トランシルヴァニアへの扉 - Erdely kapuja-

古きよきヨーロッパの面影を残す、トランシルヴァニアへの扉をそっと開いてみませんか?

::自己紹介::

谷崎 聖子

Author:谷崎 聖子
1978年宮﨑生まれ。
大阪外大、ハンガリー語学科卒業。
ブダペスト大学で民俗学を専攻。
ルーマニア、トランシルヴァニア地方のフォークロアに惹かれて、セーケイ地方に移住、結婚。
三人の子育て中。

伝統手芸研究家。
トランシルヴァニアの文化、手しごとを広める活動をしています。主な著書「トランシルヴァニアの伝統刺繍 イーラーショシュ」、「カロタセグのきらめく伝統刺繍」。

東欧雑貨ICIRI PICIRIFOLK ART Transylvaniaのオーナー。

詳しくは、森の彼方-トランシルヴァニアへの扉をご覧ください。

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グリーンのケープコート

ウール素材の鮮やかなグリーンのケープコート。

裏がめくれると、青いウールが見えるフードつき。

胸には赤い合皮の花の飾りが愛らしい。

娘が生まれるずっと前から、買っておいたものだった。

だんだんと肌寒くなってきた9月の朝、娘にかけてやった。

「こんなコート、子供の時に着たかったなあ。」

何気なくそう言うと、娘はしっかりと目を見据えてこういった。

「ママがいつか死んで、赤ちゃんになって生まれてきて、

子供になったら、着させてあげるからね。」

その思いがけない言葉に、目を丸くさせた。


大人にとっても、理解の外にある死の世界。

それは、いつしか娘の頭の中で輪廻転生、

それも私が娘の子どもになって生まれてくるという、

身内の強い縁によって結ばれる世界が出来上がっているのだ。

 

4歳になった夏、

娘はしきりに死のことを意識するようになった。

その不安は、夜眠る前にやってきたらしい。

「おばあちゃんはかわいそう。

年寄りだから、もうすぐ死んじゃう。」

「大人になりたくない。ずっと、子供でいたい。

だって、すぐに年をとって死んじゃうから。」

 

そんなとき、悩みながらもこう説明した。

大切な人が死んでしまうのは確かに悲しいことだけれど、

もし人が死ななかったら、新たに赤ちゃんが生まれてこなくなってしまう。

私たちが生命のバトンを渡すという意味は、自ら子どもを生むことだけではなく、

自分の場を他者に譲ることにもあるのかもしれない。

 

蚤の市で買った、白いウールに黒い組紐模様とアップリケのほどこされたジャケット。

民俗衣装はふつう着ないで、ひたすらコレクションのためだけにタンスにしまっているのだが、

薄汚れたこのジャケットは、どこか舞台衣装のようで抵抗なく着られる。

ある日、椅子の背にかけてあるこのジャケットを見て旦那に言った。

「このお洋服、素敵。

ママが死んだら、私のものになるの。」

いかにも、ちゃっかりとした娘らしい言葉に、微笑まずにいられなかった。

 


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comments(2)|trackback(0)|トランシルヴァニア食文化|2017-10-24_00:00|page top

イーラーショシュを繋ぐ人たち

ふたりの子どもをお姑の家においてきたので、 長居はできない。 
ましてや、明日から新学期がはじまるのだから尚更だ。 
帰りを急ぐため、早起きをして村を出た。 
カロタセグを横断する道すがら、森のはずれにあまりに美しい風景が広がっていた。
急ぎたいと思いながらも、車を止めずにはいられなかった。

秋を告げる花、イヌサフラン。
草原を見渡すかぎりに、淡く紫色に透きとおる野生の花を見つけると、
不思議と胸がときめく。

  kalotaseg osz (9) 

ハンガリー語で「秋」という名をもつこの花ほど、
季節を象徴するものはないのではないだろうか。
森のふもとでひっそりと暮らす妖精のようだ。


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かねてから訪ねようと思っていた人がいた。
小学校の先生をしていたおばあさんが、イーラーショシュの図案を描くという。
名前だけを頼りに、村を訪ね歩いていくと、
90歳という高齢だという話。
立つこともできないというので、突然訪問していいものだろうかと考えていたら、
「大丈夫だよ。」と村人。
木彫りの美しい門をくぐり、階段を登って扉を開けると、
ライトの明かりの下で刺繍の布を広げるおばあさんの姿があった。

「今ちょうど、教会に寄贈するタペストリーの刺繍をやり直しているところよ。」
と見せてくれたのは、100年以上も昔に作られたクロスステッチ刺繍だった。
「私はここから動くことができないから、
ここで図案も描くし、刺繍もするの。」
ベッドの周辺がおばあさんの全てを物語る空間。
「そこのテレビの横にある用紙を出してちょうだい。」
言われるがままに、小さな隙間に隠し置かれた大きな画用紙を取り出すと、
おばあさんのクリスチャンマザーであった女性の生涯を写す写真や
ドロンワーク、イーラーショシュの小さな作品がスクラップしてあった。


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「ここにいるのが、コーニャ婦人テレーズよ。」
後にカロタセグ上地方の牧師夫人となった婦人は、
その生涯をカロタセグの刺繍に捧げた。
20,30年代にかけて、ジャルマティ夫人の跡を継ぎ、
各地で展示会を開き、イーラーショシュやドロンワークの美しさを世に広めた。
コーニャ婦人その人も、図案をデザインし、
当時の流行の影響を受けたものへと改良していった。
彼女の目指す刺繍とは、
子供服や婦人靴など当時の都市生活へ応用できる手仕事であって、
村の生活とはかけ離れたものだった。


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生涯子孫に恵まれなかった婦人が、
愛情を注いだのがアーギおばあさんだったのだ。
90歳になってもなお、少女のように目を輝かせながら言う。
「見なさい、このコーニャ婦人の美しい髪を。
死ぬまで、その長い髪を切らなかったのよ。」
コーニャ婦人は、永遠の憧れであり、
婦人のデザインした膨大な数の図案を大切に守り続けている。
「いつか、博物館がほしいと声をかけたことがあったのだけれど、
譲らなかったわ。
この図案は村にあってこそ、生かされるもの。」
コーニャ婦人の生きた30年代のカロタセグの空気が、
今もアーギおばあさんの手で布に刻まれ、そして刺繍によって生命が吹き込まれる。


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アーギおばさんは足を失ったものの、
いきいきとした脳でたくさんの言葉を語ってくれる。
「その昔、戦争のあった頃、
私の亡き父と、母と、私たち兄弟はクルージの工場の跡地で暮らしていたわ。
ロシアの兵隊がきて、町を占領した日に、
たくさんのピロシキを焼いたのを、生まれて初めて食べたの。
ある夜、表で戦いがあって、父といっしょに隠れていたのだけれど、
一晩で父の髪が真っ白になったのを見たのよ。
可哀想に、恐怖のあまり髪が白髪に変わってしまった。
次の日、捕虜として捕らえられて、ロシアに連れて行かれてしまった。
それ以来、父の消息は分からないの。」

一世紀に近い年月を生きたおばあさん。
次にどんなことを物語ってくれるだろうか。





comments(2)|trackback(0)|トランシルヴァニア食文化|2017-10-21_16:49|page top

針金細工のボクレータを学びに

セーケイ地方から北西へと車を走らせること、6時間。

カロタセグ地方の土を踏むのは、この春に訪れて以来のことだった。

夏と秋のはざま、9月の二週目が過ぎようとしていた。

それは、人々が長い夏を終えて、

平常の仕事ペースに戻ろうとゆるゆると重い腰を上げる頃。

新学期がはじまる、ちょうど前の週末だった。

 

長い夏の大半を日本で過ごしたため、休息とたまった仕事に費やしたこの8月。

すぐに次の旅へと気持ちを移すことができなかった。

しかし、どのように悔いても時間だけは元に戻らない。

 

秋のはじめは、まるで大波のように暑さと肌寒さが

代わるがわるに押し寄せてくる。

夜が更ける頃、ナーダシュ地方のエルジおばさんの家に到着すると、

石造りの家の中も外と変わらず身震いをする冷え込みだった。

張りのある大きな声と、がっちりした大きな体に肩を抱かれて、

長い旅の終わりを感じていた。

一人だけ連れてきた末っ子の瑞生は、

座りっぱなしの体をようやく伸ばして、おそるおそる家の中を探索しはじめた。

おばあさんは、この冬を越すための、荷馬車いっぱいの薪を買い込んだところだという。

そして、ここカロタセグでは薪用の丸太も年々値上がりが激しく、

大変な出費だとのことだった。

自家製のプルーンジャム入のロールパンはふわふわで、

やさしい味が旅の疲れもほぐしてくれるようだ。


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長旅の疲れと温かい布団のお蔭で、ゆっくりと休んだ。

退院して二週間になるカティおばあさんを見舞ってから、

次なる目的地へと車を走らせた。

 

kalotaseg osz (6) 


今回は、ビーズの針金細工を習得するのがもうひとつの目的。

カロタセグのナーダシュ川流域の村では、

大都市クルージ・ナポカに近いため、流行の素材が手に入りやすかった。

そのため、色とりどりのビーズを散りばめた装身具を作り、

とりわけ華やかな衣装に身を固めるようになった。

針にビーズを通して刺繍をするビーズ刺繍の他に、

昔は針金にビーズを通してモチーフを作る、針金細工の帽子飾りを作っていた。


 kalotszeg osz 


面白いことに、同じカロタセグでも地方によって美意識が大いに異なる。

ナーダシュ流域ではきらめくビーズをふんだんに使うことにこの上なく誇りを持っており、

上下地方では、昔ながらの刺繍に磨きをかけ、統一感のある配色をもつ

自身の衣装こそが本物だと主張する。

はじめは、私も刺繍こそが美しく、ビーズは玩具のようなものと思っていた。

民俗学的にも、刺繍の本は山ほどあるが、ビーズを扱ったものは一つもない。

そんな先入観を大きく変えてくれたのは、カティおばあちゃんの手がけるボクレータであり、

古くにチェコから仕入れたビーズを使ったさまざまな装身具だった。

とりわけ磁器のように白の濃い目の細やかなビーズが、年代を経て塵や埃を吸い、

さながら影のように黒ずんだ表情が美しい。

 

山手にある村、イナクテルケ。

周辺の村の中でも、最も衣装が華やかだと言われている。

数年前に知り合ったカティおばさんを探すことにした。

一人息子が牧師をしているというおばさんは、穏やかでどこか知性を感じさせる話し方をする方。

針金細工を教えてほしいというと、快く受け入れてくれた。

「そう私の小さい頃にはね、丸いビーズが揺れる長いモチーフを3本作って、

バラをその間に埋めた飾りをつけていたのよ。踊ると針金飾りが揺れるので、

「レズグー(揺れる)」と呼んでいたわ。」

思い出し思い出ししながら、針金にビーズをくぐらせてねじる。


 kalotaseg osz (2) 


手仕事を片手に、村のおばあさんたちとおしゃべりするのも楽しい。

相手の顔を見ずしも、手仕事という共通点から、さらに相手との距離が近づく気がする。

「子供たちよ、昔この家の横で夏になるとフォークダンスのキャンプが開かれて、

ハンガリーからたくさんの人がきたわ。

その先生の一人娘がね、まだあの頃は8歳くらいだったかしら。

うちの家畜たちが好きで、よく見に来ていたの。そして、ある時こういったわ。

『おばさん、牛はどうなったの?』ちょうど主人がなくなったあとで、

私は女手ひとつで養っていく自信がなかったから、すべて売ってしまったところだった。

忘れもしない、その子は私の目をまっすぐ見ながらこういったわ。

『可哀想なおばさん。貧しくなってしまったわね。』

その子のいう通りだった。今、店で買う牛乳やサワークリームは、

自家製のものとは似ても似つかない代物。もう、あんな味は手に入らないのよ。」

現在は、村には一頭の牛もいないという。


 kalotaseg osz (3) 


「さあ、今度はあなたがやってみて。」とバトンタッチ。

時にビーズをほどくこともあったが、小さなバラのモチーフが出来上がった。

細くしなやかな工芸用の針金は、現地では手に入らないという。

「わたしもひとつ注文したいわ。孫に昔ながらの針金ボクレータを作りたいの。」

とカティおばさん。

物づくりの上で大切なものは素材。

素材がないために、姿を消してしまった美しい品々はたくさんある。

もしかしたら、もう一度古い針金細工ボクレータが復活するかもしれない。

淡い期待に胸を弾ませながら、夕暮れどきの道をエルジおばさんの待つ家へと車を急がせた。




comments(2)|trackback(0)|カロタセグ地方の村|2017-10-10_20:22|page top