トランシルヴァニアへの扉 - Erdely kapuja-

古きよきヨーロッパの面影を残す、トランシルヴァニアへの扉をそっと開いてみませんか?

::自己紹介::

谷崎 聖子

Author:谷崎 聖子
1978年宮﨑生まれ。
大阪外大、ハンガリー語学科卒業。
ブダペスト大学で民俗学を専攻。
ルーマニア、トランシルヴァニア地方のフォークロアに惹かれて、セーケイ地方に移住、結婚。
三人の子育て中。

伝統手芸研究家。
トランシルヴァニアの文化、手しごとを広める活動をしています。主な著書「トランシルヴァニアの伝統刺繍 イーラーショシュ」、「カロタセグのきらめく伝統刺繍」。

東欧雑貨ICIRI PICIRIFOLK ART Transylvaniaのオーナー。

詳しくは、森の彼方-トランシルヴァニアへの扉をご覧ください。

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トランシルヴァニアへの扉  - Erdely kapuja-のRSSフィード

ブログ翻訳

トランシルバニアのアクセサリー作家Selyem Kati

カティとペーテルの寝室は、あちらこちらに彼女の創作のイメージの断片のようなものがおもちゃ箱のように楽しく飾られていた。
ベッドの上には、最近作ったというフェルトのオーナメント、そして
ビーズのちょうちょが漂うモビール、イヤリングの飾り、アフリカかどこかの木彫りのコップ・・・

kati

手作りが好きな彼女は、クルージの実家に帰ると必ずミシンを出して作業をする。何気なくアップリケをしたクッションも、彼女の世界が表れている。

kati

カティの最近の作品を見せてもらう。
最近は女性の日という祝日があったので、赤と白のリボンをつけた小さな素焼きの動物たち・・・ブタやネコ、ハリネズミ、ゾウなどが、カティ独特の手法で命が吹き込まれている。
以前から作っている銅製の腕輪は、いぶし金に黒で描かれた
植物模様、幾何学模様、動物模様が美しく光っている。
最近凝っているのは七宝細工で、最近やっと材料を手にしたらしい。赤や緑や白や黒・・・のこってりと光り輝く色たちは、明るすぎず、地味すぎず、あくまで自然に調和した色合いである。
アメリカナイズされていない、自然を好むトランシルバニア人の嗜好を感じさせる。

kati

selyem kati

kati

kati

大学時代から、ずっとアクセサリー作りをし続けているが、
ほとんど自己流であるという。
作った作品を、ルーマニア国内でのイベントやお祭りのときにもっていって、
二人で売っている。
これからも彼女の作品の幅も広がってゆくだろう。
今後が楽しみな作家である。









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Theme:オリジナル☆アクセサリー
Genre:ファッション・ブランド

comments(0)|trackback(0)|アート|2008-03-31_21:44|page top

トランシルバニアの村の生活

ここトランシルバニアでどこが一番美しいか?と聞かれたら
私は村であると答えるだろう。

村ほど、その場所場所の特徴が良く表れていて、昔ながらの美しい部分が残っている場所はないからだ。そこでは、人々のメンタリティー、生活スタイルあらゆるものが異なっている。

大学時代に住んでいたクルージ・ナポカ(コロジュヴァール)の近くには、民族衣装や古い教会で有名なカロタセグ地方があるし、クルージからセーケイ地方の玄関トゥルグ・ムレシュ(マロシュ・ヴァーシャールヘイ)までには、メズーセーグと呼ばれるなだらかな盆地が続く。セーケイ地方北部ミエルクレア・チウク(チークセレダ)の近辺には、立派なセーケイの門が並ぶ村々がある。

最近は、町から若者が村へと引っ越すという傾向もある。
私たちの友人夫婦も、町から15キロほどの村に家を建てて一年半になる。

三月上旬、私たちは友人たちと一緒に村に住む友人を訪ねることにした。
バスに揺られて、15分ほどするともう村への交差点についてしまった。
立て札には、ザラーンまで5kmと書いてある。
何もない一本道をひたすらと進む。
すると、私たちの横に車が止まった。
小さな子供をつれているので、村まで乗せて行ってくれるという。
私と息子、そして友人の三人は車に乗り込み、男性二人を後に出発した。

車には、おじいさんとおばあさんが乗っていた。
どうやら同じくらいの年の孫がいるので、見かねて止まってくれたというのだ。
あの長い一本道をあっという間に村に着いた。
すると、友人がさっとお金を運転手のおじいさんに渡した。
私は当然ただで乗ったつもりであったから面食らったが、すぐに友人に半分の3レイを手渡した。

町から村までのバス賃でさえ2レイであるのに、それにしても6レイは多すぎる。
後で聞くと、彼女はこういうヒッチハイクに慣れていなかったかららしい。
私たちは、貧しい学生時代(今もそう大差はないが)にさんざんヒッチハイクで旅行したから、大体どんな時に払うか、どれだけの金額かは身についているつもりだ。

降ろされたのは村の中心。
何やら小学校のようなものと、お店が何軒か立っているが、どこに行っていいやら見当もつかない。
向こうのほうからやってくるおばあちゃんに聞いてみる。
私たちが友人の名前を告げ、町で教師をしていることも言うと・・・
「ああ、カティのところだね。」という。
そしてついて来いという。

雪解けの水でどろどろになった道を注意深く進む。
「私たちも、長靴をはいて来ればよかった。」というと、
「村で、他にどんな靴がいる?」とおばあちゃんは答える。
「あそこのトラクターの後ろの家だよ。ただ、あの犬は悪いから気をつけなさい。」と言って、去っていた。

私たちは、どんな凶暴な犬がいるのだろうと顔を見合わせた。
とりあえず門を開けて、中に進む。
すると・・・確かに犬がうまやに鎖でつながれているが、思ったよりも小さい。
そして、尻尾を振ってくる。
私は、じゃれ付いてくる犬を撫でながら、家のほうに近づいていった。

家は、まだ入り口が出来上がっていないらしい。
コンクリートがそのままの入り口から、私たちは中に入った。

家の概観と比べて、中は格段に快適そうだ。
美しい木の家具、ソファー、じゅうたん、新築の家の新鮮さがあった。
中でも目を引くのはキッチンである。
新しい木の棚が上にも下にもついていて、調味料の入ったビンが整然と並んでいる。
いかにも使いやすそうなつくりである。

主人のペーテルは、私たちだけ先についたので驚いたので、経緯を説明した。
旦那ともう一人の友人の、中高のクラスメイトである。
のちに彼はオラデアの美大に進み、卒業後は母校の芸術専門学校で彫刻を教えている。

奥さんのカティは、お腹が大きく5ヶ月くらいであるらしい。
彼女はクルージの出身で、オラデアの大学で彼と知りあった。
今はアクセサリー作家で、銅製の腕輪や、七宝のピアスやチョーカーなどを作っている。
最近はブカレストの市に出品していたというから、そのことをいろいろと尋ねた。

kati es peter

あまり資金がないので、この家はほとんど手作りで作ったという。
そしてもっとも志向を凝らしたのは、バスルームだというので見学させてもらう。
クリーンなライトグリーンで統一されていて、様々な貝殻がきれいに埋め込まれている。
まるでエル・デコの雑誌から出てきたような空間・・・
村でもこのような生活をおくることが可能であるなんて、数年前のルーマニアでは考えられなかったであろう。

風呂場

そうしているうちに、男性二人も到着した。
飲み物を開け、いろいろな話が始まる。
かつてのクラスメイトたちの消息、村での生活、家を建てるのに困難であったこと、
仕事の話・・等々。

気がつくと、もう昼が近くなっている。
カティは、小麦粉をこねているので何を作るのかと尋ねると、
「ピザよ。いつもはもっと薄く作るんだけれど、今日は人数が多いから少し厚めに作るわ。」

庭を見せてもらう。
ペーテルは犬の鎖をはずした。
ボギという名前のこの犬は、まだ年も幼いらしい。
昔は放し飼いをしていたのが、いつか隣の家のニワトリを食べてしまったらしく、
今は罰としてつながれている。
息子はボギが怖いらしく、鎖をはずすなと主人に訴える。

若草色の草がまだ生えきっていない庭は、木々も裸なので味気ない感じがする。
もうすぐ春が来て、植物が伸びてくるとまったく違った雰囲気になるだろう。
そして、二人の赤ちゃんの格好の遊び場になるだろう。
庭は家を正面に細長くできていて、途中で下り坂になって小さな小川に突き当たる。
途中、春を一番に告げる「雪の花」を見つけて摘み、また深緑の葉に深い紫の花をつける幻想的な野草を見つけてまた摘みしていると、小さな花束ができた。

家に帰ると、ピザのソースを作って後は焼くだけになっていた。
カティに息子が花束を渡す。そして、ガラスのビンに生けられた。
野生の植物の美しさには、どんな観葉植物もかなわないと思う。
日本では見たこともない、無数の花がどんなに珍しく、貴重なものに感じられる。

もりのはな

hana

やがて良い匂いがしてきてピザが完成。
お皿にドンと乗ったピザは、パンのようにふかふかしていて、ほのかにイーストの香りがした。
トマト・ソースもピザのボリュームに負けないほど、濃厚である。

美味しいピザを食べた後は、散歩に出かける。
あの舗装もしていない道を歩いていくと、泥だらけの道はもう車の後で凸凹になっている。
気がつくと下しか見ることができず、なるべく泥の少ないところを探しながら歩く。
息子は、途中、村のおばあちゃんに手を引かれたりしながら、危なっかしい足取りで来る。
あっと思ったときにはもう遅く、泥にしりもちをついてしまった。
もうこうなったらあきらめるしかない。
息子は、だんだん大胆にわざと泥のぬかるんだところを歩いて、見るも無残な姿。

peter es kati

帰るときには、ペーテルのトランクスと、カティの半パンとハイソックスを借りて、
どうにか子供の腰に巻きつけて、出発となった。
風の冷たい一本道をまた引き返していった。

Theme:中欧
Genre:海外情報

comments(2)|trackback(0)|セーケイ地方の村|2008-03-31_19:13|page top

名前の日―もう一つの誕生日

キリスト教圏では、誕生日のほかにもう一つ個人を祝う日がある。
それが、名前の日である。

キリスト教のカレンダーをここに出してみる。
一月、二月・・・と月の下に、日、曜日、そして名前が
書かれている。
例えば、息子バラージュの名前の日は2月3日である。
旦那バーリントの日は、そう、あの有名なバレンタインデーの日である。

名前の日をどう祝うのかというと、
誕生日のように花やプレゼントを贈ったり、カードを贈ったり・・・というように誕生日のようなもの。
何より、カレンダーにちゃんと書いてあるから、
誕生日のように忘れることはないので便利だ。

生まれてきた子供に名前をつける際にも
こうしたカレンダーを基に考えるという。
だから日本人のように漢字の意味や字画に頭を悩ます必要もなし、もちろんバリエーションもそれほどない。

それでもやっぱり流行というのはあるらしく、
100年前に有名な人物の名前はあまり付けないようである。
作家の、ヨーカイ・モールのモール、
数学者のボーヤイ・ファルカシュ、
学者のテレキ・シャームエルなど
カレンダーには書いてあるはずだが、
今は耳にすることのない名前である。

不思議なのは、親の名前をそのまま受け継ぐ習慣が
あることである。
フランティシェックという友人の家に遊びに行ったときのこと、
その父親がきて、「フランティシェックです。」というのだ。
私が目を丸くしていると、彼のおじいさんも同じ名前であるという。
恐らく曾おじいさんも・・・
名前を呼ぶときに、混同しないものか?

ハンガリー人のおばあちゃんに多いのが、
ピロシュカであるが、訳すると赤ちゃんである。
(グリム童話「赤ずきんちゃん」のハンガリー語訳がこの名前)
赤ちゃんのころはきっとぴったりの名前であったろうが、
年をとると少し変である。

キリスト教らしいのは、アーダムやエーヴァ(アダムとイヴの
ハンガリー版)やモーゼシュやアブラハーム、ラファエルというのもある。

中には、オリンピア(オリンピック)やファルカシュ(オオカミ)、トゥンデ(妖精)、アンジャルカ(天使ちゃん)なんていうのもある。

友人の名前エニクーの語源は、
雌ウシであるという。子孫繁栄を願っての名前であろうが、今となってはあまり有難くない
意味である。

日本人である以上は、やっぱり名前の意味を大切にしてしまう。
漢字というもののおかげである。




Theme:異文化
Genre:海外情報

comments(4)|trackback(0)|文化、習慣|2008-03-29_17:47|page top

「白雪姫幼稚園」の保護者会議

いつもの通りに子供を幼稚園に送り出すと、
先生に呼び止められた。
次の日の12時から10分だけ、保護者の会があるから、
できたら参加してほしいということであった。
その会に出るのに、少し怖いような不安な心持であった。

今週の火曜日、ちょうどイースターの祝日の次の日のこと、
ある事件がおきてしまった。
タマーシュくんという、金髪の背が低い男の子がいすに立っているところを、うちの息子が引っ張って落ちてしまい、運悪く鉄パイプの部分で腕を打ってしまったということだった。
事故の直後は、それほど重大なことではなかったのだが、子供の親が迎えに来たときに、
タマーシュくんの腕が動かなかったという。
それで病院に駆けつけ、レントゲンをとったところ、
どこかを骨折しているという。

私はあまりのショックに気が重く、
どう子供に事故のことを説明してよいか分からなかった。
事故の翌日であったから、息子もそのことをよく理解していない風。
とにかく子供の怪我が後遺症にならないよう祈るばかりであった。

その次の日、
先生に思い切って聞いてみると、
「タマーシュくんは、二週間したら幼稚園に帰ってくるそうよ。」
と明るい表情で言ったので、私は心の荷が少し下りたような
心持だった。
しかし、その保護者会でその保護者が来るとすると・・・
私は気が気ではなかった。

私は早めに幼稚園に向かった。
子供たちは、色とりどりの粘土で遊んでいた。
すると先生が、歌を歌う。
「お日様よ、のぼれ。 
 光り輝くお日様よ。
 お庭では小さな子羊が凍えてしまうから。」

すると、粘土をこねながら子供たちも続く。
「シャーンドル、ヨージェフ、ベネデク
袋に暖かいものを入れて、持ってくる。」
これは、ハンガリーの古い言い伝えで、
三人の名前の日がすぎると春がやってくるというもの。

保護者たちの姿が現れると、
子供たちは仲良く手をつなぎ、体育館に連れて行かれる。

私たちは、子供たちの小さないすに腰掛けて待つ。
すると先生が、名札を持ってきた。
ほかの顔ぶれを見ると、ジュジャやアッティラ、リリアナなど、
性ではなく名前で呼び合うらしい。
私の親よりも年配の保護者を名前で呼ぶなんて・・。

「話し合いを始める前に、少し遊びましょう。」
と言って、先生は小さなまりを手渡す。
「一人ずつ、
 『・・・・のような気分です。』と言ってみてください。」

「私は、昨日も幼稚園の集まりがあったので、
 小さな子供用のいすに座らされて、すごく疲れちゃったのよね。
 ほら私ってこんなに小さいから。
(もちろん冗談である。体格の良い人であった。)
 小さな紙を切ったりして・・・
 子供のような気分、かしらね。」

児童会の会長らしい男性は、書記の役割を受け持っていたから・・
「私は、タイプライターかな。
 ほら、今こうして書いているから。
 昨日も出張で、明日もブカレストに行かないといけないから、
 本当に毎日忙しい。」

「私は、春の花のような気分です。
 もう、春が待ち遠しいので。
 最近は滞在許可証の手続きに追われて、
 明日までには終わらせて、早く開放されたい。」
と私も答える。
普通なら、こんな個人的なことを初対面の人たちの前で言わないのだが・・
こんなゲームをする目的は、こんな風にして打ち解けるためだと感じたからだ。

それから、本題に入る。
私は何しろ初めてのことだし、まだ話を理解するので
精一杯だから、ただ聞き役でいるだけだった。

一つ目は、幼稚園の会費のようなもの
(ルーマニアでは、教育は基本的に無料なので、月謝ではない)を
毎月いくらにするか、そして何に使うかということであった。

初めは議論の焦点は、園でだされるお茶について。
私も飲ませてもらったが、ピンク色のフルーツティーで
ジャムのように甘く、うちの子供の好物である。
それが、保護者には余計な出費であるという。
園で調理係が、毎日作るらしいが、確かに少し甘すぎる。
それで、今の材料が切れたら終わりということになった。

また、月の会費は10レイ(2.3レイ=100円)で、
あまり園に出席しない子供の保護者は、半額にするということ。

「私は、自分の子供を二人育てて、
 今また二人の子供を受け入れています。
 育児書の類もいろいろと読んでいるけれど、
 ここではおもちゃが足りないと思うの。
 子供の手先の感覚を伸ばすような、そういう教材があってもいいのじゃないかしら。」
とインテリっぽい保護者が言う。

しかし実情は、その会費にしても、
ほとんどが日々の雑費として消えてしまい、CDプレイヤーとか
カーテンとか必要なものが買える状態ではないという。

「例えば、トゥンデの家庭にしても、両親は外国に出稼ぎに行って
しまって、祖父母が見ているから、経済的に苦しいらしいし・・・」と先生。
ある保護者も、うちも最低限の収入なので苦しい、と応じる。

そういう、個人の経済状況も普通に話題にしてしまうことは、
まったくの驚きであった。

そして、この「白雪姫幼稚園」がHPを作るというので、
クラスも何か紹介しないといけないという。
何かアイデアがあれば、ということであった。

最後になってようやく旦那がフラリと現れる。
私は小声で何を話し合ったかを伝えた。

そして、最後にまたゲームで締めくくりとなる。
「あなたが、・・・だから好き。」という文章を隣の相手について作ることである。
何だか愛の告白のような気恥ずかしさである。

ある子供のおばあちゃんは、隣の保護者に対して
「あなたは顔が大きいから、好きよ。」
(ハンガリー語で、顔が大きい=態度がでかい)
一応笑ってみたものの、よく考えると、なんと恐ろしいことを言うのか。
冗談にしてもちょっとひどい。

旦那に対してある保護者は、
「通りで見かけたとき、家庭を大事にする人のように思えたわ。」
と社交辞令のようなことを述べた。

そして、旦那は私に対して、
「妻だからね。」とだけ。
何の皮肉だか。

私は、まだ話さえろくにしたことのない保護者に、
「私は・・・・
 あなたが良い母親のように見えるから、
好きです。」と多少苦し紛れに答えた。

こういう類のゲームは、
人の輪の関係を築くために大切であるという。
大学の教育系の講義でも、こういうゲームを推奨するという。

日本のPTA会などには出席したことがないが、
こんな風に砕けた話し合いもたまには必要でないかと思った。
議論をするというのは、お互いをよりよく知る手段でもあるからだ。




Theme:海外の子育て
Genre:海外情報

comments(0)|trackback(0)|ルーマニアの育児|2008-03-28_22:37|page top

イースターの一日

昨日は、イースターの月曜日。

旦那は朝早くシャワーを浴びて、珍しくスーツの上を着て、
なんだかそわそわしている。
ノーカラーの黒いボーダーのセーター姿の息子を見ると、
「いや、こんな格好じゃだめだ!」と着替えをするよう命じる。
何をそんなに意気込んでいるのか?

イエス・キリストの復活を日曜日に祝ったあと、
イースター・マンデーは、ハンガリーの異教徒時代の習慣である、
男性が女性に水をかけにいく日である。
女性の知り合いに客として男性が訪ね、
まず詩を読む。
女性を花にたとえ、枯れないように水をかけましょうという。
そして女性の了解を得たら、水をかける。
その後は、お菓子や飲み物(お酒が主)でもてなされる。
・・・という男性諸君にとっては、とてもオシシイお祭りである。

「シャツはないのか?」と聞かれるので、
生成りとグリーンのチェックのシャツを着させ、
亀の模様の入ったスカーフを首のところで結ぶ。
確かに、祝いの場にふさわしいような格好だ。
さらには「改まったジャケットは?」などとくるから、
私は腹が立って
「こんな子供にまで、何でそんな服装を!」とやり返した。

「さあ、詩をいってみてごらん。」と息子に、最近、父親や幼稚園の先生から習った
水をかける詩を復唱させる。

「私は、小さな庭師の若者です。
 お花にお水をかけてまわっています。 
 ここのお花が枯れそうだと聞きました。
 お水をかけてもいいですか?」
と舌がもつれそうになりながらも、やっと最後まで言ったとき・・・

旦那がいきなり私の首筋にコップで水をかけた。
不意打ちに、寒いやら、頭に来るやらで、
男二人をうちから追い出してやった。

せっかくきれいな格好をしても、
こんなことでは全くの無駄だ。
男どもに良いだけの祝いである。

息子たちは、小学生になったばかりのいとこの所や、
姑の女友達の所をまわるはずである。

朝は、子供たちが通りを行きかい、日が暮れるにつれ
男性たちが多くなるという。

私は一人家に残されて、
少々心細い気持ちで、本を読んでいた。
誰を待つともなく、待たなければいけない。
なんともイヤな時間である。

ふと家の外を見ると、
黒い格好をした男が急ぐように歩いている。
子供をつれた中年の男もいた。

昨日までは旦那の物置であった客間は、
すっきりとはいえないが、今は人の座る空間は保たれている。
私がいつかブダペストの蚤の市で買った
可愛いニワトリのテーブルクロスに、
ヴィンテージ物のカラフルなお皿にのったお菓子の数々・・・
姑が持たせた、赤タマネギで染めた茶色の卵、
息子が幼稚園からもってきた若草色の麦の苗・・・
セーケイ地方の花模様の描かれた、澄んだブルーの
いすとテーブル。

イースターのテーブル

そんな、いかにも祝日らしいセッティングをした小部屋の中をひとり、
そわそわとした心持で待つなんて馬鹿らしい。

そうしているうちに昼になり、子供と旦那が帰ってきた。
息子は可愛らしい真っ赤な卵をたくさん持ってきた。
「まだ誰もきてない?」と聞くので、
「そうよ。」と憎たらしく答えた。

息子は、どうやら三箇所まわって、
お菓子を死ぬほど食べたらしい。
最後の家では、カラーチという甘いパン生地のものを
残してきたという。

私たちは、祝日のために作った「肉のスープ」を食べた。
これは、数種類の野菜と骨付き肉を何時間も弱火で煮込んで、
塩で味付けしただけの、いわゆるコンソメスープ。
それをこしたものに、細いそうめんのような麺を入れて食べるのが
ハンガリー風である。

食事のあとで、子供を昼寝させて、旦那もうとうととしていた。
そんな時、玄関の方で激しい音がなって、はっとする。
午前中に息子たちが訪ねた家のおじさんだ。

「××おじさん!」と旦那を起こし、客が来るのを待つ。
まもなく、口ひげを生やした中年の男性がやってきた。
「間違えて、一階下の家に入るところだったよ。」と笑顔だった。
「水をかけても良いですか?」と聞くので、「どうぞ。」と言うと、
何やら香りの強いスプレーが、頭の上にかかってきた。
これが都市の習慣である。

まず客間にお通しして、飲み物を尋ねる。
「ワインを。」というので、台所でワインを注いでいると、
またインターホンが・・・

出ると、昨日外で会った少年だ。
何年か前、息子と公園で遊んでいる時に出会い、
日本に興味をもっていたので、箸をプレゼントしたことがあった。

いきなりの、年齢も違い、初対面の二人の客に私は緊張した。
少年は、小さな紙にぎっしり書かれたイースターの詩を読んだ。
何やら早口でよくわからなかったが、
イエスキリストの復活の意味と、春を迎える習慣について書いたものであった。
そして、また香りの強いスプレーが髪にかかる。

しばらく日本のことを話題に話をしたり、
まだ沢山の所に行くのかと聞いたりした後、二人の客は帰っていった。

旦那のところへ行き、「なぜ、部屋に来なかったのか?」と非難の目を注ぐと、「これは、君のお客様だからね。」と意地悪そうに笑った。

しばらくの後、息子が起きてくると二人はアパートの隣人のところに出かけた。
上に住む、17,8の娘さんは年頃なので、さぞお客も多いだろう。

なかなかやってこない旦那の友人に連絡すると、
「あと30分で着く。」という返事。
50kmほど離れた村に住む彼は、村でも知り合いを訪ねてから来る。
旦那は、一緒に昔のクラスメートを訪ねようと彼を待っていた。

セーケイの民族衣装の、縞のスカートを見ると、
「あいつも水をかけるはずだから、着替えたほうがいい。」と言った。

しばらくして、インターホンがなる。
ドアを開けると、長身の彼の姿。
また水をかけられると思うと、おびえながら扉を開く。
「どうしてきたか知っているでしょう。」とニヤニヤするので、
「知ってるけど。手加減してよね。」とお願いをする。

小さな小瓶で、首のところに冷たい水が注がれる。
朝の旦那ほどの量ではなかったが、やっぱり冷たいのですぐに服を着替える。
そして、客部屋の方へ戻るとまた扉をたたく音がする。
もう、来ると見ていた客は皆やってきたような気がしたので、
不審に思ってのぞいてみると。
2メートルほどの大男、しかもセーケイの民俗衣装に身を包んでいる。
旦那の古い友達であった。
扉を開けると・・・

zoli

大きな白いバケツを手に部屋に入ってくるではないか。
「きゃあ」と叫んで、旦那の後ろに隠れる。
子供のころ、宮崎の田舎でハレハレどんという恐ろしい男に出会ってしまった
あの恐怖を思い出した。

意地悪な旦那は、横に逃げる。
「そこに水が入っているの?」と聞くと、
彼はにこりともせずに「もちろん。」と言う。
「ほら、水をかけるから、風呂場に行くぞ。」と機械的な口調でいうので、
私はたまらなくなって、
「風邪を引いているから、ほんの少しにして。」
と訴える。

バケツの中に大きな手を入れて、
首の辺りに引っ掛けた。
まだ、バケツいっぱいでなかっただけましである。

「そのバケツ、アールコシュから持ってきたの?」と聞くと、
水はここのだけれど、バケツはそうだと答える。
彼は、セントジュルジの隣にある村から来ている。
通りでも、相当目立つはずだ。
本当にほかの女たちは、よくこの姿で家に通したものだ、と感心する。
これも、イースターという風習のなせる業か。

その後、夜には土砂降りになった。
これでは、男性たちも外を歩くのに困難であろう。
少しは、女の身が分かってよかったかもしれない。
いまだに様々な香水の匂いがこもっている頭に、
まだイースターの名残が感じられる。























Theme:世界のイベント
Genre:海外情報

comments(2)|trackback(0)|文化、習慣|2008-03-25_22:18|page top

幼稚園デビュー

ルーマニアの「白雪姫幼稚園」の午前の部に
デビューすることになった。
もちろん、ハンガリー語のグループである。

まず、持ち物を入れる。
リュックサックに、スリッパとコップと、タオル。
そして10時のおやつ。
10時のおやつといっても、お菓子ではなくて、
チーズやハムのサンドイッチが普通である。
この習慣は小中学校、高校、大学にまで続くという。
給食や、お弁当というものがないのだ。

8時半に登園。
靴をスリッパに履き替えさせる。
スリッパといわれたので、その通りのものを持ってゆくと、
ほかの子はサンダルや普通の靴を履いている。園の中は暖かいので、中には着替えをする子もいる。

初めてなので私も見学させてもらうことにした。

子供たちはおもちゃで遊び始める。
すると、先生は別室でお絵かき道具を用意し、
今日お誕生日の子供のために絵を描くようにと勧めた。
ぎゅうぎゅう詰めに座って、絵をかく子供たち。

中には、机の下に隠れるようにして泣いている子供、
ずっと一人でいる子もいた。
旦那の言うには、そういう子の方が返って
勉強のできる子になるものらしい。
でも親からしてみると、やっぱり不安である。

息子は、もくもくと大好きな電車のおもちゃで遊んでいた。

先生が声をかけ、なにやら遊びが始まった。
鳥になった子が眠った振りをする。
すると子供たちが歌を歌って、その鳥に近づいて起そうとする。
鳥が目を覚ますと、子供たちはいっせいに逃げる。
そして一人の子を捕まえると、その子が今度は鳥になるという風。
なんだか、「達磨さんが転んだ」に似ていませんか?

その後、今度は輪になって、中心に一人子供が目隠ししている。
「花輪よ、花輪。
 どうしてあなたは悲しいの?」
「私の名前が花輪だから。
 だから悲しいのよ。」
と歌うと、一人の子を先生が指名する。
その子が、
「トントントンとたたきます。
 私が誰だかわかる?」
と聞く。
誰だか当てたら、次は交代。
これは、もしかして「かごめ、かごめ」?

意外な共通点を見出して、一人悦に入った。

先生の呼びかけで、今度は
子供たちが輪になって座る。
みんなの注意を引くように話しかけ、
「さあ、これから体を洗いましょう。」
と体のいろいろな部分の名前を教える。
そして次に、ルーマニア語で一つずつ繰り返す。
今度は赤ちゃんの人形を渡し、一人一人からだの名称をいうのだ。
息子は、もちろんルーマニア語は一切知らないので、
何もいわず人形をそのまま渡した。

小学校に入って、必須であるルーマニア語に慣れるためにも
今のうちから教えるのは大切なことである。
ただ、うちの息子の場合は日本語とハンガリー語だけでも
今は混同しないようにするのが精一杯の状態である。
私はふと、三歳の子供に三つ目の言葉を教えるのは
負担にならないかと心配になった。

それからお誕生日会が始まった。
誕生日を迎えるボギという名の女の子と、その子のおばあちゃんを
囲んで机を並べた。
おばあちゃんが、ボギの生まれた日のことを話す。
もう少女といってもいい、大人びた顔の彼女ははにかんだ顔をしている。
そしてボールをまわして、ひとりひとり、
その子のためにお願い事を言うことになった。
「ボギに、飛行機のアメをお願いする。」
という子もいれば、
「ボギに、幸せをお願いする。」
という子もいる。
息子はというと・・・やっぱり何も言わずにそのまま手渡した。
それから、子供たちがボギを囲んでキスをした。
みんなでケーキを食べて、踊りを踊って今日はこれまで。
お代わりまでもらって、息子も満足そう。

帰り際に、子供をつれたご近所のおばちゃんが、
「バラージュちゃん(息子のハンガリー名)。
 幼稚園に行っていたの?
 いいクラスに入ったね。あの先生は、子供に熱心で、いい先生だよ。
 運が良かったね。」
と話しかけてきた。

これから、どんなことを学んでくれるか楽しみである。







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comments(2)|trackback(0)|ルーマニアの育児|2008-03-23_02:56|page top

ルーマニアの幼稚園

私たち一家がルーマニア、トランシルバニアにある町
シェプシ・セントジュルジに引っ越してきたのは2月のはじめ。
息子は、2月の終わりに晴れて幼稚園児となった。

家から徒歩3分ほどにある、
その名も「白雪姫幼稚園」である。
はじめに姑に連れられて、見学に出かけた。

ある人によれば、ルーマニアでは子供の数が増えているのに保育園や幼稚園の施設が不足していて、なかなか希望通りのところに入るのが難しいという。
それを聞いて、あわてて探すことになった。
村はずれのジプシーばかりの地区にでも入れられたら大変だからである。

姑は同じ村出身の園長がいるというので、安心しきっていた。
元共産主義国なので、こういうツテやコネはものをいう。
しかし残念ながら、園長先生は外出中。
仕方がないので、中を見学をさせてもらうことに。

保育園の外観は、白くて四角いコンクリートの物体、
としか喩えようのないものであるが、中に入るとアットホームな空間に変わる。
入り口には、アンティークな糸つむぎ機や農家の家をイメージした部屋がある。
や階段を上るところには、織物やフェルトのオブジェが飾ってあり、トランシルバニアの地方色にあふれている。思わず「素敵。」と声に出してしまう。

白雪姫幼稚園のロビー

今年の一月までM県で通わせていた保育園は、
アンパンマンなどのキャラクターもので飾られていたので、主人は閉口していた。
彼はなんでも子供の趣味に合わせてしまう(もちろんそうでない所もあるはずだが)、日本の幼稚園、保育園に幻滅を感じていた。

まず、午前中だけの部を見せてもらう。
明るい部屋に、子供たちが仲良く座って食事をするところであった。
どうやら10時のおやつらしい。
ルーマニアでは、10時にサンドイッチのような軽食を食べ、昼食は2,3時ごろ。
12時に決まってお腹の虫がなる、日本の習慣とは違う。
先生が出てきた。
私たちが事情を話すと、15人の子供を一人で見ていて手があかないこと、途中でまたほかのクラスに移ることとなったら、息子にとっても気の毒だという。

次に向かったのは、一日中預けるクラス。
部屋をのぞいてみると、可愛い子供たちがオレンジの皮をむいているところであった。
先生が息子にも渡すようにというと、
天使のような子供たちがオレンジの皿を息子の前に差し出した。
先生はエキゾチックな容貌の(東洋の顔立ちのこと)息子を見て喜び、褒めちぎったが、やはり返事は先ほどのクラスと同じであった。ここは20人であるという。

どこも子供たちの数に対して、保育師の数が少ないようだ。
私は、果たして入れるのかと不安になった。

園を出ると、旦那が
「子供たちは、大人と違って、金髪が多いだろう?」といった。
そういえば、ルーマニアの人はほとんどが茶色か黒に近い毛の色であるが、
あそこの子供たちは、まるで天使のような明るい金髪が多かった。
大人になるにつれ、色が濃くなってゆくという。

旦那も、今でこそこげ茶のパンチパーマのような巻き毛であるが
(日本では本当に天然か、と不思議がられていた)、子供のころは金髪で直毛であったという。
4,5歳ごろに色が黒っぽくなり、7,8歳ころに巻き毛になったという。
・・・不思議である。

後ほど、姑が息子を伴って園長室に花束を持ってゆき、
月曜日から午前の部に通ってよいという知らせを運んできた。
思ったより簡単で、拍子抜けした。

このようにして息子は、晴れて幼稚園デビューを飾ることになった。







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comments(0)|trackback(0)|ルーマニアの育児|2008-03-23_02:27|page top

春を告げるイースターエッグ

イースターといえば、なんといっても卵である。
これもパプリカ通信のために2004年に書いたものだが、
日本ではなじみのない風習を少しでも身近に感じていただけたら、と願って紹介してみたい。

春を告げるイースターエッグ
今年のイースター(復活祭)は4月の11日に始まり、一週間続きます。イエス・キリストの復活を祝うこのお祭りは、クリスマスに次いでキリスト教圏では大きな祝日となっていますが、その起源はそれよりももっと古く、一般に春を迎えるお祭りとして様々な地方で行われていたものです。
もうずいぶん早くから市場では卵形やうさぎ型のチョコレートが出回り、春が待ち遠しく思われることでしょう。今回はイースターエッグに焦点を当てて、家でも簡単に作れる飾り付けを紹介します。

イースターエッグとは?
女性達が丁寧に卵に模様をつけ、訪ねてきたお客をもてなす習慣は農村ばかりでなく都市にも息づいている。特に女性にとって大切なのは、お目当ての男性に取って置きの卵をプレゼントすることであろう。これはなんとも日本のバレンタインデーの本命チョコを連想させる。ある村では、器の中心に大きな卵を置いて、それを本命の相手に贈るという。
なぜ卵であるのか?それにはいくつかの説があるが、一般に恵みの季節である春を象徴するのが卵で、様々な民族の神話にも大きく関わっている。
例えばウラル民族にも、世界は卵から生まれたとする説がある。つまり卵の白身は月を、黄身は太陽を象徴するといわれ、それが一体となって宇宙を形作るという。恐らく卵の形自体が、地球を想わせるのも偶然ではないであろう(またシャーマンの太鼓も卵型である)。このように多産、再生を祝う春にきっても切れないものが卵なのである。
この習慣の起こりは定かでないが、アヴァール時代の女性の墓にも、この模様のついた卵が発見されたという。ちなみにウサギは、ドイツ語圏から広まったもので、卵とともに多産のシンボルとして知られている。
 
どんな文様が使われるか?
大きく分けて幾何学模様のものと、具象的な模様のものとに分けられる。それら文様のなか(主に前者)には、考古学的な遺産にみられるもの、東洋の呪術的な印と関連があるものもあるという。それは文様の名前にも表われていて、「悪魔のひざ」というものもある。
 例えば、最も多用されるモチーフの一つである「星」は、宇宙的な象徴であり、のろいや邪視から身を守るのに使われていた。また人の死を流れ星が知らせるように、生命や個人の象徴として、イエス・キリストを指している。
また、土の多産性を表すのが、農耕道具である。ほかにも、「手」や「指」を意味する文様があり、「モミの枝」や「ローズマリー」、「ウサギの耳」などと呼ばれている。これらは悪霊退散、占いに使われていたとされる。中でも「すき」は、春の儀式に使われる道具として、男性の象徴であるとされ、「すき」で大地を耕すことをもって、結婚と結び付けていた。
不思議な文様としては、「魚」、「カエル」が挙げられる。魚は昔からキリスト教の象徴である。謝肉祭からイースターまでの期間、断肉の時期を意味するのも魚であり、魚の肉は食べても良いとされていた。「カエルが歌うと、雨が降る。」といわれるように、春に(農業にとって)大切な雨を降らすものがカエルである。また若さや女性の象徴として、例えばエジプトや中世ヨーロッパで若返りの薬の材料として使われていた。
魚と関連して、イースターの時期に男性が女性に水をかける習慣(ロチョラーシュ)において「水」の果たす役割は重要である。女性を花に喩えて、生命である水をかけ、美しく育つよう祈願するのはハンガリーの習慣である。
花模様に関しては、もちろん春のものを描くのが原則である。これはどちらかというと新しい習慣であるという。ハンガリーの模様としてお決まりの「チューリップ」や「スズラン」、「カーネーション」、「野バラ」などである。

イースターエッグの作り方
ハンガリー語でいう、hímes tojásは「模様のついた卵」という意味からきている。もともと金曜日に模様をつけるのが習慣で、それを月曜日にプレゼントする。ろうで卵に模様をつける方法が一般的であるとされる。そのあと染色をするので、ろうで描いた部分だけが白く模様として残るわけである。
普通は卵を8つに区切って、それぞれに同様の形を描いてゆく。これが意外と難しく、まずイラストの平面と卵の立体の形とがうまく一致しない。また普段使い慣れている鉛筆やペンで描くのとは違って、このエッグ用筆を使いこなせるようになるには相当な訓練が必要となる。また、突然ろうがたれて染みになるというハプニングも起こりがちである。私も初めてしたときは、文字もかけない幼児時代に戻ったかのような自分の手に苛立たしさを感じたが、自分を責めずに根気よく続けたいものである。
最も起源が古いのは、単純な幾何学模様のものだといわれている。今では多色使いのもの、より複雑に凝ったもの、民俗衣装の飾りや刺繍などに見られる文様を使ったものなどもありますが、まずは直線を描くことから始めてみましょう。

道具…卵(ゆで卵)、割り箸、薄いアルミの板(例えば歯磨き粉のチューブ)、糸、ろう、木炭の粉、塗料(市販のもの、または玉ねぎの皮と酢)。あれば馬のしっぽの毛。

1.まず始めに絵付けをする筆を作る。割り箸の先に1cmほど切れ目を入れて、そこに針を巻いて形を整えたアルミの管を1.5~2cmにして差し込む(馬の毛を中に入れるとより描きやすくなる)。糸でぐるぐる巻きにして、よく補強をすればできあがり。
2.贈り物にはゆで卵、飾り用には卵の殻を使う。卵の中身を出すには、その両先端に針で穴を開け、中身をよくかき混ぜたあと、一方から口で中身を吹く。すると卵の殻がきれいに残る。
3.次にろうを溶かして、中に少しだけ木炭の粉を入れる。というのは薄く色をつけ、絵付けした部分が見えるようにするためである。
4.それではエッグ用筆を手に、先端に温めたろうをつけ、見本の型をよく見ながら絵を描く。始めに対角線を引いてから模様を描くとやりやすい。
5.全部に絵付けが済んだら、市販の塗料、または玉ねぎの皮を煮て酢を少々たらしたもの中に入れる。酢を入れるのは、色を残りやすくするためである。
6.しばらくそのままに置いて、色が十分ついたら取り出す。ろうは残したままでも、ふきんでふき取ってはがしても良い。
 この他にも、はじめに卵に色をつけて、後から針で削り模様をつけるやり方もある。もし面倒ならば、ストッキングを使い、葉や花といっしょに卵を包んで模様をつける簡単な方法もある。また最近では、小さいパスタやケシの実を接着させておくものもある。
 カロタセグ地方の村では、観光用にビーズで模様を作り、卵形のものにかぶせていた。職人技術を要するのは、馬の足にやるように卵に鉄製の飾りをつけるやり方である。このように卵の飾りにも色々な方法があり、保存状態によっては100年でももつというので、ひとつ出来のいいものを大事にとってみてはどうでしょうか。
 また頂きもののゆで卵でも、上手く保存すれば、卵の中身は乾燥して小さくなるという。以前、ルーマニア、モルドヴァ地方の美しい模様のついた卵を頂き、ひびが入った後もそのままにしておいたら、案の定、部屋中に卵の腐敗臭が広がった経験もあるので、保管にはぜひ気をつけていただきたい。

イースターエッグにまつわる習慣
ロチョラーシュという習慣が大きな意味をもつ頃はすでに述べたとおりである。イースターの月曜日に、昼間は子供達が、晩には男性達が知り合いの女性のところに次々と挨拶をしにまわる。この際、男性はお決まりの詩を読み、水または香水をかける。また女性はこのお返しに、卵を渡し、お菓子や飲み物を勧める。男性にとって、これは普段から親しい関係の所にはもちろんだが、なんとなく音沙汰がない人の所にも行くことができる、いわば交際関係を保つ上でなかなか便利な機会であると聞いた。私達が年賀や暑中のはがきを送るのと同様に、それでも実際に人を訪ねるのは人間関係をより円滑にする手段ではないだろうか。
 また卵に関して、いくつかの遊びがある。私がモルドヴァ地方の村にいたときに、朝食にと頂いた赤い卵に、誰かからガツンと別の卵で割られたことがある。ワイングラスをカチンと鳴らすように、卵同士をぶつけて割るのが習慣なのだそうだ。子供同士では、卵の強度を競い、ひび割れた卵を勝者がもらうという遊びもある。



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comments(2)|trackback(0)|文化、習慣|2008-03-21_03:17|page top

ハンガリーのイースター

春の足跡が少しずつ近づいてくるのが感じられるようになったこの頃。気が付くと、イースターという春と切っては切れない関係のイベントが今週末にやってくるという。
以前、ブダペストに留学していたころ、「パプリカ通信」という
在ハン邦人向け雑誌に記事を書いていたので、ちょうどイースターに関するものがあったと思い出した。
その記事を紹介してみたい。

ヨーロッパの春はイースターから。
・・・長い長い冬に別れを告げ、ようやく緑の季節がここ、ハンガリーにも到来します。毎年4月になと市場に並ぶ、たまごやウサギ、ネコヤナギの枝の意味を知っていますか。日本ではほとんど馴染みのないイースターですが、ここで幅広くご紹介しましょう。

イースターとは?
大きく二つの意味合いに分類できる。
一つはキリスト教の復活祭のこと。キリストは、金曜日に十字架に張りつけられて、3日後の日曜日に復活したという。それを祝してキリスト教圏では、クリスマスと並ぶ、主要な行事となっている。
また謝肉祭の後に約50日間、肉食を断ち、この時期にやっと解禁される。ここでは、むしろ春を迎える祭りという意義が大きい。長い冬からの開放と、生命の誕生を祝う風習といえよう。ハンガリー語のHúsvét(Hús=肉)はここからくる。

イースターはいつから始まるか?
3月22日~4月25日の間のいずれか。いつになるかは、毎年変動するが、春分の日〈3月21日〉の後、最初の満月の直後の日曜日に始まるといわれる。〈325年、ニケーア公会議から〉それ以前は、ユダヤ教の過ぎ越しの祭りと同時期にあった。今年は、4月20日にあたる。

イースターの起源
元来、キリスト教以前の春を祝う祭りとして様々な地方で行われていたという。
語源を辿ると、それがよく分かる。例えば、ドイツ語でOster、英語でEasterは、ゲルマン神話の女神オスタラに由来する。また一説には、太陽の昇る方角、東(East)にあるともいわれる。また、ユダヤ教の過ぎ越しの祭りでは、出エジプトを祝って、子羊の血で家の扉をを染めていた。

イースターのシンボル
・たまご・・・永遠なる生命の象徴として最も重要。又はたまごとひよこ。特に赤いたまごは、イエス・キリストの流した血を意味する。東ヨーロッパでは、この時期にたまごを赤く染める習慣が見られる。
・赤い色〈血〉・・・一般に生命を意味する。例えば、古代の墓にも赤い塗料が確認されている。また、冬を悪としてとらえるなら魔よけの色ともいえる。
・火と水・・・ともに清めの意味をもつ。(習慣参照)
・ウサギ・・・ゲルマン神話によると、もともと鳥から姿を変えたもの。
・子羊・・・キリストが子羊として姿を現したことから、キリストの象徴。また、いけにえの動物としても知られる。
・魚・・・肉を断つ期間に許された貴重な食べ物であった。キリストの象徴ともいわれる。
・ネコヤナギ・・・つぼみを持つことから春のシンボル。

イースターの料理
たまごを使う料理から、子羊を焼いたものまでみられる。ご馳走を家族皆で囲むというのは、クリスマスにも似ている。たまごやハム、子羊、カラーチ(菓子パン)など。

ハンガリーにおける風習、卵のいろいろ
この時期の多くの習慣は、たまごに関連する。その中から、いくつかをご紹介しましょう。
・たまごを染め、模様を描くのは、主に女性に限られる。染めは、玉ねぎの皮を使うのがふつうである。その他にも、リンゴの皮から黄色、麦から緑色、レンズ豆からは青い色ができる。その際、お酢をたらすと色が残りやすい。模様をつける場合は、溶かしたろうを針のついた筆でたまごの上に描くのが一般的なやり方である。つまり、ろうで描いた個所が白く残るわけである。主に、幾何学模様にする。
・ハンガリーで最も有名なものは、Locsolás=ロチョラーシュ(水をかけること)である。女性を花にたとえて、男性が水をかけに家を訪ねにゆく。昔はバケツ一杯の水を頭からかけるという、かなり激しいものであったが、今では香水を使うのが普通である。その際、女性は色とりどりのたまごを男性に贈る。お菓子やアルコール類を勧めるのも忘れてはならない。
伝統的には、まず詩を読み、水をかけてよいか尋ねる。例えば、
「私は庭師の若者です。花に水をかけにまわっています。この家で、花が枯れそうになっていると聞きました。水をかけてもよろしいですか。」
・木曜日・・・緑の木曜日ともいわれる。緑色の野菜を食事に使う。ネコヤナギの枝を清め、それに治癒する力が宿るといわれる。
・金曜日・・・キリストの命日。今では、この日だけ肉食を断つ。
・土曜日・・・新しい洋服を着る。または、新しい手袋。
・日曜日・・・復活の日。この日に朝日を見る風習もある。太陽に、キリストの姿を、又は、旗をすかして子羊の姿が確認できるといわれる。
・月曜日・・・ロチョラーシュ、水をかける習慣。
〈この一週間後に、女性がお返しに水をかけに行く習慣があるところも〉

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comments(0)|trackback(0)|文化、習慣|2008-03-20_20:34|page top

キノコ狩り。

雪解けの後、だんだんと日が長くなり、トランシルバニアにも春が訪れると
キノコ狩りのシーズンがやってくる。

山や森よりも海や川に親しい環境で育った私には、
このキノコ狩りというイベントが不思議で仕方なかった。
毎年死者も出るという、そんな危険まで冒して
どうしてただの食料を探しに森に行くのか?

いくどか友人たちに誘われて行くうちに
そんな先入観も消えていった。
日本のうっそうとした森、
外から見るばかりで、中に入りづらい森のイメージは、
ヨーロッパの「明るい森」とはまるで違う。

緑と土色の世界に足を踏み入れると、
白や黄色や赤やその他もろもろの、色彩を放つキノコは、
まるで花のように景色を明るく華やかに彩る。

森を歩くうちに、いつしか袋は
色も形もさまざまなキノコでいっぱいになると、
不思議な満足感で満たされてゆく。

家に持ち帰ったからといって、
必ずしも料理をするとは限らない。
そのままの状態で朽ちていったものも何度か見た。

どうやら、森でキノコを収集すること自体が
娯楽であるようである。

旦那が3ヶ月くらいのときに
両親が友人たちと一緒にキノコ狩りをしに行ったと話したことがある。
そのときに、悪いキノコが入っていたらしく、
彼の母親も、そしてその乳を飲んだ赤子の彼さえも、
おなかを下してしまったという笑い話である。

そして私たちも子供が5ヶ月になったときに、
友人たちと森に出かけた。
その時は、収穫したばかりのキノコを
キャンプファイヤーで焼いて食べた。

どんなキノコがとれるのか?
キノコに関しては素人なので、
ほとんどはこちらで聞く名前しか知らないが、
代表的なものを挙げると・・・・

・「鳩の背」と呼ばれるグレーのかさが開いたキノコ。
・「パン・キノコ」と呼ばれる、パンのような赤茶色した傷をつけると乳のようなものがしたたるキノコ。
旦那は生で食べるのが好きだ。
・「子牛の鼻」と呼ばれる、傘が湿っぽいキノコ。
・「小鹿の足」と呼ばれる、背の高い大きな傘をもつよい香りのキノコ。
・「カーネーション・キノコ」は、小さくて細い茶色のキノコ。
 スパイシーな香りがする。
・「苦いキノコ」は、その名の通り、苦い味のキノコ。色は白くて、傷をつけると乳が出る。
・「クマ・キノコ」は、茶色くて、太ったキノコである。キノコの王様。
・「キツネ・キノコ」は秋を代表する味覚。だいだい色で、トランペットのような形をしている。
 甘くて、香りがよいので好まれる。 
・「コショウ・キノコ」は、傷をつけると、赤っぽくなるキノコ。

そして最後に、草原の明るい場所を好む、
・「チペルケ・キノコ」とは、マッシュルームのこと。
大きいものは、大皿ほどの大きさにもなるという。
栽培されたものとは、味も香りも大きさも段違いである。

キノコ狩りには興味があるが、
キノコが見分けられない・・・・という人のために、
市場に「キノコ判断」をする専門家がいるので大丈夫である。

ただキノコはおそろしいもので、習慣で毒を感じなくなるという
特性もあるらしい。
あるハンガリーの民俗学者はシベリアの部族を研究中に、
地元の人の食するキノコを食べてしまい、亡くなったという。

だから、むやみに見知らぬ土地のキノコを
味見してはいけないということであろう。
私もこれを踏まえて、慎重にキノコの世界に近づいてゆこうと思う。







 



comments(4)|trackback(0)|トランシルヴァニア食文化|2008-03-20_17:48|page top

味のある炭酸水。

炭酸水はお好きですか?

といってもファンタやコーラの類ではない、
良質のミネラルを多く含む、無色無臭の炭酸水のことである。

初めてそれを飲む人は、味がない炭酸水なんて・・・
というかもしれない。

もちろん種類によっては、いやな臭みがあったり、
本当に味がないものもあるかもしれない。

何を隠そう、ここコバスナ県は、ルーマニアに、いやヨーロッパに
誇るミネラルウォーターの産地なのである。

ここで初めて、あの炭酸水には味があり、
産地によって微妙に違うことを発見したのだ。

スーパーをのぞいて見ると・・・

・BODOK(ボドク)
・・・中心地SGから、北東にある村。炭酸が強い。
・COVASNA(コバスナ)
・・・中心地SGから南東にある町。
   少し酸味がある。
・BIBARCI(ビバルツィ)
・・・中心地SGから北西にある村。
   マグネシウム多い。
・VARCELE(ブルチェレ)
・・・SGの西どなりの村。鉄くさい味で体によさそう。
   中でもマグネシウムを多く含む。
・BORSEC(ボルセク)
・・・隣の県ハルギタ県の有名な炭酸水。
   炭酸がさわやかで、少し塩分があるおいしい水。
   ヨーロッパのコンテストで金賞をとったこともある。      
・MARIA MALNAS(マリアマルナシュ)
・・・女の子がつぼを肩にかけるアングルの絵のような
   イラスト。鉄と塩の味がする。

これほどたくさんの種類の水が販売されているのは、驚くばかりである。

普通に飲むだけではなく、塩味のきいたものは料理にも
使うという。たとえば、クレープの材料に炭酸水を使うとよい
というのはよく知られている。

この炭酸水、どうしてこれだけの需要があるのだろう?

その理由は、ヨーロッパの肉食という食文化にあると見ている。
あれだけ脂分の多い料理を消化するには、
炭酸水が一番である。
後味がすっきりしていて、そして体によいときているから、
並みのサプリメントよりもずっといい。

だから、味がないという先入観を捨てて、
皆様も、ぜひ一度お試しください。

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comments(3)|trackback(0)|トランシルヴァニア食文化|2008-03-17_23:27|page top

巨大なパンを食べる。

ルーマニアの主食は?とよく聞かれるが、
それはすなわちパンである。

パンといっても、あの日本の四角くてふわふわのパンではない。
ましてや原材料に、砂糖を入れるなんて禁物だ。

一言でパンといっても、いろいろな形や食感のものがあるが、
普通は1kgのものを買う。
だから大きな袋を持ってゆかないと、中に入らない。

特にここ、セーケイ地方のパンといえば

平たくて丸くて、皮のかたーいパンである。

大きなナイフでその円形を真っ二つにきると、
こげ茶色のパイパリした表面から真っ白いもっちりとした中身が見える。
それから、その半円形を切れ目を下にしておいて、
たてに2~3cmほどの厚さでスライスしてゆく。

これにはかなり熟練した技が必要である。
私もはじめはパンの厚さが違ったり、ぼろぼろと
パン粉がこぼれたりしたものだった。
ナイフを垂直に持って、前後に動かしながら潔く切るのだ。

パンを頂くときには、ルールがある。
そのまま口に入れてかじるのではなく、手でちぎって食べること。
スープや肉料理を食べるときには、必ずパンを添えること。
(旦那は、リゾットやチャーハンを食べるときにも
パンと一緒に食べる。)

パンだけを食べるのも、またよいものである。
お味噌汁を口に含んでご飯を食べるごとく、
ミルクを口にしてから
自家製のアプリコットジャムのパンを食べると、
パンがミルクに溶けてジャムの甘さが心地よい。

レバー・ペースト(鳥や豚のレバーをペースト状にしたもの)に、
固いチーズをのせて、自家製のピクルスといっしょに。
これだけでもう本格的な、食事のようである。

またルーマニアでもっとも美味しいもののひとつが
ハチミツである。
日本のスーパーでよく見る茶色いトロトロのものとはわけが違う。
ざらざらとした塊を、スプーンで力を入れてすくい、
パンの表面に塗る。
バターを塗ったパンであれば、なおコクが出て美味しい。
味に、驚くほど濃さがあり、
ねっとりとした舌触りである。
一口食べれば、病み付きになることは間違いない。
私も息子も、ここ一ヶ月間ハチミツ中毒である。

夏になり、市場にさまざまな果物や野菜があふれるようになると、
今度は、パンにつける具作りが盛んになる。

なかでも、おすすめは・・

1.ビネテ(ナスのペースト)
 ナスをよい香りがしてトロトロになるまでよく焼いて、
 たまねぎのみじん切りと塩、こしょう、サラダ油(または
 マヨネーズ)とまぜるだけ。
 これが本当にナスかと思うほど、複雑な味がするのだ。
 焼いたナスの香ばしい味が、パンにあう。

2.ザクスカ(野菜のペースト)
 パプリカは、緑の長いものと、トマトパプリカと呼ばれる
 丸いものとを使う。
 もう一度、レシピを確認してから記すことにする。
 これは、野菜の美味しさが凝縮されたペーストで、
 トマトの甘みが十分にしみこんでいる。

ここでは、パンにもたくさんの食べ方があることがよくわかる。
ただ注意してほしのは、白米の感覚で食べていると
うっかり体重が増えてしまうことである。


 







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comments(0)|trackback(0)|未分類|2008-03-12_21:44|page top

ハンガリー語のあいさつ

挨拶、
それは相手を確認し、好意を伝える大切な手段。

家から外に飛び出すと、
まずはじめに大切なのは、あいさつをすること。
同じアパートの住人の顔を覚え、
その人にあったあいさつをしないといけません。

*号室のおばあちゃんには、
"Csókolom!" チョーコロム!
(あなたにキスを!)

*号室のおじいちゃんには、
”Jó napot kívánok!” ヨーナポトキーヴァーノク!
(よい日でありますように。)

小さな子や、若者には、
”Szia!” スィア!
(英語のHi!のようなもの)

相手が何人かであったら、
”Sziasztok!” スィアストク!
(Hi!を複数の相手にいいたいとき)

・・・というように、あいさつ一つにしても
その言葉の文化をよく表すし、
私のような外国人は頭を悩まさなくてはいけない。

たとえば、ハンガリー語においては、

tegezés(テゲゼーシュ)・・・友達なのだから気楽に話そう。(下の二つ)
magazás(マガザーシュ)・・・少し距離を置いて話しましょう。(上の二つ)

の二つのルールがある。

同じアパートに住んでいて、顔見知りだけれどあまり話したことはない。
という相手に、どう挨拶をしたらいよいかの判断は難しい。
相手が明らかに目上であればよいのだが、
自分も年をとってきたので相手との年の差が微妙である。

たとえば、自分の親ほどの年齢の人が、
いっしょにワインで乾杯をして、
「さぁ、これからはタメ口で話しましょう。」
といってきても、なかなか難しいものがある。

礼儀と親密さと、どちらをとるかが問題である。



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comments(0)|trackback(0)|文化、習慣|2008-03-10_21:53|page top

ルーマニア、トランシルヴァニア、セーケイ地方、コバスナ県、スフントゥ・ゲオルゲ(シェプシ・セントジュルジ)

皆さまはじめまして、TULIPANです。
私の住んでいるところを紹介します。

ルーマニア・・・
ヨーロッパの東部に位置する国。元共産主義国。
東欧とか中欧などと呼ばれる地域。

トランシルバニア・・・
ルーマニアの西部、カルパチア山脈に囲まれた地方。
第一次大戦までハンガリー王国であったため、
ルーマニア人のほかにハンガリー人、ドイツ系のザクセン人なども多く住んでいた。

セーケイ地方・・・
ハンガリー王国時代に、当時国境であったカルパチア山脈の
南東部に兵士として送られたエスニック・グループ。
もとはトゥルク系であるといわれるが、今はハンガリー語を話す人々。

コバスナ県・・・
セーケイ地方の南側に位置する、昔はハーロムセーク県
(「三つの中心」という意味)とよばれていたところ。

スフントゥ・ゲオルゲ(シェプシセントジュルジ)・・・
コバスナ県の県庁所在地。人口は約10万人。
ハンガリー系住民が、人口の80%ほどを占める。

・・・とまあ、こんな風です。
ルーマニアといっても、ほとんどの方はご存じないと思いますので、
これだけ詳しく場所を説明したところで、
摩訶不思議な印象を持たれたかもしれません。

私がこの地方に初めて出会ったのは、
1999年の夏でした。

当時大学生であった私は、
ハンガリーの東部デブレツェンの大学でサマースクールに参加し、
それから大学の先生のご紹介で、
トランシルバニア地方のツアーに参加しました。

電車でハンガリーの国境をこえ、
プスタとよばれる大平原(地平線まで何もない野原)から、
突然、山の多く、起伏にとんだ地形がみられ、
山の合間から、まるで映画のロケのような
衣装を着たジプシーの親子がこちらを見ているのに面食いました。
掘立小屋のような粗末な家に、小さな洗濯物がたくさん干され、
裸同然の姿の子供たち・・・。

なんとも生活のリアルさが漂う、ルーマニアに私は引き込まれました。

そして目的のクルージ・ナポカに到着して、
ハンガリー系の語学教師イザとの出会い。
つたないハンガリー語で得たルーマニアという国、トランシルバニア地方についての情報は、
その後の私の人生に決定的な影響を与えました。

埃っぽい町に、混在する新しいものと古いもの、
一つの通りに並ぶ、5つも6つもの宗派の教会、
ハンガリー語やルーマニア語の共存。

それから9年後・・・
再びこの地に戻ってきたのです。








comments(1)|trackback(0)|その他|2008-03-10_19:02|page top