トランシルヴァニアへの扉 - Erdely kapuja-

古きよきヨーロッパの面影を残す、トランシルヴァニアへの扉をそっと開いてみませんか?

::自己紹介::

谷崎 聖子

Author:谷崎 聖子
1978年宮﨑生まれ。
大阪外大、ハンガリー語学科卒業。
ブダペスト大学で民俗学を専攻。
ルーマニア、トランシルヴァニア地方のフォークロアに惹かれて、セーケイ地方に移住、結婚。
三人の子育て中。

伝統手芸研究家。
トランシルヴァニアの文化、手しごとを広める活動をしています。主な著書「トランシルヴァニアの伝統刺繍 イーラーショシュ」、「カロタセグのきらめく伝統刺繍」。

東欧雑貨ICIRI PICIRIFOLK ART Transylvaniaのオーナー。

詳しくは、森の彼方-トランシルヴァニアへの扉をご覧ください。

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コウノトリと暮らす村-ビタ

セーケイ博物館を出てから、おばあちゃんの住む村へと向かう。
その前に、コウノトリを見たいという私の希望でビタという村へ寄ることになった。

駅で電車に乗って出発を待つ。
先ほどまで電車の中で興奮気味だった息子が不意に静かになった。
耳を押さえて、目をきょろきょろとさせている。

sekelyi muzeum 025

どこからか電車の近づく音。
そう、トランシルヴァニアの電車は(特に国際列車の場合)ものすごい音を立てて止まるからだ。
息子はその音を聞かないように、耳をふさいでいた。

やがてこのローカル列車もゆっくりと走り始めた。
のどかな田園風景がコマ送りになる。

3番目の停車駅で降りると、そこは畑のど真ん中。
村まではあぜ道を歩いていかなければならない。
途中、プルーンの木を見つけた。
枝には、黄色や赤の丸い実が鈴なりになっていた。
見るからに美味しそう。

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これはハーブティーの記事でも紹介した、青イリンゴー。
幻想的な青い色の茎と花。
上に乗っかっていた虫は、この直後には息子の遊び相手にされていた。

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やっと村が近づいてきた。
後ろからは馬車が追い越して行く。

sekelyi muzeum 030

なんだか珍しい花・・・と思ったら、これけしの花。
ここではけしの実をよく食べるから、こんな風景も見られる。
けしの葉っぱは、麻薬にも使われるそうだから
こんな風に堂々と栽培されていいものか心配だ。
麻薬が合法化されているオランダ人の旅行者でさえ、これを見て驚いたと聞いたことがある。

こんな可愛い門も見かけた。
ちょっとどぎつい緑だが、チューリップの形が素敵だ。

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この家は村の郵便やさんもしているらしい。
屋根では白いハトを飼っているようだ。
・・・まさかこれが手紙を届けるはずはないだろうが。

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電線の上では、ツバメが毛づくろいをしている風景も。

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「まずはお墓を見に行こう。」
という旦那の提案で、村はずれの墓地を目指す。
今から5年前、私たちはお墓の調査をしにここへ来たことがある。
木で彫られた小さなお墓は今に生きるフォークアートである。

途中では、アヒルが泥水で水浴びをしていた。
気持ちよさそうだ・・・と見てると、私たちを警戒して急に方向転換。

bita.jpg

お墓の周りには、木がたくさん植えられていてちょっとした林のようだ。
トランシルヴァニアの空気は乾燥しているから、日陰に入ると急に涼しくなる。
だから汗をかくこともはとんどない、と言っていい。

sekelyi muzeum 038

ビタの墓地は、大きな木で覆われていてひっそりと静かだ。
今でこそ巨大な墓石を置く習慣であるが、昔は全て村人の手によって彫られた木の墓標であった。
ちょうど、人の頭と足の部分に1つずつ、斜めに傾けて土にさしてある。
この墓の由来と、伝播、モチーフを探りにこの地方を歩いて回った。

さて墓を出ると、やっと念願のコウノトリの巣を発見。
思わず興奮する。
家の主人に頼んで、庭まで入らせてもらい撮影した。

大きな納屋の屋根に、身を寄せ合うようにして大きなコウノトリが立っている。
巣の下ににじんでいる白いものは、おそらくフンであろう。
私が近づくと、一羽が外に飛び立とうとした。
・・・と思ったら、ただ巣から出てきただけ。
こんな風に立っていると、まるで彫刻か何かのようだ。

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そして、大きな羽を羽ばたかせて、飛ぶ練習をしているらしい。
兄弟たちも「がんばって!」と見守っている。

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家の主人は、私の珍しがるのが面白いのかニコニコして見ている。
「自分の家にコウノトリが住んでいるなんて、いいですね。」というと、
「毎年、ここに巣を作るのよ。」といった。

細い通りを歩いてゆくと、また発見。

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そして、電信柱の上にも。
巣の下には、すずめが住んでいるらしい。
大きなコウノトリが全部で5匹、頭を出している。

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私たちが近づくと、驚いて飛び去っていってしまった。
もうこのコウノトリたちは、飛べるのだ。

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彼らが飛び立つのは9月の初旬・・・
こんな光景が見られるのも、あと一ヶ月ちょっとである。
夏の風物詩である彼らの姿が見られないのは、寂しい気持ちだ。

次は、畑でえさをつついているコウノトリの姿を見たい。

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Theme:ルーマニア
Genre:海外情報

comments(4)|trackback(0)|セーケイ地方の村|2008-07-27_02:52|page top

セーケイ民族博物館

普段なかなか会うことのない友人と、久しぶりに会うことになった。
待ち合わせの場所は、セーケイ民族博物館。

最後にここに来たのは、セントジュルジ祭のルネサンス音楽のコンサートを聴きに来たときだから、もう大分たつ。

この博物館のある通りは、建築家の名をとってコーシュ・カーロイ通りと呼ばれる。
背の高いクリの並木通りで、厳かで静かな雰囲気がある。
私も町の中で一番好きな通りである。

セーケイの門と呼ばれる、丹精に彫られた木の門が出迎えてくれる。
もともと13世紀ごろに、ハンガリー王国の国境を守る兵士として移住してきた、セーケイ人の大切なアイデンティティである。
この門こそが他の民族とセーケイ人を区別させるシンボルであり、豊かさの象徴であった。
博物館の庭には、それぞれ模様、形の異なるセーケイの門がいくつか展示されている。

そして中に入ると、ここが博物館の入り口である。
印象的なとんがり屋根はコーシュがもっともよく用いたスタイルで、トランシルヴァニアの北部に多い木造教会からとったものだ。
当時流行していた、ハンガリーのジョルナイ工房のセラミックを屋根に用いている。
太陽の光を受けて、黄色と深緑がキラキラと輝く。
美しいばかりでなく、持ちがよく汚れないという機能性も兼ね備えているそう。

kos karoly3

さて入り口のドアに手をかけると、
ここでもコーシュ・スタイルの美しいドアノブが見られる。
細部まで、このこだわり方!
100年も前から使われていたドアノブをひねると、重い扉が開かれる。

kos karoly

展示室は一階と二階にある。
常設展では、セーケイ人の歴史。主に19世紀の自由戦争についての展示が一部屋。
自然科学、考古学、民俗学に関する展示がある。

二階に通じる階段の途中に、建築家コーシュ・カーロイの像がある。

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20世紀はじめにヨーロッパ全土で流行したアール・ヌーヴォー様式の影響を受けながらも、コーシュの関心はハンガリーのフォークアートに向かった。
トランシルヴァニアのカロタセグ地方に住み、農村の建築を研究してこのスタイルに至ったといわれる。

私はコーシュの書いたものも大分読んだが、彼が素晴らしいのは建築家という枠を乗り越えて、トランシルヴァニアの文化的な象徴になったことである。建築家、イラストレーターであるとともに、歴史家、作家、政治家として、ハンガリー系トランシルヴァニア人の、まさに精神的な柱になった。

日本語で読めるのは、トランシルヴァニアの歴史を書いたもの。
本の後ろのほうには、コーシュのデザインする美しい版画が載っているので必見である。
トランシルヴァニアの有名な建造物や、村の風景が彼の独特のタッチでノスタルジックに描き出されている。

階段部分にも、フォークアートのモチーフであるチューリップと農民の姿。

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一階の展示室へと結ぶ柵。

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常設展では、文字入りの刺繍のタペストリーの展示がされている。村の民家からそのまま持ってきたような、部屋の内装がよくできていて面白い。

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ベッドの下にはこんなものが。
さて何でしょう?

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答えは、おまるとネズミ捕り。

このタペストリーの面白いところは、民俗モチーフではなく、20世紀の都市化された時期に流行した独特のスタイルが図案化されていること。
女性と男性の恋愛がテーマになっていたり、キリスト教の教え、日常生活など・・・村の人々のユーモアや素朴な感性に触れることができる。

例えば、こちら。

「 焼いたり、煮たりは大変じゃない。
           もしも、お金が十分ならばね。 」

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本当に、現代の主婦も共感できる言葉。

思わず笑ってしまったのは、これ。

「 男らしくないのね、ベルツィ。
          私を抱くこともできやしない。 」

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いかにも気の強そうなお嬢さんに、たじたじのベルツィ。

セーケイの博物館、お楽しみいただけたでしょうか?
セーケイ地方へ来られる際には、ぜひ覗いてみてほしい。
素晴らしい歴史的建造物と、地元色あふれる展示が待っているはずだ。

Theme:東欧
Genre:海外情報

comments(6)|trackback(0)|文化、習慣|2008-07-22_06:59|page top

中世の面影を残す町ブラショフ

その日は朝から重い色をした雲が空を覆っていた。

7月も半分を過ぎ、去年ならばカニクラと呼ばれる猛暑が襲っていた時分である。
太陽が何日も顔を隠し、時折雨も降ったから気温は一気に下降した。

寒い。
7月にこんなに冷えるとは誰が考えただろう。
(この土地の人にとっては不思議ではないかもしれない。)
長袖の上にさらに綿のせーターを着て出たが、
それでも風が吹くと体が身震いする。
私の故郷、宮崎では冬に相当する寒さだ。

旦那と息子を伴って、今日はブラショフという町へ行く予定だ。
もう若くもないし、外国生活をしていることもあって、
体の検査をしに病院へ行くという用事である。

この町にももちろん病院がある。
前日に、エコグラフの検査のある建物に入ろうとしたら、
「長期休暇」の張り紙があったので愕然としてしまった。
いつ帰ってくるか分からないのである。
それなら代理の人を置けばいいのに。

・・・・ということで、隣町ブラショフへいくことになった。

ここはルーマニア第2の都市であるから、私の住むセントジュルジから学校や出稼ぎに行く人も少なくない。
電車が日に5回ほど通っているし、ミニバスが一時間おきに出ているので大変便利である。

鈍行電車では所要40分~1時間、ミニバスなら30分。
どうして電車はこんなにまちまちであるかというと、途中で特急電車の待ち合わせがある場合があるからだ。
こんな場合、多くの人はきっとミニバスを選ぶであろう。

ただこのミニバスは、時間帯によってはかなりの満員になる。
定員数が決まっていないのか、ものすごいギュウギュウ詰めで走ることもしばしば。
そしてクーラーもついていない場合が多い。

そして1つの大きな気がかりは、このドライバーたちの運転である。
技術がどうこうでなく、一般的にルーマニアの道路のマナーは大変悪く、
スピードはほとんど制限されていないからガンガン飛ばす。
一斜線の道でも追い抜きは当たり前で、右斜線を走るから追い抜くときには対向車線に飛び出すのである。
だから私も始終ハラハラして、フロントガラスに目が釘付けになる。
見ていてどうなるわけでもないが・・・

いくつかの村を通り過ぎて、山を背景にしたブラショフの大きな町に入るのは約30分後。
町の駅の前で降ろされる。

ブラショフは、観光でも有名な町である。
ただここ10年くらいで、町の様子はすっかり変わってしまった。

まず道路の交通量が激増したことである。
路面電車が取り払われ、代わりに大きな道路が張り巡らされてしまった。
信号機がない場所では、周りの人を見ながら一斉に横断歩道をふみださなかければならない。
あの猛スピードで走る野蛮な機械は、歩行者の姿を見ようともスピードを緩めようとはしない。
だから、細心の注意が必要である。

私たちはどうにか病院を探し当て、概観は廃屋のようにも見える乾いた建物の中に入ると中は意外にきれいで活気があった。
検査の機械も最新のもののように見える。
検査の結果は異常なし。
日本では定期健診があるし、若い人でも病院で検査することは少なくないが、ここでは「私のようなものがどうして?」と不思議がられる。

病院から出るとまだ昼ごろなので、時間もたっぷりある。
そこでブラショフの中心地を散歩しに出かけた。
午後になって、やっと太陽の光が町を照らし始めた。
ブラショフの町にぴったりと寄り添う山には、町の名前の看板が立っている。

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これが観光名所へと続く通り。
今回はメインの広場へは行かなかった。また次の機会に・・・

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ブラショフは、中世から職人の町としてトランシルヴァニアの経済を支える重要な町であった。
もともと、ドイツ系のザクセン人が作った町である。
ブラショフの町のシンボル、木の株が王冠をかぶっているもの。
これには由来があって、とある木の株から王冠が掘り出されたという伝説からきている。
ドイツ語名も、クロンシュタッド(王冠の町)である。

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昔はザクセン人、ハンガリー人、ルーマニア人が同じくらいの比率で暮らしていたという町。
トランシルヴァニアを象徴するような民族構成。
それが共産主義時代に、ルーマニア人を優先させて町に住まわせ、さらに80年代にはザクセン人をドイツに送還させるという事件もあって
一気にルーマニア人中心の町になってしまった。
(ちなみに共産主義時代の町の名前は「スターリンの町」である)

もちろん観光名所として知られる、黒い教会や元の市役所はそのまま残っているが、私が注意を呼びたいのは19世紀末にザクセン人によって建てられたアールヌーヴォー建築である。
古い建物の美しい構成や装飾の面影を偲ぶことはできるものの、昔の住人はもうここにはいないから、建物は放置同然なのである。
壁のはげかけた建物にはドイツ語表記がしっかりと刻まれて、昔の主人の趣向をあらわしている。

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「建築は、芸術の母である」と書いてある。
機能性よりもむしろ装飾性が大切であったこの時代を、まさに象徴する言葉。

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こんなに素敵な扉の向こうには、どんな内装があるのだろう・・・
中がとても気になる。

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こちらは最近買い取られて、きれいにペンキが塗り直されていた。
こんな風に、古い建物のよさを見直してほしい。
特に目を惹くのは、鉄製の窓の飾りである。生命の樹のモチーフのようでもある。

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私のお気に入りの家。
20世紀はじめのハンガリー様式のもののようだ。

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建物の上にはニワトリの頭がのっかり、きっと朝を告げるのだろう。

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ほら、ハンガリーの民俗モチーフであるTulipan(チューリップ)の姿もここに。
この時代の芸術家、建築家はフォークアートの中にハンガリー民族特有のかたちを見出した。
これが、私の卒業論文のテーマ。

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可愛そうに壁がはげ落ちて、美しい模様が見えなくなっている。
これもハンガリーの民族衣装のモチーフ。
ヒツジの皮に刺繍されたモチーフがそのまま使われている。

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今見てもかなり斬新なアール・デコ様式の柵。
直線的なデザインの中にも、民俗モチーフがやはり見られる。
星模様は、木彫りのお墓によく見られるモチーフ。

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「おーい。ここだよ!」と上から叫んでいるのは、
中世の建築モチーフによく見られたグロテスク・モチーフのおじさん。
「そこで100年以上も、ブラショフの人を眺めていたんですね。」
思わずそう話しかけたくなる。

70,80年代にルーマニアという国のよその地方、モルドヴァやオルテニアからの移住が進んでいった。
残念なことに、よその文化圏から来た人々は、このトランシルヴァニアの中世、近世の趣を残す遺産に対してまったく無関心であるからだ。
他の東欧諸国に比べても、共産主義時代にトランシルヴァニアが失ったものは大きいと思う。
その理由がこの複雑な民族構成にあって、ハンガリー人、ザクセン人が作り上げた過去の遺産に対する関心の薄さのためだと思うのだ。

これから、ブラショフの町がどう変化を遂げていくかは分からない。
もちろん経済の発展、そこに住む人の生活も大事である。
が、古いものと仲良く共存しながら発展してほしいものだ。

Theme:東欧
Genre:海外情報

comments(4)|trackback(0)|トランシルヴァニアの町|2008-07-20_18:29|page top

プフレツ-トランシルヴァニアの子供のおやつ

昔、学生の頃トランシルヴァニアの町でよく子供が手にしている
不思議な袋になんとなくは興味を持っていた。
安っぽいビニール袋いっぱいにつめられた黄色い棒状のもの・・・

あまり食に関する好奇心が旺盛でないためか、
買ってみようとはついぞ思わなかった。

そして息子をここで出産して、やがて大きくなると
あの不思議な袋のお菓子を試してみる機会にもめぐり合えた。

これはプフレツというお菓子で、とうもろこしが原料である。
とうもろこしと水と油、塩・・・それだけ。
要するにとうもろこしの粉を練って油で揚げたものに塩味をつけただけだ。
たとえてみると、カールに似ている。
味つけは、とても薄味で体に害はなさそうな感じだ。

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どうしてあれほどまでに子供たちの心をつかんでいるかというと、
第一にとても安いからだ。
45バニ(日本円にして、約25円)という値段で、子供のお腹を満足させてあげられる。
親にとっては大変助かる話だ。

そして第ニに、ちょっとお行儀が悪いが、
この黄色い棒の端をちょっとなめて、もうひとつの端につけるとどんどん長くなる。
これは旦那の作。

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第三には、うちの家から徒歩5分のところにある病院の入り口に
子ジカが飼ってある。
そこにプフレツの袋を持って、日に何人もの子供たちが訪れる。
子ジカたちは、子供たちの姿を見ると柵に駆け寄ってきてお菓子を分けてもらうのだ。

子供たちは、めったに見ることのできない野生の動物に触れ合うことができて大喜び。
息子もほら、この喜びよう。
自分の手でえさをあげるのが、嬉しいのだろう。

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ここ数年の間で、店では西欧の輸入品の数が一気に増えた。
EUに加盟をしてから、ルーマニアの経済は大きく変わってきている。
ヨーロッパ内の人と物が行き来して、もちろんよい面もたくさんあるが、
地元の企業が競争にさらされていることは言うまでもなく、
EUの規則というものがありとあらゆるものに適応され、厳しくなってきている。

こうした地元の味がこれからも続いてくれますように。
そして値上げしませんように。

Theme:海外食生活
Genre:海外情報

comments(8)|trackback(0)|トランシルヴァニア食文化|2008-07-19_05:05|page top

トランシルヴァニアに家を建てる(5)

前の晩に、小さな部屋で火を焚いていたので
夜はそう寒く感じられなかった。

部屋で友人と4人でパチパチと音を立てるかまどの火を見ていると、
まるで冬がやってきたかのような感じだった。
バルニが言った。「もうあと一ヶ月もすると寒くなるね。」
私はえっと、耳を疑った。「8月の終わりになると、もう火を焚かなくちゃいけない。
9月から4月までの間ずっと。実質8ヶ月は冬と同じだよ。」
私は愕然とした。
一年の三分の二は冬だなんて・・・
ドボイは山の陰に位置するから、寒さが来るのが早いのだ。
朝食も、かまどの火でジャガイモの煮込みを暖める。
この部屋は「夏の台所」と呼ばれる、小さな造りの部屋である。
かまどでは、パンを乗せるとトーストになるので便利である。

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朝食のあとは、お仕事が始まる。
今日は、コンクリートを入れるための準備である。
土地の高さを正確に測って、印をつける。
そしてコンクリートを流したときの仕切りを作る作業だ。

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私はここでも用がないらしく、今日は子守と家事に専念するしかない。
洗い物をするために水をくみに井戸にいくと、
初めて見かけるおばあちゃんがいた。
息子を見ると喜んで、「まあ、いつから来ているの?私のところにも遊びにいらっしゃい。」と声をかけてもらった。

一通りの仕事が終わったので通りを眺めていると、ガチョウの集団が走ってやってきた。
その後ろには、ネコくらいの小さなこぶたたちがものすごい勢いで追いかけている。
ガチョウは足が短いので早くは走れないから、
必死の形相である。
なんともユーモラスな光景に、思わず噴出しそうになる。

驚いたのは、こぶたたちが意外にかけっこが得意なことである。
あの小さな体のどこにあのエネルギーがあるのだろう、と不思議なくらい。
小さなピンク色のお尻をふりふりは知るその姿は、
かわいらしい。

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さらに悪いことには、息子もガチョウを追いかけることに楽しみを見つけてしまった。

あっ、見つかった。
可哀相なガチョウたち・・
でもこうして走ることで、美味しいお肉になるのかもしれない。

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暇をもてあまして友人宅でお茶を飲んだりしていると、
昨日知り合った子供づれの女性が通りかかった。
ヴィクトリア、愛称ヴィキは息子と同じくらいの年頃だったので、
これは幸いと息子と一緒に遊ばせることにした。

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カタツムリを探したり、かくれんぼ、ボール遊び・・・
と一通り遊ぶとヴィキはおばあちゃんが恋しくなったらしい。
「家に帰る。」といって通りに出たかと思うと、お向かいさんの家に入っていってしまった。
向かいのヤーノシュおじさんが手招きをするので、
私たちも中にお邪魔した。

すると、ヴィキのおばあちゃんとアニコーおばさんが
コーヒーを飲みながらおしゃべりをしている最中だった。
私も中に加わった。

日本の話やこの村の話・・・
中でも面白かったのは、村のごみ問題である。

ちょうど友人宅の付近に、村の人たちがゴミを放棄するらしい。
何度掃除をしても同じ状態。
家庭のゴミは、家で燃やすのが基本であるが、
ここ最近はペットボトルや缶などの燃えないゴミが多いのは
世界中共通することである。

町ならば、ゴミ置き場があって収集車が拾ってくれるが、
村の場合にはお金を払わないとゴミを取りに来てはくれない。
ゴミのためにお金を払う、ということがまだ村では受け入れられていないのである。

おしゃべりをしたあとは、友人宅へ行ってお茶を飲んだ。
私が「この村に住む可愛いお年寄りと知り合いになりたい」というと、
「じゃあ、この村で一番古い家に一人暮らしをしているおばあちゃんの所へ行こう。」と応じてくれた。

友人宅のすぐ近所にある家にやってきた。
こんなところに家があったのか、と思うような森に面した静かな場所である。

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中に入ると、二人のおばあちゃんがおしゃべりをしていた。
一人は私たちが土地を買ったイロンカおばあちゃん、
もうひとりがこの家の主人のユリシュカおばあちゃんである。
今朝、井戸で出会ったおばあちゃんだ。

二人のおばあちゃんは、どちらとも一人暮らしで
こんな風にお互いのところへ通って寂しさを紛らわしているようだ。
私たちの訪問をとても喜んでくれた。

私が二人の写真を撮って見せると、キャッキャとまるで少女のようにおおはしゃぎ。
おそらく初めてデジカメを見たのだろう。
私が手品師でもあるかのように、喜んでくれた。

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陽気なおばあちゃんたちとのおしゃべりも弾み、バルニはすでに帰っていた。
「バルニちゃんはね、私のところにただ一人手伝いに来てくれる人よ。」とユリシュカおばあちゃん(右)。
食べ物や薬などを持ってきたり、焚き木をもってきたり・・・と生活を助けているようだ。
私は改めて、よくできた旦那の友人に感動した。

おばあちゃんはこの村で生まれて、
30年間ブラショフで仕事をしていたそうだ。
あのチャウセスク時代には、工場ではハンガリー系の上司が全てルーマニア人に変えられ、町にも労働者としてルーマニア人が移住してきたので、町の様子もすっかり変わってしまったらしい。
もともとブラショフは、ドイツ系の住民が作った町である。
トランシルヴァニアでは、80年代にドイツ系の住民をドイツに送還するという事件もあって、今ではほとんどいない。

イロンカおばあちゃん(左)は耳が遠いので、
なかなか話しに加われない。
それでも私と出会ったことを喜んでくれて、「うちにも遊びに来てちょうだいね。」と家に帰っていった。

私もそろそろ・・・と腰を上げかけたが、
おばあちゃんは来客がよほどうれしいらしく、引き止められてしまった。

おばあちゃんのお部屋にあった刺繍のタペストリー。
昔懐かしいスタイルの絵で、築200年というおばあちゃんのお部屋にぴったりである。

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昔は刺繍や織物を作っていたそうなので、
冬になったらここへ通って刺繍を教えてもらうように約束をした。
これで今年の冬の楽しみがひとつ増えた。

やがて旦那と息子が呼びにきたので、おいとまをした。
大分長い間、おしゃべりをしていたらしい。

夕食の準備を始める。
昨日のように火を焚いて、今日の夕食はハンガリー名物サロンナである。
これは、豚の皮付き脂身を燻製にしたものである。
ベーコンの脂身だけ・・といったところか。

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見るからに成人病のリスクが大きそうな食べ物・・・
こんなものを食べるようになるとは思ってもみなかった。
はじめは胃にもたれるが、食べだすとこの香ばしさがたまらなくなるのだ。

バーベキューのように、切れ目を入れた脂身を串刺しにして火にかざす。
すると、香ばしい香りと共に脂が滴り落ちてくる。
これをタイミングよく、パンに塗るのがまた難しい。
誤まって手に落ちようものなら、熱いのでやけどしそうだ。
焼けるのには時間がかかるから、はじめは脂を落としたパンばかりをかじっていなければならなかった。

典型的なセーケイ人であった旦那のおじいちゃんは、
いつも畑へ行く前にはこの脂身(生)とパンが朝食だったそうだ。
私はさすがに生はダメだが、焼いた香ばしい脂の味には大分慣れたと思う。
昼食がなかったので、2切れも食べてしまった。

重い夕食を食べた後、帰り支度。
近所の子供たちが馬車を操って、下へ降りていった。
こんな子供だけで乗って危なくないのか、と心配になる。

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私たちもバス停まで車で乗せていってもらう。
先ほどの馬車とすれ違うと、
子供たちが大人たちに囲まれて笑顔を見せていた。
きっと畑に仕事へでた両親を迎えに行ってきたのだろう。
こうした一家団欒の姿は村ならではの光景だ。
幸せそうな一家の姿が夕焼けの中でまぶしく見えた。

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Theme:東欧
Genre:海外情報

comments(3)|trackback(0)|村に家を建てる|2008-07-15_04:32|page top

トランシルヴァニアに家を建てる(4)

旦那が前夜からすでに村に入っていたが、
私たちはその日の朝、電車に揺られて最寄りの村ナジ・ボロシュニョーへ。

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トランシルヴァニアの電車はかなり古いか、新しいかのどちらかである。
新しいものはほとんど、西欧で使われたものがそのまま運ばれてきているようだ。
だからベルギーの路線図やフランス語表記に出会っても、
さして驚くこともない。

駅には、ラツィおじさんが待っていてくれたので、
ここからは車でドボイに入った。

村の入り口にある大きな門をくぐるとすぐに、
旦那の一行の姿を発見。
馬車には、今日の主役である大きな石が積まれていた。
私たちは、お先にと上へ進む。

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やがて私たちの土地に着いた。
昨夜雨が降ったので、溝も湿っていた。
風が吹くと、セーターを着ていても肌寒いくらい。
日によってこんな風に、暑かったり寒かったり変化が激しい。

やがて馬車が到着。
すぐに荷台からゴロゴロとした石を放り投げる。
後で、この石を溝に敷き詰めなくてはならない。

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私たちは、一仕事終えた男性方に振舞うビールを買いに店へと走った。
途中lで出会ったおばあちゃんに挨拶すると、
「誰のところに来たの?どこから来たの?」と質問攻めにあった。
どうやらおばあちゃんは村のはずれに住んでいるらしく、
家を売りに出そうとしている。
別れ際に「家を見がてら、遊びにおいで。」といった後、
「あなたお金持っているでしょう。タバコを買うお金をちょうだい。」ときたので、
私は聞こえない振りをして店に入った。

さてビールを飲んで一休みをすると、また男性陣は去っていった。
隣村のザーゴンにある、小川で集めてくるらしい。
所要時間は1時間半。

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私とラツィおじさんは、以前小屋を壊したときに捨てた瓦のくずを拾い集めて
溝に放り投げ、それから大きな石も投げ込んだ。
セメントはお金がかかるので、石や瓦で節約というわけだ。

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作業が終わると、暇になってしまったので座って待つ。
井戸に水をくみにきたおばあちゃんの後ろには、ガチョウが列をなしてぴったりとくっついていく。
おばあちゃんが飼い主であるらしい。

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水を汲んできた後、息子の姿を見ると、
「うちにも孫がいるから、遊びにおいで。」と薦めてくれる。
そこで、通りで遊ぶ子供たちと一緒に初めてのサッカー体験。
バールに慣れていない息子のへなちょこボールを、
根気よく待って遊んでくれた。
村の子供たちのほうが、数が少ない分すぐに仲良くなれそうだ。

息子が眠いと言い出したので、連れて友人宅に寝かせに行く。
トランシルヴァニアの夏は日が長いので、
食事の時間もまちまち。
もう2時すぎなのにまだ食事の気配なし。
私はパンやお菓子をかじって飢えをしのいだ。

すると、はいていたジーンズが汚れてしまったので
洗濯をしなければならないことになった。
私は、友人宅にあった毛布を借りて腰に巻きつけ靴ヒモで結んだ。
するとウールの巻きスカートに。
トランシルヴァニアの人の精神を見習って・・・。

結局、まる一日かかって合計4往復をして石を運んだ。
たかだか石なのに、3人がかりで大変な作業である。

7時過ぎに火をたいて、ルーマニア名物のミッチと呼ばれるハンバーグのようなものを焼く。
自分の土地で、こんな風にキャンプファイヤーができるなんて最高だ。

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夕食の後、傾いた日差しを浴びながらヨーシュカおじさんがヒツジを放していた。
この4匹のほかの、8匹のヒツジはヒツジ使いに連れられて長い旅に出ている。
5月に村を出て、再び帰ってくるのは12月になってからだという。
おとなしくて、優しい素敵な家畜だ。

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夕方のドボイの村は、人々が行きかい通りで立ち話をする。
私も昼にであった子供づれの女性と話をした。
息子とちょうど同じくらいのお嬢さんを連れて・・・と思ったらおばあちゃんらしい。
まるで娘のように可愛がっているヴィキは、
おばあちゃんの影響で世界のさまざまな音楽を聴いて踊るのが大好きだそうだ。
「私は子供の視野を広くするために、ブダペストでは中国人の幼稚園にも連れて行ったのよ。」と語る。
驚いた。こんな村にも、進歩的な人がいるものだ。

お向かいのおばさんも加わって、立ち話に花を咲かせていると
いつしか日も暮れて、薄暗くなってしまった。

今夜は、友人バルニの家に残ることにした。
初めてこの村で夜を越すことになったが、村の人たちと知り合うことができてよかったと思った。


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comments(1)|trackback(0)|村に家を建てる|2008-07-14_08:19|page top

初夏の収穫祭

村に住むおばあちゃんのところへ向かった。

今日は日曜日。
キリスト教徒にとっては休息の日であるから、基本的には働いてはいけない。
今ではもちろん、日曜日でも開いているスーパーはあるし、
村では夏が働き時であるから仕事をしている人の姿も見かける。
一昔前では、日曜日に仕事をするものは罰せられた時代もあったそうだ。

いつもよりもゆったりとしたペースで時間が流れるのが日曜日。

家の門を開くと、縁側でいすに腰掛け、通りを眺めているおばあちゃんの姿。
息子の姿を見ると、笑顔がこぼれた。

私たちはおばあちゃんに挨拶をすると、
すぐに庭のほうへ向かった。
一週間ごとに見るたびに、植物は違った表情を見せてくれる。

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リンゴはまだ子供の手のひらサイズだが、
かじってみるとちゃんと甘みがある。
風が吹くと、この緑色のリンゴが音を立てて落ちるのだ。
これを集めるとすぐにかご一杯になったので、
家へ持って帰ってジュースにしよう。

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サワーチェリーは今年は不作であったが、
つやつやした真っ赤な玉が木にぶら下がっていた。
サワーチェリーはサクランボに似ているが、どちらかというと肉薄で
水分が多く、甘酸っぱい。
そのままよりも砂糖漬けにしたり、ジャムにしたりする。
魅力的なのはこの色。サクランボよりも赤が深く、ルビーのように輝く。

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旦那が木に登って、ビニール袋にチェリーを一杯にして手渡す。
そんな連携作業で、どうにかボール一杯分にはなった。
しまいにははしごも登場した。

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昔、学生時代にクルージ・ナポカの丘にある果樹園でサクランボ狩りをしたことを
ふと思い出した。
近所の子供たちに連れられて、サクランボの木に登り、摘んではバケツに放り込む。
バケツ一杯で2レイ(当時は100円以下)の低賃金であったが、
木の上から眺めた景色の素晴らしさ、そして木の上で好きなだけサクランボがつまめるという好条件であったので、楽しかった。
もちろんノルマもなし。
帰りには少しばかりのお金と、ビニール袋一杯のサクランボをもらって帰った。

面白いのは、サクランボの木によっても味が違うし、同じ木でも日当たりの具合で味が変わることだ。
言うまでもなく一番美味しいのは、木の頂上付近のものだ。
だが、ほとんどは鳥が先に食べてしまう。

「ママ、これ美味しいよ。」と息子が手渡してくれたのは、
黒スグリだ。
真っ黒くて、一見ブルーベリーのようだが、口に含むと野性っぽい濃厚な味。
少し赤ワインのような風味にも似ている。
一度、この黒スグリで作ったワインを飲んだが、鉄分の多そうな深みのある味だった。
今年も飲むのが楽しみである。

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赤いほうは、赤スグリ。
みずみずしい赤色をした可愛い実である。
こちらは水分が多く、クセはないが酸味が強い。
旦那が一度、これをミキサーでつぶしたものに、卵白をあわ立てて砂糖と一緒に混ぜた
メレンゲを作ってくれたが・・・
そのピンク色の可愛いクリームは、甘すぎてとても食べられたものではなかった。

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私の大好物はラズベリー。
そのフワフワとした粒を口に含むと、甘い芳香で一杯になる。
この地方の果実でこれほど味、香りともに強い果実はないと思う。
ジャムにしても、ジュースにしても美味しくて病み付きになる。

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ただ問題は、ラズベリーはとげのある茂みに生えること。
庭の中でも、この一帯だけジャングルにでもなったかのようだ。
とげに手をさされながらも茂みの奥に入り込んで、赤い実をちぎる。

すると私の足に激痛が走った。
チハニだ。
この植物は一見分からないが、よく見ると葉や茎に無数の小さなとげを持っている。

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ちょっと触れるだけでも、電気が走ったような鋭い痛みがある。
しばらくすると、その部分は赤くはれて、白いブツブツが浮き上がる。
傷みは数時間は引かない。
この憎たらしい雑草は切ってもすぐに生えてくるそうだから、
日本には生息しないのが幸いだと思う。

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よくヨーロッパの中世の拷問の話など聞くが、
私はこのチハニの刑もあったのではないかと踏んでいる。
これに刺されるたびに、そんなことが頭によぎる。

そして、意外なのはこれを茹でて食べる習慣があることである。
ドロドロになるまで茹でてから塩味をつけて、目玉焼きなどと一緒に食べる。

この世に無駄な植物などないということなのだろうか。
それにしても誰があの植物を食べようなんて考え付いたのだろう・・・
人間の食欲のすごさには驚かされるばかりである。

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*チハニは、日本名「イラクサ」というそうです。
ご指摘を下さった方、ありがとうございました。
詳しくお知りになりたい方は、こちらへどうぞ。
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comments(2)|trackback(0)|トランシルヴァニア食文化|2008-07-14_06:32|page top

ドボイでキノコ狩り

今日の仕事は、残りの溝を片付けるだけだから簡単だ。
これが家の基礎になるから、次にはここにセメントを流し込むわけだ。
息子は溝で電車遊びを始め、旦那にしかられる。
(私を除く)三人がかりで溝堀の作業を進めた。

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私と息子はのんきに花を摘んだり、大きな土地まで散歩をしたり。
きれいなの野花が咲いていた。
夏に白い花を見ると、涼しげで気持ちがよい。

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あちらの土地で木に水をかけていると、
きのうのヒツジの忘れ物か、首にかける鈴が落ちていた。
カラカラと低く心地よい音がする。
私の持っている鈴は小さく、高い音がする。
息子の首に鈴をかけてみた。息子の服は、一度しか着なかった幼稚園の体操着である。

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近所のヨーシュカおじさんに鈴を返しに行くと、
「うちのヒツジの鈴の音がするから変だと思った。」と言った。
音で他のヒツジとの区別がつくのだ。

帰ってみると、作業はほとんど終わり。
今日はこの後、キノコ狩りに行くことになっている。
以前おじさんからもらったアンズタケを見つけるのが目的だ。

向かいの家のヤーノシュおじさんも行くというので、
バルニの飼い犬ブンダーシュも伴って森の中へ。
私はクマが怖いので、念のために鈴をリュックに縛り付けた。

薄暗い山道を、木の枝をかき分けながら進む。
かなりの急斜面で、山登りさながら。
しばらく行くと目の前がさっと明るく開けて、緑が目の前に輝く。

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もうこんなに高いところまできたのだ。
ドボイの村がはるか下にあった。

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森の入り口では、牛たちが木の陰でお休み中。

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森に入るとまた景色がまったく変わってしまう。
薄暗く、所々木漏れ日がさすのが幻想的。
去年からそこに横たわる落ち葉を踏みながら進む。

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とメンバーが縦横に散ってゆき、おのおのキノコ探しに夢中である。
真っ白なケシェルー・ゴンバ(苦いキノコ)はあちらこちらで見られた。
息子もしっかりと手に握っていた。

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上に点々のついたのは、旦那の好物のボルシュ・ゴンバである。

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お目当てのアンズタケなかなか姿を見せない。
友人は、「先に行くとヒツジを放しているから危ない。
道をそれていこう。」と話した。
ヒツジの放牧に猟犬がつきもの。
この犬は敵をかみ殺すように仕込まれているので、人間でも危険である。
特に友人の犬は危ない。

私たちは、上の方へと進んで森を横切った。
こんな風に突然、目の前に野原が現れるのが好きだ。

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木の木陰に入ってしばらく休む。
男性陣が飲んでいるのはパーリンカである。
自家製のプルーンでできる蒸留酒で、トランシルヴァニア人とは切っても切れない関係である。
アルコール度数は30度~50度ほどで、果実の甘い香りとともに喉が焼けるようだ。

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息子はバルニの帽子を拝借。

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さて出発。
どこまでも果てしなく続く野原に、木がポツポツと生えている。
トランシルヴァニアの山の典型的な風景。

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今度は向こう側の森へと入る。
ここでもキノコを探すが、お目当てはまだまだ。
キノコ探しに夢中で気がつくと、静かな森の中にひとり取り残されてしまった。
やがてカサカサと音がして、ブンダーシュがやってきた。
大丈夫、まだ近くにいるはずだ。
大声で旦那の名を呼ぶと、しばらくして返事もあった。

黒い土色のなかに、ほんのりと黄色いキノコを発見。
アンズタケだ。ただ1個や2個では話にならない。
私たちは合流して、森から出ることにした。

野原を下へ下へと歩く。
「この先が、ドボイが一番美しく見える場所だよ。」とバルニ。
どんな風景が待っているのだろう。
気持ちがはやる。
息子はすでに駆け出してしまった。

やがて姿を現したのは、緑と土色がつぎはぎになって丘の上を泳いでいる。
麦の穂を乾かすために作られた、小さな麦のお城が一列に並ぶ。
まるで精霊か何かが住んでいるようだ。
しばらくこの景色に目を奪われていると、今度は右へそれてドボイの村が目の下にあった。

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萌える緑に包まれた村は、森の要塞さながら。
ここからのドボイの見晴らしは最高である。
息子は興奮してか、坂道を一気に走ってゆく。

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「気をつけなさいよ!」と叫んだ直後にドスン。
地面に顔を打って、鼻から血を流す息子の顔を拭いてやる。
それでもなかなか泣き止まない。
やがて、息子の腕にテントウムシが止まった。
息子はすぐに泣き止んだ。

村のはずれは、ジプシーの家が多いらしく子供の洗濯物がたくさんぶら下がっていた。
やがて見慣れた大きな井戸が見えた。
私たちの土地ももうそこだ。

結局アンズタケは少しだったが、その他のキノコは買い物袋いっぱいで重いくらいだ。
そして、あの素晴らしい景色が何よりものお土産である。
車に乗り込むと、一日はしゃいだ息子はすぐに眠りについてしまった。

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comments(7)|trackback(0)|セーケイ地方の村|2008-07-07_22:48|page top

トランシルヴァニアに家を建てる(3)

古い大きなたんすを積んだ車は、いつもとは逆方向から村に入った。
砂ぼこりの中を、村の入り口にある大きな門をくぐる。

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急傾斜で舗装なしの道をどんどん上へ上がって、友人宅の家の前で止まった。
家ができるまでの間、バルニの家でこの大きなたんすを預かってもらうためだ。
なんとも迷惑な話だ。

たんすを運んだ後は、やっと今日のメインである家作りにとりかかる。

計画変更-旦那からこの知らせを聞いたのは、昨日のことだ。
いまさらもう驚かないが、まだ知り合ったばかりの頃はよくこの予告なしの変更に振り回されたものだ。
この地の人々にとって計画というものは、当てにならないものである。

つまり私たちが二日がかりで取り壊した小屋の場所ではなく、
土地の反対側の日当たりのよいところに家を建てようというのだ。
第一に木を切らなくていいし、日当たりもよい。

すでにその場所には、板で区画がなされていた。
この板と板の間に60cmの溝を掘るのが、今日の仕事である。

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早速張り切って大きなスコップを片手に取り掛かろうとすると・・・
「ダメ、ダメ!」と留められる。
これは正確を要する仕事で、ただ単に穴を掘ればいいというのではないと説明される。

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邪魔者扱いをされた私は、大きな土地へ行って木を植えるようにといわれた。
それは友人宅で赤紫色の葉を茂らせていた、杏の木の苗であった。
大きなスコップと水いっぱいのバケツを持って、息子を連れてもうひとつの土地へと向かった。

粗末な門を開いて中に入る。
と近くで「メェー」という声が聞こえた。
声のするほうを見ると、ヒツジが4匹屋根裏の中で涼んでいた。
これがうちの庭の掃除やである。

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雑草を刈らなくても、全部きれいに食べてくれるから大助かり。
ただたまにヤマダニをつれてくる可能性もあるから、芝に座るときには注意が必要だ。

以前に旦那が植えた木に水をかける。
すると・・・
カサカサという音がして、隣の柵の辺りに小さな茶色い動物の姿。
リスである。
息子に注意を呼びかけ、私たちはじっと目を凝らしてこの小さな森の住人を観察した。

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リスはフワフワとした大きなしっぽを上下に揺らしながら、軽やかに庭を横切っていく。
息子が駆け寄ろうとしても、そう気にかける素振りも見せず、やがて隣の柵の下に隠れてしまった。

リスを捕まえたかった息子は残念そう。
私はスコップで土を掘って、さて息子に木を植えさせようと待っていた。
すると息子の手に木はなかった。
「どこにやったの?」と聞くと、首を振って「ママがたいきに持たせたからだよ。」と私のせいにした。

私たちが帰ってくると、溝堀り作業も順調にすすんでいるようだ。
私が「仕事がなくて暇だ」といい続けて、ようやく仕事があてがわれた。
スコップで穴を掘った後の土をさらうことだ。
この大きなスコップは結構な重さで、土を乗せるとさらに重くなる。
スコップの端に足をかけて土の山をすくい上げ、向こう側に放り投げる。

大変なのは、土に混じって石や木の根っこが混ざっていることだ。
固いものに突き当たると、スコップでは歯が立たないから、オノのようなもので砕かなくてはならない。

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気がつくと、カサカサになった手の平には赤く固いものができている。
そして指の先には、きらきらとしたラメのようなものが輝いているのが不思議だ。
これは石の中に含まれる鉱物のようで、昔は教会の窓を飾るのにも使われたという。

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半分仕事が片付いたところで、バルニが昼食ができたと呼びにきた。
料理をしていたのは、このためだったのだ。
私たちはありがたく、昼食を頂きに友人宅へむかった。

家には村のおじいさんも呼ばれていたらしく、一緒に昼食を食べる。
野菜のいっぱい入ったスープと、豚肉とジャガイモの煮込みをあっという間に空にした。
仕事の後で、そして新鮮な空気の中で食べる食事は最高に美味しい。

食事の合間に「ここは森のすぐ横だから鳥の声が美しい」と話すと、
村のおじさんは「朝早くに来ると、鳥たちの声が騒がしいほどだ。」と話してくれる。
森が鳥の声で騒がしい・・・どんな光景なのか見てみたい。

今日は来る途中で、コウノトリを100羽近くも見たことを話す。
するとおじさん「9月の中旬、コウノトリが渡っていくときに、ちょうどここの森に泊まるんだよ。」
そんな話を聞いていると興奮してくる。
さぞすばらしい眺めであろう。
コウノトリにすっかり夢中になったので、今年の秋にはぜひ見にこよう。

食事の後は、仕事を再開。
私は息子に昼寝をさせるため、友人宅にひとり残る。
やがて目覚めてからいってみると、もうすでに90%は出来上がっていた。

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通りでは、この前であった三つ編みのかわいいおばあちゃんが来ていた。
こんな風に村の人たちが立ち話をする光景がいい。

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みなに見送られて、ドボイの村を後にした。
私は半日労働だったので、手のひらにマメを作らずにはすんだ。

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comments(0)|trackback(0)|村に家を建てる|2008-07-07_21:15|page top

セーケイ地方の町村めぐり

朝早くおきて、車で出発。
行き先はザーゴンという村である。
ここのとある民家から家を建てるための木材を購入して、そのついでに収集癖のある旦那が古いたんすに目をつけたのだ。
そのたんすを、これから家を建てようとするドボイに運ぶためである。

宮崎でも、親戚の古いたんすなどをもらってきては家に運んでいたのだから、私たちの住空間はほとんど彼のコレクションで占められていた。
これからの生活が思いやられる・・・・

まだ半分夢心地の目には、鮮やかなジャガイモ畑の緑色と麦畑のベージュ色が飛び込んでくる。
野原にも、若草色、濃い緑色に混じって、所々に枯れ色が見られる。
まだ初夏なのに、秋が連想されるが、これはきっとこの土地の乾燥した空気のせいだろう。

おばあちゃんの住む村、ツォーファルバを過ぎて隣村はバラートシュだ。
ここは、19世紀後半に有名な東洋研究者バラートシ(バラートシュ出身の)・バローグ・ベネデクの生まれ故郷である。専門は言語学で、主にアジア方面を研究したらしい。
来日もしたそうで、アイヌの研究でも有名である。

この大きな村を通り過ぎると、コウノトリの数が目立つようになる。
ツォーファルバでは2つしかない巣も、ここパーケーでは、ほとんどの電柱の上に大きなコウノトリたちが小さな巣に身を寄せ合っているのが見られる。
民家の屋根に巣を作っているのも発見。
自分の家にコウノトリが巣を作るなんて、なんて縁起のいいことだろう。
ちょうどヒナが大きな翼をいっぱいに羽ばたかせて、飛ぶ練習をしていた。

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コウノトリの数はどのくらいいるのだろう?
聞くと、このコヴァスナ県で150~200羽ほどだという。
特にこの周辺の村には多いらしい。
5月ごろから巣をつくり、子供を育てて、秋が来る前に9月17日くらいにアフリカへ向かって旅立っていくという。
夏は涼しいトランシルヴァニアで過ごして、冬は温暖な南アフリカだなんてうらやましい。
私もできることならそうしたいくらいだ。

それから車は山脈を背にしたコヴァスナという町にやってきた。
この町は地方でも屈指の保養地で、たくさんのホテルが立ち並んでいる。
コヴァスナで有名なのは、何といっても水である。
つまり、温泉と湧き水のこと。

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町の中心にある水汲み場は、最近大改装されたらしく見違えるようだった。
花壇には花が咲き乱れ、噴水からは水が噴出し、立派なモニュメントが建てられている。
中に入ると、蛇口からは絶えず水が流れていた。
大きな蛇口が普通の炭酸水で、小さいほうは塩味の炭酸水である。

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この塩味の水は、料理に使うとよいそうだ。
炭酸も店で買うものほど強くなく、ほのかに鉄の風味がする。
なんとも体によさそうな味である。
私たちは、2Lのペットボトルを20個ほど一杯にして車に乗り込んだ。

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ここで方向を変え、山沿いに西へと向かっていく。
コヴァスナの隣村、チョマ・クールシュにも昔よったことがある。
有名な探険家クールシ(クールシュの)・チョマ・シャーンドルの故郷である。

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彼はハンガリー人(マジャール)のルーツを捜し求めて、チベットにたどり着いたと信じられているが、これは本当ではない。ハンガリー人は、ロシアのウラル山脈付近から発祥していることは知っていた。
シベリア方面に旅をする途中で、人の依頼を受けてチベットへ進路変更しただけである。
(とは旦那の話だ)

世界初のチベット語-英語辞典を編纂したこの偉人に敬意を表して、村の名前も「クールシュ」から「チョマ・クールシュ」と名前を変えたそうだ。
村の中心には彼の銅像も立っていて、記念館もあるから、ぜひ一度訪れてみてほしい。

村をひとつはさんで、山と山に囲まれた村がザーゴンである。
村の中心では、平日なのに掃除をする村人たち・・・
どうやら人々の意識が高そうだ。
それもそのはず、このザーゴンには文化会館と名のついた大きな屋敷がある。
かつてはミケシュ家という貴族のものであった。
村にもどこか文化的な香りが漂う。

やがて車はとある民家の敷地に入った。
ここが例のたんすの家である。
庭では笑顔がステキな兄弟が遊んでいて、すぐに私たちともなじんだ。
子供たちは家の家畜を次々に見せてくれた。

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そうしている間に、古いたんすは3人がかりで車の上に運ばれていった。
確かに一目で気に入っただけあって、このたんすは細部まで細かく彫刻がされている。
農村風ではなく、いわゆる19世紀末~20世紀始めの都市の様式のようだ。

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急ぎ足でコヴァスナ周辺の村を回ったが、久々に観光をしたような気分になって楽しい半日だった。
これから車はドボイへと向かって、本格的な仕事が始まるのである。

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comments(0)|trackback(0)|セーケイ地方の村|2008-07-04_06:40|page top

ロシア市場

日曜日に牛乳を買いに行った。
息子は育ち盛りであるから、大切な栄養源だ。

もちろん牛乳はスーパーでも手に入る。
でももっと美味しくて、安いのは牛を飼っている人から直接買うことである。
私たちは散歩がてら、町の向こう側にある民家まで行った。

歩いて30分ほどかかる、オルト川沿いにその家はあった。
川沿いは芝生が続いて、散歩もできる。
牛の放牧も見られるのどかな場所。

私の実家も川沿いにあるが、大淀川の下流のあの広々とした青い流れを思うと、こちらのオルト川は小川といったほうがいいような感じだ。川は濁っていて、コーヒー色である。
私が不満を言うと、旦那はこう返す。
「オルトはここでは上流だからこんなに小さいものの、下流ではドナウ川と合流するんだ。」と。
そんなことはどうでもいい。
海や川に親しんだ私にとって、時に水が恋しくなるときがあるのだ。

牛乳を買ったついでに、その付近の市場に寄ってみる。
ここは「オロス・ピアツ(ロシア市場)」と呼ばれる。
名前の由来は、社会主義時代にロシア(当時ソ連)からいろいろな生活雑貨を運んできて売っていたからだそう。

私も昔来たことがあったが、いろいろな部品が置いてあるだけでそう興味の引かれるものはなかった。このバルカンの雰囲気をブログに書くにはいいかもしれない。
そう思って立ち寄ってみた。

入ってみて、多少びっくりした。
・・・というのは感じが変わっていたからだ。
昔のあのやる気のないような、粗末な建物に物がごちゃごちゃ・・・・という感じから、一変して簡易のアーケードのような造り。そして、置いてある商品は中国商品ばかり。
これは、もうロシアではなく中国市場である。

それでも入り口付近にあったこのブース。
この雑多な感じが面白い。
ルーマニア正教のイコン画に、おみやげ物のようなセーケイの門まである。
「MADE IN  CHINAかもね。」と旦那。この粗末な造り・・・

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このアーケードを通って、どこかで見たようないろいろの商品を見ていると、ブダペストの中国市場を思い出す。あそこは売り手も中国人ばかりだが、こちらはトランシルヴァニアの人である。
ただそれだけの違い。

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どこもここも派手派手で露出の激しい洋服ばかり。
あえて写真には撮らなかった。

つり道具やさんもある。
海はないが、川や湖で釣りをする人は多い。
ラツィおじさんも魚は一切食べないが、釣るのは好きらしい。
(それも当然、あの骨ばかりの魚しかないのだから・・・)

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日本では見ることのない馬の蹄鉄。
横にある細長い釘でつけるそう。
痛くないのだろうか・・・
ちなみにこの蹄鉄、ヨーロッパでは幸運を運ぶといわれていて、家の玄関にぶら下がっているのをよく見かける。

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これは以前、記事に書いた「トランシルヴァニアの不思議なもの」のひとつ。
ひき肉を作る挽き器である。
万歳をしているようでかわいらしい。

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旦那が「ちょっと・・」と声をかけるので見ると、
あれ!巨大な和バサミのようなもの。
これは、ヒツジの毛を刈るハサミだそうだ。
さすがはヒツジ王国、ルーマニア。

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ロシア市場の壁の向こうは、屋外プール。
なんともミスマッチである。
あちらは涼しそうだ。

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このロシア市場の反対側の隣には、VILLAという西欧資本の巨大なスーパーが建っている。
このトランシルヴァニアにも消費社会の流れが、もうすでに押し寄せているのだ。

それでも新しいものと古いものが共存しているところがまた面白い。


その後、こんな風景も。
ゴミをあさっているジプシーの奥さん。
そして、馬車で裸同然で座っている子供たち。
まるでどこか遠くの世界のことのようだ。

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ジプシーなのに、金髪。
不思議である。両親は黒髪なのに・・・
だんなの話によると、差別をされたくない思いからジプシーの夫婦が金髪の男性に子供を産ませてくれるように頼むことがあるという。
なんだか切なくなるような話だ。
それでは、隠し子のある金髪男性も多いということか?
・・・・旦那が金髪でなくてよかった。

ちなみにこの子達は双子ではないらしい。
「可愛い子ですね。」とほめると、奥さんは誇らしげだった。
そしてすかさず「パンを買うものをくれない?」と聞いてくる。
お金をくださいということだ。
「今お金がない。」というと、「ああ、そう。」とさっぱりとしていた。
ジプシーにとって(ガーボル・ジプシーたちは別である)物乞いをすることとは、挨拶代わりである。

以前、息子よりも断然身なりのよい子供が
「お腹がすいているの。パンを買うものをちょうだい。」と聞いてきた。

トランシルヴァニアに残る古いもの、の代表が彼らかもしれない。

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comments(2)|trackback(0)|トランシルヴァニアの町|2008-07-02_06:37|page top

不思議な装置。

以前から気にはなっていたのだが、
村のおばあちゃんの家の庭に不思議な装置がついていた。

知らない間に、井戸のそばにそれはあった。
「井戸が古い」と前から聞いていたので、
きっと井戸の水の浄水装置かなんかだろう・・・と勝手に思っていた。
だから近づいてよく観察しようとも思わなかった。

気になっていながら素直に聞いてみない、
これは大人の悪い癖である。
息子ならすぐに「これなあに?」と尋ねるのに。

そんな風に気になりつつもあえて確かめて見なかったこの装置の
正体が数日前判明したので報告をしたいと思う。

この物体、タテは2m50cmほどはある。
細長いはしごのようなものの上に、
巨大なドラム缶が乗っている。
それだけの粗末なつくり。

ある晩方、お姑さんが洋服を脱いで
「ちょっとシャワーを浴びに行くわね。」といったのだ。

私は耳を疑った。
この村の家には風呂もシャワーもないのはよく知っている。
そして、はっとした。

あれがシャワ室・・・

上のドラム缶に、ポンプで水を引いているらしい。
どうやって暖めるかというと、ソーラーパワーだ。
自然の恵みはすばらしい。

そして、お姑さんはバスローブひとつで庭に行き、
シャワーを浴びた。
しばらくして、「気持ちよかった。」と笑顔で出てきた。

そして翌日・・・
私も初体験をすることになった。

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夕暮れ時の寒い時間はいやだったので、午後の日差しの中外に飛び出し、脱衣をする。
無論、着替えを置く場所などないから、木の茂みに放るだけ。

あの装置の中に入ると、なるほど上にシャワーがちゃんと乗っている。
ものすごく固いスイッチをどうにかひねって、
水が出てきた・・・

水は冷たい。
しばらく待ってもなかなか温かい水は出てこなかった。
仕方がないので、簡単に体を洗ってすぐに出る。

「早かったね。」と驚くみんなに、
「シャワーの水は冷たかった。」と早速報告。
それでも私の後に入った旦那は、30分ほどシャワーを楽しんでいた。

こんな風にポンプで水が引けるなら、
どうして台所にも引かないのだろう・・・?
毎回、飲み水や生活水のために井戸からバケツ2杯を運ぶのはかなりの重労働である。

それでも、簡易にでも工夫をして作ってしまうという
この土地の人の創造力のたくましさは注目すべきだと思う。

冬はほとんど部屋で寝たきりのおばあちゃんの、
ベッドのそばに置いてあったいす。
あれが簡易トイレの役割をしていると知ったときには驚いた。
そのいすには、確かに大きな穴が開いていて、下には水を入れたバケツがおいてあった。

昔、祖父の介護を手伝った時に、簡易トイレを探して回った記憶がある。
どうしてこんな簡単なことを思いつかなかったのだろう・・
日本人はやっぱり平和ボケしているのだろうか?

マッチを削って爪楊枝にしたり、他にもいろいろあるはずだが思いつかない。
このちょっとした発想の転換を、トランシルヴァニア人に見習うべきじゃないだろうか。
きっと便利なだけがよいことではない。
皆さまはどう思われますか?




Theme:東欧
Genre:海外情報

comments(0)|trackback(0)|文化、習慣|2008-07-02_05:31|page top
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