トランシルヴァニアへの扉 - Erdely kapuja-

古きよきヨーロッパの面影を残す、トランシルヴァニアへの扉をそっと開いてみませんか?

::自己紹介::

谷崎 聖子

Author:谷崎 聖子
1978年宮﨑生まれ。
大阪外大、ハンガリー語学科卒業。
ブダペスト大学で民俗学を専攻。
ルーマニア、トランシルヴァニア地方のフォークロアに惹かれて、セーケイ地方に移住、結婚。
三人の子育て中。

伝統手芸研究家。
トランシルヴァニアの文化、手しごとを広める活動をしています。主な著書「トランシルヴァニアの伝統刺繍 イーラーショシュ」、「カロタセグのきらめく伝統刺繍」。

東欧雑貨ICIRI PICIRIFOLK ART Transylvaniaのオーナー。

詳しくは、森の彼方-トランシルヴァニアへの扉をご覧ください。

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巡礼の地チークショムヨー

今週末は、カトリックの聖霊降臨祭にあたる。
イエスキリストが死後に聖霊となって復活したことを祝う祭りである。毎年この時期にチークショムヨーという村の教会を目指して、たくさんの信者が集まる。トランシルヴァニア屈指の巡礼の地である。

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村や町単位で、行進をしてチークショムヨーを目指すのが伝統的なやり方である。
人々は美しい民俗衣装を着て、土地の名前のある旗を掲げて、賛美歌を合唱しながらやってくる。そのさまは、本当に厳かで美しい。もちろん、今では車や電車で来るのが一般的になっている。

昔ははるばるカルパチア山脈を越えて、モルドヴァ地方のチャーンゴー人たちも徒歩で来ていたそうだ。ハンガリーの最も古い文化を守るエスニックグループであるモルドヴァのチャーンゴーたちは、社会主義時代にルーマニア化が進められたため、現在でも学校教育やミサはルーマニア語が義務とされる。年に一度の、チークショムヨーで初めて母国語で祈りを捧げることができる。その意味で彼らにとっては、より大きな意味のある祭りなのだ。

私たちもコーシュテレクの人に車で乗せていってもらい、チークショムヨーを目指す。
この秘境の村を後にして、約40分で隣村が見えてくる。アーガシュでは、ちょうど土曜日の市の真っ最中だった。家畜や、穀物、野菜などを囲んで人が行きかい、活気あふれる様子だ。旦那は一人、ここで降りて周辺の村を散策するといった。

私たちはジメシュの最後の村を過ぎ、山を越えてハルギタの平原が見えてきたとき、遠くにジメシュの人々の集団が見えてきた。50人ほどのグループで、老いも若きもいっしょに二つの塔のある教会を目指し、ただひたすら歩いている。先頭の何人かは美しい民族衣装を着ていた。鈴の音と、賛美歌の緩やかな音階、地面を踏みしめる音がいっしょになる。

チークセレダの方角からは、おびただしい量の車体が光に照らされてピカピカ光っていた。
道路ばかりでなく畑のあぜ道からも、列が連なる。昔もこんなにすごい交通量だったか、記憶を呼び起こそうとするが出てこない。

私がこの聖霊降臨祭に来たのは、たった一度2000年の6月だった。あの時は、友人と二人ブダペストの隣グドゥッルーという町からのバス旅行に参加した。チークセレダの学校に宿があったが、チャーンゴー写真家のゲルグーの勧めで、教会で一晩を明かした。朝になると、教会の裏手の丘から朝日を眺めた。モルドヴァのチャーンゴーの信じるところによると、聖霊降臨祭の翌朝に、布に朝日を透かしてみると鳥となったイエス・キリストの姿が見えるという。私たちも、彼らに混ざって朝日を拝んだ。

車をあぜ道に止めて、ここからは徒歩で教会を目指す。
乗せてくれたお礼に、10レイを包んでおばさんに渡した。これだけの距離を走った油代は相当なものだろう。おばさんは私の目をじっと見据え「これはとっておきなさい。また、コーシュテレクに来てちょうだい。」と返した。
彼らは、街で高校に通っていう息子と落ち合うようだ。私たちも一緒についてゆく。

通りは教会に向かう人でいっぱいだ。
最近はルーマニア、ハンガリーだけでなく、ヨーロッパ中のまたアメリカやオーストラリアからのハンガリー人が集まるそうだ。このチークショムヨーの祭りは、カトリックの宗教行事と、ハンガリー人というアイデンティティを持つ者すべての愛国主義ならぬ愛民族主義が結びついているようだ。それがハンガリー国内でなく、ヨーロッパ最大のマイノリティーの住むここトランシルヴァニアであるというから、ルーマニアの警察も目を光らせている。

私たちは通りで友人たちに出会わせた。
親切なコーシュテレクのご夫婦と別れて、彼らとともに教会の裏手の丘を登る。
ここには、14の十字の石碑がある。古いものでは、1860年代のものがある。これは、イエス・キリストが十字に張り付けられるまでに受けた苦しみの数であるという。この地をゴルゴダの丘にたとえているのである。

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信者たちは、一つ一つの石碑の前で祈りを捧げる。そして、険しく苦しい道のりをイエスの苦しみと思い、丘を登る。

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4歳の息子には険しい道なので、途中何度も休みながらやっと頂上にたどり着いた。丘の上には、3つの修道院が建てられている。

そして、この丘の先がミサの舞台となる。
私たちが着いたころにはもうミサが始まっていた。大きな舞台にマイクが取り付けられ、テレビ局も詰め掛けている。ものすごい人の数に、驚いた。

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大きな旗には、どの地方から来たグループなのかがよく分かる。
私たちは、コヴァスナの昔の名前「ハーロムセーク県」と書かれた旗を探した。もちろん容易には見つからない。見知った顔があったので、そこでミサを聞くことにした。

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カトリック教徒でない私にとって、ミサは正直退屈だった。むしろ、そこに来ている人たちを見ている方が面白かった。セーケイの民族衣装、チャーンゴーの民族衣装に、中世風の不思議な衣装の人もいた。後に聞いた旦那の話によると、怪しげなシャーマン風の人もいたという。80年代はきっと神聖な行事だったであろうが、今では摩訶不思議なお祭りのようだ。

と不意に真っ黒い雨雲が押し寄せて、大きな雨粒が次から次に降ってきた。
残念なことに、屋外ミサは、大雨に見舞われてしまった。風も吹いてものすごく寒い。コーシュテレクから着た重装備だったからよかったものの、風邪を引きそうだ。
ミサが終わると、電車に遅れないよう息子を引っ張って歩く。ドロドロにぬかるんだ道を何度もこけたので、息子はズボンが真っ黒。何という災難。
途中でタクシーを拾って、どうにか駅にたどり着いた。

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後に帰ってきた旦那の話によると、夜に教会でミサが行われ、夜通し賛美歌でお祈りがされたそうだ。一睡もできなかったという。でも、その厳かな雰囲気は貴重な体験だったであろう。巡礼者にはろうそくが渡され、一晩中ろうそくに火が灯された。
そして、夜が明けると丘から朝日を眺めたという。

また彼の親友が、その朝に修道院で婚約をしたそうだ。
聖霊降臨祭の時に、あの信仰の強い場所で結ばれたのだから、きっと末永く幸福になるだろう。
どうかお幸せに・・・。















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