トランシルヴァニアへの扉 - Erdely kapuja-

古きよきヨーロッパの面影を残す、トランシルヴァニアへの扉をそっと開いてみませんか?

::自己紹介::

谷崎 聖子

Author:谷崎 聖子
1978年宮﨑生まれ。
大阪外大、ハンガリー語学科卒業。
ブダペスト大学で民俗学を専攻。
ルーマニア、トランシルヴァニア地方のフォークロアに惹かれて、セーケイ地方に移住、結婚。
三人の子育て中。

伝統手芸研究家。
トランシルヴァニアの文化、手しごとを広める活動をしています。主な著書「トランシルヴァニアの伝統刺繍 イーラーショシュ」、「カロタセグのきらめく伝統刺繍」。

東欧雑貨ICIRI PICIRIFOLK ART Transylvaniaのオーナー。

詳しくは、森の彼方-トランシルヴァニアへの扉をご覧ください。

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トランシルヴァニアへの扉  - Erdely kapuja-のRSSフィード

ブログ翻訳

村のお祭りの日に

「~村でお祭りがあるらしい。」
そういう会話をどこからか聞きつけて、
朝一番の列車にのって村へと向かうことになった。

ずいぶん長いこと行っていなかったところ。
ぎりぎりの日程なので入りきらずに、
いつしか遠ざかっていた。
ふだんは車窓から眺めるだけの丘の向こう側まで歩いていくと、
ようやく村の中心部が開けてくる。

世にもうつくしい透かし彫りの家が見えてきた。
民俗舞踊が有名なところで、
踊りに誘う男性と、その手をとる女性の姿が彫られている。
そして、ふたりの天使が空を舞っている。

IMG_8260.jpg

教会のミサまでまだ時間があるというので、
村にくると欠かさずに寄っていたおばあちゃんの家に立ち寄ることにした。
小高い丘をのぼって、さておばあさんの家はどれだろうと考えていると、
「あれだよ。」と息子が迷わず指さした。

キーシューおばあちゃんの家には、
ひとりお客さんが来ていた。
不意に私たちの姿が現れても、おどろいた風はみせず、
「お上がりなさい。」と声をかける。
入れたての二人分のコーヒーを、私たちのために勧めてくれる。
私はすぐにお土産のクッキーを皿にもって、差し出した。

二年ほど前には、片足を大きく腫らせてベッドに横たわっていた。
刺繍の名人のおばあちゃんは、
一日中座って刺繍ばかりしていたため足を悪くしてしまった。
村ではビーズに流行が移ってしまったが、
おばあちゃんだけは誰にもできないような昔ながらの細やかな刺繍をしつづけている。
その美しい針仕事を見たとき、
彼女のところに弟子入りしたいと思った。

これまで遠ざかっていた後ろめたさを
微塵も感じさせないおばあちゃんの態度に、
すっと心が晴れるような気がした。
「夏に、もう一度来ていいですか?」
そう尋ねると、「もちろんよ。」とおばあちゃんは言った。

教会の鐘の音が、高らかに鳴り響いた。
今日は一年に一度の村の祭りのせいか、
いかにも祝日らしい晴れ晴れしさが漂っていた。
村の人たちのほかに、ドイツ人やスロヴァニア人など
招かれたお客さんも多く、教会の中はいっぱいになった。

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私の座っていた一番後ろの席に、
キーシューおばあちゃんが座った。
華やかに着飾った女性たちを眺めては、
「あのブラウスは?」、「あの飾りは?」などとささやき尋ねると、
何でも答えてくれる。
賛美歌をうたうときには手持ちの本を差し出してくれ、
おばあちゃんの低く通った声が耳元で聞こえてくる。

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教会は村の人たちの社交の場。
ミサが終わると、次々に表に出た村人たちが集まっては和やかに語り合っている。
若い女性はその若さを輝かしくみせる色を装い、
年をとった女性はその年齢にふさわしく控えめな色がよく似合う。
ブラウスも、未婚の女性と既婚の女性が着るものが違う。
このように民俗衣装は秩序があってこそ、美しい。

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鮮やかな衣装を着た人たちの美しい晴れ姿に、
カロタセグにたいする愛着と誇りが発せられているような気がして、
まぶしく感じられた。

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村には博物館があるらしい。
ロゼッタと呼ばれる、バラの文様の刻まれた門。

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チューリップや星のかたちに掘られ、色付けされたこの道具。
カロタセグ地方は、昔から水牛が飼われていた。
水牛がひく農具なのだが、
このような生活用具でさえなんとも美しい。

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生活を楽しむことは飾ること、
そしてよく語らい、よく歌い、踊ること。
村の人たちは、
人生を楽しむことをよく知っている。

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comments(5)|trackback(0)|カロタセグ地方の村|2012-05-29_10:23|page top

5月のカロタセグへ

冬の間中、行こうと思いながらも
厳しい寒さに気力が押しつぶされてしまった。
どこか引っかかりながら、行かなければならないという思いで
あわてて準備をすすめた。

出発の前日まで、問題だったのは息子を連れて行くかどうかだった。
いつものように説得をするのは父親の役目。
筋道のとおった話を息子は身じろぎもせずに聞いていたが、
やがて、目をうるませて「行きたい。」といった。
私たちは顔を見合わせて、しばらく考えたあと、
息子を連れて行くことに決めた。

夜明け前の列車に乗って、私たちは西へと向かった。
格安の鈍行列車は、ちいさな村や町で停車をくりかえしながら、
4度の乗り換えを経て、9時間かけてカロタセグ地方へやってきた。

まぶしい緑色した丘がどこまでも続いている。
ちいさな無人駅で列車を降りる、いつもここが出発点だ。

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先日までの大雨のせいか、緑が輝くようだ。
目をこらしてみると、さまざまな野草が花をつけている。
耳をすますと、ミツバチをはじめ小さな虫たちの動きも聞こえてくるようだ。

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「これ、タイキの好きな花。」
紫色の花をそっとつむと、笑顔をいっぱいにたたえて差し出してくれる。
花を愛する人にとって、春の野原はまるで宝探しのようなものなのだろう。

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村を歩いて、いつものおばあちゃんの家を目指す。
「誰を探しているんだい?」村の少年が訪ねる。
おばあちゃんの名前を告げると、
「ああ、ママ(おばあちゃん)だね。」と答える。

ちょうど門の前に、黒づくめの服をきた小さなおばあちゃんが立っていた。
「おやまあ、珍しい人たちが来たわ。」
去年の秋に、冬にやってきてビーズを習いたいと話していたのを
ずっと覚えていてくれたのだ。
「何度か、私もこの冬に悪くなってね。
もう会えるかどうか、分からないと思っていたわ。」
そういうおばあちゃんの顔は、元気そうだ。

空色一色でぬられた、おばあちゃんの部屋に案内される。
色とりどりの大きなビーズ飾りのついた帽子を、手にとってみせてくれた。
カロタセグ地方の中でも、特にビーズが盛んなこの地方では、
男性の祝祭用として特別豪華なビーズ飾りをつける。

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このボクレータを、冬に注文していたのだった。
女性のかぶるパールタと呼ばれる白いビーズの冠よりも、
男性の帽子飾りの方が好きだ。
おばあちゃんの曾孫さんのものなので、息子にもぴったり。

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さらに、袋包みからは冬の間中つくりためておいた
ビーズ飾りがどんどん出てくる。
テーブルいっぱいに並べられると、
それだけでカロタセグのツィフラ(豪華な)空気がいっぱいに伝わってくる。

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この冬はまったく針をもたなかった。
その間も、80をすぎるおばあちゃんがコツコツと作りためて、
これだけの作品が生まれた。
「よく目が見えないのよ。」と懸命に、
小さな針穴に糸を通すおばあちゃんの姿に胸がいっぱいになる。

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今でも鍬をもち畑に出る、カティおばあちゃん。
おそらく世界のいろいろなものを見聞きしなくても、
ご先祖から伝わってきた、美しい衣装や家具やさまざまな手芸の世界だけを
一身に吸収して生きてきた。
だからこそ、このような純粋な土着の世界観が生まれるのだろう。

帰りの電車までまだ時間があったので、隣村にも足を伸ばしてみる。
かつては木彫りが盛んだったのが、
7、80年代になるといっせいに鉄の門や格子が流行した。
それらの飾りを見ているだけでも、
カロタセグの装飾を好む土地柄が反映されているようで面白い。

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家畜の世話をするおばさんに声をかけて、
ツィフラ・ソバ(豪華な部屋)を見せてもらう。
かつては村によって絵付け職人がいて、
それぞれに違った色使いで、さまざまな花模様を描いていた。

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古い伝統を好む人の中には、ナーダシュ地方のものを華美すぎるといって顔を背けるものもいる。
これだけ華やかさを好む土地柄というのも珍しいが、
この中にも土地の人たちの美学がしっかりと根付いている。
刺繍リボンを丸く縮めて飾るブイカにも、ビーズの煌きが欠かせない。

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一般に男性の衣装は、女性のものより珍しいと言われる。
女性は長く手作りの衣装に執着していたからとされている。
白一色で装飾されたカロタセグ男性のシャツは、特に高度な技術で作られてきた。
細やかなカットワークや刺繍、レースなど繊細で優雅なことこの上ない。

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カロタセグの遺産が詰め込まれたこの部屋にいると、
時間がたつのを忘れてしまう。
はっと時計を見たときには、列車の時間が迫っていた。
家のご主人に礼をいい、はじけるように部屋を飛び出して元きた道をもどった。
西日が傾いていく中を、
列車の到着を知らせるサイレンの音が鳴り響いていた。

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comments(2)|trackback(0)|カロタセグ地方の村|2012-05-26_22:50|page top

初春のドボイ村

深夜のブカレスト空港に降り立ち、
息子の顔を見たとたん長い旅が終わったのを感じた。

一晩明けて表にでると、
ブカレストの町はすでに新緑が目ざめ、
明るい太陽の光で満ちていた。
朝の空気がつめたくて心地よくて、
思い切り肺に入ってくるようだと伝えると、
ダンナは、「ブカレスト郊外の空気は悪くて・・。」と言ったのに驚く。
1週間の東京滞在のせいだろうか。

電車がカルパチア山脈にさしかかったとき、
季節が逆もどりをしたかのように、
初々しい白い花がようやくほころび始めたところだった。
こうして、トランシルヴァニアに帰ってきた。



家について二日目の昼すぎ、ドボイ村に向かった。
大型バスに揺られて、まだ早い春の風景が目にまぶしく感じられる。
降りたのは、小さなボロシュニョー村。
ドボイ村に通じるバスは、朝をすごすと夕方にしかない。
「丘を越えてきれいな風景を見ながら、
家路につくことができるなんていいだろう?」と村に住む友人バルニが言う。

この村には、友人一家の先祖代々の家がある。
昔、パーリンカ工場で富をなした、祖父母時代からの家。
美しい貴族様式の調度品が備えつけられた部屋は、
まるで時間が止まったかのようだった。
今は誰も住む人もなく、だんだんと朽ちるのに身を任せている。

壁のレリーフがうつくしいプロテスタント教会を横目に、
墓地へとつづく坂道を登っていく。

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田舎のあぜ道。
春がまさに目ざめようとしている今の時期は、
胸がつまるような新鮮さを与えてくれる。

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ようやくプルーンの小さな白い花が、
粉をふいたかのようにして咲きはじめている。

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坂をのぼっていくにつれ、どんどん村が遠ざかっていく。
足元に広がる風景にため息がもれる。
なだらかな丘に遠くの町もさえぎられ、
ここだけでひとつの世界が出来上がっているようだ。

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丘の途中で、ひと休み。
サンドイッチをつまんでいると、
バルニが肩掛けかばんからお鍋を取り出した。
何かと思っていたら、白飯が入っている。
美味しい空気が何よりのご馳走だ。

山に寄り添うようにして家が集まっている。
ドボイの村は、平野から見ると森に囲まれて見つけにくい。
小さな隠れ家のような村。

doboly2012apr 023

村の端のほうには湧き水が流れ、
ジプシーのおばさんたちがおしゃべりをしている。
「長く見なかったわね。」などと話をしながら、別れた。
細くぬかるんだ道を通って、私たちの家にたどりついた。

家は建てはじめてから、もう4年になろうとしている。
いつになったら越してくれるのだろうと、家の方もしびれを切らしているのだろう。
それとも、くるみの木やリスや鳥たちと遊びながら、
楽しくやっているのだろうか。

くるみの木の枝に、板を通したロープを吊り下げる。
息子のための遊具ができた。

doboly2012apr 029

近所の子供たちに生まれたばかりの動物たちを見せてもらったり、
村の人たちにご挨拶している間に、
あっという間に一日が過ぎていった。

庭のテーブルに食べ物を広げて遅い昼食を食べていると、
雨雲がちかづいてきた。
雷の音とともに、雨が地面をぬらす。
裏の杉の木が、風にゆれてざわざわと音を立てる。
灰色の雲がかたちを変え、すぎていくのをじっと眺めていた。

もう一雨くるまえに、あわてて終い支度をして村を下り、
バスに飛び乗った。

Theme:ルーマニア
Genre:海外情報

comments(2)|trackback(0)|セーケイ地方の村|2012-05-16_03:48|page top

平松のぬしさま

心のどこかで求めていた風景に、
ふとした偶然から行きつくことができる、
そんな経験をした。

小さなときからのくせで
ずっと「智恵子姉さん」と呼ぶ親戚の人がいる。
関東に住んでいたときから、
彼女の暮らす場所はどこかおとぎ話の世界のようだった。
茨城の牧場や、八ヶ岳の森のそばなど、
大自然のなかで広々とした庭をもち、いつもたくさんの猫を飼っていた。

宮崎駿の「となりのトトロ」やますむらひろしの「アタゴオル玉手箱」など、
いち早くファンタジーものの情報をさずけてくれたのは
読書好きの彼女だった。

ある日なにかのついでで車で出かけた時に、
「ねえ、ちょっとだけ寄り道してもいい?」
そういうと、車は細い山道へと入っていった。
道は、やがて彼女の父親が生まれた平松へとたどり着いた。

この集落の八幡神社はクスの大木で有名である。
息子が小さかったころ、
同じようにここへ連れてきてもらったことがあった。
どこか心の中で引っかかっていて、
行きたいと思いつつずっと来ることのできなかった場所。

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わくわくと胸が高まるのを抑えつつ、
まず神社でお祈りをする。
ここちよい春の日差しがこぼれ日となって降りそそぐ。
空気がなんともすがすがしい。

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太く力強い幹を、ほれぼれと見上げる。
長く生きてきた樹木だけがもつ、霊力ともいえるような
パワーがみなぎっている。

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時に木は、人の肉体を感じさせる。
その見事な腕はどこまでも続き、
今にも天をその手に収めんとするがごとく伸びている。

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私たちの祖先は、
長寿の象徴でもある木に深い畏怖をいだき、
古くから崇め祀ってきた。
大陸から仏教が伝わってきた後も、
その新しい宗教を土着の信仰と融合させながら守りつづけてきた。

sakura 016

彼女が贈ってくれた本に、「トガリ山のぼうけん」というものがある。
息子が大好きな物語だが、
その中で森の動物たちが「ぬしさま」の話をする。
何か悩みがあったときに、森の動物たちが相談事をする
長老のようなものだ。
その正体があらわれると、長寿の大木だった。

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宮崎のこの辺りによく見られる、自然石がある。
四つ角などに立てられ、
中には「二十三夜」や「月天子」と文字が彫られているものもある。
かつて、「月待ち講」が盛んであった名残だ。
私の曾祖母の時代には、
二十三夜の日になると村の人たちが集まって夜遅くまで
飲み食いをして宴会をする。
それは、腹の中にいる虫が天に昇って
その主人の悪い行いを告げ口しないように見張るためだという。
庚申信仰といわれるもの。

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私たちの祖先は、
こうした自然石にいったい何の姿を見出したのだろう。
クスの大木の根元に、さまざまな信仰の姿がより集められている。
子供を身ごもる女性のような像。

sakura 030

平松は、宮崎市にありながら秘境を感じさせる。
山道をすすむと、今度は桜の名所の垂水公園へとついた。
桜をながめていると、
どうしてこころが晴れ晴れとしてくるのだろう。
その優雅な立ち姿は、他の樹木とはまた一味違っている。

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もっと形に華があるものはあるし、
色が鮮やかなものもあるのにもかかわらず、
私たち日本人はいつも桜を特別なものとしてきた。

sakura 044

つぼみになると、いつ咲くだろうかとこころを躍らせ、
花がひらくと、もう花の移ろい散りゆくの思い病む。
花はたった一週間ほどの命であるといわれる。
たった一週間のその旬を楽しむがために、これだけの数の桜を植えてしまう。
日本人の桜の花を愛する心のなんと深いこと。

sakura 047

日本の春はうつくしい。
今回の里帰りでは、
いつになくその思いを強くした。

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Theme:史跡・神社・仏閣
Genre:写真

comments(0)|trackback(0)|その他|2012-05-13_03:34|page top

旅の終わりに

東洋というひとつの文化圏を生み出した黄河の流域を巡り、
漢代以前の古代中国に触れる旅はひとまず終わった。

ほとんど観光らしい観光はできなかった西安。
西駅からホステルに電話をすると、
レセプションの男の子の声が驚くように高くなった。
「あの日本人の女の子?風邪は治ったんだね。」

この町についたとたん風邪が悪化し、咳が止まらず、
ついには声がまったく出なくなってしまった。
ふだんは筆談さえできれば用は足せるが、
それでも声がでないのはやはり辛い。
ほとんど部屋に閉じこもり、布団をかぶっていた私を気遣ってくれた、
ホステルの従業員たちの優しさが有難かった。
この歴史的都市で観光らしい観光はできなかったが、
宿の思い出だけは色濃く残っている。

西安から飛行機で二時間、
ふたたび東へと向かい、上海に上陸した。
足早に中国一の大都市を出て、蘇州へ。
旅のもうひとつの目的、古琴を学ぶために3日間滞在する。

ホステルに着くと、顔見知りのレセプションの女の子が言う。
「シェンツ、帰ってきたのね。」
私の名前を中国語読みすると、そうなるらしい。
友人たちと知り合えた、懐かしい4人部屋はもう空いていないという。
今回は古琴を練習する目的があったので、一人部屋を案内してもらう。
彫刻のほどこされた古いベッドがほとんどの空間を占領し、
ほかに小さな机だけの部屋。
窓の外には、大きな枇杷のような木があるだけの中庭。
お向かいさんの部屋まで見られそうな距離である。

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朝になると、いつものようにスタンドでパンと豆乳を買い、
通勤のバイクの行きかう通りを食べながら歩いていく。
15分ほどで楽器屋にたどりつく、ちょうどよい散歩コースである。
すこし練習をしたかったので、早めに教室に入った。

年下の師匠リサは、新しい楽譜を手渡してくれた。
「神人畅」と書かれている。
はじめて彼女と会ったときに、自己紹介のつもりでこういった。
「インターネットで龚一(Gong Yi)の演奏を見て、
古琴を学びたいと思ったの。特に「神人畅」や「広陵散」が好き。」
彼女はそれを覚えていてくれたのだろうか。
まだ基礎でさえ十分でない素人の私に、
こんな美しい曲を教えてくれるなんて驚いた。

「樂(がく)の文字の語源は、天と人とを糸のようなもので結びつける。
そういう意味があるといわれているのよ。」
リサが教えてくれる。
その糸とは、つまり琴の弦のことではないのだろうか。
「神人畅」の曲も、神と人との和を意味するとある。

曲はまず、光が水に当たってはじけるような泛音(ひんおん)からはじまる。
左指で、13の微と呼ばれる貝のしるしが刻まれる場所を
かるく触れると同時に右指で弦をはじくのだが、
ちょうどの場所に触らないと、音が鳴らないので難しい。
それから、地の底から響きわたるような散音(さんおん)に
弦を滑らせて陰影をつける按音(あんおん)が加わる。

その音色は、まさに私がたどってきた古代への旅をいきいきと甦らせる。
青銅器の文様の世界に、
または漢代の墓にあったフレスコの赤に、
そして天へ昇る無数の仙人たちの絵に、
その音色がぴたりと重なり合う。



理屈で理解するのと違い、
自分の指先にそれが伝達するのが遅いのが歯がゆい。
彼女の献身的な特訓と、部屋で練習を重ねたおかげで、
どうにか最後まで行きつくことができた。
お世話になった師匠のリサや楽器店の人々に別れを告げ、
雨の降る蘇州の町を跡にした。

次の日の朝、上海から船が出た。
古琴をはじめたくさんの荷物を背負って、
巨大な町の中をさまよい、走って港についた時には
汗びっしょりで精も根も尽き果てたような状態だった。
こうして、私の旅は幕を閉じた。

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船は、26時間かけて長崎港に着いた。
平たい大陸から、山がちの小さな島国へ。
上陸すると、満開の桜が出迎えてくれた。
出迎えに来てくれた母と母の同級生とともに、
うららかな春の青空の下、眼鏡橋のたもとを歩く。

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この公園で、珍しい白い像を目にした。
かつて長崎の町に洪水が起こったときに、中国から寄贈されたそうだ。
洪水を鎮める象徴である竜の背中に、
日本人の少女と中国人の少年が手をとり仲良く座っている。

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旅には、直感というものが大いに働くらしい。
「どうしてか分からないけれど、何かがありそうだ。」
「今どうしてもここへ行かないといけない気がする。」
という説明もつかない引力に引き寄せられ、
バタバタと旅を決行してしまった。
失望で終わるのかもしれないという不安もあった。
出発の日が近づくにつれて、一人で旅している自分を想像すると
心配で押しつぶされそうになることもあった。

テレビやパソコンで一瞬で世界のどこへでも行った気持ちになれる世の中ではあるけれど、
実際に自分の目で確かめることの大切さを改めて知ったような気がする。
どこかで見た写真と同じものを見るのが目的ではなく、
そこに到達するまでに見るもの触れるものの数々、
テレビや写真では映し出されなかったものを発見すること。
そして、はっきりとした意思をもって旅をすること。

たくさんの人たちに助けられ、
充実感をもって20日間の旅を終えることができたことに心から感謝したい。
そして、中国との関係がよいものであるようにと願ってやまない。


Theme:海外旅行記
Genre:海外情報

comments(2)|trackback(0)|中国ひとり旅|2012-05-10_03:39|page top

留坝の張良廟

雨の洛陽(ラクヨウ)で風邪を引いてしまい、
西の都、西安にたどりついた時にはずいぶん悪化して二日間も寝込んでしまった。
もう滞在日も少なくなったので、
最後の力を振りしぼって漢中へと向かった。

西安は、有名な始皇帝の秦から数えて
唐時代まで首都とされた歴史都市である。
秦の時代には咸陽(カンヨウ)と呼ばれ、
項羽と劉邦がその本拠地をめざして争った。
結果、劉邦は秦嶺山脈を越えて南の漢中へと左遷された。

当時は蜀の桟道とよばれる険しい道を通らなければならなかったというが、
今や山脈にはいくつものトンネルが掘られ、高速道路が突きぬけている。
漢中に近づくと、まぶしいほどに黄色い菜の花畑や
真っ白の手を広げたようなコブシの花が迎えてくれた。

僻地に追いやられ苦渋をなめた劉邦は、数年後ふたたび咸陽をその手におさめた。
漢中周辺には、その当時の歴史を伝える場所が残っている。
さらにバスを乗り継いで、留坝(リュウバ)という山間の町を目指した。
山が迫った道を、右へ左へくねりながら進んでいく。
左手には、明るい緑色した湖がどこまでもつづいている。

留坝は、漢中から宝鶏のちょうど中間あたりにある。
その近くに留候鎮と呼ばれる村があって、
漢の高祖(劉邦)の軍師、張良が祀られている廟がある。
張良は謎の多い人物で、韓という国の宰相の家に生まれるが、
その後、国を滅ぼされた恨みから秦の始皇帝の暗殺を謀ったこともあった。
暗殺に失敗したあと、今度は劉邦の漢を助けて秦を滅ぼし、
ついに天下を統一する帝国を打ち立てた。
漢の功臣として知られている。

後の三国時代におこった五斗米道の祖として知られる張魯が、
張良を祖先として祀ったのがこの廟の起こりであると言われている。
寂しい山間の村に着いたときには、もう日が暮れかかっていた。

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おみやげ物やが何軒かならんでいるほかは、何もない小さな村。
廟のとなりにホテルがあると聞いていたので、
がらんとした建物を覗いてみるが、内側から鍵がかかっている。
何度かいったりきたりして、
しばらくすると受付の人らしき姿が見えた。
扉をどんどん叩くと、やっと気づいて鍵を開けてくれた。

体の小さな、人懐こい笑顔の女性が迎えてくれた。
どうやら私のほかに宿泊客はほとんどいないらしい。
中庭に入ると、たおやかな姿の白い像が立っている。
後に留候に封じられた張良のことを記した、
史記の留候生家の終わりにはこう書かれている。

「張良の経歴を考えると、壮大魁偉なものとばかり思っていたが、
その肖像を見たらまるで美しい女性のようだった。」

はじめ高祖はその功をたたえて広大な領地を与えようとしたが、
張良は辞退し、高祖とはじめて出会った留の町だけで十分だと言ったという。
漢の世になると、一切政治からは身をひいて、
神仙になるための修行に励んでいたと伝えられている。
その謙虚な精神のために後世の人々からも讃えられ、
また道教の聖人として祀られるようにもなった。

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病み上がりだったが、髪を洗いたかったのでシャワーの蛇口をひねる。
どうしたわけか、いつまでたっても冷水のままだ。
表に出ると、予想通り、私の部屋のほかには一部屋しか明かりがついていない。
山の合間にうかんだ真っ白な満月が、ほのかな光で像を照らしていた。
受付のおばさんに問題を告げると、
「いい場所があるから。」と月明かりの中を手をとるようにして
シャワーのある部屋へと案内してくれた。

鳥のさえずりで目が覚める。
もうすでに、日は高く上っていた。
急いで身支度をすませ、一番に廟の方へと向かう。
どっしりとした石造りの門は、これまで見た建造物の中ではかなり古そうだ。

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ryuba 015

入り口に入ると、原色に彩られた道教の建物があった。
施しをしないので道士に白い眼でみられつつ、先へと進む。

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曲がりくねった石の回廊。
直線的な日本の美学に対して、
こちらでは曲線の美を至るところに見出すことができる。

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円形にくりぬかれた入り口を入っていくと、
うすぐらい竹林の中へと導かれる。

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せまい石段をのぼっていくと、遠くに山々が見渡せた。
留という町は、ここからはるか東の江蘇州にあったという。
どうして、こんな山奥に祀られているのだろうか。
一説によると、張良は仙人修行のために
この人里はなれた山間に潜んでいたと信じられている。
世界遺産として有名になった張家界も、張良の墓があるという言い伝えがある場所。
天下が治まった後に、次々に功臣が粛清されていったのに対して、
張良だけは身を清く保ち、最後まで疑われることがなかった。

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張良が住んでいたといわれる、小さな洞窟がある。
中に入ると、長い黒髭をたたえた像が座禅をくんでいた。
真っ赤な布が聖人の頭から、左右の従者の方へと垂れている。
数多く見た像の中でも、もっとも神秘的なもの。
あの激動の20世紀の歴史をもくぐりぬけてきたことに、ひそかに感謝した。

ryuba 080

李白をはじめ、数多くの文人に彼の功績は讃えられた。
石段にも詩が刻まれ、雨風にさらされながらもその形をとどめている。

ryuba 108

老子は言っている。
富や名声は一時のものではかない。それよりも魂の気高さを求めるべきだと。
荘子は言っている。
あくせくと身を削って生きるのではなく、真の自由をもとめるべきだと。
老荘の思想を、身をもって示した張良の生き方は
現代の人々の目にはどう映るのだろうか。
中国の西の片隅で、2000年以上の時を越えて信仰される廟にたどりつき、
言い知れぬ達成感をおぼえた。

ryuba 098

Theme:海外旅行記
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comments(2)|trackback(0)|中国ひとり旅|2012-05-07_00:18|page top

広武山での出来事

河南省の省都、鄭州(テイシュウ)の隣
荥陽(ケイヨウ)を経て、広武鎮へとたどり着いた。
ここに来たのは二回目。
数日前に大風のために行くのを諦めた、
広武山の遺跡をここから目指すことになる。

中国では一般的な、バイクの後ろに荷台をつけたタクシーがある。
おじさんと交渉して、30元で往復ということになった。
荷台に乗ってカーテンを引くと、
ガタガタと揺れるほかはどこに行くのか分からない何とも言えないスリルが感じられる。
カーテンの隙間から風景を眺めても、
だだっ広い枯れた畑に道路が一本続いているだけである。
やっとのことで長い傾斜を上りおえると、広武山の上にやってきた。

こんなもの寂しい場所にどうして来たかというと、
今から約2200年前の楚漢戦争で一大戦闘が行われた場所が残っているからである。
黄河を遠くに見晴らすこの山の、
西側が項羽率いる楚の軍であり、東側が劉邦率いる漢の軍であった。
両者はこの谷ひとつ挟んだ山でにらみ合い、
一年間に渡って戦いを繰り広げたと言われている。
その遺跡を、「漢覇二王城遺跡」という。
険しい崖の向こう側にうっすらと黄河が見渡せた。

luoyang 008

馬を連れたおじさんや爆竹を売るおばさんが後をついて来るのを
やっとのことで振り切ると、
今度はとがった山の峰から目のくらむようなくだり道にさしかかった。
舗装のされている楚城側から、
どうしても行きたかった漢城側への登り道を探す。
石の砦の欠片でも見つかるかと思っていたら、
ただのだんだん畑状の山肌が続いているだけである。
茨で生い茂った山を登ると、
野鳥がさえずる他は水を打ったような静けさに包まれていた。

この鴻溝(コウコウ)というこの谷を境に
一度は楚と和平条約を結んだ漢だったが、
すぐに約を違えて追跡し、ついに項羽を滅ぼして漢王朝を打ち立てる。
司馬遷の「史記」の中でも、このくだりは特にドラマティックに物語られている。

luoyang 031

二千年の時に思いをはせたあと、
息をきらしながらやっとのことで待ち合わせ場所へと戻った。
三輪の後部座席に座ると、激しく音をたててバイクは走りはじめた。
やがて、関所のような場所で足止めをくらうと、
村人たちがわらわらと取り囲んで門票(チケット)代を請求しはじめる。
一度は怪しんで見たが、よくよく見てもちゃんとした券のように見える。
二王城と観光区との二つの券を買わされてしまった。

「ついたよ。」と言うので、外に出ると、
別の観光名所のような場所に来たらしい。
真新しい大きな皇帝の石造がたつ道観は、そう古いものにも見られない。
とりあえず、「謝謝。」とおじさんにお礼を言って見学をした。

luoyang 050

車に戻ると、何か言いたそうなおじさん。
ノートを渡すと、「行きと帰りで60元だ。」と文字が主張をはじめた。
これでは話が違う。
「いろいろな場所に行ったじゃないか。」とおじさん。
怒りがこみ上げて怒鳴りたいのをこらえて、文字に託す。
「行きたかったのは二王城だけで、他は不要だった!」

ふてぶてしい態度のおじさんを置いて、
そのまま歩きはじめる。
「支払いがまだじゃないか。」といった風で追いかけてくる。
「ぜんぶ門番に取られて、お金が今はない。
あとで村で払う。」と漢字を突きつける。

「60元払うなら乗せてやるから。」とおじさんが追いかけてくるが、
無視をして歩きつづける。
もちろん時も大切だが、お金で解決すればいいわけではない。
10キロでも20キロでもかまわず歩くつもりだった。
やがて、おじさんが「30元」と折れたので、車に乗った。

三輪は途中で別のお客を乗せたりしながら、村に戻ってきた。
すぐに銀行に向かった。
どうしたことか、カードが使えずそのまま返ってきてしまう。
日本に電話して聞いてみても解決できず、途方に暮れてしまった。
おじさんは銀行の中で一部始終を見ていたので、分かったようだ。
周りに村人たちが囲んで、なにやら相談している様子。
「警察に行ったほうがいい。」

ついに村の警察に向かうこととなった。
退屈そうにたむろしている村の警察官たちに、
ノートに書いた文字を見せる。
「泊まっているところは?」
「友達はいるのか?」
書き込みだらけで、ノートには空白がほとんどない。

村の警察官たちもどう処理していいのか分からず、
ただ時間だけがいたずらに過ぎていく。
そこで、奥から険しい細い目をした制服姿の男が出てきた。
警察署長なのか、禿げ頭だが意外と若そうだ。
いくつか質問をして、私のパスポートと私の顔を交互に注意深く眺める。
不意にポケットから黒い財布を取り出してこう訊ねた。
「いくら要るんだ。」
「30元です。」と答える。

赤ちゃんの写真が内側に張ってある財布の中は、
札束でいっぱいだった。
100元札を一枚取り出して、タクシーのおじさんに差し出した。
「いいえ、30元でいいんです。」
「なんだ、それだけか。」というような態度で、お金を渡す。

「どうやって、お金を返したらいいですか。」
その奇跡のような施しを目にし、信じられない思いだった。
「いいや、いい。」と威厳あふれる態度で、手を振ってみせる警察官。
緊張感から開放されたせいか、一気に目に涙があふれてきた。
「謝謝。」と深く頭をさげた。

「村に帰るお金は?」と心配されたので、
ポケットからくしゃくしゃになった札を見せて、
「4元あるので、大丈夫です。」と答える。
「ご飯は?」
「いいえ、いいです!」

こうして、無事にバス停に戻ってきた。
バスに乗って安堵すると、その日の出来事が思い出されてくる。
見ると、前の広場から先ほどのタクシーのおじさんがこちらを見ている。
見送りたかったのか、ただ偶然そこにいるだけなのか。
やがてバスが出発した。
複雑な思いで、おじさんの方にすこし手を振った。
「お互いに、大変な日だった。」と相手を労うように。









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