トランシルヴァニアへの扉 - Erdely kapuja-

古きよきヨーロッパの面影を残す、トランシルヴァニアへの扉をそっと開いてみませんか?

::自己紹介::

谷崎 聖子

Author:谷崎 聖子
1978年宮﨑生まれ。
大阪外大、ハンガリー語学科卒業。
ブダペスト大学で民俗学を専攻。
ルーマニア、トランシルヴァニア地方のフォークロアに惹かれて、セーケイ地方に移住、結婚。
三人の子育て中。

伝統手芸研究家。
トランシルヴァニアの文化、手しごとを広める活動をしています。主な著書「トランシルヴァニアの伝統刺繍 イーラーショシュ」、「カロタセグのきらめく伝統刺繍」。

東欧雑貨ICIRI PICIRIFOLK ART Transylvaniaのオーナー。

詳しくは、森の彼方-トランシルヴァニアへの扉をご覧ください。

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小さなゾルターン村の大きな門

その小さな村を訪れたのは、
まだ夏の香りが漂う8月のことだった。

自転車でその村を発見したダンナが、
息をはずませて言った。
「とても素敵な村を見つけたよ。
 貴族の屋敷が二つあって、小さいけれど雰囲気のいい所なんだ。」

誘われるがままに、
国道沿いをヒッチハイクで北に向かう。
道の途中で降りると、あとは畑道をひたすらに進むだけ。

Zoltan 008

ゾルターン村は、かつて
名家ツィルイェーク家のもとで繁栄を遂げた。
それが社会主義時代に貴族の所有地が剥奪され、
その一家が没落するとともに、たくさんのジプシーが移住してきた。
この荒廃した門は、
やがて過疎化していく村のシンボルとなった。

Czirjék kúria kapu 1

ちょうどその時、
何十年もの月日を経て、
ツィルイェーク家の門の修復がなされていた最中だった。

18世紀に建てられた屋敷と同時代に作られたといわれる、
石造りのどっしりした門。
バロック式の優雅な曲線を描く入り口部分は、
忠実な形で復元された。

木製の屋根にはハトの小屋が作られているが、
これはもともとセーケイの門として知られるものが、
貴族の様式にも影響を与えた名残である。

Zoltan 014

村に残る貴族の屋敷のひとつは、
ブダペスト出身の若い夫婦が別荘として使っている。
奥様のおばあさんのものを相続したという。

もうひとつの屋敷には、
88歳になるおばあさんがひとりで暮らしている。
自転車をこいで一人でうろついていたダンナを
家に迎え入れ、親切にもてなしてくれたという。

家の前の木陰で、ご近所さんたちとおしゃべりをしているところで
私たちの姿を見かけると、
「 まあ、約束どおりやってきたのね!」と
思ったよりも元気な声が響いた。

おばあさんのゆっくりした足取りをついて行く。
家の外観は、普通の村の民家のようだ。

Zoltan 042

ステッキをついて、
慎重に階段に足をかけるおばあさん。

Zoltan 046

ワインを注ぎ、勧めてくれた。
ありったけのお菓子を棚から出しては、私たちの前に差し出した。
一人きりの生活でも、おばあさんの口をついて出るのは
愚痴ではなく、子どもたちや孫への思いやりの言葉ばかり。

Zoltan 071

黒ずんだ天井の柱には、
しっかりと1711年の文字が刻まれている。
そしてツィルイェーク・フェレンツの名前・・。
今ちょうど修復されている門から、
ずっとここまでがツィルイェーク家の敷地だったのだ。

郷土歴史家たち誰もが、
ただ門だけが存在すると信じて疑わなかった。
地元の新聞記事にも、この小さな発見が取り上げられた。

Zoltan 067

おばあさんはツィルイェーク家の出ではない。
それがどのようにして、ここで暮らすようになったのだろう。
ただ彼女だけが、安らかな時間とともに
この古い遺産を守っていることだけは事実である。

Zoltan 061




夏から秋へと季節は変わり、
11月の27日に門の完成式典が開かれた。
あいにくの雨にもかかわらず、
小さな村に大勢の人が詰め掛けた。
クルージ在住の貝戸さん夫妻の姿も。

Hermany 004

門の右側に見える美しい装飾部分は、
画家ペーテル・アルパールの手で修復がされた。
空色に白い縞、
黄金の太陽と銀の月が描かれている。
数百年にわたりハンガリー王国の国境を守り続けてきた、
誇り高きセーケイ人の旗である。

Hermany 011

ハンガリーの文化遺産保護の組織からの援助で、
ここセーケイ地方の門や古い屋敷を修復するプログラムが
何箇所かですでに行われているところだそうだ。

歴然とした国境が引かれているにもかかわらず、
文化的には国境を引くことはできない。

Hermany 027

真新しい白壁の門は、
再びその誇りを取り戻したかのように、
堂々と立ち続けている。
村の人々もそれに続いてほしい。

Hermany 030

朝からのどんよりとした空模様がうそのように、
晩秋の太陽がそっと顔を出した。





トランシルヴァニアをこころに。

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comments(4)|trackback(0)|セーケイ地方の村|2010-12-10_06:51|page top

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非公開コメント

No title
門の完成に大勢の人が集まりましたね~。
なんか、おばあさんのいる風景が 中世の絵画を
見ているような雰囲気です。
歴史的な遺産を修復する予算が けっこう採られて
いるようで 素敵です。
ご主人もいろんな所に出掛けられて 行動を共に
しておられるようですが、お仕事は何をされて
いるんでしょうか。
うちは あまりにも夫婦の好みが違いすぎ・・・
会話もないので。(笑)
Re: No title
霧のまちさん、
本当に小さな村なのですが、
100年前のことを思うと、
きっと文化的水準は高かったのだろうと想像できます。

ルーマニアのおばあさんたちは、
雰囲気がありますよね。
きっと今の人たちとは全く違った価値観のなかで
育ってこられたことが、表情からも伺えます。
村の女性たちは、物凄く大きな手をしているんです。
働き者のおばあさんは、心も広いです。

ルーマニアの国家は、
普通ハンガリー系の遺産にはお金を出しませんので、
そのまま朽ち果てていく場合が多いです。
ザクセン人の教会などは、
観光資源となりますので、修復はされていますが・・。
ハンガリーが、こうして
自分たちのルーツを守っていくのは
大切なことだと思います。

うちのダンナは自由人です(笑)。
こちらと日本とは夫婦間の考えも違います。
日本では夫婦はお互い別の世界を持ち、
別の人間関係の中で生活していますが、
こちらはほとんど一緒。
正直、うざったいこともあるんですよ。

No title
村に着いた途端に鳴り響いた楽隊の演奏や
振る舞れたたくさんの手作りケーキとクミン酒、
そしてあいにくの雨から清々しい晴れに変わった
あの日の天気に栄える門が思い出されます。

夏の緑生い茂るゾルターン村も美しいですね。
おばあさんとの交流を見てますます村に興味が湧きました。
笑顔の絶えない可愛らしいおばあさんと
赤い刺繍で飾られた素敵なお屋敷、、、。
また是非訪れてみたいです。
Re: No title
由希さん、どうもありがとうございます。
トルコへの旅は本当にお疲れ様でした。
せっかく我が家へ帰られたのに、
ひどい出来事でしたね・・。
私はブダペスト時代に大家さんと
トラブルがあったこと、忘れられません。
日本とは感覚が違う。
暮らしてみて、分かることもたくさんあります。

セーケイ人はどうやら式典好きのようです。
あの日の晴れやかな空気は忘れられませんね。
薄暗いガレージの中で
たくさんのお菓子をみんなで頬張ったことも、
いい思い出ですね。

セーケイ地方も3日ではあっという間ですね。
次はアーラパタクへもご一緒しましょう!