トランシルヴァニアへの扉 - Erdely kapuja-

古きよきヨーロッパの面影を残す、トランシルヴァニアへの扉をそっと開いてみませんか?

::自己紹介::

谷崎 聖子

Author:谷崎 聖子
1978年宮﨑生まれ。
大阪外大、ハンガリー語学科卒業。
ブダペスト大学で民俗学を専攻。
ルーマニア、トランシルヴァニア地方のフォークロアに惹かれて、セーケイ地方に移住、結婚。
三人の子育て中。

伝統手芸研究家。
トランシルヴァニアの文化、手しごとを広める活動をしています。主な著書「トランシルヴァニアの伝統刺繍 イーラーショシュ」、「カロタセグのきらめく伝統刺繍」。

東欧雑貨ICIRI PICIRIFOLK ART Transylvaniaのオーナー。

詳しくは、森の彼方-トランシルヴァニアへの扉をご覧ください。

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私はいったい何人?

「私はいったい何人なのか?」
当たり前に日本という島国で生まれ育った私たちの多くには、
こうした問題と突き当たることはおそらく一生ないだろう。
ところが他民族が暮らしている地域では、これがひとつの大きな問題となる。
今、ルーマニアではちょうど国勢調査が行われているところである。

この間、プロテスタント教会に行ってきたら、
牧師さんがこのような冊子を配っていた。
「これから行われる国勢調査で、民族の名前を書くところには、
皆さんマジャール人と書きましょう。
他にもハンガリー人、セーケイ人などの選択肢もありますが、
これは私たちの人口を分散させるための思惑なのです。」

ハンガリー人のことは、彼らの言葉ではmagyar(マジャール)といい、
ルーマニア語の訳はmaghiara(マギァーラ)である。
また別のルーマニア語での呼び名は、
hungaryが語源のようなungur(ウングル)というものもある。
さらにややこしいことには、
ここカルパチア山脈沿いに住むハンガリー人は、
自らのことをszekely(セーケイ)と呼んでいることである。
ルーマニア語ではsecui(セクイ)と訳される。

もし彼らがそれぞれの思うがままに三種三様に名乗った場合、
結果としてハンガリー語を母国とする人の数が減ってしまうというわけである。
人口20%以上を占める民族の言葉を公で表記すること、
また公でその民族の母国語が使えることがヨーロッパの法律で義務づけられている。
だからこの国勢調査は、彼らの立場を決める大切な機会なのである。

ICIRIPICIRI 016

土曜日の午前中、家の扉のところで息子が誰かを中に入れようとしていたので、
急いでいってみると、調査員だった。
まず日程を電話で話してからくると聞いていたのに、
まったくの不意打ちで呆気にとられる。
ダンナは大急ぎで、ステテコ姿に洋服を引っ張り出して着るものの
足は裸足のままだった。
私もパジャマにガウンをかけただけの姿だったが
とりあえず一室に人を通しておいた。

眼鏡をかけた大人しそうな色白の男は、
ファイルから資料を取り出してダンナと話をしていた。
ダンナに任せておいて、こちらは知らぬ顔で用事をしていると、
「こっちは終わったけれど、今度は君の番だ。」とダンナに呼ばれて、
先ほどのガウン姿のまま部屋に入る。

まず生年月日、出身地、名前が書き込まれる。
「父親の名前は?」という意外な質問に、
ダンナがすかさず「Y」と告げる。
姓と名の間に、父親の名前の頭文字が入るということ。

やがて質問は、問題のナショナリティー(民族)となった。
日本人という欄はもちろん存在しない。あるのは、「その他国籍」だけだ。
そこで、私たちは首をひねった。

「それなら・・・、いっそハンガリー人ということにしてください。」とダンナが言った。
目の前の眼鏡の男がどんな表情をするだろうと窺ったが、
顔色ひとつ変えず、「それでも構いませんよ。」と言う。
「他にも外国人で、ハンガリー人と名乗った人がいましたしね。」
聞くと、スペイン人であったという。

ナショナリティー(民族)は、国籍とは違う。
どこで生まれようが、その人が特定の文化、グループに属しているという
帰属意識が一番たいせつなのだ。
たとえば、ジプシー(ロマ)に関しての正確な数がつかめない理由もここにある。
いくら他人がジプシーと呼んでも、
彼がルーマニア人、ハンガリー人と名乗ればそれが記される。

調査員の男がこんなことを言った。
「私のいとこはアフリカに移住したのですが、
そこで結婚して子どもが生まれて、
やがてその子はルーマニアで医科大学に入りましたよ。
見た目は黒人のようなのに、
口を開くと、どこかの村から来たハンガリー人のように流暢でね。」

そして私に向かってこう言った。
「あなたは、ハンガリー語を話されますし、
子供さんにもハンガリー語の教育を受けさせているのだから、
そう答えておかしいはずがありません。」

「次に宗教は?」と聞かれて、さすがに苦笑した。
「仏教」と答えたら、それは怪しまれてしまうから、
仕方なく「プロテスタント教」ということになった。

こうして私は、ルーマニアの国勢調査によるとハンガリー人であるということになった。
ふつう国籍は選ぶことはできない。
ひとつしか選ぶことができない場合もある。
それでも人は、生まれながらにしても
後になってからでも、二つ以上の民族への帰属意識を持つことはできる。

そして統計の上で、
セーケイ人という数が消えてしまっても、
彼らの意識の中でまだ確実に生きているということも忘れてはならない。






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Theme:ルーマニア
Genre:海外情報

comments(2)|trackback(0)|文化、習慣|2011-10-30_03:26|page top

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No title
いつも楽しく読ませていただいています。

ナショナリティと国籍は違う…
とても、とても興味深いです。
日本人は民族や国籍と言う点において、自分のアイデンティティを問われる機会が少ないように思いますし、それが妙な、根拠のない優越感に繋がっている場合もあるように見受けられます。
私、日本は好きだけど、「日本人であることを誇りに思う」という感覚がよくわからないのです。
言葉の定義だけの問題と言う気もしますが…。

何につけても帰属意識が低いことの自覚はあるし、指摘もされます。
個人的なつながりにしか価値を見出していないのかも。
自分のことばかり書いてすみません。
Re: No title
ようめさん、はじめまして。
コメントをどうもありがとうございます。

私たちは何の疑問もなしに日本で生まれて日本人として
教育を受けてきましたが、それだけで勝手に日本人という枠の中に入れられているという感じがします。
もしこれが陸続きの小国であったなら、
または第三国で日本家庭で生まれたなら・・・また事情が違ったかもしれません。
環境というのが、日本人をそうさせているのかもしれませんね。

たとえばルーマニアに住むハンガリー人であるダンナは、
ハンガリー人が20世紀で何を発明したか、
ハンガリーとハンガリー人に関わることは一通り知っています。
そういう愛国心というか、愛郷心がないと、
ここでは簡単にルーマニア人に同化してしまう環境ですから、
なおさらそうさせるのかもしれません。

これからは、うちの家庭のように
第三国で生まれた日本人が多くなっていくでしょう。
そういう人たちをも含めて、日本というひとつの連帯意識の中で生きていくことができたら・・・と思うのです。
よその環境、文化の中で育った日本人がまた日本を文化的に豊かにしていくのではないかと思います。