トランシルヴァニアへの扉 - Erdely kapuja-

古きよきヨーロッパの面影を残す、トランシルヴァニアへの扉をそっと開いてみませんか?

::自己紹介::

谷崎 聖子

Author:谷崎 聖子
1978年宮﨑生まれ。
大阪外大、ハンガリー語学科卒業。
ブダペスト大学で民俗学を専攻。
ルーマニア、トランシルヴァニア地方のフォークロアに惹かれて、セーケイ地方に移住、結婚。
三人の子育て中。

伝統手芸研究家。
トランシルヴァニアの文化、手しごとを広める活動をしています。主な著書「トランシルヴァニアの伝統刺繍 イーラーショシュ」、「カロタセグのきらめく伝統刺繍」。

東欧雑貨ICIRI PICIRIFOLK ART Transylvaniaのオーナー。

詳しくは、森の彼方-トランシルヴァニアへの扉をご覧ください。

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インドからのお客さま

ブラーガ一家のところにインド人の家族がやってきたのは、
1月のいちばん寒い週のこと。
毎日すこしずつ雪が降りつもって、
いつしか見渡す限りの銀世界になっていた。

彼らが出会ったのは、
去年の秋から半年間過ごしたハンガリーの教会学校だった。
キリスト教バプティスト派の信者が世界中からあつまって、
お屋敷で共同生活をして、学ぶというもの。
ほとんどがアメリカ人で、共通の言葉はもちろん英語。
カリキュラムが終わると、そのまま宣教師として世界に羽ばたく人もいるらしい。
友人のブラーガ一家はというと、のんびりと彼ららしく半年間を過ごして
またトランシルヴァニアに帰ってきた。

アパートの二階に上がり、ドアをノックする。
やがて「はーい。」とドアが開かれると、
玄関にはおびただしい量の靴が散乱していた。
家族が多い上に、いつもお客が多いのでいつものことだ。

玄関には別の友人一家の顔も見え、
やがてお腹の大きい一人のインド人女性と目があった。
子どもたちにもみくちゃにされている、か細い赤ちゃんもいた。
「ゾハラ、大好きよ。」と女の子たちは
ひと時として彼女を放そうとはしない。

bikfalva2012jan 004

おだやかな表情をたたえる母親はサラといった。
あと二ヶ月ほどで臨月を迎えようとしていたが、
もうはちきれんばかりにお腹が大きく膨れていた。

インドの香辛料を探しに、男2人で買い物に出かけてから
もう4時間もたつという。
やがて、買い物から帰ってくると、
妊婦のサラがキッチンに立ち、料理がはじまった。
焼きなすのペースト、黄色い豆、辛味のつよいグリーンパプリカに、トマトに、
クミンやターメリック。
スパイシーな香りがキッチンからあふれてくる。

ご主人のジョスィは流暢に英語をあやつり、
会話も豊富で社交的な性格のようだ。
「インドでは、いつも週末になるとこうして親戚や友人たちが集まって
にぎやかに飲んだり食べたりするんだ。」
彼はタミル人で、奥さんはヒンドゥー語を話すインド人。
夫婦の会話はもちろん、子どもに話しかけるのも英語だけだ。

サラはおとなしく、おっとりとした性格のよう。
それでも質問をすると、
ヒンディー語なまりの強い英語でいろいろな話をした。
もともとカトリック教徒だったが、ジョスィと出会って改宗したこと。
そして妊娠しているにもかかわらず、
ご主人と一緒にハンガリーに渡ってきたこと・・。
インドに帰ろうとしているが、
医者の診断書なしには渡航ができないとのこと。
それでも、彼女は不安の表情ひとつ見せずに落ち着いている。
「あなたの宗教は?」と聞かれ、
「そうね、仏教徒よ。」というと少し驚いたようだった。

はじめはご主人は、友人たちといっしょに別の部屋でおしゃべりをしていたのだが、
どうもキッチンが気になるようで、
しょっちゅう出ては入ってきては料理の手伝いなどをしていた。
とうとう料理ができあがったのは、もう10時が過ぎていた頃。

あたたかい料理とたくさんの人で熱気のあるキッチンで、
本場のインドカレーをじっくり味わった。
「インドみたいに暑いね。」とジョスィは扉をあけた。
外の雪景色だけが、いま北国にいることを思い出させるようだ。

12時近くになったいた。
別れるときに、同じアジア人同士という親近感があったためか
サラの頬にキスをした。
サラはすこし驚いたようだった。
「かわいそうに、ハンガリーでもはじめ驚いていたわ。
インドでも家族だけしかキスをしないんだって。」

それから一週間がたち、
今度はお返しに日本のちらし寿司を作ったこともあった。
サラや女の子たちが、私の脇で手伝いをしてくれた。

やがて彼らが旅立つ日がきた。
家で焼いたケーキをもって、別れを告げにきたのだが、
荷物でいっぱいのかばんが、4つ並んでいる。
小さな子どもをたずさえての移動の大変さを思った。
彼らは10日間の滞在をおえて、
たくさんの感謝の気持ちをお祈りで伝えているところだった。
旅行の前で気持ちが落ち着かないだろうと思い、
簡単なあいさつだけをして扉をしめた。

そのとき、家のドアがバタンと開いた。
サラが別れを言うために、追いかけてきたようだ。
「無事にインドに帰れますように、
そして赤ちゃんが元気に生まれますように。」
そういうと、お互いの頬を触れあって別れた。

ブラーガ一家の家に行くことがあったので、インド人家族のことを尋ねた。
あれから無事にハンガリーに着き、
そしてインドに帰ることができたようだ。
「また彼らと会うことはできるかしら。」とエンツィが懐かしそうに話した。
こんなにも世界が近くなっている。
閉ざされた雪国の中でそんなことを考えると、
どこかそわそわとした感じがしてたまらなかった。









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comments(2)|trackback(0)|その他|2012-02-04_23:50|page top

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No title
よく思いますが、日本は島国のせいか 外国に行くのは
ちょっとした「大ごと」なんですね。
そして宗教のために動くことがほとんど無いので
こうした渡航には 不思議感すら感じてしまう程です。
聖子さん、本当にいろんな経験をされてますね。
Re: No title
本当にそうですよね。
日本から海を越えるということは確かに大ごとです。
ここは大陸なので外国に行くということにあまり緊張はありませんが、
日本から韓国、中国と隣の国に行くことを考えても、
確かに全く別世界という感じがします。

すごいと思ったのは、
もう6ヶ月くらいのぎりぎりのお腹をしたインド人の奥さんが
言葉も通じない外国でのんびりとしていることです。
「もし運が悪ければ、ハンガリーで子どもを産まないといけないかもね。」
といった感じです。日本人には考えられませんよね。
子供さんの育て方にしてもそうで、
子どもたちに揉まれようが転ぼうが平然としています。
赤ちゃんもこんな異国でたくましく育っていて、偉いなあと思いました。