トランシルヴァニアへの扉 - Erdely kapuja-

古きよきヨーロッパの面影を残す、トランシルヴァニアへの扉をそっと開いてみませんか?

::自己紹介::

谷崎 聖子

Author:谷崎 聖子
1978年宮﨑生まれ。
大阪外大、ハンガリー語学科卒業。
ブダペスト大学で民俗学を専攻。
ルーマニア、トランシルヴァニア地方のフォークロアに惹かれて、セーケイ地方に移住、結婚。
三人の子育て中。

伝統手芸研究家。
トランシルヴァニアの文化、手しごとを広める活動をしています。主な著書「トランシルヴァニアの伝統刺繍 イーラーショシュ」、「カロタセグのきらめく伝統刺繍」。

東欧雑貨ICIRI PICIRIFOLK ART Transylvaniaのオーナー。

詳しくは、森の彼方-トランシルヴァニアへの扉をご覧ください。

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太陽のひと

ブダペストを出発する前の日のことだった。
珍しく家の電話が鳴ったので、
ダンナが出た。
ルーマニア語で何か話してから、すぐに私を呼ぶ。

受話器から聴こえてきたのは、懐かしい彼女の声。
「私よ!リアよ。」
10年前の昔とひとつも変わらない調子に、
私の胸も高まった。
ビストリツァに暮らす彼女は、
学生時代のルームメイトの母親だった。


21のときにはじめて、トランシルヴァニアで生活を始めた。
大学都市のクルージ・ナポカに当時
日本人は少なく、頼る人もあまりいなかった。
娘を訪ねにきた彼女は、
部屋に入るなりこういった。
「私があなたの、ルーマニアのお母さんよ!」

実際、彼女はお母さんではなく、
友達だった。
両親がなくなって二年たった当時も喪服をつけ、
私の前でぽろぽろと涙をこぼした。
バスに間に合わずビストリツァの町中で、
ヒッチハイクをしたこともあった。
身寄りのない一人暮らしのお婆さんを
いっしょに訪ねたこともあった。
屈託のない明るさは、
いつも太陽のようだった。

「いつか故郷の村で本屋さんを開くのが、私の夢なの。
 もう名前も考えてあるのよ。」
家族の頭文字をひとつずつとってつけた、変に長い名前。
「そうだ、あなたの名前も入れるわ。」
さらにへんてこな響きになり、
思わず吹き出しそうになった。


彼女とは、それから一度だけ会った。
ビストリツァに今のダンナと訪ねていったとき、
彼女は病院の一室にいた。
足をわずらって、
そのショックで鬱になってしまったという。
いつもの笑顔は見られず、
ハンガリー語は口をついて出なかった。
ダンナを通訳に介して、ルーマニア語で話した。
彼女の中の太陽はかげっていた。


日曜日の夕方5時。
映画館の前で待ち合わせた。
娘のデリアは、大学を出てからはイタリアで働いている。
彼女といっしょに、リアの待つ喫茶店へ。

角のテーブルのところに、彼女は立っていた。
白いブラウスに蝶ネクタイをした姿は、
メリー・ポピンズみたいだ。
10年前のそのままの姿で、
彼女はテーブルに敷いてあった白いクロスを、さっとひるがえした。

テーブルの上には、
彼女の手料理がたくさん並んでいた。
お茶やケーキの注文をとった後で、
知人のウェイトレスをつかまえてこう言う。
「ねえ、お願い。これを温めてくれる?」
ペットボトルを半分に切った容器には、
チキンの煮込みが入っていた。

トウモロコシ粉をゆでたものに、
熱々のチキンの煮込みをかけて皿に盛り付ける。
「さあ、召し上がれ。」

「天の神様が、私に料理のひらめきを与えてくれるのよ。」
彼女はかつてこういった。
その料理には、確かに魔法がかかっていた。
この再会をかみ締めるように、ゆっくりと味わった。

budapest 141

人生の中で、身を震わせるような経験が
いくつかあるとしたら、
そのひとつはきっと人との再会だろう。





トランシルヴァニアをこころに。

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comments(2)|trackback(0)|その他|2010-12-25_07:33|page top

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非公開コメント

No title
この記事も なんか映画を観ているようです。
TVの「ウルルン滞在記」などを見ても思いますが
日本人は 知らない人に対して なかなか
親切に出来ない人種ですね、私も含め…。

どこかに壁を作ってしまって…。
このお母さん、面白い方ですね~。
服も楽しい~。
日本のお母さんなら ひたすら地味に・・・
「子供がお世話になってます~」ペコリ みたいな。

tulipanさん 確実にそちらに根を張り 幹を広げて
いい思い出が積まれていますね。
Re: No title
2000年のあの時代は、
トランシルヴァニアも今とは全く違う感じでした。
不思議と張り詰めた空気があって、
数少ないアジア人種の私にも変な圧迫が感じられ・・。

その分、素朴でやさしい人たちの出会いがたくさんあり、
私が誰であろうがかまわず、
両手を広げて受け入れてくれるような、
そんな大らかさがありました。

およそ10年の長い空白も感じさせない再会、
喫茶店の一角はまさに彼女の部屋でした。
大きな病気をしたとの辛い話もありましたが、
それも含めて人生の味なのだと思いました。

日本人の相手を気遣う思いやり、
少しシャイな愛情もそれはそれで、
素敵だと思います。
いくら言葉を学んでも、
こちらの人のような愛情表現はできません。
やっぱり、結局は日本人なのでしょうね。