トランシルヴァニアへの扉 - Erdely kapuja-

古きよきヨーロッパの面影を残す、トランシルヴァニアへの扉をそっと開いてみませんか?

::自己紹介::

谷崎 聖子

Author:谷崎 聖子
1978年宮﨑生まれ。
大阪外大、ハンガリー語学科卒業。
ブダペスト大学で民俗学を専攻。
ルーマニア、トランシルヴァニア地方のフォークロアに惹かれて、セーケイ地方に移住、結婚。
三人の子育て中。

伝統手芸研究家。
トランシルヴァニアの文化、手しごとを広める活動をしています。主な著書「トランシルヴァニアの伝統刺繍 イーラーショシュ」、「カロタセグのきらめく伝統刺繍」。

東欧雑貨ICIRI PICIRIFOLK ART Transylvaniaのオーナー。

詳しくは、森の彼方-トランシルヴァニアへの扉をご覧ください。

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「巨人の地下室の屋根」

私たちのハーロムセーク!というタイトルの
馬車と手工芸の紹介のお祭りが5月18日に開催された。

ポスターには、馬車のキャンプと記され馬車に刺しゅうの枕や織物が積まれている。
何やら面白そうだったので、覗いてみることにした。

会場は、町から南東にある大きな丘の上である。
伝説によると、巨人がこの地を歩いていると泥に足がはまり、靴が脱げてしまった。それがこの丘になったと言われている。泥にはまった靴を地下室にたとえ、この丘は「巨人の地下室の屋根」と名づけられた。

二年前には、この丘の上に大きな木のモニュメントが建てられ、ハーロムセーク(現在のコヴァスナ県のこと)の集まりが開かれたそうだ。世界中あちこちに散らばっているこの地方出身のセーケイ人が一同に会したという。
ふだんは何もないこの丘が、いわばハーロムセークの中心である。

11時にバスが出ると聞いていたのだが、肝心の場所がどこにも書いていない。
私たちは駅のほうに向かったが、どこにもバスらしきものは見えず、仕方なくヒッチハイク。町のはずれで立っていると、しばらくして車が止まった。

小さな女の子を連れた若い夫婦である。
旦那はそっと耳元で「あの女の人は、大学時代教えていた人だ。」という。車では、クルージナポカの大学の話も出たが、もう教えるのは止めて、町の図書館で働いていると話した。
遠回りであるのにも関わらず、「巨人の靴の地下室」の近くまで乗せて行ってくれた。
そして降りてから、気がついた。
私もその講義に出ていたが、確か図書館の歴史についてだったと思う。まだ語学が十分でなかったのと、講師の女性がぼそぼそと話す口調でものすごく聞き取りづらかった。あの時の講師だったのだ。あれからもう9年にもなる。

最寄の村から、砂利道を登っていく。

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裸の山にぽつんと木の柱のかたまりが見えてきた。やがて祭りの会場が姿を現す。
入り口のインフォメーションでは、昔のハーロムセーク県の地図が売っていた。

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丘の斜面に面して、村の文化を紹介する様々なブースが並んでいる。
刺しゅうや木彫りを並べたブースがあった。
この木の板は、洗濯をたたくのに使われる物だが、きれいに木彫りをしたものはかつて男性から女性に贈られた。

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男性がかごを実演して編んでいた。何本もの柳の枝から太いひもを作り、中心からぐるぐると巻いてゆく。実に鮮やかな手つきである。

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麦の茎からは、こんな可愛らしい飾りも作られる。
木につるしてある様は、まるでクリスマスの飾りのようだが、元々は麦を収穫した後に作っていたらしい。日本でも蛍かごと呼ばれて、とんがり渦巻きの同じ物が作られる。不思議な偶然である。宮崎市の大淀川博物館で体験することもできる。

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これはイースターエッグに馬のひづめをつけたもの。
普通はタマネギで赤く染めるのが普通だが、こんな風バリエーションもある。
ヨーロッパでは、馬のひづめは幸福のシンボルとされている。

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そして人の注目をもっとも集めていたのはこちら。
何を作っているところだと思いますか?
おじさんが古い器具で木をまっすぐに整形している。カンナのようなものでこうやって木の板をいくつも作って、屋根に取り付ける。ジンデルと呼ばれる昔ながらの木の屋根だ。
今ではこんな家もなかなか見られなくなった。

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その横では革から馬具を作るおじさん。
まだまだ馬車の需要があるルーマニアならでは。

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おばあちゃんが子供に機織を教えている姿。
トランシルヴァニアの家庭でよく見られる、じゅうたんを作っているところ。古着や古布を細く裂いて、横糸の代わりに織り込んでゆく。するとランダムにいろいろなボーダー模様が出来上がる。エコ・ハンドメイドの品。

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以上の3人は、ゲレンツェという山並みにある村から。友人の住むハライのすぐ隣で、世界遺産の教会のフレスコ画で有名なところ。きっと伝統的なものが多く残っているのだろう。

しばらく行くと、セーケイの民族衣装を着て、馬車に横たわる少女と少年を発見。
旅行者らしくシャッターに収める。

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その後ろでは、ミコーウーイファル(ミコーの新しい村)から来たおばあちゃんたちが何かお菓子を作っているところ。聞くと、チュルゲというお菓子らしい。
お菓子の生地を薄くのばして、波型のへらで渦巻き型に切ってゆく。見るには簡単そうだが、なかなか難しそう。後ろでは、もう一人が油で揚げている。

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出来上がった長細い蛇のようなものを、枝に巻きつけている。まるで鳥の巣のようだ。
これを「置いた枝」といって、この村では披露宴のときに馬車において、持って行くそうだ。なるほど、だからあの馬車があったのか。

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上から粉砂糖をかけると、確かに華やかで祝いのお菓子にふさわしい。
ひとつ味を見てみると・・・サクッとした軽い歯ざわりで、口の中でスーと溶ける。ほのかに甘いので、食べやすい。このお菓子は注文もできるそうなので、誰かの披露宴があるときにはぜひオススメしたい。いずれ息子のときにでも・・・。

隣には、アールコシュ名物の大きなセーケイ人、ゾリが立っていた。
たった一人で、村で博物館を作っている。イベントのあるときには、こうして屋外展示をしている。旦那の古い友人である。
鉄のアイロンから、陶器、銀のお皿に民族衣装・・・この地方のありとあらゆる古いものに惹かれ、もう収集歴は10年以上にもなる。
馬車の上に置かれた刺しゅうに目を引かれた。聞くと、1900年の初めごろに学校で女性が習った刺しゅうの練習に使ったものらしい。手芸の本でも見ることのないような珍しい、図案がたくさん載っていた。・・・素晴らしい、当時の女性たちはいかに手先が訓練されていたことだろう。

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鉄のアイロンは、いつも見ているので珍しくもなかったのだが・・・よく見れば、ARKOSと書いてある。粋なはからいである。

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他にも、馬車とセーケイの少女たちがたくさん。
日本の旅行者が来たら、きっと喜んでシャッターを押すだろう。残念ながら地元の住民ばかりである。

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ボンボンの連なった可愛らしい馬の飾りも見られる。素敵なアクセサリーのようだ。

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ふと、ある馬車のところに素敵なかごを発見。
普通の織り方でないことはすぐに分かる。そばにいた少女に「これは誰が作ったのか?」と聞くと親切に名前を教えてくれ、たぶん村で探せば譲ってくれるだろうと答える。
他にも何人かに売り物かどうか聞かれたという。
しっかりと村の名前と男性の名前をメモした。

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先ほどからずっと頭に強烈な日差しが焼き付ける。
薄い木綿のワンピースにサンダルを履いてきたが、意外にハードな道のりだったので足にも負担がかかる。そして悪いことには、息子が喉が渇いたと訴えるが、どこにも飲み物らしいものは売っていないのだ。
仕方がないので、遊牧民のキャンプで一休みさせてもらう。
ユルタといわれ、モンゴルにもある家であるが、かつて騎馬民族であったハンガリー人(ハンガリー語ではマジャールという)がこのカルパチア盆地にやってきた際には、こんな感じの家に住んでいたらしい。

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中は意外なほどに涼しかった。私たち日本人には、この床に座るスタイルが心地よい。息子は正座をしていた。中はフェルトで飾られていた。見ると、幼稚園でかつて息子が怪我させた子供の両親がいる。「タマーシュ君は?」と聞くと、仕事できているので預けてきたと言う。彼らは、町のハンドクラフト協会で教えている。

やがて水を買いに走った旦那が帰ってきたので、森のほうで少し休むことにした。
しばらくすると、先ほどまでガンガンに照っていた太陽は姿を消し、空は雲で覆われてきた。息子は例のモニュメントが気になるようで、一目散にかけてゆき、台の上で「ママ!ママ!」と叫ぶ。

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すると台の上でご機嫌に踊り始めた。

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この木の柱のモニュメント、遠くから見たら閑散としていて不気味だったが、そばで見るとそう悪くない。表面が削られた木の柱に、細い木の板が吊られて屋根のようになっている。上から見ると、ちょうど花の中にいるように石の小道が花びらをかたどっていた。

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花びらの先っぽの部分には、小さな石碑が立っていた。
見ると、それぞれにハーロムセークの町や村の名前が書かれている。
そして下には年号が・・・初めてドキュメントに現れた年のようだ。上ドボイは1461年とある。

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そして木の家から、ずっと下に沿って木の門が並んでいる。

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門の下には、石碑がこうある。
「1920 トライアンの決議によりルーマニアの主権が始まった」とある。
トリアノンとは、第一次大戦後のトリアノン条約のことである。この地に住むハンガリー系住民の運命を決めた事件。第一次大戦の敗戦国となったハンガリーは、その以前の3分の一の大きさになった。
誇り高いセーケイ人にとって、元は下の立場であったルーマニア人に屈するのはどれほどの痛手だったであろう。今でもなお、その歴史は生々しく残っている。
これを見たとき、ふと鳥肌が立った。

下に続いている木の門はセーケイ人の歩んできた歴史のようだ。それを私たちはどうやら逆に読んでいっているらしい。
「1848―1849 ハーロムセークの防衛の戦い。
ハンガリーの革命、自由戦争における参加。」
有名なハプスブルク家に対抗した戦争のことである。
これによってハンガリーはアウスグライヒ(妥協)の名の下に、オーストリア・ハンガリー帝国となった。そして世紀転換期の経済発展がなされたのである。

それからの間も、何度も自由を勝ち取ろうと反乱を起こしたらしい。

最後には、「12世紀 セーケイ人がハーロムセークに移住する。」
     「11世紀 ハンガリー人がカルパート山脈に侵入するものを監視した。」
とある。およそ800年の間、セーケイ人はこの国境を守ってきた兵士たちだったのだ。
ここから歴史はひも解かれる。

友人としばらくビールを手に語っていると、もう肌寒くなってきた。
クルトゥーシュ・カラーチのために約一時間も並んだが、その味は最高。

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やがて山を下りると、ちょうど電車が行くのが見えた。
仕方なく、またヒッチハイク。
運良く乗せてくれた人はまたも子供づれで「セーケイ地方へようこそ。」と声をかけてくれた。ついでにカールノクという村にも招待された。

このような村紹介の祭りはぜひとも行って欲しいと思う。
村に住む人の伝統を守ろうとする気持ちを覚醒させ、村に生きるという誇りも復活するであろう。
そして、トランシルヴァニアの村の素晴らしさを世界に売り込む良い機会でもあるからだ。

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