トランシルヴァニアへの扉 - Erdely kapuja-

古きよきヨーロッパの面影を残す、トランシルヴァニアへの扉をそっと開いてみませんか?

::自己紹介::

谷崎 聖子

Author:谷崎 聖子
1978年宮﨑生まれ。
大阪外大、ハンガリー語学科卒業。
ブダペスト大学で民俗学を専攻。
ルーマニア、トランシルヴァニア地方のフォークロアに惹かれて、セーケイ地方に移住、結婚。
三人の子育て中。

伝統手芸研究家。
トランシルヴァニアの文化、手しごとを広める活動をしています。主な著書「トランシルヴァニアの伝統刺繍 イーラーショシュ」、「カロタセグのきらめく伝統刺繍」。

東欧雑貨ICIRI PICIRIFOLK ART Transylvaniaのオーナー。

詳しくは、森の彼方-トランシルヴァニアへの扉をご覧ください。

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ブログ翻訳

白い雪に包まれた村

クリスマス前の週末、
雪が原っぱを木々を真っ白に染め、厳しい真冬日が続いていた。
この分では、村へ行くのはおそらく無理だろう。
半ばあきらめていた。

最終日、朝6時の列車に乗る。
真っ黒の闇に、ぽつんぽつんと村の電灯が映しだされる。
早朝というよりは、
むしろ真夜中のような雰囲気。

途中下車のスタンプを駅で押してもらってから、
3km歩いて隣村へ向かった。
10月からずっと約束していた、
おばあさんに会いにいくためだった。

冬の早朝に、村の人たちは何をしているのだろう。
ダンナがこういった。
「家畜を飼っていたら、
冬でも朝から仕事が盛りだくさんだよ。
この時期は、子牛や子豚が生まれるときでね。
家族そろって、みんなでその誕生を見守っているものだよ。」

例のおばあさんの家は、門が閉まっていた。
しかたなく、隣の家のお宅に入れてもらい、
しばらくしてから外に出ると、
いつもの喪服に身を包んだおばあさんの姿があった。

家の中で少しおしゃべりした後、
次の電車で先に進む予定を話した。
「もう電車が来る時間よ。間に合わないと思うわ。」

家を飛び出し、
小さな無人駅へと駆けていく。
村の人たちがゆっくりとした足取りで進んでいたので、
ほっと胸をなでおろした。

budapest 177

いつものアシの小川も、
冬の寂しげな叙情であふれている。

budapest 178

無人駅でサイレンが鳴ると、
電車がくる合図。
一本道を最後の乗車客が走ってくる。
村に住んでいる、知人の奈美さんとアティラさんの二人だった。

列車では、
息子を連れた貝戸さん夫婦と落ち合う予定だった。
小さい電車の中ですぐに相手は見つかった。
ちょっとした日本人のコミュニティができる。

まだ最後まで迷っていたが、
列車があの駅に近づく前で決心が固まった。
雪の中を村を訪ねにいこう。

山の上にある小さな駅にとまると、
私たちは電車から飛び降りた。
ひたすらに雪の積もった道を下り、
また丘を越えて進んでいく。

裸の木々になっている玉のようなものは、ヤドリギ。
このわずかの緑色が、
冬枯れた風景の中にほんの少しの新鮮さをもたらしている。

木に寄生した小さな枝の固まりは、
どうしてきれいな円形を描いているのだろう。
真っ白くにごった玉をいっぱいにつけるので、
ハンガリー語では「木の真珠」と呼ばれる。

budapest 183

この白い実を好んで食べるのは鳥のようで、
その鳥たちが、新しい木の枝にわたって嘴をつついたところに、
またこのヤドリギが生まれる。
だから、この緑の玉が見られるところは、
かつて鳥たちが嘴でつついた跡なのだそうだ。

budapest 189

真っ白ななだらかな丘の風景に、
うす茶色をした塊が見えた。
ヒツジの放牧だ。
冷たい雪をかき分けて羊たちは、
ご馳走にありつく。

budapest 201

何もない風景が開け、
やっと村にたどり着いた。
村の真ん中には、家畜の水のみ場が横たわっている。

budapest 220

「おなかがすいた。」
長い道のりでも不服を言わずについてきた息子が、こぼした。
クリスマスの祝日が近いせいか、
村の商店はどこも休みだった。

やっと見つけたお店で、
ゼリー入りの菓子パンを手に取った。
お札を出すと、店のおばさんは首をふった。
「今は、これしかお釣りがないの。」
仕方なく、そのパンを元に戻す。
息子が泣きべそをかきはじめた。

おばさんがこういった。
「いいわよ。この子のためにクリスマスプレゼントだわ。」
やわらかなパンを両手に抱えて、
息子は涙を流すのをやめた。

budapest 213

この雪山を越えてはるばる着たのも、
ある女性に会いたいがためだった。
扉をトントンとたたくと、
「だあれ?」と唄うような声が聞こえてくる。
あの時と同じだ。

答えに窮していると、中の扉が開かれた。
教会の歌い手、アンナおばさんは、
長身の体をゆすって笑っていた。
「まあ、あなたたちなの?大歓迎よ。
 ちょうど、今からお菓子を焼こうとしていたところ。」

budapest 236

奥の部屋から、大きなクロスをいくつか持ってきて見せてくれる。
「今、教会からの依頼で、
 また図案を描いているところなのよ。」
イーラーショシュの図案を描く女性は、
もうカロタセグ地方にも少ないと聞く。

トランシルヴァニアのカルバン派教会では、
キリストの像や絵画の代わりに、民衆の手で作られた
フォークアートで壁面を埋めている。
クロスが古くなったから、
こうして村の女性たちに仕事がもたらされたのだ。

「ここを私は少し変えようと思うのよ。」と元々の図案に、
アンナおばさん流の新しい解釈を加えて、
クロスは鮮やかに生まれ変わるはずだ。

budapest 237

ひざが隠れるくらいのプリントスカートは、
カロタセグ女性の装い。
その日の衣装は、グリーンに赤と白の水玉の生地がふんわりと広がり、
まるでチューリップの花のようだった。

budapest 243

次に目指したのは、
イーラーショシュの作り手のおばあさん。

ひっそりと静まり返った村は、
ぐっすりと眠っているようだ。
門を開けて中へ入ると、
ここでもお菓子作りの最中だった。

budapest 245

「10月に市場で村の誰かがあなたと会ってね。
ここへ来るって聞いたものだから、待っていたのよ。」
ずっと長い間、計画していたのに、
駅から離れたこの村には来ることができなかった。
どうやら、おばさんは少し怒っているらしい。

謝って訳を説明し、
おばさんは許してくれたようだ。
その間に、オーブンから焼きたてのお菓子を取り出し、
すばやい手つきで、粉砂糖にからませる。

budapest 251

真っ白に粉をふいたようなお菓子は、
「雪ふりのキフリ」と呼ばれるもの。
ポピーの花の紙ナプキンにさっと包んで、手渡してくれた。
まだあたたかいぬくもりが手の中に残る。

ひとつ口に入れる。
ほろりと生地がこぼれると、中のジャムと粉砂糖がからみ合って、
とろけるような甘さだった。
村の新鮮な食材と薪のオーブン、
そして優しいおばさんの手でできたから、
こんなにも美味しいのだ。

budapest 255

作りかけのイーラーショシュの赤は、
冬の寒さの中から生まれる赤なのだろう。
丁寧な村の生活が、
おばあさんの熟練の手の技からにじみ出ているようだ。

budapest 248

表へ出ると、
久々に見る太陽の光がまばゆかった。

budapest 258

子犬も、久々の太陽に戸惑っている。
チューリップが生き生きと伸びる門。
カロタセグの民は、飾ることを心から楽しんでいるかのようだ。

budapest 259

帰り道は、身も心も軽かった。
丘に囲まれた真っ白な道は、どこまでも遠く続いている。
上着の下が汗ばむほどの陽気。
雪もこの光で、あっという間に解けてしまうことだろう。

budapest 269

駅は遠かった。
丘を下り上りを繰り返すうちに、
足もあがらなくなってくる。
雪どけでびしょびしょになった道をいくので、
足場が悪いうえに、靴の中にもしみてくる。

budapest 282

駅に到着した。
手には、道すがら折ったヤドリギの小さな玉が、
光り輝くようだ。

budapest 284

列車は、雪に包まれた小さな村から
私たちを雑踏の町へと運んでいった。





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comments(4)|trackback(0)|カロタセグ地方の村|2010-12-27_21:41|page top

太陽のひと

ブダペストを出発する前の日のことだった。
珍しく家の電話が鳴ったので、
ダンナが出た。
ルーマニア語で何か話してから、すぐに私を呼ぶ。

受話器から聴こえてきたのは、懐かしい彼女の声。
「私よ!リアよ。」
10年前の昔とひとつも変わらない調子に、
私の胸も高まった。
ビストリツァに暮らす彼女は、
学生時代のルームメイトの母親だった。


21のときにはじめて、トランシルヴァニアで生活を始めた。
大学都市のクルージ・ナポカに当時
日本人は少なく、頼る人もあまりいなかった。
娘を訪ねにきた彼女は、
部屋に入るなりこういった。
「私があなたの、ルーマニアのお母さんよ!」

実際、彼女はお母さんではなく、
友達だった。
両親がなくなって二年たった当時も喪服をつけ、
私の前でぽろぽろと涙をこぼした。
バスに間に合わずビストリツァの町中で、
ヒッチハイクをしたこともあった。
身寄りのない一人暮らしのお婆さんを
いっしょに訪ねたこともあった。
屈託のない明るさは、
いつも太陽のようだった。

「いつか故郷の村で本屋さんを開くのが、私の夢なの。
 もう名前も考えてあるのよ。」
家族の頭文字をひとつずつとってつけた、変に長い名前。
「そうだ、あなたの名前も入れるわ。」
さらにへんてこな響きになり、
思わず吹き出しそうになった。


彼女とは、それから一度だけ会った。
ビストリツァに今のダンナと訪ねていったとき、
彼女は病院の一室にいた。
足をわずらって、
そのショックで鬱になってしまったという。
いつもの笑顔は見られず、
ハンガリー語は口をついて出なかった。
ダンナを通訳に介して、ルーマニア語で話した。
彼女の中の太陽はかげっていた。


日曜日の夕方5時。
映画館の前で待ち合わせた。
娘のデリアは、大学を出てからはイタリアで働いている。
彼女といっしょに、リアの待つ喫茶店へ。

角のテーブルのところに、彼女は立っていた。
白いブラウスに蝶ネクタイをした姿は、
メリー・ポピンズみたいだ。
10年前のそのままの姿で、
彼女はテーブルに敷いてあった白いクロスを、さっとひるがえした。

テーブルの上には、
彼女の手料理がたくさん並んでいた。
お茶やケーキの注文をとった後で、
知人のウェイトレスをつかまえてこう言う。
「ねえ、お願い。これを温めてくれる?」
ペットボトルを半分に切った容器には、
チキンの煮込みが入っていた。

トウモロコシ粉をゆでたものに、
熱々のチキンの煮込みをかけて皿に盛り付ける。
「さあ、召し上がれ。」

「天の神様が、私に料理のひらめきを与えてくれるのよ。」
彼女はかつてこういった。
その料理には、確かに魔法がかかっていた。
この再会をかみ締めるように、ゆっくりと味わった。

budapest 141

人生の中で、身を震わせるような経験が
いくつかあるとしたら、
そのひとつはきっと人との再会だろう。





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comments(2)|trackback(0)|その他|2010-12-25_07:33|page top

ブダペスト旅行と行き先のない荷物

トランシルヴァニアのハンガリー人にとって、
ハンガリーは母国のような、
そうでない外国のような、
どっちつかずの場所のようだ。

国の首都はブカレスト。
それでも、文化的な首都はブダペスト。

ルーマニアのちょうど真ん中部分に位置する、
セントジュルジからは、ハンガリーの国境は遠い。
社会主義が崩壊して90年代に入ると、
たくさんのハンガリー系住民がハンガリーへ亡命した。
それから、ハンガリーの大学へ行く人々、
出稼ぎに行く人々も後を絶たなかった。


私たちはブダペスト行きのバスを待っていた。
夕方5時前、駅前のバスターミナル。
マイナス10度ちかくはあるだろうか。
じっと立ち尽くしていると、
足元からだんだんと凍りついていくようだ。

ふと見知った顔をみつけた。
アーラパタク村のおじさん。
ブダペスト行きのバスを待っているようだ。
「ブダペストにいる息子に、荷物を届けようと思っているんだ。」

バスの運転手に荷物を預けると、
私たちの買ったバス代と同じ金額がかかるという。
私たちは、顔を見合わせた。
「それなら、その荷物を預かりますよ。」

黒い旅行バックは、予想のほか重い。
おじさんが村で、
この間さばいたばかりの豚肉が入っているとのことだ。
生の豚肉を国境を越えて運んでいく。
なんとも不思議な役を引き受けてしまった。

町を出たのは、空がうす暗くなったころ。
フォガラシュ、シビウ、アラド方面から、
ハンガリーへと向かう。
50人乗りの大型バスは、ほぼ満員。
雪をたっぷりとのせた木々や家々、
キラキラと輝く電飾の光は、
クリスマス前の雰囲気を匂わせていた。


かつてブダペスト-ルーマニア間のバスは、
労働者でいっぱいだった。

バスに乗り込んだとたん、運転手が携帯電話がないと騒ぎ出した。
ためしに鳴らしてみたところ、
座席の中央付近で電話が鳴った。
その酔っ払いの男に大声で怒鳴り散らして、
バスがやっと出発。
後部座席では、ジプシーの一団が
カセットをかけて一晩中大騒ぎ。
ほとんど眠れないまま、15時間旅をした。

ダンナが乗ったバスは、
夜中にバスの中で煙が発生して、大騒ぎ。
驚いて誰かが、窓ガラスをかち割った。
幸い火事とはならなかったが、
バスの中は身も凍るような寒さだったという。


ハンガリーの国際バスターミナルに着いたのは、
翌朝の9時。予定より1時間以上も遅れた。
きっと、運転手が3回の休憩時間に、
30分以上も座っていたせいだろう。

荷物を降ろして、
例の待合人を探す。
「母親に似て黒い目、髪をした、長身の男だよ。」
ターミナルで話した声が、しっかりと記憶に残っている。
ダンナがその付近にいる人を、
残さず問いただしてみるが誰もが首を振る。
やがて私たちのほかに人はいなくなった。

その大きな荷物を残して、
どうしていいか途方にくれる。
せめて電話番号でも聞いておくべきだった。
仕方なく、ターミナル内の荷物預かり所まで引っ張っていく。

どうして、高い輸送費を払ってまで、
わざわざ豚肉を届けるのだろう。
「村で生まれ育っていないものには、きっと分からない。」とダンナがいう。
自分たちで育てて、
名前をつけて大切に可愛がった豚肉は、
格別なものだそうだ。

旅行バッグの中で
腐敗していく豚肉の姿が、旅の間にも頭にちらついた。
やがて、何度か国際電話でやり取りをしたあと、
翌日の朝に、その息子とターミナルで出会い、
荷物を手渡すことができた。

ブダペストで家をもち、高級車を乗り回す息子が、
その豚肉を食べながら故郷の村を思い描いているのだろうか。

budapest 095





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comments(8)|trackback(0)|その他|2010-12-24_06:17|page top

ヘルマンの城砦教会

その夜、目の前にトランシルヴァニアの地図を広げていた。
日本からのお客さまといっしょに、
こうして地図をのぞきこみ想像をふくらませていると、
知らない世界がまだまだ多いことに気がつく。

「ヘルマンの教会にはもう行きましたか?」
ダンナがたとたどしい日本語で尋ねる。
「そう、そこにずっと行きたいと思っていたんです!」
由希さんがそう言った。
こうして、日曜日の旅の計画はすぐに決まった。


コバスナ県とブラショフ県の境には、ひとつの森がある。
その森について、このような伝説が語り継がれている。

あるところに、ザクセン人の領主がいた。
自分の畑にケシを植えたらどうかと思いつき、
ある日、ハンガリー人の下作人たちを集めてこういった。
「いいかい、この土地にMak(マーク)を植えておくれ。」

ところが、ドイツ語を母語とする領主が言った
Mak(マーク)をMakk(マック)と聞き間違えた下作人たち。
その広大な土地いっぱいに芽が出て、
やがて大きなドングリの木となり、
今ある森が出来あがったという。


その森を越えたところの国道沿いで下車。
大きな家が立ち並ぶ広い道路を、
ひたすらに歩いていくと見えてきた。
まるでお城のような教会。

Hermany 040

中世に西洋と東洋の境であったトランシルヴァニア地方は
激戦区であったために、
このような要塞のかたちをした教会が数多く作られた。
お堀まできれいな形で残っている。

Hermany 041

長い通路を歩いていくと、
門番のおじさんが奥から出てきた。
世界遺産に指定された教会なので、入場料がいる。

Hermany 042

非常事態のためか、
教会の壁には急な階段がたくさん設置されてある。
つるべで水も汲めるようになっているから、
生活がここでされた跡が見て取れる。

Hermany 045

食料貯蔵庫だろうか。
城壁には、小さな部屋があちこちに並んでいる。
崩れた壁には、レンガの赤がむき出しになっていた。

Hermany 046

ザクセン教会には、
冬枯れのの風景が良く似合う。

Hermany 057

教会の敷地内をぐるりと散歩。
古く大きな壁に四方を囲まれていると、
不思議な安心感がある。

Hermany 066

ゴシック式の入り口は、
まさにどっしりとした石の芸術品。
雛を餌付けするペリカンの印は、
教会のシンボルでもある。

Hermany 069

日曜日の昼を過ぎなので、
先ほどまではミサが行われていたに違いない。
この教会は、村に残る100人のザクセン人のためだけには
少し大きすぎる。

Hermany 073

子どもの腰掛けるような小さなベンチ。

Hermany 076

外からの光が差し込んでくる周歩廊。
クロスを描いた天井が、心地よく重なり合っていた。

Hermany 079



やがて私たちは、バスや電車を乗り継いで
プレジメルにきていた。

大きな家が大きな通りに並ぶザクセンの村は、
どこか空虚な感じが漂う。
その大きさのせいなのか、
それとも新しい住民に入れ替わったせいだろうか。

やがて広場に、大きな教会が姿を現した。
アシンメトリーな教会。
戦争で崩れては作り、また崩れては作られた構造は
歴史をおのずと物語っている。

Hermany 096

残念ながら、日曜日は休み。
壁の外を一周することにした。

形の違うひとつひとつの穴は、
姿の見えない敵の目であったともいえる。
時に矢や弾が飛んできたり、
熱湯が注がれたこともあったという。

Hermany 111

すわり心地のよい木の幹で一休み。

Hermany 105

「大きな木を見つけたよ。」
木をぐるりと囲んで、やっと手がつながった。

Hermany 098

雪は降らないものの、
身を凍らすような
冷たい風が容赦なく吹き付けてくる。
足も冷たく、かじかんできた。
厳しい冬の訪れを肌で感じながら、
ひたすら村を歩いて、駅までたどり着いた。

旅には色々なことがついてまわる。
運の良いことも悪いことも。
それをどんな風に楽しめるかが、
その人の旅のスキルでもある。

たとえば、ルーマニアの田舎の駅。
何にもない原っぱにドンとレールだけが置かれた、
この駅もドラマで満ちあふれている。

Hermany 120

やがて帰宅すると、
冷たくなった身体を
あたたかな空気が抱きしめてくれる。
そして温かいスープで、
身体も心もほぐされる。
これがまた、冬の楽しさの醍醐味である。

その日の私たちが、
哲哉さんの筆によってしっかりと記録された。

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*Pretzelの由希さんと哲哉さんの
 旅日記はこちらでご覧いただけます。

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comments(7)|trackback(0)|ザクセン地方の村|2010-12-12_05:28|page top

小さなゾルターン村の大きな門

その小さな村を訪れたのは、
まだ夏の香りが漂う8月のことだった。

自転車でその村を発見したダンナが、
息をはずませて言った。
「とても素敵な村を見つけたよ。
 貴族の屋敷が二つあって、小さいけれど雰囲気のいい所なんだ。」

誘われるがままに、
国道沿いをヒッチハイクで北に向かう。
道の途中で降りると、あとは畑道をひたすらに進むだけ。

Zoltan 008

ゾルターン村は、かつて
名家ツィルイェーク家のもとで繁栄を遂げた。
それが社会主義時代に貴族の所有地が剥奪され、
その一家が没落するとともに、たくさんのジプシーが移住してきた。
この荒廃した門は、
やがて過疎化していく村のシンボルとなった。

Czirjék kúria kapu 1

ちょうどその時、
何十年もの月日を経て、
ツィルイェーク家の門の修復がなされていた最中だった。

18世紀に建てられた屋敷と同時代に作られたといわれる、
石造りのどっしりした門。
バロック式の優雅な曲線を描く入り口部分は、
忠実な形で復元された。

木製の屋根にはハトの小屋が作られているが、
これはもともとセーケイの門として知られるものが、
貴族の様式にも影響を与えた名残である。

Zoltan 014

村に残る貴族の屋敷のひとつは、
ブダペスト出身の若い夫婦が別荘として使っている。
奥様のおばあさんのものを相続したという。

もうひとつの屋敷には、
88歳になるおばあさんがひとりで暮らしている。
自転車をこいで一人でうろついていたダンナを
家に迎え入れ、親切にもてなしてくれたという。

家の前の木陰で、ご近所さんたちとおしゃべりをしているところで
私たちの姿を見かけると、
「 まあ、約束どおりやってきたのね!」と
思ったよりも元気な声が響いた。

おばあさんのゆっくりした足取りをついて行く。
家の外観は、普通の村の民家のようだ。

Zoltan 042

ステッキをついて、
慎重に階段に足をかけるおばあさん。

Zoltan 046

ワインを注ぎ、勧めてくれた。
ありったけのお菓子を棚から出しては、私たちの前に差し出した。
一人きりの生活でも、おばあさんの口をついて出るのは
愚痴ではなく、子どもたちや孫への思いやりの言葉ばかり。

Zoltan 071

黒ずんだ天井の柱には、
しっかりと1711年の文字が刻まれている。
そしてツィルイェーク・フェレンツの名前・・。
今ちょうど修復されている門から、
ずっとここまでがツィルイェーク家の敷地だったのだ。

郷土歴史家たち誰もが、
ただ門だけが存在すると信じて疑わなかった。
地元の新聞記事にも、この小さな発見が取り上げられた。

Zoltan 067

おばあさんはツィルイェーク家の出ではない。
それがどのようにして、ここで暮らすようになったのだろう。
ただ彼女だけが、安らかな時間とともに
この古い遺産を守っていることだけは事実である。

Zoltan 061




夏から秋へと季節は変わり、
11月の27日に門の完成式典が開かれた。
あいにくの雨にもかかわらず、
小さな村に大勢の人が詰め掛けた。
クルージ在住の貝戸さん夫妻の姿も。

Hermany 004

門の右側に見える美しい装飾部分は、
画家ペーテル・アルパールの手で修復がされた。
空色に白い縞、
黄金の太陽と銀の月が描かれている。
数百年にわたりハンガリー王国の国境を守り続けてきた、
誇り高きセーケイ人の旗である。

Hermany 011

ハンガリーの文化遺産保護の組織からの援助で、
ここセーケイ地方の門や古い屋敷を修復するプログラムが
何箇所かですでに行われているところだそうだ。

歴然とした国境が引かれているにもかかわらず、
文化的には国境を引くことはできない。

Hermany 027

真新しい白壁の門は、
再びその誇りを取り戻したかのように、
堂々と立ち続けている。
村の人々もそれに続いてほしい。

Hermany 030

朝からのどんよりとした空模様がうそのように、
晩秋の太陽がそっと顔を出した。





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comments(4)|trackback(0)|セーケイ地方の村|2010-12-10_06:51|page top

ドイツ系ザクセン人の村で

トランシルヴァニア地方には、
かつてドイツ語を母語とするザクセン人が数多く暮らしていた。

勤勉な彼らは、西欧との架け橋でもあった。
天までとどくほどの、
強堅な石造りの教会を建てたのも彼らだった。
職人のギルドを作り、
町に活気をもたらしたのも彼らだった。

数世紀にわたって
トランシルヴァニアの文化に大きく貢献してきた彼らは、
1980年代に人口が激減してしまう。
当時のチャウセスク大統領の政策で、
ドイツに移住を余儀なくされたからである。
90年代以降は、
ほぼ空っぽになってしまった村に
今度はジプシーたちが移住してきたので、
村の風景も大きく変わってしまったという。


小春日和がつづく秋のことだった。
ザクセン人の村を目指すため、
ふと思いついてバスに乗りこんだ。

村外れの分かれ道でバスを降りる。
ここからは一本道。
小川をはさんで、こちら側がハンガリー系の多くすむ土地で、
向こう側がドイツ側が多くすむ地方だった。

Szaszmagyaros 003

その日は日曜日。
昼前の村は、ひっそりと静まっている。

Szaszmagyaros 008

道の途中でふと足をとめる。
ちょうどミサが終わったところらしい。
ルーマニア正教の教会の前から、
村人たちが次々と出てくるところだった。

その薄暗い建物の中へすべりこんだ。
照明のない室内には、
窓から明るい光があふれこんでくる。
その光が、壁のフレスコ画を柔らかに照らしていた。

Szaszmagyaros 013

織物のロングクロスが、
羽を広げた鳥のようにイエス・キリストの絵を包みこむ。

Szaszmagyaros 014

Szaszmagyaros 031

かつてロウソクで中を照らしていた名残だろうか。
煤で黒く染められた天井画が、
静かにこちらを見下ろしている。
正教には、この薄暗さが実に良く似合う。

Szaszmagyaros 028


壁に沿って作られた椅子。
普段、多くの人は立ってミサに参加している。
余計なものが取り払われた中央の空間は、
何かほっとさせるものがある。

Szaszmagyaros 018

ミサが終わってもなお、
椅子に腰掛けて、じっと想いに耽っている人。
こうした独りきりの時間をもつのは美しいことだと思う。

Szaszmagyaros 022

収穫祭だろうか。
祭壇前のテーブルには、
黄金色に焼けたパン、
ケーキのようなものがお供えされていた。

Szaszmagyaros 026

すると、そのケーキを紙コップにとりわけ
私たちに勧めてくれるお婆さん。
やわらかなカスタードクリームの中に、
たくさんの麦のような粒が入っている。
なにやらルーマニア教会の儀式に欠かせない、
特別なお菓子のようだ。

アルパカシュと呼ばれる穀物を煮て、
バニラとラム酒、砂糖で味付けをしたものが、
このようなカスタードクリーム状になるそうだ。

Szaszmagyaros 025

出口のところで見た面白い壁画。
たくさんの悪魔たちが、
何者かの手によって削られていた。

Szaszmagyaros 012

村を歩けば、
ザクセン系独特の美意識が今なお息づいている。
まっすぐ直線状に並んだ家並み。
きっちりと等間隔に、家と門とがひと続きに整列している。

Szaszmagyaros 058

中心にあるルター派教会。
がっしりとした石造りの建物は、
かつての村の豊かさを物語っているようである。

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果たして、村にザクセンの牧師さんはいるのだろうか。
教会のすぐ横の家の門をたたいた。
しばらくして出てきたのは、
あまり来客に関心のなさそうな中年男性だった。
「 教会の中を見たいのですが・・。」と尋ねると、
「 外ならどうぞご自由に。」という返事。
遠くから来たので、ぜひとも中を見たいと伝えると、
それでは門番を呼んでくるという。

やがて出てきたのは、
すぐにそれと分かるドイツ系の顔立ちのおじさん。
私たち外国人を見ると、すぐに笑顔を浮かべ、
流暢なドイツ語が口をついて流れてきた。
困惑した私たちの顔を見て、
「 ドイツ語ができますか?」と尋ねた。
ただ首を振るしかなかった。

それからは共通の言語はルーマニア語。
ハンガリー語を母語とするダンナと、
ドイツ語を母語とするザクセン人の門番。
ふたりの少したどたどしい会話を聞きながら、
ルーマニアという国の不思議さを考えていた。

そして教会の扉がひらかれた。

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教会の雰囲気に包まれて、驚いた。
真新しく使われている空気が確かにある。
ほとんどのドイツ系教会では、
どこか廃墟のような、過去の遺産として残っているものが多い。

こちらでも収穫祭が行われたらしい。
たくさんの野菜が、生き生きとした色彩を放っていた。

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祭壇の前には、
リンゴと胡桃が並べられていた。

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唐草と黄金のクジャクが一体化した、
華やかなバロック調の飾り。

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村のザクセン人の数を聞くと、
100人前後だという。
隣にある村の学校でも、
ドイツ語を母語として教えるクラスがあるらしい。

「 もちろんドイツに移住していった者も多いけれど、
今でもたまに村に帰ってくるのもいるよ。」

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教会の裏にある墓地は、
草はきれいに刈りとられ、村の家並みのように
きっちり並んでいる。
規律正しい彼らの性格が、ここにもしっかり表れていた。

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「 Auf Wiedersehen!(さようなら。)」
ザクセン人のおじさんがこう言った。
私たちも、ドイツ語で挨拶を返した。

ひっそり静まり返った日曜日の村。
村はずれのジプシー地区に来ていた。
ここだけは村人の行き来が見られる。

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ザクセン人の去った後に、
移住してきた新しい住人たち。

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中には何もかもを家に残したまま、
去っていった人たちもいた。
その持ち物はジプシーたちの手に渡り、
売られてしまったり、あるいは捨てられたものもあるかもしれない。
幸運にも部屋の隅で、生活に使われているものもある。

このような小さな手仕事も、
彼らがここで生きてきた証である。

Szaszmagyaros 074




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