トランシルヴァニアへの扉 - Erdely kapuja-

古きよきヨーロッパの面影を残す、トランシルヴァニアへの扉をそっと開いてみませんか?

::自己紹介::

谷崎 聖子

Author:谷崎 聖子
1978年宮﨑生まれ。
大阪外大、ハンガリー語学科卒業。
ブダペスト大学で民俗学を専攻。
ルーマニア、トランシルヴァニア地方のフォークロアに惹かれて、セーケイ地方に移住、結婚。
三人の子育て中。

伝統手芸研究家。
トランシルヴァニアの文化、手しごとを広める活動をしています。主な著書「トランシルヴァニアの伝統刺繍 イーラーショシュ」、「カロタセグのきらめく伝統刺繍」。

東欧雑貨ICIRI PICIRIFOLK ART Transylvaniaのオーナー。

詳しくは、森の彼方-トランシルヴァニアへの扉をご覧ください。

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トランシルヴァニアへの扉  - Erdely kapuja-のRSSフィード

ブログ翻訳

私はいったい何人?

「私はいったい何人なのか?」
当たり前に日本という島国で生まれ育った私たちの多くには、
こうした問題と突き当たることはおそらく一生ないだろう。
ところが他民族が暮らしている地域では、これがひとつの大きな問題となる。
今、ルーマニアではちょうど国勢調査が行われているところである。

この間、プロテスタント教会に行ってきたら、
牧師さんがこのような冊子を配っていた。
「これから行われる国勢調査で、民族の名前を書くところには、
皆さんマジャール人と書きましょう。
他にもハンガリー人、セーケイ人などの選択肢もありますが、
これは私たちの人口を分散させるための思惑なのです。」

ハンガリー人のことは、彼らの言葉ではmagyar(マジャール)といい、
ルーマニア語の訳はmaghiara(マギァーラ)である。
また別のルーマニア語での呼び名は、
hungaryが語源のようなungur(ウングル)というものもある。
さらにややこしいことには、
ここカルパチア山脈沿いに住むハンガリー人は、
自らのことをszekely(セーケイ)と呼んでいることである。
ルーマニア語ではsecui(セクイ)と訳される。

もし彼らがそれぞれの思うがままに三種三様に名乗った場合、
結果としてハンガリー語を母国とする人の数が減ってしまうというわけである。
人口20%以上を占める民族の言葉を公で表記すること、
また公でその民族の母国語が使えることがヨーロッパの法律で義務づけられている。
だからこの国勢調査は、彼らの立場を決める大切な機会なのである。

ICIRIPICIRI 016

土曜日の午前中、家の扉のところで息子が誰かを中に入れようとしていたので、
急いでいってみると、調査員だった。
まず日程を電話で話してからくると聞いていたのに、
まったくの不意打ちで呆気にとられる。
ダンナは大急ぎで、ステテコ姿に洋服を引っ張り出して着るものの
足は裸足のままだった。
私もパジャマにガウンをかけただけの姿だったが
とりあえず一室に人を通しておいた。

眼鏡をかけた大人しそうな色白の男は、
ファイルから資料を取り出してダンナと話をしていた。
ダンナに任せておいて、こちらは知らぬ顔で用事をしていると、
「こっちは終わったけれど、今度は君の番だ。」とダンナに呼ばれて、
先ほどのガウン姿のまま部屋に入る。

まず生年月日、出身地、名前が書き込まれる。
「父親の名前は?」という意外な質問に、
ダンナがすかさず「Y」と告げる。
姓と名の間に、父親の名前の頭文字が入るということ。

やがて質問は、問題のナショナリティー(民族)となった。
日本人という欄はもちろん存在しない。あるのは、「その他国籍」だけだ。
そこで、私たちは首をひねった。

「それなら・・・、いっそハンガリー人ということにしてください。」とダンナが言った。
目の前の眼鏡の男がどんな表情をするだろうと窺ったが、
顔色ひとつ変えず、「それでも構いませんよ。」と言う。
「他にも外国人で、ハンガリー人と名乗った人がいましたしね。」
聞くと、スペイン人であったという。

ナショナリティー(民族)は、国籍とは違う。
どこで生まれようが、その人が特定の文化、グループに属しているという
帰属意識が一番たいせつなのだ。
たとえば、ジプシー(ロマ)に関しての正確な数がつかめない理由もここにある。
いくら他人がジプシーと呼んでも、
彼がルーマニア人、ハンガリー人と名乗ればそれが記される。

調査員の男がこんなことを言った。
「私のいとこはアフリカに移住したのですが、
そこで結婚して子どもが生まれて、
やがてその子はルーマニアで医科大学に入りましたよ。
見た目は黒人のようなのに、
口を開くと、どこかの村から来たハンガリー人のように流暢でね。」

そして私に向かってこう言った。
「あなたは、ハンガリー語を話されますし、
子供さんにもハンガリー語の教育を受けさせているのだから、
そう答えておかしいはずがありません。」

「次に宗教は?」と聞かれて、さすがに苦笑した。
「仏教」と答えたら、それは怪しまれてしまうから、
仕方なく「プロテスタント教」ということになった。

こうして私は、ルーマニアの国勢調査によるとハンガリー人であるということになった。
ふつう国籍は選ぶことはできない。
ひとつしか選ぶことができない場合もある。
それでも人は、生まれながらにしても
後になってからでも、二つ以上の民族への帰属意識を持つことはできる。

そして統計の上で、
セーケイ人という数が消えてしまっても、
彼らの意識の中でまだ確実に生きているということも忘れてはならない。






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Theme:ルーマニア
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comments(2)|trackback(0)|文化、習慣|2011-10-30_03:26|page top

アニコーおばさんの庭

今年最後のうららかな夏日だったころ、
私たちはお姑さんの友人のアニコーおばさんの庭へと招待された。
町のはずれにある土地が彼女の所有地となったのは、数年前のこと。

社会主義時代に長く所有地が没収されて、
その土地が何十年の時を経て元の持ち主に返却されたのは、
体制崩壊からすでに10年以上経ってからだと聞いている。
その頃にはすでに畑を耕す人もいなくなり、
その土地をもてあます人も多いという。

幸い庭仕事好きのアニコーおばさんは、数年前から
花や野菜を植えるため庭造りをはじめ、小さな別荘まで建てた。
週末になると、アパートの立ち並ぶ住宅地を離れて、
自然の中で息をつく。
ここでそういう人は少なくない。

その日の夕方頃、
私とダンナは遅れて、家から歩いてその庭へと向かった。
アパート地区から一戸建ての地区へと変り、
そしてもう家ひとつ見られないようになった。
見渡す限りの原っぱ、すでに収穫を終えた畑が広々と見渡せた。

町のはずれの下水処理所の看板が見える。
「その割には臭わないね。」などと話していたその時、
予想していた臭いが鼻をついた。
そのはす向かいには、ちゃんと小屋が建っていて人が住んでいるようだ。
やがて、それがアニコーおばさんの土地であることが分かった。

入り口から、バラの咲き誇った跡、
さまざまな変った植物が出迎えてくれる。
やがて二階建てのログハウス風の家の前につき、
その裏手ではイムレおじさんが水をまいたり、
ラツィおじさんがお肉を焼いていたりしているのが見えた。

「小さいガキ坊主はあそこだよ。」とラツィおじさんがいつものように冗談まじりに言うと、
井戸のそばで水遊びをしているのが見えた。
アニコーおばさんとお姑さんは、
ちょうど羊毛を洗っているところだった。

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羊の毛が刈り取られると、それをきれいに水洗いし、
汚れを取ってから、きれいに櫛をかける。
それはやがて、暖かな布団の中綿となる。

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昔から、羊毛を入れた布団作りは女性の共同作業だった。
木の枠にとりつけ、上布と下布、そして中綿を合わせて、
一つに縫い合わせる。いわゆるキルティングである。
村によって、また女性によってさまざまな模様が縫い目で表現される。
このキルティングが、今では最も身近な女性の手仕事なのではないだろうか。

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暖かな布団は、村の富の象徴でもあった。
ベッドの上にはたくさんの布団が重ねられて、それから天井までとどくほど枕がのせられる。
それらは、機織され、時には丁寧に刺しゅうがされて、
枕カバー、ベッドカバーなどで煌びやかに美しく飾られていた。

布団の表に使われる布は、必ずシルクのような艶感のある素材。
この光沢こそが、うす暗い民家で暮らす農村の人たちにとって
永遠の憧れだったのだろう。

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社会主義時代に青年時代を過ごしたお姑さん世代は、ほとんどが村の出身である。
それが当時のプロパガンダによって、
たくさんの労働者が町へと移住するようになった。
村からたくさんの労働力が奪われ、
町で機械の歯車のように働かされた人たち。
農業離れの世代である。

やがで老年に近づき、土の匂いが恋しくなって、
小さな家庭菜園を作る人もいるが、
一度町で生活をはじめた人は農家には戻らないのが普通である。

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可愛らしい形のかぼちゃは、観賞用である。
大きなオレンジ色のかさをかぶったキノコのようだ。

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庭の花も、もう黒ずみ干からびてしまった。

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庭に大きく根を張ってのびるバラも、
かろうじて最後の美しさを湛えていた。
これから霜がくると、トランシルヴァニアには色彩が消えて、
雪と氷の世界が再びやってくる。

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オレンジ色の小粒の実は、よく市場でも売られている。
ビタミンCが豊富だそうで、シロップ漬けやハチミツ漬けにされる。
生野菜のまったく取れない冬では、こうしたビタミン源が重宝される。

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ラツィおじさんが焼いた肉やジャガイモに、
畑でとれたばかりの野菜をサラダにして夕食がはじまる。

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暮れゆく空を眺めながら、
秋は確実に消えていくのが感じられた。

Theme:ルーマニア
Genre:海外情報

comments(2)|trackback(0)|自然、動物|2011-10-25_15:37|page top

OSONO-トランシルヴァニアの劇団

日本語を教えている生徒からあるとき、演劇へ招待された。
それは、私たちの住む町シェプシセントジュルジにできた新しい劇団。
ファザカシュ・ミシの監督のもと、集まった少年少女たちが演じている。

タイトルは、「水がその顔を映し出すように」。
聖書からの一説を取ったものであると聞いた。
県立図書館の青い広間に小さなスタジオの観客席が作られ、黒い幕で覆われている。
目の前のステージでは、いすに腰をかけた若い少年少女たちが
時にシャンパンの入ったグラスをすすり、
役柄を演じながら時間をまっている。
暗い舞台の中に蛍光色に光るネオン、
うつろな若者たちの姿が不気味に映し出される。
こうして幕があけた。

めまぐるしく場面が移り変わる舞台には、
現在のルーマニアが抱える、
家族に関わるさまざまな社会問題が映し出されていた。
石を背負い、我が子として抱きかかえる女。
遊戯のなかに皮肉に囃し立てられた声。
人形であそぶ子どもたちは、みな寂しさを抱えている。

最後には、お父さん、お母さんの声が悲痛な合唱となって響く。
各言葉で書かれた「沈黙」のプラカードを席に置き、
演技者たちはそのまま音もなく去っていく。
そうして観客たちもそれに続いた。

演技をする者もほとんどが10代の少年少女だが、
観客のほとんども同じくらいの世代であった。
いすに腰掛けたまますすり泣く声も聞こえた。

資本主義に移行して20年が過ぎ、
EUに加盟して社会は、なおさまざまな困難に突き当たっている。
その中で精神的に取り残された何かがこの舞台の上で蔓延していた。
やがて幕が下りたとき、自分たちがどこに居るのかにはっと気づかされる。


(上演の製作風景)

この上演のフォトギャラリー

OSONOに関しては、面白いことに
宿無しのジプシー老人が暮らしていた
旧セントラルヒーティングの跡地を彼らが買い取り、スタジオを作る計画があるらしい。
2009年の冬に取材したエルヌーおじさんの映像が、
彼らのHPの中でも紹介されている。
あの場所で彼が生きていたことの小さな証として、
ひとりでも多くの人に伝えられるのは嬉しいことである。
私たちに人生を語ってくれたおじさんへの
小さな恩返しになったかもしれない。

orko 157

エルヌーおじさん人生を語る


シェプシセントジュルジの独立劇団
OSONOのHP
comments(0)|trackback(0)|アート|2011-10-23_14:43|page top

カロタセグ地方手芸の旅、2011/10(後)

村から村へと渡り歩いて、もう4日目だった。
カロタセグの村に最近移り住んだばかりの友人の家で、朝を迎える。
朝日が、ぶどうの大きな葉っぱを透かして入りこんできた。
週末は雨が予想されているものの、
まだ秋晴れの日がつづいている。

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庭のブドウを好きなだけもぎ取り、
一つ一つの違った味を楽しみながらゆっくりと朝食を取った。
これまで急ぎ足で、食事を楽しむゆとりもなかったのだが、
絞りたての牛乳と村で作られているチーズに舌鼓をうち、
庭で収穫したにんじんやビートをかじる。

出発は昼前になった。
その村へは交通手段がなく、道のない原っぱを歩いていくしかない。
見渡す限りの大地には、
収穫の後の乾いた色だけが延々とつづいていた。

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太陽は暖かかった。
歩いているうちに、上着やマフラーを脱いでゆく。
雨が二ヶ月降っていないせいで、茶色い大地は大きくひび割れて、
その中に足が吸い込まれてしまうのではないかと思うほどだ。

しばらく行くと、何もない原っぱの中に
ひとつ黄色く色づいた木が立っていた。
「クルミの木だ。」
そう言うとダンナとレベンテは木を大きく揺らし、その実を拾い集めている。
クルミの実をかち割り、口に入れるとほのかな甘みが漂った。

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学生時代にブダペストの郊外の村で、
いっしょにクルミを拾ったのをふと思い出した。
街路樹のクルミの木を揺らし、袋いっぱいにクルミを集めていたら、
近所のおじさんが出てきて、ひどい野次を飛ばしてなじったことがあった。
ここでは、誰がそんなことに構っていられるだろう。

丘をひとつ越えると、
向こう側に村が見下ろせた。もう目の前。
自然と足取りも軽く、みるみる家に家々が近くなってくる。

そのとき、大空に浮かぶ白い雲のように
羊の群れが丘を越えて渡っていくのが見えた。
白い猟犬がこちらにやってくる。
羊飼いもいるだろうから、
別段おそれてはいなかったが、心持急ぎ足で丘を下っていく。
ときどき、野ばらの茂みが体をこすり、
引っかき傷をつけるが気にしない。
すぐ近くで、大きな羊の塊がざわっと音をたてて、
あわてて逃げていく。
群れにはぐれてしまったのだろうか。
「走ってはだめだよ。」後ろで友人の声がする。

やがて私たちが村のふもとに下りてきたとき、
白い犬もあきらめたのか丘を降りずにしばらく見送った後、
また引き返していった。

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村はいつものようにひっそりと静まり返っていた。
今回無理をしてでも訪ねたかったのは、
80歳をすぎた図案描きのおばあさんがいるという話を聞いたからだ。

庭にひとり座って、豆をさやから出しているおばあさんがいた。
「カティおばあさんを探しているのですが・・。」
「私がそうよ。」という返事にびっくりする。

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体の小さなおばあさんの後ろについて、家の中に入る。
地下室のように、一段低くなっている入り口へ足を踏み入れると、
目の前に大きなかまどがあった。
かつてはおばあさんの料理を手伝い、湯気を出していたであろうかまども、
石のように冷たくだまったままだ。

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「私には子どもがいないのよ。」
おばあさんの身の回りを世話してくれる相続人も、
たまに顔を覗かせるだけだという。
村で生まれ育った、この世代の人はたくましい。
死ぬまで手から鍬をはなさず、
何をするにも人を頼ろうとしない。

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テーブルの上には、きれいに詰まれた手芸品があった。
「これは去年作ったものよ。
でももう今年はだめ。もう年だからね。
縫うことも、図案を描くこともできないわ。」
その縫い目は真っ直ぐではないけれど、
おばあさんの年に相応しい味わいがあった。

kalotaszeg201110 436

もう少し早くおばあさんを訪ねることができたら・・と悔やまれる。
棚の中には、大事にしていた刺しゅうの型紙が
青いインクをにじませて並んでいた。
「たくさんあったのだけど、若い人たちが持っていったわ。
もうどうせ、使うことはないしね。
ガラスの万年筆もどこかにあったのだけれど・・。」

型紙や図案を入れたビニール袋の中を探ると、
紙につつまれたガラスの筆がふたつ出てきた。
展示会のために貸してほしいと頼むと、快くひとつを譲ってくれた。
沢山の図案を描いてきたおばあさんの仕事道具は、私の宝物となった。

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「もしかしたら、また自分のために何か作るかもしれないわ。」
次に訪ねるときには、
おばあさんがその手を動かしていることを切に願った。

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アンナおばさんは教会のオルガン弾きでもあり、
図案職人でもある。
いつも陽気でやさしいおばさんは、
母親と同じ年ということもあって慕っている。
「あなたたちがもうすぐ来ると思って
家でもてなそうと思ったのに、足がこんなになってしまった。」
今にも泣き出しそうな顔をして、原因の分からぬ足の痛みを訴える。

日本からお土産の糸通し器を見せて
実演をしてみせるが、針の規格が違うのかなかなか穴に入らない。
やっと細い針を探して、その日本の発明品を見せると、
おばさんの顔がいつもの明るさでぱっと輝いた。

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村の人間関係が複雑であるのは、
通っているうちに少し分かるようになった。
人がどこへ行き何をしたかが筒抜けであるので、
来たついでにもうひとりと訪ねずにはいられない。

エルジおばあさんが門の前で手仕事を広げて、針を動かしている。
昔はどこの村でも見られる風景だったのが、
もう今では珍しいこととなってしまった。
声をかけるのも憚れるほど、その美しい眺めに見入ってしまった。

kalotaszeg201110 525

お隣のおばさんをわざわざ呼びに行ってくれる。
とりわけ刺しゅうの上手い隣のおばさんは、一度
何かの誤解で傷ついたことがあったので、
お土産に刺しゅうの品を買おうと思ったからだ。

おばさんはやってくると、頬にキスをして出迎えた。
夏の間に作り上げた作品をすみずみまで見て、
手持ちが少ないので二つだけ選び支払いをしようとすると、
突然手のひらを返したように、「値上げをした」といい始めた。
それでひとつを戻して、言葉少なに別れを告げた。

外国人である私には、他所よりも高く売っているという話は聞いていた。
その手芸に対する技術を高く評価していたので、
それでも構わないと思っていた。
何度足繁く通っても、心の通う人と通わない人がいるという
当たり前のことを目の前に突きつけられたような気がした。

私たちは、またもとの道を引き返した。
枯れ草は雨を欲しているように、高くその手を空に広げていた。
その時も近いようだ。
山の向こうの空気は白く濃くにごり、
天気予報が告げていたように今夜から天気は大幅に崩れるのだろう。

kalotaszeg201110 532

乾いた色をした丘をくだり、
日の暮れるまでに市に向かうべく家路へ急いだ。

kalotaszeg201110 536

Theme:ルーマニア
Genre:海外情報

comments(9)|trackback(0)|カロタセグ地方の村|2011-10-16_00:04|page top

カロタセグ地方手芸の旅、2011/10(中)

夜遅くの訪問者を、カタリンおばさんは温かく迎えてくれた。
軽い夕食をとったあと、離れの民家に案内される。
その日いちにち歩き疲れた体を、あたたかなベッドがやさしく包んでくれた。

カロタセグ地方は、
19世紀はじめにフォークアートの研究で一躍注目を集めたあと、
何人もの女性たちの手でその文化が守られてきた。
ジャルマティ婦人は、「カロタセグの偉大な夫人」と讃えられる人物で、
国内外のさまざまな博覧会に運び、カロタセグの手芸を有名にした。
その後もその意思をうけついで収集、紹介などをした女性たちがいたが、
このシンコー・カタリンもその中のひとりである。

イーラーショシュという刺しゅうの収集を1972年にはじめ、
80年にはトランシルヴァニアのクリテリオン社から大きな図案集を刊行した。
今でも村でイーラーショシュの刺しゅうの図案を描き、
刺しゅうをして暮らしている。

「イール」、つまり描くことが語源となっているこの刺しゅうは、
図案を描くことが一番たいせつとなる。
刺しゅうの幅が太いのに、
図案集には一本の線で描かれていることを指摘した。

すると、彼女は大きくため息をつきこう言う。
「それが肝心なのよ。
一本線であることで、作り手に自由が与えられる。
それが、作り手の創作性(クリエイティビティ)を生み出すのだから。
その線がもし二本線だったら、同じものしかできないでしょう。
手芸は、工業生産じゃない。
その自由がなかったら、それはもはや農村手芸ではないわ。」

その言葉は強かった。
彼女が何十年もかかって向かい合ってきた、
農村の手芸が何たるものであるのかが重くのしかかる。

それに対して、日本ではどうだろう。
同じものをそっくりに書き写したようなものを皆が作りたがるし、
そうあるべきだと思っている。

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「昔、この村にいた牧師さんがこんな風にお説教したわ。
『あなたたちは、自分たちが衣装を保存しているから伝統を守っていると思っているが、
本当は衣装があなたたちを守っているのだ。』ってね。」

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村では一部の人たちの手によって大切に衣装や手芸品が守られているが、
一部の人たちはすでにそういったものを手放してしまっている。
古いものは手芸品はお金になる。
中には、そういう価値しか見ない人もいる。

哀しいことに簡単にそれを手放すのは、
その手芸にどれだけ手間隙がかかったかを知らない、
その作り手の子どもたちや孫たちなのだ。

そして一度手放してしまった遺産は、もう帰ってはこない。
同じものを作れる人はいないし、材料だって手に入らないのだ。

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カタリンおばさんは、言う。
「この村のルーマニア人は、むかし彼ら独自の衣装を持っていたんだけど、
それからハンガリー人の衣装や手芸をすべて取り入れてしまった。
その後、ルーマニア人の衣装を統一する動きがおこってから、
どこにでも見られる、黒い袖の刺しゅうと黒いエプロンのものに変わったの。」

村のとあえるルーマニア人のおばあさんが、
見事なイーラーショシュの枕カバーが積み上げられた飾りベッドを見せてくれた。

一つの文化の担い手が、
必ずしもひとつの民族というわけではない。
彼らがルーマニア語を話し、時にハンガリー語をも話すように、
いくつもの文化を同時に持つことだってできる。
その混ざり合いこそが、何百年もかかって
トランシルヴァニアの文化を美しく独自のものにしてきた。

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日の傾く前に、隣村を目指して歩く。
干からびた原っぱには、
たくさんのうす紫色の花がけなげに咲いていた。
秋を告げる花がささやかな色を大地に投げかける。

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手の平くらいの大きさの巨大な花。
すでに花びらは散っていた。
がくは銀色にかがやき、
クリーム色のやわらかな綿毛を秋風になびかせている。

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とんがり屋根の教会が丘に望んでいる。
いつもひっそりとしているのが、
今日はお葬式ということもあり物静かだった。

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ブジおばあさんの家につくと、すでにお葬式から戻っていた。
「この前、ハンガリーのデブレツェンから観光客が着てね。
牧師婦人の紹介で、家にやってきたわ。
みんな私がどうやって図案を描くのか感心してみていたわ。」
80を過ぎても驚くほど頭の回転のはやいおばあさん。

冷蔵庫の電源が切れているというので、
ダンナが電源などを調べていると、
家全体の電気がついていないことが分かった。
「停電・・。」
ブジおばあさんと顔を見合わせた。
もう外も暗くなってきたようだ。

「そうだ、私のいとこが村で家を建てたのだけど、
そこで懐中電灯が借りられるかもしれない。」
70歳を過ぎたおばあさんはひとり暮らしで身よりもなく、
納屋を改造させた家を故郷に作ったばかりであるという。

薄暗い道を、ブジおばあさんの手をとりながら
坂をおり、またのぼって歩いていく。

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真っ暗な道をすすみ、その家の庭につくとブジおばあさんが声を張り上げる。
すると家の戸がひらき、小柄なひとりの女性が出てきた。
手には懐中電灯をもっている。
「さあ、どうぞ。」と家の中へと案内した。

私たちは暗い部屋のテーブルのそばに腰をかけた。
テーブルの上に小さなお皿を置き、
ろうそくを二本つけた。
ぼんやりとした光りが、おぼろげに
古い調度品で飾られた部屋の様子をうつしだした。

「ほら、私が話したでしょう。
あの中国人の女の子よ。ハンガリー語も話すのよ。」
ブジおばあさんは、私を紹介すると、
向かいのやせたおばあさんが興味深々で私の顔をのぞきこむ。

相手の顔も表情も分からないほどの暗さで、
人と対面し話すというのは面白いものだ。
耳の感覚は敏感に研ぎ澄まされ、
その声がいつもより近く感じられる。

「私の部屋を案内するわ。」
おばさんはそういって小さな体を起こすと、
頼りなげな懐中電灯の光りで、その家の部屋をひとつずつ映し出す。
彼女の母親の作ったイーラーショシュのタペストリーやクロスが、
その暗いなかで色濃く印象に残った。

残念ながら、懐中電灯はひとつだけしかない。
ブジおばあさんはひとり暮らしのおばあさんにそれを残し、
さらに暗い闇で包まれた道を引き返した。
真ん中にブジおばあさん。
その両腕を、私とダンナがそれぞれに抱える。

「まあ、なんて月が明るいのかしら。」おばあさんは声を大きくした。
白々とした光りを投げかける月の下、
昔のように、家々では小さな明かりを囲んで家族がひとつになって、
おしゃべりをしているのかもしれない。
ぼんやりとした赤い光りが窓に映るたびにそう思った。

おばあさんの体のぬくもりが、腕を通して伝わってくる。
暗い夜道も、まったく不安はなかった。
昔の人々がそうしたように、
月の明るさに感謝をささげながら家路についた。



comments(4)|trackback(1)|カロタセグ地方の村|2011-10-15_21:49|page top

カロタセグ地方手芸の旅、2011/10

昨夜のジプシーパーティの興奮も冷めやらぬまま、
私たちは夜行列車に乗った。
行き先は、クルージナポカ。

ルーマニアの列車は、
ここ数年の間に新旧さまざまなタイプのものが行きかうようになった。
やってきたのは、ボタン式で開閉ができる比較的あたらしいもの。
中は、コンパートメントに区切られた部分と
ローカル列車のように、ひとつの空間に座席が並んでいるものとがある。

切符に指定された席を探すと、すでに誰かが横たわっていた。
私たちが近づくと、席を退いてどこかへ消えてしまった。
白い蛍光灯のひかりが、肩を抱いてうたたねをする親子や、
長い足をよこに投げ出したまま動かない男たちをぼんやりと映し出す。

入ってきたときから、むっと臭ってくる何かが
私の嗅覚をたえず刺激する。トイレが故障したのだろうか。
しばらく横になってはみたものの、とてもこんなところでは眠れそうにない。

少し行ったところのコンパートメントをのぞき見ると、
幸運にも人ひとりいない場所があった。
しっかりと扉をしめると、臭いもそれほど気にならない。
座席に体を長く伸ばして横たわり、どのくらい時間がたったのだろう。
ふと気がつくと、車窓の外は白々と夜が明けていた。

「マロシュ川があそこに流れている。」とダンナの指すほうを見ると、
枯れた草原の上を、濃い霧がときに雲のように固まり、
ときに淡くただよいながらどこまでも続いている。
むかし盆地の町クルージに暮らしていた頃、
毎朝、ふかい霧の中をバスで大学に通っていたことが思い出される。

kalotaszeg201110 028

やがて中継地点のデージに着いた。
ルーマニアの万国旗がひらめく町並みは、
ここクルージ周辺の町によく見られる風景である。
少数民族として暮らすものに対しては、大きな威圧感を与える。

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町の広場には、ハンガリー人のプロテスタント教会が
天を突きさすようにして立っていた。

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ゴシック様式の教会に、古い石造りの壁は、
彼らが歴史の中に大きな存在をもって暮らしてきたことをしっかりと裏付けているようだ。

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朝の散歩をした後、ゆっくりと駅へと戻る。
もう日は高く昇っていた。

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クルージ・ナポカは、中世からずっとトランシルヴァニア地方の大きな中心地だった。
トランシルヴァニアの経済、学術の機関、たくさんの人がここに集まっている。
ここでローカル列車に乗り継いで、さらに目的地へと向かう。

ちいさな無人駅に下り立つと、風花のむこうに
吸いこまれるほどの真っ青な空が広がっていた。
もう昼はとうに過ぎている。

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私たちの背丈よりずっと高く、
黄色い秋の花が大きく背伸びをして立っていた。

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初夏におばあさんを訪ねたら、
何かの拍子に倒れて顔にあざをつくっていた。
それ以来、おばあさんが元気だろうかと気にかかるようになった。
耳の遠いおばあさんには電話がないため、
いつも突然に訪ねるのが決まりとなっていた。

ビニールカーテンの隙間から、
おばあさんがうつむき、何か手仕事をしている姿が見えた。
「カティおばあさん!」と声を上げて、部屋に入る。

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「まあまあ、秋風が運んできたのかしら?」と
やりかけの手仕事をテーブルにそっと置き、腰を上げる。
「ちょうど市が近いから、
あなたたちのことを考えていたのよ。
もうトウモロコシの収穫を終えて、ほっと一息ついていたところよ。」
80歳を過ぎても、働く手を休めない。

展示会の葉書を手渡すと、
「まあ、こんなところにちゃんと私が記録されているわ。」と笑顔がうかんだ。

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秋の青空のような色をした、おばあさんの部屋。
キッチンと寝室と居間がひとつになったその空間で、
おばあさんはひとりで全てをこなしている。

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その柔らかな手で針をにぎり、
小さな小さなビーズの目をすくい留めていく。
ゆっくりとしたおばあさんの指の動きに、
丁寧な物づくりというものが何であるかが痛々しいまでに伝わってくる。

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針を入れて、そしてすばやく引く。
針を動かすその動作は、
同じことの繰り返しであるだけに神秘的な美しさを伴う。
その動きそのものが、おばさんの呼吸であり、脈であり、
あたかも生きていることそのものであるかのように。

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私たちは次の列車で、また旅をした。
実は夜行列車の中から、すでに体全体がけだるく、
風邪がぶり返したような心持がしていたのだ。
これから5日間も持つだろうか。
さらには、週末には悪天候が予想されている。

町の中でふらりとレストランへ寄った。
あたたかいスープを飲んだら、ふたたび体に力がわいてきた。
外でヒッチハイクをして、どれくらい経っただろうか。
若い男が車に乗るようにと促す。
車で村をいくつか過ぎ、そこからは歩いて村へと向かう。

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町のはずれまで来たとき、最後の家の主が声をかけた。
「そこから先は、羊の番犬がいるから行かないほうがいいぞ。」
どうしたらいいだろう?
番犬に備えるべく、棒を手にたずさえて行こうとしたとき、
後ろから車がやってきた。

車が止まる。
後部座席には花輪が乗っていた。
明日、村で葬式があるとのことだった。
なじみのおばあさんの家に着くと、
おばあさんは私たちの姿を見て驚き、そして言った。
「今夜は、知り合いのお通夜なのよ。
その人の息子の洗礼親になったからね。どうしても抜けられなくて・・。」

私たちは顔を見合わせ、こういった。
「では、また明日帰ってきます。」
さらに隣村まで歩かなくてはならない。
もう日は沈みかけていた。

プリンをひっくり返したような丘が広がり、
道なりには野ばらの実が赤く色づいている。
隣村の知人に電話をかけると、ぶっきら棒だけれど温かいおばさんの声が響いた。
「今どこにいるの?安心してうちに着なさい。」
ほっと安堵して、2kmの道のりも
夕暮れ時の散歩のように気安く感じられた。

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村につくと、もう空は西のかなたに沈み、
真っ赤な太陽の名残だけが空に色づいていた。

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comments(2)|trackback(0)|カロタセグ地方の村|2011-10-13_00:25|page top

旅のはじまりはジプシーパーティ

数日間の旅にそなえて荷造りをしていたとき、
携帯電話が鳴った。

「私よ、ユディット。
今夜、博物館でジプシーの写真展のオープニングがあって、
学校の子どもたちが出るのだけれど、よかったら見に来ない?」
彼女は町のジプシー居住区、
ウルクーでハンガリー語教師をしている。

私たちは旅のしたくもそのままに、
6時すぎに家を出た。
会場は、去年私たちが主催したアーラパタクの刺しゅう展示会を開いたところ。
セーケイ博物館の寛容の間。

会場にはあふれんばかりの人々。
写真を見て周ることもできないくらいだった。
見慣れぬ顔ぶれが多いのは、ほとんどが外国人のようだ。
その写真展はオーストリアのカリタス、
キリスト教の福祉団体が主催するものだったから頷ける。
中には、地元の新聞社の記者たち、
それにウルクーのジプシーの人たちの姿も見られる。

やがて厳かにオープニングがはじまった。
長い間、カリタス関係者によるドイツ語や英語が飛び交ったため、
退屈したジプシーの代表者が挨拶に現れないハプニングもあった。

その窮屈な空気をかち割るかのように、
子どもたちの歌声が響いた。
くるくるダンスをしながら、会場に入るジプシーの子どもたち。
少年たちは黒いベストにズボン、腰にスカーフを巻いている。
少女たちは色鮮やかなプリーツスカートをひらめかせて。
彼らのダンスショウが華々しくはじまった。

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目にもとまらぬ軽快なステップを踏み、
指からは音がはじける。
小さな体からほどばしる情熱的な動作に
私たちの目はしばし釘付けになり、
体が思わず動き出すような愉快な心地でいっぱいになる。

やがて音楽と動きが止まると、
会場には割れんばかりの拍手と喝采がひびきわたった。
先ほどの堅苦しさは吹っ飛び、
いつしか彼らのダンスパーティに誘われた人と化していた。

オープニングが終わると、
隣の部屋ではテーブルいっぱいにご馳走が並び、
目を見張るようなパーティ会場となっていた。
町のハンガリー人の音楽家たちが民謡を奏でている。
あたかも魔法使いが棒をふって、目の前に広げたようだった。

紙のお皿を手にしているのは、知り合いのエンマおばさん。
「ねえ、私踊りたくて仕方ないんだけど、
踊っても大丈夫かしら?お願いだから、誰かに聞いてきてくれない?」
ダンナが博物館の知り合いに話をしに行っている間には、
もう食べ物飲み物で興が高まったのか、
楽団の前で踊りがはじまっていた。

エンマおばさんも負けじと、ショルダーバッグを私の肩にかけ、
黄色いスカーフをおろして、「行ってくるわ。」と踊りの仲間入りをする。
美味しい食べ物を食べ、美しい音楽を聴いて、
じっとしてはいられないというように。
オーストリア人も何人かが長い手足を振り回して踊るものの、
やはり伝統の土地で培われたジプシーのダンスの美しさには敵わない。

こうして何曲もの歌や踊りが入れ替わったあと、
体格のがっしりしたジプシーの男が、
ヴァイオリン弾きに語りかけるように歌をうたいはじめた。
よく通る美しい声を伴奏に、
今度はウルクーでも名だたる踊り手が体を揺らしはじめた。
チャパーシュといわれる手で叩くリズムが、
音楽となって一体化していく。

セーケイ訛りのハンガリー語を母語とし、
セーケイの歌や踊りの文化を受け継ぐ彼らは、
セーケイの魂をもつジプシーなのではないだろうか。
いつまでも鳴り止まぬヴァイオリンの音色とジプシーの歌声、
そしてダンスのリズムがいつまでも瞼にこびりついたまま、
私たちは夜の町を歩いていった。

その日の夜行列車に乗って、
今度はトランシルヴァニアの西へと旅立った。



ウルクーのジプシーの小学生たちによる歌とダンスのコレオグラフィー


ウルクーの音楽家フェリによるセーケイの民謡とダンス

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comments(6)|trackback(0)|ジプシー文化|2011-10-10_17:10|page top

ドボイ村の秋の日

今年の秋は気味が悪いほどに晴天がつづく。
ふだんは森や野原で秋のキノコが顔を出しているのに、
もう二ヶ月以上雨が降らないので、
枯れ果てた草や干からびた土がむなしく広がっているばかりである。

私たちが久しぶりにドボイ村を訪れたのも、
そんな秋晴れの日だった。
ラツィおじさんのポンコツ車が、
村の中の急な坂道を上りつめていくと家の前で止まった。
いつもならUターンをして空き地に車を止めるのに・・・と不思議がっていると、
一気に家の庭にむけて突っ込んだ。
いつの間にか、家と道路をむすぶコンクリートの橋ができていたのだ。

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私たちの家は相変わらず、丸太がむき出しになっているものの、
向かい側に見慣れぬ小屋が建っていた。
今ちょうど屋根を作っているところの丸太小屋は、倉庫になるらしい。
これがこの夏の仕事の成果のようだ。

「上へ登ってごらん。」そうダンナに言われて、
はしごをつたって這い上がる。
まだ板を乱暴にならべただけで、足場は心もとないことこの上ない。
いすを手渡され、その板の上において腰を下ろす。
息子がそれを見て、そろそろと登ってきた。

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丘陵に面した村の、一番上の方にある土地なので、
眺めは格別にすばらしい。
お隣さんの庭ごしに、遠くの村を望むことができる。

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丸太は、隣村の古い家を解体した木材を使っている。
そのために、所どころ切込みが入っていたり、歪んでいたりする。

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その日の仕事は、クルミを採ること。
庭の真ん中に大きなクルミの木が生えている。
落ち葉の合間に、木材の隙間に
その硬い殻につつまれたクルミが落ちている。
木陰には、深い紫色をしたイヌサフランの花が凛と立っていた。

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クルミを採るというのは、意外と大変な作業であることが分かった。
落ちたのを拾うのは簡単だが、
時には落とさないといけないこともある。
はじめはダンナが木によじ登り、ふるい落とした。
ザワッと大雨のような音がはじけて、
大きなクルミの弾丸が矢のように降ってきた。
その一つが息子の頭に命中したので、しくしくと泣きだした。

クルミの枝は折れやすい。
いつか村の男性がひとり落ちて死んだという話も聞いたことがある。
できるなら、他の手段を考えたほうがいい。
3m以上はある長い棒を手に、
ダンナが振り回すと、クルミが辺りに飛び散った。

どうしてそこまでしてクルミを採らないといけないかというと、
村に競争相手がいるからなのだ。
その相手は、音もなく忍び寄ってきては、
クルミの木に事もなくよじ登り、クルミをちぎっては家へと運びこんでしまう。
森のリスである。

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秋は恵みの季節。
この土地では、リンゴやクルミ、プルーンの木が植えてあり、
水一つやらず、肥料一つやらないのに、
自分たちの力で花を咲かせ、実をいっぱいにつける。
その恵みを頂くことが生きていくこと。
今年も、その豊かな自然の恵みに心から感謝した。

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家には、電気もガスも水道もない。
昼時になると、庭の一角に薪をくべて火をおこす。
金網でナスとパプリカを焼く。

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真っ黒にこげた皮をていねいにナイフでそぎ落とし、
パプリカは甘酢漬け用にとっておき、
そしてナスは叩いてなめらかになるまでつぶす。

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タマネギのみじん切りを加え、オリーブオイルを入れて
ボールでかき混ぜる。
塩コショウを振って、ナスのペーストの出来上がり。

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昼食がすむと、向かいの家から
杖をついたおばあさんが出てきた。私たちの家の前の持ち主。
急いで出て行き、挨拶をしたのに忘れてしまったのか、
そっけない返事をしてあちらを向いてしまった。

ようやく家の庭にまで来てから、わかったようだ。
おばあさんは耳が悪い。目も悪い。
そのため、よくおしゃべりをする。
息子が羊の猟犬たちに襲われ、
その苦痛に耐えきれずに命を絶ってしまったという悲しい話を
何度も話して聞かせる。

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夕方になると、村は急に活気づく。
ひと仕事終えた人たちは、
手持ち無沙汰で門を出てはあちこちで立ち話をはじめる。
ご近所さんたちと話していると、そばに見慣れぬひとりの少女がいた。
外国人ははじめてなのか、穴があくほどよく見られているのを感じる。
そのうちに、彼女は息子に目を向けて
いつしか一緒に遊びはじめた。

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村の子どもたちはどこか町の子どもとは違う。
人に対する好奇心がとりわけ強くて、
容易に話しかけてくるわけではないが、
一度心をひらくと昔からの知り合いのように人懐こくなる。

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息子は近所の子どもたちとサッカーをはじめ、
眺めていた私もいつしか子どもたちの輪に入って、
かくれんぼなどを始めていた。
やがて、日も暮れていく。

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その日一日の収穫物であった、クルミは家の中に入れておく。
今はシャリシャリで水分が多く味気ないクルミが、
乾燥して次第に甘みを帯びてまろやかな味になる。

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食べること、働くこと。
すべてがただ淡々と流れていく、村の暮らし。
その新鮮な空気を腹いっぱいに吸い、
時に体を動かして、時に人と語らう内に、
いかに自分が空腹であるかが分かる。

村に行くとお腹がすく。
そして食べ物が美味しいといわれる。
人間がありのままに、当たり前のことをしながら
毎日が過ぎていく。
食べることは大切だと、村の生活は教えてくれる。

Theme:ルーマニア
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comments(6)|trackback(0)|村に家を建てる|2011-10-03_05:53|page top