FC2ブログ

トランシルヴァニアへの扉 - Erdely kapuja-

古きよきヨーロッパの面影を残す、トランシルヴァニアへの扉をそっと開いてみませんか?

::自己紹介::

谷崎 聖子

Author:谷崎 聖子
1978年宮﨑生まれ。
大阪外大、ハンガリー語学科卒業。
ブダペスト大学で民俗学を専攻。
ルーマニア、トランシルヴァニア地方のフォークロアに惹かれて、セーケイ地方に移住、結婚。
三人の子育て中。

伝統手芸研究家。
トランシルヴァニアの文化、手しごとを広める活動をしています。主な著書「トランシルヴァニアの伝統刺繍 イーラーショシュ」、「カロタセグのきらめく伝統刺繍」。

東欧雑貨ICIRI PICIRIFOLK ART Transylvaniaのオーナー。

詳しくは、森の彼方-トランシルヴァニアへの扉をご覧ください。

カテゴリー

FC2カウンター

カレンダー(月別)

08 ≪│2018/09│≫ 10
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 - - - - - -

これまで書いた記事は・・・

全タイトルを表示

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

Feed Me!

トランシルヴァニアへの扉  - Erdely kapuja-のRSSフィード

ブログ翻訳

セーク村の結婚式(前)

秋の風が吹きはじめた、9月のはじめ。
再びセーク村へ夜行列車の乗り、やってきた。
家族で過ごした夏の思い出が鮮やかによみがえってくるが、
ひとりでいるのが不思議な気持ちだ。

今回の目的は、結婚式を見ること。
昨年夏にもあったのだが、うっかり日時を忘れてしまい、心残りで仕方なかった。
伝統的な結婚式は、もう村でもする人が少なくなったと言われている。


szeki lakodalom (5)


結婚式の準備は3日前から行われていた。
今回は、前日との2日間のみ。
飾り付けに使われるのは、このローズマリー。


 szeki lakodalom (13)


花嫁宅にて、辺り一面にさわやかなハーブの香りが漂う。
結婚式で花嫁が身に着ける冠と
花婿が帽子に飾る帽子飾りは、
すべて生きた植物、ローズマリーで作られるのだ。


szeki lakodalom (12) 

ローズマリーの冠(パールタ)は女性が、
ローズマリーの帽子飾りは男性が作るのが習わし。
普通は冠は花嫁宅で、帽子飾りは花婿宅で作られるのだが、
今回は花嫁だけがセーク出身なので、同じ場所で作業する。
結婚式その日のために一日がかりで作られる、贅沢な装飾品である。


szeki lakodalom (14)


冠をもつ役と縫う役がいる。
ジュジャおばさんは、いつも結婚式で呼ばれる冠作りの名人。
服を縫うかのように、二列のローズマリーを黒糸で縫い合わせ、
やがて縁の飾りを付けてから赤い布で内側を包み、
やがて赤いリボンでできたバラをつける。


 szeki lakodalom (7)


美しいローズマリーの冠の出来上がり。
日持ちがしないため、結婚式のあるごとに作られてきた。
手はかかるが、そのために技術が継承されてきたのである。


szeki lakodalom (1)


一方、こちらではローズマリーの帽子飾り(ボクレータ)が作られている。
針や糸は一切使わず、ローズマリーのちいさな束を針金に差し込み、
きれいに剪定していく。
やがて、クジャクが大きく羽根を広げたような扇型ができあがる。


szeki lakodalom (8)

 
赤いリボンでできたバラと、
蝋でできたカラフルなバラの花を添えて、
さらに三つの鏡を取り付ける。
仕上げに「金の煙」と呼ばれる、金色のアルミ紙を丁寧に飾り付ける。


szeki lakodalom (9) 

華やかな花婿のボクレータ(帽子飾り)。


szeki lakodalom (10) 

清潔の部屋では、明日の結婚式に備えて、
衣装を取り出しているところだった。
紙のように固く糊付けされたブラウスの袖をほぐしている。


szeki lakodalom (11) 

家族と親戚、親しい友人たちが総出となって作りあげる結婚式。
明日はいよいよ結婚式がはじまる。


スポンサーサイト
comments(2)|trackback(0)|セーク村|2018-09-30_23:25|page top

「トランシルヴァニアの伝統刺繍と民族衣装を訪ねるルーマニアの旅」

IMG_4549.jpg IMG_4756_20180927161540279.jpg IMG_8777.jpg kalotaszeg2_20180927161542ffa.jpg IMG_0131.jpg IMG_3617.jpg IMG_3721.jpg 


文化学院HP抜粋


「昨年度、大好評のうちに終了した研修旅行が今年度も開催します!

今年度はルーマニア・トランシルヴァニア地方へ、

伝統刺繍と民族衣装の見学や体験を行います。

通常のツアーではあまり訪れない、小さな町や村の伝統文化を

伝統刺繍研究家・谷崎聖子先生による案内で見学します。

村では現地のおばあちゃん直伝の刺繍体験も!

そのほか、ドラキュラ城ことブラン城への観光や、

ハンドメイド関連のショッピングも楽しめます。

非会員の方もご参加いただけますので、

ハンドメイド好きのご友人・ご家族もお誘いあわせの上

ぜひご参加ください!

 

文化服装学院 生涯学習 大人の研修旅行

「トランシルヴァニアの伝統刺繍と民族衣装を訪ねるルーマニアの旅」

ー伝統刺繍研究家・谷崎聖子先生による事前講習と現地案内!刺繍体験も」

 

旅行期間:20181215()1221()7日間

旅行代金:259,800

※大人1名様(21室利用)エコノミークラス利用

※現地空港諸税(16,850)および日本の航空施設使用料(2,570)

燃油サーチャージ(27,400 201861日現在)は別途

申込締切:105()

イベント企画:文化服装学院 生涯学習部 TEL03-3299-2233(平日 9:0017:20)

旅行企画・実施:株式会社日本旅行 文化学園内旅行コーナー TEL03-3299-2058(平日9:3017:30)


*旅行についての詳細はこちらをご覧ください。


comments(0)|trackback(0)|その他|2018-09-27_16:16|page top

ルーマニアのWOOL展


ヨーロッパの東の果てルーマニアで、 
人々の生活と強く密に結びついてきた素材ウール。

 人々は羊を飼い、
その繊維は時にあたたかな衣装に姿を変え、 
時に深く濃い色味を与えて生活に彩りを与えました。 

トランシルヴァニア、モルドバ、オルテニア、バナート、マラムレシュ・・・・。 
ルーマニア各地のウールをテーマに、 
上着やブラウス、エプロンにスカートなどの衣装、 
枕カバーにベッドカバー、絨毯などのしつらえの品々まで、 
冬をあたたかく過ごすための知恵がふんだんに込められた芸術品をどうぞご覧下さい。

201811繝ォ繝シ繝槭ル繧「縺ョWOOL螻輔・繧壹せ繧ソ繝シ遒コ隱咲畑0918 

2018.10.27(土)~11.11(日)
けんちくの種 
〒562-0041 大阪府箕面市桜1-13-32-102 (阪急線石橋駅下車)
TEL 072-734-6343 FAX 072-734-6345

*DMご希望の方は、こちらからご連絡くださいませ。

*期間中トークショーや、ワークショップを予定しております。
詳細はけんちくの種HPよりよろしくお願いいたします。



comments(0)|trackback(0)|その他|2018-09-25_00:00|page top

セーク村のターンツハーズ(ダンスパーティ)

ベルタランの日、 午後はカトリック教会のミサへ参加することに決めていた。 
すでに教会の鐘が高らかに鳴り響いていた。 
遅れないように小高い丘を駆け上がっていると、 
珍しくセーケイの縞模様のスカートが目に入った。 
「セーケイ地方のものね。どこから?」と尋ねると、
 「カルツファルヴァのものよ。セントドモコシュの隣よ。」 
ハルギタ県のものだ。 
セーク村にどうしてセーケイの衣装を着た女性がいるのだろう。
 興味を惹かれて、尋ねてみると、 
「私は半分はセーク出身よ。」という曖昧な返事を得て、教会の前で別れた。
 これがマリとの出会いだった。 

教会のミサを終えて、家に帰ると、
 旦那を誘って、知り合いになったおばあさんを訪ねに行った。 
そこでも、先ほどのセーケイの服の女性と出くわした。 
「おばさん。」と彼女はジュジおばあさんを呼んでいた。
 そこで、マリはセーク出身だが、 
セーケイ地方で結婚し、村で教師をしていることを知った。 
私たちが村に家を持つことを知った彼女は、 
「あなたたちをがっかりさせたくないのだけれど、 
この村で子どもを育てないほうがいいわ。」と思いもよらない忠告をしてくれたのだった。 
セークの民は勤勉で、清潔好きであるけれども、 
金持ち至上主義で、常に相手の値踏みをするのだという。 
逆にセーケイ地方では、人々はぶっきらぼうで、 
よそ者をすぐには受け入れないが、困ったことがあれば親身になってくれる。
 それは彼女自身の体験による言葉なのだ。

 「夜に、村でターンツハーズ(ダンスパーティ)があるんですって。 
よかったら、いっしょに行きましょう。」 
思いもよらない誘いに、喜んで承諾した。 
夜9時に我が家に誘いに来てくれるとのことだった。 
30分ほど過ぎたので、都合が悪くなったのだと合点して、ひとりで家を出た。
 もう少しで、会場のペンションに着くところで後ろから車が止まった。 
セーケイの縞のスカートをはいた、マリだった。 
村でも著名人のミシェルというオランダ人男性が、主催するターンツハーズ。
セークの女性と結婚して、村に移住したという。 
村の伝統生活を取り戻そうと、さまざまなイベントを企画している。
会場には、ハンガリーの観光客の他にも、たくさんの村人たちが来ていた。
納屋のドアが開放してあり、中は赤赤と灯りが灯っている。
ヴァイオリンやビオラの音色がこぼれてくる。
ダンスから漂ってくる何とも言えない熱気がこちらにも伝わってくる。
昔から、チプケ(トゲ)通りではここがターンツハーズの会場だったという。

ジュジおばあさんとも出会い、角のベンチに腰を下ろした。
「あなたはどこから来たの?」
何度ともなく聞かれる質問に、
「セーケイ地方に住んでいるけれど、セークに家を買います。」と答える。
すると、「どこに?いくらで買った?」と返事がくる。
村に家をもつ、それだけで村人たちの受け入れ方が違う。
「半分はセーク人よ。」と冗談交じりでいうのだが、そんな気分になる。


szek bertalan (15) 

楽団の演奏がはじまると、ぱっと空気が華やかになる。
ふと、マリが席をたち、「私も行くわ。」と、
ペアの男性とともに踊りに加わった。
セークでは80年代まで、ターンツハーズが定期的に行われていた。
やがて、だんだんと機会が減ってなくなった。
当時は誰も、交流の機会がなくなってしまうと思わなかったという。
彼女が村で学生だったときは、誰もが民俗衣装を着ていた。
そして、冬の手仕事フォノー(糸紡ぎの家)もあり、
嫁入り道具も自分の手ですべて作った。
私より10歳年上のマリは、「村の美しい文化生活を経験できた」最後の世代だったという。


szek bertalan (18) 

お隣のおじいさんに誘われて、
「私も行くわ。」と87歳のジュジおばあさんも席を立った。
緩やかなステップがつづき、やがて、突然速いテンポに変わる。
骨身に染みついたリズムは、決して忘れることはないのだ。


szek bertalan (16)


やがて、音楽が高調するにしたがって、
ダンスも熱気を帯びてくる。
人生の最も美しい瞬間を凝縮して見たような、不思議な時間だった。
お年寄りの話にだけ聞いていたおとぎ話の世界が、
時代を遡って目の前にひらけた、夢のような一夜。

 szek bertalan (17) 

ジュジおばあさんも帰り、人がまばらになってきた後も、
マリとふたりで外で話しをした。
「私の母親は踊りよりも、歌が上手で・・・。
カッロ―シュ・ゾルターンも通って収集したの。CDにもなっている。」
そのCDはちょうど、夏に村で何かを聞きたいと思い、
博物館で購入して、この夏何度となく聴いていた。
「CDの表紙になっているの。あなたね!」
仲睦まじそうな親子、母親に寄り添う、少女がマリだった。

村で一番の優等生だったマリは、その後、
クルージ・ナポカの大学で物理とルーマニア語を専攻し、
セーケイ地方の男性と結婚し、
セーケイ地方へ移住して、現在も村の中学校で教師をしている。
「私はセーク村人であることが嫌で、村を出た。
でも町に行って、衣装を捨てても、
私はセーク人であることに変わりなかった。」

「村の否定的な部分を沢山わかっているし、好きでないけれど、
私はセーク出身者であることに変わりないし、やはり村が恋しくなるの。」

「私が教師になって村に帰ってきたとき、
母はどれだけ給料がもらえるのか知って、がっかりしたようだったわ。
ここでは知的職業につく人はほとんどいなくて、
男性は建設業、女性は掃除婦と決まっているから。
皮肉なことに、村人たちのほうがよっぽどお金持ちなのよ。」


16265694_1331278633582296_1941006573843763548_n.jpg


気が付くと12時が近かった。
魔法がとける寸前のシンデレラのような気持ちで、
夢が覚めたように席をたち、家路に向かった。


その日のセークのターンツハーズより







*マリさんは、この10月に阪急うめだのイベントで来阪されます。
10/18~22日の5日間、
セークの刺しゅうのデモンストレーションを行う予定です。
comments(2)|trackback(0)|セーク村|2018-09-19_17:09|page top

ベルタランの日

8月24日、ベルタランの日。 
セークの民にとっては、決して忘れることのできない日である。

今から301年前のこと、
1717年にタタール人が侵攻してきて、村の教会を破壊し、
村人を殺戮し、多くの捕虜を連れ去っていったといわれている。
この大惨事で、村の人口は大幅に減少し、
子どもを合わせて100人足らずになったと記録に残っている。
塩の鉱山で繁栄を築いたセークは、その昔は町と呼ばれていた。
この悲劇によって、セーケイ人やよその地方から移住するものもあり、
再び村として1から立て直すことになった。

この日は、朝昼晩三回の礼拝が開かれる。
さらに、喪を表して断肉をする。
ちいさい子どもから年配の村人まで美しい衣装を纏って、教会を目指す。

  szek bertalan (6) 
セークの衣装は、このタタール人襲来が起こってからは、
喪を表す黒と、血を表す赤とすることになった。
女性たちは皆、黒い衣装を身につける。

szek bertalan (8) 
男性は、白いシャツに
かつて塩山の警備兵だった頃の名残である青いベスト。
トレードマークの麦わら帽子をかぶる。

bertalan1.jpg 
18世紀当時の記録が、
美しい石造りの教会のあちらこちらに残っている。
刺しゅうや家具にも見られる、チューリップ。

szek bertalan (7) 
1703年の石碑。
この14年後にタタール人の襲来が起こった。
11時からの礼拝では、セークの村の歴史を牧師が読み上げる。
名前の起こりから、村が町となった経緯、
そしてタタール人襲来、今に至るまで。
1717年の悲劇で教会の中でも大勢の村人が被害を受け、
捕虜として連れて行かれ、母親の手によって逃亡した少年や、
両親と引き裂かれた子どもの証言が
生々しく、胸にのしかかってくる。

bertalan.jpg 

ご先祖に感謝を込めて、少女が祈りを捧げている。

szek bertalan (21)

小高い丘にそびえる教会から、厳かな心持で家に向かって帰る。
婚約者だろうか、仲睦まじく家路に向かうふたり。
若い女性の赤いリボンが揺らぐのを眺めていた。


szek bertalan (12) 
comments(2)|trackback(0)|トランシルヴァニア食文化|2018-09-12_19:10|page top