トランシルヴァニアへの扉 - Erdely kapuja-

古きよきヨーロッパの面影を残す、トランシルヴァニアへの扉をそっと開いてみませんか?

::自己紹介::

谷崎 聖子

Author:谷崎 聖子
1978年宮﨑生まれ。
大阪外大、ハンガリー語学科卒業。
ブダペスト大学で民俗学を専攻。
ルーマニア、トランシルヴァニア地方のフォークロアに惹かれて、セーケイ地方に移住、結婚。
三人の子育て中。

伝統手芸研究家。
トランシルヴァニアの文化、手しごとを広める活動をしています。主な著書「トランシルヴァニアの伝統刺繍 イーラーショシュ」、「カロタセグのきらめく伝統刺繍」。

東欧雑貨ICIRI PICIRIFOLK ART Transylvaniaのオーナー。

詳しくは、森の彼方-トランシルヴァニアへの扉をご覧ください。

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ブログ翻訳

白雪の一日

待ちに待った白い雪が
トランシルヴァニアの地を舞いおりたのは、
12月の半ば。
3日4日ほど降りつづいたあと、
あたりはすっかり白銀の世界に変わった。

屋根にもモミの木にも
たっぷりと白をかぶって、
冬の衣装に衣替え。

DSC05970.jpg

10分ほどあるくとすぐに
町外れに出る。
ここは、葬儀場。
遊牧時代のハンガリー人のユルタを
模ったもの。
雪を頂いたすがたは、
まるでカマクラそっくり。

DSC05974.jpg

すれ違った車のうしろには、
ソリに乗った子どもたち。
村では、馬車の代わりに
馬ソリも見られるそう。

honap.jpg

白い世界には、黒い影が見られない。
初めてそら色の影を見たときには、
不思議でたまらなかった。

DSC05978.jpg

春夏には、野生の植物でいっぱいだった谷間。
冬には、格好のソリ場となる。

DSC05982 (2)

パウダースノウに包まれた急斜面を
ソリで一気に滑り降りる。
大人も子どもに返ったようになることのできる、
冬の楽しみ。

DSC05992 (2)

ふんわりと綿毛のふくらんだクリーム色の花も、
白い雪のぼうしをかぶって。

DSC06003 (2)

谷間をなんとかしてよじ登る。
手袋をはずして、そっと表面にふれてみると、
すっと手の平でとけてゆく。
冬のはじまりを告げるような、
新鮮さ。

DSC06007 (2)

丘の向こう側は、
そら色と白の世界に、やわらかな光が落ちている。
昼下がりなのに、
もう日没前のような太陽のいろ。

DSC06012.jpg

足あとでできた交差点。

DSC06024 (2)

見晴らしのよい高台に向かって出発。
雪に足がとられて、思うように歩けない。

DSC06021 (2)

やっと上りついた。
セントジュルジの町が、
もうこんなにも遠い。

DSC06028.jpg

秋の名残は、赤いローズヒップの実に。
冬は、色の失われた季節。
だからこそ、
どんなに小さないろにも
どんなに細やかなかたちにも
こころが動かされるのだろう。

DSC06031.jpg

きらきら輝く粉砂糖に包まれた、
砂糖菓子のような花。

DSC06032.jpg

なんて透明な色。
生命が感じられないのに、
その美しさは輝くよう。

DSC06038 (2)

かつて白い花を咲かせた花も、
冬はこうして色を落として、
長い長いねむりにつく。

DSC06050.jpg

まだ冬はこれから。
しっかりと目を凝らして、
冬のうつくしさを見つけていこう。



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Theme:ルーマニア
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comments(2)|trackback(0)|自然、動物|2009-12-27_01:12|page top

手仕事の村、アーラパタク

クリスマスを待つ、12月半ば。
一本の電話がきっかけで、
アーラパタクの村へ行くことになった。

セーケイ地方の手芸を支えてきた
エテルカおばあさんの弟さん、
ゾルティおじさんが思いがけず村を去ることになったという。

亡き奥さまの残された、
アーラパタクの刺しゅうや織物を譲りたいという。
娘さんご夫妻の車に乗せてもらい、
すっかり色のなくなった寂しげな山道を走った。
まだ寒波が押し寄せる前の、
雪のない冬景色。

「 どういうわけで、おじいさんが村を出て行かれるのですか?」
「 ほんの数日前のことよ。」と娘さんが話しをはじめた。
「 夜中に、何物かが数人
 レンガで窓ガラスを割って、中に押し入ったの。
 そしてテレビやら、家具やら・・・
 お金になりそうなものを持ち去ったわ。
 父はもう寝入っていたけれど、
 もうすこしで頭にも投げられるところだった。
 あそこはご存知の通り、
 ジプシーが多い村でしょう。」

一人暮らしの老人が、
安心して生活することができないほどの
荒れた状況。
警察も、ほとんどかまってはくれないそうだ。

エテルカおばあさんは村の学校の校長先生を勤め、
ゾルティおじいさんは地理を教えていた。
いつか去年の今頃に訪ねたとき、
春になったら遺跡の見つかった村に
連れて行ってくれると約束をしていた。
それから、もう一年。

村の中心から教会に向けて曲がる。
その交差点にも、あちこちにジプシーの村人たちの姿。
運転していたご主人も、
いらだたしげにクラクションを鳴らす。

小川に沿った小道に入ってゆくと、
あのおじいさんの姿が見られた。
体格のよい、
しっかりとした風貌のおじいさんを見て少しほっとした。

「 お元気ですか?」
「 ええ、元気です。・・・おじさんは?」
「 正直、元気じゃないよ。
 ここはもう、死んでしまったも同然さ。」
と胸を指差した。
「 もう、何も惜しいものはない。
 自分の生まれた村でさえも・・。
 天国への鍵だけを持っていればいいさ。
 ・・・それとも地獄かな。」
少し冗談を交えたような調子にも、
哀しさがにじみ出ている。

おじいさんに促されて、
家へと向かう。
割られたあとのガラスには、
木の板がしっかりと打ち付けられていた。

中に入る。
フォークロアの植物もようが描かれた家具は、
バルジャシュ村のもの。
「 セーケイの青は、もっと深くて濃いんだけど、
 キッチンに合うように明るくしてもらったんだ。」
おじいさんの瞳の色のように、
抜けるように明るい空色だった。

たらいを置く棚。
水道のない村の生活には欠かせない。

DSC05720.jpg

次の部屋には、ソファーの脇に
大きなタペストリーが飾られた居間。
昔話が描かれたメルヘンチックなデザインの織物は、
ここアーラパタクの手芸を支えてきたチュラック・マグダの作品。

DSC05731.jpg

共産主義時代には、さまざまな民族のフォークロアは国家的に支援されていた。
各地で展示会、品評会が開かれていたから、
この作品もルーマニア国内を回ったのだろう。

ダンナの父親は民俗学者で、こうした展示会などを
企画する文化施設に勤めていた。
「 君の父さんと、俺と姉さんの三人で
 クルージ・ナポカでの、彼女の葬式に参列したんだよ。」
とダンナに話す。

おじいさんの孫娘が、
次々にたんすから
長い年月の空気を吸い込んだ手仕事の数々を
広げて見せてくれた。
膨大な時間をつぎ込んで紡がれた糸の重みが、
手を通してしっかりと伝わってくる。

DSC05733.jpg

おじいさんとの交渉が終わって、
エテルカおばあさんを訪ねることになった。

道すがら、
「 今日でここの村を出てからは、
 よっぽどのことがない限り、もう村へは帰らない。
 姉さんには、ちょっと遠足へ行ってくるとだけ言うつもりだ。」
とおじいさんは語る。

秘密の隠し場所から鍵を探って、
どっしりした木造の門を開ける。
玄関からは、
毛糸の帽子をかぶったおばあさんが姿を現した。

すべてが一年前のまま。
玄関から居間、キッチン、展示室・・・
すべてがおばあさんの手仕事で埋め尽くされる家。
来客の、感嘆のため息や賞賛の目を
ただひたすら待っているかのような
赤のクロスステッチや織物。

ソファーベッドに腰掛ける
私たちには、自家製の赤ワインがすすめられる。
「 これは、去年の夏に君が食べた
あのブドウからできたんだよ。」
と息子に話しかけるおじさん。

途切れがちの会話の中にも、
別れのさみしさがそっと響く。
おじいさんの言葉を聞いて、
「 そう、遠足にね・・。」
と腑に落ちないようにうなずくおばあさん。

腰を下ろしたソファーのラグには
セーケイの少年少女が生き生きと織りこまれ、
刺しゅうには精密な幾何学の植物もようが波打つ。
その生涯をかけた手仕事をほめたたえると、
「 人間、こうも体も頭も弱ってしまったら、
 手仕事になんて何の価値があるんでしょう。」
おばあさんはポツリと言った。

「 またくるよ。」とおじいさん。
キスをして別れた。

DSC05736.jpg


赤ワインの酔いでもたつく足どり、
おじいさんに腕を組んでもらって歩く
アーラパタクの村には
すでにあの手仕事を生み出した文化の名残は
少しも見られなかった。

自宅の庭では、おじいさんの生活を物語る
こまごまとしたものが、
赤い炎と煙となって消えていった。



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*一年前にエテルカおばあさんを訪ねた記事は、こちらです。







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comments(2)|trackback(0)|セーケイ地方の村|2009-12-26_08:09|page top

20年前のルーマニア革命のこと

ルーマニアで社会主義体制が崩壊してから、
今日で20年目。
この20年という年月はどれだけ社会を、
そこで生きる人たちの生活を大きく変えたことだろう。

驚いたのは、
「 今年でちょうど20年だよね。」と尋ねられてみて、
はじめてその年月の長さに唖然とする人が多いこと。
皆が自分たちの生活で必死で、
その20年前を振り返るゆとりがないのだろう。

ある晩、友人イザベラと話していたときも
この革命の話になった。


「 1989年の当時、私は14歳だった。
 そしてあのクリスマスの前の晩、
 あの人たちが処刑された。
 それを皆が、大喜びで見ているの。
 私はショックだった。
 まるで動物のように扱われて、処刑された彼ら。
 あのやり方は、本当にひどいものだった。

 革命の後の空気は、不思議なものよ。
 皆が自由を手に入れたと
 信じて疑わなかった。
 そして、だんだんとそれが裏切られたってことに気が付いたの。

 私にとって初めて裏切られたのは、コーラだった。
 そのコーラは、あのアメリカ産のものではなくって
 ハンガリーで似せて作った、偽物だったんだけどね。
 それでも、はじめて店頭に並んだとき、
 その不思議な飲み物にみんな夢中だった。
 あれから、あっという間に広まっていったわ。

 私の姉、マールタが国を捨てたのは、
 当時まだ彼女が二十歳だったころ。
 1988年の10月、あの革命の約一年前のことだった。

 当時はすでにルーマニア本局は、
 隣国ハンガリーにすらビザを出そうとしなかった。
 その頃、すでにハンガリーでは
 亡命者を受け入れる体制をとっていたからね。

 マールタは、この町で外へ逃げ出した
 初めての女性だった。
 ルーマニア国境を越えていったその晩は、
 30kmも歩いたそうよ。
 あの冷たいドナウ川を泳いで渡って・・・。

 超えた国境?
 アラドのあたりよ。
 あの時、もし兵士に見つかっていようものなら
 大変な目に遭っていたでしょうね。
 彼女の友達のひとりは、
 二度も脱走の途中で兵士に捕まって、
 牢獄で6ヶ月と9ヶ月をすごしたそうよ。

 彼女はほんとうに幸運だった。
 無事にハンガリーへ行くと、そのままオーストリアに入ったわ。

 オーストリアでは、
 亡命者としての扱いを受けて、
 はじめは・・・という施設にいたそうよ。
 それからね、・・・という、スキーリゾートで
 有名なところに送られたの。
 私たちが、初めて西欧の国へ行ったのはその頃よ。

 ウィーンのバスターミナルについて、
 私が初めて見た西側の世界。
 そのキラキラした広告や、
 お店に並んだたくさんの品物・・・。

 ちょうどそのとき、リンゴが食べたくなってね。
 果物屋さんで買ったわ。
 どれもルーマニアのリンゴとは比べ物にならないくらい大きくて、
 きれいな色、かたちをしていて・・・。
 一口かじってみたの。
 でも、全然リンゴの味なんてしなかった。
 それが、西欧の初体験よ。

 そうだった、スキーリゾートの頃の話だったわね。
 そこは、オーストリアでもお金持ちが行くところで、
 オーストリア政府の補助で
 マールタたちはその民宿に泊まっていた。
 スキーリゾートの生活もそう甘くはなかったみたいよ。
 同じように亡命してきた人たちはね、
 そうちょっと犯罪者みたいな、
 変な人種の輩が多かったそうよ。

 やがてオーストリアの移民局と、
 どんな選択肢があるのかが話し合われた。
 ひとつは、カナダへいくこと。
 もうひとつは、オーストラリアに行くこと。
 そして、ここオーストリアに残ること。

 マールタの決断はこうだった。
 オーストラリアへ行くこと。
 この国から、より遠くへ逃げるためにね。

 オーストラリアでは、
 ちゃんと受け入れ家族がいて、
 語学学校へも通わせてもらえたそうよ。
 そのお金はどこからって?
 オーストリア政府よ。
 当時は、亡命者を助けるために
 そういう処置がとられていたそうよ。

 マールタは、男といっしょに逃げたの。
 その男も、この町の出身だった。
 彼はジプシーだったのよ。
 もちろん、親は大反対。
 だから逃げたのか、
 ただここがいやだったから逃げたのか・・・。

 彼とはね、オーストリアまで無事に
 一緒にたどりついて、
 それからオーストラリアでも一緒だった。
 娘のニコルは、そのときに生まれたのよ。
 それでも、彼らの結婚生活は大変なものだった。

 一度ね、一緒に帰ってきたの。
 この町で暮らそうっていう気になったみたい。
 それでも大喧嘩して、結局別れてしまった。

 あれから、マールタはニコルを連れて
 またオーストラリアへ行ってしまったわ。

 オーストラリアは、どうだったって?
 そうね、あの生活からは、
 オーストラリアは見えてこないわね。
 家でテレビと、それから車でショッピングセンターの往復。
 どこにでも見られる、ただの消費社会。
 あんなプラスティックみたいな生活、
 私には耐えられないわ。」



チャウセスクの最後の演説



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Theme:ルーマニア
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comments(6)|trackback(0)|その他|2009-12-21_22:55|page top

ジプシー老人とロマ語の歌

よく通っている近所の商店。
夜、店から出ると出口のところに
ぼうしをかぶった老人が立っていた。
エルヌーおじさんだ。
「 お元気ですか?」

ゆっくりと微笑が浮かんだものの、、
「 ・・・いいや、あまり元気じゃない。」とおじさん。
もちろん、あんな寒いところに暮らしていたら、
病気になってもおかしくない。
雪さえ見られないものの、もう12月。

「 俺は、ジプシー語を話すんだ。」
かねてから、あの不思議な言葉に興味をもっていたことを話すと、
おじさんは次々に、短い文章を話して聞かせてくれる。

「 ・・・これ、なんていう意味か分かるかい?
 『私は、真のジプシーだ。』ということだよ。」
と誇らしげに話す。
この町のジプシーでも、ジプシー語を話すのはおじさんともう一人だけ。

立ち話をしている間、おじさんの手に
少しのお金を手渡す人もいた。

家で、温めたスープを持ってきて
おじさんに手渡す。
「 いつか、私にその言葉を教えてください。」
「 ああ、いいよ。
 ・・・でも、ジプシー語は実に難しい言葉だよ。」
おじさんは、微笑みながら言った。




それから、12月の半ばになって
ようやく二度目の雪が降った。
その雪は三日間降りつづけ、
あっという間に町の風景を冬らしいものに変えた。

銀色に輝く、
舞いおりたばかりのフワフワの雪の白い道。
しばらく忘れていた、
冬のうつくしさに心をうばわれる。

ふと、この寒さのなかで
どうしているのだろうと、おじさんの姿が浮かんだ。

あのクリーム色の、廃屋のなかに再び足を運ぶことに決めた。
中に入ると、すぐ手前の部屋におじさんは座っていた。
前は、ジャガイモなどが転がっていた部屋。
窓のそばの、仕切られた小さな部屋に
粗末なベッドが置かれていた。

「 あなたにキスを!(男性が女性に言う挨拶) 」と言って、
おじさんは手袋をはめた私の手にキスをした。
「 さあ、ここにかけなさい。」
という先は、おじさんの座っているベッドの横、
ちょうど布団が丸めてあるところ。

DSC05940.jpg

もうすでに、ノミの攻撃を痛いほど受けていたので、
そこだけは遠慮して向かいのベッド・スポンジに腰をおろす。
改めて見まわすと、壁にはスプレーの落書きが大きく描かれ、
上にはガラスの割れた窓・・・。

「 お引越ししたんですね。」
「 ああ、こっちの方が明るいからね。」
床のコンクリートを通して、じかに寒さが伝わってくる。
昼でさえこんなだったら、
夜はどうなんだろう・・・思わず身震いをした。

「 ジプシー語を教えてください。」
といって、ノートを取り出す。
「 シイ ロマネ。(Sii romane)
 これ、なんて意味か分かるか?
 ロマ語を話します、だ。」
いくつかの短い言葉を書きとめたあと、
いつか歌ってもらったロマ語の歌の歌詞をたずねる。

「 デーモ マモ、アカリアン タン ドゥルメ。」
耳になじまない言葉を、必死で文字で書きとめる。
ところどころハンガリー語風に、またはルーマニア語風に。
ジプシーには文字の文化がないため、
文字にするのは難しい。
こうして、一通りなんとか書き記すことができた。

やがて、食べ物を手にダンナと息子が到着。

「 おじさん、ジプシーの料理ってあるんですか?」
「 ああ、もちろん。
 ジプシー風煮込みっていうのがね。」
なんだか素敵な響き・・。

レシピを尋ねてみた。
「 2kgのラム肉、2、3かけのニンニク、玉ねぎ2個に、
 1kgのトウモロコシの粉、トマトピューレにパプリカの粉、
 それにサワークリームがあれば最高だな。」
すらすらと答え、
そしてなんだか美味しそうな材料を並べるおじさんに感心した。
これは、どうやら本当のようだ。
「 君たちがそれを食べたら、
 きっと二度と忘れられないはずさ。」

ダンナを少し見てから、こう尋ねていた。
「 おじさん、そのジプシー料理を作ってくれませんか?」
「 ああ、もちろん。
 材料さえあればね。」
「 じゃあ、今度ここに持ってきます。」
あとで、ダンナはこう舌打ちした。
「 あんなこと・・・どうして約束したんだ。
 ラム肉なんて、今はきっと売っていないよ。」

ふと、おじさんが尋ねた。
「 君、人間はかんたんに死ねるものだと思うかい?」
その真剣な眼差しに、胸が射られるようだった。
しずかに首をふる私。
「 俺が、こうしてここで寝起きしていても、
 なかなか死ねるわけではないんだよ。
 そのときがくるまで、苦しまないといけないのさ。」

「 人間は死にたいときには、なかなか死ねなくて、
 死にたくないときに、死がやってくる。
 神さまから、与えられるものだからね。」
おじさんの年齢は57歳。
それでも、もう死を待っているのだ。

ジプシー語の歌を歌うようにうながす。
「 俺は、喪に服しているんだ。」
要領を得ない私に、ダンナが耳打ちした。
「 奥さんだよ。
 だから、陽気な歌はうたえないということ。」

「 それでも、君たちのために歌うよ。」
とおじさんは、ゆっくりと低い声で歌いはじめる。

カメラを回していて、気がついた。
いつもの、あの歌だ。
先ほど学習したばかりの、ジプシー語の単語ですぐに分かった。
途中、ふいに指を鳴らし、明るい曲調に変わった。
これまでに聞いたことのないメロディーにリズムに、
こころが踊りだしそうになる。

歌い終わって、おじさんは言った。
「 君のために、歌ったんだよ。
 俺のこころは、いつでも哀しみでいっぱいだからね。」

本当ならば、こんな風には歌いたくないのだろう。
歌詞は、生きる苦しみに満ちたものなのに
ユーモアでそっと包んでいるようなリズムは、
まるでおじさんの生き方そのものだった。




Ey, de meral mo sokerdea amo,
Ale tute memeral amo,
Ey, o shavale, o romale,
Ale tute memeral amo.
Dig romale, o shavale,
Ale tute memeral amo.
Dig ma roma sukerdea amo,
Dig ma roma sukerdea amo,
De akana mo memera amo,
Akana mo memera amo,
O, dig shavale, o dig romale,
Ay dig romale.
Ay de kute memeral mo,
O shavale, o romale.


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comments(7)|trackback(0)|ジプシー文化|2009-12-18_21:07|page top

エルヌーおじさん、人生を語る




「・・・世界中をまわったよ。
 エスキモーたちのところ、北極をまわって、
 アメリカやアフリカまで・・・。
 ただ、どこかで幸運に出会えることを願って。
 それで旅をしたんだ。

 一週間ずっと、なにも食べ物を食べず、
 飲み物も飲まなかった。

 どこかで運がめぐってくると思って必死で探したけど、
 何も得られなかった。
 それで、俺はルーマニアに戻ってきた。

 俺は、乞食になった。
 もう俺のことをみんな知っていて、
 何も言わなくても食べ物を差し出すようになった。
 俺が、孤児だったってことを知っていたからさ。

 それから、俺は結婚した。嫁をもらったんだ。
 俺の兄弟たちは、孤児が、
 そして貧しい食事がもう我慢できなかったからね。

 俺の妻は、そのときまだ13歳の少女だった。
 たった13歳だよ。
 熟年の主婦でさえ、
 彼女ほどうまくは料理しなかっただろう。
 それだけ上手だった。
 兄弟はみんな、彼女の料理が大好きだったさ。

 俺がアメリカ、いやアフリカに行ったとき、
 ヘビの肉を食った。
 おい、君はヘビを食ったことがあるかい?
 まだないって?
 俺は、ヘビだって食べたさ。
 アザラシだってね。
 飢えないために、何だって食べなければならなかったさ。

 俺の人生は、ひどく困難だった。
 とっても、ひどくね。

 なぜって、俺は自分の妻を
 この手で殺めなくてはならなかったからだ。
 俺の、この手でね。
 どうして、嘘をつこう。

 彼女は、ほかの男に恋をした。
 でもそれは、俺たちジプシーの間では、
 あってはならないことだ。
 絶対に許されないことなんだ。
 妻がよその男のところへ行くなんて。
 もちろん、夫だっていけない。
 でも妻だっていけない。

 それで、俺は何回か彼女を刺した。

 俺は正直に言っているんだ。
 嘘をつく必要があるかい?
 
 彼女はもちろん、死んだ。
 俺はというと・・・。ほら、ここを見てごらん。
 ちょっと近くに寄ってください。
 ほら、見えるように。
 
 俺は二度、自分の胸を刺した。
 これも、妻のためだ。
 続けざまにね。

 そして、この腕・・・。
 これが見えますか?
 血管をなんどか切ろうとしたんだ。
 これも、何より妻のためだ。
 なぜって、愛していたから・・。

 でも、彼女は裏切った・・。
 彼女は、俺を欺いたんだ。

 俺たちジプシーの間では、これはあってはならないことなんだ。
 妻がよその男のところへ走ることは、
 もちろん夫がそうしてもいけないがね。

 お互いを愛しているなら、貞節でならないといけない。
 いいときも、悪いときもね。
 
 残念ながら、これは俺の場合
 うまくいかなかった。
 それで、5人の子どもは孤児になった。

 俺と、生きている限りは母さんが、
 子どもたちを育てあげなければならなかった。
 そして俺のおばさんもね。

 俺は、ついていなかった。

 見てごらん。
 俺がどこで生活をし、生きているか。
 これが俺の人生さ。」
 


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comments(6)|trackback(0)|ジプシー文化|2009-12-17_15:13|page top

旧セントラルヒーティングの中で

閑静な住宅地の中にひっそりとたたずむ、
時代おくれのクリーム色した建物。

DSC05709.jpg

鉄の扉をひらいて、
おそるおそる中へと入りこむ。
昼間なのにうす暗い室内。

割れたガラスに、
ペットボトルや食べ物のゴミ・・・。
その荒れ果てた広間のすみに、
見なれたおじさんの姿を見た。

「 エルヌーおじさん!」
私をみると、いつもの笑顔がうかんだ。
「 ここにお住まいなんですね。」

「 ああ、ここが俺の住まいだよ。
 さあ、冷えるからここにお座り。」
おじさんは、プラスティックのバケツをひっくり返した
いすを勧める。

がらんとした無機質な部屋。
かまどのようなものが
奥に並んでいるのが見える。
その横に、おじさんのベッドがあった。

IMG_6710.jpg

窓は、建物の上部のほうに
いくつかあるだけ。
それもほとんどが割られていて、
外の冷たい空気が容赦なく入ってくる。

「 ここは寒いですね。」
「 寒いから、夜は飲まないとやってられないよ。
 どうしようもないときは、あそこで薪をたくしかない。」

「 去年、一番寒かったころ、
 俺がどこで眠っていたか知っているかい?
 外のゴミ箱の横さ。
 ああ、本当だよ。
 それでも、ほらこうやって生きている。」と両手をひろげてみせた。

一番寒いときは、マイナス30度近くにはなるこの地方・・・。
本当の話なんだろうか?

「 俺はね、小さいときから孤児だったんだ。
 そう、昔から乞食をしていたんだ。
 一番年上だったから、小さい兄弟たちを連れて、
 森のなかで煮炊きをしたこともあった。
 それで、嫁をとることになった。
 彼女は、マリはまだ13歳だった。
 俺は17歳。
 彼女は、兄弟の面倒をよく見てくれたよ。」

「 あれにジプシーの言葉も教えてやった。
 それは難しかったけれど、
 ふたりだけしか分からない言葉を話すのは便利だった。」

「 俺はね、北極にも行ったことがあるんだ。
 友達を訪ねてね。やつが急に海の中へ飛び込んだかと思うと、
 アザラシの背中にのって海の底から出てきた。
 それでね、俺たちはそいつを焼いて、食べたんだ。
 アザラシの肉さ。
 あいつはスパイスをたっぷりつけて焼いていたが、それはうまかった。」

「 それからね、アフリカにも行ったことがある。
 こっそり船に乗り込んでね。
 隠れないといけなかったから、
 一週間、ずっと飲まず食わずでいたのさ。
 それはきつかった。」

いつしか身の上話から、
世界旅行の話になっていた。
どこまでが本当で、どこからが架空の話なのか分からないが、
とにかく面白い。

長く座っていると、
コンクリートに面した足の裏は芯から冷えてくる。
まさに底冷えがする寒さ。
そう長居はできない。

おじさんにカメラを向けると、
先ほどとは打って変わって、真剣な面持ちで語りはじめる。
まるで、自分の生き様を記録されることを
望んでいるかのように。

生い立ちの話から、
世界旅行の話・・・淡々と話をつづけるおじさん。
「 俺の人生は、ひどく辛いものだ。ひどく。」

「 俺は、自分の妻をこの手で殺めた。
 あれが、ほかの男を愛してしまったからだ。
 俺たち、ジプシーの間ではこれはあっていけないことだ。
 妻が浮気をするのは・・・もちろん夫もいけないが、
 あってはならないことなんだ。」

不意に、着ていたものを上にあげて
腹部を見せた。
「 ここの、胸のところを二回突いたんだ。
 まだキズの痕が残っている。」
冷たい、凍えるような息が私のからだから
しずかに吐きだされる。

今度は袖をまくって、腕を見せる。
刺青の入った腕のなかに、
いくつかのミミズばれのような痕があった。
「 ここは、血管を切ろうとしたところだ。」

「 これも、すべては妻のためさ。
 ・・・愛していたんだ。
 それでも、あいつは俺を裏切った。」

「 そして、ここで寝て起きている。
 これが、俺の人生さ。」
その指の先には、
彼の貧しい寝床があるだけだった。

IMG_6725.jpg


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comments(0)|trackback(0)|ジプシー文化|2009-12-17_01:53|page top

トランシルヴァニアのジプシー宮殿

とてつもなく大きくて、
ものすごく派手な家がある。

そんな話を聞いて、はじめてジプシー宮殿とやらを
見たのは2000年の秋のこと。
トゥルグ・ムレシュから
クルージ・ナポカへ向かう町、トルダのはずれで見たものだった。
バスからちょっと見ただけでも、
ちょっとやそっとでは忘れられないインパクトを与えた。
ピカピカのアルミの屋根に、
ゴテゴテの装飾がされたお屋敷。

当時まだ貧しかったルーマニアで、
あれだけの豪邸を建てる人たちの生活は
ちょっと信じられなかった。
何をしているのか分からない、
不思議な人たち・・・
それが一般に、お金持ちのジプシーたちに対するイメージ。

それから9年すぎた、
今年の秋にふたたびその宮殿を見ることになった。
ところは、カロタセ口グ地方のフェディン。
町の中心付近で、
強烈な青の屋根が太陽のひかりを受けて
輝いている。

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その家の人々の暮らしはどうなのだろう?
近くにいって見てみると、
意外と閑散としている。
屋根は立派なのに、建物の中は空っぽ。
建設中のようなのに、誰も仕事をしている様子がない。

近くを通る人に聞いてみた。
「 この家の主は、どこなんですか?」
「 ああ、ここかい。
 あまり人がいるのを見たことないよ。」

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「 町外れには、もっとたくさんある。」
そう聞いて、思わず走り出した。
すると車に乗ったおじさんが、
「 どこに行くんだい?」と声をかけてくれた。
町外れまで、車に乗せてもらう。

ピカピカに光るアルミの屋根の
真ん中には、「ターザンの屋敷」と書いてある。
ターザンは、おなじみアメリカ映画のヒーロー。
ジプシーに多い名前のひとつとされる。

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写真を撮りながら歩いていると、
「 おい、俺たちも撮ってくれ!」と叫ぶ
ジプシーの若者たち。

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ベンツにアウディ、BMW・・・
西洋の高級車のマークがデザインされている。
馬を捨てて、いまや車が彼らの生活の大きな部分を占めるのだろう。

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こちらは、東洋趣味の屋根。
機能性よりも、とにかく目立つこと、
主人の個性を重視しているのだろう。

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こんな不思議な家が、
町のメインストリートから西側にかけて
延々と続いている。
その数は、20軒ほどにも上る。

郵便局員に話を聞いた。
「 彼らの家かい?
 2003年か4年ごろから建てはじめたようだ。
 それでも、ひとつだって出来上がったものはない。
 いつだって、建設中のままさ。」
奇妙な建物の群れには、好意的でなさそうな感じ。

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とある家の前にきたとき、
中のご主人が手招きをして呼んだ。
「 ここで、何をしているんだい?」
ジプシーの家に興味があると告げると、
「 中へ、どうぞ。」と思いがけなく
家の中を見せてもらうことになった。

玄関をくぐると、
まるでデコレーションケーキのような
パステルカラーのタイルにシャンデリア。

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「 さあ、奥もどうぞ。」と居間に通される。
エメラルド・グリーンの壁に
ペルシャじゅうたん、そして白い磁器の人形。
いかにもジプシー風のインテリア。

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こちらは若き日のご夫婦の肖像画。
黒いぼうしに、ベスト、
そして口ひげが特徴的。

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手織りのクロスやタペストリーも、
ジプシーらしい色彩感覚。

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おじいさんと、お孫さんらしき
少女と男の子。
おじさんはロマ語のほかに、
ルーマニア語、ハンガリー語も話す。

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「 この家は、息子のために建てているんだ。」
「 息子さんは何をしていらっしゃるのですか?」
「 イギリスで、鉄細工の仕事をしていたのさ。」
「 そうですか・・。」

今度は、二階へと案内される。

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プラスティックフラワーの
ピンクのバラも、ジプシーインテリアの必需品。

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二階の窓からの眺め。
ほかのジプシー宮殿も見られる。
「 あそこに建ててるのも親戚だよ。」とおじさん。

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改装中の二階には、夫婦の寝室がある。

裕福な商人ジプシーは、
いつも民族衣装を着ている。
ジプシー女性の、カラフルなスカートやエプロン。

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男性には、ぼうしが欠かせない。

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おじさんに礼をいい、豪邸を出る。
「 俺の家はここさ。」と指差したのは、
隣にある小さな家。
息子のためには大きな家を建ててあげたいという、
親の愛情なのだろうか。

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「 いいものを見せてやろう。」
と部屋に戻って、何かを持ってきた。
「 これは、俺の爺さんが作った
 銀のパイプだよ。」
よく見ると、細やかな美しい細工がしてある。
「 150年以上の古いものだ。
 600ユーロでどうだい?」と商売がはじまった。

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帰りに、フエディンの町で見かけた
亜鉛細工職人のおじさん。
これは、ガソリンを入れるジョウロ。

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こういう手仕事の存続は、
これからは危ぶまれるだろう。
ジプシーの伝統的職業が、
あのようなジプシー宮殿の装飾をもたらし、
あの美しい銀細工のパイプも生み出した。

テントのジプシーと呼ばれる、
おそくまで放浪生活を続けていたジプシーが、
ジプシー文化を一番強く守り続けている。

ジプシー宮殿は、
ジプシー語(ロマ語)に民族衣装をもつ彼らの、
民族としての誇りなのかもしれない。


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*ジプシー宮殿についての取材は、
 Niftyのインターネットテレビ
世界それホント?会議で紹介されました。

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comments(4)|trackback(0)|ジプシー文化|2009-12-11_13:32|page top

セントキラーイ村の冬の日

朝から、濃い霧が立ちこめていた。
その日は、友人夫妻の誘いで
セントキラーイ村に遊びに行くことになっていた。
「 外でキャンプファイヤーをして、
 ジャガイモの煮込みでもしようと思っていたんだけど。」とエンツィ。
恐ろしく寒くならないといいけれど・・・。

途中でキャンピングカーを降りて
二手に分かれる。
私たち家族は、ボティの運転するスズキの四駆車にのって、
森をつきぬけて村へと向かうことになった。
というのも、この車は登録されていないので、
普通の道を走ると罰せられるから。

30度以上の急傾斜をのぼって、
高台のうえから見下ろすと
町はすっぽりと白い煙のなかに包まれていた。

やがて森のなかに突入。
赤茶の木の葉のじゅうたん、
やせた茶色い幹が立ち並ぶなかを
車はくぐりぬけてゆく。
まるで森を遠足しているような気分。

「 よくここには、鹿が通るんだ。
・・・ほら!」
遠くには、二匹の鹿が仲良く並んでたっている。
車を見ても、そう恐れている様子ではない。
しばらく見ていると、
やがて小高い丘の向こうへ走り去ってしまった。

やがて視界がひらけ、
目の前には広々とした畑があった。
「 ここでは麦を栽培しているんだよ。
 動物たちをおびき寄せるためにね。」とボティ。
畑の横には、展望台も作ってある。

やがて森から出ると、
車はまた急下降してセントキラーイ村のなかへ入っていった。
村のはずれで、やっと合流。
「 ここで猟をやったら、ぴったりなのに。」と奥さんのエンツィに話す。
頑丈な体格のボティに、
いかにも猟が似合いそうだ。
「 でもね・・・子どもたちがきっと泣いてとめるわ。」

彼らが家を建設しはじめたのは、
今年の夏。
村のはずれの原っぱに家を建てることにしたのは、
家族だけの静かな生活を楽しむため。
藁葺きの家に、電気なしの生活をはじめるという。
家の横には畑も作っている。

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真ん中で家を支えている木。
この日は、昼間なのに遠くの雲が
うっすらとオレンジ色に染まっている。
不思議な天気。

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さまざまな野生植物に囲まれ、
あれだけ色彩豊かだった原っぱも、
もう見るべきものは少ない。
ただひとつ真っ赤な色を放っているのは
野ばらの実、ローズヒップ。

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いばらのなかに手を突っ込んで
赤い実を採らないといけない。
白いひっかきキズが手のひらに残る。

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やわらかい実は、そのまま食べる。
熟した自然のペーストは甘酸っぱく、
トマトのような生臭みが後味となって残る。

火をおこして、昼食の支度にとりかかる。

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建築に使った木材ののこりを
火にくべると、大きな炎が踊りはじめる。
セーケイの田舎料理、
ジャガイモの煮込みを作っているところ。

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あたたかい料理をキャンピングカーの中でいただく。
何も特別なものを食べなくてもいい。
冬に食べる料理は、こころから美味しいと思う。
寒いなかに食べる、料理のありがたさには
かえられないものがある。

「 こうやって、建物のジャングルのなかから
出てきただけでも、気分が違うよ。
はやく、ここで生活をはじめたい。」とボティ。

食事が終わって、男性たちは
また仕事に取りかかる。
もう昼過ぎと思ったら、すぐに暗くなってしまう。
トランシルヴァニアの冬。

色のあせた原っぱのなかに沈んでみる。
くらいくらい闇に浮かび上がった、
ほそく白い花。

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ふわふわの綿毛は、
やがてきたる白い雪を連想させる。

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自然のドライフラワーだって、
こんなに美しい。
土にしっかり足をつけて、天を見上げている。

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もう、あたりは暗くなりはじめた。
四駆に乗り込んで、出発。
「 森のほうを通って、村に出よう。」と運転手のボティが言う。

坂をのぼる途中、車が溝にはまってしまった。
ここは村からの馬車の通り道。
道もデコボコである。

車を降りる。
真っ黒な森のほうを向くと、
信じられないものを目にした。
空にぽっかり穴が開いたように、
そこだけ真っ赤に染まっている。
この光のない一日の終わりを、
強く赤く照らす太陽。

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思わず、走り出していた。
その正体をたしかめたい。
真っ暗の松林を越えて、
丘を登りきると、ひとつの木が大きく手を広げていた。
それから、西側の森の奥を見てみようと
足元は見ずにどんどん野原を進む。

その正体は、
すでに地球の裏側にもぐりこんでしまったようだ。
青みがかった灰色のそらに、
おおきな火の鳥がはばたいていく。

12月はじめの、一日の終わり。

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comments(6)|trackback(0)|セーケイ地方の村|2009-12-06_14:42|page top

ジプシーのケシェルヴェシュ(哀愁歌)




ケシェルヴェシュ(哀しみの歌) ハンガリー語訳

藁葺きの家の屋根で、
哀しみと嘆きが、窓からひじをついて眺めている。

哀しみよ、屋根の上から降りておくれ。
哀しみと嘆きよ、私の孤独なこころから降りていってくれ。

哀しみよ、屋根の上から降りておくれ。
哀しみと嘆きよ、私の孤独なこころから降りていってくれ。

今晩は、ただの一時間しか眠れなかった。
愛するあの子が、ずっとそばで愚痴を言いつづけたから。
夜中ごろに、何が原因なのかをやっと打ち明けた。
彼女はそうしたいのに、
お母さんがそうさせないのだと。

もしお母さんが許さないのなら、
鳥かごの中へ閉じ込めてしまえばいい。
俺には、もうご自慢の娘など
いなくたっていいんだから。

もしお母さんが許さないのなら、
鳥かごの中へ閉じ込めてしまえばいい。
俺には、もう不実な娘など
いなくたっていいのだから。



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comments(2)|trackback(0)|ジプシー文化|2009-12-04_01:23|page top

ウルクーのダンサー一家

あのうつくしい民謡に魅せられて、
再びウルクーに来ていた。
目指すのは、ウルクーでも踊りで名を馳せるレームスのところ。

ここは野犬が多いため電話で呼び出すと、
馬車で買い物があるから待っているように言われる。
やがて馬車が登場。
私たちは、荷台のいすに座らせてもらった。
友人の、踊り手であるジュリもいっしょだった。

冷たい空気を体で受けながら走る馬と、荷台にすわる3人。
馬が不意に発進したため、
アッと思わず叫んでしまった。
バランスがとれず、座った姿勢のまま
もう少しで後ろに倒れてしまうところだった。

運転手のレームスはというと、なんと仁王立ちで手綱を握り、
馬に掛け声をかけている。
こんなところでバランス感覚が養われているのだろう、
と心の中で納得する。

ぐるりと通りを回って、
またウルクーが見えてくる
その途中に商店はあった。
歩いてきたほうが、近かったのではないだろうか。
とにかく、2Lペットボトルのビールを買って
また馬車を走らせる。

どろどろにぬかるんだ、
せまく曲がりくねった道を馬車が駆け抜ける。
垣根のない家は、土がそのままに
乾いた印象を与える。
家の庭には、小さな子どもの洗濯物が
万国国旗のようにゆれていた。

やがてエメラルドグリーンに塗られた家の前で
馬車は止まった。
入り口の前で
ゴム長靴についた泥を落としていると、
「 どうぞ、中へ。」と通される。
「 こんな風に、通りは泥だらけだから
 掃除が大変なのよ。」と奥さんが奥から出てこられた。

廊下で靴を脱ぎ、居間に通される。
蒔きストーブで暖められた部屋に入ると
体がほぐれてくるようだ。
ピンク色の壁には、
ペルシャじゅうたんがかけられていて、
いかにもジプシーらしいインテリア。

部屋には、夫妻のほかに友人夫妻、
子どもたち、レームスのお母さんに私たち・・。
大人数でにぎやか。

コーヒーを勧められ、ビールも注がれて、
なごやかに世間話がはじまった。
「 近所のパールという男に声をかけておいたから、
後で来るはずさ。」

小さいころから、
すでにステージで踊っていたというダンサーのレームス。
「 あのころは、一日中だって
鏡を見ながら踊っていたよ。
もう大分、体が重くなってしまったけれど。」
まだ20代半ばなのに、小腹が出ている。
お父さんも奥さんも、ウルクーのダンスグループで踊っている
ダンサー一家。

しばらく話した後、
「 そうだ、君も歌えるんだろう?
何かひとつ、歌ってみてよ。」とダンナに声がかかった。
彼がかなりの音痴であることを知っている私は、
思わずくすくすと笑いはじめた。

「 君も何か歌えるんだろう?」
今度は私にふりかかる。
「 そうね・・・息子が赤ちゃんの時には、よく子守唄を歌ったけれど。」
もうこんなことはジプシー学校で経験済みだったので、
いつものように、ひらいた、ひらいたを歌った。
こんな大人数なので、
緊張してどきどきしながら歌ってみると、
周りの反応はあたたかかった。
何だっていい。
とにかく、何かできることを見せないといけない。

やがてお酒が進み、レームスが
「 じゃあ、いくつか歌ってあげるよ。
 ケシェルベシュでいいかい?」と口火をきった。
ケシェルベシュとは、人生のあらゆる苦悩を歌った民謡の種類のこと。
テーブルの横に座り、しばらく考えたあと、
伸びやかな歌声が響きはじめた。

「 俺は歌いはじめると、
一晩中でも一人で歌ってられるほどなんだ。」
と次々と哀愁あふれる歌が続いた。
そしてお酒のビンの中身がだんだんと残り少なくなってきても、
一向にその隣人とやらは現れない。

「 もうそろそろ、おいとまを。」と腰を上げかけたときに、
今度は一転して、明るいジプシーらしい曲調の歌がはじまった。

片手に磁器のミルクケース、
もうひとつには手をテーブルにたたいてリズムを取る。
もうそれだけで、音楽は十分。

一番大きい子は、9歳になる弟のゲルゲイ。
それでも、その熟練した足の運びは大人顔負けである。
リズムに歌声、そしてチャパーシュといわれる
ダンスの手拍子が重なる。
やがて音楽は急に速度を増し、
そのグルーヴ感は、だんだんと高まってゆく。
レームスの息子や娘たちも加わって、
ちょっとした子どものパーティになった。

私たちもフィルムを回しながら、
自然と笑顔がこぼれ、
楽しい気持ちになってきた。

その歌詞の内容ときたら、
笑ってしまうほどあけすけだったり、
ドキリとしてしまうほどエロティックだったり
するんだけど、またそれがいい。
彼らジプシーらしい。

やがて、ダンスが終わると6歳の女の子が、
「 ねえ、あんた
お婿さんは誰にするの?」と
オムツをつけて踊っていた妹にたずねる。
「 ねえ、誰があなたをやっちゃうの。」
それを聞いて、おばさんみたく
思わず「まあ!」と叫んでしまった。

お母さん、お父さんもびっくり。
「 こんなこと、誰も教えていないのに!
きっと幼稚園で誰かから聞いたんだ。
ほら、しつけの悪い子が多いから。」とあわてて否定する。
おかあさんは、その罪のない女の子に手を上げた。
「 子どもは、悪くないわよ。」とこちらもあわててかばう。

さっきまでは、あんなに
強烈なことを歌っていたのに・・・。
本当に不思議だ。

子どものパーティが終わると、
おぼろ満月の照らす
泥の道を歩いた。

ジプシーの家族というもの。
CDもカセットもいらない、
生の音楽を生み出すことができ、
それを心から楽しんで踊ることのできる
彼らをうらやましく思った。

レームスが言った。
「 踊りを教えることはできるけれど、
 血に音楽が通っていなかったら、難しいね。」

ジプシーであること、
音楽を楽しむことができる血というもの。
それを子どもたちのダンスのパワーで
目の前に突きつけられたような気がした。




ジプシーのダンスの歌  ハンガリー語訳

俺が小さかったころ、
緑の帽子をかぶっていた。
帽子はちっとも惜しくないが、
俺の女房は惜しい。

俺が小さかったころ、
緑の帽子をかぶっていた。
帽子はちっとも惜しくないが、
俺の女房は惜しい。

母さん、俺の言っていることが聞こえるかい。
3年の刑に科せられてしまったんだ。
刑をくらったことは惜しくはないが、
俺の家族は惜しい。

俺が小さかったころ、
緑の帽子をかぶっていた。
帽子はちっとも惜しくないが、
俺の女房は惜しい。

店へ行って、ギターを買ってきた。
俺のギターは、つまびかれる。
つまびかれる。
もし飽きたら、置いてしまおう。
置いてしまおう。



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comments(4)|trackback(0)|ジプシー文化|2009-12-02_21:58|page top

ジプシーの歌

11月の終わり、寒空のした
ジプシー老人の口からつむがれてゆく
哀しい響き。
つぶやくような声ではじまる
ジプシー語の歌。



ジプシーのバラード   ハンガリー語訳

いとしい母さん、
どうしてこの世に生まれ落としたのか。
どうして、この私をよどんだティサ川に
捨ててしまわなかったのか。
どうして、ティサの水は私をさらっていってしまわなかったのだろう。
ティサの水が、さらっていってしまえばよかったのに。
やがて、広いドナウ川へと私を連れて行っただろうに。

私はきっと、いなかったであろうに。
誰かに捨てられる恋人にもなっていなかったであろうに。



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