トランシルヴァニアへの扉 - Erdely kapuja-

古きよきヨーロッパの面影を残す、トランシルヴァニアへの扉をそっと開いてみませんか?

::自己紹介::

谷崎 聖子

Author:谷崎 聖子
1978年宮﨑生まれ。
大阪外大、ハンガリー語学科卒業。
ブダペスト大学で民俗学を専攻。
ルーマニア、トランシルヴァニア地方のフォークロアに惹かれて、セーケイ地方に移住、結婚。
三人の子育て中。

伝統手芸研究家。
トランシルヴァニアの文化、手しごとを広める活動をしています。主な著書「トランシルヴァニアの伝統刺繍 イーラーショシュ」、「カロタセグのきらめく伝統刺繍」。

東欧雑貨ICIRI PICIRIFOLK ART Transylvaniaのオーナー。

詳しくは、森の彼方-トランシルヴァニアへの扉をご覧ください。

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蘇州の琴の音

蘇州という町が中国の歴史に登場するのは古く、
紀元前6世紀ごろの春秋時代のこと。
かつては呉と呼ばれ、人口の運河を中心にした
東洋のベニスといわれるまでに活気のある町となった。

zhenzhou 114

世界遺産に指定される多くの中国式庭園で有名な蘇州だが、
私の目的は、「古琴」と呼ばれる楽器だけに絞られていた。
景徳路とよばれる通りを中心に、たくさんの楽器屋が名をつらねている。
蘇州には古くからの楽器製造会社が残っているらしく、
二胡や笙、琴に筝などの伝統楽器が店内には数多く見られる。

古琴の音をはじめて聴いたのは、半年ほど前のこと。
日本で聞き知っている筝とは違い、
小ぶりの楽器で音も小さいが、何とも深い独特の響きをもつ。
古代には孔子も演奏をしていたことをはじめ、
三国時代の諸葛亮や竹林の七賢として知られる西晋の阮籍など、
中国の貴族、文人たちの嗜みとして広く愛されてきた。
古代中国文化の名残を今に色濃く伝える、歴史深い楽器である。

とある大きな楽器店に足を踏み入れたのが、
私の古琴との大きな出会いとなった。
お店の店主のおばさんに楽器の値段を聞いたりしているうちに、
私の話を真剣に聞いてくれる彼女の態度を感じた。
持ち歩いていたノートに筆談で、楽器を学びたいという意思を伝えると、
「古琴を学ぶには時間が必要よ。」とおばさん。
自分の旅程と照らし合わせて、
はじめの2日間と旅の終わりの3日間を古琴の練習に当てたいと伝えた。
する彼女は、「お師匠さんを探してあげるから。」との返事。
電話でその師匠さんと約束を取り付けてくれ、
次の日の朝9時に店でレッスンを受けることになった。

朝がやってきた。
ホステルを出て路地のゴマパンと豆乳の朝食をとった後、
運河をゆったりと散歩をして時間をつぶしながら楽器店に向かう。
9時より15分ほど前に到着すると、
店の奥から店主のおばさんがあわてた様子でやってきた。
「もう先生が待っているわよ!」
買ったばかりの携帯の時間を、なんと1時間遅れて設定してしまったようだ。
「君、日本時間になっているよ。」と気さくな店主のおじさんが笑う。
店の奥の階段を駆け上っていくと、
小さな部屋に控えめな若い女性がひとり立っていた。
自己紹介をしながらも、遅刻の非礼を何度も詫びた。
「いいのよ。」と静かな声で微笑む。
流暢に英語をあやつるその中国人女性リサが、私の古琴の師匠となった。

彼女は大学でイタリア語を専攻して、通訳を目指したこともあったが、
今は大学に再入学して心理学を勉強し、カウンセラーを目指している。
学校の勉強が忙しい合間に、私のような飛び入りの生徒を受け入れてくれた。

はじめは古琴の楽器の歴史やいわれ、彼女自身の古琴との出会いなどを、
彼女が美しい英語で紹介する。
散音(さんおん)は地の音、泛音(はんおん)は天、
按音(あんおん) は人の言葉ををあらわすと言われているそうだ。

「もう10年もこの楽器を演奏しているの。
私が、この楽器と出会ったのは18のときだったんだけれど、
お師匠さんとの出会いやすべてがラッキーだったのよ。」
彼女は私のノートにさっと文字を書きつけた。
「縁分」とある。
「英語ではこの言葉を訳することができないんだけれど、
あなたとこうして出会ったことも、すべて同じよ。」
「それ、よく分かるわ。」
私たち東洋人だけにしか伝わらない概念。
それは、言葉の響きは違っていても
文字を通じて伝わってくる漢字文化の培った財産。
私はこれを感じるがために、中国にいるのだ。

「私は4年間ヨーロッパに住んでいて、
生活にも言葉にも慣れてきているはずなのに、
なぜかここ最近、急に自分の生活に空虚なものを感じるの。
その何かを埋めるために中国に来て、
どうしてもこの楽器を学びたいと思ったのよ。」
なぜかそれを話したとき、
彼女の言う「縁」というものの深さが身に沁みて感じられ、ふと涙ぐんだ。
そうして、たどたどしい私の理解力とともに
彼女は文字通りに格闘してくれた。

リサの演奏は、文句なしに素晴らしかった。
ふっくらした白い指が、時にやさしく、時に激しく、時に物哀しく揺れ動き、
それぞれに違った音の響きを奏でる。
特に左手の動きはまるで舞踊のようで、
目と耳とが釘付けになってしまう。

「音楽のほとんどは、苦しみや哀しみを表しているわ。」
あるとき、彼女はそう言って切なそうに微笑んだ。
それは、自分の信念を伝えようと中国各地を奔走し、
たくさんの弟子を集めながらも苦労の生涯を送った孔子の辛苦でもあり、
腐敗する政治から身を引き、一切の俗世界との関係を断ち切り、
詩や音楽の世界に生きつつも、不遇の生涯を送った阮籍の悲哀でもある。

zhenzhou 120

美しい古代中国の世界。
その悠久の時代に瞬時に心を結びつけてくれる、
楽器のもつ不思議な力に酔いしれた。
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comments(0)|trackback(0)|中国ひとり旅|2012-04-05_10:37|page top

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