トランシルヴァニアへの扉 - Erdely kapuja-

古きよきヨーロッパの面影を残す、トランシルヴァニアへの扉をそっと開いてみませんか?

::自己紹介::

谷崎 聖子

Author:谷崎 聖子
1978年宮﨑生まれ。
大阪外大、ハンガリー語学科卒業。
ブダペスト大学で民俗学を専攻。
ルーマニア、トランシルヴァニア地方のフォークロアに惹かれて、セーケイ地方に移住、結婚。
三人の子育て中。

伝統手芸研究家。
トランシルヴァニアの文化、手しごとを広める活動をしています。主な著書「トランシルヴァニアの伝統刺繍 イーラーショシュ」、「カロタセグのきらめく伝統刺繍」。

東欧雑貨ICIRI PICIRIFOLK ART Transylvaniaのオーナー。

詳しくは、森の彼方-トランシルヴァニアへの扉をご覧ください。

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ブログ翻訳

モルドヴァのチャーンゴー人

学生時代に、あるハンガリー人の文通相手を紹介してもらった。
ブダペスト近郊に住む彫刻家、兼写真家の彼はチョマ・ゲルゲイという。
民俗衣装に興味があるという私に、彼が足繁く訪れるという遠い村の話を聞かせてくれた。
踊るような芸術的な手書きの文字は、まだ十分な外国語理解能力をもたなかった私を悩ませたものの、
それを苦心して読むうちに、彼のライフワークについて知ることとなった。

やがてブダペストで半年、語学留学をすることに決めた。
2月にハンガリー入りをして、4月のイースターの頃にはもうゲルゲイに連れられてモルドヴァの地を踏んでいた。
ブダペストから国境を越えてルーマニアに入り、さらにトランシルヴァニア地方を横切って、カルパチア山脈を越える。
電車で、優に1日はかかった。

電車の無人駅で降りて、そこからあぜ道を歩いて村に入る。
村に少し近づくと、彼の知り合いが乗っていた馬車に乗せてもらう。
今では当たり前のような出来事が、何もかもが珍しかった。
ちょうど桃やリンゴの花が満開の頃で、かぐわしく香っていた。

敬虔なカトリック教徒にとって、イースターはクリスマスと並ぶ大切な宗教行事である。
イースターの日曜日の夜、肌寒い教会の中にろうそくの火をともして沢山の村人たちが集まった。
頭から足の先まで真っ黒の衣装に包まれたおばあさんたち。
ミサの後は、賛美歌を歌う村の人たちについて真っ暗な村の端の十字架まで歩いた。

村から村へは歩きが主だった。
クレージェからショモシュカ、そこからクルシュー・レケチンへは
道があってないような森の中を、オオカミやらを恐れながら歩いた。
機織のおばさんの家を訪ねると、小さな部屋に大きな織り機が置かれ、おばさんが作業をしていた。
蛍光色などの入り混じった織物を広げては見せてくれ、
そのひとつを惜しげもなくプレゼントしてくれた。

ゲルゲイの仕事は、主に人の写真を撮ることだった。
各地の村の知人を訪ね歩き、そこで人と話し、古いチャーンゴーの習慣やまじないを記録する。
時には、ヨーロッパ人からは異質に見えるようなチャーンゴー人の顔を探してはフィルムに収めていた。
古くアジアから来たというハンガリー人のルーツをそこに見ていた。

カルパチア山脈の向こうで、ハンガリー語を話す民族がいる。
その事実が、ハンガリー本国に大々的に伝わったのは、90年が明けてのことだった。
ブダペストに、モルドヴァから民俗衣装に身を包んだ1000人のチャーンゴーが集まった。
すでに社会主義時代から秘密警察の目を隠れて、
チャーンゴーの村を渡り歩いていたゲルゲイたちの計らいだった。

長い間、ハンガリー語の教育や母国語によるミサが禁じられていたため、各家庭で口承による言語教育がなされた。
そのため、言葉にルーマニア語が混ざっている部分があったり、
何百年も昔の古いハンガリー語をそのままに伝えている部分もあるという。
当時の私に、彼らの話す言葉の何割が理解できていたか疑問である。常にゲルゲイという通訳者がいた。

彼のもうひとつの仕事は、ブダペストでハンガリー教育を施すことを子どもたちに勧めることだった。
モルドヴァの片田舎の村で生まれた子どもたちにとって進学は難しく、
特にハンガリー語で教育を得ることなく育ってしまう。
母語を失いつつあるチャーンゴー人の同胞。
同じハンガリー人としてそれを見て見ぬ振りはできず、そのための苦労を厭わなかった。

それから、二度も彼のモルドヴァ行きへ同行した。
ハンガリー本国はおろか、トランシルヴァニアの村さえも行かず、
私にとって村とは1日以上も電車を乗り継いでいく遠い地方だった。
クルージ・ナポカで大学生となった時にも、トランシルヴァニア地方からモルドヴァへひとりで電車で旅し、
ある地方都市の駅で彼と待ち合わせたこともあった。

民俗学部のフィールドワークの一環として、偶然にもゲルゲイと何度も訪れた村へ滞在したことがあった。
モルドヴァにチャーンゴーの博物館を作るため、古い品を集めるのが目的だった。
トランシルヴァニア出身の学生たちのグループに混ざり、村を歩いて見たものはこれまでとは少し違っていた。
私たち学生のグループに向かって、ルーマニア語で「俺たちはハンガリー人なんかじゃない!」と
凄い剣幕で食ってかかる人もいた。
どうやら村では、ハンガリー派とルーマニア派に分かれ亀裂が生じていることが分かった。
当時の両国の政治の状況がそのままに、奇しくもこの小さな村を舞台に村人たちの間で繰り広げられている。

両国の代表者がむきになって主張を争う一方で、その状況は過激になっていった。
年寄り同士がかろうじてハンガリー語で会話し、若い子どもたちはルーマニア語しか話さないのを多く目にした。
2000年頃から、そうした両国の思惑から逃れるようにして、
チャーンゴーの若者たちはそのどちらでもない、西欧諸国に出稼ぎに出るようになった。
村では若い働き手がほとんど見られず、子どもか年寄りだけになった。
モルドヴァの村はおろかルーマニアという国さえ、いとも簡単に捨てて出ていく若者たち。
自分たちが何物であるか、そんな事には構わず、ただ職のある所へ渡り鳥のように旅立っていく。

私はゲルゲイに手紙を出した。
「チャーンゴー人たちは混乱している。どうしてそんなにまでして、ハンガリーへ連れて行かないといけないのか。」と。
彼は私に失望したらしい。それからは、ほとんど連絡を取り合うことはなかった。
やがて、彼はハンガリー政府のプロジェクトで、ハンガリー語の教師としてモルドヴァの村へ赴いたと聞いた。
その後も、彼とは直接は会わないものの、人を通じて彼の写真集を何度か受け取った。

今から思えば、一見平和そうに見えたモルドヴァの村々では闘いが繰り広げられていたのだ。
彼は戦士のように敵地ルーマニアに赴き、かつて自分たちの領土だった土地の人たちを、
何とかして目を覚まさせてあげないといけないという強い使命感に燃えていた。
私たち日本人には到底理解できないような状況だが、いくらナショナリストと言われようと、
少数民族は強いアイデンティティなしには儚く消えてしまう存在にある。

あれから、私はまだモルドヴァのチャーンゴーの村を旅していない。
10年前の知り合いたちはどうしているのか、村はどのように変わってしまったか、
いつかこの目で確かめないといけないと思っている。


チョマ・ゲルゲイ著、粂 栄美子訳
「モルドヴァのチャーンゴー人」

ナショナル・ジオグラフィック
「遊牧の民の遠い記憶-チャーンゴー」

パプリカ通信2004年、谷崎 聖子
「モルドヴァのチャーンゴー人」













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Theme:ルーマニア
Genre:海外情報

comments(4)|trackback(0)|文化、習慣|2011-09-28_11:07|page top

はじまりの季節

9月は、はじまりの季節。
長い長い夏休みも終わりを告げ、
日本人と比べると幾分かのんびりしたこちらの人たちも
気持ちを引き締め、あちらへこちらへと忙しい。

我が家のアパートの窓から見える、鉄筋コンクリートの建物と四角い庭。
ここで入学式がはじまった。
色とりどりのかばんや洋服の子どもたちが、校庭にあふれかえる。
夏の名残をたたえた太陽の光が、降りそそいでいた。

保護者たちは、ゼンマイ仕掛けのように
たどたどしいわが子の姿を不安そうに見つめ、
見知った顔を見つけてはおしゃべりをしている。
校庭の前方では式が繰り広げられているのだろうが、
音響の悪いスピーカーは一向に人々の関心を集めない。

やがて教師が子どもたちの列を率いて、
校舎の中へ入っていった。
保護者たちも慌ててそれに続く。

狭い通路に、子どもたちが花を手にちいさなトンネルを作っていた。
それまで乾いた気持ちでいたのが、この新入生を迎える儀式には少し胸が高鳴った。
その花のトンネルをくぐり終わると、もう建物の終わりに来ていた。

ルーマニアの学校では、小学校1年から4年までが一区切り。
その後は、再び進級の手続きをとらないといけない。
この学校は、4年生までが別校舎にある。

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町にはいくつもの学校があり、自由に選ぶことができる。
ただし、学校に近い生徒が優先的に入学できるというシステムがあるようだ。
この学校には、普通教育のクラスとプロテスタント教のクラス、
そしてStep by Stepという新しい教育法のクラスに分けられる。

息子には、その新しい教育法のクラスを選んだ。
教室には個人のテーブルやいすがなく、グループ学習を基本とする。
いかにもヨーロッパ的な、コミュニケーション主体の学習である。

sisyu 018

国語であるルーマニア語は、
ハンガリー人の子どもたちにとっては初めての外国語。
そして彼らの母国語であるハンガリー語があるため、
普通の子どもたちより負担が大きい。
そのほかに英語も選択授業で組み込まれ、
彼らにとっては、一度に2つの外国語。
息子にとっては、2つの母国語に2つの外国語を同時に勉強するという試練がある。

家に帰ると教科書の束を目にし、
自分が受けた教育とはまったく違うシステムに戸惑いながらも、
これから学校教育がスタートする。

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心配することはない-もうひとつの声が聞こえる。
子どもたちは、私たち大人が思うよりもずっと柔軟で、楽しみを見つけることに長けている。
ちいさなのぼり坂や下り坂をいくつも乗り越えながら、
いつかは私たちが来たところへたどり着く。

そして、親である私自身も同じように、
ちいさな失敗や成功をくり返して、私たちの親がそうであったように
やがて自分よりも大きくなった子どもを手放していくのだろうか。

Theme:海外の子育て
Genre:海外情報

comments(3)|trackback(0)|ルーマニアの育児|2011-09-26_05:10|page top

ある日曜日の午後

ある日曜日の午後、
私たちは駅からむなしく家に帰り着くところだった。
その日の2時の電車で村に行くつもりだったのが、
目と鼻の先でそれを逃してしまった。
そうして、半ば脱力気味に
約40分の道のりをかけて歩いて帰るところだった。

町の中心に差しかかったとき、
きれいな服装をした二人の女性と出会った。
そのひとりは、ダンナが子どものころのお隣さんだったという。
娘さんのメリンダとは兄弟のようにして仲良く育ったものの、
彼女は単身ドイツに出稼ぎに行き、成人してからは会うこともない。

「うちの娘は、ついこの間まで二週間里帰りしていたんだけれど、
また帰っていったわ。
彼氏がまだ学生だから、まだ結婚はほど遠いわね。」
しばらく立ち話をしていたが、
同じ方向に向かって歩きはじめた。

隣にいた女性。
鮮やかなコバルトブルーのスーツを着た、
体格のいい初老の女性だった。
紹介によると、亡きご主人は校長先生をしていたらしい。

「世の中でいちばん大切なのは、愛よ。」
低いしゃがれ声できっぱりと言った。
「世間一般の愛ではなくて、恋愛のことよ。」

「若いころ私はそれほど美人でもなかった。
それでも写真を見た人は、口をそろえて美しいと褒めたたえる。
それはね、私が恋をしていたからよ。」

「人間の一生なんて、働いてばかり。
食事をつくったり、掃除洗濯をしたり・・。
つまらない仕事ばかりよ。
それを苦ともせずにやってのけられたのは、
私が主人を愛していたから。」
その恰幅のよい皺だらけのおばあさんは、堂々とそう言い放つ。

公園に差しかかったとき、バス停へ向かう彼女たちと別れた。
コバルトブルーのおばあさんは、
私たち一人一人の頬にキスをして
「愛のある素敵な生活をね。」と言葉を残した。

ご主人さんに先立たれても、
彼女は幸せそのものという空気をまとっている。
その日一日まるで魔法にかけられたように、
彼女の言葉を思い出しては、微笑んでいた。




Theme:ルーマニア
Genre:海外情報

comments(2)|trackback(0)|その他|2011-09-21_19:20|page top

カロタセグ地方の合同ミサ

カロタセグ地方での最後の朝、
日曜日のミサがはじまる前にある約束をしていた。

滞在していた家のご主人エーヴァが、
村はずれの丘に貝の化石のある場所へ案内してくれることになっていた。
「万が一、猟犬に遭ってしまったら困るから。」
と言って手には長い木の杖を持っていた。

車で丘の上まで行き、そこからは歩きとなる。
右を見ると、原っぱでは牛たちが群れをなして静かに草を食んでいた。
エーヴァによると、新しい法律により
国の援助を得て羊を飼うことができるようになったのだそうだ。
それで羊の群れも増えたため、猟犬の数も多くなった。
恐ろしいことに、猟犬をきちんと仕付けていない飼い主も多く、
もし人を襲いかかっても、なすすべもないという。

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見渡すかぎりに広がる茶色い草原。
やがてエーヴァは足を止めると、
腰をかがめて灰色の小さな石ころを拾いあげた。
「ほら、これがその化石よ。」

その辺りに落ちている小石、
なかでも丸くふくらんだものをひっくり返すと、
子どもが粘土細工で作ったような素朴な形があらわれ、心をくすぐる。

ハイニも私も、エーヴァにつられて夢中で化石を探しつづけた。
あっという間に、渦巻きもようの石ころで袋がいっぱいになっていく。

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教会のオルガン奏者であるエーヴァは、
11時のミサのために準備をしなくてはならない。
朝の心地よい遠足を早々に切り上げて、私たちは村に戻った。

身支度をととのえて教会へ入ると、美しい女性の後姿が目に飛びこんできた。
輝くような黒いサテン生地のムスイ。
腰の周りにわずかに黒と青の縞模様が刺しゅうされているばかり。
すそは鋭くとがって、裏地の黒いベルベット生地をあでやかに見せていた。
刺しゅうがびっしりと施されたべストは体にぴったりと沿い、
袖のプリーツの広がりをさらに強調しているようだ。

kalotaszegi konferencia 244

このフォーラムの主催者であるシンコー・カタリンだった。
時にぶっきら棒ではっきりとした物の言い方は、
愛情深い彼女の心をそのままに示していて好感が持てた。

ジャルマティ婦人という女性がカロタセグ地方の村で生まれ、
19世紀転換期の時勢にのってカロタセグ地方の手芸をヨーロッパ全土に紹介した。
それによって、カロタセグの女性たちは手芸が生活の手段に代わり、
今日にまで至っている。

彼女自身も、カロタセグ地方のひいてはトランシルヴァニアの手芸を生き残らせるには、
国内だけではなく、広くよそへと広めていくべきだと思っている。
故郷のイーラーショシュと呼ばれる刺しゅうを収集した彼女の著作は、
カロタセグ地方の民俗文化の豊かさを余すことなく伝えている。

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教会の鐘が鳴り響いた。
庭に出ると、もう村の人たちが盛装してやってきたところだった。
昔から農業に適しない土地に暮らしてきた人々は、
代わりに自分たちの手で美しいものを生み出すことに努力してきた。
その結晶が、彼らの衣装であり、美しい手仕事であった。

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人生の節目節目には、必ず美しい衣装を着る。
輝くように美しい若い男女は、これから結ばれるところなのだろうか。

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教会の中へ、
村人たちのほかに沢山のお客が続いた。
この週末のために、トランシルヴァニア全土そしてハンガリーから人が集まってきた。
それぞれの地方の民俗衣装に身を包んで。

賛美歌にあわせて、
その日はツィテラの演奏が教会に鳴り響いた。
その弦楽器は、ハンガリー中世の楽曲の雰囲気をかもし出していた。

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教会の中心を占める席には、うら若き少女が腰掛けていた。
その冠のせいか、民俗衣装に身をつつんだ彼女たちは
気品で満ち溢れている。

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村の教会の二階席は、世にも美しいペイント家具で彩られている。
土着の刺しゅうとも密接なかかわりをもつ、
このルネサンス文化を起源とする植物模様。

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村人たち、そしてトランシルヴァニア、ハンガリーの参加者が
ともに祈りをささげ、歌をうたった。
その日曜日の1時間が過ぎると、教会の中は再び静寂で満たされる。
そしてハンガリー人の人口が激減してしまった村も、
また元の静かな様相に戻るのだろう。

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教会を出ると、黒尽くめのおばあさんたちの間に見知った顔があった。
30年前に書かれたそのイーラーショシュの本で名前を見つけて、
やっと探し当てたボルバラおばあさん。
「コーヒーでもいかが」とやさしく声をかけてくれた。

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そもそもフォーラムに参加したきっかけは、
日本について話をするように頼まれたためだった。
私は着物をいくつか持参し、手短に着物の染と織の技術について説明した。

嬉しかったのは、二人の女性がぜひとも着物を着てみたいと言ってきたことだった。
ひとりは牧師さんの奥さん。
黒髪の小柄な彼女に、紺色の絣の着物を羽織らせた。
つかのまに日本女性に変身した彼女を、若い牧師さんは誇らしそうに眺めていた。

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出発の時は迫っていた。
新たに知り合った人たちに別れを告げ、
宿を与えてくれたエーヴァに感謝の言葉を伝えて、
カロタセグ地方を旅立った。

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はるか東のセーケイ地方へと向かうミニバスの中、
ハンガリー民謡とともにその移り行く景色を楽しんだ。

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comments(8)|trackback(1)|カロタセグ地方の村|2011-09-18_15:54|page top

ツィテラの音色

9月に入ると、一気に秋がやってくる。
ここトランシルヴァニアに暮らして持った感想だ。
前日の朝に、セーケイ地方を出るときに受けた秋の洗礼。
ここカロタセグ地方ではまったく無関係に、
朝からまぶしいほどに太陽が輝いていた。

朝起きてすぐに、教会の裏手にある集会所で朝食がはじまった。
このフォーラムに参加するメンバーは、
トランシルヴァニア地方を主にするが、本国ハンガリーからも多数の参加者があった。
朝昼晩と顔をあわせるうちに、自然と共同意識が芽生えてくる。

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教会の近くの公民館に、
陶器やペイント家具、刺しゅう作品が並べられて、
見る見るうちに小さな展示会場となった。

その会場の小さな舞台に子どもたちが上がった。
テーブルに小さな箱をおいて弦をしずかにかき鳴らす。
澄んだ音色がときに重なりあい、ときに離れ離れになりながらも、
美しい和音が生まれる。
それに子どもたちの真っ直ぐな歌声が加わった。
ハンガリーの伝統楽器、ツィテラである。

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開会の式がおわると、
展示品よりも先に舞台上のツィテラの方へ足が向かった。
これまで楽器に対してさしてもたなかった興味が、
この不思議な音色のツィテラにたいして沸き起こった。

ダンナの祖父も、このハンガリー琴の名人だった。
すでに弦がきれてただの木箱と化した自家製のツィテラが、
我が家の壁にかかっている。
合奏にも適していて、何よりハンガリーの民謡にとてもよく合う。

「これはどこで買ったの?」
ひとりの女の子をつかまえて、尋ねはじめた。
新品の楽器はハンガリーから取り寄せているようだが、
中には父親や祖父の手による手作りのものを使っている子どももいるという。

このツィテラ楽団を率いるのは、温厚そうな先生。
「ジラフにいつか来たら、その時に探してあげましょう。」
ここからさらに北に行ったところの町、
先生は毎週子どもたちの住む村に行って楽器を教えている。

昼食までの間に、各々の車で隣村を訪ねることになっていた。
そのツィテラ楽団の人たちに誘われて、彼らのミニバスに乗せてもらった。
「まあ、私たちを裏切ったのね。」といたずらそうに、セーケイ人のピロシュカが笑う。

いつもは歩いて渡る、この二つの村のアスファルト道。
なだらかな原っぱには、透きとおるような紫色したイヌサフランが見事に咲き乱れていた。
秋を告げる花として知られている。

ツィテラの先生たちと話していると、
後部座席からたくましく通る歌声が合唱となって聞こえてきた。
ハンガリー民謡を歌う子どもたち。
美しい風景を目にして、
彼らの中から自然に歌が突き上げてきたのがよくわかる。
ただ楽器だけに惹かれたのではなく、
この子どもたちが音楽を心から楽しむ空気があってのことかもしれない。

浮き立つ気持ちの余韻に浸りながら、村に到着した。
ここの教会に来るのは、もう何度目だろうか。
教会の説明をするのをぼんやり耳にしていた。

kalotaszegi konferencia 075

日本で生まれ育ったのに、不思議と団体行動が好きではない。
いつも訪ねるおばあさんが気になってそわそわしていた。
教会の説明が一通り終わると、
昼食までには戻ると誰かに告げて、我先にと飛び出した。

教会を下り、また丘を登って道に出た。
人が少なくしんと静まり返った村。
おばあさんの家の門を開けて、「ブジおばさん!」と連呼する。
納屋の方から、お下げの髪を両側から長く垂らし、
ひとつに結んだおばあさんが出てきた。
「あら、ちょうど悪いときにきたのね。
2時から結婚式に呼ばれて出かけないといけないのよ。」
しばらくおしゃべりをして、また本道に戻った。

先ほど車を降りたところに、まだ何台か止まっていた。
「村の女の子が衣装に着替えて、みんなが写真を撮っているわ。」と教えてくれる。
いそいで教会の方へ戻ると、
若い女性がひとりビーズの冠をつけた盛装をしていた。
白と赤が、若い女性をさらに初初しく飾り立てている。

kalotaszegi konferencia 109

村の食堂に帰る。
白い壁だけの無機質な空間に、音楽が満ちていた。
食事の準備であわただしいその部屋の隣では、
まさにツィテラのレッスンが始まっているところ。

kalotaszegi konferencia 154

小さな指先が、弦を押さえたり離したりする。
ピックを持った右手は、時につま弾いたり、時にかき鳴らしたり。
「この楽器は、君たちの国の方から伝わってきたんだよ。」
先ほど先生がそう話してくれた。

その弦を張りつめた木箱が東にいくと箏となり、
西にいくとツィテラのような楽器になったのだろうか。
かつて遊牧民族だったハンガリー人が10世紀頃ヨーロッパに移動してきたとき、
すでにこの楽器を持っていたという。

kalotaszegi konferencia 150

小さな少年の弾くツィテラが、特に目を引いた。
幾層にもなった形、
そして黒光りした木の味わい。
表面にはモノグラムが彫ってある。
聞くと、おじいさんが作ったものらしい。

kalotaszegi konferencia 160

この大人ばかりの集まりに、
音楽好きな陽気な子どもたちが華やぎをもたらしてくれた。
彼らにとって、この楽器は一生の友となるだろう。

kalotaszegi konferencia 184

やがて、彼らの師が私に一冊の本を贈ってくれた。
彼自身が書いた本で、
中にはプロテスタントの賛美歌や民謡、子どもの歌、
古いハンガリーの歌などが音符とともに載せられていた。
この予期せぬ出会いに感謝して、いつかぜひ彼らの住む土地を訪ねてみたい。


ハンガリー人奏者によるツィテラ演奏。

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comments(4)|trackback(1)|カロタセグ地方の村|2011-09-14_19:16|page top

カロタセグ地方の工芸フォーラム

トランシルヴァニアに帰って、5日目のことだった。
電話をとると、おばあさんの声だった。
「シンコー・カタリンよ。
今週末に村で工芸家たちの集まりがあるんだけど、
そこで日本のことを少し話してくれない?」
彼女はカロタセグ地方に住む、フォークアート研究家。
80年にクリテリオン社から、カロタセグの刺しゅうイーラーショシュの
膨大な図案を集めた本を出版している。

そして彼女とは6月に村を訪ねて、偶然そこにすんでいることを知った。
そこで、なんとなくそういう話を聞いてはいたのだが、
すっかり記憶の中から消えてしまっていた。

再びカロタセグの村へ行くことができ、
またトランシルヴァニアの工芸家たちと知り合うというよい機会。
喜んで承諾した。



私の暮らすセーケイ地方。
同じトランシルヴァニアのハンガリー人とはいっても、
自然環境もまた歴史的背景もだいぶん異なる。
ここから北に60kmほどの町チークセレダ。
そこでセーケイ地方の参加者たちと合流することになった。

家を出たのは6時前。
まだあたりは夜の気配をそのままに、ひっそり静まっていた。
背中には大きなバッグパック。
大部分は着物、そして資料の本、パソコンだけでもずいぶんと重い。
列車に乗って一時間半。ひとつ山を越えて、ようやく町に到着。
どんよりとした季節の変わり目の雲に、
冷たい秋風が吹いていた。

3時間ちかく町をうろついて、
ようやく待ち合わせ場所に恰幅のよい老人を見つけた。
トランシルヴァニアのハンガリー人のフォークアート協会の会長さん。
彼自身もまた若い頃は彫刻をし、今ではその技術指導にあたっている。
小型バスにメンバーが乗り、
ハルギタ山地をこえて、セーケイウドヴァルヘイへ向かった。

周りを山地に囲まれたこの静かな地方は、陸の孤島のようである。
列車はシギショアラに通じているのみで、
大都市を結ぶ大きな国道の沿線上にもない。
そういう訳もあって、チャウセスク時代の大規模な都市改革、
つまりは古い町並みを壊し、経済的に大多数を町に移住させるための
高層アパートの建設がここだけは免れたように見える。

ウドヴァルヘイはトランシルヴァニアでも、
一番ハンガリー人の人口比率が高いといわれている。
町も近郊の村々でも、90%以上がハンガリー語を話している。
我こそは純粋なハンガリー人だという意識も高い。

ここで最後のメンバーが乗ることになっていた。
私一人が座っていた後部座席に、中年の夫婦が乗ってきた。
金髪にかわいらしい丸顔の女性は、
私を見ると「あら、あなた!」と声をあげた。
いつか町のクリスマス市で、アクセサリーを売っていた女性だった。
セーケイ人にしては人懐っこい彼女とあっという間に打ち解け、
陽気な彼女は周りの人々をも明るくした。

途中コロンドという村を通りかかった。
ここは古くから陶芸が盛んで、
ザクセン人の影響をうけた青い塗料でペイントした食器は、
トランシルヴァニアのハンガリー文化を代表するものとなった。
今では、国道沿いをお土産やさんがうんざりするほど続き、
その土地の工芸というよりは、むしろ大量生産の雑貨ばかりが並んでいる。

どこかの商店で車が止まると、
あるメンバーが自社の製品をおろしはじめた。
家は現代的に建て替えられ、
庭にはどぎつく色づけされた小人やコウノトリ、亀などのオーナメントが
異様な風景をなしていた。

店のなかは、天井まで届くほどに雑貨類が積みあげられ、
コロンドの陶器もあった。
「これをどう思う?」とサツマール・フェレンツがやってきた。
手描きされた食器というのは見てもわかる。
それでも、その品には残念ながら生命がこめられていない。

今の工芸家たちの大きな課題は、工場製品と闘うこと。
それでも価格で競争するのは無理なことだから、
質は落とさないというのが日本では当然なことだが、
ここでは質を落とし値段を下げる方向へと進んでいるようだ。

大きな休憩をとってから、
車はマロシュ県の広大な平野をすぎて、
クルージ周辺のなだらかな盆地地帯に入ったのは
もう日も暮れかかっているころだった。



村につくと、教会の裏手の建物のなかで
すでに夕食会がはじまろうとしていた。
カティツァおばさんは人々の中に私を見つけると、
「よく来てくれたわね。」と肩を抱いた。
食事が終わると、その夜に泊まる家が各人に割り当てられた。

セーケイ地方のメンバーの中で、ひとり若い女性がいた。
彼女は素焼きの工場をもつ父親とともに参加していたのだが、
そっと私に声をかけた。
「いっしょの部屋になりましょう。」
私たちは、教会のオルガン奏者をしている女性のところへ案内された。

オルガン奏者の女性エーヴァは、
古いものはそのままに、そして快適に住みやすく家を改装していた。
壁には骨董品や絵画、そして本が趣味よく並んでいた。
村に何のゆかりもないこの女性が、どうしてここに引っ越すことになったのだろう。
彼女はそういう疑問を前もって察したようで、
自分のことを話しはじめた。

「むかし、牧師の夫がいたんだけど離婚したの。
二人の子どものうち小さい方は自閉症で、いっしょにクルージの町に住んでいたけれど、
20歳ころに状態が悪くなってしまった。
家に一日中閉じこもりっきりで、
私も仕事をしていたからどうしてあげることもできなかった。
それで、村に引っ越すことに決めたのよ。」

彼女は花屋さんで仕事をしていたので、
この村に越してからも植物を育てて、それを売って暮らしている。
息子さんも村で暮らすようになってからは、状態がよくなり、
今はいっしょになって花を育てているという。
庭の花々は愛情をいっぱいに受けて、生き生きと咲いていた。

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私たちがあまりに家が古くて美しいのを褒めるので、
この家の歴史についても話しはじめた。

「天井の木に刻んであるように、この家は20世紀はじめに建てられ、
それとほぼ同時にシンコー・アンドラーシュという人が生まれたの。
彼は両親の期待をそむいて、外国に美術を勉強にいって、
のちにハンガリーのジョルナイ工房の工芸家となった。
彼がお金で困ったときに、オーストリアに住んでいたある実業家と出会って、
その作品を買うことで助けられた。
やがてアンドラーシュが亡き後、その実業家は作品を教会に寄付したのよ。」

彼女はその実業家とも会った。
それはちょうどこの家を改装しているときで、
はじめはどんな持ち主のもとにいったか心配だったが、
やがて彼女を知り安心して行ったという。
こうして彼女の家には、シンコー・アンドラーシュの記念碑が立てられた。

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家のバルコニーで、器いっぱいに入った巻貝の化石を見つけた。
村はずれの原っぱで見つけたという。
それを目にして、息子の喜ぶ姿が目に浮かんだ。
まるで粘土でぐるぐると形作ったような、かわいらしい貝。
彼女は、私たちに化石の在り処をおしえてくれることを約束した。
こうしてカロタセグの村での一日がはじまった。

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Theme:ルーマニア
Genre:海外情報

comments(2)|trackback(0)|カロタセグ地方の村|2011-09-11_19:42|page top

ジプシーを巡る旅

トランシルヴァニアへジプシーを求めて旅をする。
これまでも、何人ともなくそういう人たちと出会った。
ブログを通じてお知り合いになったその方たちは、
仕事の休暇を使ってブカレスト空港に降り立った。

ブラショフから、私の住む町スフゥントゥ・ゲオルゲまでバスで向かうことになっていた。
約束の時間を過ぎて、
バスが1台2台と到着してもなかなか姿が見えない。
ようやく一時間がもうすぐというところで、タクシーが一台近づいてきた。

一度東京でお会いした人が乗っていた。
「途中で大勢の人がバスを降りてしまったので、
駅の方へ行ってしまったんです。」
ともあれ、無事に出会えて安心した。

さっそく町外れのジプシー居住区へ。
町の中心から閑静な住宅街をすぎると、不意にその境界が現れる。
4階建てのアパートと、見るからに貧しそうな民家。
その小さな通りの真ん中に、コンクリートの塀が立っている。
これが、ジプシー居住区を示す象徴的なもの。

そこから先は、まさに別世界。
舗装されていない土の道がつづき、
通りは迷路のように入り組み、その間に粗末な木の塀、そして家が立ち並んでいる。
野良犬どころか、豚の親子だって散歩する。

「おい、どこに行くんだい?」
「この間の写真は持ってきた?」
好奇心に満ちた人々と言葉を交わしながら、
知り合いの家を目指す。

エンマおばさんとは、すこし前に近所の診療所の前でばったり出くわした。
踊りを踊ってもらう約束をし、
ウルクーの民俗音楽のテープを探すよう話をつけておいた。
そうして訪ねてみると、彼らの小さな応接間に通されて、
「ちょっと待っててくれ」とおじさん。

テレビやプレーヤーの準備をいじる人、
子どもたちは興味津々といった風でドアの入り口に立っている。
おじさんは今、刈ってきた草を納屋に入れる仕事を急いでいる。

やがて空賑やかな音楽が鳴り響くと、
女の子たちが恥ずかしそうに体を揺らしはじめた。
あれほど、マネレはやめてくれと言っておいたのに・・。
マネレは、ルーマニアのジプシーが好む音楽。
中東系の匂いのする演歌風ダンスミュージックといえばいいだろうか。

女の子たちが一生懸命に場を取り繕うも、なかなか続かない。
おじさんも少しずついらいらしはじめる。
そうしている内に、踊り子のおばさんが登場した。

エンマおばさんは控えめに、
指を鳴らしては体を揺らし、時にくるりと回る。
その踊りは派手さはないものの、熟年の落ち着きを感じさせる。
今度はおじさんとペアで息の合った踊りを見せてくれる。
何曲か踊ると、やがて肩で息をついていすに沈んでしまった。

おじさんは部屋を見回したが、
あいにく妊婦の娘しか見当たらず、仕方なく私に矛先が向かった。
何度か辞退したが、その場を取り持つためおじさんの手を取った。

踊りはほとんどの場合、男性がリードするものであるから、
その上手な踊り手のおじさんの力によって私は右へ左へと動き、
時にくるりと回った。

その後、思っても見ないことが起こった。
ジプシーを見たいと話していたKさんが、私に続いて踊りだしたのだ。
もちろんジプシーの踊りは初めて見るし、
日本でも踊り慣れている訳でないことは見てすぐにとれた。
妊婦の娘からは笑いが漏れる。

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夏の名残をとどめる太陽の光を拒絶して、
裸電球の光のもと、小さな部屋がダンスホールに変わった。

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今度は、Kさんに連れられるがままに来たというYさんが、
つられるようにして踊りはじめた。
おじさんを真似して、もの凄い勢いで指をパチパチさせるのに皆が大爆笑。

はじめは義務として踊っていたように見られたおばさんの顔に、
やさしい笑顔がこぼれた。
日本の若者たちの手をひいて、一緒に踊るようにけしかける。
小さな部屋の中でともに踊り、笑うとき、
相手が誰であるのかも忘れてしまう。

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そうして踊りが終わると、彼らはやはりジプシーとして
自分たちの境遇を話し同情をひこうとする。
日本人のお客たちは十分な報酬を手渡して、その家を去った。



私たちは車を走らせ、小さな村に来ていた。
もともとハンガリー人、ルーマニア人の住んでいた集落が、
ここ2,30年ほどの間にジプシーの人たちに占領されてしまった。
丘の上には、ジプシーたちだけの集落があった。
「この先に行っても大丈夫?」
ジプシーの女性の後について、その小さな村に入る。

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まだ建てかけの家といった風の、木造の家が立ち並ぶ。
何もない原っぱに、この住民たちは土地を買い求めることもなく、
こうして家を建てて暮らしている。

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すべて材料は、どこからか見つけてきた。
丸太を組み、泥を塗り固め、布を当てて屋根にしたという家。
冬は-30度を下回ることもある、この地方。
その暮らしは想像を絶するものがある。

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それでも子どもたちは、
世界中どこの子どもとも何一つ変わりなく笑顔を絶やさない。

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ルーマニアのほかの民族は人口が減っているのに対し、
ジプシーだけが急激に増加している。
過疎化した村にジプシーが移り住み、
村の風景がどんどん変わっていく。
彼らとの対話が、この国の行く末を決めるのではないだろうか。
そんな気がしてならない。

Theme:ルーマニア
Genre:海外情報

comments(10)|trackback(0)|ジプシー文化|2011-09-09_05:23|page top