トランシルヴァニアへの扉 - Erdely kapuja-

古きよきヨーロッパの面影を残す、トランシルヴァニアへの扉をそっと開いてみませんか?

::自己紹介::

谷崎 聖子

Author:谷崎 聖子
1978年宮﨑生まれ。
大阪外大、ハンガリー語学科卒業。
ブダペスト大学で民俗学を専攻。
ルーマニア、トランシルヴァニア地方のフォークロアに惹かれて、セーケイ地方に移住、結婚。
三人の子育て中。

伝統手芸研究家。
トランシルヴァニアの文化、手しごとを広める活動をしています。主な著書「トランシルヴァニアの伝統刺繍 イーラーショシュ」、「カロタセグのきらめく伝統刺繍」。

東欧雑貨ICIRI PICIRIFOLK ART Transylvaniaのオーナー。

詳しくは、森の彼方-トランシルヴァニアへの扉をご覧ください。

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カロタセグ、空色の教会

1月のある日、
私たちはカロタセグ上地方の村を訪れた。
村の中心にある、教会の中へと入る。
真っ白な壁に、まるで青空のようなブルーが鮮やか。
壁にはドロンワークのタペストリー、
その白が清々しい。


kektemplom (8) 

カルバン派教会に描かれているのは、
キリストでも聖人でもなく、素朴な植物模様だけ。
まるで村の民家にいるような、温かさを与えている。


kektemplom (5) 

天井から下がるのは、村人たちが麦の穂でつくったシャンデリア。
つり鐘の形をしている。


kektemplom (1) 

「天井を見てごらん。」とささやき声がする。
あの鮮やかな空色で囲まれた中に、
さまざまな物語が浮かんでいるでしょう。
四季折々の植物に、太陽に月、そして星たち、
知恵の実を守る蛇に、海の神さまポセイドン。


kektemplom (7) 

「あの2つの頭をもつ鳥はなに?」
あれは、オーストリア・ハプスブルクの紋章にもあるシンボル。
「双頭の鷹」と言われるもの。
それに、夏にやってくるコウノトリだっている。


kektemplom (6) 

教会の入口には、花びんから花が伸びるモチーフが描かれている。
刺繍にだって同じものが見られるでしょう。


kektemplom.jpg 

これは、牧師さんがお説教するときに上がる台。
ここで話をするつかの間は、この教会の王様になるんだ。
その証拠に、台の上に王冠がかぶさっている。
ここにもカロタセグならではのモチーフが見られるでしょう。


kektemplom (2) 

教会のブルーのように、澄んだ青色の瞳をもつ、
鍵番のおじいさんがこう言った。
「パイプオルガンを弾いてあげよう。」


kektemplom (3) 

おじいさんは、軽々と古い木の階段を登っていく。
「これは、古いオルガンだからね。
空気を送ってあげないといけない。」
旦那が木製のペダルを押している間、
おじいさんは厳かにオルガンを奏ではじめた。
その音は、太くてやさしく、
天から降りそそいできた。
冷たく静かな教会に、温かく染み入るような音色。

83歳のアンドラーシュおじさんは、
日曜日がくるたびに、こうして清らかな音階を奏でつづけている。


kektemplom (4) 

正面から見たところ。

 

そして、横から見たところ。

 

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comments(2)|trackback(0)|カロタセグ地方の村|2018-03-18_00:00|page top

トロツコーの刺繍を学びに

今から二年前の秋だった。 
トロツコーを訪ねようと思い立って、 雨のふる夕方にひと晩の宿を求めた。 
その翌日に、トロツコーの刺繍を学ぼうと人を探し、
やっと探し当てたのがイロナおばあさんだった。

大きな枠を使って縫う刺繍。
セークのアウトラインステッチにも似ているようだが、
どちらかというとサテンステッチに近い。
次の年の謝肉祭に学びに来たいと行って別れたのだが、
結局、来ることができなかった。

こうして、ついにイロナおばあさんの家で刺繍をすることになった。
私が持参したのは、通常の小さな丸い枠。
「それだと両手が空かないから、やりにくいわ。
私のをご覧なさい。」
おばあさんの愛用する刺繍枠は、
まるで画家のキャンバスのように大きくもできるし、
細長くもできる調節可能な木枠。
確かにこれなら、持ち運びもしやすい。

  torockoi farsang (6) 
イーラーショシュのような幅の広いラインを、
斜め方向に向かって輪郭を埋めていく。
円や入り組んだ曲線をこの技法で埋めていくのはなかなか難しい。
上から下、下で受けて上へ針を入れるのはセークと同じやり方だ。

トロツコーの刺繍に興味を持ったのは、刺繍のあるブラウスが始まりだった。
カロタセグの刺繍ブラウスに似たモチーフが見られ、
それでも技法が全く違うのに興味惹かれた。
初心者には適しない、モチーフの密集した古い図案をあえて選んだのだった。

おばさんが別室から、古い刺繍のコレクションを見せてくれた。
らせん模様の中に植物モチーフが入り込んだ図案。
この構造はルネサンス美術の名残とも言われ、
トランシルヴァニアの各地の刺繍図案に残っている。
カロタセグでは「刀」と呼ばれ、
トロツコーでは「蛇」と呼ばれるが、
呼び名はともかく起源は同じである。


torockoi farsang (4) 

こちらは紺色の糸で刺繍してある。
カロタセグでも、19世紀半ば頃までは紺色で刺繍したと言われている。
こちらは図案も、古いイーラーショシュに似ているようだ。


torockoi farsang (7) 

今度は上着を来て、暖房のない別室に通された。
おばあさんが初めて作った刺繍作品を見せてもらった。
初めてに取り掛かるにしては、大作のベッドカバー。
3枚の手織り布がつなげてある。


torockoi farsang (8) 

イニシャルと1965年の年号が刻まれた、中央部分。
今から50年以上も昔の作品なのに、鮮やかな赤は色褪せない。
大きな花の華やかさと、茎の細さの繊細さがトロツコーの刺繍の特徴だろう。


torockoi farsang (10)


 こちらは、おばあさんが刺繍を習ったおばあさんから受け継いだ図案。
トロツコーでは目を数えるクロスステッチ刺繍に対して、
図案を布に直接描く刺繍があり、それを「枠刺繍」と呼ぶ。


torockoi farsang (9) 

こちらがクロスステッチ刺繍。
もちろんトランシルヴァニアでは、
普通のクロスではなく、編みクロスステッチが一般的である。
衣装からベッドカバー、枕カバーまで幅広く使われていた技法。


torockoi farsang (11) 
二年越しの願いがついに叶った。
いつかは、憧れのトロツコーのブラウスを作ってみたい。


comments(0)|trackback(0)|セーケイ地方の村|2018-03-13_00:00|page top

針金細工のボクレータを学びに

セーケイ地方から北西へと車を走らせること、6時間。

カロタセグ地方の土を踏むのは、この春に訪れて以来のことだった。

夏と秋のはざま、9月の二週目が過ぎようとしていた。

それは、人々が長い夏を終えて、

平常の仕事ペースに戻ろうとゆるゆると重い腰を上げる頃。

新学期がはじまる、ちょうど前の週末だった。

 

長い夏の大半を日本で過ごしたため、休息とたまった仕事に費やしたこの8月。

すぐに次の旅へと気持ちを移すことができなかった。

しかし、どのように悔いても時間だけは元に戻らない。

 

秋のはじめは、まるで大波のように暑さと肌寒さが

代わるがわるに押し寄せてくる。

夜が更ける頃、ナーダシュ地方のエルジおばさんの家に到着すると、

石造りの家の中も外と変わらず身震いをする冷え込みだった。

張りのある大きな声と、がっちりした大きな体に肩を抱かれて、

長い旅の終わりを感じていた。

一人だけ連れてきた末っ子の瑞生は、

座りっぱなしの体をようやく伸ばして、おそるおそる家の中を探索しはじめた。

おばあさんは、この冬を越すための、荷馬車いっぱいの薪を買い込んだところだという。

そして、ここカロタセグでは薪用の丸太も年々値上がりが激しく、

大変な出費だとのことだった。

自家製のプルーンジャム入のロールパンはふわふわで、

やさしい味が旅の疲れもほぐしてくれるようだ。


 kalotaszeg osz (12)


長旅の疲れと温かい布団のお蔭で、ゆっくりと休んだ。

退院して二週間になるカティおばあさんを見舞ってから、

次なる目的地へと車を走らせた。

 

kalotaseg osz (6) 


今回は、ビーズの針金細工を習得するのがもうひとつの目的。

カロタセグのナーダシュ川流域の村では、

大都市クルージ・ナポカに近いため、流行の素材が手に入りやすかった。

そのため、色とりどりのビーズを散りばめた装身具を作り、

とりわけ華やかな衣装に身を固めるようになった。

針にビーズを通して刺繍をするビーズ刺繍の他に、

昔は針金にビーズを通してモチーフを作る、針金細工の帽子飾りを作っていた。


 kalotszeg osz 


面白いことに、同じカロタセグでも地方によって美意識が大いに異なる。

ナーダシュ流域ではきらめくビーズをふんだんに使うことにこの上なく誇りを持っており、

上下地方では、昔ながらの刺繍に磨きをかけ、統一感のある配色をもつ

自身の衣装こそが本物だと主張する。

はじめは、私も刺繍こそが美しく、ビーズは玩具のようなものと思っていた。

民俗学的にも、刺繍の本は山ほどあるが、ビーズを扱ったものは一つもない。

そんな先入観を大きく変えてくれたのは、カティおばあちゃんの手がけるボクレータであり、

古くにチェコから仕入れたビーズを使ったさまざまな装身具だった。

とりわけ磁器のように白の濃い目の細やかなビーズが、年代を経て塵や埃を吸い、

さながら影のように黒ずんだ表情が美しい。

 

山手にある村、イナクテルケ。

周辺の村の中でも、最も衣装が華やかだと言われている。

数年前に知り合ったカティおばさんを探すことにした。

一人息子が牧師をしているというおばさんは、穏やかでどこか知性を感じさせる話し方をする方。

針金細工を教えてほしいというと、快く受け入れてくれた。

「そう私の小さい頃にはね、丸いビーズが揺れる長いモチーフを3本作って、

バラをその間に埋めた飾りをつけていたのよ。踊ると針金飾りが揺れるので、

「レズグー(揺れる)」と呼んでいたわ。」

思い出し思い出ししながら、針金にビーズをくぐらせてねじる。


 kalotaseg osz (2) 


手仕事を片手に、村のおばあさんたちとおしゃべりするのも楽しい。

相手の顔を見ずしも、手仕事という共通点から、さらに相手との距離が近づく気がする。

「子供たちよ、昔この家の横で夏になるとフォークダンスのキャンプが開かれて、

ハンガリーからたくさんの人がきたわ。

その先生の一人娘がね、まだあの頃は8歳くらいだったかしら。

うちの家畜たちが好きで、よく見に来ていたの。そして、ある時こういったわ。

『おばさん、牛はどうなったの?』ちょうど主人がなくなったあとで、

私は女手ひとつで養っていく自信がなかったから、すべて売ってしまったところだった。

忘れもしない、その子は私の目をまっすぐ見ながらこういったわ。

『可哀想なおばさん。貧しくなってしまったわね。』

その子のいう通りだった。今、店で買う牛乳やサワークリームは、

自家製のものとは似ても似つかない代物。もう、あんな味は手に入らないのよ。」

現在は、村には一頭の牛もいないという。


 kalotaseg osz (3) 


「さあ、今度はあなたがやってみて。」とバトンタッチ。

時にビーズをほどくこともあったが、小さなバラのモチーフが出来上がった。

細くしなやかな工芸用の針金は、現地では手に入らないという。

「わたしもひとつ注文したいわ。孫に昔ながらの針金ボクレータを作りたいの。」

とカティおばさん。

物づくりの上で大切なものは素材。

素材がないために、姿を消してしまった美しい品々はたくさんある。

もしかしたら、もう一度古い針金細工ボクレータが復活するかもしれない。

淡い期待に胸を弾ませながら、夕暮れどきの道をエルジおばさんの待つ家へと車を急がせた。




comments(2)|trackback(0)|カロタセグ地方の村|2017-10-10_20:22|page top

バルツァシャーグの死者の日

11月1日、
夏時間が冬時間へと切り替わるころ、トランシルヴァニアにお盆がやってくる。
町の至るところで、色とりどりの菊の花やロウソクが並ぶようになる。
私たちはセーケイ地方を離れて、
ブラショフ県にあるバルツァシャーグの村を訪ねるのが習わしである。

知人はおろか親戚もなく、
かろうじて舅の墓だけが私たちを繋いでいた村。
昨年のちょうどこの日に、腹違いの兄と偶然出くわしてから、
すこしずつ何かが変わっていった。

その時の旦那の思いつきで、
この村の教会で3人の子供たちを洗礼する運びになった。
そして、今年のお盆にも旦那は兄を誘って一緒に村へ向かった。

IMG_2112_201611231320466ec.jpg 

20以上も年の差がある兄弟が、
こうして一緒に墓参りをしてくれようとは天の父親も思っていなかっただろう。
両親が村出身のアンドラーシュは、
出会う人たちと親しげに会話を交わしている。
しらふである姿をほとんど見たことのない兄は、
いつも陽気で男気のある人柄。
ほとんど正反対といっていい兄に会うたびに、
会うことのなかった舅の姿を見るような気がしている。


IMG_2128.jpg 

ふたつの墓標が並ぶ。
ひとつは旦那の祖父のもので、
もうひとつは父親のものである。
私たちが学生だったその昔、
墓地のはずれにはまだいくつもの木の墓標があった。
時代の流れとともに、
村のジプシーたちが薪のために盗んでいき、
とうとうこのふたつの墓だけが残った。

 IMG_2126.jpg 

魔除けとも太陽のシンボルとも言われる、ロゼッタが彫られている。


IMG_2121.jpg 

アンドラーシュも年をとったのか、
ふたりの息子に子供が恵まれないせいか、
甲斐甲斐しく子供たちの世話をしてくれる。
私たちがこうしてこの世に生を受けたこと、
偶然でもなく、血の交わりを受けたということ。
見えないご先祖さまに感謝することを、
子どもたちにも知ってほしい。


IMG_2135.jpg


それから、墓地のはずれにあるお祖母さんの墓を探し、
アンドラーシュの母方のご先祖も参った。
ぼうぼうと草の生い茂ったその墓は、無縁墓のように寂しく見えた。
「子孫として恥ずかしいことだが、
俺のほかには誰も参る者もいないんだ。」
そう言って、ロウソクに火をつけた。

「わたし、アンドラーシュが好きよ。」
娘が唐突にいった。
「何だって、聞こえないなあ。もう一度言ってくれ。」
と大声で兄がうながす。


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太陽がその日最後の力を振りしぼって、
赤赤と身を燃やしていく。
目に見えない大切な何かを感じながら、
私たちは舅の眠る村を後にした。


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comments(2)|trackback(0)|バルツァシャーグの村|2016-12-29_15:32|page top

アーラパタクのピロシュカおばあちゃん

久しぶりにアーラパタクを訪ねてみよう。

そう思い立ったのは、日本からのお客さまと話したときだった。

初対面の彼女は、仕事をやめ、
刺繍を学ぶためにハンガリーに移住したという。
数年前に放映された番組「世界の果ての日本人」を偶然に目にし、
トランシルヴァニアのおばあさんたちとの触れ合いに感激したと話してくれた。
彼女も同じように、日本の病院で患者のおばあさんたちと
手芸による触れ合いをしていたのだった。


古民家の庭で昼食をとったあと、車を走らせて森を越えていく。
村の中心には、会い変わらずジプシーの子どもたちが大勢たむろしている。
おばあさん宅の門には呼び鈴もないので、
垣根越しに叫ぶしかない。
「ピロシュカおばあさーん!」
大声を張り上げると、それに呼応して
家の犬がわんわんと吠える。
それを何度か繰り返した後、裏の畑からゆっくりとおばあさんが出てきた。
80歳を過ぎたおばあさんが一人暮らしをしている。
元気だろうか、病気をしていないだろうかと、
いつも不安を抱きながら訪ねている。
おばあさんは、数年ぶりの来客を喜んで迎えてくれた。
日本からの来客を紹介すると、おばあさんの部屋へと案内してくれる。


  piroskaneni (4) 

アーラパタク、今から100年前は美しく、刺繍で有名な村だった。
女性たちの手掛けた、赤い編みクロスステッチは、
世界をかけぬけ、1900年のパリ万博では金賞を受賞したという。
時代は変わり、トランシルヴァニアがハンガリーから引き裂かれると
人々はもう、その赤い刺繍のことをすっかり忘れ去ってしまった。
70~80年代になると、村の女教師が村の刺繍を集めて、図案集を出版した。
それから、また別の女性が村の女性たちに刺繍をさせて、
ルーマニア各地の展示会へと運んだ。
それからは、時が止まったように静かになった。
代わりに、村にはジプシーが移住をはじめてきて、
ハンガリー人もルーマニア人も次々と村を去っていった。
ただ、エメラルドグリーンの壁にかけられた赤い刺繍だけが、昔のままだ。


piroskaneni (5) 

右には父親、左には母親の写真がかけてある。
ピロシュカおばあさんを見守っているかのようだ。
小さいころに父親を亡くしたおばあさんは、
母親ひとりで育てられ、貧しい少女時代を送った。
嫁入り道具も、すべて自分一人で作らなければならなかったという。
子供に恵まれなかったおばあさん、
部屋の中を少女時代の思い出でいっぱいにしている。



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娘が腰かけて遊んでいた、可愛い椅子。
尋ねると、幼いころクリスチャンファザーから贈ってもらったという。
おばあさんの居間で、なんと70年以上もいっしょに過ごしてきたというのだ。



piroskaneni (8) 


椅子の裏には、こんな文字が書いてある。
「セーケイ・ピロシュカ
1939年、12月25日
クリスマスの天使より」



piroskaneni (7) 

刺繍を学びたいという彼女のために、
おばあさんは部屋から布と針、糸を出してきてくれた。
小さな目を数えながら、針で赤いクロスを作り、
編むこむようにして列ができていく。



 piroskaneni (10)


その手の動きに見とれている内に、赤い花がひとつ出来上がった。
「さあ、あなたもしてみて。」
おばあさんは、その布を彼女に手渡した。



piroskaneni (1) 


ピロシュカおばあさんが、
帰り際に古い枕カバーを譲ってくれた。
2010年に町の博物館で、アーラパタクの展示会を開いてから、
6年が過ぎようとしている。
村のハンガリー人女性の数も減り、壁からはひとつ、
またひとつと赤い刺繍が取り外されていく。
「次来るときにはまた、刺繍を持っておいで。」
ピロシュカおばあさんが笑顔で手を振った。
大切に箪笥の中にしまってあったのだろう。



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comments(4)|trackback(0)|セーケイ地方の村|2016-11-17_13:02|page top