トランシルヴァニアへの扉 - Erdely kapuja-

古きよきヨーロッパの面影を残す、トランシルヴァニアへの扉をそっと開いてみませんか?

::自己紹介::

谷崎 聖子

Author:谷崎 聖子
1978年宮﨑生まれ。
大阪外大、ハンガリー語学科卒業。
ブダペスト大学で民俗学を専攻。
ルーマニア、トランシルヴァニア地方のフォークロアに惹かれて、セーケイ地方に移住、結婚。
三人の子育て中。

伝統手芸研究家。
トランシルヴァニアの文化、手しごとを広める活動をしています。主な著書「トランシルヴァニアの伝統刺繍 イーラーショシュ」、「カロタセグのきらめく伝統刺繍」。

東欧雑貨ICIRI PICIRIFOLK ART Transylvaniaのオーナー。

詳しくは、森の彼方-トランシルヴァニアへの扉をご覧ください。

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ザボラの週末

12月のとある週末、
友人夫妻に誘われてザボラへ向かった。
「うつくしい畑」と呼ばれる、この付近の平野を北へ進んでいくと、
山脈のふもとに村が点在している。
その内のひとつ。

夫妻の友人がここにある博物館に勤めているという。
その博物館とは、私がクルージ・ナポカで大学生だったころの
民俗学の教授ポジョニ・フェレンツのもちもので、
その名もチャーンゴー博物館という。

チャーンゴーといえば、
ジメシュやモルドヴァ地方に移住していったハンガリー人の呼び名であるのに、
どうしてここに博物館があるのだろう。
答えは単純に、ボジョニ教授のふるさとの村であるから。

手前の建物は、ここセーケイ地方に縁のある展示室。
古い民家そのままの、埃と時間が蓄積したような空気がここちよい。
この村の名家だったらしい、教授の父親の書斎もそのままに残されている。
この現コヴァスナ県のセーケイの家庭は、
プロテスタント教を核とした教育システムが充実していて、
古くからひとりの子どもを大学に出すという伝統があったといわれる。

zabora 103

グループを引率するのは、教授の母親。
もう年は82歳だというのに、あれこれ展示品について話している。
「うちの息子は6歳のころから収集をはじめていたわ。」
懐かしそうに、古い品にまつわる思い出を語る。

zabora 097

中でもすばらしいのは、古いタイルのコレクション。
緑色の釉薬をぬって仕立てられたタイルは、19世紀に流行したという。
自家製の美しい模様のタイルは、刺しゅうの模様にも大きな影響を与えた。

zabora 114

トランシルヴァニアからカルパチア山脈をこえて、
モルドヴァ地方へ流浪をしていったチャーンゴー人。
彼らは、ほかのハンガリー人が忘れ去ってしまった古い言語や習慣、文化を残すといわれている。
赤ちゃんを、穀物いれの桶に入れてぐるぐる巻きにするポーヤーと呼ばれる習慣も、そのひとつ。

zabora 057

すけるような薄いシルクの布に、
うつくしい幾何学模様の模様が見られるベール。
彼らの衣装には、ルーマニア人の影響が強く見られる。

zabora 062

ルーマニア人がルーマニア正教、ギリシャ正教を持つのに対し、
チャーンゴー人はローマ・カトリック教を信仰している。
その強い信仰心は、厳しい環境にもかかわらず彼らの生活を支えてきた。
数珠球をひとつひとつ数えながら、祈りの言葉をささげる。

zabora 064

ひからびた葉っぱや花が幾層にも重ねられた棒。
結婚式のときには赤い毛糸で、
未婚の若者を埋葬するときには黒や青い毛糸で巻かれる。
人々は、果たせなかった死者の魂をなぐさめようと、
擬似的に結婚式を行う習慣がかつて見られた。

zabora 070

子どもたちは広々とした庭で駆け回ったり、
土遊びをしたり、木登りをしたりしてのびのびと遊んでいる。
12月にもかかわらず、うららかな太陽の光が降り注いでいた。

zabora 078

薪をじょうずに組んでから、中に紙を入れて火をつける。
庭の真ん中でキャンプファイヤーがはじまった。

zabora 128

皆で火を囲み、おしゃべりをしながら待つ。
木はやがて赤い炎を吐くのをやめて、黒い墨へと変わった。
持ち合わせた肉を焼いて、ゆったりと昼食の時間を楽しんだ。

zabora 144

外が薄暗くなったころ、アティラがこういった。
「隣村にフィンランドのサウナがあるんだ。」
すでにホットワインやパーリンカ、ビールなどが進んでいたから、
友人夫妻は村に泊まることを覚悟していた。
まったくの予想外のことに驚いたものの、私も首をたてに振った。

車に薪をいっぱいに載せて、大人4人と子ども3人が乗り込む。
皆は酒気を帯びている。
ほとんど飲んでいない私には、あいにく国際免許がない。
地平線にあふれるほどの赤い熱をおびた太陽が、
ゆったりと姿を消していった。

人の気配のない小さな村で、村人から鍵を受け取って、
私たちは何もない原っぱの中にぽつんと立っている小屋の前で降りた。
白樺の大木がどっしりと構え、
あぶくが絶えず浮き上がっている小さな池があった。
つぎつぎと、車から薪を運んでいく。

zabora 154

部屋には電気がないため、真っ暗である。そこで火をたきはじめる。
暖炉のガラス窓を通して、まばゆいほどに黄色い炎が
生きているかのごとく身をもだえ、揺らいでいるのが見えた。
その神々しい明るさを見ていると、自分がどこにいるのかを忘れてしまうほどだ。

zabora 159

すぐに部屋の中は上着なしで過ごせるようになり、
身を軽くしてベンチに腰かける。
暖炉のうす赤い明かりの中、エリカが言った。
「この熱さで、日本を思い出すんじゃない?」
温度計は40度からやがて、50度を指していた。
目を閉じると、私は砂漠の真っ只中にいた。
扉の外は零下だというのに、この空間だけは異空間にあった。

やがて焼け石に水を注ぐと、ジュッと焼ける音がした後で、
蒸気がゆらり舞い上がり、体にまとわりついてくる。
その湿った熱がからだに染みこんでいく。
冷えていた足の先は温まり、体中の緊張がほぐれていった。
日本の夏のようだ、と思った。

サウナは汗をかくことで、体の毒素を消し去ってしまうという。
フィンランドだけではなく、ハンガリー人も同じような蒸気風呂を使っていたらしい。

いつしか、私は冬の寒さを忘れていた。
サウナは、北国に生きる人々の生活の知恵であり、
その厳しい寒さを、ひとときでも克服するという役目もあるのではないか。

子どもたちは一足先に服に着替えて、外へ飛び出してしまった。
「おや、月明かりかな。」とジュルカの声がする。
扉の外は、くらい夜の世界だった。
冷たい空気が、ほてった体を冷ましてくれる。
白樺の木々の合間から見える星を数えながら、
子どもたちとおしゃべりをしていた。
青白い顔をした月が、細く浮かんで微笑んでいるようだった。
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Theme:ルーマニア
Genre:海外情報

comments(2)|trackback(0)|セーケイ地方の村|2011-12-06_06:36|page top

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繋がってる
聖子さん、こんにちは。同じハンガリー系でありながら、違う宗派を信仰するに至った歴史とか興味ありますね。でも、ルーマニアの衣装の影響があったり、どこがで繋がってる感じがあるのが嬉しいです。
私はそれ程詳しくないんで、パッと見た感じですけど、ブラウスや巻きスカートはブルガリア等バルカン諸国とも似ている気がしました。
Re: 繋がってる
yuccalinaさん、こんにちは。
チャーンゴー人の衣装や言葉はルーマニア人の影響を受けていますが、
宗教だけは強くカトリックを固持しているところが独特だと思います。
ハンガリー側からとルーマニア側からの見方もまた違いますが・・・。
そのため、90年代はたくさんの民俗学者がモルドヴァへ向かい、
収集活動、研究がされています。
日本でもナショナル・ジオグラフィで紹介されたりと
ヨーロッパのマイノリティとしては珍しい扱いだと思います。

衣装は、巻きスカート、男性のロングシャツにスリムパンツの組み合わせ。
バルカンの衣装という感じですよね。
中世には、ナショナリティというものがありませんでしたから、
こんな風に人々は自然に文化を交換していったのかもしれません。
当時はもちろん宗教による区別が一番大きかったため、
チャーンゴー人がカトリックを信仰しつづけているがゆえに
彼らが完全に同化されることなく残ってきたのだと思います。