11月1日、 夏時間が冬時間へと切り替わるころ、トランシルヴァニアにお盆がやってくる。 町の至るところで、色とりどりの菊の花やロウソクが並ぶようになる。 私たちはセーケイ地方を離れて、 ブラショフ県にあるバルツァシャーグの村を訪ねるのが習わしである。
知人はおろか親戚もなく、 かろうじて舅の墓だけが私たちを繋いでいた村。 昨年のちょうどこの日に、腹違いの兄と偶然出くわしてから、 すこしずつ何かが変わっていった。
その時の旦那の思いつきで、 この村の教会で3人の子供たちを洗礼する運びになった。 そして、今年のお盆にも旦那は兄を誘って一緒に村へ向かった。
20以上も年の差がある兄弟が、 こうして一緒に墓参りをしてくれようとは天の父親も思っていなかっただろう。 両親が村出身のアンドラーシュは、 出会う人たちと親しげに会話を交わしている。 しらふである姿をほとんど見たことのない兄は、 いつも陽気で男気のある人柄。 ほとんど正反対といっていい兄に会うたびに、 会うことのなかった舅の姿を見るような気がしている。
ふたつの墓標が並ぶ。 ひとつは旦那の祖父のもので、 もうひとつは父親のものである。 私たちが学生だったその昔、 墓地のはずれにはまだいくつもの木の墓標があった。 時代の流れとともに、 村のジプシーたちが薪のために盗んでいき、 とうとうこのふたつの墓だけが残った。
魔除けとも太陽のシンボルとも言われる、ロゼッタが彫られている。
アンドラーシュも年をとったのか、 ふたりの息子に子供が恵まれないせいか、 甲斐甲斐しく子供たちの世話をしてくれる。 私たちがこうしてこの世に生を受けたこと、 偶然でもなく、血の交わりを受けたということ。 見えないご先祖さまに感謝することを、 子どもたちにも知ってほしい。
それから、墓地のはずれにあるお祖母さんの墓を探し、 アンドラーシュの母方のご先祖も参った。 ぼうぼうと草の生い茂ったその墓は、無縁墓のように寂しく見えた。 「子孫として恥ずかしいことだが、 俺のほかには誰も参る者もいないんだ。」 そう言って、ロウソクに火をつけた。
「わたし、アンドラーシュが好きよ。」 娘が唐突にいった。 「何だって、聞こえないなあ。もう一度言ってくれ。」 と大声で兄がうながす。
太陽がその日最後の力を振りしぼって、 赤赤と身を燃やしていく。 目に見えない大切な何かを感じながら、 私たちは舅の眠る村を後にした。
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