トランシルヴァニアへの扉 - Erdely kapuja-

古きよきヨーロッパの面影を残す、トランシルヴァニアへの扉をそっと開いてみませんか?

::自己紹介::

谷崎 聖子

Author:谷崎 聖子
1978年宮﨑生まれ。
大阪外大、ハンガリー語学科卒業。
ブダペスト大学で民俗学を専攻。
ルーマニア、トランシルヴァニア地方のフォークロアに惹かれて、セーケイ地方に移住、結婚。
三人の子育て中。

伝統手芸研究家。
トランシルヴァニアの文化、手しごとを広める活動をしています。主な著書「トランシルヴァニアの伝統刺繍 イーラーショシュ」、「カロタセグのきらめく伝統刺繍」。

東欧雑貨ICIRI PICIRIFOLK ART Transylvaniaのオーナー。

詳しくは、森の彼方-トランシルヴァニアへの扉をご覧ください。

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エルドゥーヴィデーク(森の地方)博物館

エルドゥーヴィデーク(森の地方)の博物館で
日本の日のイベントの話を持ちかけられたのは、4月のはじめ頃。
館長のデメテル・ゾルターンと町の公園で会うことになった。
「博物館といっても、基金の中で運営している小さなものでね。
予算がないんだ。」

バロートという町は、元々共産主義時代に
鉱山夫を集めてできたものだったため、
鉱山が閉鎖されてしまった今、町の活気はないという話は前から聞いていた。

ゾルターンは、いかに故郷が豊かな自然の恩恵をうけた土地であるか、
故郷出身の偉大な学者や知識人の名前を挙げては、
その魅力を力説して聞かせてくれる。

「俺たちは、それでもエルドゥー・ヴィデーグが世界の中心だと思っている。」
そういう彼も、さまざまな職歴を経て、
ここ何年か故郷の政治、文化活動に絡んでいるようだ。

約束のその日は、あいにく雨模様。
セントジュルジから北の国道から長い山道を越えて、
高原の上に出ると、おとぎの国のようなのどかな風景に美しい村々が点在している。

Barot japannap 005

いくつか村を越えると、
ここエルドゥー・ヴィデークの中心地バロートに到着する。
町の端は一軒家ばかりで、村が少し大きくなっただけのような感覚。
中心には鉱山の町らしく、たくましい鉱夫たちの像が立っている。

Barot japannap 042

それから博物館へ入り、荷物をほどいて準備をはじめた。
民家を改造した建物の地下室は、
少し天井が低いようだが石の壁で覆われていて快適な空間のようだ。

博物館の職員さんがやってきた。
「ホフマン・エディットよ。どうぞよろしく。」と握手を求める女性は、
40代くらいだろうか、一言二言交わしただけで
感じのよい人であることが分かる。

折り紙の見本を作ったりしながら、
自然とおしゃべりがはじまった。

「この町は、90年代から段々と景気が悪くなっていって、
もう若い人はほとんど出て行ってしまった。

私の姓を見ても分かる通り、
ザクセン人(トランシルヴァニアに暮らすドイツ人)の血も引いているんだけれど、
昔ドイツにいたことがあったの。
ドイツ語は話せるけれど、好きじゃないわ。まだ英語の方がまし。

そこで滞在許可証を発行して、
いよいよ本格的に移住するというときになった。
そのとき、目の前にあのヴァルジャシュの渓谷が・・、
あなたは行ったことがあるかしら。
それは美しい風景なんだけれど、
故郷の景色が鮮やかによみがえってきて、ついこう言ってしまった。
「ごめん、私はここにはいられないわ。」
そうしてここに帰ってきてしまったわけ。」

思わず手をとめて、
彼女の顔を見入ってしまった。
そして、その表情の中にあたたかなものを感じると、
不意に目が潤んできたようだ。
彼女はそれを敏感に感じて、すかさずこう言った。
「ごめんね。あなたには悪かったわね」

これほどまでに彼女を引き付けて離さなかったものが、ここにはある。
その想いが嬉しかっただけなのだ。

「いいえ、私は日本は大好きだけれど、
ここに居て、なおさら日本人で居られるような気がする。」
とっさに私はこう返していた。

Barot japannap 045

やがて6時になるかならないかの内に、
たくさんの子どもたちが日本の文化に触れ合いにやってきてくれた。
筆でもち、漢字を書いたり、
折り紙で小さなものの形を作ったり・・。
飽きずに何度も何度も、挑戦してくれる。

Barot japannap 050

それから日本の写真を見ながら、いろいろな話をさせてもらった。
自分の故郷を愛する人たちは、
きっと他の人間の故郷をも愛する事ができるはずだ。
話が終わったあとも次々と質問が飛び交い、
まるで十数人のの人たちといっしょに、
おしゃべりをしているような感じがして時間を忘れてしまった。
気がつくと、もう10時を回っていたようだ。

森に囲まれたエルドゥー・ヴィデーグは、
ほんとうの故郷のように私を受け入れてくれた。


*日本の日のイベントの様子は
 こちらでご覧いただけます。
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Theme:ルーマニア
Genre:海外情報

comments(5)|trackback(0)|トランシルヴァニアの町|2011-05-26_05:51|page top

あるジプシー老人のこと

ある月の明るい晩に、とあるジプシー老人と出会った。
その姿はいつか見かけたことがあったのだが、
ふと好奇心が沸きおこって、話しかけてみようとする勇気が出たのだ。
おじさんは、思ったよりも優しい笑顔で答えた。
差し出したノートに、よたついたような文字で彼の名前が刻まれた。

ジプシーの踊りが得意なおじさんにダンスを見せてもらうように頼むと、
ある日、きれいに正装してやって来てくれた。
孫娘といっしょに踊るおじさんの姿を映像に収めることができた。
私はおじさんにお礼のお金を差し出した。

おじさんは酒呑みだった。
普通の酒では飽き足りず、消毒用アルコールを愛飲していた。
やがて、宿無しの老人である事が分かった。

おじさんの話の半分以上は狂言だった。
分かりやすい嘘はかえって、
彼独特のユーモアとなって映った。
そして、その嘘の中のちょっとした真実には
きらりと光る凶器のような鋭さがあった。

おじさんの住んでいたところは、
かつてのセントラルヒーティング、今は廃墟となっている建物だ。
真冬には、マイナス30度の中をも暖房なしで生き抜いてきた。
行こうと思えば身寄りはあるはずなのに、
何故かそれを拒み続けていた。

その長い冬を果たして彼が越せるだろうか心配だった。
やがて春が来ると、
おじさんは生まれ変わった。
いつの間にか新しい妻を見つけ、
新居の廃屋に小さな家庭を築いていたのだ。
もう、近くの商店の前で物乞いをする姿も、
ゴミ箱をあさっている姿も見なくなった。

奥さんは、ジプシーではなくハンガリー人だった。
宿無しで無職のジプシー老人のところへ来るなんて、よほど風変わりな女性だろう。
そういえば、昔の奥さんもハンガリー人だったと自慢していた。

おじさんは10歳くらい若返ったようだった。
たまに道で出会うと、背中に棒をかついで
いかにも今仕事から帰ったところのような風体でこう言っていた。
「ずっと、ここには居られないからね。
女房は、この寒さを耐えられないさ。
だから、家を建てようと思っているんだ。
書類さえまとまったら、すぐにでも取りかかるつもりだ。」

やがてまた厳しい冬がやってきたが、
その住み家へ向かうことはなかった。
再び、春が来た。
おじさんと出会うたびに、こう言っていた。
「いつ家へ来るんだい。
もう喪は明けたからね。踊りを見せてあげる。」

いつの日か、
夕方ゴミ捨て場に向かうと、
うす暗い中を帽子をかぶった男が立っていた。
おじさんだった。
アルコール臭い匂いを漂わせ、
鋭い目つきでこう言った。
「困っているんだ。金をくれないか。」
嫌とも言わせないような、差し迫ったものを感じた。
財布から一枚取り出して、差し出した。

これまで、私に物乞いをしたことがなかったおじさん。
不幸な影がうかがえて、
その後しばらく後味の悪さが残っていた。

水曜日の晩だった。
ゴミ捨てからもどってくると、
ダンナがこう言った。
「君の友人が死んだよ。」
誰のことかと問いただすと、おじさんの名前を言った。
「今、そこで娘と会ったよ。
こんな時にはお金を渡すものだからって、そこで待ってる。」

しばらく考えた。
娘にではなくて、できればおじさんに渡したかった。
お金をポケットに突っ込んで、ダンナをつれて外へ出た。

ゴミ捨て場の、いつもの場所に娘が立っていた。
「父さんが死んだ。心筋梗塞で・・。」
めったに行かないおじさんの住み家を訪ねてみると、
すでに病気だったらしい。
それから延々と病院へ運ばれていった時のことを話し出した。

「何か胸騒ぎがしたんだ。
きっと神様がそうさせてくれたのだろうね。
私を抱き寄せて、撫でたりキスをしたりして、こう言ったよ。
お前は本当の孤児になってしまうな。母さんにも、父さんにも死なれて・・。」
彼女は涙を流していなかった。

話し終わると、こう言った。
「こんな時には、みんな少しばかりのお金を置いていくものだよ。
私も知っての通りの貧しい身で、葬式の後のもてなしだってしないといけないからね。」
握っていたお金を手渡した。

通りでもう出会うことのない、
帽子と棒を肩にかついだ後姿をぼんやりと想った。

Theme:ルーマニア
Genre:海外情報

comments(0)|trackback(0)|ジプシー文化|2011-05-25_04:13|page top

初めて生ける花

「日本人だから生け花くらいできるでしょう。」
ダンナから何度も耳が痛くなるほど言われてきたが、
残念ながら私に生け花の心得はない。

思い返してみると、
中学生時代にそういう選択科目を取ったような気もするが、
本を開いて、ただ型をノートに写しなさいといわれただけだった。
中学生たちのために花を調達するなんて、贅沢はできなかったのだろう。

だから生け花の要請がきたときには、いつもダンナに任せている。
半年間、日本で講座に通っていて基本は身に着けたようだ。
ここ数日、そういう機会があって
我が家でも珍しく色鮮やかな花が部屋を彩っていた。

「ちょっと来て。」と声をかけられて
キッチンへと向かうと、
息子が床に正座をして花を生けている。
手にはもっともらしく裁ちばさみを握って、
真剣な表情で器をみたり、手に持った花に目をやったりしている。

Barot japannap 067

基本を知らないから生け花などできないと思う大人に対して、
子どもはただ自分の心の向かうままに作り上げる。
器の上は、だんだんと花が豊かに茂ってきた。

Barot japannap 071

こちらで生活をはじめてから、息子は花が大好きになった。
原っぱや森の中を覆う花の数の多さに感激し、
いつも小さな手に収まりきれないほどの花を握っていた。

Barot japannap 072

剣山にはもうすき間がほとんどないまで、
たくさんの茎が刺しこまれている。

Barot japannap 078

生け花の基本は、花を愛することなのではないか。
そして、花を観察する力。
ひとつひとつ花びらの形も、葉の数も、茎のしなりも違っている。
その個性をいかにして引き出してやるか。

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こうして7歳の息子の生まれてはじめての
生け花が完成した。
「よく出来たわね。」と褒めると、
「うん・・、でもアパ(お父さん)の方がきれい。」とあまり満足そうではない。

ちゃんとそんなところまで見ていたのかと思って、驚く。
次にはどんなものを生み出してくれるのか、楽しみだ。

Barot japannap 091

Theme:海外の子育て
Genre:海外情報

comments(4)|trackback(0)|ルーマニアの育児|2011-05-22_02:53|page top

忘れられない花畑

ねずみ色の重苦しい雲が
青空を不意に覆いはじめた。
もしかしたら、一雨くるかもしれない。
エルドゥー・ヴィデーグ(森の地方)で車を走らせていた。

案の定、小さな雨粒が天から滴り落ちてきた。
その日は、日本の日のイベントを依頼されて、
バロートのエルドゥー・ヴィデーク博物館へと招かれていた。
生け花につかう花をどこかで調達しようと、
森の端やら原っぱに生える花を注意深く観察する。

やがて雨雲のすき間から、
うっすらと太陽が差し込んできた。
やわらかな光に、タンポポの黄色が応えてますます輝きを増しているようだ。
運転をしていたラツィおじさんに、
車を止めてもらうようにすかさずお願いをした。

Barot japannap 001

四方を深い森に囲まれたこの地方は、
とりわけ自然が豊かなところ。
なだらかな斜面の丘が時に交わり、時に離れたりしながら遠くへつづき、
やがて深緑の森へと行きついた。

Barot japannap 007

ついこの間まで、
満開に咲き誇っていたタンポポ畑も
すっかり種をつけて、飛び立つ準備をととのえていた。
黄色いタンポポや綿毛のかわりに、
今度は白い野の花が花盛りのときを迎えようとしている。

Barot japannap 019

ハンガリー語で、タンポポをGyermeklancfuという。
訳すると、子どもの首飾りの草。
くさり編みにして首飾りを作ったり、
シャボン玉のように吹いて遊んだり・・。
子どもにはタンポポがよく似合う。

Barot japannap 012

「ねえ、この匂いをかいでみて。」
そういわれて、
黄色いタンポポを顔に押し当てられたなら、
ほら、太陽の光の欠片があなたの顔にも・・。

IMG_8286.jpg

Theme:ルーマニア
Genre:海外情報

comments(2)|trackback(0)|自然、動物|2011-05-20_21:23|page top

馬のいる風景-シェプシセントジュルジ

太陽が顔を出し、
5月の緑を生き生きと照らしはじめた。
ある日曜日、私たちは森に向かって歩き出した。

森の入り口に広がる、一面まっ黄色のタンポポ畑。
金色のたてがみをなびかせて馬が草を食んでいる。

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このタンポポの密度といったら・・。
若草色が見えなくなるほどに黄色が勝っているのだ。

ICIRIPICIRI60 090

あちらには、カマをもって草を刈っているジプシーの若者の姿が見える。
もちろんボランティアでやっているのではなく、
刈った草を家畜の飼料にするためである。

一面のタンポポ畑に小春日和、
そこでのんびりと馬の番をするおじさん。
これ以上はないほどの素晴らしい環境で、労働をしている。
思わず笑みが浮かんでくるほどの、のどかさ。

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100年前に植林されたという松林を過ぎると、
小高い丘にたどりつく。
町の手前は、ウルクーと呼ばれるジプシー居住区。

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ぐるりと遠回りをして崖を下っていくと、
巨大な穴の空いた裸の岩がのぞいている。
何か映画の舞台にありそうな、荒々しい雰囲気。

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そこをさらに過ぎると、小道にさしかかる。
唖然としてしまう光景が広がっていた。
無造作に放り出された洋服や、崩れかけたたんすやその他さまざまなもの・・・。
ふり返ると道の両側には、
とてつもない量のゴミの山がどこまでも続いている。

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ゴミの小道を過ぎると、小川が流れている。
川原の崖でつくしを積んでいると、
パカ、パカと馬車の音が聞こえてきた。
荷台にはジプシーの一家が乗っている。
これからピクニックへでも行くところなのだろうか。

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草原に馬の群れが見られた。
中には生まれたばかりの子馬も混ざっている。
ダンナが手をかざすと、何と小さな馬が近くに寄ってきた。
ずいぶん良く飼いならされているらしい。

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祖父母の村で家畜に馴染んだダンナは言った。
「馬はこの部分を撫でられるのが好きなんだよ。」
ちょうどしっぽの付け根の部分。
しばらく撫でてから手を離すと、
今度は子馬がお尻を向けてこちらに近づいてきた。

馬の後ろは蹴られるから危険だと聞いていた。
思わず後ずさりする。
そして気がついた。ただお尻を撫でてほしかっただけなのだ。

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子馬と戯れたあと、
丘を越えて森の中へと入った。
木々には、まばゆいほど明るい若葉が
まばらに茂りはじめた。
耳をひそめると、鳥のさえずりに混ざって、
風で木々が揺れ、ささやきあっているような音が聴こえてくる。

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葉っぱが四方向に並んだ面白い植物。

ICIRIPICIRI60 188

森からさらに湖のある方へ。
湧き水を汲んでから、森を散策していると日はだんだんと傾いてゆく。

木のこぶに腰掛けて一休み。
子どもは歩くたびに、小さなお土産をひとつ、
またひとつと見つけては、すぐに両手がふさがってしまう。

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丘を下ると、真っ白に粉をふいたような大木が見えた。
北国で生まれた子どもがはじめて満開の桜を見たときに、
「雪がいっぱいに積もっているよ。」と言ったと聞いたことがある。
ついこの前まで雪が覆っていたのに、もう花が満開。

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その無数の白い花たちは甘い香りをいっぱいに放ち、
いつしか夢の世界へと引き込んでいくようだ。

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原っぱには、馬がまだ放し飼いされたまま。
数を数えていると、20頭、30頭もになるだろうか。
その群れの中に、昼に出会った子馬の姿を見つけた。
あの時のように撫でていると、
向こうから子どもたちが走り寄ってきた。
「何をしているんだい。」
「こうして撫でているだけだよ。この馬が取られるとでも思ったの?」とダンナが言うと、
大人びて緑の帽子をかぶった少年がうなづいた。

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「きれいな馬ね。名前は?」と聞くと、
「ベチャール(義賊)だよ。」と子馬を引き寄せて優しく撫でながら言った。
そして子馬は、親馬のところへ走って見えなくなった。

Theme:ルーマニア
Genre:海外情報

comments(4)|trackback(0)|自然、動物|2011-05-15_04:45|page top

橋の終わりの村

普段はただ通り過ぎるだけの村、
ヒドヴェーグに来ていた。

ちょうど日曜の教会のミサがはじまる前。
ヒッチハイクでここまでやってきたものの、
朝ごはんもまだだったので、
とりあえず座る場所でも探そうと村を当てもなく歩いていた。
通りをいく村人に何かを尋ねていると、
そこに小学校の先生がいるから聞きなさいといわれる。

立派な木彫りの門を押して、
ドアをたたくと、小柄な女性がひとり出てきた。
「寒いから、中へどうぞ。」
私たちのことは何一つ聞かずに、
彼女は家へ通してくれる。

つい先ほどまで何の面識もなかった他人同士。
それでも、まるで知人が訪ねたかのように家に迎え入れてくれる。
村ではそういう経験をしたことが何度もある。
古い調度品で飾られた居間のテーブルに腰掛け、
持ち寄ったパンやチーズを取り出し、
遅い朝食を取らせてもらっていた。

ヒドヴェーグは、クロスステッチで有名なアーラパタクの隣村である。
古い刺しゅうを見にきたことをかいつまんで話すと、
奥の部屋から誰かから相続したという古いピロカバーを探して、広げてくれた。
アーラパタクのものとほとんど同じ。
星模様が、カットワークによる空間と刺しゅうによって浮き立つようだ。
100年も昔の刺しゅう。

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この小さな村で教師をしているマリアは、
知り合ってまもない私たちを、
村の手芸を見せるためにくまなく案内してくれた。
途中、かつて村に住んでいた貴族一家の話をしてくれた。

20世紀のはじめ、ネメシュと呼ばれるグローフ(貴族の階級)が住んでいた。
一家には3人の子どもがあった。
長男はイギリスに留学していたものの、
賭け事で財産をすべてを失ってしまい、とうとう息絶えて、
変わり果てた姿で故郷の村へ帰ってきた。
息子に腹を立てた父親は、
息子の体を引き取るときにも、みすぼらしい馬車を送ったという。

二番目の娘は、
ボドクという遠くの村へ嫁に行ったが、
子どもは生まれなかったそうだ。

三番目の娘シャロルタは、
両親のすむ村から離れることを嫌い、
独身のままで、ついに身寄りがなくなってしまった。

マリアは、まだこのシャロルタが生きていた頃を覚えているという。
「 可哀相なお祖母さんに、
私の母親はよくトウモロコシかゆをもっていってやったものだったわ。」

社会主義によって、
かつて特権身分をもった貴族たちは財産をすべて奪われ、身を落としていった。
これに似た話は、トランシルヴァニア各地で耳にする。
村の丘にそびえる白いチャペルは、ネメシュ一家のものだったそうだ。

IMG_4451.jpg

ほぼ一日をいっしょに過ごしたマリアに別れを告げ、
村を流れる小川のほとりで休んでいた。
息子がいつの間にか、遊び友達を見つけたようだ。
先ほど訪れた家のおばさんがやってきて、耳にささやいた。
「この子達は、孤児だったんだけれど、
そこの家のハンガリー人に引き取られたのよ。」

浅黒い肌をした子どもたちの目は、驚くほど澄んでいた。
屈託のない様子で私たちにいろいろな話を投げかける。
私たちは、息子をしばらく遊ばせておくことにした。

村のバス停で、帰りのバスを待っているときだった。
先ほどの少女が、こちらに走ってきて、
手に小さなゴブラン刺しゅうをふたつ私の前に差し出した。

果物や風景画が、細やかな刺しゅうで丹念に描かれてある。
驚いて、彼女の目を見ると、こう言った。
「お母さんが、この村に来てくれた思い出にって。」

バスまでの時間はわずかだった。
思わず、走り出していた。
先ほどの小川のほとりにある、彼女たちの家に向かう。
少女たちが呼ぶと、
大人しそうな女性が奥から出てきた。
お礼を言うと、
「あなたが手芸を探していると聞いたから・・。」と彼女。

細やかな針目の刺しゅうは、
土地に伝わる伝統図案ではない。
彼女が縫ったひと針ひと針を見るとき、
それを通じて母親の優しさが見えるような気がした。

hidveg2.jpg

ヒドヴェーグは、橋のはずれという意味。
小さな刺しゅうが特別な思い出の品となったように、
いつもは車で横切るだけだった村が、
一日の終わりには愛情深いものへと変わっていた。



Theme:ルーマニア
Genre:海外情報

comments(4)|trackback(0)|セーケイ地方の村|2011-05-11_19:10|page top

チークセレダで日本の講義

チークセレダ(ルーマニア語でミエルクレア・チウク)は、
トランシルヴァニアのハンガリー系住民が70%以上を占める町である。
セーケイ地方の中心地のひとつとして知られている。
そこに隣接するチークショムヨーは、
カトリック教の巡礼地として有名である。

今から三年前に、ハンガリー政府の支援をうけて
ハンガリー少数民族のための大学が設立された。
サピエンツィア総合大学。
かつてトランシルヴァニアに住む100万人以上のハンガリー人にとって、
母国語で大学教育を受けることは限られていた。
10年ほど前まではハンガリー語と文学、民俗学などのごく限られた分野のみで、
それ以外の専門はルーマニア語で勉強する以外になかった。
この大学には技術社会学部や経済人文学部が創設され、
幅広い可能性が与えられることとなった。

ここで、日本のシンボリズムに関する講義に招かれた。
小さな公民館や教会の婦人部などでの経験はあるが、
大学は生まれてはじめての経験である。

5月4日。
その日は10時過ぎの電車があると聞いて駅へ向かったが、
駅で待っていると、その電車は週末だけの運行であることを知り、
引き返すことになる。
次に向かったのは、ヒッチハイク・ポイント。
北の国道へ通じる道で、数人がその行き先をアピールしている。
ここで30分ほどねばったものの、やはりダメで
とりあえず姑宅へと向かった。

1時過ぎの電車に乗れば、4時の講義には間に合うと聞いていた。
その鈍行列車にのって、本を開いて準備をしていると、
向かいに座ったおじさんは鉄道の社員のようだ。
「あといくつで着くの?」とたずねる息子に、
これからの停車駅の名前といっしょに教えてくれる。

駅からは近くに大学があると聞いていた。
チークセレダの中心地は、共産主義時代の
巨大で乾燥したコンクリートの塊が立ち並んでいる。
大学の看板も見つからないままに、それらしき建物の中へと入場。
受付で教員の名前を告げると、
奥の方から当の本人ががやってきた。

大学の入り口に小さな張り紙。
講義のタイトル、「神道の祭りにおけるシンボリズムの世界」と書いてある。

csikszereda 016

社会学部の講師、フッベス・ラースロー。
彼の息子さんに日本語を教えている縁から、
思いがけずこんな場所に呼ばれることになった。

「今の学生たちは、ひどい怠け者でね。
そう期待しなくていいよ。10人・・・20人いたらいいほうだよ。」
たびたびそう聞いていたので、
私にとっても力をいれずにこの日に望むことができた。

当日に急遽、教室が変更となって、
大講義室のような場所に案内された。
席につくのは若い学生たちのほかに、初老の大学教授の姿もあった。

まず日本独特の宗教、神道というものを説明することからはじめた。
紙や木、鏡、注連縄、蛇信仰、田の神、山の神についても述べながら、
宮崎県の夜神楽に見られるシンボリズムを読み解いていくという試みだった。
神事と民間信仰の入り混じった神楽に、
日本文化を理解する鍵が隠れているような気がしてならない。

私自身、幾度か夜神楽を見に行き、
実際に夜を明かした経験が何度かあるので、
今回、故郷の神楽を通じて日本を紹介できたのは大きな喜びだった。


(チークセレダの地方局の番組で、この講義が紹介されました。)

終わりに講演の質疑において、
サピエンツィア大学の民俗学教授バラージュ・ラヨシュ氏から
日本のシンボルと、トランシルヴァニアの民俗行事、民話、民謡におけるさまざまな関連性を
ご教授いただいた。

1.春の増殖儀礼について
春神楽と呼ばれる宮崎平野の神楽において、
田の神舞を通じて農業の収穫を祈願するという意味あいが重要である。
チークセントドモコシュでは、
5月に女性が男性の上にのって丘を転げ降りるという儀式が今でも行われているらしい。

2.鏡のシンボルについて
日本では言うまでもなく鏡はアマテラスオオミカミのシンボル、
太陽の象徴として伊勢神宮をはじめ崇められている。
トランシルヴァニアでは、愛の象徴として伝えられている。
民話の中でも、森で迷った男が鏡に映し出された美しい女性に恋をするというモチーフがある。

3.棒のシンボルについて
神楽の中でも杵つきの舞があり、
男性が杵で、女性(役)の籠を打つ動作が見られる。
ルーマニア人の踊りで棒をもって踊るというものがある。
これもまた、大地に豊穣をもたらす象徴として信じられている。



Theme:ルーマニア
Genre:海外情報

comments(6)|trackback(0)|その他|2011-05-06_15:40|page top
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