トランシルヴァニアへの扉 - Erdely kapuja-

古きよきヨーロッパの面影を残す、トランシルヴァニアへの扉をそっと開いてみませんか?

::自己紹介::

谷崎 聖子

Author:谷崎 聖子
1978年宮﨑生まれ。
大阪外大、ハンガリー語学科卒業。
ブダペスト大学で民俗学を専攻。
ルーマニア、トランシルヴァニア地方のフォークロアに惹かれて、セーケイ地方に移住、結婚。
三人の子育て中。

伝統手芸研究家。
トランシルヴァニアの文化、手しごとを広める活動をしています。主な著書「トランシルヴァニアの伝統刺繍 イーラーショシュ」、「カロタセグのきらめく伝統刺繍」。

東欧雑貨ICIRI PICIRIFOLK ART Transylvaniaのオーナー。

詳しくは、森の彼方-トランシルヴァニアへの扉をご覧ください。

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カロタセグと晩秋の青空

朝早く起きて、車を西へ西へと走らせる。
日が昇るにつれ、ゆっくりと濃い霧が消えてゆく。
カロタセグ地方で私たちを待っていたのは、
抜けるような清々しい青空だった。

いつもは徒歩やヒッチハイクで行く自由気ままな旅だったのが、
今回は軽自動車に家族や荷物をのせて進む快適な旅。
それまでは羊の群れを恐れながら歩いていた道のりも、
あっという間に風景が流れていく。
ガラス一枚を隔てた風景がどこか味気なくて、
車を止めて立ち止まってみた。
ただ風の音だけが耳を吹き抜けていく。

kalotaszeg2013nov (6)

丘を上ってまた下ると、となり村に着いた。
枯れた色の風景に、淡い若草色と空の青だけが目に飛び込んでくる。

この半年間、娘とふたり狭いアパートの部屋にこもりきっていた。
昨日と今日の堺があやふやな生活が続く中で、
旅というものに恋焦がれる思いが募っていた。
それは、時折、受話器からこぼれる懐かしい声だったり、
村の便りを知らせるメールの文字であったり。
カロタセグの風を運んでくれる何かに触れたとたん、
心が弾けて飛んでいってしまいそうになる。

kalotaszeg2013nov (7)

懐かしい通りに降り立って、
おばあさんの住む家の門を開けようとした。
しかし、固く閉ざされていた。
お隣さんの所で尋ねてみようとしたが、ここも留守。
そうだ、おばあさんの従姉妹の所だと思い立ち、
はるばる教会の通りまで出かけて行ったが、
「今日はまだ来ていないわ。」との返事。

旦那を見ると、首をひねっている。
裏の畑かと尋ねると、
「まさか、こんな時期に畑仕事はしないはずだよ。」との返事。

車と一緒に立ち往生しながら、一時間が経過。
ほとんど諦めかけた時、隣の家に車が一台止まった。
おじさんも尋ね人が留守のようで、肩すかしをくらった様子。
何気なく話していると、
「隣の空き地から奥に入って覗いてみなさい。」と言う。

木の板で粗末にできた門を押して、
雑草の茂る中を進んでいく。
おばあさんの納屋の向こうが開けてくると、
クワを持って耕す後ろ姿が見えた。

「ブジおばあさん、畑仕事しているんですか!」驚いて声を張り上げると、
きょとんとした顔で「若い者が手伝ってくれないから。」とつぶやいた。
働き者のおばあさんは、11月の秋晴れの日を無駄にすることなく
仕事に精を出していた。

「あの注文のことが心配でね。
もし私に何かがあったら、あなたに迷惑をかけるから・・。
手がもう利かなくなってきたわ。これで最後かもしれない。」

ブジおばあさんは、村の最後の図案描きである。
70年代に有名な図案描きのカタおばあさんが亡くなり、
大切にしていた伝統刺繍の図案もすべて消えてしまった。
そのため、1から必死でかき集め、
カタおばあさんがそうしていたように、油紙に一枚一枚図案を描いていった。
こうして、辛うじて村の刺繍の伝統は保たれたのだった。

この村にだけ伝わる男性の刺繍ベストがある。
イーラーショシュが珍しく衣装に使われる例として残っている、
このベストはおそらくそう起源は古いものではないだろう。
が、この村に花ひらいたイーラーショシュの美しさを象徴するものとして
どうしても布に描いたものが欲しかった。

この布をどうするのか、と聞かれ、
「いつか、息子のために縫います。」と答えた。
カロタセグでは、16歳を迎える少年少女のために
衣装を仕立てる習慣が未だ残っている。

おばあさんは刺繍にだけ通じている訳ではない。
村の生活に関わるあらゆることに精通していて、
打てば響くように明快に答えてくれる。
「学校の先生に勧められて、
タイプライターの学校に行く話もあったのだけれど、行かなかったわ。
それで村に残ったのよ。」

村の賢い人たちの偉大なところは、
理論で固められた知識でなく、
生活に根ざした実質的な知識や逞しさを持っていることだ。
学校を出てなくても、日々の生活に必要なことは何でもこなせるし、
世界の情勢に通じていなくても、自然や家畜、農作物のことに精通している。
そして何より、人との関わり方が上手い。
意思疎通(コミュニケーション)能力に長けているのだ。

kalotaszeg2013nov (8)

小さな娘に、この偉大なお年寄りたちと関わらせてあげたい。
この世代の人たちが、美しいトランシルヴァニアの文化を作ってきたのだから。
美しいものを生み出すことのできる人たちの、
その優しく真っ直ぐな心に触れてほしいと願う。
今回の旅の目的は、そこにある。

kalotaszeg2013nov (9)
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Theme:ルーマニア
Genre:海外情報

comments(2)|trackback(0)|カロタセグ地方の村|2014-02-17_17:40|page top

ある家族との再会

時はさかのぼって、11月のはじめ。

5か月になったばかりの娘を連れて、
初めての長旅に出かけることに決めた。
日本で展示会をするにあたって、
どうしてもカロタセグの地を踏んでおきたかった。
その土地独特の空気に触れ、あの煌めく色合いに染まり、
それをそのまま日本へ持ち帰りたいと思った。
何よりも、新しい家族をおばあさんたちに会わせたいというのが本音だったかもしれない。

これまでは深夜列車でクルージを経由して、
約8時間旅をするのが常だった。
もし雪がなかったら、旦那の運転で行けるかもしれない。
思いのほか、暖かな秋の日和が続いたので、
途中で立ち止まりながら、車で行くことになった。

セーケイ地方から北西へと森を抜けて、
かつてドイツ系の民族が暮らしていたザクセン地方に入る。
それから、再びセーケイ人の住む町に到着した。

ここである人を探すことにしていた。
旦那が市で知り合ったおばあさん。
両親がカロタセグのある村の出身で、
第二次大戦中にその村がルーマニアに属することになったため、
村を捨てて町に引っ越した。
それから二度と村に住むことはなかったが、
母親が遺した手仕事を大切に保管しているという。
著名な民俗学者コーシュ・カーロイと収集をしていたというから、
よほどの珍しい品が見られるかもしれない。
ずいぶん前から電話で話を聞き、楽しみにしていた。

町についてすぐに電話を掛ける。
地図を片手に目的地に向かい、懐かしい街並みを辿っていくと、
どこか見覚えのある通りに出た。
古めかしい灰色の集合住宅が立ち並ぶ風景。
ルーマニアの町はどこも同じ様相だ。
それでも、長く住むとその微妙な違いすらわかるようになる。

約束もほとんど忘れそうになるほどに、
不思議な興奮を覚えて、車を止めてもらい、
あの懐かしい家族を訪ねることにした。

私がここを初めて訪れたのは、13年前のことだった。
当時大学生でクルージの大学に留学していた。
その時のクラスメイトの誘いで、彼女の英語の家庭教師をしていたある女性を訪ねた。
すらりと長身の赤毛の女性は、
ヨーロッパ女性には珍しいほど物腰がやわらかい。
やさしい彼女のご主人は日本人男性で、
茶色い巻き毛のかわいい女の子と一緒に暮らしていた。

やがて数年前にまたこの家族を訪ねたときは、
小さな女の子はお姉さんになっていて、かわいい妹たちがいた。
数年おきに再会し、そのたびに家族が増えて、
大きく成長するのを不思議な思いで見ていた。
いつも突然訪れる私たちをあたたかく迎えてくれる家族は、
年を追うごとに幸せが増していくようだった。

インターホンを心持ち緊張して鳴らす。
ドアが開かれ、通路を奥に進むと玄関があいた。
やさしい笑顔で迎える彼女の腕には、小さな赤ちゃんが抱かれていた。
すこし戸惑い、記憶をたどりながら何人目かなと考えていると、
「この夏に5人目が生まれたのよ。」と言った。

私の持つゆりかごに気が付くと、
「まあ、あなたにも!よかったわ。」と声を弾ませた。
丸々とした赤ちゃんは、娘の一か月後に生まれたようだ。
積もる話をどこから始めていいのかわからない。
もどかしい思いで、ひとつひとつ絡まった毛糸をほどくようにして
数年間の空白が埋まっていく。

一番気にかかっていた長女のことを尋ねると、
「今年の夏に演奏会に出たのよ。」とパソコンで探し始める。
なんと高校一年生の若さにして、
オーケストラにマリンバのソロ奏者として出演したのだという。
交響楽団の指揮者がたまたま日本人だったこともあり、
家族にとっては思い出深い出来事だったようだ。

年配の演奏家たちが列をなす中で、
若い少女がひとり大きな木の鍵盤をたたく様子は圧巻だった。
さまざまな音色が混ざり合い、
豊かな厚みを生み出してゆく層の上を、
ステップを踏むように軽やかな木琴のリズムが心地よく響く。
彼女は、まるで魔法のステッキを振り回す妖精のようだった。



家族の生活にはいつも音楽が欠かせなかった。
トランシルヴァニアの民俗音楽がスピーカーから奏でる中、
小さな子供たちが並んで和やかに食卓を囲んでいた。
その環境が、子どもたちの音楽的感性を育み、
そして彼女は努力によってその才能を開花させたのだ。

夏休みをどう過ごしたかと話していたとき、
「家族みんなで、子供部屋のベッドや勉強机、
玄関の靴置きの棚を作ったのよ。
ほら、うちは家族が多いでしょ。」とにこやかに話す。

やがて、表で遊んでいた子供たちが家に帰り着くと、
私たちは賑やかな子供たちの笑い声に囲まれた。
一家は、常に明るい光が点っているようで、
扉を閉じて家を出たあともなお、
無性に楽しく、興奮した心持ちで宿についた。












Theme:海外の子育て
Genre:海外情報

comments(2)|trackback(0)|ルーマニアの育児|2014-02-02_07:16|page top
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