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トランシルヴァニアへの扉 - Erdely kapuja-

古きよきヨーロッパの面影を残す、トランシルヴァニアへの扉をそっと開いてみませんか?

::自己紹介::

谷崎 聖子

Author:谷崎 聖子
1978年宮﨑生まれ。
大阪外大、ハンガリー語学科卒業。
ブダペスト大学で民俗学を専攻。
ルーマニア、トランシルヴァニアのフォークロアに惹かれて、セーケイ地方に移住、結婚。
三人の子育て中。

伝統手芸研究家。
トランシルヴァニアの文化、手しごとを広める活動をしています。主な著書「トランシルヴァニアの伝統刺繍 イーラーショシュ」、「カロタセグのきらめく伝統刺繍」。

東欧雑貨ICIRI PICIRIFOLK ART Transylvaniaのオーナー。

詳しくは、森の彼方-トランシルヴァニアへの扉をご覧ください。

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トランシルヴァニアへの扉  - Erdely kapuja-のRSSフィード

ブログ翻訳

スターナのアーティスト

カロタセグ滞在の5日間の合間に、
主催者のアティラとともにフィールドへも出たことは楽しい経験だった。
ズィラフの博物館員であり、
本来は美術専門であるはずの彼が民俗学の方面でも仕事をしている。
特にトランシルヴァニアの陶器についての造詣が深い。
スターナの村へと出かけることになった。


sztana_20200904191757667.jpg


山を下り、さらに登って原っぱを越えて、スターナの村に到着した。
初日に待ち合わせをしたプロテスタント教会の横にある文化会館で、
面白い写真展があるという。
イギリスの写真家で、デニス・ガロウェイという人物が、
1920~30年代にかけて、カロタセグ地方を撮影して回った。
壁に掛けられたモノクロの写真には、
結婚式や葬式の習慣や、
美しい衣装に身を包んだ村人たちが記録されていた。


sztana (14)


アティラが言う。
「この村にひとり知り合いがいるから、そこを訪ねてみよう。」
小さな村のはずれにある一軒家。
その門には面白い標識がかかっていた。
「うちの犬は、時速50キロで走れる。」
普通なら、「犬、危険。」とか書いてあるものなのに、
ユーモアあふれる表現で、しかもちゃんとよそ者を威嚇している。

門をひらくと、さっそくたくさんの犬が柵の向こうがわで待ち構えていた。
しかし、どれもが親しみやすく、襲ってくる恐怖は感じられない。
庭は、どこにもガタクタのようなユニークな作品で埋め尽くされていた。


sztana (2)

sztana (15)


白髪のご主人は、ピシュタ。
スターナで生まれのアーティストだ。
丸顔に青い瞳で、人懐っこいまなざしを注いでいる。
来るなり、すぐにパーリンカでもてなしが始まった。
同じ芸術家のアティラとは、親しい中であることがすぐにうかがえる。

「古い体制の時に、チャウセスクの絵を描かなければならなかったんだけれど、
体制が変わった後、どこからかその絵が出てきて、
誰が描いたんだってことになった。
俺は恥ずかしくて言えなかったよ。
何せ、何メートルもある大作だったんだ。」
そんな話をしながら、陽気に笑っている。


sztana (12)


主人のもてなしを受けて、部屋の中を見せてもらう。
「息子のためにタイルの壁を作ってやったんだ。」
それは見てすぐわかるように、彼がペイントしたタイルだった。
しかも、端には制作年とモノグラムが見られる。


sztana (3)


「これは、客が来た時に、絵をプレゼントしてあげると見せかけて・・・。」
ピシュタが絵を取ろうとすると、ただフレームだけが取れる仕掛けになっている。
絵は壁にそのまま描いてあるのだ。

電源のコネクターの上には、必ず鳥が描かれている。
生活すべてを、面白くし解釈してしまうのがピシュタの性癖らしい。


sztana (6)


主人の部屋は、カロタセグの陶器や織物で飾られていた。


sztana (10)


主人の部屋の秘密の小箱には、
母親から受け継いだ手仕事が収められていた。
中でもすぐに目を引いたのが、革製の小さな袋。
他のカロタセグの村でも見たことがあったが、たばこ入れとして使われていた。


sztana (7)


「さあ、カティ。これを広げてみなさい。」
私の名前も勝手につけられている。
黒いクロスステッチでできたベッドカバーは、葬式の祭壇を作るときに使われたもの。


sztana (9)


ブドウの房、バラの花、そして鳥が向かい合わせに刺繍されたのは、
産後の女性を見舞う時にお菓子を包むのに使われたロングクロス。


sztana (8)


「これが、僕の母親だよ。」
ピシュタが部屋の隅にかかっていた絵を見せてくれた。
裏には、デニス・ガロウェイと名前が刻んであった。
先ほど、村の中心で見たばかりの写真を撮った人物だ。
ピシュタの母親が若いころ、このイギリス人の芸術家に会い、
このように絵を贈られたのだった。
その息子が芸術を志すことになったのは、面白い因縁だ。
「実は、彼はスパイだったそうだよ。」とこっそりとささやいた。


sztana (1)


こちらも彼の写真に違いない。
少女たちが身を寄せ合うようにして刺繍をしている風景。
幼い少女を肩に抱く男性を差していった。
「これがおじさんだよ。戦争で帰らなぬ人となった。」
その横にいるのが、ピシュタの母親だ。


sztana (4)


ピシュタに礼を言って、家を出ようとすると、
また通り雨がやってきた。
再び、主人のベランダに戻って、酒盛り。
今度は、作りたての甘いサワーチェリーのリキュールを頂いた。


sztana (11)

雨上がりの村をほろ酔い気分で後にし、
私たちは家族や仲間たちの待つセントイムレイの家へと山道を越えていった。



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comments(0)|trackback(0)|カロタセグ地方の村|2020-10-01_03:29|page top

「化石の丘」アーティストレジデンス(後)

翌朝は珍しく、日の出の頃に目が覚めた。
小鳥のさえずりが耳をつき、
深い緑の森が窓の外から目に飛び込んでくる。
朝日の中で屋敷の周りを散策してから、
一階のキッチンにくると、すでに男の子と男性がおしゃべりをしながら朝食をとっていた。
屋敷の主人であるジョルトおじさんと奥さんのチッラが、
キッチンで食事の準備をして、私たちがテーブルにつくという贅沢な日常がスタートした。

初日は朝食が済むと、すぐに遠足に出かけることになった。
細い山道から広々とした原っぱの中に出て、
そこでジョルトおじさんが話をしてくれた。
ここはコーシュ・カーロイが所有していた農場で、
たくさんの家畜を飼っていたいたという。
カロタセグに移り住んだコーシュは、
ハンガリーがトランシルヴァニアを喪失するという大きな転換期にあって、
カロタセグ共和国というユニークな構想を打ち立てた。
当時のカロタセグとは芸術家たちの聖地であり、
大きな国家に依存せずに生活をしていきたいという夢があったのだろう。

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芸術家たちと子供たち。
このキャンプの素晴らしいところは、
アーティストと子供たちが、お互いに邪魔をせず、
まるで大きな家族のように見事に調和したところだ。


csigavara (22)


コーシュの農場を後にすると、今度は高い丘を登っていく。
昨日の教訓から長靴を借りたのだが、暑いし歩きにくい。

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甘い匂いが鼻をつく。
見ると、草原の中にピンク色の花が顔を出していた。
「酔っぱらいの花」と呼ばれるこの花は、
初夏のシンボルとしてここ一帯でだけ見られるものだ。


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やっとのことで丘の上に上りつくと、
そこはまるで一つの世界のようだった。
平べったい山の上からはカロタセグが四方見渡せる。
皆が長靴をぬぎ、はだしで原っぱの上を歩く。
丘の頂上をはだしで歩く、なんという解放感。
この2か月半の閉塞感の後で、とりわけ私たちに必要なものだ。


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子供たちが茂みで何やら見つけたようだ。

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何と大きなトカゲ!


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ジョルトおじさんが説明をする。
ここは、ハンガリーとトランシルヴァニアを結ぶ交通の要所で、
屋敷が建てられた100年前にも、
無人駅のスターナはブダペストからの特急が停車する場所だったそうだ。
遠くの雲行きが何やら怪しい。
ずいぶん長いことそうしていながら、誰も下に降りようと言い出す人がいなかった。


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ようやく、長靴を履いて丘を降りた時には、
もう雨がそこまで来ていた。
雨の中を丘をみなで駆け下りていく。
すると、3人子供が見当たらないという声が聞こえ、
探すやら、木の陰まで急ぐやらで大慌て。
子供たちは無事に見つかり、びしょ濡れになって屋敷まで急いだ。
やっとのことで到着したと思いきや、
先ほどの雨がやみ、うそのような快晴になった。



そもそも、このレジデンスは、
シラージ県の博物館員であるアティラが企画したもので、
招待された芸術家たちは博物館に作品を寄贈することになっている。
部外者の私としては、何か自分でできることはと考えた末、
カロタセグのブラウスを作ってはどうかと思っていた。
先ほどの雨で、屋外に置いていた資料の本はぐしょぬれ。
主催者アティラの娘さんヴィオラは、日本語に興味を持ち、
この春に、独学で日本語を勉強しはじめたそうだ。
大きな瞳をきらきらさせて、質問をしてくる子どもを前に、
自分の創作活動を捨てて、日本語を教えることに決めた。

長男ベンツェとヴィオラを前に、日本語の基礎を
なるべくコミュニケーションを意識しながら教えていく。
父親も祖父も画家、その一方で母親も祖父も音楽家という素晴らしい素質をもつ子供たち。
日本のわらべ歌を教えると、
すぐに輪唱で美しいハーモニーが出来上がる。
時に娘も加わり、
時にほかの子供たちも混ざって
日本語で色オニをしたりと笑い、楽しみながら日本語に親しんだ。
友人レベンテの子供ふたりは、父親に習ってすぐに絵を描きはじめた。


csigavara (1)


美しい緑の森の中で、
それぞれが対象物を見出し、創作活動に入る。


csigavara (4)


魔法のように、画材道具が飛び出す小箱。
さらに色を混ぜると、その可能性は無限大になる。


csigavara (3)


中高一貫の美術学校に通っていた旦那が、20年ぶりに油絵を描いた。
「カラスの城」を描いたのだが、
帰る途中で草で滑って、キャンバスを落としてしまったようだ。
こちらはお世話になったジョルトおじさんに寄贈した。


csigavara (20)


沈む前のその日最後の光を探り当て、
白いキャンバスに刻み込むアーティスト。


csigavara (10)



レジデンスには滞在しているアーティストのほかに、お客様も訪れた。
主催者の奥さまエニクーの妹のアンナもしばしの間、
私たちと行動を共にした。
3人の子供たちにとってこのおばは母親のような存在で、
瞳を輝かせてキャンプの出来事を語り聞かせていた。
エニクーは、クルージの大学でピアノを学び、
その後、外国でクルーズ船などで仕事をしたり、
故郷の町で音楽教師をしたりしていた。
彼女に転機が訪れたのは、3年前。
外国から帰って、すぐに故郷の町へも行きたくない。
ブダペストの友人宅に居候しながら暮らしているうちに
今の職場である、学校の音楽教師の職を探し、
コーラスのグループで結婚相手も見つけて、今もブダペストで暮らしている。

「私たちの結婚式には、コーラスの友達など150人が集まってくれた。
皆が花嫁の私のために、野の花で冠を作ってくれたの。
白いレースフラワーをいっぱいにつけてね。」

その日は、ゾーヨムの7歳の誕生日だった。
近くの原っぱで皆で野の花をつみ、アンナが丁寧に花の冠を紡いでいく。


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「この春の間は、ホームシックがひどくて、
去年の大晦日に帰って以来、イースターにも帰ることができなかったから。
ブダペストの生活で一番恋しくなるのは、この手つかずの原っぱ。」

「先週は、主人と近くの山へ遠足をしていて、
無言で歩いていた時に、ふとこう言ったの。
『ハンガリーで、どうしてトランシルヴァ二アを失って悔しい思いをする人が多いのか、
やっと今わかったよ。』」

もうじきハンガリーへ帰っていくアンナは、
その風景を目に焼き付けるように花を摘み、やがて見事な冠を作り上げた。
晩御飯の時に、誕生日を祝う民謡をみなで歌い、
7歳になったばかりの少年の頭に載せた。


csigavara (2)


誕生日の夕食がすむと、
その夜は、ハレー彗星が地球に近づく日だというので、
皆で再び化石の丘に登ることになった。
手に懐中電灯を持ち、上着を着て、
真っ暗な木のトンネルをくぐり、星空の待つ野原へ。
子どもも大人もいっしょに15人くらいのグループが、夜道をそぞろ歩く。
まるで子供に戻ったかのように怖いような、胸がわくわくとするような心地。

丘を登りきると、満点の星空が照らした。
「ハレー彗星はどこ?」と皆が探していると、
望遠鏡を持ってきたダニエルが、「ほらあそこだよ。」と指をさす。
北の空の低いところに、肉眼ではわからないほどうっすらと
光の膜が揺れている。

双眼鏡をもって眺める人、
夏の星座を示して説明する人、
彗星の写真を撮る人・・。
暗闇の中で娘を探していると、
向こうの方に星空を見て、仰向けに寝そべっている3人の姿。
まるで星の音色のようなハーモニーが聞こえてくる。
高音のヴィオラと低音のベンツェの歌声が、
イスラエルの民謡シャロームを奏でていた。

「どこかで またいつか 逢えるさ
また逢おう また逢おう どこかで

きれいな 思い出 抱きしめ
また逢おう また逢おう どこかで

緑の星 ふたつ 寄りそう
離れても 離れても 寄りそう

どこかで またいつか 逢えるさ
泣かないで 泣かないで さようなら」



やがて最後の晩がやってきた。
いっしょに映画を見よう、もう一度丘に登ろうと
いろいろ計画をしながら、結局は翌日の出発の準備で忙しかった。
日が暮れる前に、子供たちを散歩に連れ出した。


csigavara (11)


手ごろな木を見つけると、
娘が登りはじめ、「僕も私も」と子供たちが木登りをする。
7歳から16歳まで、年も様々な子供が一緒に過ごす。
近所の子供たち、親戚の子供たちが、
当たり前のように集い、遊び、時には喧嘩もして、育つ。
昔はこうだったのかもしれない。


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太陽の日差しとともに、雨粒が降って来た。
それでも、私たちの上に雲はない。


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ふと向こうを見ると、大きな虹がかかっていた。
どこまでも、虹に向かって原っぱを進んでいきたい衝動に駆られる。


csigavara (18)


アティラの三人の子供たちは、明日からズィラフに帰っていく。
私たちは、残りの5日をトロツコーで過ごすため、移動だ。
長男もズィラフに招待され、
子どもたちと一緒に5日を過ごさせてもらったあと、私たちと合流して帰ることになった。


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5日間を一緒に過ごした私たちは、大きな家族のようだった。
どうしてここをコーシュが農場に選んだのか分かった。
100年前に、コーシュもまた友人たちや家族とともに、
あの化石の丘を登ったに違いない。


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comments(2)|trackback(0)|セーケイ地方の村|2020-09-06_02:58|page top

「化石の丘」アーティストレジデンス(前)

7月の半ばころ、友人と話していた時だった。
「カロタセグで5日間、トロツコーで5日間を過ごしたくない?
住むところも、食事も全部ついているんだ。」
目を丸くして、旦那と顔を見合わせていた。
夏休みの予定など空白だったから、それは思ってもみない提案だった。

画家のレベンテが、毎年夏にカロタセグのアーティスト・レジデンスに参加することは知っていた。
実は、彼もその主催者のひとりであり、
今年はコロナ流行を受けてハンガリーなどからの参加者のキャンセルが相次いで、
主催者も困っているとのことだった。
誰でもいいというわけではないだろうが、
こうして声をかけてもらったのは光栄なことだ。
それも、家族全員で参加できるとのことで、
カロタセグやトロツコーはどちらも私たちのフィールドなので、
私たちにとってはまさに夢のような話だった。

その二日後、私たちは荷物をまとめて、
カロタセグ地方のスターナへ向かった。
気乗りしない長男をやっとのことで準備に急がせたり、
いつものように旦那が気まぐれを起こしたりと、
出発の直前まで、いざこざがあったことは言うまでもない。

スターナのプロテスタント教会前に車を止めて、
他の参加者の到着を待つ。
4時の待ち合わせのはずが5時になり、
6時頃になってようやく人が集まってきた。
「ほら、あの人が主催者のアティラだよ。」と友人のレベンテが示すと、
車から3人の子供たちが降りてきた。
長男と同じ年ごろの少年がいるのを見て、心の中でひそかに喜んだ。
主催者に自己紹介をすると、なんと2年前にシク村の我が家に
レジデンスの参加者たちとともに遊びに来てくれた一人だったと気が付く。

目指す宿は、スターナの村からは遠い。
電車駅のすぐそばで、私たちも車のないころによく通った道だ。
雨でぬかるむ道を車で進むことはできないから、
村人に頼んでトラクターの後ろに荷台をつけて、荷物を運ぶことになった。
そして、荷物の見張りを二人の少年に任せて、
他の参加者は遠足気分で徒歩で向かうことになる。


csigavar (11)


けたたましいトラクターの機械音とともに、
たくさんの荷物とまだ知り合って間もない少年二人が出発していった。


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村にある水飲み場で子供たちが遊びはじめたので、水のみ休憩。
昔は洗濯をするおばあさんの姿を見た場所だ。


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小さな村を過ぎると、今度は原っぱの丘が待っていた。
そこからさらに、森の中へ。


csigavar (1)


森の山道はどろどろにぬかるみ、
長靴を履いてきた人は正解だ。
靴の底には厚い泥が張り付き、歩きにくいことこの上ない。
急に視界が晴れて、目の前に鉄道線路が現れる。

このスターナ駅は今から100年ほど前に、別荘地だったところで、
当時はハンガリーだったトランシルヴァニアの、著名人が家を建てていた。
中でも、トランシルヴァニアのハンガリー人にとって
精神的な柱であったのが建築家コーシュ・カーロイという人物。
トランシルヴァニア主義という、民族を超えた文化的な協力、統一を目指して、
第1次大戦後の新しい思想を担った。
コーシュが自分の住いにしたのが、この「カラスの城」と呼ばれる家だ。


csigavar (2)


その近くにあるのが、今夜の住いであるセントイムレイの家。
コーシュが友人の作家、セントイムレイ・イェヌーのために設計した屋敷だ。
トランシルヴァニアの民俗建築の基礎は、中世の建築にあるという
彼の言葉通りに、石の基礎と木製の屋根や壁が美しく調和している。
大きな屋敷の前では、主人の夫妻が出迎えてくれた。
気品のある初老の男性サボー・ジョルト氏は、セントイムレイ・イェヌーの孫に当たる人物。

民俗学者だった、旦那の父シェレシュ・アンドラーシュとも知り合いで、
舅の本「バルツァシャーグの民俗詩と習慣」も
彼の持つ出版社クリテリオン社から出たものだった。
氏の母親セントイムレイ・ユディットは民俗学者で、
特にトランシルヴァニアのハンガリー人の刺繍の研究で知られ、
生前知り合いになりたかった人物の一人だった。


csigavar (6)


「シェレシュ一家は二階の奥の、大きな部屋がいい。」とジョルトおじさんに言われ、
私たちは二階の部屋についた。
実は私たちは、一度ここに泊まったことがある。
3年前のイースターのツアーで、この住まいにどうしても心惹かれて、
不便な場所とは知らずに予約をしたのだった。
驚くことに私たちの今回の部屋もまた、その3年前に泊まったのと同じ部屋だった。
家具まで全部、コーシュが設計したというのだから、こだわり方が違う。
トランシルヴァニアに残る木の墓標をデザインしたテーブルや椅子にベッド。
そして、セントイムレイ・ユディットの刺繍作品や、
カロタセグのテーブルクロスがかかる調度品を眺めているだけで幸せな気分になる。


csigavar (3)


泥だらけのズボンや服を着替えて、夕食の後、眠りについた。
こうして、美しい住まいでの5日間がはじまった。


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comments(0)|trackback(0)|カロタセグ地方の村|2020-09-03_18:17|page top

ピロシュカおばあちゃんと手仕事

ゆったりとした春の後で、 
夏はあわただしく私たちの周りを駆け抜けていこうとしている。
何か予定を立てていたわけでもないのに、 
次々いろいろなことが舞い込んできて、 気が付けばもう8月も半ば。
久々に、アーラパタク村のピロシュカおばあさんのところへ立ち寄った。 
しばらく音沙汰がないと、おばあさんが心配をする。
 一人暮らしのおばあさんは、体の自由が利かない分、 
頭だけはいろいろと思いめぐらすのだろう。 

さきほど市場で買ったばかりの野菜や果物をもって 門の前に車を止めると、 
おばあさんがお隣さんの家からゆっくりとした足取りでこちらに向かってきた。 
「つえをなくしてね。 もしかしたら、隣に置いてきたのじゃないかと思ったんだけれど。
 やっぱり、ここにあった。」
 門に立てかけた箒のすぐ後ろに、木の棒が置いてあった。 

「今は夏だから、外で寝るのよ。」 
そこは、おばあさんのベッドがやっと入るくらいの小さな小屋だった。 
薪で煮炊きをするから、夏の間は寝室が過ごしやすいようにと、 
住まいを分けるのが習慣だ。 

村で病気にかかった人の話、通りの下水工事の話、
庭の野菜の、毎週日曜日の教会の話など、おばあさんの近況に耳を傾けていると、 
ふと何かを思い出したようで、食糧庫の中で探し物をしている。 
「あの布がここにあったと思ったんだけれど。」
 やっと見つけた袋から、布と赤い巻き糸が出てきた。

「もう、縫うことはできないわ。
だから、返そうと思って。」
以前、おばあさんに刺繍を縫ってもらおうと思って預けた
クロスステッチ布と糸だった。
不意の言葉に、さみしい思いでその包みを手にしていた。
すると思い返したように、小さな布切れだけは取って、
「これだけはもらっておくわ。しおりなら作れるかもしれないからね。」

そういえば、何年か前にもそういうことがあった。
もう縫えない。
細かい布の目を数える編みクロスステッチは、
手先の器用さはもちろん、集中力を要するものだ。
自分の力の極限を感じながら、
それでも、膨大な時間をどう過ごしていいかわからず、
やっぱり手にとり、刺繍で時間を過ごしてきたのだろう。

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86歳のピロシュカおばあちゃんのしわしわの手が、
ベッドの上の枕の下を探り、
ふたつの靴下を見つけ出した。
「これは、あなたとお嬢さんのよ。」
毛糸で編んだ靴下は、しっかりとした厚みとぬくもりが感じられた。

「昔着ていたセーターをほどいて、編むのよ。
私はもう昔の服が着れなくなったから。」
この冬はおばあちゃんの靴下のおかげで足は寒くないだろう。
「おばあさん、秋になったら
私も編み棒をもってくるから、編み物を教えてくれませんか。」
私はとっさにそう口に出していた。
「ええ、もちろんよ。刺繍を教えたみたいにね。」

こうして、おばあさんと私をつなぐものは刺繍だけでなく、
編み物も含めた手仕事となった。
いつか一緒に編み棒の針を動かしながら、
おしゃべりをしよう。
そして、讃美歌の歌を歌おう。
この冬にそうしたように。


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comments(1)|trackback(0)|セーケイ地方の村|2020-08-15_02:49|page top

トランシルヴァニアの謝肉祭(1)

2月も終わりに近づいたある週末、
私たちはアパーツァ村に来ていた。
ブルン村の謝肉祭の初めの部分を見てから、
近くの知人の宅を訪ねていた。
ご近所さんがやってきて、帰り際に
「今日の午後までここに残らないんですか。
2時から、謝肉祭があるみたいですよ。」といった。
すると、マルギットおばさんも驚いたように、
今日が謝肉祭の日だったんだと思いだしたようだった。

アパーツァとブルンは、川向かいに位置するので、
普通は謝肉祭が一度に開かれることはあまりないという。
というのも、謝肉祭の後には必ず村のパーティが開かれるのが決まりで、
近くの村からも人がやってくるからだ。
ただ、今年は諸事情によりアパーツァでは夜のパーティはなく、
謝肉祭だけが開かれるとのことだった。

例年よりは暖冬だったとはいえ、まだ2月。
一日中表にいると身も凍えるようになる。
謝肉祭の行列はどこから出発するのかと気をもんでいたら、
村の女性に声をかけられた。
花嫁の家が近くにあるから案内してくれるという。
「去年はうちの息子が花嫁だったのよ。」と誇らしげに
写真を見せてくれた。
「ちょっと待っていて。」と家に走ると、
謝肉祭の名物といえるドーナツを袋に詰めて手渡してくれた。
それはまだ、冷たい手の中であたたかかった。

花嫁の家に入ると、
軒先につるしたリースが目に飛び込んできた。
馬も美しく飾り付けられ、準備万端。


   apacai farsang (7)


「ちょうど新婚の夜が終わったところだよ。」と冗談めかしていうご主人。
着付けをすると聞いていたので中をのぞかせてもらうと、
すでに衣装に着替えたふたりが仲睦まじく並んでいた。


apacai farsang (8)


村のはずれの方ですでに行列がすでに集まっているという噂を耳にして、
通りを下っていくと、セーケイの少女と少年が晴れ晴れしく行進してくるところだった。

apacai farsang (11)


アパーツァはバルツァシャーグ地方のはずれに位置する。
厳密には、セーケイ地方に接するため、
衣装にもセーケイの影響が多くみられる。
嫁入り前の少女が装うパールタは、
まるで宝石箱をひっくり返したように
きらきらとした飾りがひしめいている。
男か女か判断するのが難しいほどの美少年。
その姿は気高く、貫禄すら感じさせる。


apaca.jpg


ドイツ系のザクセン人の影響をうけた街並みに
蹄鉄の音を響かせ、夢のように消えていった。


apacai farsang (12)


村はずれの一軒家の前に、
巨大な小屋を積んだ馬車が立っている。
昔はポルノ雑誌の切張りで、唖然としたのを覚えているが、
今はだいぶんマイルドになって
水着姿の女性の写真が貼ってある。
屋根の上にはススキの穂、コウノトリがとまっている。


apacai farsang (19)


こんなところにも村ならではのジョークとこだわりが感じられる。


apacai farsang (2)


馬車の後ろと上には、それぞれ二体ずつ人形を引いている。
ロメオとジュリエットの名前書かれた、
アパーツァの衣装をきたカップル。


apacai farsang (14)


大きく門が放たれた庭には、
羊毛で身を覆った少年たち、仮装をした人々に楽団が集っていた。
パーリンカやドーナツで前祝をしているところ。


apacai farsang (13)


手に小さなかばんをさげた少年たちは、
黒い正装をして、前には小花柄の愛らしいエプロンを結んでいる。


apacai farsang (15)


やっと、花嫁花婿が到着して、
ブラスバンドの音色とともに行列が歩みはじめる。
馬はスカーフで結ばれ、
花輪を首にかけて、ポップコーンの飾りが楽し気な雰囲気だ。


apacai farsang (18)


十字路につくと、村人たちが行列を食べ物や飲み物で迎える。
黒い正装の少年たちに、お金を渡す人も多くみられた。
小さな村が活気をとりもどす美しい場面である。




花嫁行列の最後にいるのは、クマと呼ばれる羊の毛をまとった少年たち。
鎖で体を縛られ、飛び跳ねながら、
カラカラと鉄の鈴の音を響かせ、もう突進していく。
予想のつかない動きを見せるクマの群れは、
祭りをいきいきと、面白ろおかしく味付けているのである。


apacai farsang (4)


実は、このアパーツァは深刻な過疎化、ジプシー化に悩まされる村でもある。
美しい古い民家の並ぶ通りは過去の繁栄を物語っているが、
村はずれには、巨大なジプシーの地区が広がっている。
高齢化の進む昔からの住民(ハンガリー人、ルーマニア人)と
子どもの多い新しい住民(ジプシー)の対比が目にも明らかだ。
恐ろしいもの見たさにジプシーの子供たちが通りからやってくると、
このクマたちが弾丸のように追いかけるのだった。


apacai farsang (5)


日ごろの恨みを晴らさんとばかりに追いかける少年たちの姿は、
屈託がなく、笑いを誘う。
陰湿でなく、明るい祭りの中で行われるため、
良い意味でのストレス発散になり、
祭りというものが、そこで暮らす住民にとって大切なものであるかがわかる。
またジプシーのいたずらっ子たちも、
幼心に怖いものを知り、彼らの行動の抑制にもなるのではないか。

小さな謝肉祭ではあったが、
予想以上に満足をして、アパーツァ村を出た。
次に目指すのは、この日二つ目のブルン村の謝肉祭。





comments(0)|trackback(0)|バルツァシャーグの村|2020-03-19_18:17|page top