謝肉祭の土曜日がやってきた。 約束の午後1時、待ち合わせの家のドアを叩く。 「まだ来ていないわ。もう少し後でね。」と女性が答えた。 しつこいように、何度もここに来ているのだが、 準備は大丈夫なのだろうか。 心配になりはじめた頃、通りで待ちぼうけする私たちを呼んだ。 「もう始まっているわよ。」
狭い部屋の中では、着替えをする少年たちと 着付けをする女性たちでひしめき合う。 こちらとしては、ガラスケースなしに貴重な衣装を見られるチャンスである。 小さな男の子の衣装は、 ワイドな袖のシャツの先に、カロタセグのブラウスに似た図案が刺繍してある。 襟元の赤い蝶ネクタイは、ザクセン人の衣装の影響だろうか。
長身でがっちりした体格の青年が花嫁に選ばれた。 白いコットンブラウスに、刺繍部分のみパーツとして取り付けられる。 中でも、カフス部分が最も美しい。 トロツコーの枠刺繍と同じテクニックのようだが、 図案はずっと細やかだ。
花嫁にはペチコートと白いコットンスカートを重ね、 さらにシルクのエプロン、三角に折りたたんだシルクのショールを付ける。 肩には、「トロツコーのレース」と名高い ボビンレースでできたフリルの付け襟が添えられる。 トロツコーはセーケイ地方の端でありながら、 衣装はどちらかというとカロタセグの上地方や、ザクセン人のものに似ているようだ。
最後に花嫁だけがかぶることができる、パールタをのせる。 金糸でできたトロツコーのレースを縫いつけ、 工場製の古い刺繍リボンが花びらのように開いている。
さらにザクセン人の衣装として知られる、 プリーツのあるマントをかけて出来上がり。 着付けの女性はさらに、 二人の小柄な少年をお婆さんに着替えさせる。 こちらはコットンやプリントのスカートにエプロン、 ウールの織りのジャケットにスカーフをかぶせる。 日常着に近い衣装である。
最後に、牧師役の少年がやってきた。 フェルト帽子にマントの出で立ち。 さらに、マジックペンでヒゲを付ける。
謝肉祭のイベントはヨーロッパ各地で催されるけれども、 これほど伝統衣装に凝った村はよそにはないかもしれない。
トロツコーでは100年以上新しい衣装は作られていない。 村でも数少ない衣装は、一家族で全部揃えることができず、 いくつものパーツをお互いに補い合って、 やっと一つの衣装として完成することができるのだという。 それだけ貴重な衣装を、惜しげもなく、 このようなお祭りに提供するということは、 謝肉祭がそれほど村人たちにとって大切な祝日であることの表れだろう。
長い冬の中で、謝肉祭が観光客をよぶ目玉であるのだろう。 観光業を主な収入源とする村としては、 全力を挙げてこのイベントを盛り上げようとする心意気が感じられる。
こちらは青い刺繍のあるブラウスを着た男性。 刺繍が肩にくる姿は、カロタセグの衣装に共通する。 ベストはボビンレースで飾られたもの。 面白いことに、カロタセグの上地方の村に、 トロツコーのレースが「輸入」され、ベストやエプロンの装飾に使われていた。
パレードの出発は、中心の公民館から。 ピンクのピエロになった、ヤニおじさんを見つけた。 背が高いというのは、この帽子のことだったのか。 お賽銭をもらうヒゲの子どもたちは、ユダヤ人だという。
村の中心は、出店や観光客、取材班で まるでブダペストのバーツィ通りのように混雑している。 普段はひっそりと静かな村がこの日ばかりは賑わう。
初めに兵隊、次に花嫁花婿の行列、それから楽団、やがてロバが棺桶をひいて、 二人のお婆さん、最後にまた兵隊という長いパレードが出発した。 この行列が村中を回り回って最後に中心に戻ってくるという。
謝肉祭はいわば、パロディなのだ。 結婚式、葬式が一色単になって、 面白おかしく、冬の邪を埋葬してしまう。 長い冬を生きてきた人々の、単調な冬を乗り越えて、 来る春を迎えようとする祈りなのである。
赤いベストをきた兵隊たちは、村のあちこちで 大きなムチを雪の大地に叩きつける。 大きな音で邪を払うというのも、世界各地で共通するやり方だ。
花嫁に花婿が厳かに到着する。 雪が氷に変わり、足場が悪いので慎重に歩く。
村のはずれの広場で行列が止まった。 各地で歓迎する家庭があり、 そこでお菓子やお酒などが振舞われる。 さらに村人たちは、この祭りのために寄付をする。 春を迎えるための祭りを、皆で支えているのだ。
白いロバがなんとも可笑しい。 馬に比べて力も弱く、頭も悪いと言われるが、 この謝肉祭にはぴったりである。
棺桶の後ろをついてくるのは、二人の老婆。 棺桶の中、つまり冬の終わりを悲しみ、ずっと泣いている。 つまり、泣き女である。
数時間にも及ぶパレードが中心に帰ってくると、 水場の周りに人々が集まってきた。 ここで牧師がお説教、つまり告別式のようなものを執り行う。 そのスピーチというのが長くて、驚いた。 おそらく少年たちが知恵を振り絞って作ったのであろう。 面白おかしいスピーチながらも、 村のこの一年のさまざまな出来事、さらには問題点が浮き彫りになっている。
少子化の問題に、村の仕事の問題、 村に牛飼いがいなくなり、牛を飼う家がなくなったこと。 村で開店したお店や飲み屋のことなど。 こうして一年を振り返り、 最後に棺桶を水場に投げ込み、さらにそれを斧でかち割って、 謝肉祭の幕が閉じた。
水しぶきとともに、一斉にフラッシュを切る音が響いた。 天気予報によれば、この寒さも数日で終わるという。 天気予報のなかった昔から、 村人たちが変わらず行ってきたこと。
ペンションの大家さんが話していた。 「ハンガリーからのお客さんは、何度も帰ってくる人が多いのよ。 飲み屋などで地の人たちと知り合い、村に居る私たちよりも、 村の情報に通じていて驚くこともあるわ。 そして、ここに来ると「家に帰ってきた。」と言うの。」 村の故郷を失った隣国の同包たちが、 トランシルヴァニアの村に故郷を求めていく。 きっと、ここに村の未来があるのではないだろうか。
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