トランシルヴァニアへの扉 - Erdely kapuja-

古きよきヨーロッパの面影を残す、トランシルヴァニアへの扉をそっと開いてみませんか?

::自己紹介::

谷崎 聖子

Author:谷崎 聖子
1978年宮﨑生まれ。
大阪外大、ハンガリー語学科卒業。
ブダペスト大学で民俗学を専攻。
ルーマニア、トランシルヴァニア地方のフォークロアに惹かれて、セーケイ地方に移住、結婚。
三人の子育て中。

伝統手芸研究家。
トランシルヴァニアの文化、手しごとを広める活動をしています。主な著書「トランシルヴァニアの伝統刺繍 イーラーショシュ」、「カロタセグのきらめく伝統刺繍」。

東欧雑貨ICIRI PICIRIFOLK ART Transylvaniaのオーナー。

詳しくは、森の彼方-トランシルヴァニアへの扉をご覧ください。

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ルーマニアの出産記念日

4月25日で、息子は無事4歳の誕生日を迎えた。

忘れもしない、4年前はこの町で出産をした。
日本とはまったく違うので分からないことだらけであった。
定期健診というものが存在しないらしく、産婦人科に行ったときには、何か問題でもあったのかと心配された。
自分の体重は一切量らなかったので、何キロ太ったのかも、何を食べて良いか悪いかも知らなかった。あの頃は、とにかく辛いものと揚げ物が食べたくて仕方がなかったから、あまりよい妊婦でなかったことは確かだろう。

いつ入院するかも知らなかったから、お産の兆候が現れたら病院に行くようにとしか知らされていなかった。
前日は、この町の年に一回のお祭りの中日で友人らとビールを飲んでいた。そして、次の日には長く会っていなかった友人との再会を予定していたのだ。
朝目覚めてすぐにその兆候が現れたので、急いで病院に直行。友人にお産がきたので会えないと電話する。今からお産なので急に不安になり、誰かに陣痛がどれくらいかかるのか聞いてみたら、半日かかるときもあると聞き、青くなる。いろいろ検査をして、安静にしておくようにとベッドに寝かされた。

本を読んで待っていると、隣の妊婦が苦しむ声が聞こえてきた。
2,3分おきに、ものすごいうなり声とともに「お母さん!」とか「もう耐えられない!」とかそんな叫びがおこる。私は、これから起こる恐怖を知ったようでどうにもたまらなかった。
・・・やがて赤ちゃんの鳴き声、そして妊婦を励ます助産婦さんの声が相次いで聞こえた。
私もその感動をいっしょに味わい、思わず涙ぐんでしまった。

そして昼も過ぎ、夜になっても私の体に変化はない。
さすがに、助産婦もおかしいと首をひねって、30分ごとに様子を見にくるようになった。
夜7時過ぎて、陣痛を起こす点滴を打つことになった。私のお腹が痛みだしたのは、夜八時を過ぎてから。

するとここで働いている、主人の名付け親のおばさんがやってきて、助産婦さんたちにいくら払えばよいかを教えてくれた。私は、お腹が痛むのでおばさんに取り次いでもらうように言ったが、私が直接わたした方がいいという。
仕方なく紙幣を七つ財布から出し、陣痛の合間に助産婦さんに渡した。
助産婦さんははじめ断ったが、「これなしでも子供は生まれてくるのよ。」と言ってから受取った。これがルーマニアの出産事情である。

夜9時ごろにはいよいよ痛みが増してきた。すると外ではセントジュルジ祭の閉めの花火が華やかに響いていた。私は痛みでそれどころでない。

・・・息子が生まれたのは、夜の11時過ぎであった。
それから5日間の入院生活の後に、私たちは家に戻った。
一年の最も美しい季節で、監禁生活から出られた喜びでいっぱいだった。

病院生活も、楽しいことや辛いことなどいろいろであったが、特筆すべきは、ジプシーの女性たちのことである。

ジプシーは、日本でいうと被差別部落のようなもので、もともとインドからヨーロッパに渡ってきた民族である。産科にいた女性のほぼ半数がジプシーであった。
食事をするときにも、彼らは常にかたまっていた。連れたってトイレに行って、タバコをふかしていたのには閉口した。
一人の少女は、産んだばかりの子供を置いたまま、主人といっしょに病院を逃げ出したという噂であった。
私があまりの黒さに驚いたジプシーの夫人は、これでもう7人目の子供であると話した。
もう出産に慣れてしまって、特別苦でもないといった。

日本と明らかに違うのは、病院の食事であろう。
私たちは、出産の次の日から食事の時間になると呼ばれて、食堂までのそのそと歩いていった。そして出されたものは、具なしのスープや、少しの肉、牛乳など、普通の病人食のようなメニューであった。
これではお乳がでないので、みんな家からの差し入れを頼りにしていた。
いつか見舞いで行ったときに見た、産婦人科のメニューには目が飛び出そうだった。

次の出産は、願うことなら日本でしたいものだ。



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comments(2)|trackback(0)|ルーマニアの育児|2008-04-29_23:18|page top

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遅くなってごめんね!
大樹ちゃんもだけど、聖子ちゃんお誕生日おめでとう!

ルーマニアで大変だろうけど、お話聞くの楽しみにしているよ。
早く遊びに行きたいな。
ありがとう!
さやかちゃんの新生活が始まるよう、心から祈っています。

ぜひぜひ、遊びに来てね!
首を長-くして待っています。