トランシルヴァニアへの扉 - Erdely kapuja-

古きよきヨーロッパの面影を残す、トランシルヴァニアへの扉をそっと開いてみませんか?

::自己紹介::

谷崎 聖子

Author:谷崎 聖子
1978年宮﨑生まれ。
大阪外大、ハンガリー語学科卒業。
ブダペスト大学で民俗学を専攻。
ルーマニア、トランシルヴァニア地方のフォークロアに惹かれて、セーケイ地方に移住、結婚。
三人の子育て中。

伝統手芸研究家。
トランシルヴァニアの文化、手しごとを広める活動をしています。主な著書「トランシルヴァニアの伝統刺繍 イーラーショシュ」、「カロタセグのきらめく伝統刺繍」。

東欧雑貨ICIRI PICIRIFOLK ART Transylvaniaのオーナー。

詳しくは、森の彼方-トランシルヴァニアへの扉をご覧ください。

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ドイツ系ザクセン人の村で

トランシルヴァニア地方には、
かつてドイツ語を母語とするザクセン人が数多く暮らしていた。

勤勉な彼らは、西欧との架け橋でもあった。
天までとどくほどの、
強堅な石造りの教会を建てたのも彼らだった。
職人のギルドを作り、
町に活気をもたらしたのも彼らだった。

数世紀にわたって
トランシルヴァニアの文化に大きく貢献してきた彼らは、
1980年代に人口が激減してしまう。
当時のチャウセスク大統領の政策で、
ドイツに移住を余儀なくされたからである。
90年代以降は、
ほぼ空っぽになってしまった村に
今度はジプシーたちが移住してきたので、
村の風景も大きく変わってしまったという。


小春日和がつづく秋のことだった。
ザクセン人の村を目指すため、
ふと思いついてバスに乗りこんだ。

村外れの分かれ道でバスを降りる。
ここからは一本道。
小川をはさんで、こちら側がハンガリー系の多くすむ土地で、
向こう側がドイツ側が多くすむ地方だった。

Szaszmagyaros 003

その日は日曜日。
昼前の村は、ひっそりと静まっている。

Szaszmagyaros 008

道の途中でふと足をとめる。
ちょうどミサが終わったところらしい。
ルーマニア正教の教会の前から、
村人たちが次々と出てくるところだった。

その薄暗い建物の中へすべりこんだ。
照明のない室内には、
窓から明るい光があふれこんでくる。
その光が、壁のフレスコ画を柔らかに照らしていた。

Szaszmagyaros 013

織物のロングクロスが、
羽を広げた鳥のようにイエス・キリストの絵を包みこむ。

Szaszmagyaros 014

Szaszmagyaros 031

かつてロウソクで中を照らしていた名残だろうか。
煤で黒く染められた天井画が、
静かにこちらを見下ろしている。
正教には、この薄暗さが実に良く似合う。

Szaszmagyaros 028


壁に沿って作られた椅子。
普段、多くの人は立ってミサに参加している。
余計なものが取り払われた中央の空間は、
何かほっとさせるものがある。

Szaszmagyaros 018

ミサが終わってもなお、
椅子に腰掛けて、じっと想いに耽っている人。
こうした独りきりの時間をもつのは美しいことだと思う。

Szaszmagyaros 022

収穫祭だろうか。
祭壇前のテーブルには、
黄金色に焼けたパン、
ケーキのようなものがお供えされていた。

Szaszmagyaros 026

すると、そのケーキを紙コップにとりわけ
私たちに勧めてくれるお婆さん。
やわらかなカスタードクリームの中に、
たくさんの麦のような粒が入っている。
なにやらルーマニア教会の儀式に欠かせない、
特別なお菓子のようだ。

アルパカシュと呼ばれる穀物を煮て、
バニラとラム酒、砂糖で味付けをしたものが、
このようなカスタードクリーム状になるそうだ。

Szaszmagyaros 025

出口のところで見た面白い壁画。
たくさんの悪魔たちが、
何者かの手によって削られていた。

Szaszmagyaros 012

村を歩けば、
ザクセン系独特の美意識が今なお息づいている。
まっすぐ直線状に並んだ家並み。
きっちりと等間隔に、家と門とがひと続きに整列している。

Szaszmagyaros 058

中心にあるルター派教会。
がっしりとした石造りの建物は、
かつての村の豊かさを物語っているようである。

Szaszmagyaros 036

果たして、村にザクセンの牧師さんはいるのだろうか。
教会のすぐ横の家の門をたたいた。
しばらくして出てきたのは、
あまり来客に関心のなさそうな中年男性だった。
「 教会の中を見たいのですが・・。」と尋ねると、
「 外ならどうぞご自由に。」という返事。
遠くから来たので、ぜひとも中を見たいと伝えると、
それでは門番を呼んでくるという。

やがて出てきたのは、
すぐにそれと分かるドイツ系の顔立ちのおじさん。
私たち外国人を見ると、すぐに笑顔を浮かべ、
流暢なドイツ語が口をついて流れてきた。
困惑した私たちの顔を見て、
「 ドイツ語ができますか?」と尋ねた。
ただ首を振るしかなかった。

それからは共通の言語はルーマニア語。
ハンガリー語を母語とするダンナと、
ドイツ語を母語とするザクセン人の門番。
ふたりの少したどたどしい会話を聞きながら、
ルーマニアという国の不思議さを考えていた。

そして教会の扉がひらかれた。

Szaszmagyaros 038

教会の雰囲気に包まれて、驚いた。
真新しく使われている空気が確かにある。
ほとんどのドイツ系教会では、
どこか廃墟のような、過去の遺産として残っているものが多い。

こちらでも収穫祭が行われたらしい。
たくさんの野菜が、生き生きとした色彩を放っていた。

Szaszmagyaros 043

祭壇の前には、
リンゴと胡桃が並べられていた。

Szaszmagyaros 044

唐草と黄金のクジャクが一体化した、
華やかなバロック調の飾り。

Szaszmagyaros 046

村のザクセン人の数を聞くと、
100人前後だという。
隣にある村の学校でも、
ドイツ語を母語として教えるクラスがあるらしい。

「 もちろんドイツに移住していった者も多いけれど、
今でもたまに村に帰ってくるのもいるよ。」

Szaszmagyaros 048

教会の裏にある墓地は、
草はきれいに刈りとられ、村の家並みのように
きっちり並んでいる。
規律正しい彼らの性格が、ここにもしっかり表れていた。

Szaszmagyaros 053

「 Auf Wiedersehen!(さようなら。)」
ザクセン人のおじさんがこう言った。
私たちも、ドイツ語で挨拶を返した。

ひっそり静まり返った日曜日の村。
村はずれのジプシー地区に来ていた。
ここだけは村人の行き来が見られる。

Szaszmagyaros 067

ザクセン人の去った後に、
移住してきた新しい住人たち。

Szaszmagyaros 073

中には何もかもを家に残したまま、
去っていった人たちもいた。
その持ち物はジプシーたちの手に渡り、
売られてしまったり、あるいは捨てられたものもあるかもしれない。
幸運にも部屋の隅で、生活に使われているものもある。

このような小さな手仕事も、
彼らがここで生きてきた証である。

Szaszmagyaros 074




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comments(6)|trackback(0)|ザクセン地方の村|2010-12-05_01:53|page top

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Re: No title
Sさま、どうもありがとうございます。

今回訪れた地方は、
トランシルヴァニアの民族構成の複雑さを
物語っているようなところでした。

私はルーマニア語もドイツ語もできませんので、
ルーマニア正教、ルター派の知識に乏しいものですから、
あくまでよそから見た目です。

旅する先々で、外国人にとって
いちばん興味を引かれるのは、やはり祈りの場。
宗教でしょうね。

同じ収穫の祭りでも、
ずいぶん雰囲気が違います。
No title
本当に複雑な歴史を抱えていますよね。
島国日本には考えられない経緯です。

どこに住んでも やはり国民性と言うものは
あるんですね。
規律正しいドイツ系の人々…。
いろいろ考えるにつけ、国境って何なのだろうと
時々思い至ります。
同じ地球人として それは必要なのか とか。

細分化して、国境を持つからこそ ある種の
競争や競合が生まれて 互いの繁栄を
生み出すことになっているのか、とか。
Re: No title
霧のまちさん、
100年前のこの地方では、
色々な言葉を話す人がいて、
色々な宗教を持つ人がいて、
そして村によって違う民俗衣装を着ていたんです。

ルーマニア人、ハンガリー人、ザクセン人、
ユダヤ人、ジプシー。
そうした小さな違いがお互いに影響しあって、
トランシルヴァニア地方として誇れる文化が生まれたのだと思います。

たとえば中世には、ナショナリティーではなく、
宗教がいちばん重要な要素だったようです。

特にここ、東ヨーロッパで国境を引くことは
不可能だと思います。
地理的文化的な境界を越えて、
さまざまな民族が入り交ざっていましたから。

国境が引かれることによって、
さまざまな人が悲しみ傷つけられている。
そのことを忘れてはいけないと思います。

トランシルヴァニアのザクセン人という項目が、
Wikipediaにあります。
19世紀からみるみるうちに権力が剥ぎとられ、
しまいには約800年前に離れた「母国」へと帰っていったこと、
ここに暮らす人たちは忘れてはいけないと思います。

No title
はじめまして、ママと申します。
ザクセン人の移住に関する事を探していて、このページに行き着きました。
とても興味深く、面白いページですね。 写真もとても素敵です。
また時々読ませて頂きます。

私は、スロバキア東部に移住してきた沢山のザクセン人がいるのを知り、もっと知りたいと思っています。 彼らがどういう人で、どう生きてきたのか、なぜ移住するのか、彼らが新しい土地に与えたものは・・・色々勉強したいと思っています。
Re: No title
ママさん、はじめまして。
スロヴァキア東部にもザクセン人が多く住んでいたのですね。
18世紀には、ザクセン人のほかにSvab(シュヴァーブ)と呼ばれるドイツ人も移住しているようです。
Württenberg周辺からきた人たちと言われています。

同じドイツ系でも、ザクセン人の方が
技術者というイメージが強いです。
シュヴァーブは文化的にも経済的にも大きな役割を持たなかったので、
そう思うとザクセンという人たちの特殊性が浮かび上がってくるようですね。
トランシルヴァニアのザクセン人は、移住したというよりも
移植させられたという風に聞いています。

1980年代に再びドイツに移住していったザクセン人たちは、
どのように暮らしているのか気になりますね。
方言はかなりきついドイツ語だと聞きますが、
もう民族意識はないのでしょうか。