トランシルヴァニアへの扉 - Erdely kapuja-

古きよきヨーロッパの面影を残す、トランシルヴァニアへの扉をそっと開いてみませんか?

::自己紹介::

谷崎 聖子

Author:谷崎 聖子
1978年宮﨑生まれ。
大阪外大、ハンガリー語学科卒業。
ブダペスト大学で民俗学を専攻。
ルーマニア、トランシルヴァニア地方のフォークロアに惹かれて、セーケイ地方に移住、結婚。
三人の子育て中。

伝統手芸研究家。
トランシルヴァニアの文化、手しごとを広める活動をしています。主な著書「トランシルヴァニアの伝統刺繍 イーラーショシュ」、「カロタセグのきらめく伝統刺繍」。

東欧雑貨ICIRI PICIRIFOLK ART Transylvaniaのオーナー。

詳しくは、森の彼方-トランシルヴァニアへの扉をご覧ください。

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中世の面影を残す町ブラショフ

その日は朝から重い色をした雲が空を覆っていた。

7月も半分を過ぎ、去年ならばカニクラと呼ばれる猛暑が襲っていた時分である。
太陽が何日も顔を隠し、時折雨も降ったから気温は一気に下降した。

寒い。
7月にこんなに冷えるとは誰が考えただろう。
(この土地の人にとっては不思議ではないかもしれない。)
長袖の上にさらに綿のせーターを着て出たが、
それでも風が吹くと体が身震いする。
私の故郷、宮崎では冬に相当する寒さだ。

旦那と息子を伴って、今日はブラショフという町へ行く予定だ。
もう若くもないし、外国生活をしていることもあって、
体の検査をしに病院へ行くという用事である。

この町にももちろん病院がある。
前日に、エコグラフの検査のある建物に入ろうとしたら、
「長期休暇」の張り紙があったので愕然としてしまった。
いつ帰ってくるか分からないのである。
それなら代理の人を置けばいいのに。

・・・・ということで、隣町ブラショフへいくことになった。

ここはルーマニア第2の都市であるから、私の住むセントジュルジから学校や出稼ぎに行く人も少なくない。
電車が日に5回ほど通っているし、ミニバスが一時間おきに出ているので大変便利である。

鈍行電車では所要40分~1時間、ミニバスなら30分。
どうして電車はこんなにまちまちであるかというと、途中で特急電車の待ち合わせがある場合があるからだ。
こんな場合、多くの人はきっとミニバスを選ぶであろう。

ただこのミニバスは、時間帯によってはかなりの満員になる。
定員数が決まっていないのか、ものすごいギュウギュウ詰めで走ることもしばしば。
そしてクーラーもついていない場合が多い。

そして1つの大きな気がかりは、このドライバーたちの運転である。
技術がどうこうでなく、一般的にルーマニアの道路のマナーは大変悪く、
スピードはほとんど制限されていないからガンガン飛ばす。
一斜線の道でも追い抜きは当たり前で、右斜線を走るから追い抜くときには対向車線に飛び出すのである。
だから私も始終ハラハラして、フロントガラスに目が釘付けになる。
見ていてどうなるわけでもないが・・・

いくつかの村を通り過ぎて、山を背景にしたブラショフの大きな町に入るのは約30分後。
町の駅の前で降ろされる。

ブラショフは、観光でも有名な町である。
ただここ10年くらいで、町の様子はすっかり変わってしまった。

まず道路の交通量が激増したことである。
路面電車が取り払われ、代わりに大きな道路が張り巡らされてしまった。
信号機がない場所では、周りの人を見ながら一斉に横断歩道をふみださなかければならない。
あの猛スピードで走る野蛮な機械は、歩行者の姿を見ようともスピードを緩めようとはしない。
だから、細心の注意が必要である。

私たちはどうにか病院を探し当て、概観は廃屋のようにも見える乾いた建物の中に入ると中は意外にきれいで活気があった。
検査の機械も最新のもののように見える。
検査の結果は異常なし。
日本では定期健診があるし、若い人でも病院で検査することは少なくないが、ここでは「私のようなものがどうして?」と不思議がられる。

病院から出るとまだ昼ごろなので、時間もたっぷりある。
そこでブラショフの中心地を散歩しに出かけた。
午後になって、やっと太陽の光が町を照らし始めた。
ブラショフの町にぴったりと寄り添う山には、町の名前の看板が立っている。

kep 033

これが観光名所へと続く通り。
今回はメインの広場へは行かなかった。また次の機会に・・・

kep 038

ブラショフは、中世から職人の町としてトランシルヴァニアの経済を支える重要な町であった。
もともと、ドイツ系のザクセン人が作った町である。
ブラショフの町のシンボル、木の株が王冠をかぶっているもの。
これには由来があって、とある木の株から王冠が掘り出されたという伝説からきている。
ドイツ語名も、クロンシュタッド(王冠の町)である。

kep.jpg

昔はザクセン人、ハンガリー人、ルーマニア人が同じくらいの比率で暮らしていたという町。
トランシルヴァニアを象徴するような民族構成。
それが共産主義時代に、ルーマニア人を優先させて町に住まわせ、さらに80年代にはザクセン人をドイツに送還させるという事件もあって
一気にルーマニア人中心の町になってしまった。
(ちなみに共産主義時代の町の名前は「スターリンの町」である)

もちろん観光名所として知られる、黒い教会や元の市役所はそのまま残っているが、私が注意を呼びたいのは19世紀末にザクセン人によって建てられたアールヌーヴォー建築である。
古い建物の美しい構成や装飾の面影を偲ぶことはできるものの、昔の住人はもうここにはいないから、建物は放置同然なのである。
壁のはげかけた建物にはドイツ語表記がしっかりと刻まれて、昔の主人の趣向をあらわしている。

DSC00013.jpg

「建築は、芸術の母である」と書いてある。
機能性よりもむしろ装飾性が大切であったこの時代を、まさに象徴する言葉。

Foto1.jpg

こんなに素敵な扉の向こうには、どんな内装があるのだろう・・・
中がとても気になる。

DSC00014.jpg

こちらは最近買い取られて、きれいにペンキが塗り直されていた。
こんな風に、古い建物のよさを見直してほしい。
特に目を惹くのは、鉄製の窓の飾りである。生命の樹のモチーフのようでもある。

Clipboard03.jpg

私のお気に入りの家。
20世紀はじめのハンガリー様式のもののようだ。

DSC00019.jpg

建物の上にはニワトリの頭がのっかり、きっと朝を告げるのだろう。

foto3.jpg

ほら、ハンガリーの民俗モチーフであるTulipan(チューリップ)の姿もここに。
この時代の芸術家、建築家はフォークアートの中にハンガリー民族特有のかたちを見出した。
これが、私の卒業論文のテーマ。

foto4.jpg

可愛そうに壁がはげ落ちて、美しい模様が見えなくなっている。
これもハンガリーの民族衣装のモチーフ。
ヒツジの皮に刺繍されたモチーフがそのまま使われている。

foto6.jpg

今見てもかなり斬新なアール・デコ様式の柵。
直線的なデザインの中にも、民俗モチーフがやはり見られる。
星模様は、木彫りのお墓によく見られるモチーフ。

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「おーい。ここだよ!」と上から叫んでいるのは、
中世の建築モチーフによく見られたグロテスク・モチーフのおじさん。
「そこで100年以上も、ブラショフの人を眺めていたんですね。」
思わずそう話しかけたくなる。

70,80年代にルーマニアという国のよその地方、モルドヴァやオルテニアからの移住が進んでいった。
残念なことに、よその文化圏から来た人々は、このトランシルヴァニアの中世、近世の趣を残す遺産に対してまったく無関心であるからだ。
他の東欧諸国に比べても、共産主義時代にトランシルヴァニアが失ったものは大きいと思う。
その理由がこの複雑な民族構成にあって、ハンガリー人、ザクセン人が作り上げた過去の遺産に対する関心の薄さのためだと思うのだ。

これから、ブラショフの町がどう変化を遂げていくかは分からない。
もちろん経済の発展、そこに住む人の生活も大事である。
が、古いものと仲良く共存しながら発展してほしいものだ。

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Theme:東欧
Genre:海外情報

comments(4)|trackback(0)|トランシルヴァニアの町|2008-07-20_18:29|page top

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本当にこんな素晴らしい建築物、国で手入れをするとかしていつまでも残して欲しいです。

建物の細かいところにまで民族モチーフが使われているんですね。こんな細かい模様の作業をどのようにやっていたのか想像もつかないです…
saya さん、コメントをありがとうございます!

身近にあるものの良さって、意外と見過ごされてしまうものですよね。私たち他所のものの方が、気がついたりするものです。

こんな風に民俗モチーフが建築に使われているのは、20世紀はじめの東欧諸国に見られる特徴です。西欧諸国のように、大切にしてほしいです。

なつかしいブラショフ
はじめまして、
時々ブロぐを拝見しています。
フォークロア・手仕事など関心があります。
1970頃、ブラショフにすむドイツ人と文通していました。
彼は数年してドイツへ移住しました。
名前もドイツゆかりのTeutchという姓でした。
もう何十年も交流がありませんが、多分今はアメリカに住んでいるようです。
高校生だったころ、彼から送られてくる手紙や小包から知っていたブラショフの現在について知ることができて懐かしい気持ちになりました。ありがとうございます。
かざぴーさん、素敵なメッセージをありがとうございます。
そんな素敵な思い出のお話が聞けて、嬉しいです。

ブラショフのザクセン人の方のお知り合いがいらしたのですか。
あの時代に日本まで手紙や小包を送るなんて、大変なことでしたでしょうね!
そういえばブラショフ出身のTeutchという画家も聞いたことがあります。多い名前なのでしょうか。

ブラショフをはじめ、トランシルヴァニアにはドイツ系の町や村がたくさんあります。ほとんどの住民は、そうした大切なふるさとを捨てて移住しなければならなかった・・・本当に悲しい歴史です。
どうして中世の頃のように、さまざまな民族が仲良く暮らせないのでしょうね。