トランシルヴァニアへの扉 - Erdely kapuja-

古きよきヨーロッパの面影を残す、トランシルヴァニアへの扉をそっと開いてみませんか?

::自己紹介::

谷崎 聖子

Author:谷崎 聖子
1978年宮﨑生まれ。
大阪外大、ハンガリー語学科卒業。
ブダペスト大学で民俗学を専攻。
ルーマニア、トランシルヴァニア地方のフォークロアに惹かれて、セーケイ地方に移住、結婚。
三人の子育て中。

伝統手芸研究家。
トランシルヴァニアの文化、手しごとを広める活動をしています。主な著書「トランシルヴァニアの伝統刺繍 イーラーショシュ」、「カロタセグのきらめく伝統刺繍」。

東欧雑貨ICIRI PICIRIFOLK ART Transylvaniaのオーナー。

詳しくは、森の彼方-トランシルヴァニアへの扉をご覧ください。

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地中海の島へ

この旅の計画は、思わぬことからはじまった。
旅行会社から送られてきたダイレクトメールで、
シーズンオフの格安ツアーが偶然目に留まったのだ。
いくつかある海岸の町の中で、マルタ島というものにピンときた。
以前、旦那からマルタに石器時代の古代文明があったことを聞いていたからだ。

この鬱蒼とした灰色の風景から抜け出したい。
そう思ったのは、11年前ちょうど息子がお腹にいるときで、
新婚旅行としてチュニジアのツアーに参加するのを決めたのと同じ思いだった。
ひとつ新しいことを始めて、自分を変えてみたいという思いもあった。
そうして、結婚11年の記念と名をうって家族旅行をすることにした。

ヨーロッパ各地へ、ここ数年は格安飛行機が普及してきている。
「木製ベンチ」という異名をもつその飛行機は、
無料で運べる荷物が制限されていること、機内サービスが有料のこと、
頻繁に飛行機が遅延すること意外は申し分ないものだった。
ブカレストからマルタへ二時間半の飛行が、
日本円にして片道3000円程度で可能ということは驚くべきことだ。

私たちの乗った飛行機が、緑の草原と黄色い野の花のちらばる大地を踏むと、
機内からは一斉に拍手が巻き起こった。
パイロットは聞いているだろうか。
妊娠のせいか涙もろくなっている私は、旅の無事を喜び思わず涙した。
こうして、長い夢のような一週間が幕をあけた。

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表に出ると、生暖かく、肌に吸い付くような湿った空気が迎えてくれる。
空港前の椰子の木は、故郷宮崎の空港を思い起こさせる。
バスに揺られて1時間半、美しいマルタ独特の黄色い建築の群れに目を奪われながら、
小さな海岸町に着いた。

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アパートメント風のホテルは、
3人部屋でキッチンつきで一泊3000円わずか。
昼でも室内は暗く、窓の外は壁しか見えないけれど、
貧乏旅行の私たちにはちょうどいい。
昼食はスタンドのパンで済ませ、日々夕食は自炊をした。

一日目、ちょっと目を離した隙に、娘が海の浅瀬に落ちた。
ジャンバーの下は無事だったけれど、
靴もズボンもびしょびしょ。
いくらマルタとはいえ、冬は風が吹き肌寒い。
旦那がすぐに衣類を買いに走った。

初めて見る地中海の海は、青く澄んでいた。
海岸によって、その時の天候によって、深さによって色を変化させる。
海岸端を散歩していくと、

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息子が大喜びで、何かを見つけたようで駆けてくる。
赤く熟した、サボテンの実だ。
こちらは雑草のようにどこでも生えてくるらしい。
この実が、夜に悲劇を起こすとはまだ知る由もなかった。

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みずみずしい緑の草原にたどり着いた。
私の目をもっとも喜ばせたのは、他でもない緑だった。
あらゆる植物が枯れて、凍りついた世界に慣れたせいか、
何でもない風景でも感動させてくれる。

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それから田舎道をひたすら歩きつづける。
畑は、マルタの建物と同じ黄色い石垣で区切られている。
マルタ島の大きさはブダペストの町くらいというから、迷う心配はないだろう。
手にしているのは、バスの路線図だけ。

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やがて一雨振り、あわてて自動車道を探した。
庭で作業しているおじさんに、「首都行きのバス停は。」と尋ねると、
「俺ができるのは、マルティーズ(マルタ語)だけさ。」という返事。
英語が公共語で、最近は英語留学でも有名なマルタであるが、
地元の人たちはマルタ語のみ話している。
それは半分イタリア語、半分アラビア語のような不思議な言葉である。

都市のある東海岸は、
ぎゅうぎゅうに人口の密集した町の風景だけれど、
ひとたび町をでると荒々しい自然がそのままの姿で残っている。

ゴゾ島の東海岸。
荒々しい波で削られた海岸は、
大小の潮だまりが空の青をきらきらと反射している。
「アズ-レの窓」と呼んでいる。
足元の岩の下では、轟々と音をたてて波がぶつかり合い、
荒れ狂う海の恐ろしさを物語っている。

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まるで宇宙の惑星のような、小さな潮だまり。

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北海岸は、静かな砂浜が横たわっている。
はじめて見る赤茶色の土、透明な青い海、
そして岩の突き出た緑の丘には、小さな洞窟がある。
これこそ、ギリシャの古典文学オデュッセウスの舞台になったといわれる場所であるという。
「昔、チュニジアにいたときに、
誰かが海の向こうに小さな島があって、そこにオデュッセウスの舞台になった洞窟がある。」と話していたよ。
この海の向こうには、11年前に行ったチュニジアがある。

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極上の海を前にたまりかねて、旦那が衣類を脱ぎはじめた。
ついに腿まで海につかって、時折高くなる波に上着までぬらしてしまった。
太陽が翳るまで、しばし海遊びを楽しんでいた。

マルタ島の西海岸ほど、自然の猛々しさを感じない場所はない。
空港からわずかバスで15分ほどで、世界の果てのような絶壁が立ちふさがる。
今では居住区も少ないこの西海岸地帯に、
古代文明の足跡が残っているのは面白い。
まず青の洞窟と呼ばれる海食洞。
それから、数多くある中でもっとも美しいといわれるハジャール・イム巨石神殿がある。

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バスを降りて、海岸沿いを散策する。
地点から地点へと向かう、道のりがまた楽しい。
日中は太陽の光が初夏のように降り注ぐ。
汗ばんで、上着を脱いだ。

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石器時代の巨石神殿は、今から5000年以上も前に建てられたものだという。
古代人の祈りの場所であったと同時に、太陽の動きを観察し、
夏至や冬至を知るために使われたという説もある。
何千年もの間、人々の記憶から忘れ去られていた遺跡が
再び日の目を浴びるのは20世紀始めになってのことである。
現在は風雨からの保護のため、屋根がついている。

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樹一本生えていない不毛の土地で、可憐な花を咲かせる植物。

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マルタのシンボルにもなっている石の門を通して、
儀式に使用されたものか食卓のようなものがのぞき見える。
このような古代遺跡を前に鳥肌の立つような思いをするのは、
故意に作った(と見える)装飾を見るときである。
何千年と時を経た石には、
深々と穴が刻まれ、その入り口を他とは違う何かに見せていた。

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今のマルタの建物と同じ黄色に色づく巨石のそばで、
小さな石ころを拾った。
それは、もしかしたら何千年と同じ時代をともにした兄弟なのかもしれない。

最終日を前にして、つまらぬことで夫婦喧嘩。
ホテルに旦那を残して、子ども二人連れてバスに乗って海岸へ行く。
人ひとりいない海岸を歩いても、不安にならない治安のよさ。
美しい海と子どもたちの笑顔で、すぐに気分が晴れた。

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巨大ホテルの建つゴールデン・ビーチから丘ひとつ超えただけで、
誰もいない静かな砂浜にたどり着く。
息子はズボンを脱ぎ波と戯れ、娘は黄金色の砂と遊ぶ。
ただ波の音だけが響く、静かな時間。

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地図によると、丘のさらに向こうの方に砂浜があるらしい。
この風景の向こうには何があるのだろう。
紐にくくりつけた娘を抱いて、丘の上へと登ってみると、
荒々しく削られた崖があるだけ。

IMG_2233.jpg

今度は丘の上を通って、元の道へと引き返そう。
緑の映える小高い原っぱを歩くのは、ちょっとしたハイキング気分。

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丘の上から、最後に見る海岸。
その姿をしっかりと目に焼き付ける。
今は自然のまま美しい姿だが、時代とともにどう変わってしまうか分からない。

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最後の夜は、ラバトという王宮の街を散策した。
群青色の空の下、外灯で照らされた黄色い壁の色がなんとも見事だ。

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そのひっそりとした町の風景は、中世にタイムスリップさせてくれる。
夏の夜は、夕涼みに繰り出す人で往来はさぞにぎわうことだろう。
冷たい風の吹きぬける冬は、ただ静けさだけがある。

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こうしてのんびりと、それでも慌しい旅の日々が終わり、
再び空港に戻ってきた。
1時間遅れで到着する飛行機を待ちながら、
娘が引きちぎった荷物用のテープを息子が顔に貼り付けてやる。

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1週間に一度だけの運行便。
行きとほぼ同じ旅行客を乗せた飛行機が、
再びうっすらと白い雪のつもる大地に降りたとき、
行きの時よりもさらに大きな拍手が巻き起こった。
また涙ぐみながら、その拍手に同調し、
ルーマニア人の感情の素直さに感激したのだった。
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comments(6)|trackback(0)|その他|2015-02-23_11:34|page top

セーケイ地方は母の国

「ここセーケイ地方は、母親の国である。」
そう明言したのは、地元の民俗学者バラージュ・ラヨシュ氏だった。
昨年の11月、県立図書館の青い間で本の出版を祝って公演会が開かれた。
その内容は、出産についての民俗学。

「私は、熊手ではなく鋤(すき)である。」
そういう言葉にピンときたのは、
こちらで農作業をしたことがあるだけでなく、
氏のフィールドワークのあり方を旦那から耳にしていたからだった。
生まれ故郷のセーケイ地方の村に40年以上も通い続け、
その村だけで何冊もの本を著した。
広い範囲を耕すのではなく、一点をのみ深く掘り続ける。

その研究の集大成として、3冊の本がシリーズとして出版されていく。
その一巻が、「出産、誕生にかかわる民俗学」
話は、まず生まれつきの老人のような皮膚で生まれた赤子を
どのように治療したかという話から始まる。
まさにパンを焼くのと同じ方法で、木の板に生まれてまもない乳児をくくりつけ、
あらかじめ熱しておいたかまどの中に入れる。
驚くことに、その治療は皮膚が少し赤くなる程度に焼けることによって功を奏するという。
ちなみに19世紀のハンガリーの作曲家、エルケル・フェレンツも同様の病気で生まれたが、
その治療で片方の眼を失明したという逸話もあるらしい。
その後は、儀式のように丸型のパンに赤子をくぐらせ、
犬にそのパンをくわえて門の外に追い出す。
つまり赤子の難をパンに託して追い払うという役目があるということだ。

こうして話は自宅で行われたさまざまな出産方法、
村で実際に出産に立ちあった女性の体験話などにつづいていく。

生命の誕生という神秘性を、村という小さな共同体で
何百年もの間、どのように受け止めてきたか。
それが伺い知れるような印象的な講演だった。

終わりに、画面に映し出されたのは、
古い白黒の記念写真の数々。
それは、戦時中に出兵中の父親に向けて送られた家族写真だった。
質素な身なりで背筋をただし、威厳さえ感じられる燐とした表情の母親。
まるで父親の役目まで果たさんと、気を引き締めているのがわかる。
脇には、自分より背丈の高い子供たちが
まるで母親を守るようにしてずらりと並んでいる。
その数は、どれも6、7人と多い。

「セーケイ地方は、生活がどんなに苦しい時でもいつでも子供が多かった。
賢い母親が、たくさんの子どもを育て、この地方を作ってきた。
だから、私は母親の国だと命名したいのです。」

それから3ヶ月たち、
新しい生命を授かったことが分かった。
このセーケイ地方という土地風土が、
私を母親にしてくれたに違いないと信じている。




Theme:ルーマニア
Genre:海外情報

comments(4)|trackback(0)|トランシルヴァニア食文化|2015-02-13_00:35|page top
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