トランシルヴァニアへの扉 - Erdely kapuja-

古きよきヨーロッパの面影を残す、トランシルヴァニアへの扉をそっと開いてみませんか?

::自己紹介::

谷崎 聖子

Author:谷崎 聖子
1978年宮﨑生まれ。
大阪外大、ハンガリー語学科卒業。
ブダペスト大学で民俗学を専攻。
ルーマニア、トランシルヴァニア地方のフォークロアに惹かれて、セーケイ地方に移住、結婚。
三人の子育て中。

伝統手芸研究家。
トランシルヴァニアの文化、手しごとを広める活動をしています。主な著書「トランシルヴァニアの伝統刺繍 イーラーショシュ」、「カロタセグのきらめく伝統刺繍」。

東欧雑貨ICIRI PICIRIFOLK ART Transylvaniaのオーナー。

詳しくは、森の彼方-トランシルヴァニアへの扉をご覧ください。

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ブログ翻訳

禹州の洞窟と雨の神屋鎮

朝めざめて外に出ると、風の強い日だった。
その風の強さ冷たさは、中国内陸の独特のものかもしれない。
遠く西域の黄砂もいっしょに飛んできているのだろう。

河南省、有名な観光地といえば少林寺くらいだろうか。
それでも、中原という言葉を聞けば
何か鳥肌のたつような響きを覚える人もいるかもしれない。
黄河という、東洋文明の礎を築いた大河の南に広がる地方である。

あまりの風の強さに行き先を変更して、
長距離バスに乗った。
かつての黄河は今のような濁色ではなく、
清く澄んでいたといわれる。
今では荒々しい岩肌がまるで要塞のように突き出し、
ぽっかりと洞窟のような穴が無数に開いている。
物置なのだろうか、住居なのだろうか。
先ほどまでいた高層ビルだらけの町とは、
似ても似つかぬような風景を唖然として眺めていた。

黄河の支流の潁川が流れる禹州は、
中国規模でいえば小さな町。
古代の禹王が夏という国をこの地に作ったという伝説がある。
その河川敷にある、道教の神々が祭られる洞窟へと向かった。

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五色の旗が風に吹かれ、はためいている。
石造りの壁にその聖人たちの名前が刻まれているのだが、
目当ての洞窟だけは固く閉じられたままだった。
仕方なく隣の洞窟の中へ入ることにした。

薄暗い洞窟の中。
参拝客がひとり、3本の長い線香を捧げると
床の枕の上に頭をつけるようにして深々とお辞儀をする。
正面にはピカピカのペンキで色づけされた、
安い玩具のような髭の豊かな男の像がある。

隣にある張良洞のことを聞くと、
私のノートに漢字が書き込まれる。
その洞窟の番人がまだ来ていないらしい。

鮮やかな緑のスカーフをかぶった小さなおばあさんが、
大きな袋の中から饅頭(マントウ)をひとつ取り出して
私の手にのせた。
それから線香台をのせたテーブルに、
お湯をいっぱいに注いだ茶碗と漬物の小皿を置いてくれる。

うす暗い洞窟に、ろうそくの光だけがほのかに
辺りを照らし出す。
聖なる空間に、白湯の湯気がやわらかに立ち昇っていく。
固く冷えた饅頭と辛い漬物を噛みしめ、
あたたかな湯が喉をうるおしてくれる。
白湯を飲む習慣は茶よりも長く、
老子が孔子をもてなした時も同じものを飲んでいたと読んだことがある。
道教の聖人たちに、この幸運を感謝した。

yuzhou 054

おばあちゃんに何かお礼がしたくて、
写真を撮って送ることを思いついた。
わずかな中国語の知識を振り絞って、
私のあらゆることを伝え、おばあさんの住所を聞いてみる。
ノートとペンを渡すと、おばあさんはずいぶん長いこと考えながら書いている。
なんとか、趙という字が判読できた。
「・・・ソン。」趙おばあちゃんが言う。
「ああ、村のことね。」私が横に文字を書くと、うなづいた。

文字を書きなれない趙おばあちゃんが、
「いい人がいるから、ちょっと来て。」と私を促して外に出る。
階段をのぼり、石造りの小さな小屋の中に入ると、
机に腰掛けて、硯と筆で名簿のようなものに文字を書く老人がいた。
白髪で眼鏡をかけたおじいさんは先生のようで、
趙おばあちゃんの名前と住所を達筆な漢字で書き写した。

いろいろな質問の書かれた漢字で紙面が埋め尽くされていく。
筆談とわずかな中国語の知識だけで会話が成り立つのにも驚かされる。
ふと張良の文字に気がついた。
部屋の中に立っている、派手な服を着せられた金ぴかの像がそれであると分かる。
この敷地内にはさまざまな聖人が祭られているが、
古そうな建物の中に真新しい毛沢東の像を見たときには驚いた。

先に持ち場の洞窟に戻っていた趙おばあちゃんは、
私を見ると、「寒かったでしょう。」と声をかけ、
風にさらされて冷たくなった手をやわらかい両手で包んでくれた。

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隣から誰ががやってきて、
「張良洞が見られるよ。」と声をかける。
小さな洞穴に、思ったとおりに真新しいペンキの像が立っている。
古くから信仰されてきた像はおそらく、
同じものではないのだろう。
それでも、同じ場所で人々が今も信仰つづけていることだけは事実である。

趙おばあちゃんが3本線香を渡してくれた。
私も1元札を手渡した。
先ほど見たように、足元の枕に頭をつけるようにしてお辞儀をする。
すかさず、おばあちゃんが「隣の人にもね。」と忠告する。
しばらくして、それが隣に置かれた観音さまの絵のことであることが分かった。
そちらの方にも頭を下げた。

歴史的に価値のあるものかどうかは分からない。
それでも禹州の洞窟は、旅の中で特別なものとなった。

yuzhou 061



中国の町は、予想をはるかに超えて大きい。
これまでも一日に一箇所を訪ねるので精一杯だった。
洞窟のある禹州市を離れて、小さな乗り合いバスで神屋鎮という小さな町に向かった。
小さなバスが町に近づくにつれて、
通りに陶器の壷やお皿などを並べる店が多くなる。
バスが最終地につくころには、雨が降りはじめた。

観光の本を一冊も持たない私の旅で、
この町は中国語のブログで偶然にも見つけたものだった。
中国には古鎮と呼ばれる、
古い趣をのこす町がいくつか残っているという。
有名なものは江南の水郷に多いようだが、河南省にある数少ない古鎮が神屋鎮である。

町中が陶器市になったような神屋鎮。
インターネットで見た風景には、なかなかたどり着けない。
雨の中、大通りをひたすら歩くうちに、
下へとつづく小さな通りに何か心引かれるものを感じた。
路地を下って行きついた先に、石畳の風景が現れた。

yuzhou 090

中国にきて、ここは石の文化であると思った。
森林資源の豊かな日本に比べると、驚くほど木造の住宅が少ない。
神屋鎮の通りで目にするのも、
石やレンガ、陶器で敷き詰められた壁だった。

yuzhou 114

通りの終わりには、共産党の星マークのついた廃墟のようなものがあった。

yuzhou 102

歴史的な古い建造物などはすべて取り壊されていると思っていたが、
この通りには清代の民家が陶芸の文化とともに今なお残っている。
また立派な廟も見られる。

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雨に濡れた石畳を歩いていると、
昔の城郭の名残のような門を見つけた。

yuzhou 153

長い伝統と他民族の攻防の歴史をもつ中国。
古代の歴史の名残は土の下にしか見つからないといわれているが、
地上にも1000年以上の歴史が地層のように重なり合い、
絡まりあって存在しているのに違いない。
これからどんな風に変わっていくのか、
興味のつきない国である。

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comments(0)|trackback(0)|中国ひとり旅|2012-04-20_21:41|page top

徐州の二胡弾き

江南の水田の風景を、高速列車が北上をしていく。
だだっ広い見渡す限りが平面の風景は、
日本よりもむしろヨーロッパのそれに近いのだろうか。
枝ばかりのか細い木々が、一定のリズムで目の前を流れていく。
すると突然、乳白色の霧の中に信じられない光景が浮かび上がった。
上から下まで真っ白い衣装に身をつつんだ人が3人ほど
盛り上がった土の墳墓のまわりを回って歩いていた。
それはほんの一瞬だったけれど、
夢から目覚めたあとのようにぼんやりとした心地のまま、
写真で切り取ったようにはっきりとした残像がいつまでも目の奥から消えなかった。


徐州という町は、蘇州と同じく江蘇省に位置する。
古くは彭城(ほうじょう)と呼ばれる。
秦の始皇帝によって統一された中国初の帝国が10数年で滅びた後に、
楚(そ)の国の首都とされた町である。
項羽と劉邦の戦いとして有名な楚漢戦争の、重要な場所でもある。
歴史の旅の幕開けとして、この徐州を経由することにした。

漢王朝時代にも楚国として発展していたため、
皇族の墳墓もこの付近には多数見られるという。
町について、駅前でふらふらとホテルを物色して
ようやく部屋に落ち着いたあと、
町のはずれにある亀山漢墓を目指した。

墓の中に入ることができる、
石を積みあげた大きな洞窟の中に探険家のような気分で足を踏み入れる。
墓室の中に立ち昇る無数の削り模様は、
はじめ鍾乳洞のような年月の風化によるものだと思っていたが、
その模様が人為のものであることを知ったとき、
魂の安住を願う古代人の想いが痛々しいまでに感じられた。


バスの停留所へ向かったとき、
いすに腰かけて楽器を弾いている人の姿を見かけた。
あわただしく行きかうバスや車の騒音、
乗り降りする人の雑踏でともするとかき消されそうな音色と歌声に、
どこか心が惹かれた。
かばんからそっと小型ビデオを取り出して、撮影をはじめる。
目まぐるしく移り変わる町の風景とは一線を画する、
音楽によって生みだされたひとつの空間がそこにあった。

歯切れのよい独特の節に魂から搾り出すような声、
そして哀愁ただよう二胡の音階が重なり合う。
ビデオを構えていると、隣に立っていた中国人男性が身振りで
「撮っていると、お金をたかられるよ。」というようなことを合図する。
あわてて電源を切った。

バスがやってきたがどこか後ろ髪ひかれる思いで、
ずっとその場で演奏を聴いていた。
突然ぷつりと糸が切れたようにその手をとめると、
男は立ち上がって、のそのそと道路の方へ歩いていってしまう。
道路の真ん中で用を足した後、
またこちらに戻ってきた。
杖で段差をたしかめながら、慎重に歩く姿を見て
彼が盲目であることを確信した。
段差を注意深く、杖の先で確かめてから
やっとのことで元のいすに腰をかける。

手探りでいすの下にある荷物をたぐり寄せたので、
もう帰り支度をはじめたと早とちりをしてしまった。
近くに寄って慣れない言葉で、思わずこう話しかけていた。
「演奏 シテクダサイ。
5元、ハライマス。」
私の中国語が通じなかったのかどうなのか、
しばらく無言でパイプをくゆらせたあと、
古い木の板のようなものを
その強靭とは言いがたい足にひもで結びつけはじめた。
すぐに、それが楽器であることに気がついた。

男はパイプをふかしながら、
二胡の弦をゆっくりと弾きはじめた。
足に結んだ木の板が左足の動きにあわせてかち合い、
二胡の演奏に軽やかな拍子をつける。

zhenzhou 329

通行人たちは一見無関心のようで
次々と二胡弾きの男の前に小銭を落としていく。
演奏に心を動かされたのか、それとも身なりの貧しそうな男を哀れんだのだろうか。
アルミ銭が高く鳴り響くたびに、
男は歌の合間をみては「謝謝。」と小声でつぶやく。

今では中国を代表する民族楽器で高級な楽器である二胡だが、
もともとは農村に生きる貧しい人たちが演奏した楽器だったと聞く。
盲目の男の鳴らす二胡の音色と、
何かの物語を聞かせるような調子の唄を聴いているうちに、
その楽器の原点を見たような気がした。

zhenzhou 325

財布からお札を一枚取り出し、
小銭でいっぱいの箱の中に置いた。
盲目の男は、終わりのない物語を語る琵琶師のように
同じメロディーをいつまでも歌いつづけていた。
バスを待つのはやめにして、駅前のホテルへと足を向けた。






comments(3)|trackback(0)|中国ひとり旅|2012-04-12_09:09|page top

蘇州の朋友

私が3日間過ごしたのは、
水郷の町にふさわしい運河の近くの小さなホステルだった。
1日目が終わって、宿に戻ると
同じ部屋に眼鏡をかけた若い女性がベッドに荷物を広げていた。
私を見るとすぐに中国語の挨拶が口をついて出たが、
「私、中国語できないの。」というと、すぐに理解したらしい。すぐに英語で返事が返ってきた。
「今日行ってきたところが素晴らしくてね。
西糖というんだけど、ほらこの写真見てよ。美しいでしょ!」
彼女はその観光地の写真を見せては熱烈にその美しさを褒めたたえ、
買ってきたお土産のをひとつひとつ取り出して見せ、
「あなたも絶対に見に行くべきよ!」と締めくくった。

Cocoの出身は、北朝鮮やロシアと接する中国最北端の黒竜江省。
彼女の携帯が鳴ると、
これまで聞いたこともないような耳に心地よい響きの中国語で話しはじめた。
「私、あなたの中国語が好きよ。美しいわ。」と心から言うと、
「少しインターネットで勉強してみたんだけれど、
発音がそれは難しくて・・。」

すると彼女は、大学で外国人のための中国語教師養成の学科に通っていたことを話した。
「いい、中国語の母音はA,E、I、Ü、U、Oとあって・・・」
この発音は、こういうの。ほら、言ってみて。うん、上手じゃない!」
すでに彼女は教師に早代わりしていて、
いつしか中国語個人授業がはじまっていた。

「ところで、明日の予定は決まってる?」
こうして、私たちは明日の行動をともにすることになった。
彼女は綿密な旅の計画をすでに立てていて、
まず清代の庭園を見に行き、食事をともにし、
別の庭園に行ったあと、夜は運河のクルーズに乗り、
三輪タクシーで古い建築の残る一角へ。
思いがけず、定番の蘇州観光を夜おそくまで満喫した。

庭園の竹林を見ているときに、こういった。
「竹は中国文化において、これを示すものなの。」
彼女の書きとめは文字には、「徳」とあった。
「そのまっすぐな形のために人の心の正直さを表していて、大切な要素なのよ。」

zhenzhou 224

「孝」についても、話題になることがあった。
「こんなこときっとアメリカ人に言ったって通用しないだろうけど、
私たちは旅行に行くときには必ず、家族や親戚にお土産を買っていくわ。
何だっていいけど、その気持ちを表すことが大切なの。」
私たちの親も祖父母も、そのご先祖さまの代からずっと知っていること。
私たちの血の中にも、同じ道徳がしっかりと流れている。

日が傾きかけたころ、彼女にこういったことがある。
「私ね、中国人は日本人のこと嫌いだと思っていたのよ。
だから自分が日本人だと言うのが、すこし怖かった。」
すると彼女は私の目をまっすぐに見すえて、こういった。
「あなたが中国人を好きなら、私たちだって好きだわ。
でももし中国人を嫌いなら、私たちだって嫌いなだけよ。」
心の中にひとすじの陽が差し込んできたような気がした。

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「中国人の声が大きいのはね。
そもそも人口が多すぎるからなの。
だって、これだけの人がいるんですもの、
大声で主張しなかったら誰も聞いてはくれないわ。」
東京の地下鉄の中は静かだと話すと、
「だって、日本は人が少ないから。」と彼女は当然のように言う。

食事のときに食べ物を散らかすというのは、私も聞いてはいた。
彼女も平気な顔で、お肉の骨などをテーブルの上に落としている。
ふと私が箸から取り落とした唐辛子を、
お皿のすみにそっと置いたのを彼女は不思議な視線を投げかけていた。
「日本では食べ物をテーブルに置いたりはしない?
中国ではね、テーブルに落ちたものは絶対に拾ってはいけないの。」
ここでは、浄と不浄の基準が違うのだ。
常識は国境を越えたら通じない。
これからは自分の習慣を変えていかないとと感じた。

彼女と過ごした数日間でさまざまなことを学び、
中国が驚くほど近くなった。
そして、最後の日の早朝、
ルームメイトたちが眠っている部屋をしずかに抜け出し、
動車組の出発する中心からひどく離れた西駅へとタクシーを走らせた。
次の目的地は、徐州。
いよいよ有名な観光都市から遠ざかり、内陸部へと近づいていく。


comments(2)|trackback(0)|中国ひとり旅|2012-04-06_12:14|page top

蘇州の琴の音

蘇州という町が中国の歴史に登場するのは古く、
紀元前6世紀ごろの春秋時代のこと。
かつては呉と呼ばれ、人口の運河を中心にした
東洋のベニスといわれるまでに活気のある町となった。

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世界遺産に指定される多くの中国式庭園で有名な蘇州だが、
私の目的は、「古琴」と呼ばれる楽器だけに絞られていた。
景徳路とよばれる通りを中心に、たくさんの楽器屋が名をつらねている。
蘇州には古くからの楽器製造会社が残っているらしく、
二胡や笙、琴に筝などの伝統楽器が店内には数多く見られる。

古琴の音をはじめて聴いたのは、半年ほど前のこと。
日本で聞き知っている筝とは違い、
小ぶりの楽器で音も小さいが、何とも深い独特の響きをもつ。
古代には孔子も演奏をしていたことをはじめ、
三国時代の諸葛亮や竹林の七賢として知られる西晋の阮籍など、
中国の貴族、文人たちの嗜みとして広く愛されてきた。
古代中国文化の名残を今に色濃く伝える、歴史深い楽器である。

とある大きな楽器店に足を踏み入れたのが、
私の古琴との大きな出会いとなった。
お店の店主のおばさんに楽器の値段を聞いたりしているうちに、
私の話を真剣に聞いてくれる彼女の態度を感じた。
持ち歩いていたノートに筆談で、楽器を学びたいという意思を伝えると、
「古琴を学ぶには時間が必要よ。」とおばさん。
自分の旅程と照らし合わせて、
はじめの2日間と旅の終わりの3日間を古琴の練習に当てたいと伝えた。
する彼女は、「お師匠さんを探してあげるから。」との返事。
電話でその師匠さんと約束を取り付けてくれ、
次の日の朝9時に店でレッスンを受けることになった。

朝がやってきた。
ホステルを出て路地のゴマパンと豆乳の朝食をとった後、
運河をゆったりと散歩をして時間をつぶしながら楽器店に向かう。
9時より15分ほど前に到着すると、
店の奥から店主のおばさんがあわてた様子でやってきた。
「もう先生が待っているわよ!」
買ったばかりの携帯の時間を、なんと1時間遅れて設定してしまったようだ。
「君、日本時間になっているよ。」と気さくな店主のおじさんが笑う。
店の奥の階段を駆け上っていくと、
小さな部屋に控えめな若い女性がひとり立っていた。
自己紹介をしながらも、遅刻の非礼を何度も詫びた。
「いいのよ。」と静かな声で微笑む。
流暢に英語をあやつるその中国人女性リサが、私の古琴の師匠となった。

彼女は大学でイタリア語を専攻して、通訳を目指したこともあったが、
今は大学に再入学して心理学を勉強し、カウンセラーを目指している。
学校の勉強が忙しい合間に、私のような飛び入りの生徒を受け入れてくれた。

はじめは古琴の楽器の歴史やいわれ、彼女自身の古琴との出会いなどを、
彼女が美しい英語で紹介する。
散音(さんおん)は地の音、泛音(はんおん)は天、
按音(あんおん) は人の言葉ををあらわすと言われているそうだ。

「もう10年もこの楽器を演奏しているの。
私が、この楽器と出会ったのは18のときだったんだけれど、
お師匠さんとの出会いやすべてがラッキーだったのよ。」
彼女は私のノートにさっと文字を書きつけた。
「縁分」とある。
「英語ではこの言葉を訳することができないんだけれど、
あなたとこうして出会ったことも、すべて同じよ。」
「それ、よく分かるわ。」
私たち東洋人だけにしか伝わらない概念。
それは、言葉の響きは違っていても
文字を通じて伝わってくる漢字文化の培った財産。
私はこれを感じるがために、中国にいるのだ。

「私は4年間ヨーロッパに住んでいて、
生活にも言葉にも慣れてきているはずなのに、
なぜかここ最近、急に自分の生活に空虚なものを感じるの。
その何かを埋めるために中国に来て、
どうしてもこの楽器を学びたいと思ったのよ。」
なぜかそれを話したとき、
彼女の言う「縁」というものの深さが身に沁みて感じられ、ふと涙ぐんだ。
そうして、たどたどしい私の理解力とともに
彼女は文字通りに格闘してくれた。

リサの演奏は、文句なしに素晴らしかった。
ふっくらした白い指が、時にやさしく、時に激しく、時に物哀しく揺れ動き、
それぞれに違った音の響きを奏でる。
特に左手の動きはまるで舞踊のようで、
目と耳とが釘付けになってしまう。

「音楽のほとんどは、苦しみや哀しみを表しているわ。」
あるとき、彼女はそう言って切なそうに微笑んだ。
それは、自分の信念を伝えようと中国各地を奔走し、
たくさんの弟子を集めながらも苦労の生涯を送った孔子の辛苦でもあり、
腐敗する政治から身を引き、一切の俗世界との関係を断ち切り、
詩や音楽の世界に生きつつも、不遇の生涯を送った阮籍の悲哀でもある。

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美しい古代中国の世界。
その悠久の時代に瞬時に心を結びつけてくれる、
楽器のもつ不思議な力に酔いしれた。
comments(0)|trackback(0)|中国ひとり旅|2012-04-05_10:37|page top

上海の石の要塞

老街門のユースホステルは、
中国の若者たちが集まりにぎやかに一日が過ぎていく。
小さな部屋に6つのベッドが集まり、
部屋には洗濯物をかけたハンガーがこれまた色とりどりに広がっている。

中国へのはじめの扉を開くと、
すぐに快活そうな笑顔の少女と目が合った。
「私は少しだけ日本語ができるから、
中国のこといろいろと教えてあげられるかもしれない。」
いたずらそうな瞳が笑った。

「ワタシノ ナマエハ 佳音(かおん)デス。」
はっきりとした発音で、彼女の口から日本語が聞きとれる。
「大学で英語と日本語を勉強したんだけど、
もう卒業以来使わないからすっかり忘れちゃったわ。」
彼女は朝は一向に起きてこなかったので、
会うのは夜だけだったが妹のような存在だった。

「ねえ、そのバッグちょっと見せてくれない。」
ベッドで横になっていた少女が、声をかける。
手作りの古い布のバッグを珍しそうに見て、さっそく写真を撮っている。
「これ、私の母の手作りなのよ。」
こうして、大都会上海の一角での数日がはじまった。


中国の朝が、一日の中でいちばん好きだ。
小さな通りをあわただしく急ぐ人々に、
もっと早起きをして朝食をこしらえる人々から
できたての肉まんや麺、お粥などを買い求める。
暖かい朝日の中に立ちのぼる
白い湯気と食べもののよい香りが心地よい。
見たこともないような明るいグリーンの野菜や、鶏、魚や果てにはカエルまで売られている。
活力であふれる朝の風景。

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巨大な高層住宅が蜃気楼のようにかすむ大都市のあちこちに、
石造りの要塞が築かれている。
狭い路地から覗きみえる普通の人の生活。
トントンと野菜を切る音、食器を洗う音、
石の砦に万国旗のようにはためく洗濯もの・・。
中国の今が生活のにおいとともに、嫌が負にも目の前に突きだされている。

suzhou 171

たくさんの人と物でひしめく空気の汚れた都会の街を後にして、
次の目的地、蘇州へと向かう。

comments(2)|trackback(0)|中国ひとり旅|2012-04-04_13:18|page top

東洋への旅

海外生活も4年目を過ぎようとしたとき、
ふと自分が何かを置き忘れてきてしまったような感覚にとらわれるようになった。
気がつくと、今おかれている環境からも時代からも遠く離れた
はるか遠い文化の中に我が身をおいていた。
自分の足元をもう一度見つめなおすために、
東洋という大きな、自分の文化の源泉を発見するために、
私は旅に出ようと決意をした。

旅の目的は黄河文明の歴史に触れること、
そして中国古代から伝わる楽器「古琴」を学ぶこと。
私の求める古きよき中国文化は、
今の中国で果たして感じられるのだろうかという不安もよぎりつつ、
東から西へと大陸を横断することにした。

時は3月。
まだ大雪の残るブカレストを飛び立つ。
ちょうど忘れられないあの大災害が起こった一年後に、
私はひとり上海空港に降り立った。
万里の長城の絵が印刷されたビザつきのパスポートをしっかりと胸にしまい、
20日間の長い旅がはじまった。

shanghai 110

comments(2)|trackback(0)|中国ひとり旅|2012-04-04_12:12|page top