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トランシルヴァニアへの扉 - Erdely kapuja-

古きよきヨーロッパの面影を残す、トランシルヴァニアへの扉をそっと開いてみませんか?

::自己紹介::

谷崎 聖子

Author:谷崎 聖子
1978年宮﨑生まれ。
大阪外大、ハンガリー語学科卒業。
ブダペスト大学で民俗学を専攻。
ルーマニア、トランシルヴァニア地方のフォークロアに惹かれて、セーケイ地方に移住、結婚。
三人の子育て中。

伝統手芸研究家。
トランシルヴァニアの文化、手しごとを広める活動をしています。主な著書「トランシルヴァニアの伝統刺繍 イーラーショシュ」、「カロタセグのきらめく伝統刺繍」。

東欧雑貨ICIRI PICIRIFOLK ART Transylvaniaのオーナー。

詳しくは、森の彼方-トランシルヴァニアへの扉をご覧ください。

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ブログ翻訳

伝統のプルーンジャム作り

結婚式の取材を終えて帰ると、 待っていたのはプルーンジャム作りだった。 
50キロのプルーンを洗い、 種と実を分けて、大鍋で煮ること12時間。 
水も砂糖も一切なしの、純粋なプルーンジャムが出来上がる。

エルジおばさんの家には、
二晩、娘のエルジやその友人一家、
おばさんの親戚や友人たちが寄り集まった。
皆でプルーンの種を分けながら、おしゃべりが始まる。
昨日の結婚式のことで持ちきりだった。
村の生活の醍醐味は、助け合いの共同作業にある。
どんなに村人たちが金銭的に裕福であっても、
共通の文化行事や助け合う気持ちがなければ、
村の生活は無味乾燥したものとなるだろう。

  szilvaiz2.jpg

プルーンを使って、プルーン団子を作ったり、
セーク名物の揚げ菓子「チュルゲ」を作ったりした。

近くの町で暮らす娘夫婦、その友人一家がやってきて、
夜遅くまでプルーンジャムの煮込みをした。
娘のエルジさんは50代の女性で、
嫁入り道具もすべて自分の手で作った世代の人だ。
スカーフのバラ刺繍のやり方を、
近所の娘さんに教えてあげていた。
私も持ち寄った、セーク刺繍を取り出した。
すると、エルジおばさんも
「私も手仕事がしたくなってきたわ。」
とアトリエである納屋から紡ぎの棒を持ってきた。
人が働くのを見ると、自分も何かせざるを得ない根っからの働き者だ。
豆電球ひとつ照らされた庭では、
プルーンの大鍋をかき混ぜる人、薪をくべる人、
刺繍をする人、糸を紡ぐ人。
それぞれが別の仕事をしながらも、一人ではないという不思議な一体感がある。

「私たちが若い頃はね、
毎週決まった日にこうやって若い女の子たちが手仕事を持ち寄って集まったの。
すると、村の若者たちがやってきて、いたずらをしたり、おしゃべりをしたり、
踊ったりしたの。
手仕事なんてもちろん、はかどらなかったから、
1週間で何㎝しか刺繍も進まなかったわ。」とエルジおばさんは楽しそうに話す。

クルクルとスピンドルを回し、麻を糸に紡いでいく手つきがあまりに美しくて見惚れていると、
手から棒がすべり落ちた。
「こんな風にスピンドルを手から少女が落として、
それを拾った少年はキスをもらえるんだ。」とマルトンおじさん。
「さ、おじさん。早く拾って!」と皆が大笑いをする。

長いスピンドルの先についた麻糸の塊を手ですくいあげ、
マルトンおじさんは話した。
「麻糸に火をつけて、もし上に燃え上がったらその少女は少年が好き、
もし下に落ちてしまったら、きらい、と占いもしたんだ。
もちろんフォノー(糸紬の家)では室内だから、
空気が暖まって上に上がるのは当然だけれどね。」
おじさんが茶色い麻糸に火をつけると、
予想通り(屋外であるから)下に落ちてしまった。
皆が笑い転げる中、マルトンおじさんは肩を落として「嫌いなんだ。」と言った。

この世代の人たちが経験した、美しい時間の過ごし方。
それを語る人たちの表情から、いかに幸せな時代であったかが偲ばれる。

ジャム作りの大鍋に車軸のような混ぜ棒が置かれ、
50キロのプルーンがゆっくりと液状になり、やがて固まってくる。
この作業は少しでも休むと、プルーンが鍋底に焦げ付いてしまうため、
かき混ぜ続けないといけない。
さらに、薪の番をする者もいるから、
ふたりではとてもできる仕事ではないのだ。

 szilvaiz.jpg


3年前に作ったプルーンジャムは、
古い陶器のケーキ型に入っていた。
まるでガムのように弾力がある。
これを混ぜると、新しいものにコクが出て、固まりやすくなるという。

 szilvaiz1.jpg 

夜行列車の出発の時間が近づいたとき、
ジャムはほぼできあがり、ガラス瓶の中に熱いできたてのジャムを入れてもらった。
エルジおばさんの孫息子さんが職場から駆けつけ、
ケーキを囲んで、エルジおばさんの72歳の誕生日を皆で祝った。
町の駅まで車で送ってもらい、あたたかな思い出とお土産を手に、
7時間かけてセーケイ地方へ向かった。


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comments(1)|trackback(0)|セーク村|2018-10-10_08:17|page top

セーク村の結婚式(後)

起床は6時。
6時半には、花婿宅へ向けて車が出発する。
普段ならこのように早起きをする必要はないのだが、
今回は花婿の住まいが遠くの町にあるがためである。

セークから1時間のところに、べトレンという町がある。
花婿の自宅は歓迎と記したアーチで飾り付けてあった。
「ようこそ、親愛なるお客さま。」という札と、
生花で飾り付けたアーチをくぐる。


szeki lakodalom (17) 

ふたりのセークの女性が出張着付けをしに来たのだ。
次々に服を重ねて、やがてセークの女性に変身していく。
「子どもさんがびっくりするほどきれいになるから、見ていなさい。」
陽気なおばさんたちに、すぐに打ち解ける。


szeki lakodalom (2) 

一方、花婿は、あっという間に身支度を終えた。
「何度もセークの衣装を着たんだ。」
とすっかり村になじみ、結婚後も花嫁の故郷に住むことに決めたそうだ。
「セークの男性みたいに立派よ。」
と若く堂々たる体格の花婿に見惚れる。
茶色いウールのパンツをはき、
バラの刺しゅうのほどこされた赤いネクタイをする。
これは若者の象徴で、結婚すると同時に黒に変えなければならない。
そしてウールの丸い帽子の上には、一際大きなボクレータ。
まるでクジャクが羽根を広げたように、華やかだ。


szeki lakodalom (18)


花嫁花婿の最も親しいものが何人か選ばれる。
女性は、花嫁衣装とほぼ同じである。
緑と黒のチェック柄のウール素材のプリーツスカートに、
ガーゼのように繊細な織のプリーツエプロン。

男性は、ウールの丸い帽子にボクレータが輝く。
手には美しい模様がつき、赤いリボンが下がったステッキをもつ。


szeki lakodalom (19)


花婿宅にセークの人々が楽団とともににぎやかに到着。
花婿宅の庭へ入ると、ここで花婿の別れの儀式がはじまる。
花婿の付添人が、長い別れの詩を読むと、
花婿の両親や親せきの人々が別れのキスをする。
「まるで葬式みたいに泣いてたよ。」と後に花婿が苦笑して話していた。


szeki lakodalom (21)


普通は同じ村の中で行われることなのだが、
花婿が遠くの出身であるがために、この後は車に乗り込んでセークに向かわなければならない。
セークの着付けのおばさんたちは花嫁の着付けのため、一足先に村に帰ってしまった。
「大丈夫。あなたはあの人と一緒の車に乗って帰りなさい。」
着付けをした男性を示した。
その男性がすでに車の運転席に乗り込んだ。
同じくセークの衣装を着た奥さんが助手席に、
そして後部席に入ると、隣にいたのは何と花婿だった。
結婚式の取材にきて、花婿と同じ車に乗れるなんて幸運なことだ。
花婿の車を先頭に、何十台もの車が列をなして、セークを目指す。

「セークの衣装の着心地はどうだい?」と花婿が親友の運転手に尋ねる。
「いいよ。だけど運転するのには適してない。」と
パリパリに糊がついて広がった袖で何とかハンドルを操縦している。
「息子に今夜はセークで寝るのと話したの。
そしたら、セーク(椅子)でどうやって寝るの?と目を丸くしていたわ。」と笑う。

花婿は時間通りに来られるのか心配のようだ。
町出身の若者がどうして村の伝統的な結婚式にこだわるのかが知りたかった。
「ジュジャ(花嫁)とふたりで、
どうしても伝統的な結婚式がしたかったんだ。
それでも、昔のような小屋がなくて、
僕たちのは半分が伝統的、半分はレストランになってしまったけどね。」

村に入り、中心の小学校の前で車を止める。
すでにセークの参列者が待っていた。
たくさんの子供たちが美しいセークの衣装に身を包んでいる。


szeki lakodalom (22) 


花嫁行列をひと目見ようと、村人たちも門の前までやってきた。
初めに、行列の先導者がふたり、
次に花婿、花婿の付添人の女性たち、
それからボクレータをつけた男の子たち、ヴァイオリン、ビオラ、アコーディオンの楽団、
最後にその他の参列者たちと続いていく。
セークのゆったりとした、
哀愁あふれるメロディーが鳴り響き、
そのリズムに合わせて、ゆっくりと歩調を合わせて進む。
少年たちは手に持ったステッキを、リズムに合わせて打ち付ける。
音楽のリズムと、荘厳な花嫁行列の風景が見事に調和している。


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一方、花嫁宅では、同じようにアーチを取り付けて花婿の行列を待っているところだった。


szeki lakodalom (26) 

白と黒が清楚で美しい、セークの若い女性たち。
次の花嫁になるのは、誰だろうか。

  szeki lakodalom (27) 

花婿を伴った、行列がやってきた。
門のところで掛け合いがはじまる。
「誰を探しているのか。」
「花嫁を迎えに来た。」と先導者が応える。
こうした問答がつづき、ようやく門が開かれる。


szeki lakodalom (29) 

花婿たちは、花嫁のために用意された清潔の部屋に通される。
すぐには花嫁を差し出さないので、
2人ほど別の女性が連れてこられ、
ようやく花嫁が花婿に引き合わせてもらえる。
食べたり飲んだりの小休憩をはさんで、
いよいよ花嫁の行列を合わせて、教会へ向かう。


szeki lakodalom (30) 

赤いバラと金色の紙で縁取られたパールタをのせた花嫁の姿は、
中でも光り輝いていた。
ゆったりとした足取りで花嫁になった喜びを踏みしめるように、
静かに厳かに歩んでいく。
花嫁の表情を見ているうちに、はっと気が付いた。
セークの女性たちは幾度ともなくこの姿を見ながら、憧れつづけ、
ようやく晴れの日を迎えるということに。
「いつかはあの花嫁になりたい。」そう思いながら、
花嫁行列を見、時にはその行列で歩みを共にしてきたに違いない。


szeki lakodalom (31)


教会へ向かう道すがら、
通りにロープで通せんぼがされてしまった。
立て札に、パーリンカ10リットルまたはビール40本とある。
ここでも男性衆の交渉がはじまった。
結婚への道のりは長く、険しい。


szeki lakodalom (35)


役場で婚姻届けを出した後は、
高台の上にあるプロテスタント教会にて結婚の誓いをたてる。
再び、花嫁宅へ向かい、花嫁の家族と別れの儀式をしてから、
披露宴会場へ向けて最後の行列が出発した。
1日がかりの結婚式、
祖父母の時代と変わらず同じ姿で行列をなす村人たちの姿を
しっかりと目に、心に焼き付けた。

 szeki lakodalom (33)  
花嫁行列の風景


comments(2)|trackback(0)|セーク村|2018-10-05_15:49|page top

セーク村の結婚式(前)

秋の風が吹きはじめた、9月のはじめ。
再びセーク村へ夜行列車の乗り、やってきた。
家族で過ごした夏の思い出が鮮やかによみがえってくるが、
ひとりでいるのが不思議な気持ちだ。

今回の目的は、結婚式を見ること。
昨年夏にもあったのだが、うっかり日時を忘れてしまい、心残りで仕方なかった。
伝統的な結婚式は、もう村でもする人が少なくなったと言われている。


szeki lakodalom (5)


結婚式の準備は3日前から行われていた。
今回は、前日との2日間のみ。
飾り付けに使われるのは、このローズマリー。


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花嫁宅にて、辺り一面にさわやかなハーブの香りが漂う。
結婚式で花嫁が身に着ける冠と
花婿が帽子に飾る帽子飾りは、
すべて生きた植物、ローズマリーで作られるのだ。


szeki lakodalom (12) 

ローズマリーの冠(パールタ)は女性が、
ローズマリーの帽子飾りは男性が作るのが習わし。
普通は冠は花嫁宅で、帽子飾りは花婿宅で作られるのだが、
今回は花嫁だけがセーク出身なので、同じ場所で作業する。
結婚式その日のために一日がかりで作られる、贅沢な装飾品である。


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冠をもつ役と縫う役がいる。
ジュジャおばさんは、いつも結婚式で呼ばれる冠作りの名人。
服を縫うかのように、二列のローズマリーを黒糸で縫い合わせ、
やがて縁の飾りを付けてから赤い布で内側を包み、
やがて赤いリボンでできたバラをつける。


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美しいローズマリーの冠の出来上がり。
日持ちがしないため、結婚式のあるごとに作られてきた。
手はかかるが、そのために技術が継承されてきたのである。


szeki lakodalom (1)


一方、こちらではローズマリーの帽子飾り(ボクレータ)が作られている。
針や糸は一切使わず、ローズマリーのちいさな束を針金に差し込み、
きれいに剪定していく。
やがて、クジャクが大きく羽根を広げたような扇型ができあがる。


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赤いリボンでできたバラと、
蝋でできたカラフルなバラの花を添えて、
さらに三つの鏡を取り付ける。
仕上げに「金の煙」と呼ばれる、金色のアルミ紙を丁寧に飾り付ける。


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華やかな花婿のボクレータ(帽子飾り)。


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清潔の部屋では、明日の結婚式に備えて、
衣装を取り出しているところだった。
紙のように固く糊付けされたブラウスの袖をほぐしている。


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家族と親戚、親しい友人たちが総出となって作りあげる結婚式。
明日はいよいよ結婚式がはじまる。


comments(2)|trackback(0)|セーク村|2018-09-30_23:25|page top

セーク村のターンツハーズ(ダンスパーティ)

ベルタランの日、 午後はカトリック教会のミサへ参加することに決めていた。 
すでに教会の鐘が高らかに鳴り響いていた。 
遅れないように小高い丘を駆け上がっていると、 
珍しくセーケイの縞模様のスカートが目に入った。 
「セーケイ地方のものね。どこから?」と尋ねると、
 「カルツファルヴァのものよ。セントドモコシュの隣よ。」 
ハルギタ県のものだ。 
セーク村にどうしてセーケイの衣装を着た女性がいるのだろう。
 興味を惹かれて、尋ねてみると、 
「私は半分はセーク出身よ。」という曖昧な返事を得て、教会の前で別れた。
 これがマリとの出会いだった。 

教会のミサを終えて、家に帰ると、
 旦那を誘って、知り合いになったおばあさんを訪ねに行った。 
そこでも、先ほどのセーケイの服の女性と出くわした。 
「おばさん。」と彼女はジュジおばあさんを呼んでいた。
 そこで、マリはセーク出身だが、 
セーケイ地方で結婚し、村で教師をしていることを知った。 
私たちが村に家を持つことを知った彼女は、 
「あなたたちをがっかりさせたくないのだけれど、 
この村で子どもを育てないほうがいいわ。」と思いもよらない忠告をしてくれたのだった。 
セークの民は勤勉で、清潔好きであるけれども、 
金持ち至上主義で、常に相手の値踏みをするのだという。 
逆にセーケイ地方では、人々はぶっきらぼうで、 
よそ者をすぐには受け入れないが、困ったことがあれば親身になってくれる。
 それは彼女自身の体験による言葉なのだ。

 「夜に、村でターンツハーズ(ダンスパーティ)があるんですって。 
よかったら、いっしょに行きましょう。」 
思いもよらない誘いに、喜んで承諾した。 
夜9時に我が家に誘いに来てくれるとのことだった。 
30分ほど過ぎたので、都合が悪くなったのだと合点して、ひとりで家を出た。
 もう少しで、会場のペンションに着くところで後ろから車が止まった。 
セーケイの縞のスカートをはいた、マリだった。 
村でも著名人のミシェルというオランダ人男性が、主催するターンツハーズ。
セークの女性と結婚して、村に移住したという。 
村の伝統生活を取り戻そうと、さまざまなイベントを企画している。
会場には、ハンガリーの観光客の他にも、たくさんの村人たちが来ていた。
納屋のドアが開放してあり、中は赤赤と灯りが灯っている。
ヴァイオリンやビオラの音色がこぼれてくる。
ダンスから漂ってくる何とも言えない熱気がこちらにも伝わってくる。
昔から、チプケ(トゲ)通りではここがターンツハーズの会場だったという。

ジュジおばあさんとも出会い、角のベンチに腰を下ろした。
「あなたはどこから来たの?」
何度ともなく聞かれる質問に、
「セーケイ地方に住んでいるけれど、セークに家を買います。」と答える。
すると、「どこに?いくらで買った?」と返事がくる。
村に家をもつ、それだけで村人たちの受け入れ方が違う。
「半分はセーク人よ。」と冗談交じりでいうのだが、そんな気分になる。


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楽団の演奏がはじまると、ぱっと空気が華やかになる。
ふと、マリが席をたち、「私も行くわ。」と、
ペアの男性とともに踊りに加わった。
セークでは80年代まで、ターンツハーズが定期的に行われていた。
やがて、だんだんと機会が減ってなくなった。
当時は誰も、交流の機会がなくなってしまうと思わなかったという。
彼女が村で学生だったときは、誰もが民俗衣装を着ていた。
そして、冬の手仕事フォノー(糸紡ぎの家)もあり、
嫁入り道具も自分の手ですべて作った。
私より10歳年上のマリは、「村の美しい文化生活を経験できた」最後の世代だったという。


szek bertalan (18) 

お隣のおじいさんに誘われて、
「私も行くわ。」と87歳のジュジおばあさんも席を立った。
緩やかなステップがつづき、やがて、突然速いテンポに変わる。
骨身に染みついたリズムは、決して忘れることはないのだ。


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やがて、音楽が高調するにしたがって、
ダンスも熱気を帯びてくる。
人生の最も美しい瞬間を凝縮して見たような、不思議な時間だった。
お年寄りの話にだけ聞いていたおとぎ話の世界が、
時代を遡って目の前にひらけた、夢のような一夜。

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ジュジおばあさんも帰り、人がまばらになってきた後も、
マリとふたりで外で話しをした。
「私の母親は踊りよりも、歌が上手で・・・。
カッロ―シュ・ゾルターンも通って収集したの。CDにもなっている。」
そのCDはちょうど、夏に村で何かを聞きたいと思い、
博物館で購入して、この夏何度となく聴いていた。
「CDの表紙になっているの。あなたね!」
仲睦まじそうな親子、母親に寄り添う、少女がマリだった。

村で一番の優等生だったマリは、その後、
クルージ・ナポカの大学で物理とルーマニア語を専攻し、
セーケイ地方の男性と結婚し、
セーケイ地方へ移住して、現在も村の中学校で教師をしている。
「私はセーク村人であることが嫌で、村を出た。
でも町に行って、衣装を捨てても、
私はセーク人であることに変わりなかった。」

「村の否定的な部分を沢山わかっているし、好きでないけれど、
私はセーク出身者であることに変わりないし、やはり村が恋しくなるの。」

「私が教師になって村に帰ってきたとき、
母はどれだけ給料がもらえるのか知って、がっかりしたようだったわ。
ここでは知的職業につく人はほとんどいなくて、
男性は建設業、女性は掃除婦と決まっているから。
皮肉なことに、村人たちのほうがよっぽどお金持ちなのよ。」


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気が付くと12時が近かった。
魔法がとける寸前のシンデレラのような気持ちで、
夢が覚めたように席をたち、家路に向かった。


その日のセークのターンツハーズより







*マリさんは、この10月に阪急うめだのイベントで来阪されます。
10/18~22日の5日間、
セークの刺しゅうのデモンストレーションを行う予定です。
comments(2)|trackback(0)|セーク村|2018-09-19_17:09|page top

レケチン村を訪ねて

チャーンゴーの村をいくつか訪ねた中でも、 もっとも印象深かったのはレケチン村だった。
ハンガリーの写真家ゲルグーは「ここからが本当の旅だよ。」と目を輝かせて言った。 
ショモシュカ村から森の中を通って、 
何キロか歩いてたどり着いた山奥の村。
森の脇の古い一軒の小屋で、 村で最後の産婆さんという女性が機織りをしていた。 
そのおばあさんは、目にも鮮やかな色合いの縞模様の布を贈ってくれた。 

ダンスキャンプでレケチン出身というチャーンゴーの女性と出会った。 
話しているうちにゲルグーを昔からよく知り、泊まっていくと話した。 
キャンプも終わりに近づいた日、メリツァはこういった。 
「明日は遠足で、ちょうど村のそばの森に行くから、 その後、村の私の家に案内してあげる。」 
願ってもない申し出に、心が躍った。

 18年前に徒歩でいった森の道は何処にあるのだろう。 
山あいの小道を通り、車で村に入った。 
村はずれで車を止めると、 メリツァは
「ちょっと待っていて。トウモロコシを取ってくる。」と 縞模様のかばんをひとつ持つと
緑の茂った畑へ小走りで向かった。 
彼女の手伝いにと、私も後を追って2、3Mはあるトウモロコシ林の中に入っていく。
彼女が手渡すトウモロコシを入れて、かばんはどんどん重さを増した。 
黄色い実をつけたトウモロコシは、チャーンゴーの言葉でプイと呼ばれる。 
ルーマニア語でニワトリの意味だ。 黄色い色がヒヨコを連想させるから呼ばれるのだという。

村につくと、子供たちはぐっすり眠っていた。
道路沿いに車をとめて、そこからは徒歩になる。
旦那と私は子供をそれぞれ腕に抱いて、砂利の坂道を登っていった。
途中、水汲み場があって、
おばあさんが普段着の民俗衣装を着てバケツで水を汲んでいた。
あっと声が出るような、美しい光景だったが
二人とも両手がふさがり、カメラを出すことさえできなかった。

メリツァが、「ここが私の家よ。」と坂の中腹に建てた家に入っていった。
緑が茂った美しい庭で妹さんが働いている。
通されたのは、清潔の部屋だった。
色とりどりの織物で彩られたベッドに子どもたちをそっと置く。
美しいベッドで眠ることができて、なんて幸せなことだろう。

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部屋の隅には、飾りベッドの代わりに
きれいに折りたたんだ織りものが積み重ねてある。
モルドヴァ地方では、このように嫁入り道具を作りためるのだ。
この家では、残念なことにメリツァも妹さんも独身のようだ。

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部屋の角には、マリア様の像が置いてある。
敬虔なカトリック教徒のチャーンゴーらしい住まいである。
部屋の角は「聖なる角」と呼ばれていて、
日本では神棚や仏壇のように信仰の対象となる品々を置くことがある。
セーケイ地方では角にちいさな箪笥を置いて、中に貴重なお酒を入れる光景も見られる。

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別の部屋も美しく飾り付けてあった。
チャーンゴーは華やかな色を好むので、
縞模様の色の洪水に目がくらみそうだ。
ロングクロスを半分に折って飾る習慣は、ルーマニア人の影響である。

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収穫したばかりのトウモロコシを茹でる間に、
美しい手仕事を次々と見せてもらった。
冬じゅう、織り機で織ったベッドカバーやかばん、帯などを
チャーンゴーのイベントなどで販売をしている。
さらに畑仕事や家畜の世話、自家製のワインやパーリンカなども作っている。

私たちが学生の頃は、あらゆる民俗学者がモルドヴァのチャーンゴー人の元へこぞって通っていた。
ハンガリー政府の援助をえて、研究が盛んな時代だった。
それと共に、各地の村にハンガリー語教育の施設や教師が送られ、
チャーンゴーの子供たちにはさまざまな奨学金や遠足などの機会が設けられた。
メリツァも、チャーンゴー協会に雇われて村で子供たちに手織りを教えている。

ビーズで編んだ美しいボンネット。
本の中でしか見ることのできない貴重な品だ。
これまでは外国人がたくさんの貴重な手仕事を持ち去ってしまったが、
メリツァは村に博物館を作り、地元に残したいという。
こういう意識をもつチャーンゴーの女性たちが、
ここ20年ほどの間に生まれたということは大きな収穫である。

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台所で、茹で上がったトウモロコシを頂いていると、
近所のおばあさんがやってきた。
「さあ、あなたも食べていきなさい。」
村では当然のようにご近所も食卓を囲む。

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近所に古い家があって、おばあさんがひとり暮らしていると聞き、訪ねた。
ちいさな部屋は大人が4、5人しか座れないほどだが、
部屋の半分近くを占めるのは大きな竈だった。
土を塗り固めて作った巨大な空色の柱が天井へとつづいている。

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帰り道、湧水のところで
旦那が念願のおばあさんに会うことができた。
村で何度も尋ねていた「白いブラウス」をついに見ることができたからだった。
刺繍のないただのブラウスは、日常着である。
本でしか見たことのなかった衣装は、
外国人のためでもなく、教会に出かけるためでもなく、
普段からおばあさんが身につけているものだ。

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メリツァとの出会い、
レケチン村の訪問によって、
モルドヴァ地方、そしてチャーンゴー人が近くなった。
いつか、子供たちにこのような村があったことを覚えていて欲しい。

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comments(2)|trackback(0)|その他の地方の村|2018-08-27_14:41|page top