トランシルヴァニアへの扉 - Erdely kapuja-

古きよきヨーロッパの面影を残す、トランシルヴァニアへの扉をそっと開いてみませんか?

::自己紹介::

谷崎 聖子

Author:谷崎 聖子
1978年宮﨑生まれ。
大阪外大、ハンガリー語学科卒業。
ブダペスト大学で民俗学を専攻。
ルーマニア、トランシルヴァニア地方のフォークロアに惹かれて、セーケイ地方に移住、結婚。
三人の子育て中。

伝統手芸研究家。
トランシルヴァニアの文化、手しごとを広める活動をしています。主な著書「トランシルヴァニアの伝統刺繍 イーラーショシュ」、「カロタセグのきらめく伝統刺繍」。

東欧雑貨ICIRI PICIRIFOLK ART Transylvaniaのオーナー。

詳しくは、森の彼方-トランシルヴァニアへの扉をご覧ください。

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ブラウスからの出会い

市で美しいブラウスを手に入れた。
カロタセグ地方の肩刺しゅうのブラウスに違いないのだが、
肩部分に、それは見事な模様が刺しゅうされていた。
イーラーショシュのステッチで、花模様がつづられるブラウス。
どんな村で作られたのだろう。
私たちはバスでそこへと向かうことにした。

バスを降りると、ちょうど教会から人々が帰っていくところだった。
3人で腕を組みながら歩いていく、美しい後姿。
やっと追いついたところで、声をかけてみる。
「肩刺しゅうのブラウスを探しているのです。」

kalotaszeg2012aug2 332

日曜のミサのために着飾ったおばあさんたちが、
しばらく首をかしげてから、名前を教えてくれた。
その家の門の前に来たところで、おばあさんたちが大声でエルジおばさんをよぶ。
ちょうど着替えをしているところらしい。
肌着一枚を着た白髪のおばあさんが出てきて、
どうぞと中へと案内をする。

たんすの奥をごそごそと探って、
やがて赤と黒のブラウスを広げてみせてくれた。
カフス部分には広い面積を使った、クロスステッチの模様。
襟元には、たっぷりとギャザーが寄せられ、
そのひだ一つ一つすくって立体の模様が形作られる。
肩にそって幅広く刺しゅうされた部分は、
一見すると、ただ赤や黒一色に塗りつぶされたように見える。
よく目を凝らしてみると、
それが細かなステッチの重なりであること、
そして見事な連続模様であることが分かる。

kalotaszeg2012aug2 343

人から人へと渡り歩いて、その後もブラウスを探し続けた。
村にはすでに何十年も前に、民俗学者がやってきては、
ブラウスをほとんど集めて持っていってしまったと聞いた。

母親から受け継いだ清潔の部屋を、
大学生の娘のために残すと話してくれたおばさん。
「いつか価値を分かってもらえる日が来るかもしれないわ。」
年をとった彼女の母親を看ながら、
その母親の手で作られた刺しゅうに囲まれ、暮らしている。

kalotaszeg2012aug2 433

おばさんは手の平くらいの大きなトマトを袋いっぱいにつめて、手渡してくれた。
あまりに美味しそうなので、そのまま噛りつくと、
庭でとれたトマトの甘い水気がからからになった喉をうるおす。
旅の疲れもふっとんでいくようだった。

別の村で馴染みのおばあさんが、母親がこの村からきたと話していた。
友人のカタリンおばさんを訪ねると、暖かく迎えてくれた。
「日曜のミサで、牧師のお嬢さんに衣装を着せてあげたところよ。
この村では若い子どもがすくなくて、誰も衣装を着ようとしないの。」
別れ際にちょっと待っていてというと、大きな袋を持ってきた。
重い袋をのぞいてみると、
豚の脂身の燻製、トマトにきゅうり、手作りのお菓子・・。
驚いておばさんの顔を見ると、
「全部ここで取れたものだから。」と微笑んだ。

kalotaszeg2012aug2 869

教会の前の通りでは、
お年寄りがベンチに腰かけておしゃべりをしている。
何気なくそこに参加させてもらって、村のことを尋ねてみる。

この村は町の影響がつよく、
たくさんのルーマニア人が移住するようになった。
元々の住人のハンガリー人は少数派となり、
若い人たちは町へ通勤、出稼ぎにいき、
果てにはハンガリー語の学校もなくなったという。
「こんなに大きな村なのにですか。」と驚いてたずねると、
おじいさんは「もう若い人たちはいないんだよ。」と残念そうに答える。

村の共同体が小さいにしろ、
教会がその力を発揮すれば、人々をふたたび結束することができる。
ある村では、教会の牧師さん夫妻が
村に孤児院を設立し、村人たちに仕事や交流をもたらし、
女性たちを動かして刺しゅうを奨励して、
ついに人々の力で道路を舗装することができたと話していた。
そこは若い力で村全体が生き生きとしている。

残念ながらそういう例はまれで、
牧師さんが村よりも自分の家庭を優先させることがほとんどのようだ。
「ここの牧師さんは長いのだけれど、
子どもたちを町の学校に入れたので、村人たちも後に続くようになってしまったんだ。」
仲良くなったイボヤおばあちゃんと弟さん。
「また夜になったら来なさい。牛乳を分けてあげるから。」といった。

kalotaszeg2012aug2 493

その日の宿泊をどうしようかと悩みはじめたとき、
ある家庭に案内された。
ブドウのツルで覆われた小道を通ると、
人目みて感じのいい家族であることが感じられた。
その日の宿泊を頼むと、奥さんのエルジさんは快く受け入れてくれた。
息子はあっという間に家族になじんで、ご主人たちといっしょに釣りに行ってしまった。
私たちは荷物を置いて、ふたたび村に繰り出す。

美しい清潔の部屋があるときいて、
3階建ての豪華な屋敷の前にたどり着いた。
鉄格子の門の奥から、驚くほど普通の身なりをしたおばさんが現れた。
「ここは子どもたちの家なのだけれど、一番上の階に
カロタセグの部屋を作ることにしたのよ。」
ピカピカの通路をいき、階段を登り、
まだ改装中の真新しい白壁の部屋に飾りベッドが置かれていた。

目もくらむようなライトに、赤々と照らされた刺しゅうや衣装の数々。
私はそれらをどこか覚めた眼で眺めながら、
外国に持ち出された手工芸のようだと思っていた。
まったく別の環境の中で、
刺しゅうたちはどこかよそよそしくそぐわない。
どうしてかというと、生まれ育った環境とはまったく別の空間だからだ。
村人そのもののおばさんが、
モダンな住宅にこうして立っている景観そのものと同じように・・。

おばさんは言う、
「私の娘はルーマニア語の学校に通い、
今は病院の院長の秘書をしているわ。
ハンガリー語なんて必要ないわ。結局ここはルーマニア。
ルーマニア語ができなければ、自分を生かすことなんてできやしない。」

果たしてそうだろうかと考える。
時代に有利な言葉を選んで、生活が事足りるのは確かにそうだろう。
いかに故郷の手工芸を愛していても、
言葉や文化を正しく理解していなければ、
それはただの飾り物になってしまうのではないだろうか。
カロタセグ地方のハンガリー人にとって、
刺しゅうや衣装などの遺産は、ただ美しいものである以上に、
自分たちのアイデンティティー(帰属意識)を裏付ける何かであると考える。
だからこそ、ここまで執着するのだ。
私たちは議論の言葉を呑み込んで、家を出た。

もうすっかり日は暮れていた。
約束していたイボヤおばあさんのところを目指す。
門を押して庭に入ると、
奥のドアから部屋の明かりがこぼれ落ちていた。
中に入ると、あたたかな家の熱気が伝わってきて、
イボヤおばあさんと弟さんが笑顔で迎えてくれる。

「いつか、友好都市のハンガリーのバーツ市からお客さんが来たことがあったんだ。
村の人たちはそれは、彼らをよくもてなしたよ。
彼らが二回きて、一度だけ私たちがハンガリーを訪れたとき、
驚いたことに彼らはどこかに姿を隠してしまった。
別にお礼がしてほしかったから、したわけじゃないさ。
それでも、こんな交流はもうお断りさ。」
何事もなかったかのように笑顔で話すおじいさんを見ながら、
その礼儀知らずの人たちが腹立たしくてたまらなかった。
イボヤおばあさんが言う。
「どこかね、彼らは村人の私たちのことを蔑視しているようなのよ。
ある女性なんか、ここに泊まっているときに、
「もしあなた方がハンガリーに来ても、
おもてなしできません。」と言うんだから。」

おしゃべりが続いたあと、
留守番をしている息子のことが気がかりだとお暇することにした。
イボヤおばあさんが、
ペットボトルいっぱいの牛乳を手渡してくれた。
財布を取り出すと、
「いいえ。これは私たちからの贈り物よ。」
とどうしても取り合ってくれない。

まだ生あたたかい牛乳を胸に抱いて、
夜道を歩いていた。
世にも美しいブラウスを生んだこの村の、
心やさしい人たちのことを思いながら。
ハンガリー人が少なくなっても、
美しいブラウスが村からすっかり消えてしまっても、
きっとまた、やさしい笑顔に会いにここに戻ってくるだろう。














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Theme:ルーマニア
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comments(6)|trackback(0)|カロタセグ地方の村|2012-09-28_15:01|page top

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残念な話
無礼なハンガリー人の話はとても残念です。トランシルヴァニアを心の故郷として敬愛して訪れる人ばかりではないということなのでしょうか。偶々そういう人に当っただけと思いたいとろこですが、、。
ところで、肩に刺繍がギッシリ詰まった黒のブラウスは、かつて私も持っていたのですが、刺繍の大きさは写真のブラウスの半分もなかったような気がします。子供が生まれて引っ越しする時に、ハンガリーのフォークダンスをしている知人に譲ってしまいました。自分で管理する自信が無かったからなのですが、手元に残しておけば良かったかな、と思ってしまいました。
Re: 残念な話
yuccalinaさん、
この老婦人だけでなく、ほかの友人から似たような話を聞いたことがあります。
社会主義時代にルーマニアは貧しい国というイメージで見られ、
また90年代以降にたくさんの人がハンガリーに出稼ぎや亡命したことから、
現地の人たちはあまりいい目で見られないということ。
トランシルヴァニアのハンガリー人が
「ルーマニア人」と彼らに呼ばれたこともよく聞きました。
カロタセグの村のおばあさんは、民俗衣装を普段から着るのでその姿でハンガリーに行き、
無知な若い男の子たちからジプシーだと呼ばれ、冷やかされたといいました。

この刺しゅうのブラウスにもいろいろ種類がありますが、
一番豪華なのが肩の横のラインに沿って刺しゅうされたものです。
未婚の女性、または若い女性しか身につけません。
村によっても、人によっても図案や技法が違っていて、とても興味深いです。
ただ刺繍糸はウールですので、虫に気をつけないといけませんね。
このウール糸は第一次大戦前、20年代くらいまでしか手に入らなかったそうなので、
ほとんど100年の歴史を持つものだと考えていいと思います。
No title
確かに刺繍は黒の細い毛糸でした。布地が厚手な上に襟元と袖口のしぼりが沢山入っていて、そこにビッシリと刺繍が入り、この手仕事は細かいだけでなく、かなりの力仕事ではないかと思っていました。

ところで、記事とは関係ありませんが、先日教えていただいたDi Naye Kapelyeを、拙ブログでちょっぴり紹介させて頂きました。
Re: No title
yuccalinaさん、
刺しゅうのブラウスは固いホームスパンでしたか。
ほとんど今見られるものは、既成のコットンに刺しゅうされたものが多いんです。
ブラウスのお写真などありましたら、一度見せていただけたら有難いです。

Di Naye Kapelyeの音楽を気に入っていただけて嬉しいです。
ハンガリー人の民俗音楽の影響もあって、面白いですね。
無知で
本当に無知とは恐ろしいもので、当時は「なんでこんな分厚くて表面がザラザラした布を使うんだろう」としか思っていませんでした。手機織りの布だったのですね。色は真っ白でなくベージュに近いオフホワイトだったと思います。ブラウスを譲った相手は私の直接の知り合いで無く、人を介してフォークダンスの衣装のお店をされてる方に渡りました。現在日本のどこかで、ものの価値の分かる人の手元にあることを祈るばかりです。
残念ながら写真は残っていません。あまりに重くてダンスをするときに着れなかったからです。何だか思わせぶりな話をしてしまうことになって、ごめんなさい。
Re: 無知で
yuccalinaさん、とても貴重な衣装だったようですね。
私は、留学時代の2000年前後は学生でしたし、
こういう価値あるものを集めることはできませんでした。
やっとここ数年こうして収集することができましたが、
もうずいぶん前からハンガリーへ世界のあちこちへ分散してしまっているので、
見つけるのにも苦労します。
ブラウスを日本にもお持ちの方がいらっしゃるでしょうね。
もし写真でもいただけたら、資料としますので有難いのですが・・。
またいつか展示会などをしたときにでも、
そういう方がいらっしゃったらお話ができたらいいです。
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