トランシルヴァニアへの扉 - Erdely kapuja-

古きよきヨーロッパの面影を残す、トランシルヴァニアへの扉をそっと開いてみませんか?

::自己紹介::

谷崎 聖子

Author:谷崎 聖子
1978年宮﨑生まれ。
大阪外大、ハンガリー語学科卒業。
ブダペスト大学で民俗学を専攻。
ルーマニア、トランシルヴァニア地方のフォークロアに惹かれて、セーケイ地方に移住、結婚。
三人の子育て中。

伝統手芸研究家。
トランシルヴァニアの文化、手しごとを広める活動をしています。主な著書「トランシルヴァニアの伝統刺繍 イーラーショシュ」、「カロタセグのきらめく伝統刺繍」。

東欧雑貨ICIRI PICIRIFOLK ART Transylvaniaのオーナー。

詳しくは、森の彼方-トランシルヴァニアへの扉をご覧ください。

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20年前のルーマニア革命のこと

ルーマニアで社会主義体制が崩壊してから、
今日で20年目。
この20年という年月はどれだけ社会を、
そこで生きる人たちの生活を大きく変えたことだろう。

驚いたのは、
「 今年でちょうど20年だよね。」と尋ねられてみて、
はじめてその年月の長さに唖然とする人が多いこと。
皆が自分たちの生活で必死で、
その20年前を振り返るゆとりがないのだろう。

ある晩、友人イザベラと話していたときも
この革命の話になった。


「 1989年の当時、私は14歳だった。
 そしてあのクリスマスの前の晩、
 あの人たちが処刑された。
 それを皆が、大喜びで見ているの。
 私はショックだった。
 まるで動物のように扱われて、処刑された彼ら。
 あのやり方は、本当にひどいものだった。

 革命の後の空気は、不思議なものよ。
 皆が自由を手に入れたと
 信じて疑わなかった。
 そして、だんだんとそれが裏切られたってことに気が付いたの。

 私にとって初めて裏切られたのは、コーラだった。
 そのコーラは、あのアメリカ産のものではなくって
 ハンガリーで似せて作った、偽物だったんだけどね。
 それでも、はじめて店頭に並んだとき、
 その不思議な飲み物にみんな夢中だった。
 あれから、あっという間に広まっていったわ。

 私の姉、マールタが国を捨てたのは、
 当時まだ彼女が二十歳だったころ。
 1988年の10月、あの革命の約一年前のことだった。

 当時はすでにルーマニア本局は、
 隣国ハンガリーにすらビザを出そうとしなかった。
 その頃、すでにハンガリーでは
 亡命者を受け入れる体制をとっていたからね。

 マールタは、この町で外へ逃げ出した
 初めての女性だった。
 ルーマニア国境を越えていったその晩は、
 30kmも歩いたそうよ。
 あの冷たいドナウ川を泳いで渡って・・・。

 超えた国境?
 アラドのあたりよ。
 あの時、もし兵士に見つかっていようものなら
 大変な目に遭っていたでしょうね。
 彼女の友達のひとりは、
 二度も脱走の途中で兵士に捕まって、
 牢獄で6ヶ月と9ヶ月をすごしたそうよ。

 彼女はほんとうに幸運だった。
 無事にハンガリーへ行くと、そのままオーストリアに入ったわ。

 オーストリアでは、
 亡命者としての扱いを受けて、
 はじめは・・・という施設にいたそうよ。
 それからね、・・・という、スキーリゾートで
 有名なところに送られたの。
 私たちが、初めて西欧の国へ行ったのはその頃よ。

 ウィーンのバスターミナルについて、
 私が初めて見た西側の世界。
 そのキラキラした広告や、
 お店に並んだたくさんの品物・・・。

 ちょうどそのとき、リンゴが食べたくなってね。
 果物屋さんで買ったわ。
 どれもルーマニアのリンゴとは比べ物にならないくらい大きくて、
 きれいな色、かたちをしていて・・・。
 一口かじってみたの。
 でも、全然リンゴの味なんてしなかった。
 それが、西欧の初体験よ。

 そうだった、スキーリゾートの頃の話だったわね。
 そこは、オーストリアでもお金持ちが行くところで、
 オーストリア政府の補助で
 マールタたちはその民宿に泊まっていた。
 スキーリゾートの生活もそう甘くはなかったみたいよ。
 同じように亡命してきた人たちはね、
 そうちょっと犯罪者みたいな、
 変な人種の輩が多かったそうよ。

 やがてオーストリアの移民局と、
 どんな選択肢があるのかが話し合われた。
 ひとつは、カナダへいくこと。
 もうひとつは、オーストラリアに行くこと。
 そして、ここオーストリアに残ること。

 マールタの決断はこうだった。
 オーストラリアへ行くこと。
 この国から、より遠くへ逃げるためにね。

 オーストラリアでは、
 ちゃんと受け入れ家族がいて、
 語学学校へも通わせてもらえたそうよ。
 そのお金はどこからって?
 オーストリア政府よ。
 当時は、亡命者を助けるために
 そういう処置がとられていたそうよ。

 マールタは、男といっしょに逃げたの。
 その男も、この町の出身だった。
 彼はジプシーだったのよ。
 もちろん、親は大反対。
 だから逃げたのか、
 ただここがいやだったから逃げたのか・・・。

 彼とはね、オーストリアまで無事に
 一緒にたどりついて、
 それからオーストラリアでも一緒だった。
 娘のニコルは、そのときに生まれたのよ。
 それでも、彼らの結婚生活は大変なものだった。

 一度ね、一緒に帰ってきたの。
 この町で暮らそうっていう気になったみたい。
 それでも大喧嘩して、結局別れてしまった。

 あれから、マールタはニコルを連れて
 またオーストラリアへ行ってしまったわ。

 オーストラリアは、どうだったって?
 そうね、あの生活からは、
 オーストラリアは見えてこないわね。
 家でテレビと、それから車でショッピングセンターの往復。
 どこにでも見られる、ただの消費社会。
 あんなプラスティックみたいな生活、
 私には耐えられないわ。」



チャウセスクの最後の演説



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comments(6)|trackback(0)|その他|2009-12-21_22:55|page top

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似たような事が
 チェコの方も似た様なことを言っていらっしゃいました。自由を手に入れたはずが、いままでチェコで当たり前で大切だった物がEUの規格に合わないと破棄されたり売れなくなったり。
 体制が違うときは不便もとても多かったけど今より心は豊かだったとも。

 難しいですよね。急激な変化になかなかついていけない人もいるだろうし。 
 私の住む村は現首相が所属する政党よりも共産党支持が強い田舎なのでまだ資本主義(一応)に移行し切れていない人います。
 少しずつ村も変わっていますがもう少しゆるやかない変化していくようです。私はその方が良いのかもしれないって思う部分もありますが。都市部とのあまりの差に若い人程都市に出て行きたいと思うようです。が、海外へ行く!という人は村ではまだまだ少ないかな。
すさまじい人生です。
運命と言うか…どこの国に生まれるかで人生が大きく違って
来ますね。 独裁者チャウシェスクの話は 昔 いろんなメディアで聞いたコトがありますが…所詮 遠い異国の話で、ピンと来なかった記憶が。     途上国と言われる…まだ文字の読めない国民がいるような国ではこうした独裁的なリーダーが暴利を貪りますね…。
日本では考えられない「国民の選択」ですね。
自分のアイデンティティーなど木っ端微塵になりそうな人生。
国家の指導者は思い知ってほしいと思います。
Re: 似たような事が
越後やさん、
ロシアの事情はまた少し違うのですね。

こちらでは、ほかの東欧諸国と比べて
90年代ずっと政治的経済的に滞っていたようです。
自由を手にしたと思って、
失意した人たちが次々に西に向けて去っていってしまいました。
特にここの地方では、
ハンガリーに出稼ぎ、そして亡命した人も多いみたいです。

なんといっても不幸なのは、
自分たちの暮らす地方に、国にたいする
誇りを失ってしまったことです。
価値観が大きく変わってしまいました。

移行はゆっくりのほうがいいと思います。
外国人の私でさえも、
10年前、5年前、そして今・・・と
変化に戸惑っています。


Re: すさまじい人生です。
政治的な出来事として知っていた、
共産主義時代、ルーマニア革命というものが
ふつうに生きる人々の話として
まだ聞くことができるのが面白いと思いました。

いい部分ももちろん、
悪い部分も・・その両側面を、
今の新しい体制をも生きる人はよく知っているはずです。

ルーマニアは国として歴史が浅いせいもあり、
なかなか権力をうまくコントロールできないのかもしれません。
数多い元共産主義国でも、
こんなにも激しく幕を下ろした国はなかったでしょうね。

こんな歴史のある国だからこそ、
しっかりとアイデンティティーをもって
生きていかないといけないと思います。



日本は島国ですね
ルーマニア革命を知りたくて記事をずっと待っていました。にも関わらず、コメントするのには時間がかかりました。
自分がいかに島国・ニッポンで育ったかを痛感しています。国境さえ実感できず、また民族差別の実体験が少ないのでしょう。※本当はこの国でもたくさん起きているはずですが。
コーラに西のりんごの話、また亡命後の大変な人生には痛みを感じています。どれだけの家族がばらばらになったことでしょう。真の自由とは、心豊かな生活とはどんなもの?と考え続けています。ただ故郷への誇りを無くしてまで果たしてどちらも手に入るのだろうか?と考えています。それからお友達の感想には少しほっとしました。今まで「ルーマニア」で真っ先に浮かぶのがテレビで観たチャウセスクの処刑後の映像でした。当時からほんとうに国民すべてがこの処刑のやり方を喜ぶだろうか?と疑問でした。ルーマニアはじめ、東欧の布など手にする時はもっと込められたメッセージを聞き取りたくなります。今後もいろいろ教えてくださいませ。
Re: 日本は島国ですね
Dillaさん、コメントをどうもありがとうございます。
当時の社会主義国で生きるということ。
いろいろな方のお話を聞いて
なんとなく伝わってくるのですが、
実感はあまりわいてきませんでした。

この友人の話を聞いて、はじめて
鳥肌の立つような実体験を聞いたような気がします。
20才のお姉さんがここまでして
超えたかった国境、行きたかった西側の世界。
そして彼女は母国語は忘れていませんが、
すっかり西側の人間になってしまった。

今は簡単に国境が越えられます。
でも、それだけに
郷土愛や自分のアイデンティティを持たないと、
簡単によそに取り込まれてしまうのです。
身近にも、90年代に生まれた子どもたちがいますが、
ルーマニアに生まれたことに誇りがもてないと聞くと
悲しくなってしまいます。

日本人であることは、
自分のルーツを深く探らなくても
ちゃんと手の中にある事実。
だからこそ、見えない部分も多いのではないのかなと思います。