トランシルヴァニアへの扉 - Erdely kapuja-

古きよきヨーロッパの面影を残す、トランシルヴァニアへの扉をそっと開いてみませんか?

::自己紹介::

谷崎 聖子

Author:谷崎 聖子
1978年宮﨑生まれ。
大阪外大、ハンガリー語学科卒業。
ブダペスト大学で民俗学を専攻。
ルーマニア、トランシルヴァニア地方のフォークロアに惹かれて、セーケイ地方に移住、結婚。
三人の子育て中。

伝統手芸研究家。
トランシルヴァニアの文化、手しごとを広める活動をしています。主な著書「トランシルヴァニアの伝統刺繍 イーラーショシュ」、「カロタセグのきらめく伝統刺繍」。

東欧雑貨ICIRI PICIRIFOLK ART Transylvaniaのオーナー。

詳しくは、森の彼方-トランシルヴァニアへの扉をご覧ください。

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OSONO-トランシルヴァニアの劇団

日本語を教えている生徒からあるとき、演劇へ招待された。
それは、私たちの住む町シェプシセントジュルジにできた新しい劇団。
ファザカシュ・ミシの監督のもと、集まった少年少女たちが演じている。

タイトルは、「水がその顔を映し出すように」。
聖書からの一説を取ったものであると聞いた。
県立図書館の青い広間に小さなスタジオの観客席が作られ、黒い幕で覆われている。
目の前のステージでは、いすに腰をかけた若い少年少女たちが
時にシャンパンの入ったグラスをすすり、
役柄を演じながら時間をまっている。
暗い舞台の中に蛍光色に光るネオン、
うつろな若者たちの姿が不気味に映し出される。
こうして幕があけた。

めまぐるしく場面が移り変わる舞台には、
現在のルーマニアが抱える、
家族に関わるさまざまな社会問題が映し出されていた。
石を背負い、我が子として抱きかかえる女。
遊戯のなかに皮肉に囃し立てられた声。
人形であそぶ子どもたちは、みな寂しさを抱えている。

最後には、お父さん、お母さんの声が悲痛な合唱となって響く。
各言葉で書かれた「沈黙」のプラカードを席に置き、
演技者たちはそのまま音もなく去っていく。
そうして観客たちもそれに続いた。

演技をする者もほとんどが10代の少年少女だが、
観客のほとんども同じくらいの世代であった。
いすに腰掛けたまますすり泣く声も聞こえた。

資本主義に移行して20年が過ぎ、
EUに加盟して社会は、なおさまざまな困難に突き当たっている。
その中で精神的に取り残された何かがこの舞台の上で蔓延していた。
やがて幕が下りたとき、自分たちがどこに居るのかにはっと気づかされる。


(上演の製作風景)

この上演のフォトギャラリー

OSONOに関しては、面白いことに
宿無しのジプシー老人が暮らしていた
旧セントラルヒーティングの跡地を彼らが買い取り、スタジオを作る計画があるらしい。
2009年の冬に取材したエルヌーおじさんの映像が、
彼らのHPの中でも紹介されている。
あの場所で彼が生きていたことの小さな証として、
ひとりでも多くの人に伝えられるのは嬉しいことである。
私たちに人生を語ってくれたおじさんへの
小さな恩返しになったかもしれない。

orko 157

エルヌーおじさん人生を語る


シェプシセントジュルジの独立劇団
OSONOのHP
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comments(0)|trackback(0)|アート|2011-10-23_14:43|page top

セーケイ地方の夕べ

バルトーク・ベーラは、
20世紀を代表するハンガリーの作曲家です。
19世紀末、20世紀のはじめにかけて、
ハンガリーではフォークロアの研究が盛んにされるようになると、
同時に、農村社会への憧憬が生まれるようになりました。

建築ではレヒネル・エデンやコーシュ・カーロイらが、
鮮やかな民俗モチーフをモダンな建築様式の中へ取り入れました。
工芸やグラフィックの分野でも、
当時の優美なアールヌーヴォーの流行を受けながら、
そのハンガリー農村の欠片は生き続けたのです。

一方バルトークは、音楽の世界でフォークロアを追求します。
ハンガリーのあちらこちらの村々の民謡を集め、
それをクラッシック楽曲へと融合させました。

この作品はトランシルヴァニアの夕べと訳されていますが、
原題は「セーケイ地方の夕べ」です。


(バルトーク自らのピアノ演奏)

セーケイ地方とは、カルパチア山脈の西側の地方。
バルトークの生まれた頃は、
ハンガリー帝国の東の果てでした。

ここに12世紀ごろに、
最も危険であった東の国境を警備するために
セーケイ人と呼ばれる人たちが送られてきたといわれています。
彼らは自分たちの土地を持ち、
貴族に属しない特権階級に恵まれました。
その代り、一度戦争がおこると
彼らは武器を取り国のために勇ましく戦いました。

当時はマロシュ県、ハルギタ県、ハーロムセーク県と分けられ、
それぞれの変化にとんだ環境で
誇り高いセーケイの文化が花開きました。

私の暮らすのは、ハーロムセーク県の
なだらかな平野地方ですが、
この楽曲を聴いて目に浮かぶのは、ハルギタ県の
常緑のモミの森に抱かれた山深い風景です。

バルトークの見たセーケイ地方は、
どんなにか美しいものであったか。
この旋律を耳にすると、
夕暮れの中に浮かぶセーケイの門や牛の群れ、
家路へいそぐ村人たちの姿が広がってきます。

szekelykapu1825_b.jpg


Theme:ルーマニア
Genre:海外情報

comments(2)|trackback(0)|アート|2011-04-16_16:20|page top

「太陽の子」の舞台裏

ヨーロッパの冬の娯楽のひとつに、演劇がある。
シーズンは、秋にはじまって
5月ごろには幕を閉じるというから、
今はもう後半に近づいている。

6時開演ということだが、
まだ高々と太陽が上っている頃。
緑がぐんぐんと伸び、太陽が惜しげもなく降りそそいでいる。
これから暗い劇場の中へ入ってゆくのが、
なんだか不思議な感覚だ。

シェプシ・セントジュルジの町には映画館はないが、
劇場は驚くほど多い。
人口7万人ほどの規模の町に、
国立の劇団が5つもある。
ハンガリー語の劇団には、普通の劇団とパントマイム系の劇団とがあり、
民俗舞踊団、人形劇団。そして、ルーマニア語の劇団。
ルーマニアの地理的には中心部に位置しながら、
ハンガリー人が町の過半数を占めるからである。

ダンナの友人ネメレのお陰で、
私たちは顔パス。
彼はブダペストの芸大の博士課程に属していて、
この舞台芸術を手がけている。

小さな劇場の中ほどにある
赤いベルベットの席に腰掛け、彼に尋ねる。
「 この劇の話はどんなもの?」
ロシアの作家、ゴーリキーの「太陽の子」。
世界文学に疎い、私はもちろん
彼の作品はまだ読んだことがない。

「 ロシアの19世紀末が舞台となっていて、
当時の知識人階級と農民階級の闘争。
知識人たちの力の限界や絶望・・。
それに、叶わぬ恋愛話も混ざったりして、
もちろんユーモアもあるよ。」

前方の舞台に目をやると、うっすらと暗い中に
カマクラのような洞窟のようなものが
ほのかに白く浮かびあがっている。
「 そして、この舞台は洞窟かしら?」
「 さあ、何だろうね?」
と作者は肩をすくめ、おどけて見せた。
やがて、室内は闇に包まれた。

真っ暗な闇に雑音がひびき、
青白いランプを照らしながら作業夫たちが何かを組み立てている。
その黒い影がやがて
奥へと姿を消して、舞台が明るくなった。

柔らかな素材で覆われた、
真っ白な建物。
それは、美しい曲線を描いて
白い踊り場のような空間を深くえぐり出している。
そのずっと奥には、たてに細く割れた穴。

やがて、
ある科学者をとりまく家庭問題から、
それぞれの孤独の姿がなぞられ、
物語は精神を病む若い女と求婚者の男性との
恋愛をはかなく、浮かび上がらせる。

その家庭の不協和音が
だんだんと激しく音をたて、きしみはじめると、
彼女の心はやせ衰えていく・・。

昼間の太陽がさし、ひかりがもれる様子は、
あたたかい色の光が
その細い繊維で包まれた屋根から、
かすかに零れ落ちる。
屋敷の庭の場面では、
中央奥の穴を隠すようにして、
太い白樺の幹が
天に向かって背伸びをしている。

napfiai.jpg

舞台の最後、悲劇の場面には、
ひかりを帯びた天井の円形のところが
まるで生き物のように
体をくねらせ捩じらせ、すとんと下に落ちた。

明るい光と役者たち、拍手が飛び交ったあと、
ネメレは言った。
「 これから、すぐ解体に入るんだ。
舞台裏を見においで。」

まだ演劇の後のほとぼりも覚めないうちに、
私たちは裏の方へと回った。
円形の大きな装置は、まるで
モンゴルのユルタのよう。
無数の鉄のひもが伸びて、
これがロボットのように天井部分を揺さぶっていたのだ。

鉄の階段を上ると、
巨大な建物が目下に見えた。
彫刻も専門としていただけあって、
なるほど舞台の裏までも美しい。

A nap fiai 012

やがて、あの気になる内側へ。

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ひかりの差し込む舞台の内側では、
ちょうど白樺の大木が立っているところ。

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そのふわふわとした
建物を覆っているものに触れてみると、
思ったよりも硬くてしなっている。

これは羊の毛ではなくて、
機織の縦糸に使う糸だそう。
舞台装置を作るときには、
俳優さんたちも総出で
この糸を貼りつける作業に明け暮れたという。

A nap fiai 046

あたたかく包み込むような、
それでいて繊細さをも持った空間。

A nap fiai 056

A nap fiai 058

作者ケレジ・ネメレはこれから、
6月にはパフォーマンス・アートを披露するため、
来日することになっている。

まるで子どものようにわくわくした、
満月の夜だった。



トランシルヴァニアをこころに・・・。

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*Tamasi Aron劇場のHPにて、
 「太陽の子」ギャラリー公開中です。




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comments(0)|trackback(0)|アート|2010-04-29_06:32|page top

銅に描く絵


ダンナの高校時代の友人の家へ招かれた。
一月後半、
思いのほか暖かい時期が続いていたのが、
また雪が地面を白く覆いはじめた。

その日もまだ雪が残る、土曜日。
ペーテル夫妻の車で、
ブラショフの隣り町サチェレへと向かった。
ハンガリー語では、ヘートファル(7つの村)と呼ばれる。

ブラショフからブカレスト方面へぬける
国道沿いを行くと、もうそこはカルパチア山脈の入り口。
その山沿いにあるのが、サチェレである。
針葉樹が雪で真っ白く、
その形をあらわにしていた。
美しい雪景色に、思わずため息をつく。

その町の面白いところは、
細長いということ。
町の中央を背骨のように伸びる道に沿って、
家がくっつくように並んでいる。
歩道なんて、すれ違うのがやっとというほど狭い。
その小さな本道を、大型トラックなども行くのだから
住む人はどんな思いだろう。

私たちは目を凝らしながら、
その長くくねった道を先へ先へと進む。
ブラショフ周辺はもともと、
ザクセン人と呼ばれるドイツ系の住民が
多くすんでいたから、
この町も自然とドイツ系に習った造りになった。
家の屋根ほどもある高い門、
そして広場を中心とした構造などがそうである。

なんとか見過ごすことなく、友人宅を発見。
あたたかい室内に入って、ほっと一息つく。
カティも、赤ちゃんの服を脱がせる。
「 赤ちゃんには、そんなに厚着させなくていいって言うけど・・
  それでも心配でついつい着せちゃうのよね。」
  
hetfalu 002

最近は「妹がほしい。」などと口にするようになった割には、
あまりの小ささにどうしていいか分からず、
戸惑ったようすの息子。

hetfalu 001

今日ここへ来たのは、
アクセサリー作家のカティが
銅の彫刻の仕方を学ぶためでもある。
友人のお父さんは、
共産主義時代に工芸で身を立てていたという。
早速、道具を持ってきてくれた。

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木彫りの彫刻刀とは違って、
面白い形をした道具。

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厚さ5mmほどの銅の板を、
先の丸い道具で強く押して表面を膨らませる。
それから板を裏に返して、
膨らんだ部分の周りを彫って
さらに模様を引き立たせる。
そうして出来た作品がこちら。

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それから練習が始まった。
けっこう力が要るようだ。
見るには簡単そうだが、やってみると難しいらしい。

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共産主義時代には、
ブラショフに大きな銅の工場があって、
さまざまな製品を作っていたようだ。
可愛い花のモチーフや、ボタン、硬貨のようなモチーフ、
ブラショフの町の紋章まである。

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こちらはカティの作ったペンダントトップ。
銅に絵を描いて、七宝焼きにする。
うまく新しいテクニックをものにしたら、
どんな作品が出来るか楽しみだ。

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ペーテルおじさんにお願いをして、
昔の作品を見せていただく。
二階の大広間に通されると、
そこは銅や鉄の細工でいっぱい。
中にゴブラン刺繍を入れて、
こんなペンダントも。

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たった二日で作り上げたという
大きなタペストリー。
あの小さな道具だけで、
こんな立体感が出せるなんて驚いてしまう。

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去年作ったばかりだという作品は、
キリストとマリアがテーマになっているという。

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手前が石膏でつくたもの。
今は仕事ではないので、
ご自分の趣味で続けていらっしゃるそうだ。

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先ほど見せてもらった、
小さなモチーフはグラスに取り付けられる。
木の切り株に王冠がかぶっている絵は、
ブラショフの町の紋章。
昔、木の切り株から王冠が見つかったという伝説に基づいている。
ちなみにブラショフとはスラブ系の言葉が発祥のようで、
ドイツ語ではクロンシュタット(王冠の町)と呼ぶそうだ。

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私のお気に入りは、
このタバコの灰皿と女体のパイプ。
精巧に彫られた木のパイプは、
日本の根付を想わせる。

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応接間を見せていただいて、
階段を下る途中、こんなものを目にした。
7つの村に伝わる民族衣装の一部、
ベルトである。

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年代を経た独特の味が、
その渋い輝きの中ににじみ出ている。
これもドイツ系の文化から伝わったものである。

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ここ7つの村で、金属の造形の美は、
しっかりとその子孫にも受け継がれてきたのだろう。
90年代以降は、銅を作る工場も閉鎖され、
こうした手工芸に携わる人も
今ではほとんどいなくなってしまった。

ここトランシルヴァニアでは、
激動の20世紀で
これまで続いてきた伝統が途絶えてしまった。
中世から続いてきた工房や
貴族文化、学術的なことまで・・・・

そうした古いもの、
先祖が培ってきた知恵や技術を
さらに掘り返していけば、
彼らの進むべき道がはっきりと見えてくるかもしれない。



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Theme:ルーマニア
Genre:海外情報

comments(2)|trackback(0)|アート|2009-02-02_05:15|page top

アール・ヌーヴォーの宮殿へ

その旅行計画は、いつものように
降って湧いたものだった。

夜行列車で300kmほど離れた町、
トゥルグ・ムレシュ(ハンガリー名 マロシュ・ヴァーシャールヘイ)まで
行くことになった。
その旅行の発端は、とあるインターネットの広告であった。

ピカピカと黒光りした鉄のボディに、
黄金色の唐草模様の入ったヴィンテージ・ミシン。
それは、旧ソビエト時代に作られたもの。
このミシンを求めに、わざわざ親子3人で
はるばる旅行をすることになった。

夜行列車はカルパチア山脈を北西に伝って走り、
トゥルグ・ムレシュに到着したのは朝8時前。
まだ朝日の昇らない町の中を
歩き始めた。

トゥルグ・ムレシュは、ハンガリー系、ルーマニア系の
住民比が約半々の町である。
それだけに民族間の確執もあるようで、
90年代初めには両住民の衝突もあったといわれる・・・。

屋根がふっくらと円形になった、
エキゾチックな雰囲気の建物が見えてきた。
ユダヤの教会シナゴーク。

maros.jpg

そう忘れてはいけない、
かつてはユダヤ人も多く住んでいた。
トランシルヴァニアのユダヤ教会には
まだ一度も入ったためしがない。
残念ながら、その扉も閉ざされていた。

朝もやの中を路上で軽く朝食を済ませ、
まずはミシンの持ち主の家を訪ねた。
ミシンは思ったとおりのずっしりとしたもので、
状態もよかったので直ぐに購入。

ミシンの後は、町の散策に出かける。
トゥルグ・ムレシュの町を歩いていると、
孔雀の羽をあしらった門や、
チューリップを様式化した壁面の飾りなど・・・
いかにアール・ヌーヴォー建築が多いかに驚かされる。
通りには、中世からの石畳も見られる。

私たちが世紀転換期の世界に浸っていると、
ギラギラと目新しいブティックの列、
そして社会主義時代の巨大なモニュメントがドンと現れ、
思わず苦笑してしまう。

やがて最大の目的である文化会館が見えてきた。
20世紀はじめに建てられた劇場+コンサートホール。
20世紀ハンガリー芸術の金字塔・・・と私は呼びたい。

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ちなみに隣は警察である。
まさか警察のためにこんな美しい建物が計画されたなんて
考えにくいし、元々は何に使われていたのだろう。
フォークアートのチューリップを模った、
セラミックがキラキラと輝いていた。

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ルーマニア語、ハンガリー語で書かれた
「文化会館」の文字の下には、
モザイク画が見られる。
HUNGARIAの玉座に座るのは
擬人化されたハンガリーそのものだという。

maros10.jpg

別の壁には、
民俗衣装を着て機織りをしているような、
糸を紡いでいるような女たちの姿。
楽器を弾いているようにも見える。

BETHREHEM 015

入り口の扉の鉄格子も、
まるで孔雀のようなハートが渦を巻いている。
西欧に端を発したアール・ヌーヴォーも、
東欧にまで伝わると
今度は土着のフォークロアと結びついた。
ハンガリーでは、これを「ハンガリー様式」と呼ぶ。

BETHREHEM 018

入り口まで来てみて、愕然とする。
張り紙には、月曜休館の文字。
あっと声を上げる。
「ちゃんと調べてくるんだった・・・。」

この建物の一階は、ツーリスト・インフォメーションになっている。
私たちは帰りの汽車を調べようと中に入った。
事務員がテキパキと、時刻表を書き取っている間に
ダンナが文化会館へ入れるかどうかを尋ねてくれた。
「 一階だけなら入れると思います。
 こちらへどうぞ。」と思いがけない返事。

私は、半分夢心地で中へと足を踏み入れた。
中へ入って、思わずあっと声が出る。

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自分の体が、そのままタイムスリップしてしまった感じ。
これまでアール・ヌーヴォーを外から眺め、
感じることは多かったが、
360度全てがこの世界・・・・
まるで鳥肌の立つような、
不思議なパワーを感じる。
これだけ密集しても、
これだけさまざまな要素が入り混じっていても
何の違和感もなくまとまっている。
まさに装飾の力なのだ。

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正面へ進むと、
天使の像にはさまれた碑が見られる。
ハプスブルク帝国の皇帝ヨセフ・フェレンツによって建てられた
この文化施設への寄付したものの名前が挙げられている。
公爵や実業家、弁護士、医者・・・・。
社会主義時代には、この碑は取り除かれたままで、
ここ最近やっと元の場所に取り付けられたそうだ。

BETHREHEM 029

正面と、劇場入り口をはさんで両脇には
クルシフーイ・クリーシュ・アラダールによる
フレスコ画が見られる。
幻想的で透明感にあふれた色彩、
物語や伝説をテーマにした
ドラマチックな光景に思わず息を呑む。

ハンガリーのキリスト教受容するまえの、
シャーマンを中心とした信仰世界。

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画家がこよなく愛した、
トランシルヴァニアのカロタセグ地方の民族衣装。

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BETHREHEM 046

中へと招かれて、劇場も見学。
うすいブルーの壁に黄金色の装飾が、
夜明け前にまたたく星のよう。

よくよく見てみると、
それは星ではない。
ハンガリーのフォークロアに見られる
鉢から体をくねらせて伸びたチューリップ。

どうして、ここまでフォークロアに執着したのだろう?
農村に生きる人たちの芸術が、
ただナイーブで新鮮だ・・・というだけではなく、
自分たちのかけがえのないルーツであると信じていた、
その思いが伝わってくるようである。

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さて見学もそろそろ終わり・・・というところで、
上への階段がふと目に留まった。
思わず興奮して、上へと足がのびてゆく。
なんて斬新な花模様!

BETHREHEM 040

これまでの具象的で、繊細な植物もようとは打って変わって、
マットなエメラルドグリーンと、黒、カラフルな配色。
黒地にベネチアン・グラスをちりばめたよう。
アール・デコがここには到来したかのようだ。

奥に見られるのは
ハンガリーを代表する作曲家、フェレンツ・リストを模った
ステンドグラス。

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このようにして、
文化会館・・・
アール・ヌーヴォーの宮殿の見学は終わった。
この二階には、最大の見所である「鏡の間」が控えていたが、
今回は仕方がなく見送ることにした。

ハンガリーの美術、工芸、建築・・・
あらゆる美と技術の結晶。
それに劇場の中のパイプオルガンは、
当時の世界最高レベルのものであるという。

どうして、トランシルヴァニアの中規模の町に
こんな大々的な建築物があったか・・・
それは、マロシュ・ヴァーシャルヘイ(現在の、トゥルグ・ムレシュ)の
市長の力によるところだという。

そして残念なことに、
鏡の間にあるステンドグラスのシリーズは、
国際博覧会へ出品する予定であったのが、
第一次大戦が始まったために、
世界の陽の目を浴びる機会を失ってしまったということだ。

それ以降、
アール・ヌーヴォーの流行が去るのと同時に、
ハンガリーの工芸は衰退していってしまった。

やがてトゥルグ・ムレシュを電車が離れ、
山を越えて待っていたのは
一面の雪景色だった。

BETHREHEM 063


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*旧ソビエト製ヴィンテージ・ミシンについては、
 もうひとつのブログで。

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