トランシルヴァニアへの扉 - Erdely kapuja-

古きよきヨーロッパの面影を残す、トランシルヴァニアへの扉をそっと開いてみませんか?

::自己紹介::

谷崎 聖子

Author:谷崎 聖子
1978年宮﨑生まれ。
大阪外大、ハンガリー語学科卒業。
ブダペスト大学で民俗学を専攻。
ルーマニア、トランシルヴァニア地方のフォークロアに惹かれて、セーケイ地方に移住、結婚。
三人の子育て中。

伝統手芸研究家。
トランシルヴァニアの文化、手しごとを広める活動をしています。主な著書「トランシルヴァニアの伝統刺繍 イーラーショシュ」、「カロタセグのきらめく伝統刺繍」。

東欧雑貨ICIRI PICIRIFOLK ART Transylvaniaのオーナー。

詳しくは、森の彼方-トランシルヴァニアへの扉をご覧ください。

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カロタセグ地方手芸の旅、2011/10(中)

夜遅くの訪問者を、カタリンおばさんは温かく迎えてくれた。
軽い夕食をとったあと、離れの民家に案内される。
その日いちにち歩き疲れた体を、あたたかなベッドがやさしく包んでくれた。

カロタセグ地方は、
19世紀はじめにフォークアートの研究で一躍注目を集めたあと、
何人もの女性たちの手でその文化が守られてきた。
ジャルマティ婦人は、「カロタセグの偉大な夫人」と讃えられる人物で、
国内外のさまざまな博覧会に運び、カロタセグの手芸を有名にした。
その後もその意思をうけついで収集、紹介などをした女性たちがいたが、
このシンコー・カタリンもその中のひとりである。

イーラーショシュという刺しゅうの収集を1972年にはじめ、
80年にはトランシルヴァニアのクリテリオン社から大きな図案集を刊行した。
今でも村でイーラーショシュの刺しゅうの図案を描き、
刺しゅうをして暮らしている。

「イール」、つまり描くことが語源となっているこの刺しゅうは、
図案を描くことが一番たいせつとなる。
刺しゅうの幅が太いのに、
図案集には一本の線で描かれていることを指摘した。

すると、彼女は大きくため息をつきこう言う。
「それが肝心なのよ。
一本線であることで、作り手に自由が与えられる。
それが、作り手の創作性(クリエイティビティ)を生み出すのだから。
その線がもし二本線だったら、同じものしかできないでしょう。
手芸は、工業生産じゃない。
その自由がなかったら、それはもはや農村手芸ではないわ。」

その言葉は強かった。
彼女が何十年もかかって向かい合ってきた、
農村の手芸が何たるものであるのかが重くのしかかる。

それに対して、日本ではどうだろう。
同じものをそっくりに書き写したようなものを皆が作りたがるし、
そうあるべきだと思っている。

kalotaszeg201110 173

「昔、この村にいた牧師さんがこんな風にお説教したわ。
『あなたたちは、自分たちが衣装を保存しているから伝統を守っていると思っているが、
本当は衣装があなたたちを守っているのだ。』ってね。」

kalotaszeg201110 231

村では一部の人たちの手によって大切に衣装や手芸品が守られているが、
一部の人たちはすでにそういったものを手放してしまっている。
古いものは手芸品はお金になる。
中には、そういう価値しか見ない人もいる。

哀しいことに簡単にそれを手放すのは、
その手芸にどれだけ手間隙がかかったかを知らない、
その作り手の子どもたちや孫たちなのだ。

そして一度手放してしまった遺産は、もう帰ってはこない。
同じものを作れる人はいないし、材料だって手に入らないのだ。

kalotaszeg201110 233

カタリンおばさんは、言う。
「この村のルーマニア人は、むかし彼ら独自の衣装を持っていたんだけど、
それからハンガリー人の衣装や手芸をすべて取り入れてしまった。
その後、ルーマニア人の衣装を統一する動きがおこってから、
どこにでも見られる、黒い袖の刺しゅうと黒いエプロンのものに変わったの。」

村のとあえるルーマニア人のおばあさんが、
見事なイーラーショシュの枕カバーが積み上げられた飾りベッドを見せてくれた。

一つの文化の担い手が、
必ずしもひとつの民族というわけではない。
彼らがルーマニア語を話し、時にハンガリー語をも話すように、
いくつもの文化を同時に持つことだってできる。
その混ざり合いこそが、何百年もかかって
トランシルヴァニアの文化を美しく独自のものにしてきた。

kalotaszeg201110 250

日の傾く前に、隣村を目指して歩く。
干からびた原っぱには、
たくさんのうす紫色の花がけなげに咲いていた。
秋を告げる花がささやかな色を大地に投げかける。

kalotaszeg201110 277

手の平くらいの大きさの巨大な花。
すでに花びらは散っていた。
がくは銀色にかがやき、
クリーム色のやわらかな綿毛を秋風になびかせている。

kalotaszeg201110 285

とんがり屋根の教会が丘に望んでいる。
いつもひっそりとしているのが、
今日はお葬式ということもあり物静かだった。

kalotaszeg201110 286

ブジおばあさんの家につくと、すでにお葬式から戻っていた。
「この前、ハンガリーのデブレツェンから観光客が着てね。
牧師婦人の紹介で、家にやってきたわ。
みんな私がどうやって図案を描くのか感心してみていたわ。」
80を過ぎても驚くほど頭の回転のはやいおばあさん。

冷蔵庫の電源が切れているというので、
ダンナが電源などを調べていると、
家全体の電気がついていないことが分かった。
「停電・・。」
ブジおばあさんと顔を見合わせた。
もう外も暗くなってきたようだ。

「そうだ、私のいとこが村で家を建てたのだけど、
そこで懐中電灯が借りられるかもしれない。」
70歳を過ぎたおばあさんはひとり暮らしで身よりもなく、
納屋を改造させた家を故郷に作ったばかりであるという。

薄暗い道を、ブジおばあさんの手をとりながら
坂をおり、またのぼって歩いていく。

kalotaszeg201110 289

真っ暗な道をすすみ、その家の庭につくとブジおばあさんが声を張り上げる。
すると家の戸がひらき、小柄なひとりの女性が出てきた。
手には懐中電灯をもっている。
「さあ、どうぞ。」と家の中へと案内した。

私たちは暗い部屋のテーブルのそばに腰をかけた。
テーブルの上に小さなお皿を置き、
ろうそくを二本つけた。
ぼんやりとした光りが、おぼろげに
古い調度品で飾られた部屋の様子をうつしだした。

「ほら、私が話したでしょう。
あの中国人の女の子よ。ハンガリー語も話すのよ。」
ブジおばあさんは、私を紹介すると、
向かいのやせたおばあさんが興味深々で私の顔をのぞきこむ。

相手の顔も表情も分からないほどの暗さで、
人と対面し話すというのは面白いものだ。
耳の感覚は敏感に研ぎ澄まされ、
その声がいつもより近く感じられる。

「私の部屋を案内するわ。」
おばさんはそういって小さな体を起こすと、
頼りなげな懐中電灯の光りで、その家の部屋をひとつずつ映し出す。
彼女の母親の作ったイーラーショシュのタペストリーやクロスが、
その暗いなかで色濃く印象に残った。

残念ながら、懐中電灯はひとつだけしかない。
ブジおばあさんはひとり暮らしのおばあさんにそれを残し、
さらに暗い闇で包まれた道を引き返した。
真ん中にブジおばあさん。
その両腕を、私とダンナがそれぞれに抱える。

「まあ、なんて月が明るいのかしら。」おばあさんは声を大きくした。
白々とした光りを投げかける月の下、
昔のように、家々では小さな明かりを囲んで家族がひとつになって、
おしゃべりをしているのかもしれない。
ぼんやりとした赤い光りが窓に映るたびにそう思った。

おばあさんの体のぬくもりが、腕を通して伝わってくる。
暗い夜道も、まったく不安はなかった。
昔の人々がそうしたように、
月の明るさに感謝をささげながら家路についた。



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comments(4)|trackback(1)|カロタセグ地方の村|2011-10-15_21:49|page top

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No title
はっきり言って貧しい暮らしは否定できませんが、豊かな
心持ちになれますね。
私が小さかった頃の 世の中のあり方を思い出します。
月の明かりが あの頃 美しくて気持ちが晴れ晴れとしたのが
昨日のように覚えています。
一本の線で表すラインのことも 考えさせられます。
Re: No title
霧のまちさん、
その日の停電がかえって有難いと思いました。
夜に月の明るさを感じられることって、今の生活ではないです。
ほんのしばらく前では、
村の生活は日が昇ると同時におき、
暗くなると眠りについていました。
夜の長い冬の間は、自然と体を休めるようになっていたのでしょうね。

宮崎の実家の付近には、月待ちの碑がたくさん並んでいます。
23夜のときに、村の人たちが集まり、
体の中の虫がその人の罪を告げに天にのぼってしまうのを見張るために
寝ずに飲み食いをして番をするのだそうです。
曾おばあさんが女友達としていたのを、母は覚えているそうです。

季節や自然にそった生活を、
人々がだんだん遠ざけているような気がしてなりません。
No title
手芸は工業生産ではない、、。一本線のお話は私も共感しました。そして、月の明るさを実感した、イナクテルケ村での夜も思い出しました。

私はヨガやアーユルヴェーダを学びながら、季節にそった生活を見直してる日々なのですが、多分どこの国でも、それと学んでなくても、村の生活が一番アーユルヴェーダ的なのでは、と思い始めています。自然に敬意を持ち、季節の植物を愛でて、旬の作物を食す。季節のお祭りやお祝い事の為に、普段は質素に過ごす事、等々、全て陰陽のバランスとしても整っているんじゃないかしら、と思うのです。多分私に出来る事と言えば、マンションのベランダで花やハーブを育てたり、スーパーで旬の食材を買って料理する程度のことですけど。
Re: No title
yuccalinaさん、
人間本来の生活に立ち返らないといけないと私も思います。
壁に仕切られたアパートの生活ですので、
こういうことを感じられないまま、日常が流れていく気がするのです。
村に家ができたら、
町の生活で飢えている心のゆとりを取り戻したいですね。

自然に依存して生活をしている村の人たちの生活が、
いかに心身にとって健康的かつ恵まれているかがよく分かります。