トランシルヴァニアへの扉 - Erdely kapuja-

古きよきヨーロッパの面影を残す、トランシルヴァニアへの扉をそっと開いてみませんか?

::自己紹介::

谷崎 聖子

Author:谷崎 聖子
1978年宮﨑生まれ。
大阪外大、ハンガリー語学科卒業。
ブダペスト大学で民俗学を専攻。
ルーマニア、トランシルヴァニア地方のフォークロアに惹かれて、セーケイ地方に移住、結婚。
三人の子育て中。

伝統手芸研究家。
トランシルヴァニアの文化、手しごとを広める活動をしています。主な著書「トランシルヴァニアの伝統刺繍 イーラーショシュ」、「カロタセグのきらめく伝統刺繍」。

東欧雑貨ICIRI PICIRIFOLK ART Transylvaniaのオーナー。

詳しくは、森の彼方-トランシルヴァニアへの扉をご覧ください。

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トランシルヴァニアの春

春は恵みの季節。
ふだんは乾燥したこの土地にも、
豊かな水が惜しげなくもたらされる。

tavasz2011 059

カランカランという高いベルの音を聞きつけて、
門をひらいて外へ飛び出した。
目の前には羊のやわらかな毛並みが、
つぎつぎと波のように流れていく。

tavasz2011 041

これから、豊かな大地へと
ちょうど旅立とうとしているところだった。
青々と茂った草でいっぱいの野原を夢見ているのだろう。
その足取りは弾んでいるようだ。

tavasz2011 051

春といえば、生命の恵みもある。
町のはずれを通りかかると、
羊たちが小川を飛びこえてあちら側に渡っているところだった。

生まれたばかりの子羊たちは、
川の流れが恐ろしいのか、
言うことをきかないのか背を向けて走り出した。

tavasz2011 012

私たちの目の前を猛スピードで走り去り、
丘を上っていく。
ついに少年がひとり、子羊たちを追いにやってきた。
小さな力をふりしぼり、
子羊たちはやがて群れのもとへと戻っていった。

tavasz2011 025

7年前の4月の終わり、息子が生まれた。
大きなプランターに巨大なロウソクが7本、
オレンジ色をした火が揺らいでいる。

balazsszulinapja2011 013

7つの火に感謝と願いをこめる。
豊かな自然と生命の恵みを与えてくれる、春を讃えよう。

balazsszulinapja2011 019



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comments(2)|trackback(0)|自然、動物|2011-04-30_15:33|page top

イースターの準備


2月の謝肉祭で冬を埋葬して、
やっと4月の終わりになって遅い春がやってきた。
今年の春は、花のつぼみが膨らみはじめてから冬のような寒気に見舞われ、
山に近いセーケイ地方でも雪が積もった。
その雪も太陽の熱でみるみるうちに溶けてゆき、
今度はモモやプルーン、リンゴやチェリーの花がときに白く、ときに赤く色づきはじめた。

イースターのすこし前に、私たちはドボイに向かった。
村へと向かう分かれ道の国道でバスを降りる。
ここからドボイの村は2km。
若草色の草で覆われた大地が目にまぶしく飛びこんできた。
白銀の毛で覆われていたネコヤナギの芽も、
すでに無数の小さな花を咲かせていた。

ICIRI PICIRI58 002

雪解けの水が大地に池をなしている。
人々が春に対して漠然と抱いているのは、水のイメージだろう。
だから、ハンガリーに特有の民俗習慣として
男性が女性に水をかけるということがある。
春風が雪をとかして水をもたらし、
人々の心にも春がやってくるというイメージは民謡でも歌われている。

ICIRI PICIRI58 004

ドボイの村で今夜、イースターエッグの絵付けをすることになっている。
友人の芸術家バルニが企画したイベントで、
すでに消えてしまった伝統に再び火を灯そうという試みである。

ICIRI PICIRI58 006

バルニの家で休憩したあと、
村の中心の公民館へ向かう。
ご近所のジュリが馬車から、乗らないかと声をかけてきた。
息子が飛び乗ると、出発。

ICIRI PICIRI58 008

雪解けの水が道をどろどろにしている。
村の上の方へはこの細い道しかないため、
この急な道で馬車と車が出会ってしまうこともたびたびある。

ICIRI PICIRI58 009

イースターの赤い卵は、生命の象徴として
この祝日には欠かせないもの。
美しく絵をつけた赤卵を、
女性は訪ねてきた男性にプレゼントする習慣がある。

「卵の絵付けの会」のポスター。
皆さん各自、卵と染料を持ってくること。

ICIRI PICIRI58 012

公民館の前では、すでにジプシーの子どもたちが
大勢待ち構えていた。
「もう、中へ入れるの?」
みんな楽しみなのか、そわそわしている様子。
村では若い人たちはほとんど去っていったため、
子どもといえばほとんどがジプシーの子ども。
息子はジプシーの少女に強引に遊ばれて、
泣きべそをかいている。

6時集合といっても、村であるから人はぼつぼつと次第に集まってくる。
ジプシーの子どもたちがほとんどの席を占めると、
ハンガリー人のおばさんたちが声をかける。
「あなたたちは、学校ですればいいじゃない。」
かくして後からやってきた大人の女性たちによって席は占められ、
ジプシーの子どもたちは別室へと移った。

まるで部屋の中は婦人会のような賑わい、
みんなおしゃべりをしながら、家から持ちよったお菓子やお茶などを広げている。
「卵なんて描いたのは、生まれて初めてよ。」

20世紀はじめにマロニャイ・デジューが編集した、
「ハンガリーのフォークアート」という本がある。
100年前はこの辺りでも、さまざまな種類のモチーフが収集されたのだが、
もうその習慣は廃れてしまった。

洗練された植物文様もあれば、
生命そのものを表現するような不思議な幾何学模様も見られる。
農耕具やカエル、水、魚などを描く地方もあるという。

ICIRI PICIRI58 013

ゆで卵にしたもの、または中身を出した殻だけのもの、
アルミを巻いた小さな管を棒切れにくくりつけた自家製の筆を用意する。
ロウを溶かし、筆をつけて卵の表面に手早く線を描いていく。

ICIRI PICIRI58 019

ロウはすぐに冷えて固まってしまうから、
手早く描かないといけない。
もしもロウをつけすぎると、
塊がしたたり落ちてしまうので注意が必要である。
また表面が丸いため、まっすぐな線を描くのが意外と難しい。

ICIRI PICIRI58 016

子どもからお年寄りまで、卵の絵付けに夢中になる。

ICIRI PICIRI58 022

ロウをつけ終わったら、卵用の染料にしばらく浸す。
そこに食用酢を入れると、色が定着するという。
昔は染めるのに、たまねぎの皮を使っていたそうだ。
そうすると真っ赤にはならず、茶色っぽい色がつく。

色がついたら、今度は熱湯にひたしたふきんを使って
卵の表面をこするとロウが溶けて、
柄がうつくしく見えるようになる。

ICIRI PICIRI58 025

たくさんの人で最後まで部屋はいっぱいだった。
驚いたのは、若い女性たちはもちろん、おばさんたち、ジプシーの子どもたちまで
しっかりおめかしをしていたこと。
村にとって、いかにこういう行事が必要なのかが分かる。
夜遅くまでにぎわった。

次の日は、太陽が昇る前に家を出た。
群青色の空が、地平線からしだいに赤く広がっていく。

ICIRI PICIRI58 036

遠くから見ると山のふもとの森に見える。
小さな電灯がまたたいて、ドボイの村を飾り立てていた。

しらじらと夜が空けてきた頃、
町行きのバスがやっと到着した。

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comments(2)|trackback(0)|文化、習慣|2011-04-25_18:51|page top

ジプシーのほうき職人

それは冬のはじめのある日のこと、
ジプシーの家の小さな扉をたたいた。

横並びになっている玄関の扉の、
手前が若夫婦の住まいで、奥が老夫妻のものだ。
家族が多いジプシーの家では、
一軒にニ家族が住んでいることも普通だし、
小さな子どもたちがひしめくように身を寄せて暮らしているのもよく見かける。

台所から居間に入れてもらうと、
その部屋の真ん中におじさんの背中があった。

ICIRIPICIRI46 105

そういえば、秋にはまだ
家の軒先でほうき作りにはげんでいた。
もう寒くなったから、
家の中を作業場にしたのだろう。

おばさんはソファーベッドに腰掛けて、
じっとおじさんの仕事を眺めていた。
「さ、ここにお座りなさい。」

刺しゅうのピロカバーのとびきりカラフルな色使い、
自由で屈託のない絵の世界が見るものの目を奪う。

ICIRIPICIRI46 103

ソファーに腰掛けて、
しばらく取りとめのない会話をしていたものの、
気がつくと目の前で労働するおじさんの姿に見入っていた。
勢いよくナイフで削ると、
小さな木の欠片がさっと舞いあがる。

ICIRIPICIRI46 112

静かな部屋に、ただナイフで削る音だけが満ちていた。
おじさんは次々と、木の枝を同じ大きさに並べていく。
労働の気配の何ともいえない心地よさを感じていた。
おじさんは独り遊びに熱中している少年のように、
ときどき笑みをうかべるのだ。

ICIRIPICIRI46 114

赤茶色の細く枝分かれした木の枝を、
床にたたきつける。
部屋の中は、木の葉や枝でいっぱいになるが、
そんなことには頓着しない。
家の中であることさえも忘れさせた。

ICIRIPICIRI46 117

刺しゅうのクロスの上に、
白をむき出しにした枝が束になって重なっていく。

冬には女性が針仕事をし、男性は木を掘ったりする。
むかし親の仕事を身近で目のあたりにしながら、
子どもたちは育っていったのだろう。

ICIRIPICIRI46 118

木の葉がじゅうたんとなり、
木の枝が山となる。
冬の日の労働は、旅人の心にも穏やかな気持ちをもたらした。

ICIRIPICIRI46 120




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comments(2)|trackback(0)|ジプシー文化|2011-04-21_05:42|page top

セーケイ地方の夕べ

バルトーク・ベーラは、
20世紀を代表するハンガリーの作曲家です。
19世紀末、20世紀のはじめにかけて、
ハンガリーではフォークロアの研究が盛んにされるようになると、
同時に、農村社会への憧憬が生まれるようになりました。

建築ではレヒネル・エデンやコーシュ・カーロイらが、
鮮やかな民俗モチーフをモダンな建築様式の中へ取り入れました。
工芸やグラフィックの分野でも、
当時の優美なアールヌーヴォーの流行を受けながら、
そのハンガリー農村の欠片は生き続けたのです。

一方バルトークは、音楽の世界でフォークロアを追求します。
ハンガリーのあちらこちらの村々の民謡を集め、
それをクラッシック楽曲へと融合させました。

この作品はトランシルヴァニアの夕べと訳されていますが、
原題は「セーケイ地方の夕べ」です。


(バルトーク自らのピアノ演奏)

セーケイ地方とは、カルパチア山脈の西側の地方。
バルトークの生まれた頃は、
ハンガリー帝国の東の果てでした。

ここに12世紀ごろに、
最も危険であった東の国境を警備するために
セーケイ人と呼ばれる人たちが送られてきたといわれています。
彼らは自分たちの土地を持ち、
貴族に属しない特権階級に恵まれました。
その代り、一度戦争がおこると
彼らは武器を取り国のために勇ましく戦いました。

当時はマロシュ県、ハルギタ県、ハーロムセーク県と分けられ、
それぞれの変化にとんだ環境で
誇り高いセーケイの文化が花開きました。

私の暮らすのは、ハーロムセーク県の
なだらかな平野地方ですが、
この楽曲を聴いて目に浮かぶのは、ハルギタ県の
常緑のモミの森に抱かれた山深い風景です。

バルトークの見たセーケイ地方は、
どんなにか美しいものであったか。
この旋律を耳にすると、
夕暮れの中に浮かぶセーケイの門や牛の群れ、
家路へいそぐ村人たちの姿が広がってきます。

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comments(2)|trackback(0)|アート|2011-04-16_16:20|page top

春の森の花畑

うららかな太陽の光に誘われて、村のはずれを目指した。
リュックサックにはパンと脂の切れ身、
マッチに新聞紙が入っている。

3月の終わり。
大地にはようやくうっすらと緑が色づきはじめた。
長い冬のトンネルをくぐると、
緑の味が恋しくなるのは動物だけではない、
それは私たちも同じこと。

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夏の休みの過ごし方は、
原っぱでキャンプファイヤーをすること。
私たちも春一番にそれを体験したいことと、
ただ太陽の光を浴びるためだけにやってきた。
ブタの脂身を焼いてパンにつけて食べる簡単な昼食がすむと、
今度は森へと向かった。

森の中には、枯葉のじゅうたんが広がる。
目を凝らすと、その茶色の中にも
もう春の兆しが芽生えている。

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トランシルヴァニア原種の青い花。
ミスミソウの一種であるらしく、
hepatica transilvanicaという学名がついている花。
すうっと透き通るような青が幻想的。

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可愛らしい葉っぱも、
太陽の光をあびて地面から顔を出した。
ここにも、そこにも。
次から次に生まれてくる生命。

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二羽の鳥がおしゃべりしているみたい。
濃いピンク色が鮮やかなカタクリの花。
人知れずひっそりと花ひらく森の花ほど、可憐なものはない。

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枯葉を体に刺し、
それをつきやぶって地面から這いあがってくる。
ほそい体に宿る、その逞しさ。

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暗い森の中にさしこむ小さな光だけで、
こんなにも美しい色を咲かせる。
どこよりも早く、春が訪れるのが森の中。

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しばらく忘れていた、花を摘む喜び。
手の中で、この小さな生命は呼吸をしている。

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木立の中をくぐりぬける。
つんだ花束が枯れてしまわないように、
家路を急いだ。

iciripiciri56 226

次に来るときには、
もう森の中が花でいっぱいになるだろう。
季節は確実に変わりつつあった。




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comments(6)|trackback(0)|自然、動物|2011-04-16_00:18|page top

イーラーショシュのおばあちゃんとの出会い3

朝からまぶしいほどの青い空が浮かんでいた。

クルージから貝戸さんご夫妻を誘って、小さな遠足に出かけた。
電車に揺られて降立ったのは、山間の小さな駅。

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あたたかな太陽のひかり。
春の兆しが、今にも音を立てて地面からはちきれそうだ。
ふさふさとした枯れ葉は、
動物の毛のようにやわらかく暖かな眺め。

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時折、ねずみ色をした裸の木の枝に、
鮮かな緑色の芽が見られる。
宿り木は、そこだけが春を運んできたような感じを与えてくれる。

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春のはじまりは、微妙な色の変化。
暗く乾いた色を見慣れた目は、
そのささやかな兆しをも敏感に感じ取ることが出来る。

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丘の向こう側から、羊の群れがやってきた。
真っ白な塊は、次第に一匹一匹の羊の形をあらわにしていく。
私たちを飼い主だと思ったのだろうか。

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どんどん近く寄ってきても、まったく恐れるそぶりを見せない。
なめらかなその毛は長く、白というよりはクリーム色をしている。

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群れから遅れて、いつしか主人がやってきていた。
羊飼いはこういった。
「 後ろに生まれたばかりの子羊がいるんだ。
 見にくるかい?」

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春のはじめは出産の季節である。
昨夜生まれたばかりの子羊は母親の乳を飲み、
しっかりとその細い足を地面におろしていた。

自然の厳しさ、暖かさを肌で感じ生活している羊使い。
その朴訥とした様は、まぶしいほどの清らかさ、美しさを感じる。

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隣村はもうすぐそこだった。
広場には洗濯場があって、
おばあさんが冷たい水に手をいれて仕事に精を出す。
清らかな水面には、真っ青な青空が映っていた。

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木製の古びたドアには、
塗料のはげかけた植物が大きな枝を広げていた。

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天井を隙間なく埋めている、植物模様の絵。
赤いイーラーショシュの花が、
あたたかな生命を古い教会に吹き込んでいるようだ。

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実はこの赤は、このカロタセグ地方に一番かけている色なのではないか。
大らかな曲線を描き、あふれんばかりの生命をアピールするその花々。
女性たちは色鮮やかな花で満ちた春を思いえがき、
長い冬を過ごしてきたのに違いない。

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紅色の菊の花が細長く編みこまれている。
これはと尋ねると、
「 去年、村で結婚式があった時の飾りだよ。」という返事。
半年立っても色あせない花飾りが、いとおしい。

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私たちは、さらに先へと進む。
野焼きされて黒く焦げた草原に、
夢のようにほのかに浮かび上がる春の兆し。
芽を吹くまえの枝は、こんな風に山吹色に色づく。

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白い真珠のついた大きな宿木を折った。
丸く枝を張った様子は、緑の冠のよう。

IMG_5346.jpg

原っぱの真ん中で、パンにペーストぬった昼ごはんをとった後、
さらに先へ先へと進む。
丘を下ったところに、その小さな村は横たわっていた。

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この村を訪ねたのには訳があった。
去年の冬に注文したイーラーショシュを取りに来たのだ。
知り合いのおばさんは、すでに他所へ売ってしまったという返事。
しかたなく、お隣さんのところへと行く。

膝丈のスカート姿で薪を切るおばあさんは、
この上なくたくましく愛らしい。
「 さあ、うちへいらっしゃい。」
仕事をすぐにやめて、家へと案内してくれた。

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濃い群青色の壁が目にまぶしい。
窓が小さく、部屋の明かりも少ない民家では、
この青が限りなく明るい色とされ好まれた。
お土産の宿り木をそっと置く。

IMG_5378.jpg

「 あんな遠くから、わざわざ歩いてきたの?」
他に交通機関のない村は、よそから遮断されたような環境である。
それにもかかわらず、こんなに落ち着く感じがするのは、
おばあさんたちのゆったりとした暮らしぶり、
その中で生まれた包容力のせいかもしれない。

IMG_5391.jpg

この冬に作りためたおばあさんの、
手作りのピロカバーをかばんにしまった。

ご近所では若い男性が、祖父母の家を引き継いで、
引越しをしているところだった。
ダンナが蔵漁りをしている合間にも、
時間が惜しいので図案描きのおばさんの所へ急いだ。

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先ほどは、玄関の前にほうきがかかっていたのに、
今はすっかり取り払われている。
家に帰ったというしるし。

トントンと扉をたたくと、いつものように
「 ハーイ。どなた?」という明るい声が響いた。
アンナおばさんは、長いおさげの髪を頭の上の方でくるくるっと巻いている。
「 あら、おチビちゃんはつれてこなかったのね。」
おしゃべりしながらも、出来たばかりの図案を次々と広げて見せてくれる。

それから、3mほどの長い布が広げられた。
それはまぎれもなく、去年、私が持ってきた布だった。
そこにメルヘンの世界がおとぎ話の絵本をひも解くように目の前に現れると、
ただ圧倒してその絵に見入ってしまった。
「 同じ図案は二つとないわ。
 少しずつ変えたのよ。」とおばさんの瞳が輝いた。

そのデコラティブな花模様の一つ一つに魂が込められ、
アンナおばさんの豊かな想像の世界が生き生きと描かれている。
それは伝統として伝わったものを超える、
新しいフォーク・アート。

「 ひとつ図案を描いてください。」とお願いをすると、
紙の小箱から秘密の小道具が次々と姿をあらわす。

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ハンガリー人の好むチューリップは、
微妙に形がちがい、サイズもさまざま。
この型を使って、彼女たち図案師は布に生命を吹き込むのだ。

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まず型をとり、そして装飾を加えて、より一層華やかにする。
「レース」や「パイプ」、「鳥の目」など小さな装飾を使って、
図案をいかに華やかに、密に彩るかが図案師の腕の見せ所。

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バラの花の中には、モミの枝の模様が加わった。
彼女の大きな手は、常に針や筆ばかりを持ったわけでない。
この芸術的な仕事の裏には、植物や動物を、
自然を相手にした厳しい村の仕事がある。

annaneni2.jpg

カロタセグの手仕事は、ハンガリーの民俗学者たちが思っているような
絶望的な状態ではないと悟った。
この村に古いイーラーショシュがなくとも、
いまだに新しいイーラーショシュは生まれつづけ、
こうして村の女性たちの手によって赤や青や黒に色づけられている。

ダンナは背に古い木のいすを背負い、
私はイーラーショシュのピロカバーや図案の描かれた布を、
哲弥さんには陶器の破片などをもってもらい、
由希さんには宿り木を。
一雨こないうちにと、帰り道を急いだ。

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いくつもの丘をこえ谷をこえて、
元の鉄道駅についた頃は汗だくだった。
太陽はその日いちにち、惜しげなく光を降りそそぎ、
乾いた大地には心なしか、うっすらと緑が芽生えてきたようだった。







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comments(7)|trackback(0)|カロタセグ地方の村|2011-04-08_20:47|page top

イーラーショシュのおばあちゃんとの出会い2

おばあちゃんの咳の音で、夜分も何度か目が覚めた。
突然泊めてもらったものの、
もしも病院へ行くことになったらと心配だった。

村には診療所すらない。
月に一度、町から医者が訪問する日が決まっているだけで、
緊急の場合は隣村までいかないといけないということ。
いくらこの村が気に入っても、
ここに子どもをつれて移住するかと聞かれたら返事に困るだろう。

昨夜はロールキャベツを温めて食べたり、
韓国時代劇をおばあちゃんの詳しい解説を聞きながら
いっしょに見たりして、あっという間に就寝時間となった。

寝巻きに着替えてスカーフを取ると、
80歳のおばあちゃんの細く長い黒髪があらわれ、はっとした。
「 私の父親も、80を過ぎても髪が黒々としていたわ。
 そういう血筋なのかしらね。」といたずらそうに微笑んだ。
昔の女性は髪を切らないらしい。

朝になると、私たちが目をさめても、
寝息を立てていた。
きっと夜はずいぶんと寝苦しかったのだろう。

まもなく目が覚めると、
薪に火をくべて一日がはじまる。
昨夜のようにパンにクリームを塗って朝食の準備していると、
「 私は、ココアにパンを浸して食べるわ。
 人に食事の世話をしてもらうほど、まだ老いぼれていないからね。」
とおばあちゃんはきっぱりと断った。

明日町へ出かける準備があるようだから、
私たちは早々にしたくをして家を出た。
土曜日にまた、村に帰ってくると約束を交わして。

朝に雨がぱらついたようだ。
うすどんよりとした空の下、道はしっとりとぬれていた。
私たちは、小高い丘にそびえる教会を目指した。

IMG_4824.jpg

カロタセグ地方のとんがり屋根の教会は、
トランシルヴァニアを代表する文化人コーシュ・カーロイが
グラフィック作品のなかで好んだテーマである。
郷土愛あふれる彼の文学、美術そして建築活動は、
戦後のハンガリー人を力づけ、トランシルヴァニズムという運動も起こした。

IMG_4916.jpg

教会の扉は、物憂いブルー一色で染められ、
カロタセグを象徴するチューリップの花もようが描かれていた。

IMG_4852.jpg

教会には牧師がいない。
ブジおばあちゃんによると、
この村に20年以上居座った牧師は、村で問題ばかり起こしていたそうだ。
教会は村の象徴であり、唯一の文化的中心地である。
村で教会のまとまりがないと、その村全体の文化生活が色あせて
村に活気がなくなってしまう。

IMG_4899.jpg

イーラーショシュの生まれ故郷であるのにもかかわらず、
ほとんどは60年代70年代以降で教会のタペストリー作りも止まっている。
今は亡き女性たちの手によって作られた赤い花が、
体に血をめぐらせるようにして活気付けているようだ。

IMG_4864.jpg

教会の天井を仰ぐと、目のくらむような花の文様の集まりに圧倒される。
村の中心であり、精神的生活を支えていた教会は、
人々の描き出した宇宙の縮図である。

IMG_4866.jpg

ぐるぐると回る風のようなイメージ、
月や太陽、大地の恵み・・。
人生の節目節目を見とどける教会の天井画。
神の偶像を禁じられたプロテスタント教徒たちに、
古くからの自然への崇拝を自然と呼び起こさせたのではないだろうか。

IMG_4903.jpg

雨が降らないうちに、私たちは早々に次の村を目指した。
村を歩いているうちに、半分は空き家でないかという気がしてくる。
持ち主によって耕されている土地が、
広大な土地にぽつんぽつんとまばらに見えてくるのが、寂しさをそそる。

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「コレクティブ(集団経営)が村をダメにした。
自分たちが先祖代々うけつだ土地を国に奪われ、
農作業の楽しみがなくなった。」ブジおばあちゃんの言葉が胸に響く。

社会主義時代には、町に工場を次々と建て、
工場労働者を作ることばかりに力が注がれた。
その時代に生きた人たちが、農業を捨ててしまったのも仕方がないことだろう。
それは生まれ故郷を捨てることになる。
ルーマニアには、宝石のような美しい村が数え切れないほどあるが、
それが消えてしまうのも時間の問題である。

雨にぬれて隣町にやってきた。
イーラーショシュの本を見ながら、
図案描きの職人さんの名前を拾い拾い、尋ねる。
「 ああ。もうその人はいないよ。」と老人の声が漏れる。
それでも当時一番若かった、ボルバラおばあさんは生きているらしい。

村はハンガリー人が少なく、ほとんどがルーマニア人のようだ。
顔を見てもどちらがどちらか分からないから、
どちらの言葉で通行人に話しかけていいか分からない。

黒ずくめの衣装を着たおばあさんが遠くからやってきた。
探しているボルバラおばさんであることが分かると、安心した。
「 今さら、イーラーショシュなんて。
 もう何年も描いていないわ。」とおっとりと話すおばあさん。

若くで主人をなくし、黒い喪服姿に包まれているものの、
話しているうちに若々しい笑顔がみられるようになった。
「 もう、ここの村はダメね。
 昔はハンガリー人も多くて、活気があったのだけど。
 若いときは皆であれだけ歌っていたのが、懐かしいわ。」

monostor2.jpg

おばさんと話すうちに、
イーラーショシュについて書かれた唯一の本の著者、
シンコー・カタリンが村にいることを知った。

村の教会の方へ向かう。
「 ギギギギ・・・」
大きな歯ぎしりのような音が聞こえてくるので驚いて見ると、
教会のちょうど屋根のところにキツツキが止まってるようだ。
中が空洞のため、驚くほど大きい音がこだまする。

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教会の外側には、ルネサンス時代の石の彫刻が
美しい状態で残されている。
少女が両手でヘビをもっている不思議なモチーフは、
セイレーンを描いたもの。
下半身が魚となった、尾びれの両側を広げているのは、
教会にあって不謹慎なようにも見える。
ヨーロッパの古い教会の入り口に、
わざと女性の性器を見せる彫刻があるのも、
キリスト教以前の呪術的な信仰と関係があるのかもしれない。

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教会に入ってすぐに目を奪うのは、
ベランダのような形をした二階部分である。
柱には、ブドウのツルにそって黒いカラスの群れがはい上がり、

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やがてハート型の模様に行き着く。

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カセット型の天井画こそ見られないものの、
二階部分の縁には、隣村の天井画の片割れのような
力強いペイントがどっしりと並んでいる。

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ゴシック時代からの古い石の入り口には、
植物模様のペイントが見られる。
ひとつの教会の中にいくつもの時代の層が見え隠れしているのが、
また面白いところだ。

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そして、一番新しいものが女性の針仕事である。
青い刺しゅうのタペストリーはまだ目新しく、
教会が村の住民たちによって手をかけられていることが伺える。

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教会のまだ先の家が、シンコー・カタリンさんの家である。
村出身のイーラーショシュの研究家は、彼女自身も図案を描く職人であり、
訪れたときもちょうど手を動かしている最中だった。

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「 教会の青い刺しゅうはね、
 何かの機会でイーラーショシュを新調することになって、
 私が青一色にすることを進言したのよ。」
ひときわ珍しいペイント家具を引き立たせるにも、
深い青は落ち着いた効果をもっていた。

カタリンさんが管理するという、小さな部屋。
昔ながらの藁の家を教会が買い取り、
古い民家の内装が再現された形で展示されてある。

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カロタセグのイーラーショシュを世界へ知らしめた、
ジャルマティ・ジガ婦人もこの村の出身だった。
いつも村の指導者的人物の女性が現れ、進んで刺しゅうの文化を改革させては、
大いに宣伝していくという道すじをたどってきた。

古い嫁入りだんすには、雛を育てる母鳥が描かれてある。
結婚は若い女性の願いであり、その母親の祈りである。
かつてそのたんすいっぱいに、美しい刺しゅうで飾り立てた品々をつめて、
女性たちは新しい家へと嫁いでいった。

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ボルバラおばさんの所へ帰ると、早速ひとつ図案を描いてもらうようにお願いをした。
手作りの麻の糸の手織り布は繊維ひとつひとつが粗く、ペンの先が引っかかる。
ひとつひとつの手順を思い出しながら、おばさんの指先がゆっくりと動く。

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図案描きの職人さんは生きていても、村にはもう作り手がいない。
イーラーショシュの中心はすでに、
商業的に生産される大通り沿いの村へと移ってしまったのだ。

村を出たのは、午後おそくになっていた。
精霊の住みかのような藁の家が、ぽつんぽつんと
なだらかな丘に立ち並んでいた。

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ネコヤナギの芽がもう出ている。
鮮やかな銀色に輝く、その白いつぼみは動物の毛のようにしなやかだ。

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枝を一本折っている間に、後ろから車がやってきた。
すぐに私たちの前で止まると、慌しく車の中へとすべりこんだ。
私たちはもう、クルージの町を目指していた。




トランシルヴァニアをこころに。

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comments(5)|trackback(0)|カロタセグ地方の村|2011-04-04_17:23|page top
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