FC2ブログ

トランシルヴァニアへの扉 - Erdely kapuja-

古きよきヨーロッパの面影を残す、トランシルヴァニアへの扉をそっと開いてみませんか?

::自己紹介::

谷崎 聖子

Author:谷崎 聖子
1978年宮﨑生まれ。
大阪外大、ハンガリー語学科卒業。
ブダペスト大学で民俗学を専攻。
ルーマニア、トランシルヴァニア地方のフォークロアに惹かれて、セーケイ地方に移住、結婚。
三人の子育て中。

伝統手芸研究家。
トランシルヴァニアの文化、手しごとを広める活動をしています。主な著書「トランシルヴァニアの伝統刺繍 イーラーショシュ」、「カロタセグのきらめく伝統刺繍」。

東欧雑貨ICIRI PICIRIFOLK ART Transylvaniaのオーナー。

詳しくは、森の彼方-トランシルヴァニアへの扉をご覧ください。

カテゴリー

FC2カウンター

カレンダー(月別)

06 ≪│2019/07│≫ 08
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31 - - -

これまで書いた記事は・・・

全タイトルを表示

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

Feed Me!

トランシルヴァニアへの扉  - Erdely kapuja-のRSSフィード

ブログ翻訳

セーケイ地方の謝肉祭

長い冬のトンネルも、
ようやく終わりが見えてきたころ、
塩の地方と呼ばれるところへ向かった。
友人家族は、この村の謝肉祭に毎年来るというので、
ずっと前から気になっていたのだ。
同じセーケイ地方であっても、丘を越えて、
車で3時間ほどはかかる。

朝早起きをして子どもたちを幼稚園に送り出した。
国道沿いを車を走らせていると、
ザクセン地方に差し掛かった頃から、
先程までの太陽が姿を消し、遠く向こうに雨雲が広がっているのを見た。
気が付くと、私たちの周りは横殴りの雨が打ち付けて、
しばらくして雪に変わった。
なだらかな丘の輪郭が、みるみるうちに白く染まっていく。

謝肉祭の日に、こんな荒れ模様となり不安がよぎったが、
村につく頃には雪は山の頂上にしか見られなかった。
それも今朝降ったばかりのものではなく、
ずっと昔から残った雪のようだ。

30分遅れて村に到着。
「謝肉祭の行列は村のあちこちを回るから、
大きな村の中で探すのは結構苦労するわよ。」と友人から聞いていた。
ちらほらと坂を登っていく人の後についていくと、
カラフルな色合いの子供たちの行列が見えてきた。
とある家の前に人だかりができていたので、
近づいていくとすでに風変わりな「葬式」がはじまっていた。

     farsang sofalva (41) 

「イッェーシュ!ああどうして死んでしまったの?
お菓子も焼かなくちゃいけないし、洗濯もしないといけない、
壁の塗り替えもしなくちゃならない。
そして、あなたを泣いて送別しなければならないなんて。」

「イッェーシュ!昨日まではいっしょに酒を酌み交わしたのに。
ただキャベツだけを残して、おまえは逝ってしまった。」

「イッェーシュ!いい隣人だったのに。
悲しくて、関節があちこち痛むわ。」

他にも愛人たちも別れの言葉を叫んだりして、
滑稽な葬式はつづく。


farsang sofalva (17) 

「あの人の好きだった歌は・・」

という声とともに、村人たちが民謡を合唱する。
「もし私が死んだら、誰が私を惜しんで泣いてくれるだろう。
誰が私の棺桶に倒れてくれるだろう。
お母さんは倒れてくれるだろうが、もう生きていない。
私のただ一つの宝よ、どうか私の棺桶に倒れておくれ。」

そうして歌からダンスへと変わり、「葬式」は終わる。
お宿となった家の人たちは食べ物や飲み物を配って回り、
飲み食いをしたら、またわら人形を連れて行列が始まるのだ。


farsang sofalva (2) 

村の楽団の演奏が、
伝統行事をますます生きたものへと仕立ててくれる。


farsang sofalva (1) 

長い行列が村をあちこちと行き交う。
かれこれ20年もこの村へ通う、友人のカティが話してくれた。
「お宿となる村人たちも、それはこの行事を楽しんでいるのよ。
一度は、葬式のような黒い幕が下がっていて、
家の前に棺桶が置いてあるだけだったの。
突然に起こった不幸だと思い、申し訳なくたっていたら、
棺桶が突然開いて、人が出てきたわ。
もう心臓が破裂するかと思った。」

それぞれの宿がテーマを持っているのだという。
細い坂を下りていくと、
女装したおじさんがチケットを配っている。
そして、宿が近づいて来ると、家の前に白い装束に身を包んだ
ローマ法王が長椅子に横になっている。
参列者たちがキスをして過ぎていく。


farsang sofalva (4) 

家の門には、織物や刺繍のタペストリーなどがかけてある。
昔は、その冬中に出来上がった手仕事をかけて、
展示会のように皆が見ていったのだという。

「隣の奥さんとはいい、
ここでうわさ話をしてはいけない。」
という冗談みたいな詩の書かれたタペストリー。


farsang sofalva (7) 

家のお祈りの言葉をパロディにしたもの。
「信仰があるところに愛があり、
愛があるところに平和があり、
姑のいるところは、終わりである。」
強烈な詩を目の前に苦笑していたら、
横に立っていた村のおじさんが微笑みながら、
「いや、これは本当なんだよ。」と呟いた。


farsang sofalva (8) 

焼き菓子やドーナツ、スコーンのようなもの、
サンドイッチ、茹でたジャガイモにチーズなど、
ご馳走がならんだテーブルで私たちのようなよそ者は遠慮していると、
パンをこねる大きな桶にいっぱいのオープンサンドが運ばれてきた。
「手がふさがっているから、自分で取ってね。」
その気兼ねの無さに、私も手を伸ばした。


farsang sofalva (6)


住まいの近くのブルン村の謝肉祭でも
食べ物の振る舞いがある。
謝肉祭の醍醐味は、飲んで食って、大騒ぎをすることにあるからだ。
それでも、何十名ものお客をもてなすことに疲れ、
お宿となる家はだんだん減り、謝肉祭そのものも危ぶまれている。
しかし、この村においては、
観光バスで幼稚園児や保護者たちも合わせると
100名以上のお客を喜んでもてなす懐の広さを感じさせるのだ。
普段は静かであろうちいさな通りもこの日ばかりは人だかりになる。
 
farsang sofalva (11) 

長いテーブルにご馳走を広げて、
お宿の主人たちはこの滑稽な劇を眺めている。
人生でも最も悲劇的な事件でさえも、
パロディとして笑い飛ばしてしまう人々のおおらかさ。
「町の幼稚園から、毎年大型バスでここまで来るの。
謝肉祭といっても、町ではただの仮装大会にしかならないから。
大人たちがどう楽しむかを子供たちに見せることは大切だと思うの。」とカティ。


farsang sofalva (10) 

わら人形のイッェーシュは、
冬の象徴としてこの日の生贄となる。


farsang sofalva (18) 

こうして6箇所のお宿を回る頃には、
寒さで体が凍えてくる。
そして、繰り返されるお葬式の台詞や歌を自然と口ずさめるようになる。
知らず知らずに、「ヤーィ!ヤーイ!」と悲しむ掛け声をかけている。


farsang sofalva (23) 

村の中心に戻ってきた。
可哀想なイッェーシュは体を引き裂かれ、火をつけられる。


farsang sofalva (26) 

燃える炎を囲んで、
人々は歌い、踊り、歓喜し、冬と決別する。
葬式であるのに、人々の顔は晴れ晴れしい。


farsang sofalva (28) 

farsang sofalva (39) 

最後に大きな輪になって踊る村人たちを眺めていたら、
輪の中で踊っていたカティが私を呼んだ。
私も輪の中に入り、見よう見まねで楽しんだ。

共同体の力の素晴らしさを感じていた。
皆でお互いを助け合い、いっしょに苦労も楽しみも分かち合う。
それがちいさな村の良いところだ。
しかし、21世紀の世の中では、
こうした昔ながらの価値観がゆらぎ、
人々は共同体からだんだん遠ざかっていってしまった。

参加者のおばさんと話していた時だ、
「この大騒ぎは今日で三日目よ。
かれこれ20年はこの行事に参加しているけれど、
私たちにとってはお祝いなの。」

お酒を飲んで酔い加減のおじいさんがカティと話していた。
「またこの村に遊びに来なさい。いつでも歓迎するから。」

長身で美しい金髪のカティの姿が輪の中に見えた。
踊りが終わり、村人たちと別れの抱擁やキスをしているのだった。
この愛らしい人々と別れ、暖かい思い出を胸に村を離れた。
春に向けての、大きな一歩を踏み出した。






スポンサーサイト
comments(6)|trackback(0)|セーケイ地方の村|2019-03-21_21:22|page top

貝戸さん一家

1月になり、待ちに待ったお客様がやってきた。
貝戸さん一家だ。
「最後にここに来たのは、8年も前なんです。」
そう言われて、意外に思われたのは、
私たちが毎年のように日本で会っていたからだろう。

当時、14歳の長男は幼稚園生だったし、
その頃はまだご夫妻にも子どもはいなかった。
1年ほどルーマニアに滞在をして、
それから日本へ帰り、やがて可愛い子どもさんたちが誕生して、
親子で数ヶ月をルーマニアで過ごすためにやって来られた。

日本では住まいを美しく、嗜好を凝らして丁寧な生活をされるお二人。
ルーマニアでもどこかの村で美しい家を探されるのだろうと思っていた。
そして、去年の夏に見初めた家のことをふと思い出し、
シク村の住まいを勧めてみたところ、喜んで借りたいとの返事がきた。
私たちもこの夏に何度か家族で村での生活を試みた。
しかし、今回の滞在は冬となるので、
夏場のようには生活が楽ではない。
深く考えずに勧めてみたものの、
生活に苦労されないのだろうかと気が掛かりだった。
村のほとんどの家は、街と変わらない快適な住まいであるのに対し、
その古民家にはガスや水道がない。
暖をとるのも、ひとつの薪ストーブだけである。
私たちもまだ冬の古民家の暮らしは未経験なので、
どれだけ寒さが防げるかわからない。

村の生活は確かに大変だけれど、
薪を割ったり、水を井戸で汲んだり、
日本ではできない生活ができて感謝しているとメールにあった。

一家が村に到着したのは、ちょうどクリスマスの頃。
旅行が好きな一家はすぐにマラムレシュへ出かけ、
クリスマスの夜にレストランを探そうとしたものの見つからず、
駅で尋ねた二人のおばさんがそれぞれクリスマスのご馳走をかかえて来てくれたという。
また、マラムレシュからの帰りはお正月で、村へのバスがなかったため、
タクシーを見つけてお願いしたら、
遠く離れているのにもかかわらず、運転手はお金を受け取らなかったとも話していた。

10年以上暮らしている私ですら、
本当にそんなことがあるのだろうかと感心するような奇跡のような出来事が
彼ら一家には起こってしまうのだ。
現地の言葉は流暢でないのに、
人々とどこか通じ合う力を持っているのだろう。

シギショアラを旅して、セーケイ地方の我が家に一家が到着すると、
4人の子どもが何倍にも膨れ上がったかのように、元気いっぱいに遊びはじめる。
特に、幼稚園に行けずにいた次男は日本のお客様に大喜びをした。

町外れのいつものソリ場へと出かけた。



huyu2019.jpg 
真っ白な雪が溶けてしまわないようにと願っていたら、
一家が来る日まで残っていてくれた。
ソリは人数が多ければ多いほど楽しい。

huyu20191.jpg

この美しい丘の風景が、トランシルヴァニアの日常をいかに豊かにしてくれたか計り知れない。
春には真っ赤な野いちご、夏には香り立つタイムの花を摘み、
秋にはローズヒップが実り、冬には白い雪で覆われる。

huyu20192.jpg 
急斜面の坂は、ソリ遊びに打って付け。
雪が降ったあとの週末には、親子や祖父母など大家族でソリに繰り出す姿も見られる。
すでに土色の大地がまだらに姿を現し、
雪まみれと泥んこになりながら、お腹いっぱい遊んだ。

huyu20193.jpg 
翌日は、炭酸水通りの古民家へ散歩がてら出かけた。
家でお絵描きをしていたら、
長男のガックンが日の丸を描いて、日本の国旗を作った。
それを娘も真似をして、それぞれ4人に旗ができた。
「ヤパーン、バール!ヤパーン、バール!」
ガックンが叫びはじめると、皆が続いて掛け声を上げた。
「あなた、日本人?」とよく言われるから、
それを覚えたのかなと思っていたら、
「僕は日本人だ。僕は日本人だ。」と言いたいのだとわかった。
大人3人+ちびっこ4人の日本人の群れに、
この町の人たちはさぞ驚いたに違いない。


huyu20195.jpg

ちいさな橋を渡って、
町で一番古い城塞教会が見えてくる。
この教会のそばに、古民家がある。
「みーちゃん、元気になってよかったね。」
「みーちゃん、可愛いね。」
とやさしく接してくれる貝戸さん夫妻、
そしてふたりの楽しいお友達に囲まれて、
子どもたちも私たちも楽しくあっという間の二日間だった。

 huyu20194.jpg

三日目の早朝、
町がまだ寝静まっている頃、
貝戸さん一家はブルガリアへ向けて旅立っていった。
comments(0)|trackback(0)|セーケイ地方の村|2019-02-19_00:00|page top

伝統のプルーンジャム作り

結婚式の取材を終えて帰ると、 待っていたのはプルーンジャム作りだった。 
50キロのプルーンを洗い、 種と実を分けて、大鍋で煮ること12時間。 
水も砂糖も一切なしの、純粋なプルーンジャムが出来上がる。

エルジおばさんの家には、
二晩、娘のエルジやその友人一家、
おばさんの親戚や友人たちが寄り集まった。
皆でプルーンの種を分けながら、おしゃべりが始まる。
昨日の結婚式のことで持ちきりだった。
村の生活の醍醐味は、助け合いの共同作業にある。
どんなに村人たちが金銭的に裕福であっても、
共通の文化行事や助け合う気持ちがなければ、
村の生活は無味乾燥したものとなるだろう。

  szilvaiz2.jpg

プルーンを使って、プルーン団子を作ったり、
セーク名物の揚げ菓子「チュルゲ」を作ったりした。

近くの町で暮らす娘夫婦、その友人一家がやってきて、
夜遅くまでプルーンジャムの煮込みをした。
娘のエルジさんは50代の女性で、
嫁入り道具もすべて自分の手で作った世代の人だ。
スカーフのバラ刺繍のやり方を、
近所の娘さんに教えてあげていた。
私も持ち寄った、セーク刺繍を取り出した。
すると、エルジおばさんも
「私も手仕事がしたくなってきたわ。」
とアトリエである納屋から紡ぎの棒を持ってきた。
人が働くのを見ると、自分も何かせざるを得ない根っからの働き者だ。
豆電球ひとつ照らされた庭では、
プルーンの大鍋をかき混ぜる人、薪をくべる人、
刺繍をする人、糸を紡ぐ人。
それぞれが別の仕事をしながらも、一人ではないという不思議な一体感がある。

「私たちが若い頃はね、
毎週決まった日にこうやって若い女の子たちが手仕事を持ち寄って集まったの。
すると、村の若者たちがやってきて、いたずらをしたり、おしゃべりをしたり、
踊ったりしたの。
手仕事なんてもちろん、はかどらなかったから、
1週間で何㎝しか刺繍も進まなかったわ。」とエルジおばさんは楽しそうに話す。

クルクルとスピンドルを回し、麻を糸に紡いでいく手つきがあまりに美しくて見惚れていると、
手から棒がすべり落ちた。
「こんな風にスピンドルを手から少女が落として、
それを拾った少年はキスをもらえるんだ。」とマルトンおじさん。
「さ、おじさん。早く拾って!」と皆が大笑いをする。

長いスピンドルの先についた麻糸の塊を手ですくいあげ、
マルトンおじさんは話した。
「麻糸に火をつけて、もし上に燃え上がったらその少女は少年が好き、
もし下に落ちてしまったら、きらい、と占いもしたんだ。
もちろんフォノー(糸紬の家)では室内だから、
空気が暖まって上に上がるのは当然だけれどね。」
おじさんが茶色い麻糸に火をつけると、
予想通り(屋外であるから)下に落ちてしまった。
皆が笑い転げる中、マルトンおじさんは肩を落として「嫌いなんだ。」と言った。

この世代の人たちが経験した、美しい時間の過ごし方。
それを語る人たちの表情から、いかに幸せな時代であったかが偲ばれる。

ジャム作りの大鍋に車軸のような混ぜ棒が置かれ、
50キロのプルーンがゆっくりと液状になり、やがて固まってくる。
この作業は少しでも休むと、プルーンが鍋底に焦げ付いてしまうため、
かき混ぜ続けないといけない。
さらに、薪の番をする者もいるから、
ふたりではとてもできる仕事ではないのだ。

 szilvaiz.jpg


3年前に作ったプルーンジャムは、
古い陶器のケーキ型に入っていた。
まるでガムのように弾力がある。
これを混ぜると、新しいものにコクが出て、固まりやすくなるという。

 szilvaiz1.jpg 

夜行列車の出発の時間が近づいたとき、
ジャムはほぼできあがり、ガラス瓶の中に熱いできたてのジャムを入れてもらった。
エルジおばさんの孫息子さんが職場から駆けつけ、
ケーキを囲んで、エルジおばさんの72歳の誕生日を皆で祝った。
町の駅まで車で送ってもらい、あたたかな思い出とお土産を手に、
7時間かけてセーケイ地方へ向かった。


comments(2)|trackback(0)|セーク村|2018-10-10_08:17|page top

セーク村の結婚式(後)

起床は6時。
6時半には、花婿宅へ向けて車が出発する。
普段ならこのように早起きをする必要はないのだが、
今回は花婿の住まいが遠くの町にあるがためである。

セークから1時間のところに、べトレンという町がある。
花婿の自宅は歓迎と記したアーチで飾り付けてあった。
「ようこそ、親愛なるお客さま。」という札と、
生花で飾り付けたアーチをくぐる。


szeki lakodalom (17) 

ふたりのセークの女性が出張着付けをしに来たのだ。
次々に服を重ねて、やがてセークの女性に変身していく。
「子どもさんがびっくりするほどきれいになるから、見ていなさい。」
陽気なおばさんたちに、すぐに打ち解ける。


szeki lakodalom (2) 

一方、花婿は、あっという間に身支度を終えた。
「何度もセークの衣装を着たんだ。」
とすっかり村になじみ、結婚後も花嫁の故郷に住むことに決めたそうだ。
「セークの男性みたいに立派よ。」
と若く堂々たる体格の花婿に見惚れる。
茶色いウールのパンツをはき、
バラの刺しゅうのほどこされた赤いネクタイをする。
これは若者の象徴で、結婚すると同時に黒に変えなければならない。
そしてウールの丸い帽子の上には、一際大きなボクレータ。
まるでクジャクが羽根を広げたように、華やかだ。


szeki lakodalom (18)


花嫁花婿の最も親しいものが何人か選ばれる。
女性は、花嫁衣装とほぼ同じである。
緑と黒のチェック柄のウール素材のプリーツスカートに、
ガーゼのように繊細な織のプリーツエプロン。

男性は、ウールの丸い帽子にボクレータが輝く。
手には美しい模様がつき、赤いリボンが下がったステッキをもつ。


szeki lakodalom (19)


花婿宅にセークの人々が楽団とともににぎやかに到着。
花婿宅の庭へ入ると、ここで花婿の別れの儀式がはじまる。
花婿の付添人が、長い別れの詩を読むと、
花婿の両親や親せきの人々が別れのキスをする。
「まるで葬式みたいに泣いてたよ。」と後に花婿が苦笑して話していた。


szeki lakodalom (21)


普通は同じ村の中で行われることなのだが、
花婿が遠くの出身であるがために、この後は車に乗り込んでセークに向かわなければならない。
セークの着付けのおばさんたちは花嫁の着付けのため、一足先に村に帰ってしまった。
「大丈夫。あなたはあの人と一緒の車に乗って帰りなさい。」
着付けをした男性を示した。
その男性がすでに車の運転席に乗り込んだ。
同じくセークの衣装を着た奥さんが助手席に、
そして後部席に入ると、隣にいたのは何と花婿だった。
結婚式の取材にきて、花婿と同じ車に乗れるなんて幸運なことだ。
花婿の車を先頭に、何十台もの車が列をなして、セークを目指す。

「セークの衣装の着心地はどうだい?」と花婿が親友の運転手に尋ねる。
「いいよ。だけど運転するのには適してない。」と
パリパリに糊がついて広がった袖で何とかハンドルを操縦している。
「息子に今夜はセークで寝るのと話したの。
そしたら、セーク(椅子)でどうやって寝るの?と目を丸くしていたわ。」と笑う。

花婿は時間通りに来られるのか心配のようだ。
町出身の若者がどうして村の伝統的な結婚式にこだわるのかが知りたかった。
「ジュジャ(花嫁)とふたりで、
どうしても伝統的な結婚式がしたかったんだ。
それでも、昔のような小屋がなくて、
僕たちのは半分が伝統的、半分はレストランになってしまったけどね。」

村に入り、中心の小学校の前で車を止める。
すでにセークの参列者が待っていた。
たくさんの子供たちが美しいセークの衣装に身を包んでいる。


szeki lakodalom (22) 


花嫁行列をひと目見ようと、村人たちも門の前までやってきた。
初めに、行列の先導者がふたり、
次に花婿、花婿の付添人の女性たち、
それからボクレータをつけた男の子たち、ヴァイオリン、ビオラ、アコーディオンの楽団、
最後にその他の参列者たちと続いていく。
セークのゆったりとした、
哀愁あふれるメロディーが鳴り響き、
そのリズムに合わせて、ゆっくりと歩調を合わせて進む。
少年たちは手に持ったステッキを、リズムに合わせて打ち付ける。
音楽のリズムと、荘厳な花嫁行列の風景が見事に調和している。


szeki lakodalom (25)


一方、花嫁宅では、同じようにアーチを取り付けて花婿の行列を待っているところだった。


szeki lakodalom (26) 

白と黒が清楚で美しい、セークの若い女性たち。
次の花嫁になるのは、誰だろうか。

  szeki lakodalom (27) 

花婿を伴った、行列がやってきた。
門のところで掛け合いがはじまる。
「誰を探しているのか。」
「花嫁を迎えに来た。」と先導者が応える。
こうした問答がつづき、ようやく門が開かれる。


szeki lakodalom (29) 

花婿たちは、花嫁のために用意された清潔の部屋に通される。
すぐには花嫁を差し出さないので、
2人ほど別の女性が連れてこられ、
ようやく花嫁が花婿に引き合わせてもらえる。
食べたり飲んだりの小休憩をはさんで、
いよいよ花嫁の行列を合わせて、教会へ向かう。


szeki lakodalom (30) 

赤いバラと金色の紙で縁取られたパールタをのせた花嫁の姿は、
中でも光り輝いていた。
ゆったりとした足取りで花嫁になった喜びを踏みしめるように、
静かに厳かに歩んでいく。
花嫁の表情を見ているうちに、はっと気が付いた。
セークの女性たちは幾度ともなくこの姿を見ながら、憧れつづけ、
ようやく晴れの日を迎えるということに。
「いつかはあの花嫁になりたい。」そう思いながら、
花嫁行列を見、時にはその行列で歩みを共にしてきたに違いない。


szeki lakodalom (31)


教会へ向かう道すがら、
通りにロープで通せんぼがされてしまった。
立て札に、パーリンカ10リットルまたはビール40本とある。
ここでも男性衆の交渉がはじまった。
結婚への道のりは長く、険しい。


szeki lakodalom (35)


役場で婚姻届けを出した後は、
高台の上にあるプロテスタント教会にて結婚の誓いをたてる。
再び、花嫁宅へ向かい、花嫁の家族と別れの儀式をしてから、
披露宴会場へ向けて最後の行列が出発した。
1日がかりの結婚式、
祖父母の時代と変わらず同じ姿で行列をなす村人たちの姿を
しっかりと目に、心に焼き付けた。

 szeki lakodalom (33)  
花嫁行列の風景


comments(2)|trackback(0)|セーク村|2018-10-05_15:49|page top

セーク村の結婚式(前)

秋の風が吹きはじめた、9月のはじめ。
再びセーク村へ夜行列車の乗り、やってきた。
家族で過ごした夏の思い出が鮮やかによみがえってくるが、
ひとりでいるのが不思議な気持ちだ。

今回の目的は、結婚式を見ること。
昨年夏にもあったのだが、うっかり日時を忘れてしまい、心残りで仕方なかった。
伝統的な結婚式は、もう村でもする人が少なくなったと言われている。


szeki lakodalom (5)


結婚式の準備は3日前から行われていた。
今回は、前日との2日間のみ。
飾り付けに使われるのは、このローズマリー。


 szeki lakodalom (13)


花嫁宅にて、辺り一面にさわやかなハーブの香りが漂う。
結婚式で花嫁が身に着ける冠と
花婿が帽子に飾る帽子飾りは、
すべて生きた植物、ローズマリーで作られるのだ。


szeki lakodalom (12) 

ローズマリーの冠(パールタ)は女性が、
ローズマリーの帽子飾りは男性が作るのが習わし。
普通は冠は花嫁宅で、帽子飾りは花婿宅で作られるのだが、
今回は花嫁だけがセーク出身なので、同じ場所で作業する。
結婚式その日のために一日がかりで作られる、贅沢な装飾品である。


szeki lakodalom (14)


冠をもつ役と縫う役がいる。
ジュジャおばさんは、いつも結婚式で呼ばれる冠作りの名人。
服を縫うかのように、二列のローズマリーを黒糸で縫い合わせ、
やがて縁の飾りを付けてから赤い布で内側を包み、
やがて赤いリボンでできたバラをつける。


 szeki lakodalom (7)


美しいローズマリーの冠の出来上がり。
日持ちがしないため、結婚式のあるごとに作られてきた。
手はかかるが、そのために技術が継承されてきたのである。


szeki lakodalom (1)


一方、こちらではローズマリーの帽子飾り(ボクレータ)が作られている。
針や糸は一切使わず、ローズマリーのちいさな束を針金に差し込み、
きれいに剪定していく。
やがて、クジャクが大きく羽根を広げたような扇型ができあがる。


szeki lakodalom (8)

 
赤いリボンでできたバラと、
蝋でできたカラフルなバラの花を添えて、
さらに三つの鏡を取り付ける。
仕上げに「金の煙」と呼ばれる、金色のアルミ紙を丁寧に飾り付ける。


szeki lakodalom (9) 

華やかな花婿のボクレータ(帽子飾り)。


szeki lakodalom (10) 

清潔の部屋では、明日の結婚式に備えて、
衣装を取り出しているところだった。
紙のように固く糊付けされたブラウスの袖をほぐしている。


szeki lakodalom (11) 

家族と親戚、親しい友人たちが総出となって作りあげる結婚式。
明日はいよいよ結婚式がはじまる。


comments(2)|trackback(0)|セーク村|2018-09-30_23:25|page top