「いい場所があるから。」と月明かりの中を手をとるようにして
シャワーのある部屋へと案内してくれた。

鳥のさえずりで目が覚める。
もうすでに、日は高く上っていた。
急いで身支度をすませ、一番に廟の方へと向かう。
どっしりとした石造りの門は、これまで見た建造物の中ではかなり古そうだ。

ryuba 018

ryuba 015

入り口に入ると、原色に彩られた道教の建物があった。
施しをしないので道士に白い眼でみられつつ、先へと進む。

ryuba 028

曲がりくねった石の回廊。
直線的な日本の美学に対して、
こちらでは曲線の美を至るところに見出すことができる。

ryuba 116

円形にくりぬかれた入り口を入っていくと、
うすぐらい竹林の中へと導かれる。

ryuba 068

せまい石段をのぼっていくと、遠くに山々が見渡せた。
留という町は、ここからはるか東の江蘇州にあったという。
どうして、こんな山奥に祀られているのだろうか。
一説によると、張良は仙人修行のために
この人里はなれた山間に潜んでいたと信じられている。
世界遺産として有名になった張家界も、張良の墓があるという言い伝えがある場所。
天下が治まった後に、次々に功臣が粛清されていったのに対して、
張良だけは身を清く保ち、最後まで疑われることがなかった。

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張良が住んでいたといわれる、小さな洞窟がある。
中に入ると、長い黒髭をたたえた像が座禅をくんでいた。
真っ赤な布が聖人の頭から、左右の従者の方へと垂れている。
数多く見た像の中でも、もっとも神秘的なもの。
あの激動の20世紀の歴史をもくぐりぬけてきたことに、ひそかに感謝した。

ryuba 080

李白をはじめ、数多くの文人に彼の功績は讃えられた。
石段にも詩が刻まれ、雨風にさらされながらもその形をとどめている。

ryuba 108

老子は言っている。
富や名声は一時のものではかない。それよりも魂の気高さを求めるべきだと。
荘子は言っている。
あくせくと身を削って生きるのではなく、真の自由をもとめるべきだと。
老荘の思想を、身をもって示した張良の生き方は
現代の人々の目にはどう映るのだろうか。
中国の西の片隅で、2000年以上の時を越えて信仰される廟にたどりつき、
言い知れぬ達成感をおぼえた。

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comments(2)|trackback(0)|中国ひとり旅|2012-05-07_00:18|page top

広武山での出来事

河南省の省都、鄭州(テイシュウ)の隣
荥陽(ケイヨウ)を経て、広武鎮へとたどり着いた。
ここに来たのは二回目。
数日前に大風のために行くのを諦めた、
広武山の遺跡をここから目指すことになる。

中国では一般的な、バイクの後ろに荷台をつけたタクシーがある。
おじさんと交渉して、30元で往復ということになった。
荷台に乗ってカーテンを引くと、
ガタガタと揺れるほかはどこに行くのか分からない何とも言えないスリルが感じられる。
カーテンの隙間から風景を眺めても、
だだっ広い枯れた畑に道路が一本続いているだけである。
やっとのことで長い傾斜を上りおえると、広武山の上にやってきた。

こんなもの寂しい場所にどうして来たかというと、
今から約2200年前の楚漢戦争で一大戦闘が行われた場所が残っているからである。
黄河を遠くに見晴らすこの山の、
西側が項羽率いる楚の軍であり、東側が劉邦率いる漢の軍であった。
両者はこの谷ひとつ挟んだ山でにらみ合い、
一年間に渡って戦いを繰り広げたと言われている。
その遺跡を、「漢覇二王城遺跡」という。
険しい崖の向こう側にうっすらと黄河が見渡せた。

luoyang 008

馬を連れたおじさんや爆竹を売るおばさんが後をついて来るのを
やっとのことで振り切ると、
今度はとがった山の峰から目のくらむようなくだり道にさしかかった。
舗装のされている楚城側から、
どうしても行きたかった漢城側への登り道を探す。
石の砦の欠片でも見つかるかと思っていたら、
ただのだんだん畑状の山肌が続いているだけである。
茨で生い茂った山を登ると、
野鳥がさえずる他は水を打ったような静けさに包まれていた。

この鴻溝(コウコウ)というこの谷を境に
一度は楚と和平条約を結んだ漢だったが、
すぐに約を違えて追跡し、ついに項羽を滅ぼして漢王朝を打ち立てる。
司馬遷の「史記」の中でも、このくだりは特にドラマティックに物語られている。

luoyang 031

二千年の時に思いをはせたあと、
息をきらしながらやっとのことで待ち合わせ場所へと戻った。
三輪の後部座席に座ると、激しく音をたててバイクは走りはじめた。
やがて、関所のような場所で足止めをくらうと、
村人たちがわらわらと取り囲んで門票(チケット)代を請求しはじめる。
一度は怪しんで見たが、よくよく見てもちゃんとした券のように見える。
二王城と観光区との二つの券を買わされてしまった。

「ついたよ。」と言うので、外に出ると、
別の観光名所のような場所に来たらしい。
真新しい大きな皇帝の石造がたつ道観は、そう古いものにも見られない。
とりあえず、「謝謝。」とおじさんにお礼を言って見学をした。

luoyang 050

車に戻ると、何か言いたそうなおじさん。
ノートを渡すと、「行きと帰りで60元だ。」と文字が主張をはじめた。
これでは話が違う。
「いろいろな場所に行ったじゃないか。」とおじさん。
怒りがこみ上げて怒鳴りたいのをこらえて、文字に託す。
「行きたかったのは二王城だけで、他は不要だった!」

ふてぶてしい態度のおじさんを置いて、
そのまま歩きはじめる。
「支払いがまだじゃないか。」といった風で追いかけてくる。
「ぜんぶ門番に取られて、お金が今はない。
あとで村で払う。」と漢字を突きつける。

「60元払うなら乗せてやるから。」とおじさんが追いかけてくるが、
無視をして歩きつづける。
もちろん時も大切だが、お金で解決すればいいわけではない。
10キロでも20キロでもかまわず歩くつもりだった。
やがて、おじさんが「30元」と折れたので、車に乗った。

三輪は途中で別のお客を乗せたりしながら、村に戻ってきた。
すぐに銀行に向かった。
どうしたことか、カードが使えずそのまま返ってきてしまう。
日本に電話して聞いてみても解決できず、途方に暮れてしまった。
おじさんは銀行の中で一部始終を見ていたので、分かったようだ。
周りに村人たちが囲んで、なにやら相談している様子。
「警察に行ったほうがいい。」

ついに村の警察に向かうこととなった。
退屈そうにたむろしている村の警察官たちに、
ノートに書いた文字を見せる。
「泊まっているところは?」
「友達はいるのか?」
書き込みだらけで、ノートには空白がほとんどない。

村の警察官たちもどう処理していいのか分からず、
ただ時間だけがいたずらに過ぎていく。
そこで、奥から険しい細い目をした制服姿の男が出てきた。
警察署長なのか、禿げ頭だが意外と若そうだ。
いくつか質問をして、私のパスポートと私の顔を交互に注意深く眺める。
不意にポケットから黒い財布を取り出してこう訊ねた。
「いくら要るんだ。」
「30元です。」と答える。

赤ちゃんの写真が内側に張ってある財布の中は、
札束でいっぱいだった。
100元札を一枚取り出して、タクシーのおじさんに差し出した。
「いいえ、30元でいいんです。」
「なんだ、それだけか。」というような態度で、お金を渡す。

「どうやって、お金を返したらいいですか。」
その奇跡のような施しを目にし、信じられない思いだった。
「いいや、いい。」と威厳あふれる態度で、手を振ってみせる警察官。
緊張感から開放されたせいか、一気に目に涙があふれてきた。
「謝謝。」と深く頭をさげた。

「村に帰るお金は?」と心配されたので、
ポケットからくしゃくしゃになった札を見せて、
「4元あるので、大丈夫です。」と答える。
「ご飯は?」
「いいえ、いいです!」

こうして、無事にバス停に戻ってきた。
バスに乗って安堵すると、その日の出来事が思い出されてくる。
見ると、前の広場から先ほどのタクシーのおじさんがこちらを見ている。
見送りたかったのか、ただ偶然そこにいるだけなのか。
やがてバスが出発した。
複雑な思いで、おじさんの方にすこし手を振った。
「お互いに、大変な日だった。」と相手を労うように。









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comments(6)|trackback(0)|中国ひとり旅|2012-05-01_20:58|page top

禹州の洞窟と雨の神屋鎮

朝めざめて外に出ると、風の強い日だった。
その風の強さ冷たさは、中国内陸の独特のものかもしれない。
遠く西域の黄砂もいっしょに飛んできているのだろう。

河南省、有名な観光地といえば少林寺くらいだろうか。
それでも、中原という言葉を聞けば
何か鳥肌のたつような響きを覚える人もいるかもしれない。
黄河という、東洋文明の礎を築いた大河の南に広がる地方である。

あまりの風の強さに行き先を変更して、
長距離バスに乗った。
かつての黄河は今のような濁色ではなく、
清く澄んでいたといわれる。
今では荒々しい岩肌がまるで要塞のように突き出し、
ぽっかりと洞窟のような穴が無数に開いている。
物置なのだろうか、住居なのだろうか。
先ほどまでいた高層ビルだらけの町とは、
似ても似つかぬような風景を唖然として眺めていた。

黄河の支流の潁川が流れる禹州は、
中国規模でいえば小さな町。
古代の禹王が夏という国をこの地に作ったという伝説がある。
その河川敷にある、道教の神々が祭られる洞窟へと向かった。

yuzhou 051

五色の旗が風に吹かれ、はためいている。
石造りの壁にその聖人たちの名前が刻まれているのだが、
目当ての洞窟だけは固く閉じられたままだった。
仕方なく隣の洞窟の中へ入ることにした。

薄暗い洞窟の中。
参拝客がひとり、3本の長い線香を捧げると
床の枕の上に頭をつけるようにして深々とお辞儀をする。
正面にはピカピカのペンキで色づけされた、
安い玩具のような髭の豊かな男の像がある。

隣にある張良洞のことを聞くと、
私のノートに漢字が書き込まれる。
その洞窟の番人がまだ来ていないらしい。

鮮やかな緑のスカーフをかぶった小さなおばあさんが、
大きな袋の中から饅頭(マントウ)をひとつ取り出して
私の手にのせた。
それから線香台をのせたテーブルに、
お湯をいっぱいに注いだ茶碗と漬物の小皿を置いてくれる。

うす暗い洞窟に、ろうそくの光だけがほのかに
辺りを照らし出す。
聖なる空間に、白湯の湯気がやわらかに立ち昇っていく。
固く冷えた饅頭と辛い漬物を噛みしめ、
あたたかな湯が喉をうるおしてくれる。
白湯を飲む習慣は茶よりも長く、
老子が孔子をもてなした時も同じものを飲んでいたと読んだことがある。
道教の聖人たちに、この幸運を感謝した。

yuzhou 054

おばあちゃんに何かお礼がしたくて、
写真を撮って送ることを思いついた。
わずかな中国語の知識を振り絞って、
私のあらゆることを伝え、おばあさんの住所を聞いてみる。
ノートとペンを渡すと、おばあさんはずいぶん長いこと考えながら書いている。
なんとか、趙という字が判読できた。
「・・・ソン。」趙おばあちゃんが言う。
「ああ、村のことね。」私が横に文字を書くと、うなづいた。

文字を書きなれない趙おばあちゃんが、
「いい人がいるから、ちょっと来て。」と私を促して外に出る。
階段をのぼり、石造りの小さな小屋の中に入ると、
机に腰掛けて、硯と筆で名簿のようなものに文字を書く老人がいた。
白髪で眼鏡をかけたおじいさんは先生のようで、
趙おばあちゃんの名前と住所を達筆な漢字で書き写した。

いろいろな質問の書かれた漢字で紙面が埋め尽くされていく。
筆談とわずかな中国語の知識だけで会話が成り立つのにも驚かされる。
ふと張良の文字に気がついた。
部屋の中に立っている、派手な服を着せられた金ぴかの像がそれであると分かる。
この敷地内にはさまざまな聖人が祭られているが、
古そうな建物の中に真新しい毛沢東の像を見たときには驚いた。

先に持ち場の洞窟に戻っていた趙おばあちゃんは、
私を見ると、「寒かったでしょう。」と声をかけ、
風にさらされて冷たくなった手をやわらかい両手で包んでくれた。

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隣から誰ががやってきて、
「張良洞が見られるよ。」と声をかける。
小さな洞穴に、思ったとおりに真新しいペンキの像が立っている。
古くから信仰されてきた像はおそらく、
同じものではないのだろう。
それでも、同じ場所で人々が今も信仰つづけていることだけは事実である。

趙おばあちゃんが3本線香を渡してくれた。
私も1元札を手渡した。
先ほど見たように、足元の枕に頭をつけるようにしてお辞儀をする。
すかさず、おばあちゃんが「隣の人にもね。」と忠告する。
しばらくして、それが隣に置かれた観音さまの絵のことであることが分かった。
そちらの方にも頭を下げた。

歴史的に価値のあるものかどうかは分からない。
それでも禹州の洞窟は、旅の中で特別なものとなった。

yuzhou 061



中国の町は、予想をはるかに超えて大きい。
これまでも一日に一箇所を訪ねるので精一杯だった。
洞窟のある禹州市を離れて、小さな乗り合いバスで神屋鎮という小さな町に向かった。
小さなバスが町に近づくにつれて、
通りに陶器の壷やお皿などを並べる店が多くなる。
バスが最終地につくころには、雨が降りはじめた。

観光の本を一冊も持たない私の旅で、
この町は中国語のブログで偶然にも見つけたものだった。
中国には古鎮と呼ばれる、
古い趣をのこす町がいくつか残っているという。
有名なものは江南の水郷に多いようだが、河南省にある数少ない古鎮が神屋鎮である。

町中が陶器市になったような神屋鎮。
インターネットで見た風景には、なかなかたどり着けない。
雨の中、大通りをひたすら歩くうちに、
下へとつづく小さな通りに何か心引かれるものを感じた。
路地を下って行きついた先に、石畳の風景が現れた。

yuzhou 090

中国にきて、ここは石の文化であると思った。
森林資源の豊かな日本に比べると、驚くほど木造の住宅が少ない。
神屋鎮の通りで目にするのも、
石やレンガ、陶器で敷き詰められた壁だった。

yuzhou 114

通りの終わりには、共産党の星マークのついた廃墟のようなものがあった。

yuzhou 102

歴史的な古い建造物などはすべて取り壊されていると思っていたが、
この通りには清代の民家が陶芸の文化とともに今なお残っている。
また立派な廟も見られる。

yuzhou 151

雨に濡れた石畳を歩いていると、
昔の城郭の名残のような門を見つけた。

yuzhou 153

長い伝統と他民族の攻防の歴史をもつ中国。
古代の歴史の名残は土の下にしか見つからないといわれているが、
地上にも1000年以上の歴史が地層のように重なり合い、
絡まりあって存在しているのに違いない。
これからどんな風に変わっていくのか、
興味のつきない国である。

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comments(0)|trackback(0)|中国ひとり旅|2012-04-20_21:41|page top

徐州の二胡弾き

江南の水田の風景を、高速列車が北上をしていく。
だだっ広い見渡す限りが平面の風景は、
日本よりもむしろヨーロッパのそれに近いのだろうか。
枝ばかりのか細い木々が、一定のリズムで目の前を流れていく。
すると突然、乳白色の霧の中に信じられない光景が浮かび上がった。
上から下まで真っ白い衣装に身をつつんだ人が3人ほど
盛り上がった土の墳墓のまわりを回って歩いていた。
それはほんの一瞬だったけれど、
夢から目覚めたあとのようにぼんやりとした心地のまま、
写真で切り取ったようにはっきりとした残像がいつまでも目の奥から消えなかった。


徐州という町は、蘇州と同じく江蘇省に位置する。
古くは彭城(ほうじょう)と呼ばれる。
秦の始皇帝によって統一された中国初の帝国が10数年で滅びた後に、
楚(そ)の国の首都とされた町である。
項羽と劉邦の戦いとして有名な楚漢戦争の、重要な場所でもある。
歴史の旅の幕開けとして、この徐州を経由することにした。

漢王朝時代にも楚国として発展していたため、
皇族の墳墓もこの付近には多数見られるという。
町について、駅前でふらふらとホテルを物色して
ようやく部屋に落ち着いたあと、
町のはずれにある亀山漢墓を目指した。

墓の中に入ることができる、
石を積みあげた大きな洞窟の中に探険家のような気分で足を踏み入れる。
墓室の中に立ち昇る無数の削り模様は、
はじめ鍾乳洞のような年月の風化によるものだと思っていたが、
その模様が人為のものであることを知ったとき、
魂の安住を願う古代人の想いが痛々しいまでに感じられた。


バスの停留所へ向かったとき、
いすに腰かけて楽器を弾いている人の姿を見かけた。
あわただしく行きかうバスや車の騒音、
乗り降りする人の雑踏でともするとかき消されそうな音色と歌声に、
どこか心が惹かれた。
かばんからそっと小型ビデオを取り出して、撮影をはじめる。
目まぐるしく移り変わる町の風景とは一線を画する、
音楽によって生みだされたひとつの空間がそこにあった。

歯切れのよい独特の節に魂から搾り出すような声、
そして哀愁ただよう二胡の音階が重なり合う。
ビデオを構えていると、隣に立っていた中国人男性が身振りで
「撮っていると、お金をたかられるよ。」というようなことを合図する。
あわてて電源を切った。

バスがやってきたがどこか後ろ髪ひかれる思いで、
ずっとその場で演奏を聴いていた。
突然ぷつりと糸が切れたようにその手をとめると、
男は立ち上がって、のそのそと道路の方へ歩いていってしまう。
道路の真ん中で用を足した後、
またこちらに戻ってきた。
杖で段差をたしかめながら、慎重に歩く姿を見て
彼が盲目であることを確信した。
段差を注意深く、杖の先で確かめてから
やっとのことで元のいすに腰をかける。

手探りでいすの下にある荷物をたぐり寄せたので、
もう帰り支度をはじめたと早とちりをしてしまった。
近くに寄って慣れない言葉で、思わずこう話しかけていた。
「演奏 シテクダサイ。
5元、ハライマス。」
私の中国語が通じなかったのかどうなのか、
しばらく無言でパイプをくゆらせたあと、
古い木の板のようなものを
その強靭とは言いがたい足にひもで結びつけはじめた。
すぐに、それが楽器であることに気がついた。

男はパイプをふかしながら、
二胡の弦をゆっくりと弾きはじめた。
足に結んだ木の板が左足の動きにあわせてかち合い、
二胡の演奏に軽やかな拍子をつける。

zhenzhou 329

通行人たちは一見無関心のようで
次々と二胡弾きの男の前に小銭を落としていく。
演奏に心を動かされたのか、それとも身なりの貧しそうな男を哀れんだのだろうか。
アルミ銭が高く鳴り響くたびに、
男は歌の合間をみては「謝謝。」と小声でつぶやく。

今では中国を代表する民族楽器で高級な楽器である二胡だが、
もともとは農村に生きる貧しい人たちが演奏した楽器だったと聞く。
盲目の男の鳴らす二胡の音色と、
何かの物語を聞かせるような調子の唄を聴いているうちに、
その楽器の原点を見たような気がした。

zhenzhou 325

財布からお札を一枚取り出し、
小銭でいっぱいの箱の中に置いた。
盲目の男は、終わりのない物語を語る琵琶師のように
同じメロディーをいつまでも歌いつづけていた。
バスを待つのはやめにして、駅前のホテルへと足を向けた。






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