トランシルヴァニアへの扉 - Erdely kapuja-

古きよきヨーロッパの面影を残す、トランシルヴァニアへの扉をそっと開いてみませんか?

::自己紹介::

谷崎 聖子

Author:谷崎 聖子
1978年宮﨑生まれ。
大阪外大、ハンガリー語学科卒業。
ブダペスト大学で民俗学を専攻。
ルーマニア、トランシルヴァニア地方のフォークロアに惹かれて、セーケイ地方に移住、結婚。
三人の子育て中。

伝統手芸研究家。
トランシルヴァニアの文化、手しごとを広める活動をしています。主な著書「トランシルヴァニアの伝統刺繍 イーラーショシュ」、「カロタセグのきらめく伝統刺繍」。

東欧雑貨ICIRI PICIRIFOLK ART Transylvaniaのオーナー。

詳しくは、森の彼方-トランシルヴァニアへの扉をご覧ください。

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海を越えるイーラーショシュとハワイアンキルト

4月になって、不思議な縁が舞い降りてきた。
タイのバンコクで暮らす女性からの、突然のメッセージだった。
イーラーショシュのワークショップをしに来てほしいというお誘いだった。
彼女は現地でキルトショップのオーナーをし、
さらに日本手芸普及協会のタイ局長をしているという。

数年前に、文化出版局の「トランシルヴァニアの伝統刺繍イーラーショシュ」が
タイ語版でも出版された。
当時は、どうしてタイで出版されたのかが疑問で仕方なかった。
丸くうねった独特の文字が見慣れた本の隙間を埋めているのに、
エキゾチックな異文化の香りが漂った。
その本がきっかけで、ルーマニアのトランシルヴァニア地方の刺しゅうが
思ってもみない土地で知られるようになり、
刺繍文化が遠い国へと伝播していく。


彼女と英語でチャットをして、
さまざまな打ち合わせが進んでいった。
12月はじめの週末、2日間のワークショップ。
4時間+4時間という、これまでにない長い講習となる。
天皇陛下の通訳もしたという、タイで一番の通訳の女性に依頼してくれるという。

せっかくならハワイアンキルト歴30年近くになる母も誘って、
何か一緒にできないかと思いついた。
パッチワーク会の大御所の講習に何度も参加している彼女は、
母の経歴や作品などさまざまなことを聞いてきた。
主催者である以上、もちろん講習に責任がある。
きちんとした講師を呼ばないといけないという気持ちはよく分かる。

日本の父や親せきにお願いして、展示会の写真を送ってもらった。
これだけのキルト歴にもかかわらず、彼女の作品は数が少ない。
というのは、彼女のグループ
50名ほどの生徒さんの作品をすべて自身の手でデザインするからである。
自分の元には作品はほとんど残らず、
生徒さんの名前で展示されている。
布に下図を描いて、そのまま切っていくので、
数知れないデザインも手元には残っていない。
母のデザインと生徒さんの手縫いによる手の力が
融合することによってできる作品群。

この作品群を見たとたん、彼女から美しい、
なんてクリエイティブなデザインだろう、
彼女はアーティストに違いないと賞賛の声が届いた。
その経歴、受賞歴など関係なく、その才能を分かってくれたのだ。


  IMG_20180502_0006.jpg
hawaiian.jpg

 IMG_20180502_0002.jpg 
想えば、私はもの心つかない幼い頃から
外国の布やキルトに囲まれて育った。
部屋にはデザイン関係の洋書があふれ、
知らず知らずのうちにアーミッシュ族のシンプルなキルト、
ウィリアムモリスのデザイン画や
レヒネル・エデンの彫刻のような建築など、
さまざまなものを吸収してきたのだと思う。
今の私があるのも、多分に母の仕事、ライフワークが影響している。

そして40の誕生日を迎えた日に、私はタイ行きのチケットを買った。
10年この土地で暮らし、
40年生きてきた自分へのご褒美にしたかった。
そして、長年夢見てきたベトナム北部の少数民族を訪ねに行く旅も想定に入れている。

母のハワイアンキルトを、タイの植物や花をモチーフにデザインしたら、
どんなものができるだろう。
この12月に母、私、娘の三人に、敬愛する「大阪の母」もいっしょに
バンコクへと旅立つ。


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comments(2)|trackback(0)|アート|2018-05-10_00:00|page top

Luiza Zanの歌声


彼女の歌声との出会いは、
まだ長女が赤ちゃんの頃だった。
娘を寝かしつける時に、旦那が偶然に動画で見つけたのだった。
低く包容力のある歌声で揺らされ、いつしか娘は眠りについていた。
ルーマニア人のジャズシンガー、Luiza Zan。
名前の響きからして、すでに美しい。

長女が生まれた年の冬、
偶然に彼女のコンサートが町のカフェであると知ったが、
娘が授乳期だったため、諦めた。

はじめてコンサートを見たのは、3年前の夏だった。
音楽好きのお客さんが来ていたので、彼女を誘って聴きに行った。
町の劇場のステージに立つ彼女は、
ハンガリー出身のジャズピアニストとアメリカ出身のトランペット奏者の間で、
いきいきと輝いていた。
英語のジャズからフランス語のシャンソン、
ルーマニア語のオリジナル楽曲まで
その時その時の楽曲に合わせて自在に変わる歌声。
彼女が、ルーマニアで最高の歌手であることは間違いない。

ルイザがこの町に住んでいるという噂を耳にしたのは、
それから1年後だった。
彼女のような人が、どうしてこんな小さな町に。
誰しもが不思議でならなかった。

知人のひとりに誘われて、長女の幼稚園を決めた。
「ルイザも娘さんを、同じグループに入れるみたいよ。」
そう聞いた時、耳を疑った。
町の劇団で女優をする彼女は、ルイザに歌を習っていた。
面白いグループになるかもしれないと期待で胸がふくらんだ。

しかし1年を過ぎても、ルイザの姿を幼稚園で見ることがなかった。
去年の冬、見慣れないルーマニア人女性が教室の前に立っているのを見たけれど、
どうも彼女とは違うようだった。
クラスメイトの男の子の誕生日会に誘われ、
そこにもそのルーマニア人女性はいた。
もしかしたらと思いながらも、話しかけることができずにいた。

今年になって、彼女から信じられないようなメッセージが届いた。
彼女の妹さんが美大学生で、かぎ編みで作品作りをしながら、
日本に興味を持っているということ、
彼女のお嬢さんが家でも娘のことばかり話しているということ。
まだ直接会って話したこともないのに、
イースター休みが来たら会う約束までしていた。

イースター休みはきたが、彼女からの誘いはこなかった。
それから、最後の日に町のカフェで会うことになった。
普段は足を踏み入れることもない、中心の広場にある華やかな場所。
ルイザと妹さんのテーブルに、
私と日本からのお客さんの刺繍作家の女性が座った。

「ここで暮らしてもう5年になるけれど、
ハンガリー語は一向にマスターできないわ。」
彼女のご主人さまはハンガリー人。
旦那と同じく、超のつく頑固もののセーケイ人。

ルイザがこの小さな町に落ち着いたのも、
5年前に彼女のライブに来たご主人さまと出会い、
やがて結婚し、次女のアビが生まれた。
家族のために、彼女はブカレストを捨てて、この町にやってきた。
音楽関係者たちは引き止めようとしたが、彼女は聞かなかった。
「それなら、ブカレストに山を作ってちょうだい。」
ブカレストを離れると、彼女の仕事のオファーは減り、
キャリアは下降した。
それでも、彼女は未だにここに住んでいる。
普段は歌手としてのオーラは消して、母親に専念している。
だから、彼女がルイザ・ザンであることに気がつかなかったのだ。

「私は、ルーマニア北西部のモルドヴァ地方と
南部のオルテニア地方のミックスなのよ。」
彼女の母親も有名なヴァイオリニストで、音楽家の家系のようだ。
「実は、私たちにはジプシーの血も流れているの。」
エキゾチックな美しさと、エモーショナルな歌声の訳が分かるような気がした。
音楽だけでなく、ニットも得意だというルイザ、
美大生でかぎ編みで作品作りをする妹さんのヨアナ、
そして写真映像を学ぶ弟さん、同じ町に暮らすお姉さんの4人兄弟。

おばあさんは仕立て屋で、洋服を作っていた。
モルドヴァの村では、毎週日曜日になると
市がたち、音楽を奏でてダンスをしていた。
ゆったりと叙情的なトランシルヴァニアの音楽とは違い、
モルドヴァのそれはスピィーディで明るいという。

おばあちゃんの手織りのカーペットが、
ピンクやブルーなど、ありとあらゆる色を取り混ぜたもので、
彼女のスタジオに飾ってあるのだが、
白を好むご主人さまには不評だという。
楽しい時間はあっという間に過ぎていった。



彼女が主催するジャズフェスティバル。
金曜日の夜に、町のパブで彼女がステージに立つという。
チケットを買おうとすると、受付の人が言った。
「あなたたちの分はいいとルイザから言われているの。」
赤いスポットライトの当たる地下室に、全身を黒でまとった彼女の姿があった。
チケットの礼をいい、どうしてと尋ねると、
「私が招待したからよ。」と当然のように答えた。

今日のバンドは、バスギターとサクソフォン。
会場に彼女の歌声が鳴り響くと、
五感が静まり、彼女の方に集中する。
ゆるやかなスロージャズもあれば、
ビートルズの曲もあり、ボサノヴァや
アップテンポのジャズまで、楽曲に合わせて彼女の声も自在に変わる。

luiza.jpg 
一番前の席には、彼女の愛する家族の姿があった。
「エヴィ、これあなた好きよね?」と愛娘に話しかけながら、
ルーマニア語のオリジナル曲が始まった。
それは、娘の大好きな曲も収められているクリスマスのアルバム。
美しいバラードのような子守唄が、やさしく響き渡る。
まるで彼女の自宅で、家族に囲まれながら聴くような
アットホームなコンサート。

いつか、彼女の言った言葉が忘れられない。
「私は、あなたたちのような探求者が好きよ。」
常に新しいものを追い求める人、
その目的のために努力を惜しまない人。
彼女こそ、まさに探求者なのだ。
40という新しい年の入口に立つ私にとって、
彼女との出会いはまさに最高のプレゼントとなった。

彼女のステージから、大好きな曲 "Like Water"

3

コンサート情報などLuiza ZanのHPはこちら







comments(0)|trackback(0)|アート|2018-04-16_16:41|page top

OSONO-トランシルヴァニアの劇団

日本語を教えている生徒からあるとき、演劇へ招待された。
それは、私たちの住む町シェプシセントジュルジにできた新しい劇団。
ファザカシュ・ミシの監督のもと、集まった少年少女たちが演じている。

タイトルは、「水がその顔を映し出すように」。
聖書からの一説を取ったものであると聞いた。
県立図書館の青い広間に小さなスタジオの観客席が作られ、黒い幕で覆われている。
目の前のステージでは、いすに腰をかけた若い少年少女たちが
時にシャンパンの入ったグラスをすすり、
役柄を演じながら時間をまっている。
暗い舞台の中に蛍光色に光るネオン、
うつろな若者たちの姿が不気味に映し出される。
こうして幕があけた。

めまぐるしく場面が移り変わる舞台には、
現在のルーマニアが抱える、
家族に関わるさまざまな社会問題が映し出されていた。
石を背負い、我が子として抱きかかえる女。
遊戯のなかに皮肉に囃し立てられた声。
人形であそぶ子どもたちは、みな寂しさを抱えている。

最後には、お父さん、お母さんの声が悲痛な合唱となって響く。
各言葉で書かれた「沈黙」のプラカードを席に置き、
演技者たちはそのまま音もなく去っていく。
そうして観客たちもそれに続いた。

演技をする者もほとんどが10代の少年少女だが、
観客のほとんども同じくらいの世代であった。
いすに腰掛けたまますすり泣く声も聞こえた。

資本主義に移行して20年が過ぎ、
EUに加盟して社会は、なおさまざまな困難に突き当たっている。
その中で精神的に取り残された何かがこの舞台の上で蔓延していた。
やがて幕が下りたとき、自分たちがどこに居るのかにはっと気づかされる。


(上演の製作風景)

この上演のフォトギャラリー

OSONOに関しては、面白いことに
宿無しのジプシー老人が暮らしていた
旧セントラルヒーティングの跡地を彼らが買い取り、スタジオを作る計画があるらしい。
2009年の冬に取材したエルヌーおじさんの映像が、
彼らのHPの中でも紹介されている。
あの場所で彼が生きていたことの小さな証として、
ひとりでも多くの人に伝えられるのは嬉しいことである。
私たちに人生を語ってくれたおじさんへの
小さな恩返しになったかもしれない。

orko 157

エルヌーおじさん人生を語る


シェプシセントジュルジの独立劇団
OSONOのHP
comments(0)|trackback(0)|アート|2011-10-23_14:43|page top

セーケイ地方の夕べ

バルトーク・ベーラは、
20世紀を代表するハンガリーの作曲家です。
19世紀末、20世紀のはじめにかけて、
ハンガリーではフォークロアの研究が盛んにされるようになると、
同時に、農村社会への憧憬が生まれるようになりました。

建築ではレヒネル・エデンやコーシュ・カーロイらが、
鮮やかな民俗モチーフをモダンな建築様式の中へ取り入れました。
工芸やグラフィックの分野でも、
当時の優美なアールヌーヴォーの流行を受けながら、
そのハンガリー農村の欠片は生き続けたのです。

一方バルトークは、音楽の世界でフォークロアを追求します。
ハンガリーのあちらこちらの村々の民謡を集め、
それをクラッシック楽曲へと融合させました。

この作品はトランシルヴァニアの夕べと訳されていますが、
原題は「セーケイ地方の夕べ」です。


(バルトーク自らのピアノ演奏)

セーケイ地方とは、カルパチア山脈の西側の地方。
バルトークの生まれた頃は、
ハンガリー帝国の東の果てでした。

ここに12世紀ごろに、
最も危険であった東の国境を警備するために
セーケイ人と呼ばれる人たちが送られてきたといわれています。
彼らは自分たちの土地を持ち、
貴族に属しない特権階級に恵まれました。
その代り、一度戦争がおこると
彼らは武器を取り国のために勇ましく戦いました。

当時はマロシュ県、ハルギタ県、ハーロムセーク県と分けられ、
それぞれの変化にとんだ環境で
誇り高いセーケイの文化が花開きました。

私の暮らすのは、ハーロムセーク県の
なだらかな平野地方ですが、
この楽曲を聴いて目に浮かぶのは、ハルギタ県の
常緑のモミの森に抱かれた山深い風景です。

バルトークの見たセーケイ地方は、
どんなにか美しいものであったか。
この旋律を耳にすると、
夕暮れの中に浮かぶセーケイの門や牛の群れ、
家路へいそぐ村人たちの姿が広がってきます。

szekelykapu1825_b.jpg


Theme:ルーマニア
Genre:海外情報

comments(2)|trackback(0)|アート|2011-04-16_16:20|page top

「太陽の子」の舞台裏

ヨーロッパの冬の娯楽のひとつに、演劇がある。
シーズンは、秋にはじまって
5月ごろには幕を閉じるというから、
今はもう後半に近づいている。

6時開演ということだが、
まだ高々と太陽が上っている頃。
緑がぐんぐんと伸び、太陽が惜しげもなく降りそそいでいる。
これから暗い劇場の中へ入ってゆくのが、
なんだか不思議な感覚だ。

シェプシ・セントジュルジの町には映画館はないが、
劇場は驚くほど多い。
人口7万人ほどの規模の町に、
国立の劇団が5つもある。
ハンガリー語の劇団には、普通の劇団とパントマイム系の劇団とがあり、
民俗舞踊団、人形劇団。そして、ルーマニア語の劇団。
ルーマニアの地理的には中心部に位置しながら、
ハンガリー人が町の過半数を占めるからである。

ダンナの友人ネメレのお陰で、
私たちは顔パス。
彼はブダペストの芸大の博士課程に属していて、
この舞台芸術を手がけている。

小さな劇場の中ほどにある
赤いベルベットの席に腰掛け、彼に尋ねる。
「 この劇の話はどんなもの?」
ロシアの作家、ゴーリキーの「太陽の子」。
世界文学に疎い、私はもちろん
彼の作品はまだ読んだことがない。

「 ロシアの19世紀末が舞台となっていて、
当時の知識人階級と農民階級の闘争。
知識人たちの力の限界や絶望・・。
それに、叶わぬ恋愛話も混ざったりして、
もちろんユーモアもあるよ。」

前方の舞台に目をやると、うっすらと暗い中に
カマクラのような洞窟のようなものが
ほのかに白く浮かびあがっている。
「 そして、この舞台は洞窟かしら?」
「 さあ、何だろうね?」
と作者は肩をすくめ、おどけて見せた。
やがて、室内は闇に包まれた。

真っ暗な闇に雑音がひびき、
青白いランプを照らしながら作業夫たちが何かを組み立てている。
その黒い影がやがて
奥へと姿を消して、舞台が明るくなった。

柔らかな素材で覆われた、
真っ白な建物。
それは、美しい曲線を描いて
白い踊り場のような空間を深くえぐり出している。
そのずっと奥には、たてに細く割れた穴。

やがて、
ある科学者をとりまく家庭問題から、
それぞれの孤独の姿がなぞられ、
物語は精神を病む若い女と求婚者の男性との
恋愛をはかなく、浮かび上がらせる。

その家庭の不協和音が
だんだんと激しく音をたて、きしみはじめると、
彼女の心はやせ衰えていく・・。

昼間の太陽がさし、ひかりがもれる様子は、
あたたかい色の光が
その細い繊維で包まれた屋根から、
かすかに零れ落ちる。
屋敷の庭の場面では、
中央奥の穴を隠すようにして、
太い白樺の幹が
天に向かって背伸びをしている。

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舞台の最後、悲劇の場面には、
ひかりを帯びた天井の円形のところが
まるで生き物のように
体をくねらせ捩じらせ、すとんと下に落ちた。

明るい光と役者たち、拍手が飛び交ったあと、
ネメレは言った。
「 これから、すぐ解体に入るんだ。
舞台裏を見においで。」

まだ演劇の後のほとぼりも覚めないうちに、
私たちは裏の方へと回った。
円形の大きな装置は、まるで
モンゴルのユルタのよう。
無数の鉄のひもが伸びて、
これがロボットのように天井部分を揺さぶっていたのだ。

鉄の階段を上ると、
巨大な建物が目下に見えた。
彫刻も専門としていただけあって、
なるほど舞台の裏までも美しい。

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やがて、あの気になる内側へ。

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ひかりの差し込む舞台の内側では、
ちょうど白樺の大木が立っているところ。

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そのふわふわとした
建物を覆っているものに触れてみると、
思ったよりも硬くてしなっている。

これは羊の毛ではなくて、
機織の縦糸に使う糸だそう。
舞台装置を作るときには、
俳優さんたちも総出で
この糸を貼りつける作業に明け暮れたという。

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あたたかく包み込むような、
それでいて繊細さをも持った空間。

A nap fiai 056

A nap fiai 058

作者ケレジ・ネメレはこれから、
6月にはパフォーマンス・アートを披露するため、
来日することになっている。

まるで子どものようにわくわくした、
満月の夜だった。



トランシルヴァニアをこころに・・・。

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*Tamasi Aron劇場のHPにて、
 「太陽の子」ギャラリー公開中です。




Theme:ルーマニア
Genre:海外情報

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