FC2ブログ

トランシルヴァニアへの扉 - Erdely kapuja-

古きよきヨーロッパの面影を残す、トランシルヴァニアへの扉をそっと開いてみませんか?

::自己紹介::

谷崎 聖子

Author:谷崎 聖子
1978年宮﨑生まれ。
大阪外大、ハンガリー語学科卒業。
ブダペスト大学で民俗学を専攻。
ルーマニア、トランシルヴァニア地方のフォークロアに惹かれて、セーケイ地方に移住、結婚。
三人の子育て中。

伝統手芸研究家。
トランシルヴァニアの文化、手しごとを広める活動をしています。主な著書「トランシルヴァニアの伝統刺繍 イーラーショシュ」、「カロタセグのきらめく伝統刺繍」。

東欧雑貨ICIRI PICIRIFOLK ART Transylvaniaのオーナー。

詳しくは、森の彼方-トランシルヴァニアへの扉をご覧ください。

カテゴリー

FC2カウンター

カレンダー(月別)

07 ≪│2018/08│≫ 09
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 -

これまで書いた記事は・・・

全タイトルを表示

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

Feed Me!

トランシルヴァニアへの扉  - Erdely kapuja-のRSSフィード

ブログ翻訳

10月講習会のお知らせ

10月16日より約2ヶ月間、日本へ一時帰国いたします。

その間、東京、関西各地で講習会やイベント、展示会など開催する予定です。

今回は、トランシルヴァニアのハンガリー人の伝統刺繍を3種類実習します。



rama.jpg 


セーク村に伝わるアウトライン刺しゅうは、

現地では「枠刺繍」とも呼ばれています。

布に直接描いた図案を大きな木枠に張り付けて、

上から下、下から上へと針を通します。

古くから飾りベッドのための枕カバーを彩るために、刺繍されてきました。



SzekesKalotaszeg2_20180827163917e84.jpg 


まるで大木のように伸びたチューリップを中央に置いた、

アールデコのようなモチーフ。

両脇をつぼみが彩る図案を、マチ付きのバッグに仕立てます。



P1140003.jpg 


裏にはハンガリー、ルーマニア製プリント布を組み合わせ、

持ち手には、アルコールランプの芯を使用します。



P1140004.jpg 


カロタセグに伝わる刺繍イーラーショシュ。

ヨーロッパでも唯一とされる独特のステッチで

曲線の多い植物模様を刺繍していきます。


kalotaszeg1_20180827163929f84.jpg 


100年前のアンティーク図案から、

枕カバーの端を彩る連続模様をサンプラーのように並べました。

上から下へと段階を踏むごとにだんだんと難易度が増していきます。



P1060044.jpg



ホワイトリネンに黒い刺繍が映える、ショルダーバッグは、

アンティーク刺繍のような味わいです。

裏にはハンガリー、ルーマニア製織り布を組み合わせ、

持ち手には、アルコールランプの芯を使用します。


 P1060051_20180827163924bb4.jpg 


トランシルヴァニア地方の特徴とも言える、編みクロスステッチ。

かつては各地で見られていましたが、

特にアーラパタク村の編みクロスステッチは1900年のパリ万博で金賞を博しました。

普通のクロスステッチより、1目分伸ばして刺繍をするので、

まるで編み物のような独特の風合いに仕上がります。



IMG_8118_20180827175940ee2.jpg 


メシュテルケと呼ばれる、端のモチーフを選んで中央に施し、

現地で使用されるクロスステッチ用刺繍糸を使って刺繍します。

ちいさな鳥が向かい合う図案は、祝いの場にふさわしいものとされています。



keresztszem_20180827183431ec8.jpg 


裏にはルーマニア産の織り生地を使い、

トランシルヴァニアの革職人によるオリジナルの本革持ち手がさらに重厚感を与えます。


 keresztszem1.jpg 


*10/18(木曜) 10:00-12:30 (例年より30分長くなります。) 
新宿朝日カルチャーにて開催されます。
今回は、カロタセグのイーラーショシュか
セークのアウトライン刺しゅうのどちらかをお選びいただけます。

材料費
①イーラーショシュ(約3500円) 
②セークのアウトライン刺しゅう(バッグ)(3000円)

8月28日からWEB限定割引が先着7名様に適用されますので、
どうぞお急ぎください。

朝日カルチャーセンター


*10/17(水曜)の終日

文化服装学園オープンカレッジにて開催されます。

こちらは講義が75分、実習が75分の形式で、午前午後と分かれています。

午前はトランシルヴァニアのハンガリー人少数民族の伝統衣装や刺繍についての講義のあと、

イーラーショシュの基本の技術を学ぶ実習をします

午後はトランシルヴァニアの編みクロスステッチについての講義のあと、

編みクロスステッチの基本の技術を学ぶ実習をします。

こちら募集が始まり次第、ご連絡します。

文化学園オープンカレッジ

*10/23(火曜)10:00~12:00、15:30~17:30
NHKカルチャー京都教室にて開催されます。
午前はイーラーショシュ、午後は編みクロスステッチの実習となります。
トランシルヴァニアの伝統刺繍 ~編みクロスステッチ~

*10/25(木曜) 10:00~12:00、13:00~15:00
NHKカルチャー西宮ガーデンズ教室にて開催されます。
午前はイーラーショシュ、午後はアウトライン刺しゅうの実習となります。
トランシルヴァニアの伝統刺繍~アウトライン刺繍(ポーチ)~

*10/27~29(土~月)
箕面市けんちくの種にて開催されます。
イーラーショシュ、アウトライン刺しゅう、編みクロスステッチの実習となります。
けんちくの種

スポンサーサイト
comments(0)|trackback(0)|トランシルヴァニア食文化|2018-08-27_18:32|page top

レケチン村を訪ねて

チャーンゴーの村をいくつか訪ねた中でも、 もっとも印象深かったのはレケチン村だった。
ハンガリーの写真家ゲルグーは「ここからが本当の旅だよ。」と目を輝かせて言った。 
ショモシュカ村から森の中を通って、 
何キロか歩いてたどり着いた山奥の村。
森の脇の古い一軒の小屋で、 村で最後の産婆さんという女性が機織りをしていた。 
そのおばあさんは、目にも鮮やかな色合いの縞模様の布を贈ってくれた。 

ダンスキャンプでレケチン出身というチャーンゴーの女性と出会った。 
話しているうちにゲルグーを昔からよく知り、泊まっていくと話した。 
キャンプも終わりに近づいた日、メリツァはこういった。 
「明日は遠足で、ちょうど村のそばの森に行くから、 その後、村の私の家に案内してあげる。」 
願ってもない申し出に、心が躍った。

 18年前に徒歩でいった森の道は何処にあるのだろう。 
山あいの小道を通り、車で村に入った。 
村はずれで車を止めると、 メリツァは
「ちょっと待っていて。トウモロコシを取ってくる。」と 縞模様のかばんをひとつ持つと
緑の茂った畑へ小走りで向かった。 
彼女の手伝いにと、私も後を追って2、3Mはあるトウモロコシ林の中に入っていく。
彼女が手渡すトウモロコシを入れて、かばんはどんどん重さを増した。 
黄色い実をつけたトウモロコシは、チャーンゴーの言葉でプイと呼ばれる。 
ルーマニア語でニワトリの意味だ。 黄色い色がヒヨコを連想させるから呼ばれるのだという。

村につくと、子供たちはぐっすり眠っていた。
道路沿いに車をとめて、そこからは徒歩になる。
旦那と私は子供をそれぞれ腕に抱いて、砂利の坂道を登っていった。
途中、水汲み場があって、
おばあさんが普段着の民俗衣装を着てバケツで水を汲んでいた。
あっと声が出るような、美しい光景だったが
二人とも両手がふさがり、カメラを出すことさえできなかった。

メリツァが、「ここが私の家よ。」と坂の中腹に建てた家に入っていった。
緑が茂った美しい庭で妹さんが働いている。
通されたのは、清潔の部屋だった。
色とりどりの織物で彩られたベッドに子どもたちをそっと置く。
美しいベッドで眠ることができて、なんて幸せなことだろう。

lekecsin1.jpg 

部屋の隅には、飾りベッドの代わりに
きれいに折りたたんだ織りものが積み重ねてある。
モルドヴァ地方では、このように嫁入り道具を作りためるのだ。
この家では、残念なことにメリツァも妹さんも独身のようだ。

lekecsin2.jpg 
部屋の角には、マリア様の像が置いてある。
敬虔なカトリック教徒のチャーンゴーらしい住まいである。
部屋の角は「聖なる角」と呼ばれていて、
日本では神棚や仏壇のように信仰の対象となる品々を置くことがある。
セーケイ地方では角にちいさな箪笥を置いて、中に貴重なお酒を入れる光景も見られる。

lekecsin.jpg 
別の部屋も美しく飾り付けてあった。
チャーンゴーは華やかな色を好むので、
縞模様の色の洪水に目がくらみそうだ。
ロングクロスを半分に折って飾る習慣は、ルーマニア人の影響である。

lekecsin4.jpg 
収穫したばかりのトウモロコシを茹でる間に、
美しい手仕事を次々と見せてもらった。
冬じゅう、織り機で織ったベッドカバーやかばん、帯などを
チャーンゴーのイベントなどで販売をしている。
さらに畑仕事や家畜の世話、自家製のワインやパーリンカなども作っている。

私たちが学生の頃は、あらゆる民俗学者がモルドヴァのチャーンゴー人の元へこぞって通っていた。
ハンガリー政府の援助をえて、研究が盛んな時代だった。
それと共に、各地の村にハンガリー語教育の施設や教師が送られ、
チャーンゴーの子供たちにはさまざまな奨学金や遠足などの機会が設けられた。
メリツァも、チャーンゴー協会に雇われて村で子供たちに手織りを教えている。

ビーズで編んだ美しいボンネット。
本の中でしか見ることのできない貴重な品だ。
これまでは外国人がたくさんの貴重な手仕事を持ち去ってしまったが、
メリツァは村に博物館を作り、地元に残したいという。
こういう意識をもつチャーンゴーの女性たちが、
ここ20年ほどの間に生まれたということは大きな収穫である。

lekecsin5.jpg 
台所で、茹で上がったトウモロコシを頂いていると、
近所のおばあさんがやってきた。
「さあ、あなたも食べていきなさい。」
村では当然のようにご近所も食卓を囲む。

lekecsin6.jpg 
近所に古い家があって、おばあさんがひとり暮らしていると聞き、訪ねた。
ちいさな部屋は大人が4、5人しか座れないほどだが、
部屋の半分近くを占めるのは大きな竈だった。
土を塗り固めて作った巨大な空色の柱が天井へとつづいている。

lekecsin8.jpg 

帰り道、湧水のところで
旦那が念願のおばあさんに会うことができた。
村で何度も尋ねていた「白いブラウス」をついに見ることができたからだった。
刺繍のないただのブラウスは、日常着である。
本でしか見たことのなかった衣装は、
外国人のためでもなく、教会に出かけるためでもなく、
普段からおばあさんが身につけているものだ。

lekecsin7.jpg

メリツァとの出会い、
レケチン村の訪問によって、
モルドヴァ地方、そしてチャーンゴー人が近くなった。
いつか、子供たちにこのような村があったことを覚えていて欲しい。

lekecsin9.jpg 
comments(2)|trackback(0)|その他の地方の村|2018-08-27_14:41|page top

モルドヴァのサマーキャンプ

長旅を経て、ちいさな村ラーブニクに着くと、
通称「ハンガリーの家」と呼ばれるチャーンゴー団体が運営する宿舎で夕食が待っていた。
大皿にはたっぷりとあたたかな食事がのっている。
私たちは遅くに申し込んだため、宿舎ではなく、
チャーンゴーの家庭にお世話になる。

朝食を食べて、10時になるとプログラムがはじまる。
子どもたちは、徒歩10分ほどにあるルーマニアの小学校へ向かう。
先生たちと一緒に、ダンスと歌のレッスン。
  moldova (15) 
日本人の父親を持つヴィリくん、チャーンゴーのパウリナと手をつないで
遠足感覚で学校へ通う子どもたち。
どうやら次男が最年少のようだ。

moldova (16) 
その間に、大人向けのフォークダンスか楽器の授業が開かれる。
モルドヴァのダンスは、輪になって踊るものが多い。
カルパチアから西は、カップルダンスが主なのだが、東へ向かうとダンスも変わる。
音楽も、抒情的なトランシルヴァニアのそれに対して、
モルドヴァは陽気でスピーディである。
笛、ヴァイオリン、コプザと呼ばれる中世起源のギターのような楽器の中から選べる。

やがて、チャーンゴーのおばあさんに民謡を学ぶ時間がきてから、昼ごはん。
午後になると、毎日違う村からチャーンゴーのグループが
歌やダンスのショーをしてくれる。

子どもたちは、その間、手仕事の時間。

moldova (13) 
学校の前には、3台の機織りが置かれていて、
チャーンゴーのおばさんたちが機織りを見せてくれる。

moldova (14) 
美しい帯や巻きスカート、タリスニャと呼ばれる肩掛けかばんは、
手織りで作られている。

moldova (11) 
クレージェ出身のチャーンゴーのおばさんが、刺繍を教えてくれた。
シェルベットと呼ばれる、婚約の印のハンカチは、見事な刺繍が添えられる。
男性はそれを帯の間に挟み、教会に出かけるので、
花嫁の刺繍の技は村中の目にさらされることになる。

moldova (3)

残念ながら、現在は手織り布は使われず、
市販の粗い目の布に、化繊布で刺繍がされるので、
図案が大きく引き伸ばされ、発色も人工的になってしまう。
刺繍をしていると、おばさんがチャーンゴーの民謡を口ずさみ、
笛の音色も重なって、何とも贅沢な時間になった。
 moldova (2)

朝から晩までモルドヴァの音楽に囲まれる、一週間。
木曜日は、バスで森へと遠足に出かけた。
昔では考えられなかったことだが、森の中にペンションとプールが建てられている。
子どもたちは大はしゃぎでプールに飛び込み、
大人たちはビールを片手におしゃべり、休憩をする。
近くの村から、チャーンゴーの女性たちがやってきた。

moldova (10) 
チャーンゴーのダンスを見ている内にふと気づいたことがある。
美しいブラウスの袖が斜めに重なり、後姿がなんと美しいのだろう。
その袖を見せるために、このように腕を交差させるダンスが生まれたのかもしれないし、
ダンスの見栄えをよくするために、刺繍の豪華な袖が生まれたのかもしれない。

moldova (5) 
夕食が終わると、楽団を呼んで、明け方までターンツハーズ(ダンスパーティ)が開かれた。
18年過ぎて、出会ったチャーンゴーのイメージは大きく変わっていた。
チャーンゴーの女性たちの陽気なパワーに圧倒されるとともに、
彼らの中でチャーンゴーのアイデンティティーに自信が芽生えているのを強く感じた。
「私は伝統の保持者よ。」と自信を持って、
手仕事、歌や踊りにいそしみ、私たち外部のものに教えてくれるのだ。
そして優秀なものはチャーンゴー団体に抜擢され、
社員として働いたり、ハンガリーや外国で開かれるイベントへも招待される。

不思議な再会も後を断たなかった。
主催者ののひとり、ロズィが声をかけてくれ、
いつかクレージェの村で日本について話をしたことを思い出させてくれた。
「ずっと弟といっしょにそれを覚えていて、
ひらがな、カタカナといってふざけていたわ。」
私すら忘れかけていた過去の出来事がよみがえった。

何日か後には、クルージの大学の民俗学部で一緒だったチャーンゴーの少年ダニエルが、
大人のおじさんになって目の前に現れた。
「日本人らしい顔の子どもたちを見かけたから、もしかしてと思ったんだ。」
今は故郷の村でハンガリー語の教師をしているという。

ちいさな次男をいつも気にかけてくれたパウリナ。
故郷の村に家族を残して、夏のキャンプで働いている。
「君は私のペアなのよ。」といつも一緒にダンスをしてくれた。


moldova (4) 

参加者や主催者が不思議な絆で結ばれた1週間。
最終日の夜には、お披露目会、ターンツハーズで幕を閉じた。
「来年もまた会いましょう。」
握手や抱擁を交わして、私たちはモルドヴァの地を離れていった。




comments(4)|trackback(0)|その他の地方の村|2018-08-19_16:37|page top

モルドヴァのチャーンゴー人との再会

カルパチア山脈を超えて、東へ。
今から100年より昔は、トランシルヴァニアの民にとってモルドヴァ地方は外国だった。
険しい山を乗り越えて、東の土地へ移住したハンガリー人がいた。
今のバカウ県の村々へ定住し、「チャーンゴー」と呼ばれた。
csangalはハンガリー語で流浪するという意味がある。

チャーンゴーがいつモルドヴァ地方へ流れていったのかは、他説がある。
敬虔なカトリック教徒の彼らは、宗教改革でプロテスタントに改宗されることを恐れ逃げたのか、
中世に長く戦火が激しかったため、兵役を逃れたセーケイ人がチャーンゴーになったという説もあるし、
もしかしたらそれ以上前にすでにモルドヴァ地方にチャーンゴーがいたという人もいる。

チャーンゴーと呼ばれるハンガリー語を母語とする民族が、
何百年も母国から離れて、時にハンガリー語を弾圧されながらも、
存在するということだけは事実である。
そして、90年代以降は、ハンガリー政府からの援助を受けて、
チャーンゴーが母国で知られることになり、ハンガリー語教育も受けられるようになった。
ただし、今でも教会のミサはルーマニア語、
学校教育もルーマニア語が強要されている。

私がモルドヴァの土地を踏んだのは、今から18年前のことである。
当時大学生だった私は、不思議な縁で
ハンガリー人写真家チョマ・ゲルゲイ氏と文通をするようになり、
初めてチャーンゴー人のことを知った。
チョマ氏は、社会主義時代の統制が厳しい時代から
モルドヴァのチャーンゴー人を取材し続け、時に牢獄に入れられ、
名前を変えたりしながらも、熱心に仕事を続けていた。
チャーンゴーのために、その生涯を捧げるほどの熱意を持っていた。

「神様の背の向こうへ連れて行ってあげるよ。」
まだハンガリー語の能力が乏しかった私に対して、
子どもに昔話を聞かせるようにチャーンゴーの話や民謡を聞かせてくれた。
2000年の春に初めてモルドヴァ旅行へ同行させてもらった。

ちょうどイースター休みだった。
ハンガリーから約20時間かけて、
電車を乗り継いで、クレージェにたどり着いた。
「日本人の顔をしたチャーンゴーがいる。」というので、訪ねると
遠く東からの客に喜んでくれて、
チャーンゴーの詩人ドゥマ・アンドラ―シュ氏は詩を作ってくれた。
ヨーロッパの中で、中央アジアに起源をもつハンガリー語を話す人々は、
一般にアジアに対してロマンを抱いている人が多い。
このルーマニア色の強い土地で、ハンガリー語を辛うじて話す人々は、
さらに遠くの同胞を欲しているのだろう。
チョマ氏のご婦人は日本語の研究者なので、
日本語とハンガリー語の共通点を興味をもって聞いていた。

クレージェからショモシュカへ丘を上がって行き、
ちょうど聖金曜日のミサへ参加してから、
夜更けにロウソクを手に、村はずれの十字架を巡礼した。

森を越えて、レケチン村へと向かった。
村はずれの最後の産婆さんの家で、機織りをする様子を見せてもらったのが印象に残っている。
おばさんは、美しい手織りの布を贈ってくれた。

不思議な縁で、1年間の留学期間で
私はモルドヴァを4度も訪問していた。
3度はチョマ氏に同行したのだが、
1度はクルージの大学の民俗学部からフィールドワークの一環として滞在した。
学生たちと村を歩いていて、
村人からルーマニア語で、
「ここはハンガリーではない!私たちはルーマニア人だ。」という意味の言葉を
投げかけられたこともあった。
ハンガリーとルーマニアの間で、自分たちの居場所が分からないチャンゴ―たち、
そうしたチャーンゴーというものに全く縛られず、
仕事を求めてヨーロッパを流浪するチャーンゴーたち、
祖先から受け継いだ言葉をひっそりと大切に守り続けるチャンゴーたち。

舅は、社会主義時代にチャーンゴーを研究する一人だった。
長い年月、モルドヴァの民謡を収集して、本を出版した。
1990年にローマ法王がブダペストでチャーンゴーたちと会見した時に、
その厚い本が贈られたという。
旦那は家族のように親しかったチャンゴー女性、ルーリンツ婦人ルツァおばあさんの話をよく聞かせてくれたが、チャーンゴーの村へ行こうとはしなかった。

時は流れて、2018年の夏。
今度は家族とともに、チャーンゴーの土地を再び踏んだ。

















comments(0)|trackback(0)|その他の地方の村|2018-08-17_14:55|page top

塩の水と塩の花

セークの夏の風物詩といえば、「塩の花」と呼ばれる花だろう。
7月から8月にかけて花ひらく、うす紫色の繊細な花である。
塩水を含む土壌にしか咲かないので、そう呼ばれるらしい。

sosfurdo (4) 
ハンガリー、ルーマニアにしかない種類ではあるが、
イソマツ科の花は世界中に見られる。
そのままでドライフラワーにもなるそうで、
村人たちは花束にして持って帰る。

sosfurdo (2) 
このやさしい、うす紫色の原っぱこそ、ここでは夏の色なのだ。
そよ風に吹かれて、広々とした原っぱを歩いているだけで、心が洗われるようだ。

sosfurdo (6) 
青空に、緑の丘、そしてうす紫の花。
村の周りは、夏の色で満ち満ちている。

sosfurdo (9) 
この塩の花が咲く原っぱのすぐそばに、村の有名な名所がある。
塩の天然浴場である。
セークの村の周辺にはいくつもの塩山があった。
その名残がこうした、塩の湧水や浴場に残っているのである。
話に聞いていたよりも、ずっと整備された村の浴場は、そばに更衣室までできている。

sosfurdo (15) 
海よりもずっと塩の濃度が濃いため、自然と体が浮かぶ。
新しい方の大きなプールは水が冷たく、古い方は温泉までとはいかないが温かい。
端の方は、虫がたくさん浮かんでいるが、それに目をつぶれば何ともない。

sosfurdo (14)

親しくなった村の子供たちが、水たまりに足をつけていた。
「この泥は、肌にいいらしくて、
ペットボトルいっぱい持って帰る人もいるくらいだよ。」
なるほど、肌につけて洗い流すと、すべすべしている。
思い切ってぬかるみに足をつけ、体に塗りたくってみた。
かねてからセークの女性の肌が美しいと思っていたのが、その秘密がわかった気がした。

 sosfurdo (12)

村にはまだ鉱山の後があると聞いて、村の脇の丘を目指した。
ゆるやかな丘には、羊の群れも見られた。
丘を越えた向こうには、たくさんの池があるのだという。

sosfurdo (10)

丘のてっぺんに、池があった。
雨水だが、底は深く、石だらけなので、あまり泳ぐのには適していない。

sosfurdo (11) 
もうすぐ日が暮れる。
丘に四方を包まれた村が、夕暮れ前の光に浮かんでいた。
上地区とチプケ(トゲ)地区、フォッロー(熱い)地区に分かれている。
豊かな自然に恵まれた村、セーク。
ため息をもって、改めて我が家のある村を眺めていた。

sosfurdo (8)  
comments(2)|trackback(0)|セーク村|2018-08-13_00:00|page top

セークの夏休み

7月の半ば、抜けるような青空を背に、 
太陽の光をいっぱいに集めたように黄色く輝くヒマワリ畑を目印にして、
私たちは1週間の夏休みを過ごすためにセークを目指した。
    szekinyar (1) 
セーケイ地方から車で約5時間ほどかかって、
村に着いたのは夕暮れ時だった。
さっそく芝生で5つ葉のクローバーを集めるのに夢中になったり、
目の前にある公園で村の子どもたちと知り合いになったりして、
セークでの日々がはじまった。

szekinyar.jpg 
澄んだ目をした少年が、さっと家に帰って、
たくさんの花の混ざった束を手にプレゼントをしてくれる。
朝目が覚めると、家主のおじさんがちぎりたてのキュウリを袋一杯おいてくれたのを
見つけて、まるでサンタクロースのプレゼントのように喜んだ。
名も知らない近所のおじいさんが、夏の青りんごを手に抱えきれないほど持ってきてくれた。

szekinyar (9) 
水道もないので、水は通りの向こうから共同井戸で汲んで運ぶ。
ガスがないので、薪で料理をする。
洗濯機もないので、洋服はぜんぶ手洗いをする。
そんな不便さも感じさせないほど、村の生活は充実していた。

慣れない生活で、心の支えとなったのはエルジおばさん夫妻の存在だった。
いつでも温かく迎えてくれ、こちらが気を遣わないように自然に手を差し伸べてくれる。
「家で料理していきなさい。」とほとんどおばさんに教わりながら、
スープを作って我が家に運んだ。

おばさんは夏も冬も、手仕事で忙しい。
機織りのための糸を大きな筒に巻く。

szekinyar (8) 
夏でも涼しい納屋はおばさんのアトリエ。
いつも機織りをする音が、トントンと心地よく響いてくる。

szekinyar (7) 
おばさんの仕事の邪魔にならないようにと腰を下ろして、仕事の風景を眺める。
日銭を稼ぎに町へでるおばさんたちも多いのだが、
たとえ割には合わなくても、エルジおばさんは村に残る道を選んだ。
村の空気が、昔からつづけた手仕事が好きでたまらないのだ。

szekinyar (6) 
マルトンおじさんは朝早くから暑い中、毎日畑仕事をする。
その合間に、おばさんの手伝いも欠かせない。
慣れた手つきで糸を巻くのに感心していると、
「うちの兄妹は男ばかりで、妹が生まれたのは15年たってからだったから、
よく母親の手伝いをしていたんだ。兄妹の世話をしたり、母親の手仕事の手伝いもしていたよ。」

szekinyar (5) 
カラカラという音とともに、小さく切った葦の筒に赤と白の糸が巻かれていく。
機織りは織ることもさることながら、
下準備に大変手間暇がかかる。
あの美しい布は、おじいさんとおばあさんの仕事の結晶でもある。

szekinyar (4) 
セークの村は、60年代半ばにはじめて電気が引かれ、
アスファルトができたのもそう昔ではない。
閉ざされていた村が外へ開かれるとともに、
人びとの生活も価値観も大きく変わってしまった。
それでも、変わらない何かを頑なに信じる人がいる。
私たちはそういう人々に引力を感じて、ここに導かれたに違いない。

szekinyar (2)

家主のひとり、エルジおばさんはお針子さん。
結婚式のためのベストを作る様子を、見せてくれた。

 szekinyar (3)

日曜日は、礼拝が2度ある。
ちょうど帰りのおばさんたちを呼び止めた。
セークの民は、落ち着いた色を好む。
白と黒の厳かな衣装が美しい。

szekinyar (12) 
大きな村だが、新しい住人がきたのを村人たちも耳にしているようだ。
これからどんな出会いがあるか楽しみだ。

szekinyar (11) 
comments(2)|trackback(0)|セーク村|2018-08-10_01:41|page top