トランシルヴァニアへの扉 - Erdely kapuja-

古きよきヨーロッパの面影を残す、トランシルヴァニアへの扉をそっと開いてみませんか?

::自己紹介::

谷崎 聖子

Author:谷崎 聖子
1978年宮﨑生まれ。
大阪外大、ハンガリー語学科卒業。
ブダペスト大学で民俗学を専攻。
ルーマニア、トランシルヴァニア地方のフォークロアに惹かれて、セーケイ地方に移住、結婚。
三人の子育て中。

伝統手芸研究家。
トランシルヴァニアの文化、手しごとを広める活動をしています。主な著書「トランシルヴァニアの伝統刺繍 イーラーショシュ」、「カロタセグのきらめく伝統刺繍」。

東欧雑貨ICIRI PICIRIFOLK ART Transylvaniaのオーナー。

詳しくは、森の彼方-トランシルヴァニアへの扉をご覧ください。

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セーケイ地方の夕べ

バルトーク・ベーラは、
20世紀を代表するハンガリーの作曲家です。
19世紀末、20世紀のはじめにかけて、
ハンガリーではフォークロアの研究が盛んにされるようになると、
同時に、農村社会への憧憬が生まれるようになりました。

建築ではレヒネル・エデンやコーシュ・カーロイらが、
鮮やかな民俗モチーフをモダンな建築様式の中へ取り入れました。
工芸やグラフィックの分野でも、
当時の優美なアールヌーヴォーの流行を受けながら、
そのハンガリー農村の欠片は生き続けたのです。

一方バルトークは、音楽の世界でフォークロアを追求します。
ハンガリーのあちらこちらの村々の民謡を集め、
それをクラッシック楽曲へと融合させました。

この作品はトランシルヴァニアの夕べと訳されていますが、
原題は「セーケイ地方の夕べ」です。


(バルトーク自らのピアノ演奏)

セーケイ地方とは、カルパチア山脈の西側の地方。
バルトークの生まれた頃は、
ハンガリー帝国の東の果てでした。

ここに12世紀ごろに、
最も危険であった東の国境を警備するために
セーケイ人と呼ばれる人たちが送られてきたといわれています。
彼らは自分たちの土地を持ち、
貴族に属しない特権階級に恵まれました。
その代り、一度戦争がおこると
彼らは武器を取り国のために勇ましく戦いました。

当時はマロシュ県、ハルギタ県、ハーロムセーク県と分けられ、
それぞれの変化にとんだ環境で
誇り高いセーケイの文化が花開きました。

私の暮らすのは、ハーロムセーク県の
なだらかな平野地方ですが、
この楽曲を聴いて目に浮かぶのは、ハルギタ県の
常緑のモミの森に抱かれた山深い風景です。

バルトークの見たセーケイ地方は、
どんなにか美しいものであったか。
この旋律を耳にすると、
夕暮れの中に浮かぶセーケイの門や牛の群れ、
家路へいそぐ村人たちの姿が広がってきます。

szekelykapu1825_b.jpg


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Theme:ルーマニア
Genre:海外情報

comments(2)|trackback(0)|アート|2011-04-16_16:20|page top

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No title
「トランシルヴァニアの夕べ」がセーケイ地方を指しているとは知りませんでした。
私もバルトークが好きで、渡航前からよく聴いていました。
そのため、ルーマニアへの想いがさらに膨らんだような気がします。

フォークロアを追求し、自身のフィルターを通して芸術に落とし込む。
それはどの分野においても、奥深さが感じられます。
その土地に根付いた農村文化には、何時も人を魅了する力があると思います。

日本で繰り返し聴いていたこの曲を、今こうしてルーマニアの地で聴くと
とても感慨深い気持ちになります。
Re: No title
哲弥さん、どうもありがとうございます。
バルトークというと、ルーマニア舞曲が有名ですが、
このシンプルなピアノ曲がとても好きです。
この楽曲の原題に気がついたときに、
漠然としたトランシルヴァニアのイメージから、
私の住む地方セーケイの風景が浮かぶようになりました。

バルトークの仕事は素晴らしいですよね。
彼が収集したのは1914年第一次大戦まででしたが、
その時代がハンガリーの歴史上みても、
またセーケイ地方でも黄金時代だったようです。
私もできるなら、この時代を目にしたかったです。

ハンガリー人にとって、とくにトランシルヴァニアの民にとって、
フォークロアが働きかける力はかなり大きいのではないかと考えます。
ですから、19世紀末に都市文化が花開き、
西欧のモノがたくさん流入されたときに、
そういうヨーロッパ的なものに反発する形で、
フォークロアの力を借りたのではないかと思います。

トランシルヴァニアにおいては、
少数民族であるハンガリー人がここにいる理由として
歴史は大きな証言でありますが、
農村文化のさまざまな要素なしには
ありえないのではないかとも思います。
バルトークやコーシュ・カーロイのような人物が、
今はもういないのが残念です。