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トランシルヴァニアへの扉 - Erdely kapuja-

古きよきヨーロッパの面影を残す、トランシルヴァニアへの扉をそっと開いてみませんか?

::自己紹介::

谷崎 聖子

Author:谷崎 聖子
1978年宮﨑生まれ。
大阪外大、ハンガリー語学科卒業。
ブダペスト大学で民俗学を専攻。
ルーマニア、トランシルヴァニア地方のフォークロアに惹かれて、セーケイ地方に移住、結婚。
三人の子育て中。

伝統手芸研究家。
トランシルヴァニアの文化、手しごとを広める活動をしています。主な著書「トランシルヴァニアの伝統刺繍 イーラーショシュ」、「カロタセグのきらめく伝統刺繍」。

東欧雑貨ICIRI PICIRIFOLK ART Transylvaniaのオーナー。

詳しくは、森の彼方-トランシルヴァニアへの扉をご覧ください。

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ベルタランの日

8月24日、ベルタランの日。 
セークの民にとっては、決して忘れることのできない日である。

今から301年前のこと、
1717年にタタール人が侵攻してきて、村の教会を破壊し、
村人を殺戮し、多くの捕虜を連れ去っていったといわれている。
この大惨事で、村の人口は大幅に減少し、
子どもを合わせて100人足らずになったと記録に残っている。
塩の鉱山で繁栄を築いたセークは、その昔は町と呼ばれていた。
この悲劇によって、セーケイ人やよその地方から移住するものもあり、
再び村として1から立て直すことになった。

この日は、朝昼晩三回の礼拝が開かれる。
さらに、喪を表して断肉をする。
ちいさい子どもから年配の村人まで美しい衣装を纏って、教会を目指す。

  szek bertalan (6) 
セークの衣装は、このタタール人襲来が起こってからは、
喪を表す黒と、血を表す赤とすることになった。
女性たちは皆、黒い衣装を身につける。

szek bertalan (8) 
男性は、白いシャツに
かつて塩山の警備兵だった頃の名残である青いベスト。
トレードマークの麦わら帽子をかぶる。

bertalan1.jpg 
18世紀当時の記録が、
美しい石造りの教会のあちらこちらに残っている。
刺しゅうや家具にも見られる、チューリップ。

szek bertalan (7) 
1703年の石碑。
この14年後にタタール人の襲来が起こった。
11時からの礼拝では、セークの村の歴史を牧師が読み上げる。
名前の起こりから、村が町となった経緯、
そしてタタール人襲来、今に至るまで。
1717年の悲劇で教会の中でも大勢の村人が被害を受け、
捕虜として連れて行かれ、母親の手によって逃亡した少年や、
両親と引き裂かれた子どもの証言が
生々しく、胸にのしかかってくる。

bertalan.jpg 

ご先祖に感謝を込めて、少女が祈りを捧げている。

szek bertalan (21)

小高い丘にそびえる教会から、厳かな心持で家に向かって帰る。
婚約者だろうか、仲睦まじく家路に向かうふたり。
若い女性の赤いリボンが揺らぐのを眺めていた。


szek bertalan (12) 
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comments(2)|trackback(0)|トランシルヴァニア食文化|2018-09-12_19:10|page top

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No title
また何という美しい風景でしょうか。 絵本のようです。
遠い昔の話であるのに まるで近年の事のように喪に服した
服装で集まるなんて・・・。
タタール人は韃靼人(だったんじん)とも言われますね。
モンゴル系の人たちでしょうか。
ボロディンの曲に「ダッタン人の踊り」がありますね。
昔、よく聴いた懐かしい曲です。
Re: No title
霧のまちさん、この日に礼拝に参加できたことは
私にとっても村がもっと身近に感じられる大切な経験でした。
1時間の礼拝で、村の歴史を創設から近代まで語られるのですが、
毎年同じことを繰り返し、繰り返し聞くのです。
残念ながら、この村で起こった悲劇を村人はご先祖たちの思いに胸を痛めながら、
そして感謝を捧げながら聞くのでしょう。
300年という長い期間が、つい先日のことのように肌身に感じられました。

私もタタール人といえば13世紀のモンゴル人襲来のことを思ったのですが、
その当時からルーマニア東側にも残り、少数民族として生活していたそうです。
それがオスマン帝国時代に、トルコと手を組んでトランシルヴァニアに攻め入ったという
(記憶があいまいですが)経緯だったと思います。
異民族であるがゆえに、Barbar(異教徒)とも呼ばれますが、
非キリスト教徒は教会をも破壊しますし、教会でも殺戮するので、
残虐な民というイメージです。



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