トランシルヴァニアへの扉 - Erdely kapuja-

古きよきヨーロッパの面影を残す、トランシルヴァニアへの扉をそっと開いてみませんか?

::自己紹介::

谷崎 聖子

Author:谷崎 聖子
1978年宮﨑生まれ。
大阪外大、ハンガリー語学科卒業。
ブダペスト大学で民俗学を専攻。
ルーマニア、トランシルヴァニア地方のフォークロアに惹かれて、セーケイ地方に移住、結婚。
三人の子育て中。

伝統手芸研究家。
トランシルヴァニアの文化、手しごとを広める活動をしています。主な著書「トランシルヴァニアの伝統刺繍 イーラーショシュ」、「カロタセグのきらめく伝統刺繍」。

東欧雑貨ICIRI PICIRIFOLK ART Transylvaniaのオーナー。

詳しくは、森の彼方-トランシルヴァニアへの扉をご覧ください。

カテゴリー

FC2カウンター

カレンダー(月別)

04 ≪│2008/05│≫ 06
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

これまで書いた記事は・・・

全タイトルを表示

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

Feed Me!

トランシルヴァニアへの扉  - Erdely kapuja-のRSSフィード

ブログ翻訳

トランシルヴァニアのジプシー市場

蚤の市散策は、現在私のライフワークである。
昼前に出発するバスに乗り込み、車に揺られて着いたのは、とあるジプシー市場である。朝から日没までの間、テントを張った場所で、そして屋外で、小さな建物の中にも売り場がある。

夏でも、毛皮のコートや皮のジャケットが置いてある。

Img_1673_convert_20080602190030.jpg

後ろのほうは、なぜか釣り道具や何かの部品が売っている。

Img_1675_convert_20080602190416.jpg

目にも鮮やかな民族衣装を着たジプシーの女性たち、つばの広がった黒い帽子をかぶったジプシーの男性たちが物を売っている。
彼らは、ジプシーの中でも誇り高いガーボル・ツィガーニィと呼ばれるグループだ。ジプシーは保守的な人種であるから、今でもカースト制度が存在する。その中でも最も上位に属していて、商売などで生計を立てている。

Img_1674_convert_20080602190322.jpg

もしジプシー語に興味があるなら、きっと不思議な音の言葉を聞くことができるだろう。ちなみにジプシー語は書き言葉でないので、古い言葉がそのまま残っていると言われる。ルーマニア語ができる人なら少しは理解できるだろう。ルーマニア語と共通する単語が多く見つかるらしい。
そのため彼らがインドからヨーロッパにわたってきたときに、始めにルーマニアを通ってきたと言われるのだ。

私は片言のルーマニア語で交渉して、洋服の山の中から宝物を探し出す。
1970年代の数字が刺繍してあるタペストリーや、レトロなスタイルの洋服などさまざまである。
何十年もの間、どこをどうさまよってトランシルヴァニアにたどり着いたのか、想像してみるだけでも楽しくなる。

この当時斬新なファッションに身を包んだ女性は、今どんなおばあちゃんだろう・・・、
どんな思いでひとつひとつに刺しゅうで模様を描いていたのだろう・・・。
この洋服を着ていた子供は、もう大人になって子供を産んでいるのかもしれない・・・。

私が歩いていると不意に声をかけた女性がいた。
「奥さん、こっちよ。見て!」というので、洋服の山をあさっていると・・・金髪の髪を結った女性が
人懐こく微笑んでいる。「ジュジおばちゃんを忘れたの?」
私は昔であったその女性をすぐに思い出し、気がつかなかったことを詫びた。

二年前、息子と旦那と三人でこの市場に来たときのこと。
当時小さかった息子に「バラージュ」と呼びかけるのを聞いて、
「私もバラージュよ。バラージュ・ジュジャ。」と笑顔で話しかけ、息子にパンやらソーセージなどを渡した。
普通、ジプシーというと、お金や食べ物を物乞いする人たちと思いがちだ。
でも彼らは、清潔で(きっと私たちよりも)お金持ちである。

ジュジおばちゃんは、ここから80kmほど離れた町マロシュバーシェールヘイに住むハンガリー系ジプシーである。だから、私がハンガリー語を話すと喜んでいた。
私が中国人だと思ったようで、「ブカレストにはたくさん中国人がいるけれど、ルーマニア語でしか話さない。あそこはアディダスとかの新品を持ってくるから、私たちの商売も危ない。」と古着商売の存続を心配していた。残念なことに、ここでもMade in Chinaの大量製品であふれることになるのだろう・・・。

昔ご主人を洪水で亡くして以来、女で一つで娘を育てていることを話した。「娘は今13なんだけれど、どんな人を見つけるか・・・心配でならないわ。ほら、私たちは早く結婚するでしょう。」という。
私が大体いくつで嫁に行くのかと聞くと、「13、14歳くらい。」と答えた。

ジプシーの女性は結婚が早い。
そして、若い頃から産むから子供がたくさんいる。私が出産したときも、病院にはジプシーの少女がたくさんいた。それに比べると、ジュジャおばちゃんにはたった一人である。

息子のための服を探しているというと、袋の中から子供服を見せてくれた。
「これはどう?」と商売っ気たっぷりに見せるが、スカートである。私が指摘すると、「あなたお腹大きくはない?」と聞いてくる。私は苦笑するばかり。
いくつか息子の洋服を選んで、また探すように約束した。

10歳くらいのジプシーの女の子も売っていた。
ジプシーは子供を学校にやらないことが多い。学校教育なしでも生きて行けるならそれもいいだろうが、よその世界を見ることも勉強だ。
赤ちゃんサイズの子供服ばかりであったが、見てみる。すると、可愛いく状態も良いベビー服をいくつか見つけた。今年の夏に出産するカティのために買った。

何でもありのこの雑多な雰囲気がたまらない。
保守的で、それでいて自由なジプシーの人たちとの交流もこんな場がなければきっとなかっただろう。このジプシー市場が続くようにと祈るばかりである。

=今回のお買い物=
・チロリアンテープのベビーシャツ
チロリアンテープが可愛い。オレンジ色がおしゃれです。カティの出産祝い。
IciriPiciri5 460_convert_20080530181108

・アヒルのズボン
アヒルのワッペンに、つりズボンがレトロです。これもカティの出産祝い。
IciriPiciri5 461_convert_20080530181020

・グリーンの半そでトップス
子供サイズでなければ、私も着たい・・・そんなおしゃれなトップス。
70年代ファッションが香ります。
IciriPiciri5 451_convert_20080530180442

・マリメッコのワンピース
日本でもブレイク中のフィンランド・メーカー。タオル地のような暖かく柔らかな手触りです。
秋ごろ、ショップに並ぶ予定。
IciriPiciri5 452_convert_20080530180711

ほら、タグもきれいです。
IciriPiciri5 453_convert_20080530180807

・ニナ・リッチのワンピース型スイムウェア
エレガントで、昔なつかしの雰囲気がたまりません。老舗のパリ・メーカー。
ただ、この胸パットはかなりの大きさです。もうじきUPします。

IciriPiciri5 454_convert_20080530180538

IciriPiciri5 455_convert_20080530180933

・民族衣装風チュニック
透けるような薄いコットンに、赤い糸で刺繍がびっしり。
とても手の込んだチュニックです。残念ながら少しシミがあるので、私用に・・・。
IciriPiciri5 458_convert_20080530180410

ほら、こんなに細かいステッチが・・・手仕事の重みがあります。
IciriPiciri5 459_convert_20080530180856


トランシルバニアをあなたの心に・・・
                 クリックをお願いします。→にほんブログ村 海外生活ブログ 東欧・中欧情報へ


リニューアルしたICIRI・PICIRI(イツィリ・ピツィリ)はこちら!
ただいま、人と動物のプリントの特集をやってます。


logo1_convert_20080502142217.jpg


スポンサーサイト

Theme:東欧
Genre:海外情報

comments(8)|trackback(0)|トランシルヴァニアの町|2008-05-30_18:20|page top

ターンツハーズ(踊りの家)

ターンツハーズとは、民俗舞踊を踊る場のことである。
トランシルヴァニアのハンガリー系住民は民俗舞踊に誇りを持っていて、実際にたくさんの地域で昔ながらの踊りを継承している。ハンガリー人である以上、ステップも踏めないようでは恥ずかしいことである。

面白いことにこの伝統の担い手たちは若者であり、村よりも都市でその運動は活動になっている。70年代にターンツハーズ運動が起こり、ブタペストやその他の大きな町で若者たちが公民館などに詰めかけ、民俗音楽のリズムに夢中になった。それが今にまで続いているのである。

さてターンツハーズとは、どんなものか?
大体は踊りのプロがペアになって、教えてくれるので初心者でも安心である。ただし夜が更けてくると上級者の人たちが踊り始め、だんだんと初心者は肩身の狭い感じになる。
音楽も楽団がいて、ヴァイオリン、ビオラ、ツィテラ、ツィンバロムなどの織り成すハーモニーに酔いしれることができる。そして男女ペアの踊りが基本なので、ペアを連れて行くにこしたことはない。ほとんどの場合、女性のほうが多いのでどうしても男性の取り合いになってしまうのが現状だ。

このターンツハーズが息子の通う白雪姫幼稚園でも毎週行われているそうだが、残念ながらまだ見学をしていない。

以前から話に聞いていた、子供のターンツハーズがあるという場所に行ってみた。
セーケイ博物館の向かいにある小さな家だ。中に入ると、たくさんの子供連れが部屋の前で待っていた。夏休み前の最後の二回に滑り込みで参加できた。

部屋は木の柱がそのままに自然な風合いの感じのよいところ。ネメズと呼ばれるフェルトで作った壁掛けや花の生けてある花瓶が家庭的な雰囲気である。
その部屋の角に、楽団が構えていた。以前、水の展覧会で演奏をした顔ぶれも並んでいた。

踊りを教えてくれるのは、声に張りがあり元気のある中年の女性。もう一人は、白雪姫幼稚園の息子のクラスメイトのお母さんだった。

やがて音楽が始まると、子供たちが20名ほど、お母さんも何名か混ざって円になってステップを踏み始めた。子供でも簡単に覚えられるステップだ。たまに手をたたいたりしてリズムをとる。ハンガリー舞踊の特徴はペアでぐるぐると回ることである。私なんかはすぐに目を回してしまうが、これは慣れの問題なのだろう・・・。

IciriPiciri5 414_convert_20080529230358

息子も女の子と回って、回って・・・・。
fesztival 087_convert_20080529225800

姉妹で仲良く踊っているのは、微笑ましい光景。
IciriPiciri5 412_convert_20080529231002

子供相手だが音楽はレベルが高く、ヴァイオリンにコントラバス、笛にリュートと面白い組み合わせ。こんな素敵な演奏を聴くだけでもきてよかったと思う。ヒゲをはやしたユーモラスなミュージシャンたち。

IciriPiciri5 419_convert_20080529230148

一人冠をかぶった音楽家がいて、話の流れでは王様のようだ。
そして風邪を引いているらしく、くしゃみをすると演奏が終わり。子供たちがいっせいに「お大事に、王様。」と大きな声で叫ぶ。

クマが途中で出てくるくだりがあって、子供たちは大興奮。
保護者の一人が扮していたのだが、キャーキャーと嬉しそうに逃げ回る子供たち。

IciriPiciri5 422_convert_20080529230218

あっ、誰かが捕まった!


IciriPiciri5 421_convert_20080529230117

そして、「小熊さん、小熊さん飛んで。」という歌とともに大縄を一人ずつくぐっていく。息子も張り切って挑戦。

fesztival 070_convert_20080529225106

一人選ばれた女の子がたっぷりとした大きなスカートをはいて中央に立つ。
周りでは子供たちが水玉模様のスカートのすそを持って、歌いながらぐるぐると回る。自分の子供が女の子でないのが実に残念だ。

fesztival 072_convert_20080529225401

子供たちを飽きさせないプログラムで、踊りもあり、お話もあり、遊びもありの一時間。子供は体を存分に動かして、夜はぐっすりと眠ってくれるので親にとっても大助かり。
やっと歩き出したくらいの小さな子供から、おしゃべり達者な年長さんまで、みんなが楽しく遊んでいた。私もよく内容を理解できてなくて残念だが、また秋から始まるシーズンで通おうと思う。

また小さい頃から、よい音楽を聞かせてあげるのは大切だ。
子供の耳はしっかりとそのメロディーやリズムを受け止め、これから育ってゆく感受性やセンスに大きな影響を与えるのだと思う。

IciriPiciri5 420_convert_20080529230248

先生方、楽団の方々にお疲れ様でした。
また、来シーズンを楽しみに。



トランシルバニアをあなたの心に・・・
                 クリックをお願いします。→にほんブログ村 海外生活ブログ 東欧・中欧情報へ


Theme:世界のイベント
Genre:海外情報

comments(0)|trackback(0)|ルーマニアの育児|2008-05-29_22:44|page top

美しい畑の小さな村-ツォーファルバ

土曜日の午後、お姑さんが帰るなり一緒に村に行くように勧めた。
村とはお姑さんの故郷の村のことで、今はおばあちゃんが住んでいる。もう高齢で体も弱っているので、誰かが必ずそばについている。今日は旦那が行っていた。帰りも車で送ってもらえるということだったので、息子を起こして車に乗り込んだ。

町を出ると、セープメズー(美しい畑)と呼ばれるコヴァスナ県の平野が広がる。
そこでは土色と麦畑の黄緑、ジャガイモ畑の深い緑が交互にはっきりとした縞模様を描きだしていた。どこまでも畑が続く。

やっと見えてきた村はレーチという村。
村はずれには白樺の林と湖があって、ここ周辺の保養地となっている。この次の村がツォーファルバ、おばあちゃんの住む村である。

人口はおよそ200人の小さな村だ。
名前の由来はチアファルバ(チアの村)らしく、チアさんという人の住む村ということだ。実際チアという名前の人も多く住んでいて、親戚もそうであると言う。
この小さな村は、かの有名なチャウセスク政権の時代に村を消滅させようとする計画もあったらしい。その頃ハンガリー系の住民に対する圧迫が激しかったため、このような小さな村は必要がないという意見であった。
しかし幸運にもチャウセスク政権は崩壊し、この村は生存した。

村には一本の大通りがあって、ほとんどの家がここに面している。
2、3キロでもう村はずれだ。村の中心部にはプロテスタント教会があって、文化会館と呼ばれる公民館のようなものがある。小さなお店も二つある。それだけである。

おばあちゃんの家は村のほぼ中心に位置する。
家の前で止まると、まず門をあけて車を通さなければならない。そして中に入ると、犬たちがお出迎えする。旦那も外に出ていて、私たちの姿を確認すると驚いたようだ。

冬の間は木の枝ばかりであった庭も、今は華やかである。
門の前には薄紫色のライラックの花が満開で、心地よい香りを運んでくれる。

5.18 637

おばあちゃんは冬の間はほとんど部屋で寝たきりで、体の不具合を訴えていたのだが、春になり美しい季節が訪れると大分体調もよいようだ。家の縁側のようなところのベンチに腰掛け、通りを行き交う人々を眺めていた。息子がやってくると喜んで、笑顔がこぼれる。これが最高の贈り物かもしれない。

5.18 588

おばあちゃんは、二年前におじいちゃんを亡くしてから元気を失っていってしまった。
話をしていても不意におじいちゃんのことが思い出され、涙を流しながら訴える。「可哀想にバラバーシュは、働きすぎたから・・・コレクティブ(社会主義時代の共同労働のこと)で仕事をしすぎたから、早く死ぬことになってしまったのよ。」
社会主義では個人の資産はすべて国に帰してしまったため、いくら働いても変わらない。まじめに働くものが馬鹿をみるということだ。おじいちゃんの誠実な人柄からは、その体つきからは仕事のやり方が目に見えるようだった。不平不満を言わず静かに働き、たまにセーケイ人らしい冗談を言う。
セーケイらしいとは、とんちが利くというか、ちょっとひねったものの言い方をすることだ。しばらく考えてみて、あっそういうことかと思うことがよくあった。

そして社会主義が崩壊して、個人の資産が返されることになったのだが・・・それでもおばちゃんは「村はずれの森の土地は、昔私たちのものではなかったものよ。本当はもっといい場所にあったのだから。」と、今でも悔しがっている。
もう20年近くにもなるのだが、今になってやっと土地を還してもらったという人もいる。

昔おじいちゃんが生きていた頃は、たくさんの家畜で生き生きとしていた納屋もなんだか活気がない。今はニワトリとアヒルがえさをつついているだけである。

りんごやプルーンの花も咲き終わり、やがてラズベリーや赤スグリ、ブラックベリーが実をつけるだろう。赤スグリからはワインを作る。甘酸っぱくて美味しい、まるでカクテルのような味である。
以前、茎を食べると紹介したルバーブも生えている。

cofaluba 007_convert_20080529073429

息子は相変わらず花摘みに夢中。
お気に入りは、このアールバ・チハーニである。農業をする人にとっては雑草でも、彼にとっては美しい花に変わりない。

5.18 631

ちなみにこちらが普通のチハーニ。
息子がトランシルヴァニアに来てすぐに覚えた草で、触ると小さなとげが刺さってものすごく痛い。皮膚が赤くなるほどである。多分刺さないチハーニだから、なおさらアールバ・チハーニが好きなのだろう。でもこの葉っぱ、煮たら食べられるのです。

cofaluba 016_convert_20080529075009

納屋の裏手には、大きな畑が広がる。

cofaluba 015_convert_20080529075725

私からすると大きな土地でも、これはほんの一部に過ぎない。まだ村の外には何箇所も畑があるのだが、働く人がいないので人に貸しているという。私も実はまだ見たことがない。

この畑、ほとんどがジャガイモで、他にはにんじん、レタス、タマネギ、トマト、とうもろこし・・・なんと日本から種を持ってきてまいた春菊やにら、大根やしそ、ごぼうも芽を出している。特に春菊は育ちがよく、次から次に葉が出ている。驚いた。

5.18 626

残念ながら水菜だけは芽が出なかったようだ。

しばらく雑草を引き抜いたり、ジャガイモにつく害虫を取ったりして畑の仕事に精を出した。すると町で一日中家の中に閉じこもり、パソコンをいじったりしている一種のストレスがふっと体から抜けていくようで、すがすがしい気持ちだ。何も考えず、日光の下でただ黙々と手を動かしているだけで疲労は感じない。こんな風に、仕事場の横にこんな環境があったら素晴らしいだろうなと思う。全く別の労働なのだ。肉体的には疲れても、不思議と心は休んでいる。

そして畑から家に戻る途中、傾いたオレンジ色の日差しの中で、フワフワと目の前に浮かんでいるものを見た。タンポポの綿毛とも違う。見上げると、ある大木の枝に花が開いて、そこから綿毛が飛び出している。フーズファと呼ばれる木のようだ。なんとも幻想的な風景。

cofaluba 014

家から出て、通りの電柱に巣を張ったコウノトリを見に行くことにした。
春になるとやってきて子育てをし、また秋にはアフリカに渡って冬を越す渡り鳥だ。まだ子供は見られず、大きなコウノトリが一羽だけ居心地のよさそうな巣どっしりと座っていた。
「コウノトリさん、足が血で赤くなっているよ。
 トルコ人の子供が切ってしまった。ハンガリー人の子供が治してあげた。」
と幼稚園で習った歌を息子が歌い始めた。
 
子供をもたらすと言われる、このコウノトリの子育てが楽しみである。

cofaluba 001_convert_20080529074228

cofaluba 003_convert_20080529073934

*おばあちゃんの家にあった飾り。
 ドイリーをこんな風に飾るのも素敵です。

cofaluba 011_convert_20080529074850















Theme:東欧
Genre:海外情報

comments(1)|trackback(0)|セーケイ地方の村|2008-05-29_07:42|page top

トランシルヴァニアのきのこ博士

息子が昼寝から目覚めるのを待ってから、旦那の知人を訪ねるために家を出た。
夕方なのに生暖かい風が吹いて、もう季節は夏のようだ。トランシルヴァニアの春は短く、木々はあっという間に緑が生い茂る。
散歩のようなゆっくりとした歩みで、市場のほうへ向かった。

通りの名前を確認すべく、名刺を取り出す。
ジグモンド・ジューズー、ブカレスト大学講師とある。旦那は、この人物から以前トランシルヴァニアのキノコ専門雑誌に記事を書くという依頼を受けた。記事といっても、有岡利幸著の「松茸」という本の紹介をするというものだった。それで、私が内容を訳して伝えて書き上げた。そして、その記事の報酬を渡したいという話だった。

彼はトランシルヴァニアのキノコ研究会の会長であるそうだが、それもハンガリー系の会である。別にまたルーマニア人のグループもあるのだろうか。それだけ大きな規模なのか知れないが、年に一度カラー雑誌を出すくらいだから活動はきっと盛んなのだろう。
それにしても、日本語の本の紹介をしても誰も手に入れられないし、読める者もいないだろう。ただ、日本のキノコに興味があっただけであろうが。

私たちは道行く人に通りの名前を告げて聞いてみた。
おばさんが「聞いたことのある名前だわ。」と言いながらも思い浮かばないらしく、しばらく行ってから引き返してここだと教えてくれた。

通りは市場のちょうど裏のほうである。
どれも共産主義時代に建てられた、社宅のような無機質な建物・・・。大学講師にしては質素な環境だ。やがて番号を探し当て、インターホンを押す。

ジューズーは、旦那と知り合ってすぐにタメ口で話してくれといった。
ハンガリー語の難しいところ、テゲゼーシュというものだ。年齢や身分を乗り越えて、親しくなろうとするときに年上のものがテゲゼーシュで話そうというのが一般的である。
それでも、なかなかこれを見極めるのが難しいところ。本当にタメ口で話して、失礼な場合もあるからだ。

彼はそのキノコ会の会長であるらしく、他にも言語保存の会、遊びの会や天体の会も受け持っていると言う。活動的な人らしい。専門は良く知らないが、ハンガリー語学科の学科長らしいから言語学か何かだろう。キノコを研究しているのに、生物学の方面でないのがまた面白い。

ベルを押すと、年は50前後くらいの男性が出てきた。足に松葉杖をついていた。最近怪我をしたらしい。部屋に通されると、中は本でいっぱいである。民俗学関係、きのこの本、ハンガリー語関係の本・・・新しく出たばかりの本をいくつか見せてくれた。

シェプシセントジュジで発行される月刊雑誌「セーケイの地」には、彼の記事も載っていた。「名前と星、伝説とジョーク、遊びときのこ」という対話のものと、「セーケイの伝統におけるクチマゴンバ(というキノコの種類らしい)」。この本はまだ出たばかりなのにもう絶版らしいので、借りることにした。

彼のキノココレクションを見せてもらう。
まずキノコのチェス。これは、オラデアで誰かから譲ってもらったものらしい。
粘土で作ったキノコはきれいに色が塗られ、ニスで光っている。歩兵は、マッシュルームのような丸いキノコ。クィーンは先っぽに黄色い点のついた白くて長いキノコ。キングは皇帝のキノコと呼ばれる赤い帽子をかぶった、とりわけ丹念に彫刻のされたものである。これでチェスをする所を想像しただけでも面白い。

gomba 002_convert_20080525051640

それから、退屈していた息子にキノコのネズミをプレゼントしてくれた。
触ると固いが表面にキノコがついているのだろう。ヒゲには、動物の毛のようなものがついている。愛嬌のある顔かたち。

gomba 010_convert_20080525050945

それからキノコのビリヤード。
これは意外と一般的なものらしい。旦那も昔これで遊んだ記憶があるそうだ。
ジューズーが手本を見せてくれた。赤いボールを前に、白を後ろに置く。そのまっすぐ正面には赤いキノコが配置されている。

gomba 006_convert_20080525053014

このキノコに当てないようにして、ボールをさらに後ろの様々な穴に入れることで点数が決まる。なかなか難しそうだが、息子も挑戦。

gomba 008_convert_20080525052408

キノコ模様のイースターエッグは、彼が近所のおばあちゃんからもらったもの。
ジメシュのモチーフらしい。イースターはキリスト教以前の習慣であるから、異教徒時代の古いモチーフが描かれると言われる。キノコと民間信仰の結びつきが匂ってくるようだ。

gomba 007_convert_20080525052608

これは、日本でもおなじみ万年茸である。
中国では、不老不死の薬として珍重されたそうだ。ちなみにハンガリー後では「魔女のスプーン」と言われる。面白い名前だ。

gomba 004_convert_20080525051117

私たちもプレゼントをちゃんと用意してきた。
蚤の市で手に入れたばかりの、キノコが両端にクロスステッチされているロングクロス。キノコはオレンジ色と緑色の二種類が刺しゅうされていて、私には判りかねるがきっと彼なら特定できるであろう。残念ながら写真に保存しておくのを忘れてしまった。どうやらプレゼントは喜んでもらえたようす。

旦那は北欧のタペストリーなどに赤に白の点々のあるキノコが良く描かれていること、古いドイツの新年のポストカードにもそれが出現することを話した。なぜかこの毒キノコは、クリスマスを象徴するシンボルとなっているが、夏に見られるキノコである。白い点々が雪を思わせるからであろうか・・。

するとジューズーがキノコの置物を見せてくれた。
これは、クリスマスツリーの先にあった飾りだったものらしい。ここでもクリスマス=キノコである。謎は深まるばかり・・・。

プレゼントのお礼にと、キノコのタペストリーを取り出して一つ選ぶようにと言われた。
ブダペストのお土産やさんでいつか見たことがある。キノコから帽子やクロスなどを作る技術は、トランシルヴァニアのコロンドという村だけでしか見られないと話した。こちらは彼が特別注文したらしく、お土産ものほどの派手さはなく、ナチュラルな風合いだ。
まるで木目のような模様が見られ、カエデの葉っぱが革細工のように圧して模様が作られている。触ってみると、フワフワと柔らかい。もちも良いそうだが、水にだけは気をつけるようにといわれた。匂いをかいで見ると、なるほど正真正銘キノコの匂いである。

gomba 011_convert_20080525051950

しばらくチェスなどで遊んでから、先生宅を後にした。
足の怪我が治ったら、いつかキノコ狩りに連れて行ってもらうようお願いしようと思う。トランシルヴァニアのキノコの世界に少し興味を持った。

*「王様のキノコ」はタマゴタケと呼ばれるそうです。
 ご指摘をありがとうございました。
 日本では、馴染みのなかったキノコの名前、今はハンガリー語のほうが名前を良く知っています。











Theme:東欧
Genre:海外情報

comments(7)|trackback(0)|文化、習慣|2008-05-25_05:40|page top

トランシルヴァニア春の味覚

この寒いセーケイ地方にも、奇跡のように春が訪れてもう二ヶ月にもなる。
冬には、市場に並ぶ野菜はおおよそ
1.じゃがいも
2.にんじん
3.タマネギ
4.キャベツ
だけであったのが、色とりどり選り取りみどりになった。

この地での春の味覚は「クマのタマネギ」である。
山菜というほどのものではないが、栽培ではなく採集しているようだ。よく市場でジプシーが売っている。そしてシーズンが短いので、見逃すと大変だ。
形は、そうスズランの葉っぱに良く似ている。スズランの葉っぱは毒なので、気をつけないといけない。

Img_2449_convert_20080602182144.jpg

この「クマのタマネギ」面白いのは、味がニンニクに似ていて、日本人に馴染み深い「ニラ」を思わせる匂いと風味である。だから肉料理や魚料理にも合い、卵とじにしても美味しい。ただニラと違うのは、葉っぱが柔らかいので食べやすいことだ。
どうにかして栽培できればいいのだが・・。

今年初挑戦したのが「モミの実シロップ」作りである。
モミの木についている先の尖った緑色の実、これを手で押しつぶすと爽やかな木の香りとともに緑色の汁が出てくる。これを集めて、砂糖漬けにしたものだ。咳止めになるらしい。

或る日の夕方、町外れの森のほうへ出かけた。
モミの木を見つけては、枝をたぐり寄せてこの小さな緑色の実を採集した。ただしシロップを作るには、膨大な量が必要である。
ほとんどは木が高すぎて届かないので、断念することが多かった。ある時、旦那が私を肩車して取る方法を思いついて早速実行。私は2m以上の高さになり、軽々と高い木の枝に手を伸ばし、手当たりしだい実を下に落とした。そこで息子が実を集める。親子三人の努力によって袋いっぱいのモミの実をあつめることができた。

そしてできたシロップの味は・・・・
まるで上質のリキュールのような香りの高さ、味の濃さである。咳止めとしてではなく、病み付きになりそうな春の味わいであった。

haraly 3_convert_20080525050706

Gyimes 076_convert_20080525054327

村にあるおばあちゃんの家に咲いている「レバルバラ(英語ではルバーブ)」も忘れてはならない春の味覚だ。面白いのは、この茎の部分を使うことだ。フキのような太い茎で、うす赤い色をしている。

Img_2388_convert_20080602184706.jpg

この皮を薄くはいで内側の緑色の部分を鍋にいれ、砂糖と一緒に煮る。するとすぐに柔らかくなる。
気になる味は・・・かなり酸っぱいが甘くて癖になる味だ。この甘酸っぱさは、冬の間ビタミンC不足の体にはたまらない。
いつか機内食にも、このルバーブのケーキが出たことがある。ヨーロッパではポピュラーな植物のようだ。

そして最後に「ボッザ・ジュース」である。
最近やっと花が開きかけたのだが、低木の木になるお花である。色はクリームがかった白色で、香りが甘くて強い。このお花を集めて水につけ、レモン汁と砂糖を焦がしたものをかけて3日ほど置く。すると薫り高い、爽やかな甘い飲み物になる。

cofaluba 005_convert_20080602181952

このボッザ・ジュースなぜ日本にはないのだろうと悔しくなるほど、その味はたとえようがないのだ。ここヨーロッパでは、野生といってよいほどどこにでも見られる木だから。
ルーマニアでは昔、あのFANTAに期間限定のボッザ味があったほどだ。これも他のFANTAの味に比べると格段に美味しかった。どうして日本で発売しないのだろう・・・。

季節の味を先取りするこの楽しみは、日本でもトランシルヴァニアでも同じである。

Gyimes 059_convert_20080525054424

*訂正・・・「モミの実」と書いたものは、どうやら新芽のようです。

Theme:東欧
Genre:海外情報

comments(0)|trackback(0)|トランシルヴァニア食文化|2008-05-25_05:04|page top

「巨人の地下室の屋根」

私たちのハーロムセーク!というタイトルの
馬車と手工芸の紹介のお祭りが5月18日に開催された。

ポスターには、馬車のキャンプと記され馬車に刺しゅうの枕や織物が積まれている。
何やら面白そうだったので、覗いてみることにした。

会場は、町から南東にある大きな丘の上である。
伝説によると、巨人がこの地を歩いていると泥に足がはまり、靴が脱げてしまった。それがこの丘になったと言われている。泥にはまった靴を地下室にたとえ、この丘は「巨人の地下室の屋根」と名づけられた。

二年前には、この丘の上に大きな木のモニュメントが建てられ、ハーロムセーク(現在のコヴァスナ県のこと)の集まりが開かれたそうだ。世界中あちこちに散らばっているこの地方出身のセーケイ人が一同に会したという。
ふだんは何もないこの丘が、いわばハーロムセークの中心である。

11時にバスが出ると聞いていたのだが、肝心の場所がどこにも書いていない。
私たちは駅のほうに向かったが、どこにもバスらしきものは見えず、仕方なくヒッチハイク。町のはずれで立っていると、しばらくして車が止まった。

小さな女の子を連れた若い夫婦である。
旦那はそっと耳元で「あの女の人は、大学時代教えていた人だ。」という。車では、クルージナポカの大学の話も出たが、もう教えるのは止めて、町の図書館で働いていると話した。
遠回りであるのにも関わらず、「巨人の靴の地下室」の近くまで乗せて行ってくれた。
そして降りてから、気がついた。
私もその講義に出ていたが、確か図書館の歴史についてだったと思う。まだ語学が十分でなかったのと、講師の女性がぼそぼそと話す口調でものすごく聞き取りづらかった。あの時の講師だったのだ。あれからもう9年にもなる。

最寄の村から、砂利道を登っていく。

0519 002

裸の山にぽつんと木の柱のかたまりが見えてきた。やがて祭りの会場が姿を現す。
入り口のインフォメーションでは、昔のハーロムセーク県の地図が売っていた。

0519 004

丘の斜面に面して、村の文化を紹介する様々なブースが並んでいる。
刺しゅうや木彫りを並べたブースがあった。
この木の板は、洗濯をたたくのに使われる物だが、きれいに木彫りをしたものはかつて男性から女性に贈られた。

0519 007_convert_20080522131928

男性がかごを実演して編んでいた。何本もの柳の枝から太いひもを作り、中心からぐるぐると巻いてゆく。実に鮮やかな手つきである。

0519 008_convert_20080521232648

麦の茎からは、こんな可愛らしい飾りも作られる。
木につるしてある様は、まるでクリスマスの飾りのようだが、元々は麦を収穫した後に作っていたらしい。日本でも蛍かごと呼ばれて、とんがり渦巻きの同じ物が作られる。不思議な偶然である。宮崎市の大淀川博物館で体験することもできる。

0519 009

これはイースターエッグに馬のひづめをつけたもの。
普通はタマネギで赤く染めるのが普通だが、こんな風バリエーションもある。
ヨーロッパでは、馬のひづめは幸福のシンボルとされている。

0519 010

そして人の注目をもっとも集めていたのはこちら。
何を作っているところだと思いますか?
おじさんが古い器具で木をまっすぐに整形している。カンナのようなものでこうやって木の板をいくつも作って、屋根に取り付ける。ジンデルと呼ばれる昔ながらの木の屋根だ。
今ではこんな家もなかなか見られなくなった。

0519 014

その横では革から馬具を作るおじさん。
まだまだ馬車の需要があるルーマニアならでは。

0519 017_convert_20080522132049

おばあちゃんが子供に機織を教えている姿。
トランシルヴァニアの家庭でよく見られる、じゅうたんを作っているところ。古着や古布を細く裂いて、横糸の代わりに織り込んでゆく。するとランダムにいろいろなボーダー模様が出来上がる。エコ・ハンドメイドの品。

0519 018_convert_20080521232547

以上の3人は、ゲレンツェという山並みにある村から。友人の住むハライのすぐ隣で、世界遺産の教会のフレスコ画で有名なところ。きっと伝統的なものが多く残っているのだろう。

しばらく行くと、セーケイの民族衣装を着て、馬車に横たわる少女と少年を発見。
旅行者らしくシャッターに収める。

0519 023

その後ろでは、ミコーウーイファル(ミコーの新しい村)から来たおばあちゃんたちが何かお菓子を作っているところ。聞くと、チュルゲというお菓子らしい。
お菓子の生地を薄くのばして、波型のへらで渦巻き型に切ってゆく。見るには簡単そうだが、なかなか難しそう。後ろでは、もう一人が油で揚げている。

0519 021

出来上がった長細い蛇のようなものを、枝に巻きつけている。まるで鳥の巣のようだ。
これを「置いた枝」といって、この村では披露宴のときに馬車において、持って行くそうだ。なるほど、だからあの馬車があったのか。

0519 042

上から粉砂糖をかけると、確かに華やかで祝いのお菓子にふさわしい。
ひとつ味を見てみると・・・サクッとした軽い歯ざわりで、口の中でスーと溶ける。ほのかに甘いので、食べやすい。このお菓子は注文もできるそうなので、誰かの披露宴があるときにはぜひオススメしたい。いずれ息子のときにでも・・・。

隣には、アールコシュ名物の大きなセーケイ人、ゾリが立っていた。
たった一人で、村で博物館を作っている。イベントのあるときには、こうして屋外展示をしている。旦那の古い友人である。
鉄のアイロンから、陶器、銀のお皿に民族衣装・・・この地方のありとあらゆる古いものに惹かれ、もう収集歴は10年以上にもなる。
馬車の上に置かれた刺しゅうに目を引かれた。聞くと、1900年の初めごろに学校で女性が習った刺しゅうの練習に使ったものらしい。手芸の本でも見ることのないような珍しい、図案がたくさん載っていた。・・・素晴らしい、当時の女性たちはいかに手先が訓練されていたことだろう。

0519 024_convert_20080521232429

鉄のアイロンは、いつも見ているので珍しくもなかったのだが・・・よく見れば、ARKOSと書いてある。粋なはからいである。

0519 047

他にも、馬車とセーケイの少女たちがたくさん。
日本の旅行者が来たら、きっと喜んでシャッターを押すだろう。残念ながら地元の住民ばかりである。

0519 031_convert_20080522133227

0519 032_convert_20080522133503

ボンボンの連なった可愛らしい馬の飾りも見られる。素敵なアクセサリーのようだ。

0519 035_convert_20080521232513

ふと、ある馬車のところに素敵なかごを発見。
普通の織り方でないことはすぐに分かる。そばにいた少女に「これは誰が作ったのか?」と聞くと親切に名前を教えてくれ、たぶん村で探せば譲ってくれるだろうと答える。
他にも何人かに売り物かどうか聞かれたという。
しっかりと村の名前と男性の名前をメモした。

0519 038_convert_20080521232126

先ほどからずっと頭に強烈な日差しが焼き付ける。
薄い木綿のワンピースにサンダルを履いてきたが、意外にハードな道のりだったので足にも負担がかかる。そして悪いことには、息子が喉が渇いたと訴えるが、どこにも飲み物らしいものは売っていないのだ。
仕方がないので、遊牧民のキャンプで一休みさせてもらう。
ユルタといわれ、モンゴルにもある家であるが、かつて騎馬民族であったハンガリー人(ハンガリー語ではマジャールという)がこのカルパチア盆地にやってきた際には、こんな感じの家に住んでいたらしい。

0519 040

0519 041_convert_20080521232242

中は意外なほどに涼しかった。私たち日本人には、この床に座るスタイルが心地よい。息子は正座をしていた。中はフェルトで飾られていた。見ると、幼稚園でかつて息子が怪我させた子供の両親がいる。「タマーシュ君は?」と聞くと、仕事できているので預けてきたと言う。彼らは、町のハンドクラフト協会で教えている。

やがて水を買いに走った旦那が帰ってきたので、森のほうで少し休むことにした。
しばらくすると、先ほどまでガンガンに照っていた太陽は姿を消し、空は雲で覆われてきた。息子は例のモニュメントが気になるようで、一目散にかけてゆき、台の上で「ママ!ママ!」と叫ぶ。

0519 049

すると台の上でご機嫌に踊り始めた。

0519 052

0519 054

この木の柱のモニュメント、遠くから見たら閑散としていて不気味だったが、そばで見るとそう悪くない。表面が削られた木の柱に、細い木の板が吊られて屋根のようになっている。上から見ると、ちょうど花の中にいるように石の小道が花びらをかたどっていた。

0519 051

花びらの先っぽの部分には、小さな石碑が立っていた。
見ると、それぞれにハーロムセークの町や村の名前が書かれている。
そして下には年号が・・・初めてドキュメントに現れた年のようだ。上ドボイは1461年とある。

0519 056_convert_20080522132830

そして木の家から、ずっと下に沿って木の門が並んでいる。

0519 058

門の下には、石碑がこうある。
「1920 トライアンの決議によりルーマニアの主権が始まった」とある。
トリアノンとは、第一次大戦後のトリアノン条約のことである。この地に住むハンガリー系住民の運命を決めた事件。第一次大戦の敗戦国となったハンガリーは、その以前の3分の一の大きさになった。
誇り高いセーケイ人にとって、元は下の立場であったルーマニア人に屈するのはどれほどの痛手だったであろう。今でもなお、その歴史は生々しく残っている。
これを見たとき、ふと鳥肌が立った。

下に続いている木の門はセーケイ人の歩んできた歴史のようだ。それを私たちはどうやら逆に読んでいっているらしい。
「1848―1849 ハーロムセークの防衛の戦い。
ハンガリーの革命、自由戦争における参加。」
有名なハプスブルク家に対抗した戦争のことである。
これによってハンガリーはアウスグライヒ(妥協)の名の下に、オーストリア・ハンガリー帝国となった。そして世紀転換期の経済発展がなされたのである。

それからの間も、何度も自由を勝ち取ろうと反乱を起こしたらしい。

最後には、「12世紀 セーケイ人がハーロムセークに移住する。」
     「11世紀 ハンガリー人がカルパート山脈に侵入するものを監視した。」
とある。およそ800年の間、セーケイ人はこの国境を守ってきた兵士たちだったのだ。
ここから歴史はひも解かれる。

友人としばらくビールを手に語っていると、もう肌寒くなってきた。
クルトゥーシュ・カラーチのために約一時間も並んだが、その味は最高。

0519 066_convert_20080522133813

やがて山を下りると、ちょうど電車が行くのが見えた。
仕方なく、またヒッチハイク。
運良く乗せてくれた人はまたも子供づれで「セーケイ地方へようこそ。」と声をかけてくれた。ついでにカールノクという村にも招待された。

このような村紹介の祭りはぜひとも行って欲しいと思う。
村に住む人の伝統を守ろうとする気持ちを覚醒させ、村に生きるという誇りも復活するであろう。
そして、トランシルヴァニアの村の素晴らしさを世界に売り込む良い機会でもあるからだ。

0519 064_convert_20080522132241


トランシルバニアをあなたの心に・・・
                 クリックをお願いします。→  にほんブログ村 海外生活ブログ 東欧・中欧情報へ




   

































Theme:世界のイベント
Genre:海外情報

comments(0)|trackback(0)|イベント|2008-05-21_22:49|page top

ラジオで宣伝「トランシルバニアの扉」

一週間前ほどこのブログにコメントをいただいた。
KBS福岡のディレクターの方からである。

福岡の朝日放送のPAO-Nという番組の中で、毎週水曜日に海外に住む日本人に質問をするコーナーがあるらしい。そこでトランシルヴァニアについて10分くらい話すことになった。同時刻に国際電話がかかる仕組みらしい。もちろん生である。

ここで少しその内容に触れてみたい。

まず私はPAO-Nトランシルヴァニア支部特派員として紹介をされる。
もちろん私の本名も、(全然大したことはないが)プロフィールも明かされる予定。

だいたい質問の内容は以下である。

「トランシルヴァニアのどちらにお住まいですか?」・・・シェプシセントジュルジ。

「トランシルヴァニアに暮らすようになったキッカケは?」 ・・・現地人と結婚したから仕方がない。

「トランシルヴァニアでどんなお仕事を?」・・・東欧雑貨ICRI・PICIRIのオーナー。

「トランシルヴァニアの人ってどんな人?」・・・いろいろ例をあげて、このセーケイ人のカチカチに頑固で伝統に固執する傾向を話すつもり。

「うまいぜ!トランシルヴァニア料理」・・・素材のうまみが生きた、美味しいトランシルヴァニア料理を紹介!

「Tさんの食卓にはどんなメニューが?」・・・ちょっと恥ずかしいが、日本では信じられないような手抜き料理を多数紹介。

「トランシルヴァニアでの生活苦労話などありましたら・・・」・・・生活苦労は多すぎるくらいだが、しいて言えばやはり出産のことだろう。

「トランシルヴァニアは日本人にとって生活しやすいですか?」・・・旅行では最高!住むのにはまだ・・・

「トランシルヴァニアで日本人の観光客を見かけますか?」・・・あまり見かけない。

「初めてトランシルヴァニアに行くなら、どんなルートで回ったらいいですか?」 ・・・やっぱりハンガリー経由がオススメ。カロタセ口グ地方の村を回るのがいい。

「Tさんオススメのトランシルヴァニア土産は?」 ・・・本当にいいものは持ち帰れないものばかり。それでも、ハチミツやフルーツジャム、サラミ、刺しゅうや織物。


番組の最後に「ハウマッチ」といって、物の値段をクイズにするコーナーがあるらしい。
そこで、私からの質問は(いろいろ考えた末)

「馬一頭のお値段は、一体ハウ・マッチ?」である。

0519 034


「トランシルヴァニアでは農村部では交通手段として、農業の道具として大活躍の馬ですが、おおよその値段はこれくらいです。ただし現在ヨーロッパの中で最も、経済発展の目覚しいルーマニアですから、今後値段が上がる可能性は大きいです。ちなみにブタ一頭は20,000円ちょっとです。」と話す予定。

皆さまいくらかご想像できますか?

答えがどうしても気になる方、ぜひ今度の水曜日15:10に始まるKBS福岡放送でお聞きください。

*先ほど気がついたのだが、私はどうも単位を間違えていたようだ。
 ブタは、一頭二万円でした。
 ルーマニアレイは、現在100円=約2.3レイ  だが、
 つい前までは、23000レイだった。
 だから古いお金の単位だと、ブタ一頭 5,000,000レイ。
 あー、ややこしい。

トランシルバニアをあなたの心に・・・
                  クリックをお願いします。にほんブログ村 海外生活ブログ 東欧・中欧情報へ


Theme:東欧
Genre:海外情報

comments(10)|trackback(0)|その他|2008-05-19_20:16|page top

田舎に住もう!-トランシルバニアのカントリーライフ

二年前に偶然にも、村で土地を買うことになった。
私たちの住む町スフントゥゲオルゲから車で20分ほどのところにある、上ドボイという村だ。なぜそこに買うことになったかというと、ちょうどその村に家を買った友人の家に遊びに行ったときに、たまたま近所の土地が売りに出ていたからだ。

もちろん私たちは土地をそう簡単に買えるようなお金持ちではない。
土地の持ち主のおばあちゃんが一人暮らしで、子供たちは村に帰る意思もない。内の一人はハンガリーに移住するので、急にお金が必要だったのだろう。そういう訳でついた値段は、小さなほうが10万円、大きいほうが20万円だった。(値切った結果)
これくらいの値段なら・・・と思って、大きいほうを私が、小さいほうを旦那が買った。

当時でも破格の値段で、この額で土地を買ったことを話してもなかなか信じてもらえなかったほどである。そして「じゃあ土地の大きさは?」と聞かれても首をひねるしかなかった。何ヘクタールとか計ることもなければ、ただほんの何分か見ただけなのである。
それからまもなく日本に帰ったので、次にこの地を踏んだのは今年の3月になってであった。

そして今日、私はドボイの土地にやってきて三度目になる。
町から「美しい畑」と呼ばれる平野を南下していくと、やがてレーチと呼ばれる地元で有名な美しい湖に着く。さすがにまだ海水浴をする人はいなかったが、釣りをしている人が多く見えた。湖の向こう側は、白樺の林が美しいことで知られる場所だ。開いたばかりの若草色の葉が風でなびいていた。

レーチを越えてしばらく行くと、T字路が見えてきてそこから右に二つ目の村がそこである。遠目にはただの森のようであるが、よく見ると教会の尖塔や家の屋根がちらちらと顔を出している。山の斜面に面し森に隠れるようにしてあるのが、上ドボイである。

村に近づくと、大きなセーケイの門が出迎える。
村の入り口からはアスファルトは姿を消し、だんだんと山の斜面を登っていく形になる。中心のプロテスタント教会の前には並木があり、ベンチでは村の人たちが話している。先に馬の水のみ場が見えてきたら、左に曲がる。この突き当たり、ちょうど村の左上端にあたるところがバルニの家だ。

ここで車を止めて、友人を訪ねるとちょうど朝食の最中だった。
三月に来たときとうって変わり、まるで庭は彫刻の公園のよう。ふわふわとした黄緑のカーテンが庭を覆い、急な斜面の先あるまっすぐに伸びた杉の木の深い緑が対照的である。
仕事の途中の彫刻作品が、生きているオブジェとしてあちこちに立っている。

5.18 591

5.18 623

この蛇がとぐろを巻いている石の彫刻は高校一年の時に作ったものだそう。

5.18 592

バルニはブダペストの美術アカデミーを卒業後、故郷のトランシルヴァニアに戻ってきた。
大学を首席で卒業し、数々の賞もとっていた彼にとって、どんな国でも生活はできたはずだろう。良い職の話もあったそうだが、それよりも故郷で生活をすることを望んだと言う。そして、町よりも村の生活を選んだ。
都会の人の望む便利さというものが、いかに人の生活ばかりでなく、精神も変えてきたか。
どこまでも妥協を許さずに美を追求する姿勢が、彼のライフスタイルにもきちんと現れているようだ。
そしてこのドボイに家を購入し、一人暮らしをしている。引っ越してから3年ほどたち、もう村の人にも顔なじみのようだ。いつか自宅に世界中の彫刻家を呼んで、彫刻の森を作りたいと語っている。

今回私たちが村に来た目的は、小さいほうの土地に立っている小屋を修繕することであるバルニの家の隣の隣に、その小屋つきの土地がある。小屋の壁に向かって斧を振り下ろすと、真っ白いペンキとともに内側の土がボロボロと崩れ落ちた。そして中の木の枠組みが見えてくる。斧は意外に重いので、私は畑を作るためにスコップで土を耕すことにした。

5.18 601

5.18 600

5.18 603

息子は、耕した土の中からつやつやと光るミミズなどを見つけて嬉しそう。バケツに集めて土をかけ、住まいを作っていた。日本でポピュラーなダンゴムシはいないらしい。息子のお気に入りの虫だったのだが・・・。

すると「この壁はもうだめだ。」と後ろで話す声。壁の柱には、ありの巣ができているようだ。では、この小屋は壊してしまうことになるのだろうか。
「納屋か家をどこからか持ってきたほうがいい。」と旦那。「ジメシュでは、丈夫な木の家が安いらしい。ハンガリーにも持っていくというから。」と話す。では、売りに出ている家をまたジメシュで探さないといけない。結局作業はこれまで。

私たちは、その間にも可愛らしい野の花を発見しては摘んでいた。
湿気の多い土地らしく、「カエルの花」と呼ばれる花が咲いている。花びらは光沢のある黄色である。まるでプラスティックか何かできているかのよう。

5.18 604

こんな不思議な形の花も発見。深い紫のような茶色のような色合い・・・そして繊細なおしべや花びら、どれもが一級の芸術品。

5.18 599

昼時になったので、持ってきた野菜を洗いに井戸へ向かう。
この井戸は、この付近ならではのゲーメシュクートといわれるものだ。巨大なモニュメントのような迫力がある。普通の井戸ならいけるが、これは初体験である。てこの原理で動くのだろうが、この木の腕はなかなか上に上がってくれない。

5.18 602

私が井戸のそばで考え込んでいると、先ほど道具を貸してくれたおじさんがやってきて、軽々と木の腕のさきにあるバケツを持ち上げてくれた。冷たい水が手に注がれる。私は野菜を洗い終えると、「つい先ほどまで仕事をしていたので、水を汲んで持って行きたい。」と告げる。おじさんは、快くペットボトルとコップを持ってきてくれた。いい人だ。
セントジュルジにも家があるという。そして偶然にもうちの近くだったので、「村でも町でもお隣さんですね。」と言って笑った。

急斜面には、前回取り付けた階段がついていた。高さは2メートルほどある。
その先は、高い場所で日当たりもよく眺めも最高。車も通らないので、聞こえてくるのは家畜の声か鳥の鳴き声である。ここで昼休み。パンに肉のパテを塗って、簡単な食事となった。

以前に植えた木が気になるので、一軒はさんで隣にある大きな土地の方へ行ってみる。先ほどよりもずっと日当たりが良くて、広々とした土地だ。小さな倉庫がおまけについている。

5.18 618

5.18 610

庭の右すみに植えた、杏の木やビルシュアルマ(かりんのような果物)の木から小さな芽が生えていた。旦那は大喜び。

5.18 611

私は、一人で上へ上へと登る。
緑の芝は心地よく、プルーンの木々が心地よい日陰を作ってくれる。その枝の間を通り抜けていくと、だんだんと視界が開けて遠くの村までがうっすらと浮き上がってきた。
なんて素晴らしい眺め。この辺りが村の中で一番高いとこだ。もうここは村のはずれである。

5.18 615

5.18 609

しかし、この美しい景色には代償がある。私の庭の右端に倒れている木が一本・・・これ実はクマの仕業なのだ。
そう、ドボイの周辺にはクマが生息している。秋の実りの季節になると、村に下りてきてはこのように果実を食べに来るそうだ。
バルニの家の前の持ち主も、村にクマが出ることを聞いて、すぐに売りに出したという。

ただ、ブラウンベアーはヨーロッパでもだんだん数が減っているらしい。確かルーマニアが一番多かったと思う。そのため、クマを攻撃することは禁じられている・・・。でも身を守るためにも、武器を取ってはいけないのか。
昨年、村の子供がクマに殺された。自転車で突っ込んだところにたまたまクマがいたからだというが、それにしてもひどい話だ。親の身にもなってみたら、どうしてクマの保護など言っていられるだろうか。

もちろん、私もこの美しい村を気に入っている。
ただ(村が北むきなので)冬が寒いことと、クマのこと、そして子供の教育のことが引っかかる。村には学校がないので、隣村のナジ・ボロシュニョーへ行かないといけない。そこは村の人口のほとんどがジプシー系で、この土地の人々も敬遠している。教育水準はいうまでもなく、高くない。

村にも良い面と悪い面があるのは仕方がない。そこで平日は町で生活をして、週末になると村へ帰ってのんびりとする。そういう別荘感覚のライフスタイルを選ぶ人が多い。
とりあえず私たちもこの「いいとこ取り」の生活をするべく、まずは家探しである。
















Theme:東欧
Genre:海外情報

comments(2)|trackback(0)|セーケイ地方の村|2008-05-19_04:19|page top

巡礼の地チークショムヨー

今週末は、カトリックの聖霊降臨祭にあたる。
イエスキリストが死後に聖霊となって復活したことを祝う祭りである。毎年この時期にチークショムヨーという村の教会を目指して、たくさんの信者が集まる。トランシルヴァニア屈指の巡礼の地である。

Gyimes 208_convert_20080514063049

村や町単位で、行進をしてチークショムヨーを目指すのが伝統的なやり方である。
人々は美しい民俗衣装を着て、土地の名前のある旗を掲げて、賛美歌を合唱しながらやってくる。そのさまは、本当に厳かで美しい。もちろん、今では車や電車で来るのが一般的になっている。

昔ははるばるカルパチア山脈を越えて、モルドヴァ地方のチャーンゴー人たちも徒歩で来ていたそうだ。ハンガリーの最も古い文化を守るエスニックグループであるモルドヴァのチャーンゴーたちは、社会主義時代にルーマニア化が進められたため、現在でも学校教育やミサはルーマニア語が義務とされる。年に一度の、チークショムヨーで初めて母国語で祈りを捧げることができる。その意味で彼らにとっては、より大きな意味のある祭りなのだ。

私たちもコーシュテレクの人に車で乗せていってもらい、チークショムヨーを目指す。
この秘境の村を後にして、約40分で隣村が見えてくる。アーガシュでは、ちょうど土曜日の市の真っ最中だった。家畜や、穀物、野菜などを囲んで人が行きかい、活気あふれる様子だ。旦那は一人、ここで降りて周辺の村を散策するといった。

私たちはジメシュの最後の村を過ぎ、山を越えてハルギタの平原が見えてきたとき、遠くにジメシュの人々の集団が見えてきた。50人ほどのグループで、老いも若きもいっしょに二つの塔のある教会を目指し、ただひたすら歩いている。先頭の何人かは美しい民族衣装を着ていた。鈴の音と、賛美歌の緩やかな音階、地面を踏みしめる音がいっしょになる。

チークセレダの方角からは、おびただしい量の車体が光に照らされてピカピカ光っていた。
道路ばかりでなく畑のあぜ道からも、列が連なる。昔もこんなにすごい交通量だったか、記憶を呼び起こそうとするが出てこない。

私がこの聖霊降臨祭に来たのは、たった一度2000年の6月だった。あの時は、友人と二人ブダペストの隣グドゥッルーという町からのバス旅行に参加した。チークセレダの学校に宿があったが、チャーンゴー写真家のゲルグーの勧めで、教会で一晩を明かした。朝になると、教会の裏手の丘から朝日を眺めた。モルドヴァのチャーンゴーの信じるところによると、聖霊降臨祭の翌朝に、布に朝日を透かしてみると鳥となったイエス・キリストの姿が見えるという。私たちも、彼らに混ざって朝日を拝んだ。

車をあぜ道に止めて、ここからは徒歩で教会を目指す。
乗せてくれたお礼に、10レイを包んでおばさんに渡した。これだけの距離を走った油代は相当なものだろう。おばさんは私の目をじっと見据え「これはとっておきなさい。また、コーシュテレクに来てちょうだい。」と返した。
彼らは、街で高校に通っていう息子と落ち合うようだ。私たちも一緒についてゆく。

通りは教会に向かう人でいっぱいだ。
最近はルーマニア、ハンガリーだけでなく、ヨーロッパ中のまたアメリカやオーストラリアからのハンガリー人が集まるそうだ。このチークショムヨーの祭りは、カトリックの宗教行事と、ハンガリー人というアイデンティティを持つ者すべての愛国主義ならぬ愛民族主義が結びついているようだ。それがハンガリー国内でなく、ヨーロッパ最大のマイノリティーの住むここトランシルヴァニアであるというから、ルーマニアの警察も目を光らせている。

私たちは通りで友人たちに出会わせた。
親切なコーシュテレクのご夫婦と別れて、彼らとともに教会の裏手の丘を登る。
ここには、14の十字の石碑がある。古いものでは、1860年代のものがある。これは、イエス・キリストが十字に張り付けられるまでに受けた苦しみの数であるという。この地をゴルゴダの丘にたとえているのである。

Gyimes 209_convert_20080515055055

信者たちは、一つ一つの石碑の前で祈りを捧げる。そして、険しく苦しい道のりをイエスの苦しみと思い、丘を登る。

Gyimes 210_convert_20080515054739

4歳の息子には険しい道なので、途中何度も休みながらやっと頂上にたどり着いた。丘の上には、3つの修道院が建てられている。

そして、この丘の先がミサの舞台となる。
私たちが着いたころにはもうミサが始まっていた。大きな舞台にマイクが取り付けられ、テレビ局も詰め掛けている。ものすごい人の数に、驚いた。

Gyimes 213_convert_20080515054651

大きな旗には、どの地方から来たグループなのかがよく分かる。
私たちは、コヴァスナの昔の名前「ハーロムセーク県」と書かれた旗を探した。もちろん容易には見つからない。見知った顔があったので、そこでミサを聞くことにした。

Gyimes 215_convert_20080515054606

カトリック教徒でない私にとって、ミサは正直退屈だった。むしろ、そこに来ている人たちを見ている方が面白かった。セーケイの民族衣装、チャーンゴーの民族衣装に、中世風の不思議な衣装の人もいた。後に聞いた旦那の話によると、怪しげなシャーマン風の人もいたという。80年代はきっと神聖な行事だったであろうが、今では摩訶不思議なお祭りのようだ。

と不意に真っ黒い雨雲が押し寄せて、大きな雨粒が次から次に降ってきた。
残念なことに、屋外ミサは、大雨に見舞われてしまった。風も吹いてものすごく寒い。コーシュテレクから着た重装備だったからよかったものの、風邪を引きそうだ。
ミサが終わると、電車に遅れないよう息子を引っ張って歩く。ドロドロにぬかるんだ道を何度もこけたので、息子はズボンが真っ黒。何という災難。
途中でタクシーを拾って、どうにか駅にたどり着いた。

Gyimes 218_convert_20080514065642

後に帰ってきた旦那の話によると、夜に教会でミサが行われ、夜通し賛美歌でお祈りがされたそうだ。一睡もできなかったという。でも、その厳かな雰囲気は貴重な体験だったであろう。巡礼者にはろうそくが渡され、一晩中ろうそくに火が灯された。
そして、夜が明けると丘から朝日を眺めたという。

また彼の親友が、その朝に修道院で婚約をしたそうだ。
聖霊降臨祭の時に、あの信仰の強い場所で結ばれたのだから、きっと末永く幸福になるだろう。
どうかお幸せに・・・。















Theme:世界のイベント
Genre:海外情報

comments(0)|trackback(0)|イベント|2008-05-16_00:40|page top

宮崎のハワイアンキルト展へのご招待

毎年五月のこの頃に、恒例のハワイアンキルト展示会が開かれる。
宮崎の県立美術館が創業して以来、今年で13回目だ。
今年は桜をバックに、さわやかで女性らしいやさしさのある作品が招待状になっている。

県民ギャラリー08

母は、宮崎で17年パッチワークキルト、中でもハワイアンキルトと関わってきた。
南国宮崎の環境にぴったり合ったハワイの手芸が定着させるのに、長い月日を費やしてきた。

ハワイアンキルトの魅力は何といっても、植物文様の曲線が絡み合う、生命的な力強さ。そして、南国ならではの明るい色彩。
始めはハワイの伝統的なパターンをそのまま使っていたが、だんだんとオリジナルのデザインが生まれてきた。

ハワイアンキルトのデザインが起こるさまは、まるで手品のようである。
大きな布を半分に、そしてまた半分、また半分・・・と八分の一の直角三角形に折って、その布に直接デザインを書き込む。
デザインのインスピレーションは、二枚の布の組み合わせ、そしてモチーフとなる植物を決めることから始まる。デザインが決まると、布に直接ハサミをいれる。そのハサミが生命を吹き込まれたかのように曲がりくねり、あっという間に布が裁断される。
母にとって、鉛筆の線はいわば下書きであり、ハサミの描く線こそがデザインそのものなのだ。
恐らくこれは、何100、何1000枚という布を切った熟練の技なのだろう。

そして布を広げる。
ベースの布の上に、デザインされた布をのせ、8分の一、4分の一、二分の一・・・そして全展開されたときには、あまりの驚きに声が上がるという。
このデザインされたものと、偶然的に起こる、柄同士の線や色の重なり合いが一緒になって、面白い作品が生まれてくる。

ここからは、端をアップリケという技法でただひたすら縫っていくのみ。
すべてを縫い終えたら、今度は中に綿を挟み、キルティングと呼ばれる作業に入る。上布、下布、綿、裏布の何重にもなった分厚いふとんのようなものを細かい針目で縫っていくのだ。
二メートル正方形のもので、約一年かかる作業だ。

「どうして、こんなに根気の要ることを何年も続けていけるのだろう。」
と不思議に思うかもしれない。
一日一月一年という時間の積み重なりが、一つの作品という形になってしっかりと刻まれる。
ほとんどが主婦であるから、形に残らない作業を仕事としているものにとって、何かを残すということがどんなに価値のあることか。
ものを買うのは簡単であるが、世界でただ一つ自分のために、または家族のために作るものはお金で買うことのできないものである。
そんな思いから、こうした作品たちは生まれてくる。

コットンピアス展示会は、宮崎県立美術館、県民ギャラリーで5月14日~18日まで開催されている。ぜひハワイアンキルトの大きな作品に包まれ、手のぬくもりを感じていただきたい。
50人近くの女性の作品のパワーに圧倒されるのも無理はない。一年分が50集まると、それは50年分の重みなのだから。

m08コットンピアス展039

m08コットンピアス展003







Theme:ハワイアンキルト
Genre:趣味・実用

comments(2)|trackback(0)|その他|2008-05-15_07:16|page top

ジメシュ流のおもてなし

カティおばあちゃんを訪ねようと、今度は教会の裏手の山を登っていく。
旦那が「おばあちゃんは、いつもこの道を通って教会へ行くと言っていた。」というので、
例の木の柵を下ろして奥へと進んでいった。やがて小川にぶつかったので、どうやって先に進むのかと思ったら、およそ25cm幅の丸太の上を渡ってどんどん先に行ってしまう。「息子はどうなる!」と怒鳴ると、引き返して息子の手を引いていってしまった。

Gyimes 161_convert_20080512195939

ただ一人取り残された私・・・。
向こう岸までの長さは、5mほどか。落ちておぼれるような川ではないが、やはり中に入ることは極力避けたい・・・。意を決して先に進む。せめて水平に切ってあればよかったのだが、ただの丸太なので足場が悪い。まるで綱渡りでもするかのような緊張感で、足はがくがく震える。旦那に揶揄されながらも、ようやく渡りきった。

その先はひたすら登り道である。
かなりの急坂道なので、息も荒くなり喉もからから。息子はとっくに父親の頭にしがみついている。ちょっとそこらで休憩と思ったら・・・。旦那が「熊の足跡だ。」と顔色を変えだした。「急げ。こんなところで熊に会ったら、大変だ。」とどんどん先に進む。私もゼイゼイ言いながらも、取残されたくない一心で前に前にと向かった。
旦那は若い頃、一度だけ熊に会ったことがある。友人たちと山登りをしていたら、遠くに二匹の熊を発見。見る見るうちに熊たちはやってきて、気がつくと後ろを追いかけられていた。旦那はこのとき追いかけられながらもカメラにその姿を収め、後で現像してみたらフィルムが古くて何も写っていなかった、というのは武勇談の一つである。
それ以来、熊と聞くと異常な反応をしめす。昔、山の山頂近くで熊の遠吠えらしきものを聞いた途端、ものすごい勢いで我先にと山を下った。もちろん私のことなど忘れて。

80歳のおばあちゃんがこんな冒険をして教会に通うとは到底思われない。
きっと道を間違えたのだ。私たちはようやく山を越えて、家らしきものを探したが見当たらない。下のほうに村の集落が見える。仕方がないので、下っていくことにした。

誰かのうちの庭にたどり着き、犬がいないか確認してから通りに出る。
もう昼過ぎなので家に帰ろう。そう思って歩いていると、以前道案内をしてくれたおじさんの奥さんと会い「さっき、エーヴァに家で焼いたパンをあげると約束したから取りにおいで。」と声をかけてもらった。そして大きな家の前に来ると「少し家で食べていきなさい。」とまた勧めてくださった。旦那と顔を見合わせていると、家に通されて、あっという間にテーブルがきれいに準備されていった。

ご主人がワインを注いでくれ、少し酸味のあるワインを飲みながら、自家製のパンを頂いた。パンを持ち上げてみて、その重みに驚く。普通のパンの二倍くらいは中身が詰まっているのだ。口に入れると、その食感はまるで鹿児島名産のかるかんのよう。あのモチモチとした、水分の多い粘った感じだ。よく見ると、ちいさなジャガイモのかけらが見える。
パンだけでも十分なご馳走だ。
テーブルの上には、さらに自家製のソーセージやチーズがいっぱいに盛られていた。

Gyimes 176_convert_20080514065414

奥様が今度は、私の好物の「羊のチーズ入りプリスカ」を鍋に持って来てくださる。
プリスカは、ルーマニア名物のとうもろこしの粉を茹でたものだ。これに羊のチーズがよく合う。家で作るよりも格段に美味しかった。残念なことに、お腹がいっぱいになってしまった。

奥様は、隣の部屋にあるかまどを見せてくれた。
普通の部屋なのに、ふたを開けるとかまどが。ここであのパンを焼くのだ。エーヴァにパンを焼くことを教えたという。私もいつか教えてもらうよう約束をした。

Gyimes 178_convert_20080514065500

ご主人は、「旅行者をもてなすのは当たり前。自分もよそに行ったときに、歓迎してもらえたからお互い様のことだ。」と話す。よっぽど人とよい関わりをしてきた人なのだろう。私が「セントジュルジでも、日本でもお待ちしています。」というと、「人生どんなことだってありえるさ。」と言って笑った。
息子は奥さんにねだって、やっと開きかけたチューリップやスミレの花をちぎらせてもらい満足そう。夕方牛乳をもらいに行くように約束をして別れた。

やがて日が傾きかけて、ペットボトルを二つ抱えてフィリップさんの所に向かう。
ちょうどウシの乳を搾るところらしく、中を拝見。大きなウシ二頭に子牛もいた。息子も乳絞りを初体験させてもらう。が、ウシのお乳はとんでもない方向に向かって飛んでいった。おばさんはさすがベテラン。あっという間にバケツが一杯になり、「絞りたてが一番体にいいのよ。」とコップを差し出してくださった。
搾りたての牛乳は、幸せな味。なぜこんなに美味しいものがあるのに、ジュースや酒を買うのだろう。ペットボトルにもたくさん牛乳が注がれた。

小屋から出るとご主人が馬小屋に呼び入れる。
つるつるに光った茶色の肌をした立派な馬が二頭。「馬は足の力が強いから、決して後ろに立ってはいけない。」こう聞かされていたから入るのを躊躇していると、馬を連れてご主人が外に出てきた。どうやら息子を乗せてくれるらしい。馬の背には毛布がしかれ、快適そうだ。優しい目をした馬の背に抱え上げられ、息子は誇らしげである。おじさんがゆっくりと庭を二週させた。午後の日差しに、馬の毛並みが美しく輝いた。いったん馬から下りたものの、もう一度とせがむので、もうあと一周させてもらった。

Gyimes 197_convert_20080514065602

自家製のチーズと牛乳を安くで分けていただき、カティおばあちゃんにも牛乳を持っていった。ちょうど夕食時だったようで、少し話をしていると「さあお食べなさい。」とゆでたてのジャガイモと羊のチーズをテーブルに置いた。明日もう帰るので、今日は急ぐことを告げると「まあ、可哀想に。」といった。

こうしてコーシュテレクの気さくな村人たちと別れた。
まだここにいながらも「次はいつ来られるだろう。」と考えている。
どうして知り合ったばかりの人に、心をこうも開けるのだろう。もてなし上手、お客好き・・・。きっと村の人たちは、お金で買えないものの大切さをよく知っているからだろう。ほとんどを自給自足でまかなうから、人との交流、付き合いに物を惜しまない。
都市の生活との決定的な違いはここだ。お金はなくても、どこか心にゆとりがあるのだ。
もう一度、この村に帰ってこの「おもてなし精神」を学びたい。よくしてもらった分、どこかでお返ししたい。そう思った。

Gyimes 205_convert_20080512195616


Theme:東欧
Genre:海外情報

comments(2)|trackback(0)|その他の地方の村|2008-05-15_06:13|page top

ジメシュのツーリズム計画

エーヴァたちは、チャーンゴー協会から派遣されたハンガリー語教師である。
始めは半年のつもりできたのに、この地が気に入ってもう4年目になる。人口が600人の村だから、子供の数も少ない。その数少ない子供たちと深く関わってきた。

ルーマニア一般の教育事情として、村の教師の水準は低い。教員免許を持った力のある教師はほとんどが都市部を希望するから、農村部には古い体制の教師たちが多いという。そこにエーヴァたちのような、一流の教育を受けた意欲あふれる教師たちが来たのだから、村にとっては思ってもいない贈り物だろう。ただ、エーヴァの話を聞いていると村の住民はまだその価値に気がついていないと見える。

民族舞踊を得意とする二人は、地元に学生の民族舞踊グループを作った。ちなみにエーヴァの兄は、町の民俗舞踊団で踊っている。まだよそに公演はしていないものの、かなりのレベルにまで達しているようだ。
そしてこの春休み中には、村で伝統的な結婚式を催し大成功を収めたそうだ。本当の結婚式ではなく、子供たちが衣装を着て、古い習慣を再現したものだ。花嫁をもらう時のせりふを言ったり、もちろん音楽や踊りもあった。二人とも大学で民俗学を専攻していたから、きっと本格的なイベントだったであろう。
いかにして地域の特徴を生かし、自分達のものにするか。それを心から考え、実践してみせた。その影響力は大きいだろう。

そしてもう一つ、村のために貢献していることがある。
よそから隔離され農業に適しない環境のコーシュテレクでは、主な収入源は林業と牧畜業のみである。若者たちは村から離れることを余儀なくされている。
それで、考え付いたのはツーリズムである。
交通の不便は悪いが、その分未開発の自然の美しさ、何よりも村の人々のメンタリティー、伝統的な生活習慣は昔のままに残っている。それを生かして、村の人々に新たな生活の道が開けることになる。

私たちの滞在の間に、ちょうどハンガリーからの旅行者のグループがやってきた。今週の週末がちょうど、キリスト教の聖霊降臨祭にあたることから、チークセレダの隣村チークショムヨーで大掛かりなカトリックのミサが開かれる。トランシルヴァニアにおいて最も重要な巡礼地である。彼らは、それを目的にやってきた巡礼者たちである。

その旅行者たちは、このコーシュテレクの民家に泊まり、翌朝には徒歩でチークショムヨーを目指すという。ちなみにその距離はなんと25km! 子供づれの私たちにはとんでもない距離だ。これは巡礼という宗教的な儀式であるから、道が険しければ険しいほど、遠ければ遠いほどいいのかもしれない。

Gyimes 123_convert_20080512082434

この宿泊地についても直前まで決まらなかったようで、彼らは頭を痛めていた。まだ、村の人たちには新しい可能性を受け入れる準備ができていないようだ。

次の朝、村のカトリック教会でハンガリーの旅行者たちのためにミサが開かれた。
私たちも行ってみることにした。この村の神父さんは、モルドヴァ地方のチャーンゴー人である。以前遊びに行ったときには、ニコニコとやさしく微笑む、権威を感じさせない謙虚なおじいさんであった。ただ難点は、言語障害があるらしく言葉に何度も詰まって、話が聞き取りにくいことだった。これで村の住民の信頼は得られるのだろうか、ミサでは話が聞き取れるのか心配だったが、驚いたことに、ミサではすらすらと言葉が流れ、威厳あふれる神父さまだった。

ミサが終わると、民族衣装をまとったうら若き乙女二人と少年が立っていた。
男性は丈の長いシャツに帯を締め、女性は刺しゅうの鮮やかなチュニックに黒っぽい織りのまきスカート姿。ちらりと長いチュニックのすそを見せるのがポイントである。美しい刺しゅうがここにも。
チャーンゴーの衣装は、ルーマニアのそれにそっくりである。女性のブラウスのそでは膨らみ、ハンガリーのものに似ている。

Gyimes 147_convert_20080514065205

まず男の子がはっきりとした大きな声で詩を暗誦した。ペトゥーフィ・シャーンドルの長い詩を堂々とそらんじた。拍手が起こる。
一方で女の子たちは微笑んでいるだけなので、その内に見物客が「歌でも歌って。」と声をかけ出した。予想外のことに少し戸惑いの色を見せたが、少女たちはひそひそと相談を始め、やがて大きな声でチャーンゴーの民謡を歌った。しっかりとした歌声だった。きっとエーヴァかアンドラーシュの教え子たちだろう。

Gyimes 150_convert_20080514062556

彼ら次の世代の者たちは、この村の問題に新しい解決法を見出してくれるだろう。

アンドラーシュの作った、コーシュテレクの案内文はこのように綴られる。
“残念ながら、グローバル化の進む現代の社会の中で人々は自然から遠ざかり、健全なる人間関係も失われつつあります。コーシュテレクでは、この地理的に閉鎖しているために、この危険性は今のところまだありません。この地を訪れた人は、ふだん私たちが本や博物館の中でしか見ることのできないような伝統的で、原始的な文化に出会うことでしょう。なぜなら、この地の住民はまだ自然とともに毎日の生活を営んでいるからです。
旅行者の皆様は、村の住民と生活する内にきっとこの忘れ去られてしまった生活習慣を味わうことができるでしょう。・・・どうぞコーシュテレクにいらしてください。きっと後に再びこの村に帰りたくなることでしょう。“

Gyimes 163_convert_20080514064525


Theme:東欧
Genre:海外情報

comments(1)|trackback(0)|その他の地方の村|2008-05-14_06:31|page top

ジメシュの山に暮らすおばあちゃん

ジメシュの朝は、空気が冷え冷えと張りつめる。
見ると霜がふったようで、地面の芝には朝露が光っていた。まるで季節が春の初めに戻ったかのようだ。
この村の先には集落がないので車の音がなく、鳥の声や馬車の通る音だけが聞こえる。
庭の木は、まだ白いつぼみをつけている。息子がついて早々、咲いたばかりの庭中の花を摘み取ってしまったので、寂しい感じだ。それはカンカリンと呼ばれる、小さなレモン色の花が鈴なりとなったもので、いかにも北国の野花らしいさわやかな色合いである。

食事を済ませると、エーヴァが私たちを使いに出した。
山の上に一人暮らしをしている80歳のおばあちゃんがいるというので、食べ物を届けにいく。本通りをしばらく進み、右の小道に入る。夕べ雨が降った様子で、道路は少しぬかるんでいた。目の前には家畜が通る。

Gyimes 118_convert_20080512082551

村の人はすぐに私たちがよそ者であることが分かるから、挨拶をすると「どこから来たのか。」「どこに泊まっているのか。」は必須の質問事項である。エーヴァの言うとおり、この村の住民は開放的で、よそ者に対してもいたって親切である。
こんなに閉鎖的な環境であるにもかかわらず、きれいなハンガリー語を話すことには旦那も驚いていた。それでも読み書きができる人は少ないらしく、子供の教育にしても文字というものがネックであると話していた。

しばらく行くと、大きな家の前でおじさんが仕事をしていたので、カティおばあちゃんの家を聞いてみる。おばさんは「あそこのおばあちゃんは、よく村に下りていくから留守かもしれない。」と告げた。おじさんが家から出てきて案内してくれると言う。

ジメシュに特徴的なこの木の柵、人の所有地かと思っていたら違うらしい。通りを行く人は自由に柵を下ろして、中に入ってもいいという。

Gyimes 157_convert_20080512082810

Gyimes 156_convert_20080512082849

私たちは泥道を避けて緑の原っぱを進み、やがておじさんが止まって、山の中腹にある赤い屋根の家を指差した。「あそこだよ。」80歳のお年寄りにはきついことが容易に想像できる。地上から100mほどあるだろうか。

Gyimes 158_convert_20080512081019

息子を引っ張り、坂道をひたすら登ってゆく。
また花摘みに夢中なので、なかなか前に進まない。やっとのことで赤い屋根の家に着くと、中はどうやら留守のようだ。仕方がないので、この辺を散策して待つことにした。

Gyimes 108_convert_20080512082949

さらに進むと、また柵が見えてくる。
どうしてこんなに柵が多いのか。旦那が言った。「柵の向こう側とこちら側を見てみて。ほら草の色が違うだろう。」そうだ。そういえば、向こう側は枯れた茶色をしているが、こちら側は輝くような緑である。この狭い牧草地を有効に利用するための知恵なのだ。

Gyimes 160_convert_20080512195336

山の上からの景色は美しかった。
村を足元に一望し、草に横たわってかぼちゃの種を食べる。もうそろそろ昼だろう。雲行きも怪しくなってきた。

Gyimes 172_convert_20080512080904

Gyimes 113_convert_20080512195717

またステキな花を見つけた。
濃い青は、まるでインクをたらしたかのよう。これほど色が鮮やかでなかったら、見逃してしまうほど茎の短い花である。後に名前を聞いてみたら、「やせたチューリップ」だという。やせた土地に咲く、チューリップという意味だ。

Gyimes 164_convert_20080512083220

花を摘んで、家に帰ることにした。
元の道を下って降りて、先ほど道案内をしてくれた家で会ったおばさんに、不在であったとことを告げると、「どうぞ。うちにおいで。少し食べていきなさい。」と声をかけてくれた。突然の招待に面食らったが、有難く礼を言って遠慮した。

途中おばあちゃんが何人か通ったので、声をかけてみたが違った。
そして車がやってきて、エーヴァが下りた。カティおばあちゃんがいなかったと言うと、「さっき行った人がそうよ。」という。あの小柄で、赤い頬をした陽気なおばあちゃんのことだ。どうも耳が遠かったらしい。仕方がないので、また午後会いに行くことにした。

私たちがまた外に出たのは、夕方ごろだった。
村はずれのおばあちゃんの家に着くと、大きな声を張り上げて迎えてくれた。ワインを持ってきて乾杯する。少し酸味のある微炭酸の白ワイン。ブドウが生らないこの寒い土地では、ブドウをよそから買って自家製のワインを造るらしい。だから貴重な飲み物だ。
おばあちゃんは、ジメシュのよその村から嫁いできた。子供はなく、5年前にご主人様が亡くなったと言う。一人はよくないとか、足が痛いとかいう不満も言うが、あの明るい笑顔がすぐに浮かんでくるので、全く暗い感じはない。根っから明るいたちなのだろう。

Gyimes 126_convert_20080512202330

おばあちゃんの家は、かわいらしいエメラルド色の壁面に、お手製の刺しゅうの壁掛けがカラフルである。電気もないので、ランプは石油ランプである。見ると100年ほど前にブダペストで作られたアンティークものだ。ランプには可愛いレースがかかっている。

Gyimes 128_convert_20080512195127

若い頃は、織物もしていたようで、大きなテーブルクロスを見せてくれた。ケンデルと呼ばれるヘンプ製の織物は、素朴でやさしい手触りがする。
「これに刺しゅうをしようと思ったんだけれど、もう手がかなわなくてね。これをあなたにあげる。」と言われてびっくりしてしまった。旦那と顔を見合わせ、丁寧に断った。初めて会った私に、こんなに手の込んだ大切なものを渡すなんて・・・。
すると部屋から今度は、細長いクロスを持ってきて見せてくれた。おばあちゃんが糸から紡いで作ったものだ。細かい織り模様が美しい。柄の部分は、この土地のジメシュの民族衣装にも見られる幾何学模様。端には、レース編みのバラが施されている。

Gyimes 129_convert_20080512194820

おばあちゃんはまたも私に手渡して、「こんな山の上のおばあちゃんを訪ねてくれた記念に。持って行って。」となおも勧める。
私は有難く受け取った。

ワインで軽く酔いが回った後は、おばあちゃんに古いものを見せてもらって写真に撮る。
昔使っていたという糸紡ぎ棒、ちゃんと実演して見せてくれた。

Gyimes 130_convert_20080512195014

洗濯板と洗濯叩き。昔の主婦は仕事が大変だ。今はそれに比べて、ボタン一つである。

Gyimes 143_convert_20080512195829

倉庫に埃かぶっていた、鋭く先の尖ったもの。
これは何だと思いますか?

Gyimes 142_convert_20080512195456

子牛が母親のお乳を吸わないように、子牛の口に取り付けるものらしい。母ウシはもちろん痛いので、子牛に乳を吸わせなくなるという仕組み。昔は、人も胸に唐辛子やわさびを塗ったというが・・・さすがにこれは痛そうだ。これは、旦那がおばあちゃんに頼んでいただいた。

空も暗くなり始めたので、カティおばあちゃんの家を後にした。いつかまた来ると約束をして。
一人でたくましくジメシュの山に暮らすおばあちゃん、いつまでもお元気でいて欲しい。

Gyimes 203_convert_20080512195220







Theme:東欧
Genre:海外情報

comments(0)|trackback(0)|その他の地方の村|2008-05-12_20:02|page top

緑の王国ジメシュへ。

トランシルバニアのはずれ、カルパチア山脈の山間の地方ジメシュに行く。この旅行計画は、振って沸いたようなものだった。先のセントジュルジ祭で偶然出くわせた友人が「いつジメシュに来るの?」と聞いたので、そのままの成り行きで決定した。

私たちの電車が駅を発ったのは、午前11時。
特急なら一時間足らずで着くはずの、北の町まで2時間半の旅である。
大きなパンとハムやらチーズやらをカバンから広げ、ビチカと呼ばれる短刀で切ってその場で即席サンドウィッチを作る。これぞセーケイ風である。そして何よりも、美しい車窓の風景がご馳走。

ふんわりとした緑に包まれて、小川がうねりながらどこまでも続く。堤防もないので小川と思っていたら、旦那が「これは立派な川だ。まだ上流だからこそこんなに小さいが、下流でドナウ川に合流する頃には大淀川よりも大きくなる。」と訂正した。故郷の大淀川を思う。不思議と川には愛着を持っていて、ブダペスト留学時代も本気でドナウ川に対抗するほどの大きさだと思っていた。それにしても、このオルト川は情けないほど小さい。

いつしか電車は、コバスナ県とハルギタ県の境にあるトゥシュナードに差し掛かった。有名な保養地で、ここから山を登ればセントアンナ湖まで行くことができる。セントアンナ湖は火山によってできた透明度の高い湖で、水の中に全く生物がすんでいないという。

電車が山を過ぎてゆくと、先には広いなだらかな盆地が広がる。
これがハルギタ県だ。この辺は少し春が遅いらしく、タンポポが真っ盛り。若草色の畑に黄色がまぶしい。村には、形が整ってどっしりとした民家が並んでいる。伝統的な建造物が多いようだ。

Gyimes 078_convert_20080512083444

ハルギタというと、学生時代に何度か通ったことがあったが、どこまでも山が連なり緑の深い風景は日本のそれを思わせて、いつも懐かしさを感じる。
そのハルギタの中心地がチークセレダである。セントジュルジと同様、ハンガリー系住民が80%ほどを占めるセーケイの二大都市である。

駅に着くと、旦那によるとエーヴァたちが迎えに来てくれるとのことであった。遅れるかもしれないと断りがあったようなので、駅の前で待つ。
こんなこともあろうかと思って、密かにかぼちゃの種を隠し持っていた。このかぼちゃの種、いつかジプシーの親子が食べている姿を見て、いつかは食べ方をマスターしたいと思っていた。種をたてに持って、歯と歯の間で割ると中の実が出てくる。噛むとほのかな塩味に自然の甘みが感じられた。ただし私が不器用な手つきでするのに対し、彼らは口の中でその一切をほんの2秒ほどでしてしまうのである。

一時間ほどでエーヴァとアンドラーシュがやってきた。
チークセレダでいくつか買い物をしてから、町を後にした。村はここよりさらに寒い地方なので、夏野菜などは手に入らないからである。広々とした盆地から山にさしかかり、1300mほどまで高くなった。すると遠くにジメシュの村々が見えてきた。山と山との間にずっと細長い集落が連なっている。ジメシュの村に特徴なのは、タトロシュと呼ばれる(この名前の民俗音楽バンドもある。)小川をはさんで民家が並んでいることである。

そして、もう一つの特徴は木の柵である。裸の山にその柵があちらこちらに張り巡らされている。ここは平地が少ないにもかかわらず放牧をするため、柵をしてわずかな畑を守っているのだ。私たち日本人の目には珍しく美しいこの裸の山も、この放牧のためにできた現象だという。

Gyimes 115_convert_20080512081326

Gyimes 107_convert_20080512081150

そして民家の古く美しいこと。
薄い木の板が積み上げられた屋根は、相当年数がたっていそうだが、木の渋い味が出ていてなんともいえない。ジメシュは作りのよい木造の家が多く、そして安いことでも有名である。コバスナ県でも家を建てるより、ジメシュから運んだほうが安上がりだと聞いたことがある。

ジメシュの村をいくつも過ぎて、やがてハルギタ県からバカウ県に入る。
この辺りは1000年の国境と呼ばれる場所で、いつか私も連れてきてもらったことがある。ハンガリー人としては胸の痛む、第一次大戦前まではハンガリー王国の国境だった場所だそうだ。

その古い国境を横切ると、ルーマニア系チャーンゴーの村が多くなる。そして車がやっと本道から右にそれると、エーヴァが言った。「ここからが長いのよ。15kmのところを約一時間かかっていくんだから。」思わず耳を疑う。15kmを一時間?時速4kmということ?1時間は大げさだそうだが、40分は軽くかかると言う。

そして川に差し掛かって・・・仰天した。
建設中の橋の下を、川が流れている。大人のひざまでの深さはあるだろう。そこを車が通るらしい。車はものすごい水しぶきを上げながらも、どうにか川を渡って向こう岸に到着。どうして木の板を置くとかいう工夫ができないのだろう。

これからは、舗装のない道をひたすらゆっくりと走る。道は曲がりくねっていて、先がどれほどあるかも分からない。初めて、彼らがこの町に来たときはどれほど不安だっただろう。雪のさなかは、途中で車が止まったこともあったという。故郷の宮崎にも僻地はあるが、これほどではないと思う。

エーヴァはジメシュに住んで4年になる。いわゆる僻地のハンガリー語教師として、この地に送られたのには訳がある。
ジメシュに住む人々は通称「チャーンゴー」と呼ばれ、元々セーケイ地方に住んでいたといわれる。環境のせいであろうが、ハンガリーとルーマニア文化の混ざり合った独特の習慣、文化を持っている。ハンガリー語の損失が危ぶまれる地方の一つとして、ハンガリーがその村のハンガリー語教育を援助しているのである。

やがて民家が見え始めた。
午後に傾いた日差しが、木の柵に黒く淡い影を投げかける。薄い若草色がまばらに見える木々に、まだ春が来ていないことがうかがい知れる。この山に囲まれた土地がコーシュテレク(牡羊の土地)である。

Gyimes 154_convert_20080512081835

車が止まると、外には二階建てのメルヘンチックな家がある。
この緑の王国での宿にふさわしい。私たちはこの住んだ空気と疲れのために朝までぐっすりと休んだ。

Gyimes 093_convert_20080512083849










Theme:東欧
Genre:海外情報

comments(1)|trackback(0)|その他の地方の村|2008-05-12_08:17|page top

セントジュルジ祭のフィナーレ

週末は、あいにくの空模様・・・朝方は雨が降り、重苦しい灰色の雲が広がっていた。

私たちが外に繰り出したのは、昼を過ぎて、夕方近くになってからだった。
土曜日よりもはるかに人が多かったので、しっかりと息子の手をつないだ。
もう夕方7時ともなると、店もそろそろ終わりの気配。

今回の祭りで不本意だったのは、民族舞踊が見られなかったことである。地元のハーロムセーク舞踊団が一日に何度か舞台に立ったのだが、ちょうど息子の昼寝時間だったり、悪天候もあって見そびれてしまった。そんなことを思っていると、ふとヴァイオリンの音が聞こえてくるので、ステージのほうに行ってみることにした。いろいろな民族楽器が並ぶステージに興味をそそられ、しばらく待ってみる。ちょうどテスト中のようだ。聴衆はそう多くはない。

ヴォーカルとギター、ドラムまでは普通のロックバンドだが、ヴァイオリン、アコーディオン、ツィムバロムが加わってフォークロア調になる。ちなみにツィンバロムとは、ハンガリーの民俗音楽に欠かせない楽器で、ちょっと鉄琴のようなものである。

szentgyorgynap 257_convert_20080505194949

バンドの紹介によると、このNAPRA(ナプラ)は昨年のハンガリーの音楽祭のワールドミュージック部門で金賞になったという。ナプラは”太陽に向かって”という意味である。

演奏が始まると・・・迫力のあるバンドサウンドに、張りのある民謡調の(でも可愛い)ヴォーカルが加わって徐々にフォークロアの味付けが濃くなってゆく。そこに、ヴァイオリン、アコーディオン、ツィンバロムが入ると、今まで聴いたことないような不思議な世界が広がる。時にハンガリー民謡、時にジプシー音楽、時にバルカン音楽、またユダヤのイディッシュ音楽・・・様々な要素がミックスされているようだ。

szentgyorgynap 252_convert_20080505200311

あまり音楽に詳しくない私でも、テクニックの高さはよく分かる。
ギターは、ヴィオラやヴァイオリンのパートも軽く弾きこなすほどうまい。
ヴァイオリンもふだん民俗音楽で聴くそれよりも、洗練されたアカデミックな音のようだ。私の大好きな楽器である。
特に、ツィンバロムの素晴らしいことといったら・・・やさしく物悲しい音が、耳に心地よい音階を奏でる。後でクレジットを見たらバローグ・カールマーンという有名なジプシーバンドのミュージシャンだ。
ロックの味付けに関しては、好き嫌いが分かれるところであろうが・・・私は70年代のUKロックの雰囲気が感じられるようで好きである。
また、一曲一曲の終わり方が素晴らしい。沈黙という楽器をも使いこなしているかのように、さっと音がひくと思わず鳥肌がたつ。

このステージを前にした聴衆の反応がまた面白かった。
ステージの前は、ほぼウルクーと呼ばれる地域のジプシーで占められていた。
不意にちょうど私たちの前にいた、ジプシーのおじさんがリズムに合わせてステップを始めた。
私たちがびっくりして見ていると、その踊りがまたこのモダンフォークロア音楽にちゃんと合っている。ステップから、今度は足をたたいてリズムをとったり、その踊りのうまいこと!

szentgyorgynap 254_convert_20080505200039

szentgyorgynap 251_convert_20080505200434

しばらくこの老人の踊りに目が釘付けになった。旦那は興奮してビデオに撮っている。
するとステージの反対側でも、ジプシーの夫婦が踊り始めた。私は寒さに震えているというのに、婦人は上着を脱ぎ捨てダンスに夢中である。まったく音楽を楽しむことにかけて、ジプシーの右にでる人はいないだろう。旦那はこちらでもビデオを撮りつづける。
そして舞台ではヴォーカルのハンガリー人の女の子が、リズムに乗って踊っていた。

ステージも後半の盛り上がる会場で、酔っ払ったジプシーのおじさんは私たちに絡み始め、よく分からないことを口走る。ルーマニア語、ハンガリー語、ロマ語の他にも5ヶ国語を話すとか、カラテの選手権で優勝したとか・・・大人しく踊っていればいいのに。
そして気が付くと私たちはジプシー集団に囲まれ、息子はジプシー女に顔を触られて硬直している。
なんだか彼らの間でも喧嘩の始まりそうな気配を感じ、おびえて後ろに下がる。あー、怖かった。

szentgyorgynap 258_convert_20080505195658写真は、ジプシーのおばさんのエプロンが可愛かったから。

すると後ろでもハンガリー人のおばさんがステップを踏み、ジプシーの子供たちといっしょに踊っていた。

ナプラのレコードによると、「もしジミ・ヘンドリックスがトランシルバニアの民俗音楽を聴いたら、どうだったでしょう?もしバルトークがジミ・ヘンドリックスを聴いたとしたら?そして、あなたがもしNAPRAを聴いたらどうでしょう?
NAPRAのメンバーの共通の出発点はカルパチア盆地の民俗音楽です。それを現代文化で新しく解釈をして、現代のサウンドに埋め込んでいます。・・・」とあります。

この素晴らしいステージを披露してくれたナプラに感謝。日本でもブレイクすることを願って。
彼らのレコードも買いに走り、サインもしてもらった。ブダペストでは頻繁にライブをしているらしいので、ぜひ聴きに行って欲しい。

szentgyorgynap 261_convert_20080505194351

NAPRAのホームページ

この興奮のステージの後には、地元のグループが味気なかった。TRANSYLMANIAというその名の通り、トランシルバニアのミュージシャンが名を連ねている。
あの水の展示会で演奏をしたミュージシャンも姿を表したので期待をしたが・・・ヴォーカルや音楽全体が野暮ったい感じで、先のブダペストの洗練された音には歯が立たない。

やがてステージがすべて終了すると、セントジュルジの市長があいさつをした。ハンガリー語とルーマニア語での演説だった。そして明かりが消えて、花火が始まる。

日本の音をも楽しむ花火の味わい方とは違って、こちらは音楽付きである。フレディ・マーキュリーやBONOの歌声を聴きながらの花火である。夜の公園に、火薬のにおいと音楽、花火のとどろきがいっしょになる。

この花火を見ながら思った。
祭りの醍醐味は派手なアトラクションやショッピング、食べ物等にあるのではなく、普段とは違った環境の中で見知った人々と出会い、会話をするという“人”中心の関わりであると思った。よその町で長年暮らしていた旦那の友人も、久しぶりに故郷の空気を吸い、懐かしい知人友人と接するうちに、また地元に帰って来たいと告げた。
こんな風に地元に人々をひきつけるきっかけを与える、そんな祭りをこれからも続けて欲しいものだ。


トランシルバニアをあなたの心に・・・
                 クリックをお願いします。にほんブログ村 海外生活ブログ 東欧・中欧情報へ








Theme:世界のイベント
Genre:海外情報

comments(0)|trackback(0)|イベント|2008-05-07_05:30|page top

セントジュルジ祭―子供たちの楽しみ

セントジュルジ祭も山場となる週末だが、あいにくの雨・・・空は重い灰色で、たまに薄明るくなったと思ったら、雨がまたぱらつくという状態。友人も店を出しているので、天気の行方は気になるところだ。

中央の公園では、出店やイベントも日々変わるので見ごたえがある。
隣人の女の子が「11時に、中世の騎士団のイベントがあるから来て。」と誘われていたので、覗いてみることにした。
遠めに見ると、会場にはテントがいくつか張られ、たいまつに火がともっていた。そして、どれも華やかな衣装に身を包んだ少女たち・・・ナイトの衣装を着た少年たちもいた。日本の少年少女が見たら、きっと喜ぶであろう。あまりにも若々しい美しさを目の前に、少し気後れする。

szentgyorgynap 178_convert_20080505171513

その中にクリスティーナを見つけたので、近くに行って声をかける。黄色の衣装を着て、頭には王冠を載せている。写真を撮りたいと言うと、息子を引き寄せてポーズをとるのだが、肝心のわが息子は恥ずかしさのあまりに泣き出してしまった・・・でもチーズ!

szentgyorgynap 175_convert_20080505171330

このお芝居のようなもの、よく分からないので聞いてみると、5つの試練を乗り越えて、一番ポイントの高いものが勝ちだそうだ。最後には、王女さまに告白らしい。ためしに旦那に勧めてみたが、年齢制限があって25歳以下のみ参加できるそうだ。・・・残念。
日本の高校生たちも、日本の戦国時代の侍をテーマにこんなイベントを文化祭でやってみたらどうだろう?

公園の中にある、星の形をした大きなモニュメントは若者たちの待ち合わせ場所である。今はこの柱にロッククライミングの板が取り付けられ、イベントが行われている。高さは、およそ7,8メートルか・・・ちゃんと安全ベルトが付いて、後ろから持ち上げてくれるので心配は要らない。息子も興味があるようで、じっと見ていた。

szentgyorgynap 182_convert_20080505171820

そして、不意に「やってみたい。」と言い出すのでびっくりした。危ないから後ろに下がるように促しても、聞かない。「まだ小さいから無理だ。」と説得しても無駄。係りの者が「やってみないと分からない。試してみたらいいよ。」と言う。息子はやる気になっている。私は料金のことも気になって迷っていたのだが、気が付くともう息子にはベルトが取り付けられ、準備は完了。
仕方がない・・・あきらめて行方を見守ることにした。小さな体で大きな板にしがみつき、手で石をつかんでいる。2メートルにも達しないうちに「できない!」と根をあげてしまった。料金は払わずに済んだので安心。

公園内には他にも木と木の間に、階段をつけて渡り、ターザンのようにひもをつかんで降りるアスレチックのような遊具もあった。これも有料。

szentgyorgynap 156_convert_20080505170759

大きなゴムを吹くらませたものの中で、飛び跳ねて遊ぶ遊具は、5分で5レイ!あまりの高さにあきれるばかり。

まるで遊園地のような、小さな電車、メリーゴーランド、絶叫マシーンは、公園横の大通りに設置されていたが、始終人だかりであった。ルーマニアには遊園地というものが存在するのか知らないが、あまり聞いたこともない。

私たちが気に入ったのは、星のモニュメントの横で行われた「くるみパチンコゲーム」である。まるで紙芝居小屋のような懐かしい雰囲気の小屋に、オルゴールのような音楽が蓄音機から流れる。舞台では、鬼が、いや悪魔が二匹上がったり下がったりしている。子供が勇ましくやってきて、クルミを手に取り、パチンコで鬼を打つ。見事命中したら、おじさんが不思議な音のする楽器をぐるぐる回して、アメをくれる。こんな遊びだ。
”ここはクルミが飛ぶので注意”という看板もあった。

子供たちは順番が終わっても、また並んでいる。そうこれは無料である。だからリピーターも多く、いつも長蛇の列である。
この悪魔はどうやって動いているのかというと・・・
横に取り付けられている、木製のウシである。順番の来る前の子供が、これにまたがって首を前後ろに動かすと、悪魔が上下に動くという仕組みである。しかも子供はウシと同じゴーグルをつけなければならない。つけないとおじさんが注意をする。ウシには、ピンクの風船でできたおっぱいがぶら下がる。芸が細かい。

息子も気に入った様子。「やってみたい?」と聞いても首を横に振る。それでもやってみるように勧めてみると、やっと乗り気になった。4歳の息子ができるか心配にもなったが「おじさんがサポートしてくれるので大丈夫。」と旦那。子供たちが親切に前に順番を進めてくれた。
そして、息子の番・・・おじさんの手ほどきで、三回目に無事ヒット。アメをもらって嬉しそう。そして、ウシの後ろにもまたがる。おじさんが抱いて乗せてくれ、「お母さん、写真をどうぞ。」と言った。このアイデアも面白いが、何よりこのおじさんが素晴らしい。子供をうまく扱い、ちゃんと注意もする。場を盛り上げることも巧みだ。

szentgyorgynap 233_convert_20080505201111

szentgyorgynap 240_convert_20080505200929

szentgyorgynap 234_convert_20080505202639

祭りを楽しむのに、たくさんお金をかけたり、派手な格好をしなくてもよい。こうしたシンプルな遊びの中に、そして人とのコミュニケーションの中に、人々を楽しませる要素がいっぱい詰まっている。

セントジュルジ祭に乾杯!

szentgyorgynap 189_convert_20080505172010


トランシルバニアをあなたの心に・・・
                 クリックをお願いします。にほんブログ村 海外生活ブログ 東欧・中欧情報へ







Theme:海外の子育て
Genre:海外情報

comments(0)|trackback(0)|イベント|2008-05-05_17:06|page top

セントジュルジ祭―美味しいものときれいなもの

今日から、出店があるというので見物に出かけた。
出店には大きく分けて三つある。一つは食べ物や飲み物、もちろんお祭りには不可欠の要素だ。ルーマニア名物のミッチという、ひき肉のハンバーグのようなものはビールといっしょに出される。ルーマニアのビールは、甘みがあって美味しい。

セーケイ地方の名物といえば、クルトゥーシュ・カラーチという細長い円形のお菓子である。これは、バームクーフェンの原型であるとされている。長い鉄の棒に、お菓子の生地を巻きつけて焼く。味もいろいろあるが、やっぱりオーソドックスなのは砂糖だけのものである。砂糖をその生地にまきつけて、炭の上でくるくる回していくと生地が黄金色になってくる。やがて火からおろすと、砂糖がパリパリに生地はふんわりと仕上がるのだ。砂糖の香ばしさに、生地のほのかなイーストの香りがたまらない。近郊の村々からも出店があるので、かなり競争も激しいようだ。

szentgyorgynap 045_convert_20080504223305

szentgyorgynap 046_convert_20080504163017

もう一つは、大量生産の商品である。洋服や靴や、お菓子。普段の店でも手に入るようなものが、通りにあふれる。どれも世界共通の中国製品ばかりだ。
こちらは中心の公園ではなく大通りなので、雰囲気を壊さないだけましである。

最も楽しみなのはフォークアートの市である。
町の中心広場をクモの巣のように行き交う小道、緑の屋根で覆われた静かな場所で出店が並ぶ。
カロタセグ地方の刺繍や、セーケイの民族衣装も手に入る。工芸では、トランシルバニアの陶器も並ぶ。そして、現代の工芸作家の作品も・・・

szentgyorgynap 197_convert_20080504162613

szentgyorgynap 150_convert_20080505170455

szentgyorgynap 070_convert_20080504154741

紐で編んだ壁掛け、木の板に草花模様が描かれたもの、フェルトの作品、とうもろこしの葉で編まれたもの・・・身近にある材料で工夫にとんだ作品を見ているだけでも楽しい。

szentgyorgynap 164_convert_20080504223515

ガラス工芸の作品も出品されていた。トランシルバニアでは20世紀初めに、有名なガラス工芸の工場があり、中でもショバーンカ・イシュトバーンというデザイナーのものは、万国博覧会でも金賞を受賞したこともあった。あの時代のアールヌーボー様式の作品ではないが、1mmほどの薄いガラスで作られたフィギュアやビンも素晴らしいテクニックで作られたものだ。細長いビンの中には麦の穂が見える。中のデザインは下から吹いたものらしい。中にワインを注ぐとさぞ素敵だろう。私が購入したのは、シンプルな洋ナシの形の小瓶。縞模様が美しい。

szentgyorgynap 170_convert_20080505171147

友人たちもブースを出している。
カティとペーテルのブースでは、七宝焼きのチョーカーとピアス、銅に繊細なデザインが施された腕輪やピアス。以前自宅で見せてくれたものと、また違うデザインも数多く見られる。
飛び入り参加のティメアとゾリは、ガラスのチョーカーを飾っていた。乳白色に優しい色合いのものや、透明のガラスの中に深いグリーンやブラウンの混ざった複雑な色合いのもの。どれも、アルファベットのようなシンプルなデザインである。

szentgyorgynap 096_convert_20080504155023

小道を歩いているときに例のグスティ先生に出会ったので挨拶をし、出品をしているのか聞いたところ「キンガ(奥さん)が店を出しているから。」と言ったので、覗いてみる。
手作りの洋服やバッグがたくさん並んでいた。それも日本人も好みそうな可愛いデザインのものばかりである。私は思わず、息子も忘れてその作品に見入った。
外にかけられているのは、シンプルなチュニックスタイルのブラウス。白とグリーンのストライプは夏に涼しげ。ものすごく迷ったが買わなかったバラ色のチュニックには、小さなネコのデザインが可愛らしい。
サイズがなかったので断念したロングブラウスは、紺と白のコットン生地に、発色の美しい赤が胸の部分にきている。ちょっとフォークロア調の色合いが素敵だ。
私が買ったのは、重ね着にぴったりのロングブラウス。大きく開いた角型の襟元には、赤のストライプ模様。そこにグリーングレーの生地が組み合わされている。色のセンスと素材の組み合わせの妙が魅力だ。

szentgyorgynap 208_convert_20080505201538

タグもまた凝っていて、グラフィカルなデザインはよく見ると洋服の型紙のようだ。UTO KINGAのINGはハンガリー語で“シャツ”の意味である。
バッグでもそのセンスが光る。パッチワークのバックには、三角模様が中心から渦巻きのように広がり、無数素材の組み合わせが万華鏡さながらである。ちょっとアジアンチックのものもあり、白のレース系もあり、ポップ系もあり。

奥のほうには別のアーティストの作品もあった。薄いコットンのシンプルな長方形のワンピースは、服そのものがキャンバスになったかのよう。一つ一つが美しい色彩でペイントされている。白い生地に、ブルーとピンクの雲のデザイン、黄色い草花のようなデザイン、水墨画のようなものや、コンピューターのマウスのデザインもある。私が買ったのは、淡いピンクに抽象的なデザインのもの。見ていて飽きない。

szentgyorgynap 042_convert_20080504162736

szentgyorgynap 207_convert_20080505172556

女の子用のワンピースはあまりの可愛らしさに二つとも購入。いずれ娘もできることを祈って・・・どちらとも素材のよいグリーンのコットン素材に、Aラインのデザイン。リボンで結ぶデザインで、ちらりと見える右脇のフリルがポイント。
3歳児くらいのサイズか、大きなお日様の下、小さな丘の木の上にカラスが乗っていて、それをネコが捕まえようとして見ている。そのネコを丘の下の犬が同様に狙っている。この解説は、デザイナーのお姉さんがしてくれた。

szentgyorgynap 146_convert_20080505170031

もう一つは、優しい色の水彩画のちょうちょが前と後ろに描かれている。そして、すその部分のペイントが美しい。普通の素材では決して出すことのできない、微妙な色合いのグリーンで塗られている。夢見るように美しい、幻想的な色合い。

szentgyorgynap 203_convert_20080505172444

szentgyorgynap 202_convert_20080505172330

これらトランシルバニアのデザイナーのものは、ほとんどが一点もので、大量生産では出しえない味わいがある。一つ一つが丁寧に作られ、そしてデザインをする人の意匠がそのまま洋服作りに反映している。大きい資本でないからこそ、作ることのできる優しい味わいは、本当の意味での贅沢と言えるだろう。


トランシルバニアをあなたの心に・・・
                 クリックをお願いします。にほんブログ村 海外生活ブログ 東欧・中欧情報へ


Theme:東欧
Genre:海外情報

comments(2)|trackback(0)|イベント|2008-05-05_16:50|page top

トランシルバニア最大のお祭り―セントジュルジ祭

トランシルバニア最大の祭りとして知られるセントジュルジ祭は、私たちの住む町シェプシ・セントジュルジが舞台となる。
毎年、4月の終わりから5月の初め、一年のうちでもっとも美しいとされる時期だ。
町の中心の公園はやっと新緑が吹き出し、公園は緑の屋根で覆われる。
太陽の日差しも暖かく照らして、外に飛び出したくなるような気候。
・・・そんな絶好の条件の下で、一週間にわたって町がお祭り騒ぎとなる。

szentgyorgynap 031_convert_20080504161704

もちろんお祭り騒ぎといっても、リオのカーニバルのような熱く激しい祭りではない。いたってローカルな、子供から年配まで幅広い年齢層に、そしてそれぞれの嗜好に合わせてプログラムが組まれている。展示会やコンサート、子供のプログラム、出店・・・。

町の中心に位置する公園の周辺では、通りは歩行者専用になり、ありとあらゆる人とモノとで埋め尽くされる。
これから土日にかけては、近隣の町村から人々が集まり、この町の人口は二倍にも膨れ上がるということだ。そして最終日の夜の花火大会でクライマックスを迎える。ちょうど、4年前息子が生まれる前のように・・・
セントジュルジ祭を見ることのできない皆様に、その見所を解説していきたいと思う。

まず、展示会は今週にわたって、美術館、セーケイ民族博物館を主に行われる。
今年は、月曜日に“NOT FOR SALE”というタイトルで、様々なアーティストのポストカードが展示、配布された。開会の言葉のあとで、小さなギャラリーではショッピングカートが2,3台置かれ、中にはポストカードが山と押し込まれていた。見物客は、カートめがけて殺到していた。まさに今の社会の日常が、非日常である美術館で目の当たりにすることになる。ポストカードは最高の品質で、面白いアイデアが満載であった。この展示会は、自宅にも運べるし、日本の友人に送ることもできる。
いくつか、ご紹介しよう・・・

・“Meat”という作品(Szabo Lehel作)
女性の首から下の部分が、四つん這いになっている。体の各部分が点線で区切られ、数字が打ってある。下の解説を見ると・・・
 “背骨部分をそのまま焼きましょう。ラードを少し塗って、または輪切りにしましょう。少したたいてから、熱いラードですぐに柔らかくなります。・・・”とこんな風に、料理のレシピが記されている。人間も所詮は動物。そういうメッセージであろうか。

szentgyorgynap 213_convert_20080504155443

・“Ties”という作品(Uto Gusztav作)
コミュニストを皮肉ったパフォーマンス。セーケイの紋章をネクタイにつけた男性が、顔にルーマニア共産主義時代のスカーフを巻いている。共産主義、ルーマニア愛国主義、セーケイというアイデンティティー・・・あらゆる思想を強いられてきたこの土地の人々のことを物語っているのか。そして敬礼をする男性は、盲目である。旦那の恩師、グスティの作品。

szentgyorgynap 212_convert_20080504161228

・“Untitled”の作品(Wanek Ferenc作)
のどかなトランシルバニアの風景・・・の下にはゴミの山が広がっている。この地方の美しさと醜さが写されている。このポストカード、面白いのは中央下が切り離すことができることだ。そうすると・・・ゴミの山は消え、美しい村の風景だけが残る。

szentgyorgynap 211_convert_20080504161432

・“Untitled”の作品。(Eltes Barna作)
中でも異色なのは、木の彫刻のこの作品。メッセージ性、強烈さはないが、シンプルな造形美を味わうことができる。柔らかな曲線と、意思のある力強い直線が織りなす美。複雑な模様をもつ木目が、木というマテリアルの生命感を物語る。私は片足を上げた人の下半身のように見えるが、皆さんはどうでしょうか。旦那の親友バルニの作品。

szentgyorgynap 210_convert_20080504162028

次は、コンサート。もっとも、まだ一つしか参加していないが。
今年は、ルネサンス音楽がクローズアップされていて、セーケイ民族博物館で4夜に渡って開かれた。中世の衣装を着た肖像がいくつも飾られる格調高い部屋である。
ちなみに写真に写っているのは、私の敬愛するトランシルバニズム運動の主導者であった、建築家兼作家のコーシュ・カーロイ氏である。何を隠そう、1902年に建てられたこの博物館も彼の設計によるものである。

szentgyorgynap 100_convert_20080504155344

日本では、あまり馴染みのないヨーロッパの古典音楽。
今年は、ルネサンス・イヤーだそうだ。
ハンガリーでも、15世紀のマーチャーシュ王の頃が黄金期であったこともあり、ルネサンス文化が花開いた。当時のヨーロッパ貴族社会の共通語はラテン語であったから、耳慣れないラテン語の響きの音楽であった。が、そのシンプルな音と、混声合唱の響きが美しく、充実した一時間だった。
当時の楽器を見ているだけでも面白い。リュートや様々な形の笛、太鼓など・・・特に普通のクラッシック音楽と違うのは、太鼓のリズムである。ルネサンス音楽は、踊りと切っても切れない関係にある。
演奏が終わり、会場は拍手の渦に。少ない聴衆だったが、演奏には大満足のよう。そしてアンコールが始まる。すると、聞きなれない響きが・・・そうジプシー語である。ルネサンス時代の音楽をジプシーが演奏したところは想像も付かないが、間奏の時にはあのジプシー特有の口でするリズムや指先ではじく音が聞かれた。

演奏会の後はルネサンス舞踊の時間となった。
男女がペアになって、女性の差し出す手の先を男性は下から優しく受け止めてリードする。
そして、簡単な足のステップが始まる。私は息子といっしょに踊った。踊っているうちに、ルネサンス音楽と一体になるような気持ちになる。足のステップが、このエキゾチックなリズムを生み出しているかのような錯覚・・・これが心地よい。

szentgyorgynap 118_convert_20080505170257

ここまでは、よしとして。
その後に教わったのは、あまりに難しかったのでさすがに落脱者も多かった。
もちろん息子もすでにリタイアし、ペアは旦那と変わっていた。
先ほどのゆったりとした歩みとは打って変わって、激しい踊りになる。
まず右、左、右、左、右と足を前に突き出し飛び跳ねる。それが2秒ほどの間になされるから、絶えず飛び跳ねていなければならない。上級者には、さらにそのステップの後、大きく跳ねて両足をつけたり、ぐるっと飛んで回ったりというバリエーションも用意されていた。これを15分間ずっと踊り続けるというから、たまったものではない。
(もちろん全く形にならないステップであったが)踊り終わったら、肩で息をしていた。
これをあの時代の貴族の衣装で踊っていたというから、奇妙である。
旦那に不思議だと伝えると「当時の貴族は体がなまっていたから、こうした運動が必要だったんだよ。」といった。なんだか、民族舞踊のさきがけのような感じだ。

私たちが醜態を振りまいている間に、息子は隣で踊っていた女の子の世話になっていた。
こういう打ち解けた雰囲気の中で、見知らぬ人ともよい間柄になれるのは、このお祭りのおかげである。

プログラムの言葉にもあった。
”・・・この慌ただしい世の中で少しペースダウンをして、同じ場所にどんな人がいっしょに生きているのか、何をしているのか、それによって何を私たちに伝えようとしているのかを見てみましょう。”
そう主役は、私たちここに住む人なのだ。
そして同じようにここに住む人に対して心を開くこと、それによってきっと何かを得ることができるはずだとこの祭りの委員長は述べている。

まだまだセントジュルジ祭はこれからが本番である。


トランシルバニアをあなたの心に・・・
                 クリックをお願いします。にほんブログ村 海外生活ブログ 東欧・中欧情報へ

Theme:東欧
Genre:海外情報

comments(0)|trackback(0)|イベント|2008-05-04_16:11|page top