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トランシルヴァニアへの扉 - Erdely kapuja-

古きよきヨーロッパの面影を残す、トランシルヴァニアへの扉をそっと開いてみませんか?

::自己紹介::

谷崎 聖子

Author:谷崎 聖子
1978年宮﨑生まれ。
大阪外大、ハンガリー語学科卒業。
ブダペスト大学で民俗学を専攻。
ルーマニア、トランシルヴァニア地方のフォークロアに惹かれて、セーケイ地方に移住、結婚。
三人の子育て中。

伝統手芸研究家。
トランシルヴァニアの文化、手しごとを広める活動をしています。主な著書「トランシルヴァニアの伝統刺繍 イーラーショシュ」、「カロタセグのきらめく伝統刺繍」。

東欧雑貨ICIRI PICIRIFOLK ART Transylvaniaのオーナー。

詳しくは、森の彼方-トランシルヴァニアへの扉をご覧ください。

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ブログ翻訳

幼稚園の日本の日

3年前に泣きながら幼稚園に行った娘も
もうすぐ卒園の日を迎える。
いっしょに朝ごはんを食べ、遊び、
昼ごはんを食べて、昼寝をしたお友達ともお別れだ。

娘の幼稚園の先生から提案された、二日間の日本の日。
喜んで、この申し出を引き受けた。
というのも、友達や先生たちに自分のルーツを知ってもらうことは
彼女を理解してもらうことにも繋がるからだ。
それに、3年間親しんだクラスメイトたちに親しみも感じている。

幼稚園で日ごろ、いろいろな言葉で数を数える練習をしていることは
娘から聞いている。
まず母語であるハンガリー語、それから国の言葉であるルーマニア語、
国際語である英語、さらには娘が日本語を教えたり、
ドイツに移住したクラスメイトがドイツ語を教えたこともあったという。

まず日本語で数を数えてもらい、
それから数の歌を歌う。
簡単なリズムと体操も面白い「なべ鍋底抜け」、
こちらで似た遊戯がある「かごめ、かごめ」などを歌い、遊んだ。

それから、簡単な日本語のあいさつ。
「・・・ちゃん」「・・・くん」をつけて呼び合ったり、
「こんにちは」、「さようなら」、
翌日には「どうぞ」「ありがとう」とものを渡しながら練習もした。

地球儀を使って、ルーマニアと日本がどれだけ離れているかを見たり、
日本の周りに海が囲み、山がちなことを話した。

そして準備していた教材を使って、
漢字の意味当てゲーム。
山や田、川など簡単な意味合いの漢字と
イラストの札を組み合わせる遊び。


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文字をまだ使わない幼稚園児は、
絵で覚える漢字のほうが親しみやすいに違いないと思っていたが、
考えながらも、結構うまく意味を当てていた。


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そして、日本の折り紙も持っていき、簡単な折り方を教えた。
チューリップから、ネコやイヌが作れることを教えたら、
イヌの折りあげた口を返してベロを描いた子もいた。
こうしなければいけないという決まりはない。
自分の想像力やアイデアを加える柔軟な頭脳のなんと素晴らしいこと。


翌日には、準備していたお米やトウモロコシ、
パスタや豆などを箸を使って食べる練習をした。
私自身、正しく箸を持てないまま40年が過ぎた。
正しい使い方を事前に調べて学び、なんとか教えるまで至ったのだが・・。


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日本のふりかけを持って行ったら、大好評だった。
校長先生や給食室のおじさんまでやってきて、味見をしていった。

最後に着物を着る体験もした。
長い間送りためた着物を持ち寄り、
可愛い子どもたちに着物を着させた。
教えてもないのに、お祈りの手つきをする子供たち。


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どの子たちも可愛く、よく似合っている。


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最後に、子どもたちに愛情を惜しまず降り注ぎ、
さまざまなイベントを盛り込み、幼稚園生活を楽しいものにさせてくれた
幼稚園の先生たちに感謝。


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comments(2)|trackback(0)|ルーマニアの育児|2019-06-08_16:29|page top

ふたつのランドセル

はるか海のかなたから小包が届くと、 
子どもたちは我さきにと駆け寄ってきて、
何が入っているのかと尋ねる。
日本とは違い、受け取る側もわざわざ町の中心部の郵便局まで出かけ、
週に二回、数時間しか開かない国際郵便の窓口で
長蛇の列に並ばなければならない。
しかし、送る側の苦労は言うまででもない。
ここでは手に入らない食料品やお土産など
3ヶ月後に受け取る相手の喜ぶ顔を思い浮かべ、
英語訳つきのリストを作成してから、
重い荷物を郵便局まで運び、さらに高い輸送料を払うのだ。

1月になり、我が家に届いた重い荷物の中身はランドセルだった。
日本では祖父母が孫のために贈るのが習わしであるという。
早いもので長女もこの6月に6歳を迎え、秋には小学生になる。
日本でもランドセルを買ってあげようかという話になり、
店まで見に出かけたが、あまりに高額なのに閉口して買わなくていいと告げると、
残念そうだった父親の姿が目に浮かぶ。

やがて母が、パッチワークの生徒さんからお孫さんのものを譲ってもらったと話した。
「そんな重いものを、良かったのに・・。」と高価な送料を気にして思わず口をついて出たのだが、
大切に新しいタオルで包まれて海を渡ってきたふたつのランドセルを手にしたとき、
親御心のありがたさが手に取るように分かり、はっとした。

幼稚園から帰ってきた娘に、
6年間使用したとはとても思われないほどの綺麗なランドセルを見せると、
目を輝かせて喜んだ。
「日本の学校に持っていくね。」と背負ってみてから、鏡を見てさらに顔をほころばせた。
もうひとつのランドセルは・・と考えていたら、
娘がまだ3歳の次男に背負わせた。
ものを入れたらひっくり返るのではないかと思われるほどの、大きな黒いランドセル。
次男も満更ではないようすで、部屋の中を駆け回っていた。
教科書やノートの代わりに、玩具の車やぬいぐるみの入ったランドセルを背負う。


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幼稚園の前の公園で遊ばせているときに、
ふたつのランドセルを見つめていた。
いつか二人が小学校にこのランドセルを持っていける日がやってくるように、
健康であってほしいと祈るような思いでいた。
ランドセルを贈ってくださった方、
小包で送ってくれた両親にこの場を借りてお礼を言いたい。

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comments(2)|trackback(0)|ルーマニアの育児|2019-02-17_05:15|page top

3人の洗礼式

いつしか、こちらでの生活も8年を過ぎていた。
長男はこの春に12歳になり、
長女は3歳、そして次男ももうすぐ1歳を迎える。
トランシルヴァニアの生活に根をおろし、
生活をしていくにあたって、何かをしておきたいと考えるようになった。
そうして思いついたのが、洗礼式。
それも、亡き姑の生まれ故郷の村でしようと決めた。

きっかけは昨年の秋、
お盆のためにクリズバへ向かった時だった。
お昼前に向かう車の中で、旦那が思いつきのように口にした。
洗礼式をしようというのは話題にしていたのだが、
住む町から遠く離れ、親戚はおろか知人すらいない村でしようとは全く予想していなかった。

村から村へ精力的に歩きまわり、
亡くなるまで村のことを書き綴っていた舅親。
民話や民謡、習慣に手仕事、歴史・・。
幅広い分野に興味をもち、
セーケイ地方や故郷のバルツァシャーグ、モルドヴァ地方まで足を伸ばした。
シェレシュ・アンドラーシュは民俗学者であり、
旦那が12歳の時に他界してからも、常に彼に大きな影響を与えてきた。

村につき、車を降りるとすぐ旦那の兄に偶然出会った。
腹違いの兄弟なので普段は連絡を取ることもない。
いっしょに墓を参り、そして洗礼式のことを話すと、
ぜひ参加したいと申し出た。
その足で、牧師の家に向かい、
ただの空想だった行事があっという間に形を整えていった。
6月に日本から母がこちらに来てくれる、
ちょうどその時に決行することになった。

イギリスのヴィクトリア時代の洗礼衣装が手に入った。
旦那がスモッキングの技法について探しているうちに、
イギリスで伝統的なブラウスの型に興味を持つようになった。
前後形が同じという珍しい形で、
白一色のさまざまなスモッキング刺繍の陰影がなんとも美しい。
大きさもちょうど、娘と次男にぴったりだ。

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足踏みしながらやってきた、6月のある日曜日。
私たちはクリズバに来ていた。
日本から母親が、セーケイ地方やカロタセグから親友たちが駆けつけてくれた。
主人の母親と連れ添ったラツィおじさんも・・。

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娘の生まれながらの親友、ジョフィカ。
この二人の誕生のおかげで、
さらにブラーガ一家と親しくなった。
洗礼式の話を持ちかけると、
三人のうちから娘の洗礼親になりたいと申し出てくれた。

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教会の鐘の音が高らかに鳴り響き、
日曜の礼拝がはじまった。
牧師の澄んだ歌声のようなお祈りと、
信者たちの掛け合いがまるでミュージカルのようだ。
おじいさんが賛美歌の番号の書かれた札を、
ごそごそと探し出し、厳かに皆の前に掲げる姿も微笑ましい。

はじめて参加する、ルター派教会の礼拝。
はじめて見る、クリズバの教会。
全てが新しい場にもかかわらず、
何か温かいもので包まれているようだ。

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それはかつて、子供たちの祖父やご先祖たちが集い、
祈りを捧げてきた場であるからに違いない。
1697年という年号の刻まれた洗礼盤が、
確かにそれを物語ってくれる。

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若い牧師が愛情深い眼差しで、
子供たちの新たな旅路を祝福してくれる。
それぞれの洗礼親に抱かれ、
聖水を頭から注がれて、彼らは晴れてキリスト教徒として生まれ変わった。

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トランシルヴァニアの大家族に見守られながら、
私たちはここでまた歩きはじめる。
3人の宝を通じての絆が、末永くも続いていくことを願って。

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comments(2)|trackback(0)|ルーマニアの育児|2016-08-29_12:26|page top

秋の夜とかぼちゃのランプ

子どもは、知らず知らずのうちに親の手を離れていくものかもしれない。

長男は家で過ごすより学校の時間が長くなり、
帰ってきても近所の友達の呼びかけで外に出ることが多くなった。
暗くなってもなかなか帰ってこないので、
散歩がてら下の子ふたりを連れて表に出ることにした。

アパートの扉を開けてみると、
10月とは思えないほどの暖かな空気が体を包み込んだ。
夕暮れどきの道を歩いて、公園の方に向かって歩いていくと、
どこからともなく賑やかな子どもたちの笑い声が聞こえてくる。

7,8人くらいの子どものグループがアパートの下の芝生に輪になって腰かけて、
楽しそうに遊んでいた。
子供の頃に遊んだ、ハンカチ落としの遊びに似ているようだ。
一人の子どもが輪の外を回りながら、ふと誰かの方をたたき、
たたかれた子どもがその子を追いかけ捕まえる。
無邪気に笑い戯れる長男を見ていると、あたかも幼稚園時代に戻ったかのようだった。
同い年の11歳の子もいれば、中には幼稚園生くらいのちいさな子までいる。

まるで夏の夜の、それも町ではなく、
どこかの村で過ごす夏休みのような夜だった。
すでに日は沈み、もうすぐ夕闇が迫ってくるのだが、
その姿をいつまでも見ていたい気持ちでいた。
すると、隣で旦那がつぶやいた。
「かぼちゃを持ってきて、ここでランプを作ろうか。」

子どもたちに提案をしてみると、
案の定、飛び上がらんばかりに喜んだ。
アパートに走って、旦那が8キロくらいはある大きなかぼちゃと
ナイフ、マッチとロウソクを持ってくる。
かぼちゃの頭のところを切って、
「種を取るのを手伝ってくれる?」と聞くと、
みんなが嫌な顔ひとつせず手を突っこんで、種をかき出してくれる。

今度は、「誰か、顔を彫りたい人いる?」というと、
一斉に手をあげて、「私は目!」、「僕は鼻!」と主張する。
よく考えてみると、かぼちゃが予想以上に硬かったので
子供の手にナイフを渡すことをためらった。
旦那が器用に、三角形の目と鼻、
ギザギザに長くのびた口をナイフで切り抜くのを皆でじっと眺めていた。

いよいよ、なかにロウソクを入れる時がきた。
群青色の闇に包まれ、アパートの周りはすでに電灯が点っていた。
かぼちゃの顔に明かりが灯ると、
子供たちの間からどっと歓声がわき起こった。
町の明かりの中では、そんなに明るい光ではない。
それでも、目や鼻、口からこぼれ出るオレンジ色の明かりを眺めていると、
秋の夜にふさわしい情緒を感じられる。

しばらくの間、その明かりに吸い寄せられるように眺めてから、
私たちは解散した。
自分の子どもが幼いこと、無邪気なことに安心し、
そしてこれほど誇らしいと思ったことはなかった。

無理して肩肘はって、大人にならなくていい。
今のうちに、子どもでいることを存分に楽しんでほしい。
大人にならなければならない時は、すぐにやってくるのだから。




comments(4)|trackback(0)|ルーマニアの育児|2015-11-09_06:07|page top

秋分の産声

これだけ、ある時を待ちわびたことがあっただろうか。
赤ちゃんの生まれるはずだった日から、すでに一週間を過ぎていた。

体もそろそろ限界という時、やっと出産の兆しが現れた。
はじめは、腰のあたりからまるで水がにじむように
じんわりと広がっていく痛み。
それは、不思議と心地よいものだった。
それから、痛みの波は強くなったり弱くなったりしているうちに、
いつしか日が暮れてしまった。

娘を寝かしつけて、一緒に眠ってしまったらしい。
深夜に目を覚まして、いよいよ陣痛が本格的になってくるのが感じられた。
我が家からほど近い県立病院へと駆けつける。

日付は次の日へとかわり、
夜から明け方に近づくころ、息子が誕生した。
出産の壮絶な苦しみの中で、
息子が生まれる瞬間に泣き声がしないのに気が付いた。
その小さな体は紫色に染まり、
透明の太いゴム管のようなものが首に巻き付いているのを見た。
祈る思いで横目で見守る私の前に、
酸素マスクがかけられ、ようやく産声を聞くことができた。
9月23日、秋分の日の早朝だった。

mizuki (2)

分娩室のすぐ脇のベッドに横たわり、
待てども待てども赤ちゃんを連れてきてもらえない。
しびれを切らして、何度ともなく尋ねたが、
「ベッドに空きがないから、しばらく待つように。」という返事が返ってくるばかりだった。
息子が誕生して、8時間後、
やっと私は再会することができた。

秋のはじまりに生まれてきた息子。
名前は、瑞生(みずき)。
生まれたままのような心で、
瑞々しく生きていくようにと願いを込めた。

mizuki (4)

病院で出会った女性がこういった。
「4歳の娘がいて、兄弟がほしいとは思うのだけれど、
もう二回も流産をしてしまった。だから、子どもを授かる自信がないわ。」
もし命が誕生していたら、我が家と同じ三人の子どもがいるはずだっただろう。
彼女は日々、新生児と母親に関わりながら仕事をしている。

隣のベッドにいた女性は、
生後10日の赤ちゃんをまだその腕に抱くことができなかった。
生まれてすぐに喉に膿があることがわかり、
人工呼吸器のある部屋から出ることができないらしい。
昼も夜も、母乳を絞りつづけ、
か弱いわが子に飲ませようと部屋に運んでいる。

子どもが生まれてくること、
健康であることの有難さをこれほど強く感じたことはない入院生活だった。


女性は出産をするたびに、生まれ変われるものだと信じている。
10日間を経て、秋の美しい日の夕方にはじめて外に出た。
オレンジ色に染まる太陽のまぶしさ、自然の色彩の鮮やかさ、そして空気のやわらかさ。
私をとりまく環境の、普段は気がつかなかった美しさを
はじめてのもののように触れ、感じることができた。

mizuki (1)

遠いところから、誰かが誕生を心待ちにしてくれるということ。
三人の孫のことを想い、
猛暑の日々の中で必死に手を動かし、完成したお包み。
その鮮やかな色合いと針目のひとつひとつが、
おそらく生涯で最後となる、出産という大仕事をおえた私を祝福してくれた。

comments(12)|trackback(0)|ルーマニアの育児|2015-10-02_16:16|page top