トランシルヴァニアへの扉 - Erdely kapuja-

古きよきヨーロッパの面影を残す、トランシルヴァニアへの扉をそっと開いてみませんか?

::自己紹介::

谷崎 聖子

Author:谷崎 聖子
1978年宮﨑生まれ。
大阪外大、ハンガリー語学科卒業。
ブダペスト大学で民俗学を専攻。
ルーマニア、トランシルヴァニア地方のフォークロアに惹かれて、セーケイ地方に移住、結婚。
三人の子育て中。

伝統手芸研究家。
トランシルヴァニアの文化、手しごとを広める活動をしています。主な著書「トランシルヴァニアの伝統刺繍 イーラーショシュ」、「カロタセグのきらめく伝統刺繍」。

東欧雑貨ICIRI PICIRIFOLK ART Transylvaniaのオーナー。

詳しくは、森の彼方-トランシルヴァニアへの扉をご覧ください。

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チャバの涙

トランシルヴァニアに引っ越してきて、はじめての年。
身近に三人もの友人、知人を失った。
何か、おそろしい落とし穴のようだった。


その年の暮れの、ちょうど12月のことだった。
よその町で開かれる、友人の展示会に招かれた。
オープニングがはじまる前、
友人たちとテーブルを囲んで話していたときだった。

「ああ、チャバが・・・。」
友人の彼女がとつぜん、涙を流して言った。
それに応じて、彼も重い表情でうなづいていた。
私たちはただじっと彼らを見つめる。
「知らなかったの?彼、死んでしまったのよ。」

信じられなかった。
けれども、どこか悪い予感はしないでもなかった。
長身で痩せ型の彼は、不思議すぎるほど穏やかで謙虚だった。
そして、どこか寂しげだった。

彼は、私たちにとって新しい友人だった。
その半年前ほどに彫刻家の友人を通じて知り合い、
いつしか彼の一人暮らしの住まいに招かれ、
いっしょに料理をしたり、語らったりして過ごしていた。

プルーン団子をいっしょに作ろう。
そんな呼びかけで、友人たちと集まって、
山盛りいっぱい茹でたての団子をとっつかみ、食べたこともあった。
くちの中で破裂したプルーンの赤紫の汁が、
まっさらなテーブルクロスのあちこちをにじませ、大笑いした夜もあった。

彼はいつか、自分の家の客間のテーブルにかけてある
赤い刺しゅうのテーブルクロスを誇らしげに見せてくれたことがあった。
「おばあさんから譲ってもらったもので、
はじめは汚れてひどい状態だったんだけど、
上等の漂白剤を使ってね。ここまできれいにしたんだ。」
彼のお祖母さんは、アーラパタクの出身だった。
それから2年後、私たちがその村の刺しゅうを博物館で展示するなんて誰が考えただろう。

彼は、大手の電器屋で勤めていた。
にもかかわらず古いもの、手仕事をこよなく愛していて、
おまけに写真もやっていた。
傷つきやすい、やわらかなものを内に秘めていた。

彼は生まれつき、眼に障害があった。
そのため、そっぽを向いた碧眼を隠すかのように、
いつもサングラスをかけていた。
金髪の髪を長く後ろで結んでいて、
その容貌のせいか、落ち着いた性格のためかひどく大人びてみえた。

彼の誕生日があったので、焼いたパンケーキを持ってきてくれたことがあった。
その年、私は31になった。ダンナは29だった。
「あなたは?」と尋ねると、
「もう、27になったよ。」とため息まじりに言ったのをよく覚えている。
思ったより、若かったことに驚いたのだ。

子どもや年下の者にやさしかった。
私よりひと回りも年下の、友人の彼女を妹のように愛し、
私の息子もとてもかわいがった。
展示会の帰りか、いつか夜の街を、
両側に長身の友人たちに手をとられて、
まるで空中を飛ぶようにして走りまわったことがあった。
遠くからその姿を見ていて、息子がうらやましかった。

私たちは、秋に1ヶ月以上も里帰りをしていたから、
もうしばらく彼に会わなかったことになる。
なおさら、その突然の出来事が響いてこなかった。

「そんなことすると知っていたら、箪笥の中に隠れて、
あんな馬鹿なことをするのを阻止してやったのに!」
友人は怒りをあらわにして言った。
彼の展示会の、祝福される日であるはずだった。


ちょうどその頃、ルーマニアではリーマンショックの影響で、
それまでの異常なほどの経済成長がとどまり、
不景気の兆候が見えはじめてきたところだった。
その頃に、仕事を失ったのは彼だけではなかった。
他の友人からも、仕事を辞めたがっていたということを漏らしていたらしい。

パソコンも独学で学んだ彼は、友人たちにホームページを作っていた。
彼自身のものは、トランシルヴァニアのフォークアートを紹介するというものだった。
ほんとうに彼がやりたかったことは、これだったのだろう。
待っているだけではだめだと私は言った。
彼はただ、つくり手たちが彼のページに取り上げてくれるよう
手を挙げてくるのを待っていただけだった。

どういう運命なのかは分からない。
アーラパタクとフォークアートと、
私はそのふたつを彼の意志を引き継いでいる形になっている。
もしかしたら、いっしょに同じ仕事をすることができたかもしれない、
そう思うと何か切ないものが込みあげてくる。

半年ほどの付き合いしかない。
おまけに異性なので、打ち明けた話もなかった。
分からないものは、結局は分からないままなのだ。


その日の帰りの列車の中で、とりとめもなく彼のことを考えていた。
真っ暗な車窓からの眺めには、何も映らなかった。
ただ時折、真っ暗な闇の奥から、
かすかな水のしぶきか、ほんの小降りの雪の欠片のようなものが落ちてきては、
目の前にちらついた。
もしかしたら、それはチャバの涙なのかもしれない。

















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Theme:ルーマニア
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comments(0)|trackback(0)|その他|2011-11-29_06:29|page top

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