トランシルヴァニアへの扉 - Erdely kapuja-

古きよきヨーロッパの面影を残す、トランシルヴァニアへの扉をそっと開いてみませんか?

::自己紹介::

谷崎 聖子

Author:谷崎 聖子
1978年宮﨑生まれ。
大阪外大、ハンガリー語学科卒業。
ブダペスト大学で民俗学を専攻。
ルーマニア、トランシルヴァニア地方のフォークロアに惹かれて、セーケイ地方に移住、結婚。
三人の子育て中。

伝統手芸研究家。
トランシルヴァニアの文化、手しごとを広める活動をしています。主な著書「トランシルヴァニアの伝統刺繍 イーラーショシュ」、「カロタセグのきらめく伝統刺繍」。

東欧雑貨ICIRI PICIRIFOLK ART Transylvaniaのオーナー。

詳しくは、森の彼方-トランシルヴァニアへの扉をご覧ください。

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セーケイ人の人の鎖

10月23日。
秋の澄み切った青い空の下、
セーケイの空色の旗が54キロメートルに渡って続いた。

「人の鎖を作ろう。」との呼びかけで、
セーケイ地方ばかりでなくトランシルヴァニア中、
隣国ハンガリーからも沢山の人々が集まった。
その数12万人とも10万人とも言われている。
トランシルヴァニアのハンガリー人が100万人ちょっとというから、
これは大変な数である。

DSC00168.jpg

トランシルヴァニア地方の東の果てに、
セーケイと呼ばれるハンガリー人が先祖代々の土地を守り暮らしている。
もともとは別の民族だったと言われているが、
13世紀ごろにハンガリーの国境を守備するために
この地に派遣されたと言われている。
セーケイ人は、普段は田畑を耕しているものの、
一度戦争が起こると武器を取って勇敢に戦った。
それぞれが自らの土地を持ち、
領主に税を払うことも免除される、いわば特権階級にあった。
誇り高い民族である。

DSC00162.jpg

20世紀はじめ、第一次大戦後に
トランシルヴァニアがルーマニアに割譲されて、
少数民族としての運命を余儀なくされた。
さまざまな苦境を乗り越えて、
今なお、この地に自分たちが存在することを証明するため、
セーケイ地方の自治を唱えてデモ行進をつづけている。

DSC00181.jpg

今回のデモは、大多数がセーケイ人のコヴァスナ県を
ルーマニア人の多く住むブラショフ県に所属させるという法案に反発するもの。
母国語ハンガリー語で子どもたちに教育を受けさせ、
文化活動を行い、生活していくことが法的に保障されるように・・。

子どもから老人までたくさんの人々が、
何メートルもある旗を持ち、村から村へと歩いた。
それは強烈な怒りでもなく、
ハンガリー民謡を合唱しながら、
穏やかなものだったと当事者の旦那は物語っていた。

DSC00191.jpg  (写真 Seres Balint)

故郷を愛する人たちが、
これからも祖先の耕した土地を守っていけるように・・。
セーケイ人の祈りが届くように願ってやまない。



*このデモについて写真は、こちらでご覧いただけます。
Sepsiszentgyorgy.info

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Theme:ルーマニア
Genre:海外情報

comments(2)|trackback(0)|セーケイ地方の村|2013-11-07_04:26|page top

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セーケイ人
ハンガリー人とセーケイ人の違いについて、前々から疑問に思っていたのですが、この記事を読んで、歴史的背景を理解することが出来ました。お話によると、まるで鎌倉時代の武士のような生活をしていたのですね。

文化を守るためにも、法案が否決するよう、祈っています。
Re: セーケイ人
私も両者の違いがずっと分からなかったです。
セーケイ地方の中にも農奴を移住させてできた村などがあり、
そこはセーケイ人ではないということです。
農村の手芸が好きな私としては残念なことに、
セーケイは100年前ごろまでは豊かだったためすぐに衣装を着なくなり、
手芸も農村起源のものがほとんど残っていません。

今でも、セーケイ人は結束が固くて、
何か障害が起こっても、全力で立ち向かう強さを持っています。
約100年も少数民族として生き残ってきた彼らの文化が
この先もルーマニアの中で残っていくことができるよう、
子どもたちのためにも願っています。