トランシルヴァニアへの扉 - Erdely kapuja-

古きよきヨーロッパの面影を残す、トランシルヴァニアへの扉をそっと開いてみませんか?

::自己紹介::

谷崎 聖子

Author:谷崎 聖子
1978年宮﨑生まれ。
大阪外大、ハンガリー語学科卒業。
ブダペスト大学で民俗学を専攻。
ルーマニア、トランシルヴァニア地方のフォークロアに惹かれて、セーケイ地方に移住、結婚。
三人の子育て中。

伝統手芸研究家。
トランシルヴァニアの文化、手しごとを広める活動をしています。主な著書「トランシルヴァニアの伝統刺繍 イーラーショシュ」、「カロタセグのきらめく伝統刺繍」。

東欧雑貨ICIRI PICIRIFOLK ART Transylvaniaのオーナー。

詳しくは、森の彼方-トランシルヴァニアへの扉をご覧ください。

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コロンドの花模様

真っ青な青空とはうらはらに、
手足の先を凍らせる冷たい朝だった。
裏に綿がついている冬靴を履いていたが、
それでも指先がかじかんでいる。
息子はローラースケートに履き替えた。
地面に接しない分、足があたたかいという。

私たちは帰りのバスの時間を調べに、
村の中心まで砂利道を歩いていた。
家並みの向こうには、茶色く秋色をした丘が見渡せる。

Kolond 203

コロンドは陶芸で有名な村だ。
ここ20年ほどは、村の景観はすっかり変わり、
お土産ものの村と化してしまった。
陶芸製品ばかりでなく、まるでガラクタ市のように
県道に沿って商店がひしめきあっている。
「もうコロンドでは陶芸を作ってなんかいないよ。
どうせ中国かどこかで作らせて、そこで売っているだけさ。」
嘘か本当かも知れぬうわさを聞いたことがある。
それだけに、昨夜のベンツィおじさんの仕事を見たことは発見だった。

せっかくだから他の窯も見てみたいと思って聞いてみると、
その先の通りに有名な職人さんがいるとの話。
門が開けっ放しの家の庭に入っていくと、
庭のあちらこちらに美しい陶器が飾られている。
納屋の壁に塗りこめてある、いかにも年代物のタイルが目を引いた。

Kolond 212

残念ながら、家の主は留守のようだ。
後ろ髪ひかれながらも、そのまま大通りへ向かって歩みを進めた。

ルーマニアで一番ハンガリー人率の高いといわれるウドヴァルヘイ地方であるから、
ハンガリー人観光客の通り道でもある。
村ではあるが、観光案内所まであるのに驚いた。
中に入り、めがねをかけた若い男にセントジュルジ行きのバスを尋ねる。
「そこは、確か・・。」と電話かパソコンで調べると思いきや、
うろ覚えのように「10時半にバスがくると思いますよ。」と掃除の手を休めて言った。

バス停はちょうど、通りをはさんで反対側にあった。
待てども待てでも、バスはこない。
仕方なく、通りを行く人に尋ねると、
次のバスまであと1時間ほどもあるという返事。

Kolond 216

まだ帰るには早いかと思っていたところだったので、
村まで引き返す。
先ほどのアトリエは相変わらず留守のようだったので、
村のさらに奥へと進むことにした。
「陶芸の職人さんを探しているのですが。」というと、
「この通りを登っていったところにあるわよ。」とおばあさんが言う。

長い坂道が続いていた。
ちょうど道路が舗装されるところらしく、
道路工事のおじさんたちが途中にたむろしていた。
そこで尋ねると、「イムレおじさん」という名前を聞くことができた。

やっとのことで家に着くと、
奥の小さな小屋で人の気配がするので戸をたたいてみる。
暖房のきいた日当たりのよい作業場では、
ちょうどイムレさん夫妻が作業をしているところだった。

Kolond 218

仕事の手を休めずに、にこやかにおしゃべりで迎えてくれる。
やがて夫婦と息子さん夫婦も手伝いながら、
奥の窯から焼き物を取り出す作業がはじまった。
窯の上には、陶器の破片などがしっかりとふたをしている。
ガラガラガラ・・と陶器がぶつかり合い、はじける音が聞こえてきた。
焼きあがるたびに、こうして破片をすべて落として、
窯のふたを開けないといけない。

Kolond 257

村では男性が陶芸をして、女性が絵付けをするという分担がされているようだ。
「花をつける」という言葉が表すように、その模様は花が多い。
一年の半分は花の咲かない北国であるため、
花で飾ることを心から欲しているせいなのだろうか。

Kolond 343

そうしているうちに、バスの時間は過ぎてしまった。
ここトランシルヴァニアの人たちと過ごしていると、
予定というものがあまり当てにならないということを身にしみて思わされる。
そういう余計な事で縛られる代わりに、
予定外の驚きや人の温かさに助けられることもしばしばだ。

帰り道に、朝から何度も訪ねては引きかえしていたアトリエに寄ると、
もう家の主が帰っているようだ。
離れにある小さな部屋を見せてもらう。
コロンドは20世紀はじめまで、素朴な素焼きの焼き物を作っていた。
それからよその村が陶芸作りをやめてしまうと、
今度は周りの村の型を作りはじめた。
やがてザクセン人の青いペイントも取り入れ、
それぞれに装飾が違う40もの窯ができたという。
つまりトランシルヴァニアの陶芸を一堂に集めたのが、コロンドである。

Kolond 370

マグディさんの居間に案内してもらった。
電灯の光りを浴びて、焼き物がまるで宝石のようにきらきらと輝いた。
土色の深い色合いに、密集した花模様が浮かびあがる。

Kolond 374

マグディおばさんは、言う。
「コロンドはかつての素晴らしい焼き物の文化を失いつつあるわ。
作ることをやめて、皆がより簡単な商売の方へ走ってしまった。」
あの大通りに並び立つみやげ物の列を見るだけで、
山と積み上げられたガラクタを見るだけで、
村に対する興味が冷めてしまうのは当然だろう。

Kolond 390

ろくろで丁寧に形を作り、
自家製の窯でじっくりと焼き作っている人もいれば、
大量生産できるように型にはめて作る人もいる。

両者の違いは、正しい知識がないと分からない。
今の時代に大切なことは、
私たち消費者が物に対する正しい知識と価値観を養うことなのではないか。
ひいては、それが本物の作り手を生み出し、守っていくことにもつながる。

Kolond 383

フォークアートがハンガリーではじめて、
村以外の人によって発見されたのは19世紀終わりの頃だった。
都市で生まれ育ち、華やかで洗練された芸術を見慣れた人たちを驚かせたのは、
この土くさい素朴な形や色だった。
何よりお金にかえることのできない時間やたくさんの手間を要する手仕事であり、
その計算のない純真な創作魂であった。

Kolond 376

コロンドの陶芸家たちの家を見ても、
実生活で使われて土や埃をあびた作品や
自分の子どもが親に作った思い出の品が、
どんなに飾り立てられた店の品よりも美しいことに気がつく。

フォークアートの発見から100年を過ぎた今、
もう一度作り手たちもフォークアートとは何であったかということを
再確認する時に来ているのではないだろうか。
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Theme:ルーマニア
Genre:海外情報

comments(0)|trackback(0)|文化、習慣|2011-11-06_15:37|page top

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