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トランシルヴァニアへの扉 - Erdely kapuja-

古きよきヨーロッパの面影を残す、トランシルヴァニアへの扉をそっと開いてみませんか?

::自己紹介::

谷崎 聖子

Author:谷崎 聖子
1978年宮﨑生まれ。
大阪外大、ハンガリー語学科卒業。
ブダペスト大学で民俗学を専攻。
ルーマニア、トランシルヴァニア地方のフォークロアに惹かれて、セーケイ地方に移住、結婚。
三人の子育て中。

伝統手芸研究家。
トランシルヴァニアの文化、手しごとを広める活動をしています。主な著書「トランシルヴァニアの伝統刺繍 イーラーショシュ」、「カロタセグのきらめく伝統刺繍」。

東欧雑貨ICIRI PICIRIFOLK ART Transylvaniaのオーナー。

詳しくは、森の彼方-トランシルヴァニアへの扉をご覧ください。

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新年のあいさつ

セントジュルジの裏に広がる大きな森、
小川に沿った道筋をどこまでもいくと、
アーラパタク村にたどり着く。
月に一度、村のピロシュカおばあさんを訪ねるのが習慣になっていた。

慌ただしかった年末に、何か月かぶりに村に立ち寄った。
秋に一度、ずっと姿を見せないので心配して私の留守中に電話があったという。
眠る次男を腕に抱いて車の中で待っていたら、
寒い中、わざわざおばさんが通りまで出てきてくれた。

ある日曜日、楽しみにしていた教会の礼拝にも行けず、
部屋をそわそわと歩き回り、気持ちが落ち着かなかった、独り身の辛さを訴えた。
しわしわの手を握って、話を聞いてあげることしかできなかった。
私などは家族に囲まれても心が定まらない日があるのに、
子どももなく、夫に先立たれたおばあさんの気持ちは計り知れない。

月に一度、旦那たちがブラショフの町に出かけている間、
娘とふたり、おばあさんの家で待たせてもらった。
刺繍をしたり、おしゃべりをしたりしながら時間をつぶした。
飽きると、讃美歌を取り出して、いっしょに歌を歌ったりもした。

「私は毎年、新年がくるとこの詩を色々な人に聞かせるの。」
と一枚の紙を取り出し、詩を朗読してくれた。

今までの私なら、何ということもなかったのであろう。
しかし、40の扉を開き、
海外在住10年目の年の終わりに次男の大病に見舞われた私の心に
その言葉は大きく響いたのだった。
その一枚の紙きれの言葉を書きとった。
80を過ぎたおばあさんは、新年を迎えるにあたり、
この一年の行く末をいかに案じ、
新年のその日をいかに重く受け止めていたに違いない。


「今ちょうど、新年の明け方の前にきています。
果たして、皆そろって日暮れ時までいることができるでしょうか。
この新しい年に、私たちの人生の道はいずこへ続くのでしょうか。
いばらか、それとも花の道か、
それは神さまのみが知ることです。
神さまが真実の道へと導き、
私たちの歩み全てをつかさどるのです。
どうか、この小さな幸せなる巣を嵐から守ってください。
健康と幸福と、楽しい笑いと鈴の音を、
どうか神さま、私たちに恵んでください。
新年、明けましておめでとうございます。」













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comments(2)|trackback(0)|トランシルヴァニア食文化|2019-02-25_18:42|page top

黒い天使

次男の病気のことが分かり、まだ混乱の最中にいた頃、
「明日ブカレストへ行くから、家から荷物があったら届けてあげる。」とメッセージがきた。
そんなに急ぎでもないので、郵便でも送れないことはなかったのだが、
彼女の好意に甘えることにした。

その頃は病院の付き添いに姑がいてくれたため、
私は外のホテルに滞在していた。
日本から慌てて荷造りをしてきたため、
冬の寒さに備えた衣服がなかった。

木枯らしの吹く寒い晩秋、どんよりと厚い雲が空を覆っていた日、
病院に彼女が到着した。
いつものように黒い衣装に身を包んだ彼女は、
これからプロィエシュティでコンサートがあるという。
彼女の次女は、娘の幼稚園のクラスメイトである。
産まれて四ヶ月で、次女のアビは心臓の手術をしなければならなかった。
「その頃は、私はコンサートでドイツに行かなければならなくて、
一番辛い時期に、スターの役を演じなければならなかった。」
そうして手術後は、集中治療室で一日30分しか娘の姿を見ることができなかった。
「そんなときは、私は外を思い切り散歩したわ。」

私も同様に、午後の3時から8時までの
面会時間だけしか次男と会うことができなかった。
次男のそばにいる時は安心して笑顔でいられたが、
離れてホテルの部屋に一人でいるときは、
心細さで押しつぶされそうだった。

殺風景な待合室で、椅子にもかけずに彼女は話してくれた。
アビの主治医に先日会って、息子の手術を担当する医者について尋ねてくれたという。
「大丈夫。イリエスク先生は、この病院で一番のお医者さんで、
人間味あふれる人だとの評判だそうよ。」
彼女も、娘さんを良い医者の手に託すことにし、安心できたという。
医師としての評判はもちろん、いつも穏やかで人の心が解る主治医に恵まれた、
私も同じ心持ちだった。

私の衣服の詰まったリュックとともに、
袋いっぱいの差し入れを手渡してくれた。
思いの他、長話をしてしまったことに気がつき、
ふたりの娘さんは車の中で待たせていることがわかった。

別れ際、彼女の目に涙が浮かんだ。
私も同様に涙していた。
肩を抱きしめ、「あなたは強くならなくちゃ。」と言った。
「そうするわ。」と約束をした。
颯爽と病院の扉を開けて出て行く彼女の姿は、
黒い天使そのものだった。

ジャズシンガーのルイザ・ザンの歌声は、
強く、そして優しい。
彼女の人柄そのもの。

あれから3ヶ月。
次男の検査の前日、私は彼女のコンサートへ向かう。
どうしても今、彼女の歌声から力を得たいから。

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comments(0)|trackback(0)|トランシルヴァニア食文化|2019-02-21_17:49|page top

貝戸さん一家

1月になり、待ちに待ったお客様がやってきた。
貝戸さん一家だ。
「最後にここに来たのは、8年も前なんです。」
そう言われて、意外に思われたのは、
私たちが毎年のように日本で会っていたからだろう。

当時、14歳の長男は幼稚園生だったし、
その頃はまだご夫妻にも子どもはいなかった。
1年ほどルーマニアに滞在をして、
それから日本へ帰り、やがて可愛い子どもさんたちが誕生して、
親子で数ヶ月をルーマニアで過ごすためにやって来られた。

日本では住まいを美しく、嗜好を凝らして丁寧な生活をされるお二人。
ルーマニアでもどこかの村で美しい家を探されるのだろうと思っていた。
そして、去年の夏に見初めた家のことをふと思い出し、
シク村の住まいを勧めてみたところ、喜んで借りたいとの返事がきた。
私たちもこの夏に何度か家族で村での生活を試みた。
しかし、今回の滞在は冬となるので、
夏場のようには生活が楽ではない。
深く考えずに勧めてみたものの、
生活に苦労されないのだろうかと気が掛かりだった。
村のほとんどの家は、街と変わらない快適な住まいであるのに対し、
その古民家にはガスや水道がない。
暖をとるのも、ひとつの薪ストーブだけである。
私たちもまだ冬の古民家の暮らしは未経験なので、
どれだけ寒さが防げるかわからない。

村の生活は確かに大変だけれど、
薪を割ったり、水を井戸で汲んだり、
日本ではできない生活ができて感謝しているとメールにあった。

一家が村に到着したのは、ちょうどクリスマスの頃。
旅行が好きな一家はすぐにマラムレシュへ出かけ、
クリスマスの夜にレストランを探そうとしたものの見つからず、
駅で尋ねた二人のおばさんがそれぞれクリスマスのご馳走をかかえて来てくれたという。
また、マラムレシュからの帰りはお正月で、村へのバスがなかったため、
タクシーを見つけてお願いしたら、
遠く離れているのにもかかわらず、運転手はお金を受け取らなかったとも話していた。

10年以上暮らしている私ですら、
本当にそんなことがあるのだろうかと感心するような奇跡のような出来事が
彼ら一家には起こってしまうのだ。
現地の言葉は流暢でないのに、
人々とどこか通じ合う力を持っているのだろう。

シギショアラを旅して、セーケイ地方の我が家に一家が到着すると、
4人の子どもが何倍にも膨れ上がったかのように、元気いっぱいに遊びはじめる。
特に、幼稚園に行けずにいた次男は日本のお客様に大喜びをした。

町外れのいつものソリ場へと出かけた。



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真っ白な雪が溶けてしまわないようにと願っていたら、
一家が来る日まで残っていてくれた。
ソリは人数が多ければ多いほど楽しい。

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この美しい丘の風景が、トランシルヴァニアの日常をいかに豊かにしてくれたか計り知れない。
春には真っ赤な野いちご、夏には香り立つタイムの花を摘み、
秋にはローズヒップが実り、冬には白い雪で覆われる。

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急斜面の坂は、ソリ遊びに打って付け。
雪が降ったあとの週末には、親子や祖父母など大家族でソリに繰り出す姿も見られる。
すでに土色の大地がまだらに姿を現し、
雪まみれと泥んこになりながら、お腹いっぱい遊んだ。

huyu20193.jpg 
翌日は、炭酸水通りの古民家へ散歩がてら出かけた。
家でお絵描きをしていたら、
長男のガックンが日の丸を描いて、日本の国旗を作った。
それを娘も真似をして、それぞれ4人に旗ができた。
「ヤパーン、バール!ヤパーン、バール!」
ガックンが叫びはじめると、皆が続いて掛け声を上げた。
「あなた、日本人?」とよく言われるから、
それを覚えたのかなと思っていたら、
「僕は日本人だ。僕は日本人だ。」と言いたいのだとわかった。
大人3人+ちびっこ4人の日本人の群れに、
この町の人たちはさぞ驚いたに違いない。


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ちいさな橋を渡って、
町で一番古い城塞教会が見えてくる。
この教会のそばに、古民家がある。
「みーちゃん、元気になってよかったね。」
「みーちゃん、可愛いね。」
とやさしく接してくれる貝戸さん夫妻、
そしてふたりの楽しいお友達に囲まれて、
子どもたちも私たちも楽しくあっという間の二日間だった。

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三日目の早朝、
町がまだ寝静まっている頃、
貝戸さん一家はブルガリアへ向けて旅立っていった。
comments(0)|trackback(0)|セーケイ地方の村|2019-02-19_00:00|page top

ふたつのランドセル

はるか海のかなたから小包が届くと、 
子どもたちは我さきにと駆け寄ってきて、
何が入っているのかと尋ねる。
日本とは違い、受け取る側もわざわざ町の中心部の郵便局まで出かけ、
週に二回、数時間しか開かない国際郵便の窓口で
長蛇の列に並ばなければならない。
しかし、送る側の苦労は言うまででもない。
ここでは手に入らない食料品やお土産など
3ヶ月後に受け取る相手の喜ぶ顔を思い浮かべ、
英語訳つきのリストを作成してから、
重い荷物を郵便局まで運び、さらに高い輸送料を払うのだ。

1月になり、我が家に届いた重い荷物の中身はランドセルだった。
日本では祖父母が孫のために贈るのが習わしであるという。
早いもので長女もこの6月に6歳を迎え、秋には小学生になる。
日本でもランドセルを買ってあげようかという話になり、
店まで見に出かけたが、あまりに高額なのに閉口して買わなくていいと告げると、
残念そうだった父親の姿が目に浮かぶ。

やがて母が、パッチワークの生徒さんからお孫さんのものを譲ってもらったと話した。
「そんな重いものを、良かったのに・・。」と高価な送料を気にして思わず口をついて出たのだが、
大切に新しいタオルで包まれて海を渡ってきたふたつのランドセルを手にしたとき、
親御心のありがたさが手に取るように分かり、はっとした。

幼稚園から帰ってきた娘に、
6年間使用したとはとても思われないほどの綺麗なランドセルを見せると、
目を輝かせて喜んだ。
「日本の学校に持っていくね。」と背負ってみてから、鏡を見てさらに顔をほころばせた。
もうひとつのランドセルは・・と考えていたら、
娘がまだ3歳の次男に背負わせた。
ものを入れたらひっくり返るのではないかと思われるほどの、大きな黒いランドセル。
次男も満更ではないようすで、部屋の中を駆け回っていた。
教科書やノートの代わりに、玩具の車やぬいぐるみの入ったランドセルを背負う。


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幼稚園の前の公園で遊ばせているときに、
ふたつのランドセルを見つめていた。
いつか二人が小学校にこのランドセルを持っていける日がやってくるように、
健康であってほしいと祈るような思いでいた。
ランドセルを贈ってくださった方、
小包で送ってくれた両親にこの場を借りてお礼を言いたい。

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comments(2)|trackback(0)|ルーマニアの育児|2019-02-17_05:15|page top